歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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プロローグ

 表の喧騒は夜になっても絶えない。安ホテルの薄っぺらなカーテンは外の光を遮る事をせず、部屋の中は薄明かりに沈んでいる。男がベッドから降りた事を背中越しに感じた。シャワーの音が無造作に響く。

 けだるい体を起こし、乱れた髪を押さえる。セックスの時に髪を触りたがる男はどんなタイプだったろうか。ファッション雑誌のどうでもいい記事の事を思い出してしまった。シャワールームから出てきた男は、「起こした?」とだけ聞く。体を隠す事無く、入れ違うようにシャワールームに向った。

 体の表面に残る男の残滓を洗い流すように、シャワーを浴びる。それで消えてしまう程度の相手だった。もちろん、交際は男女相互の関係である。相手の責任だけに押し付けるのはフェアではない。それでも、あの男にはそう思わせる何かがあった。いや正確には、何もなかったからそう思ってしまうのだ。

 

 付き合って一年半ほど、周囲からもそう認識されているし、自分たちもそう認識しているはずだ。最初の頃は、それらしくじゃれあったりもして見せた。少なくとも、自分はそう努めたはずだと女は思う。

 だが、男の方はどうだったのだろう。未だにそれが分からないのだ。もちろん、立ち居振る舞いは交際相手に気を遣う普通の青年だ。だがそれは、徹底して外形だけだったようにも思う。男の本心は見えないままだった。

 しかもそれは、本心を隠しているのではない。まるで無色透明であるかのように見えないのだ。何を欲しているのか、そんな根本のものですら見えない。

 

 ベッドの上でもそうだった。男が見せるのは生理的欲求だけであり、男としての欲情はおろか、雄の本能すら見えてこない。上手い下手で言えば、間違いなく上手いだろう。それが比較できる程度には経験を積んできたつもりだ。それでも、こんな男は初めてだった。自分の生理的欲求は充足されるが、それ以外に全く得るものがないセックス。それは苦痛や退屈をもたらすものよりも、ずっと不気味だ。

 そんな疑問を相手に問うた事もある。しかし、返ってくる答えはやはり無色透明だった。あの男には、何かがないのだ。

 

 湯気で満たされたシャワールームに静寂が訪れた。軽く髪を拭いてバスタオルを体に巻きつける。ガウンを羽織り、ベッドの端に小さく腰をかけている男と目が合う。「飲むかい?」と差し出されたグラスを断ってベッドに滑り込んだ。

 せめて自分から別れを切り出すかと思ったが、その気すらないようだ。番組制作のためにしばらく海外にロケに出る、そんな話をしただけだった。そしてそのまま、この関係を終わりにするのだろう。

 自分から別れを切り出しても、この男は何ら反応を示さないだろう。取り乱すでもなく、ほっとするのでもなく、ただ淡々とその事実を受け止めるだけだ。だからもう、ただ眠る事にした。

 

 もしかしたら、この男にとっては交際という事実すらなかったのかもしれない。結局、ルーイ・キリロフという男について分かったのは、その程度の事であった。別に未練を覚えるわけではない。ただ無性に腹立たしかった。この男にとって、自分は最初から無意味だったのだから。

 

 

 

 

 

 世界で最も国際空港の使い勝手が悪い場所だとは聞いていた。だがまさか、都心部に出るまで電車を乗り継がなくてはならないとは思っていなかった。海上に浮かぶカンサイ中央空港から対岸の駅まで、雨に煙る窓の外を眺める。

 スーツ姿が目立つのはビジネス客の多さだろう。ラフないでたちの自分たちは少々目立つようだ。といっても、今回の取材クルーは自分を含め3人しかいない。後は、現地の放送局との共同作業となる。編集その他諸々は、戻ってから本社で行うので、こちらではそのための素材を集めるだけだ。現地のスタッフについて歩けば、それで十分だと考えている。

 

 電車の天井にはスクリーンシートが吊るされており、そこには様々なCMが映し出されていた。中吊りと呼ばれる広告手法は、この国独特のものであった。クルーの一人は、何かと現地の治安情勢を気にしているようだが、この広告を見ればそれが杞憂だという事はよく分かるだろう。

 東アジアの公用語ではなく現地の言葉で書かれているため何が書いてあるかはよく分からないが、少なくともあの色使いや使われている写真に、緊迫した情勢は読み取れない。無国籍ないでたちの女性の写真は、ファッション雑誌か何かの広告であろう。

 

「やっぱ、宣伝してますね」

 クルーが指差す先の広告はアルファベットで書かれていたために読む事ができた。ポップスハーモナイズサマーライブ、彼らが取材するイベントだ。

 

 再構築戦争以前は国であったこの地域は、旧世紀において常にサブカルチャーの一角の最先端を走っていた。その伝統はCEに入ってからも続き、マンガ・アニメ・ゲーム、それらに付随する様々なメディアの複合体からなるソフトの一大集積地であり発信地であった。

 再構築戦争による世界のブロック化、さらには連合とプラントとの二度に渡る大規模な戦争の中、世界の文化状況もブロック化してしまう。ナショナリスティックな表現や、遺伝子差異に基づく差別的な表現が、忌諱されるどころか推奨されるような事態まで生じた。

 そんなメインカルチャーの停滞を他所に、サブカルチャーは強固にネットワークを保持し、独自の発展を続けていく。それは国家による抑圧や、遺伝子イデオロギーの強制に対して、カウンターカルチャーとして役割を果たしていた。サブカルチャーネットワークに連なる者は自分達を「オタク」と称し、それをCEにおけるコスモポリタンのあり方だとしている。

 今回のイベントはその集大成であり、新たな出発点であると位置付けられていた。ユーラシアのテレビ局としても、極東の音楽祭だとして無視できるものではなかった。

 

「融和と共存・・・」

 ルーイ・キリロフは窓に映る顔にそうつぶやいた。CEにおいて、この言葉ほど消費された言葉もないだろう。しかしその消費に見合うだけの供給があったのだろうか。そして彼は考えるのをやめた。

 ない、そう考えれば何かをしなければならないからだ。彼にとってそれは、ただ後ろめたさを感じさせるだけのものだから。

 

 

 

 

 

 立て続けの地響きと、サイレンの音はほぼ同時だった。子供たちは防災用の簡易ヘルメットをすかさず机の下から取り出し、教師は避難誘導を開始する。校内放送は避難経路を4番と指示していた。

 複数の避難経路を用意して、その都度使用するルートを変更するのは、別の地域で三年前に起きた大規模な被害からの教訓である。再び地響きが聞こえ、子供たちはその場にしゃがみこむ。窓ガラスが奇妙な振動をおこし、ヒビが入ったものもあった。体育館の地下に設置されたシェルターに全校の生徒が収容される。

 

 シェルターの中のモニターには、被害の状況が速報で流れていた。撃ち込まれたロケット弾は五発、内二発は不発ながらも住宅密集地のすぐそばに落下したという。爆発した三発はいずれも河川敷に落ちたため被害は軽微であった。

 しかし、橋の近くで爆発したものがあったため、現在橋が通行止めになっているという。教師たちは、残った授業をどうするかの検討を始めた。シェルターの外から戻ってきた教師が状況を伝える。

 

「今日は多いですよ、見えただけでも五機。それも全部MSでした」

「空爆だけじゃないという事か・・・ひとまずは大丈夫そうですね」

 腕時計を見た教師がそう言う。とりあえず昼休みまでシェルターで待機し、午後の授業は平常通り実施する事になった。

 

 この時代にあって、飛び込んでくるのはパイプと簡単な火薬で作られた手製のロケット弾であり、ロケット弾攻撃が始まって以来、この町での被害者は二年前に軽傷者が出ただけである。それでも、平均して二日に一回のペースでこの騒ぎとなれば、嫌がらせ以上の効果が生じる。

 何より、この町が狙われる理由はなく、単に発射地点となっている地域とロケット弾の平均射程距離の関係からこの付近によく落ちてくるというだけである。風の強い日はもっと風下の町に落ちるのだ。

 

 行政は転居などを住民に勧めているのだが、余裕のある人たちは既に安全な場所に移り住んでいた。他に選択肢のない人ばかりがこの町に残る事になっている。

 子供たちは慣れたもので、シェルターの中はだんだんと騒がしくなっていった。教師の注意も効果が薄くなっていく。だが、この子供たちが今の状況に平気でいるということではない。地元の教育委員会の調査で、他地域の子供たちに比べて精神的に不安定な子供が多いという結果が出ている。ここに留まっている教師たちも同様であった。

 

 出口のない今の状況は、精神をゆっくりと削っていくのだ。形にならない不安は、いつからかこの町を覆いつくし、そしていつまでも居座り続けている。モニターの速報は、先ほどから同じ事を伝え続けていた。

「繰り返します。新川付近に着弾したロケット弾の影響で、国道16号線は現在通行止めとなっています。この攻撃による死者、負傷者は確認されていません」

 

 

 

 

 

 都市インフラは一朝一夕で作られるものではない。そこには歴史と呼べるだけの時間的蓄積が存在する。いや、歴史こそが都市を形作るのだ。都市の姿は、その都市の歴史そのものである。都市を見下ろせば、その歴史を理解する事ができ、歴史を理解する者は未来を見通す事ができる。

 オープンしたての超高層ビルは、そんな都市を丸ごと見渡せるかのような高さを誇っている。最上階では、盛大なパーティーが執り行われていた。グラスが高々と差し上げられる。

 

「我々はついに、トウキョウ進出というスタートラインに立つ事ができました!」

 正装の男女がにこやかに談笑する背景には、ガラス張りの壁越しにトウキョウの夜景が煌いている。さらにその背後には、明治神宮から皇居に至る闇の壁が控えていた。夜の闇が正しくあるからこそ、トウキョウの夜景はいっそう妖しく輝くのだ。

 

 パーティーの出席者は、ビジネス関係者だけではない。日本自治区からは、立法院院長、行政院長官、司法院最高判事と三院の長がそろって出席している。横須賀の司令官も地球連合軍の肩書きで列席し、さらには大西洋やユーラシアの大使、オーブの領事までいた。

 裏を返せば、東アジア中央政府に連なる人物だけがここにいないのだ。だからこそ、中国の民族衣装のような服を着た老人は異彩を放っていた。チャイナドレスの美女を二人従わせ、ゆったりとした足取りで出席者に挨拶をして回る。

 終始穏やかに話すその老人は、出席者へのお礼とビジネスの話題しかしない。あくまでも、彼がオーナーを勤める会社の一つが、新たな支店を開設したに過ぎないといった態度である。酒を勧め、食事を勧め、ただパーティーを楽しむようにと話して回っていた。

 

「田舎料理ばかりで、お口に合わないかもしれませんが」

 それが度の過ぎた謙遜である事は、次から次へと運ばれてくる料理を見れば一目瞭然である。だが、それをひけらかすような事は決してしない。シェフもボーイも質問に対してだけ、短い答えを返すだけである。だが、質問をした者は一様に驚嘆の声をあげていた。

 しかも、ほんの少しでも冷めると料理は惜しげもなく下げられ、新たな料理が代わりに運ばれてくる。それも、出席者に対して可能な限り目立たないようにとの配慮が行き届いていた。ただ漫然とパーティーに来ているだけの者がいれば、自分の皿の上に常に出来立ての料理が載せられていく事に気付きもしないだろう。

 

 だが、今ここに集まっている者は全て、ただ呼ばれてパーティーに来ただけの者ではない。このビルは、モザイク都市・トウキョウに打ち込まれた楔なのだ。集まった人間の数だけの思惑があり、それらの織り成す打算がパーティー会場をくまなく覆っている。

 老人の快活な笑い声だけが響く。

 

 

 

 

 

 廃材とトタンで作られたバラックや、瓦礫をセメントで塗り固めただけの建物が並ぶ町。慈善団体のトラックの荷台では、拡声器を持った男が援助物資の配布開始を呼びかけていた。老若男女がトラックを取り囲み、奪い合うように物資が行き渡っていく。

 トラックの運転席の男が、打ち上げられた花火を確認する。夕方とはいえまだ明るく、花火はポンポンと煙を上げるだけだ。

 

「やばい、近いぞ!!」

 荷台の男は周りの人間に避難を呼びかける。そして取り囲む人達を押しのけるように車は動き始めた。その時にはすでに上空をいくつもの影が通り過ぎ、爆発音と黒い煙が立ち上る様子が確認された。

 助手席の無線機が盛んに雑音をかき鳴らしている。男達は、必死になってその中から意味のある言葉を拾い上げていく。煙の数はだんだんと増えていった。

 

「小松川線と京葉道路に沿って爆撃してるな」

「間か!? 毎度、学校も病院もお構いなしか・・・」

 だが爆撃の意図がそんなところにあるのでは無い事は分かっている。分離ラインに沿って攻撃する事で、南への越境を阻害しようとしているのだ。地上部隊の侵攻があるのは明確であった。

 

 今までの事から、地上部隊は6号線を上ってくる。そこに部隊を配備した後、南に向ってローラー作戦を展開するのだ。敵部隊が荒川を渡る前に、6号線より北の出来るだけ離れた場所まで出なくてはならない。爆撃で生じた穴や、瓦礫でふさがれた道を避けながらトラックは猛スピードで道を進む。住民も家財道具を乗せたリヤカーを曳きながら、北に向って移動を始めていた。

 こういった移動や避難は、もはや生活の一部になってしまっているかのようだ。ただ淡々と住民たちは歩いていく。

 

「東アジア軍部隊を荒川と隅田川の分岐地点で確認したとの情報です。そのまま荒川を下る模様」

「北に逃げた連中を堀切辺りで一網打尽にするつもりか・・・作戦続行!」

 現在は使われなくなった地下鉄の構内に展開するのは、トウキョウ特別行政区保安局の特別強襲部隊。既に両国、錦糸町、押上、本所吾妻橋の四ヶ所に部隊の配置を完了していた。目的は潜伏するテロリストの拘束である。爆撃を行った軍部隊も、同様の目的を持っているが、やり方から利害まで見事なほどに一致していない。

 

 6号線から南に軍部隊が展開するようであれば、そのまま撤収もありえた。軍と正面切ってぶつかるわけにもいかないのだ。だが軍がやり方を変えてきたため、彼らとしても動きやすくなった。ただ先ほどの爆撃によって、撤退ルートの一つである11号半蔵門線の安全性が低下した事は否めない。押上駅に待機している司令部隊から、探索ルートの変更が指示される。

 非常灯すら消えた地下鉄の線路を伝令の隊員が走っていく。現在のNジャマー濃度は薄くなっているため無線の使える距離であるが、使用できる周波数の少なさから傍受される可能性が高いのだ。固い足音だけが、狭いトンネルの中に反響し続ける。

 時間となり、地下鉄構内と地上を繋ぐ階段を閉ざしていた封印がガストーチで焼き切られる。濃紺の防弾服の一団が階段を駆け上っていく。

 

 

 

 

 

 部隊集結を可能とする場所がないのが、都市における軍部隊運用の困難さである。特にMSという兵器が軍の主要兵器となった現状では、その困難さが顕在化する。都道318号線、通称環七通りと国道4号線が交差する地点で部隊は一旦停止していた。

 

 作戦目的がテロリストの掃討である以上、MSキャリアーは後回しにされる。兵員輸送車と装輪装甲車が高架をくぐり4号線を南下していく。もう一つの部隊は既に荒川を下り上陸準備を整えているはずだ。MSキャリアーの一部を首都高速6号線にあげ、上陸部隊の支援に回らせる。

 作戦自体は、4号線の荒川から隅田川までの区間を封鎖し、堀切に上陸させた部隊とともに挟み撃ちにする単純なものだ。一般住民であれば、その後に行われるローラー作戦の対象外となる6号線の北側の地域で足を止めるであろうが、テロリストであれば部隊が配備される6号線の近くに留まる事は無い。首都高速の高架を越え、北千住辺りまで向かうであろう。

 

「そうなれば、我々の思う壺・・・どうした!?」

 指揮車両の中で有線電話をとった隊長が声を荒げる。斥候の車両から、アンノウンの情報が入ったのだ。すかさず、壁面の地図が明かりを点す。

 

 荒川にかかっている橋を渡り終えた斥候の車両が、営団地下鉄千代田線、国鉄常磐線、筑波急行線の三線の鉄橋の上にMSらしき一機の機影を発見したのだ。距離と暗さから機体の種類までは判別できないでいる。

 このご時勢、テロリストがMSを所有するなど珍しくもなんともないが、少なくともこの地域におけるMS運用は今までなかった。

 

「だが・・・鉄道橋に陣取ったという事は、傭兵か何かだろう。MSで排除する」

 交通網を維持するなどのため、道路橋や高架道路に対する攻撃は敵味方の関係なく禁止というのが不文律となっている。一方で、それ以外の橋であれば攻撃しても構わないのだ。アンノウンは4号線の道路橋を渡るこちらの部隊へは攻撃できないが、こちらは鉄道橋の上のアンノウンを攻撃できる。MSキャリアーの荷台が唸りを上げ、サードダガーがそのカメラを光らせる。

 三機のサードダガーがスラスターを吹かすと、その突風が街路樹を揺らし付近のビルのガラスはビリビリと震える。首都高速中央環状線を一気に飛び越えたサードダガーは、落下速度を調整しながらライフルを構える。

 

 アンノウンの頭部デザインは、俗にガンダムと呼ばれる形状であった。先頭の機体が放ったビームはそのままアンノウンを直撃する。しかしパイロットが見た物は、爆発するMSの姿ではなかった。

「ビームシールド・・・!? いや、色がない・・・なら何だ!?」

 

 鉄橋のトラスの上に直立するアンノウンは、顔を上げる。直撃したはずのビームは、何かに弾かれて川に着弾していた。水しぶきと水蒸気があたりに立ちこめ、視界が一気に失われる。

 直後に聞こえた爆発音を僚機のものだと判断できるか否かが生死を分けた。すかさずスラスターを吹かしてその場を離脱したサードダガーのパイロットは、さらにもう一つの爆発音を聞く。だが、ビームの発射音もサーベルの発振音も聞こえなかった。

 

 夜の闇を背景にして、アンノウンはそこから少し離れた場所を走っている東武伊勢崎線の鉄橋に跳び移った。スラスターの噴流炎は見えず、熱紋センサーは何も捉えなかった。

 そのまま姿をくらませたアンノウンに、サードダガーのパイロットは息をついた。そして。機体の交戦記録のコピーをマイクロメモリーにコピーすると、それをアンダーウェアのポケットにしまいこむ。

 

 

 

 

 

 勝手知りたる人の家とはよく言った物である。旧世紀の町並みが基本となっている以上、相手側にも相当正確な地図があると見て間違いない。あえて爆撃されている方向に近づいて、敵をやり過ごそうとした作戦が裏目に出たようだ。

 爆撃の間隙をぬって首都高速7号小松川線の南側へと越境するつもりだったが、行政区保安局が入り込んでいるとは予想外だった。軍の作戦行動中に保安局が動くなど、これまでは一度もなかった。

 地下鉄を利用して侵入してきたのであれば、今回の敵の探索範囲は天神川の西側だろう。それが分かっていれば、北十間川をそのまま旧中川まで移動してそこから南に下ればよかった。

 

「今さら愚痴ってもどうしようもないだろう! 腹くくれ!」

 そうやって腹をくくった奴の中で、生き残った人間を見た事がない。おそらくボートによる移動は、敵も重点的に監視しているはずだ。早く川から上がって、東側に逃げなくてはならない。三ツ目通りで南に向った仲間は、軒並み捕まっている事だろう。それだけに、自分たちまで捕まる訳には行かないのだ。

 

 だがそんな事を考えている時間こそが無駄であった。蔵前通りの橋にはすでに、いくつもの懐中電灯らしき灯りがチラついている。オールがたてる水音すらうるさく感じる。もはやゴムボートの上につっぷして、祈る以外に方法がない。

 警告が聞こえた。連合公用語でもなければ東アジアの公用語でもない、日本語での警告。追う側も追われる側も同じ言葉を話す人間だ。三度の警告の直後に発砲音が聞こえる。東アジア軍の使う自動小銃とは異なる音が、別組織である事を明確に示している。弾丸が水を切る音と悲鳴、そしてゴムボートから空気の抜ける音。前を進んでいたボートが水に沈んでいく。

 弾丸から身を守ろうと、水に飛び込もうとした男を押し留めた。水に浮いた死体からうっすらと煙が上がっている。おそらく、断続的に高圧電流を流しているのだ。緩やかに流れる川の流れに乗ったゴムボートは、次々と標的になっていく。

 

「いいから白旗揚げろよ!」

 橋の上から機関拳銃を撃ち下ろしている隊員が叫ぶように言う。彼らの作戦は、殺害ではなく拘束なのだ。同じように橋の上にいる隊員同士で嫌な目配せが飛ぶ。不意にヘルメットの無線機が鳴った。

 作戦中の無線使用は原則禁止である。何らかの緊急事態だ。雑音の中から聞こえるのは撤退命令と交錯する銃撃音。有線電話を背負った隊員が、慌てて受話器を取る。

 

「両国の部隊に襲撃!?」

 どの部隊からも同じような言葉が返ってくる。だが、その驚きと動揺を抑えて部隊を撤退させなくてはならない。襲撃者は自分たちと同じく地下鉄構内を使って移動してきた。両国の部隊を全滅させれば、都営大江戸線で蔵前まで移動しそこから浅草線でここ押上を目指すだろう。

 行政府保安局特殊急襲部隊を全滅に追いやる敵というものを想像したくは無いが、通信は明らかにそれを伝えていた。

 

「本所吾妻橋の部隊にトラップを仕掛けさせろ。最悪、崩落させても構わん」

 短く指示を伝えた隊員は、自分の部隊をまとめる。隅田川を渡れば、とりあえずの安全は確保されるはずだ。だが、銀座線を使われ浅草駅で待ち伏せされる危険性があるため、撤収ルートは東武伊勢崎線鉄橋ではなく、国道6号線を使用する事にした。ルートを確認させて、隊員を偵察に向わせる。

 

 

 

 

 

 夜中断続的に続いていた爆撃の音は、明け方には聞こえなくなった。幾筋もの煙がうっすらと立ち上っているのが見える。だがそれも分離壁の向こう側、緩衝地帯を越えた先の出来事に過ぎない。市井の生活には、夜中の騒音で安眠を妨害されるのが最大の被害である。

 そのせいで朝から機嫌の悪い妻と子供を避けるように、いつもより早く家を出た男は、真っ直ぐ会社に向わず、とある雑居ビルに足を向けた。既に仲間たちが集まり、地図を広げて検討を開始している。

 

「小松川公園にたどり着いたのは33名か・・・恩賜公園の方は?」

「4人、ボート一艘だけだ」

 収容した人間を匿う場所は既に選定が済んでおり、今は空爆によって失われたトンネルの把握と再建の計画が進められている。おそらく、民間業者は今朝からトンネルの掘削作業を開始しているだろう。組織というのは、こういう場面で意思決定の遅さが現れるものだ。

 もっとも、民間業者のトンネルが1キロ弱の長さを必要とするのに対して、彼らは恩賜公園北端から200メートルほどの長さのトンネルを作ればいいのだ。修復作業もそれだけ早く終わるという事である。幸いにも水路へのダメージはなかったようなので、すぐにでも作業に取り掛かれるとのことだった。

 

 しかしそれ以上に、集められたいくつかの奇妙な情報の分析の方が急務だった。一つは、堀切の周辺で起こったという謎の戦闘、もう一つは地下鉄構内への侵入者である。そのうち後者については、彼らの仲間を追っていた保安局であることが判明しているが、どうやらそれ以外にも侵入者がいるらしいとのことだった。

 恩賜公園にたどり着いた者の一人は、保安局の人間が急に撤退を開始したと証言している。謎の侵入者とそれが何か関係しているとも考えられる。

 

 堀切周辺での戦闘は、北に脱出しようとしたメンバーを拘束しようと動いていた東アジア軍に対して、何者かが攻撃を仕掛けたらしいというのだ。未確認ではあるが荒川から上陸しようとした東アジア軍部隊が、全滅に近い打撃を受けたという話だ。首都高速6号向島線の上では破壊されたMSが確認されているという。

 何か、大きな動きのようなものが、彼らの知らない部分で動いているかのようだ。

 

「今後はより慎重に動いた方がいいな。分からない事が多すぎる」

 彼らの住んでいるこの場所が、いつまでも安全であると保証されているわけではない。再構築戦争によって形作られたCEという時代の政治的な不安定さの上に立脚した土地であるからこその安全は、そもそもが不安定なのだ。

 

 そして、それをどうやって安定させるかというビジョンの差異が、今のトウキョウの状況を混迷させている。昨晩の空爆は、その一端に過ぎない。

 だが、ペディオニーテ動乱が連合やオーブ、プラントの思惑通りに推移したという事は、今後も彼らの思惑の中で世界は安定化を目指すだろうという事だ。その時、この街はどのような形になる事を求められるのか。

 朝のニュースは、空爆の情報に軽く触れる程度であった。

 

 

 

 

 

 太平洋は、その名にたがわぬ海であった。360度のパノラマが全て水平線であり、波もない海面がただ太陽の光に輝いている。その中を航海する船など、景色の中の染みでしかない。例えそれが、世界でも有数の大型船であったとしてもだ。

 大洋州連邦の海運会社が所有する客船・グレートバリアリーフ号。旧世紀には存在したという巨大な珊瑚礁の名前が冠された豪華客船だ。客船の中では、排水量こそ世界第三位だが、収容人数や各種の設備は間違いなくナンバーワンと呼べる船である。イオウジマ沖合いを航行中のその船は、一路日本列島を目指していた。

 

「艦長、オオサカへは寄港するのですか?」

「いや、このままヨコハマに向う」

 そして監視員からの報告に、発着用甲板の準備を命じた。前大戦で世界中に打ち込まれたNジャマー発生装置は、電源である核電池が切れない限りNジャマーを撒布し続ける。一説には数百年などと言われているが、機械の信頼性を含めて、作ったプラントですら正確な事は分からないらしい。この頼りないレーダーとも付き合い続けなくてはならないという事だ。

 艦長は双眼鏡を覗いた。青い空の中に僅かな黒い点を見つける。ゆっくりと姿を露わにするのは小型の飛行機のようなものであった。

 

 船の上を旋回したそれは、四肢を広げて機体のバランスを制御すると、フワリと発着用甲板に降り立った。再び変形してハッチを下に降ろし、乗っていた者達が降りてくる。可変MS・ドゥル、サブフライトシステムに可変機能を持たせ、使い捨てでなく戦闘支援を可能とするように開発された機体だ。

 しかしMS単独での飛行を可能とさせるようなパックパックの実用化とともに、その役割は薄れてしまう。それでもMS二機を運搬できる余剰推力は、この機体に小型輸送機としての役割を与える事となった。今では大洋州をはじめとする民間にも払い下げられ、垂直離着陸可能な高速輸送機として活躍している。

 

 だが降りてきたのはそろって、ザフトの制服を着ている人間である。色こそ赤では無いが、裾の長いタイプの制服で、一般将兵とは異なる役割を持った者達だと分かった。青い制服は、行政官庁からザフトに出向してきた者だ。

「遠路、ご苦労様です」

「こちらこそ・・・と言いたい所ですが、我々も急遽招聘された者です。詳しい話は船についてからだと」

 

 最も折り目正しい敬礼をしていた年の若い男性が挨拶とともに言う。キリル・ローレンスと名乗ったその男性は、先日までバイコヌールの出張所勤務であった。現在建設中の物資専用マスドライバーによる、プラント・地球間交易の問題点洗い出しを仕事としていた。

 それがいきなり豪華客船である。おそらく他の者も、同じような戸惑いを覚えている事だろう。

 

 

 

 

 

 真っ直ぐな瞳とはこういう物を指す言葉なのだろう。まだあどけなさすら消えないような顔だというのに、その瞳は年齢など無関係に力強かった。一体、誰に似たというのだろう。少なくとも、彼女ではない。

 だからといって、自分に似たのだろうか。そうも思えなかった。ただ、自分の息子を名乗って現れたこの青年の言葉が嘘だとは思っていない。息子に、自分と同じ名前を付けた彼女の真意など量りかねるが、彼はそれだけを頼りに自分のもとにたどり着いたのだ。

 

 もっとも、彼が生まれる以前に彼女の母親とは別れている。それも幾重もの裏切りとともに捨てられたのだ。未だに冬になると疼く傷は、彼女の事を許そうとはしないだろう。

 顔も知らない父親のもとを尋ねたこの青年は、ただ「自分のルーツを知りたかった」とだけ理由を述べた。それが何を意味するのかはよく分からないが、今のザフトに進んで地球勤務を申し出る者は少ないはずだ。彼なりに深く思うところがあっての行動なのだろう。

 門前払いにせず彼を招きいれたのは、そんな事を感じたからだ。

 

 初対面の男同士、当たり障りのないことをポツポツと話しながら、彼を観察する。立ち居振る舞いも話し方も、堅苦しいほどに真面目であった。正直、本当に彼女が育てたのだろうかと思う。

 有能であったが、どこまでも冷徹に損得勘定のできる女も、子育てはまともだったのかもしれない。そんな話題を振ってみると、彼はただ一言「いいえ」とだけ答えた。彼の瞳に影が射すのを見て、それ以上その話題に深入りしない事にする。彼が父親に会いに来た理由が、何となく分かった。

 

 奥の部屋から妻が顔を出した。今日は少し調子がいいようだ。来客の姿に何かしようとする彼女を押し留めて、ベッドに横たわらせる。居間に戻ると、彼がコートを持って立っていた。

 形ばかりに引き止める言葉を口にするが、彼は丁寧にそれを断った。玄関先で妻の体をいたわる言葉を残して、彼は帰っていく。その後姿は、真っ直ぐに背筋を伸ばしているというのに、どこか頼りなく漂泊しているようだ。彼は二日後、バイコヌールを発つと言っていた。

 きっと、息子と会うのはこれが最初で最後だろう。ここは、キリル・ローレンスという青年を迎え入れる場所ではない。


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