歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第十七話 舞台設営

「ゼネストは三日後です」

 最大限の努力をした結果だと、スグル・ハタナカは強調した。日本人特別居留区における戦闘がネットで放映された結果、特別行政区内の各団体も一気に強硬姿勢を明確にし始めたのだ。もはやゼネストを中止させる事は不可能で、準備期間の名目でその実施日時を僅かに後ろへとずらす事しかできなかった。

 特別行政区の職員組合執行部にいるスグルにとって、それがゼネストで終わらないだろう事は容易に想像がつく。ヨコタがいつまでもショック状態でいるはずがなく、既に都心部への軍警察の重点配備は始まっているのだ。軍警察による特別行政区内の巡回も、遠からず再開される予定であった。

 一部の市民団体や日本軍の支持団体などは、行政区内の各地でデモや抗議活動を開始しており、一触即発の事態に陥っている。今は保安局がそれらの行動を監視・保護しているが、何かのきっかけがあれば軍警察との衝突が起こるだろう。

「この結果を、君らは予測・・・していなかったのだろうな」

 畳敷きの客間は静かで、庭の木々がかすかにざわめく音と鳥の鳴き声が時折聞こえるだけであった。ブンジ・タチバナは羊羹を口に入れながら言う。

「だが、リ先生は予測していた。いや、この状況はあの人が作ったものだ」

 床の間を背にするブンジから見て右手側に座るのは、ハーモナイズコミュニティの関係者である。流行の最先端を行き過ぎた服装と、奇抜さを通り越した髪の色が、部屋の雰囲気の中で浮いている。だがその彼も、表情は同じように深刻であった。

 特別居留区における日本軍の戦いをネットに流したのは、ハーモナイズコミュニティである。そもそもそれが可能となるようなプログラムを配布したのも、彼らであった。それはハーモナイズコミュニティの理念や行動原理に合致する行為だったからであって、現在のような混乱を意図したものではない。彼らの語るムーブメントとは抽象的なものであり、政治的な具体性を有するものではないのだ。しかし、それらの活動資金を出したのは善隣幇である。

 リ・ウェンはそれを利用していたのだ。東アジア軍に抵抗する日本軍、軍警察と戦うマフィア、それらは一夜にしてトウキョウの、いや東京の英雄となった。そして今の東京は、人々をその英雄的行為へと駆り立てようとしている。おそらく、ゼネストはそのまま暴動に変わるだろう。

 ヨコタへのMS等の増援は、作戦失敗による責任処理が終わるまで棚上げにされると、東アジア中央政府は決定していた。軍を仕切っていたペキン閥は、完全に政府中枢での主導権を失っている。

 MSや戦車などの多くを失ったままのヨコタに、都内全域で起こる暴動を鎮圧する能力は無い。だからといって、無抵抗のままトウキョウを去る事もないだろう。つまり、多数の犠牲者が生まれるという事だ。

「タチバナ先生・・・何とか、お力を」

 スグルは畳に頭をつけた。トウキョウという街の現状についての不満や不信は、彼とて持っている。だが、それは多数の市民の流血によって解決すべき問題ではないはずだ。

 ブンジは湯飲みを傾け、庭を眺める。家政婦の女性が別の来客を告げた。彼は、その来客もここに通すように言う。

「リ先生の仕込みは完璧だ、正攻法で何とかできると考えてはいけない。ドカンと派手な事をやらなければ」

 

 

 

 

 

 ベーコンの焼けた匂いは空腹を刺激する。食卓の上で緑と赤を彩るサラダも食欲をそそる。コーヒーメーカーがドリップを終え、白いカップに香ばしい液体が注がれる。それでも、ベッドの上のふくらみは微動だにしない。

 朝食の準備を終えた男性は、一つため息をついて毛布を引き剥がす。小さく丸まった女性の耳元にかすかな口付けをして、ささやく。

「ユンディ、とりあえず何か食べろよ」

「・・・いらない」

「子供じゃないんだ。食べて、次の事を考えろ」

 タルハは静かな声のまま、きつい口調で言った。真っ赤な目で睨んでくるユンディを起こし、温めた牛乳を差し出す。彼女好みの熱いミルクは、口に入るまで時間がかかる。タルハはテレビをつけた。相変わらず、何も報道していない。

 本社からの連絡もまだないという事は、対応を決めかねているという事だろう。自社製品の戦闘利用、予測はされていたがその事実は重かった。

 対策は当然施してあった。戦闘利用する際には、武器等の制御系統を車体の側の操縦系統と接続しなければならない。電気系統なども同様である。そのような改造を施した場合、OSが強制的に全機能を停止するような罠を仕掛けていた。そのプログラムを組んだのがユンディなのだ。

 製品の性質上、武器等の運搬や移動に使用されることを防ぐ事はできない。だがMSのように直接的な戦闘に使用される事態は避けようと、自信を持って組み込んだプログラムがあっさりと突破されたのだ。

 彼女にとっては二重のショックであった。ようやく冷めてきたミルクをすする。

「プラントの開発局レベルの解析能力だな・・・」

「関係ないわ・・・私の腕の限界よ」

 寝乱れた髪のままで食卓に着いたユンディは、猛然とテーブルの上の物を口に運ぶ。抜本的な対策は今後考えるとして、今は再度の戦闘使用を防ぐための対策を考えなくてはならない。シュバルベ工業製多脚多腕型汎用作業重機が兵器として使われる事を、これ以上許すわけには行かないのだ。

 タルハの分の朝食まで平らげた彼女は、そのままの格好でコンピューターを立ち上げる。画面に顔を向けたまま、タルハにはザフトの人間とのアポイントを頼んだ。

 彼らであれば、軍用の高出力超短波無線を持っているかもしれない。多脚多腕型汎用作業重機は、複数で運用する時は互いに通信をやり取りして作業を行っている。NJ下であるため無線には赤外線や超短波を利用しているが、その通信機能を使えば不正改造されたOSを外部から停止できる。相手がその機能にまで手を出していればお手上げであるが、今はそこに賭けるしかない。

 身支度を整えた彼は、顔くらいは洗えよと言って、部屋を出て行った。彼女はその言葉を聞き流してキーボードを叩き続ける。

 

 

 

 

 

 ピアノの音を聞いて安心した。神経質になった子供たちにとって、何よりの事だろう。子供達の歌声を遠くに聞きながら、必要な書類をそろえた。既に特別居留区に設置した救護施設からは、悲鳴のような報告が入ってきている。

 一つだけ救いがあるとすれば、寄付の集まりが異常なほど良いという事だった。額の多寡こそあれ、どこの企業どこの団体に行っても、寄付を快く引き受けてくれるのだ。活動資金のやりくりは、何とかなりそうである。人手に関しても、特別行政府は動かないが、区内の大小のボランティア団体が人員の派遣を準備していた。渡河の許可が下り次第特別居留区へと向えるだろう。

 書類のチェックをしながら、ナタリア・ファリロスは不安も抱えていた。この国において、この手の活動とは基本的に歓迎されないものだったからだ。今までは、寄付を集めるためにどれだけ苦労したか分からない。

「それがあの夜を境に変わった・・・」

 トウキョウ全体が、一種異様な熱気を帯びているのを、ナタリアは感じていた。この国の用語でいうのならば、「空気」というものが変わったのだ。人々は、その空気を読み損なうまいと、我先にと行動を起こしている。

 特別居留区への義援金を募る街頭募金があちこちに立ち並び、集会所や公園では横断幕やプラカードの準備をしている人達が集まっていた。

 そこには、不便な身分証確認ゲートに文句も言わず並んで待っていた人々の姿などなかった。たった一晩でそこまで変わってしまう人々に、ナタリアは不気味さすら感じるのだ。

「坊ちゃん、どうされました」

 ダルウィーシュ・ダルの声に、ナタリアは視線をドアの方に向けた。子供が一人、部屋の中を覗きこむようにしてドアに隠れていた。彼女は書類を置いて、その子のもとに向う。

「ゴメンね、サチ。まだお仕事なのよ。アメリお姉ちゃんとお歌、歌ってらっしゃい」

 ナタリアは子供に頬ずりすると、彼を遊戯室の方へと促した。職員の一人が、その大きな体をかがめるようにして子供の手を取る。

「お嬢・・・」

「ダル、印鑑証明のコピーはまだ残っていましたか?」

 ナタリアはダルの持っていた書類を受け取るとそう聞く。あの夜の戦闘音は、孤児院にも響いてきた。子供達が不安を覚えるのは仕方のない事だろう。だが、特別居留区で被害にあった人々の事を考えれば、どうしてもそちらを優先しなくてはならなくなる。

 子供達に付いていてやりたいとも思うが、今はすべき事が多い。ナタリアはダルに、アメリがどれくらいまでいられるのかを確認しておくように言った。

 

 

 

 

 

 区内に取り残されていた課員がようやく全員戻り、グレートバリアリーフ号ではその報告が行われている。どれも断片的な情報ばかりであるが、事態の輪郭をどうにか把握できるレベルには情報が集まっていた。

 ネット上に流れていた戦闘の映像も入手できたため、その分析も行われる。傭兵の使用していたMSの形状からは、ザフトの関与も疑わざるを得ない。当然、その場は紛糾する。課員の一人が怒鳴るように言う。

「我々は何なんですか? 道化ですか?」

 彼らがトウキョウで活動するのは、ザフトの新たな橋頭堡として、この極東の島国が使えるかどうかを調査する事である。だがその頭越しに、テロ組織の支援などを行っている連中がいた。それがザフトの総意であるのなら、自分達の存在意義は否定されたも同然だ。

 エリックは頭の後ろで手を組みながら、天井に視線を向けた。蛍光灯が煌々と照らす天井は、明るいのにどこか寒々しい。

「総意ではないだろう・・・だから傭兵なんて使っている」

 前大戦時から指摘されている事であるが、ザフトにおける現場の独走はしばしば味方をも混乱させる要因となっていた。今回の件も、どこかの半端者が勝手にやったと考えるべきであろうし、そうでなければ色々と面倒な事になる。

 市民軍であるザフトを、現代的な軍制を持った軍隊に改革しようという機運はザフト内にも生まれていた。プラント当局は、それを機に軍事費の削減をも視野に入れているだろう。

 当然そこには反発が生じ、その不満分子の中に過激な行動を起こす者がいてもおかしくない。エリックは続けた。

「少なくとも、トウキョウ情勢は予断を許さない。上がごたついてる中で動けば、現場がどんな目に合うか分からない」

 報告の中には、軍警察による過剰な取り締まり行為の存在を指摘するものや、市民暴動の可能性を示唆するものもある。そんな中を下手に歩き回るのは、危険極まりない。今後は公式報道やネット情報の収集とその分析に集中し、情勢が落ち着くまで対外活動は控えるべきだと提案する。

 全員に異議がないと確認したところで、キリルが挙手をした。彼は立ち上がって、アンノウンに対する調査は続けたいと言った。今回の戦闘においても、交戦は確認されていないながら、その存在はいくつかの映像で捉えられていた。

 大破したガルバルディからの戦闘データ収集は終わり、既にプラント本国へと送られているが、十分なデータが得られているとは言いがたい。トウキョウ情勢とは特に関係のない調査かもしれないが、今をおいてその調査が可能な時はないと訴える。

 今まで何も発言していなかった艦長が口を開いた。

「次は・・・壊してくれるなよ」

 桟橋を離れ避難していたグレートバリアリーフ号は、東京湾上で大洋州の貨物船と接触していた。その時に、もう一機のガルバルディを受領していたのだ。キリルは深く頭を下げる。

 あの機体は、必ずマリアの前に現れる。キリルはそう確信していた。

 

 

 

 

 

 思ったほど人数は集まっていない。だが、こういった集会を行えるという事自体が普通ではないのだ。期間限定の歩行者天国でさえ、膨大な書類を有する手続きと、おびただしい数の警備を必要とするのが、今までだったのだから。

 新宿御苑に集まっているのは、日本人特別居留区へ特別行政府からも支援の手を差し伸べるようにと訴えるための集会で、ざっと見て百名弱といったところだった。主催者らしき人間が、拡声器を片手に何か注意を行っている。似たような集会は、区内の各地で行われていた。

 目黒では東アジア軍の軍事行動に対する抗議集会が行われており、軍警察が詰めている目黒駐屯地を刺激している。機動隊は区内の駐屯地を中心に人手に割いているため、新宿御苑には、特務課の一小隊のほか交通課の警官が配備されているだけであった。軍警察による特別行政区内の巡回が再開されれば、保安局は対応のための人手を確保できなくなるかもしれない。

 先の事をいちいち考えないように、シュウ・サクラはミニパトに乗っていた婦人警官を呼ぶ。

「何て言ってた?」

「きちんと整列して歩いて下さいって」

「お前らなぁ・・・」

 ガキの使いじゃないんだぞと言って、集会がデモ行進をするコースを確認するように言った。御苑に沿って特別行政区の中央庁舎に向ってくれるのならいいが、逆方向に歩くと市ヶ谷だ。

 これ見よがしに置いているMSが何かをするとは思いたくないが、今のトウキョウの空気は、そんな予想を上回りそうなのだ。その時、自分がどのような身の振り方をすればいいのかが、分からなくなりそうだった。

 警察官として市民の安全を守る。

 シュウはいつの間にか自分達が保安局員ではなく、警察官になっている事に気付く。警視庁が制式に保安局に変わったのは、前大戦が始まるか始まらないかの頃だった。彼は、最初から保安局員として入庁した最初の世代だ。

 頭が妙な感慨に耽っていたので、煙草を咥えて気を引き締める。何も、落ち着かせるばかりが煙草の効能ではないのだ。灰皿を探すと言って、部下にその場を任せた。

「シマを召し上げられたか?」

「・・・!」

 男の怒りの形相の面前に煙草を差し出した。葉巻しか吸わないんだったなと、それを引っ込めると男に何をしに来たのかを聞く。やつれた顔のコウキ・ヨシオカは、急速にその表情を萎ませていった。

 携帯灰皿に吸殻を押し込み、シュウは良く晴れた空を見上げた。明け方の雲行き通りに雨になってくれれば、少しはマシだったろうにと思う。

 

 

 

 

 

 本社への連絡をしておきたいといって、ルーイはヨシトとカズヤの二人とは別れた。どの道、二人ともそんな言葉は信用していないだろう。むしろ取材の足手まといになる人間を都合よく厄介払いできたと思っているに違いない。

 公共交通機関は平常通りの運行なので、通勤時間帯ともなれば人通りは増える。スーツにネクタイ姿の男性、早足にヒールの音を響かせる女性、見慣れてしまった東京の朝の風景がそこに広がっている。少なくとも、目に映るものは代わり映えのないもののはずだ。

 だがルーイとて、街の空気が変わった事は分かっていた。その空気は、彼にとって非常に居心地の悪いものだからだ。

「くっそ、つまんね・・・」

 その場の人々を何かに駆り立てるような雰囲気。風のようにはっきりとした主張を見せるのではなく、ただまとわり付いて心の奥を苛むような空気。

 それは、母やエルフリーデから感じるもののような鮮烈さを持たず、もっと澱み濁っている空気だ。だからこそ、危険に感じる。この空気は、自ら立つ事を望むのではなく、他者の犠牲を欲するものだ。ルーイは路線図を見上げた。

 アメリは今、どこにいる。家か、病院か、孤児院か。焦っている自分を自覚しながらどうする事も出来ない。改札をくぐった直後に、電話をすればいいことに気付いた。改札をくぐり直して孤児院へと向う。

 彼女の事が心配だった。孤児院にいる事は確認しているため、その身の無事を案じているのではない。この街の不穏な空気が、彼女に何をもたらすかが分からないから不安なのだ。

「大丈夫・・・大丈夫だ」

 言い聞かせるのは不安だからだ。彼女の穏やかな微笑が、とても脆いものに思えるから。あの優しい歌声が、とても弱いものに聞こえるから。この街の片隅で、ひっそりと過ごしていたあの美しい人が、この澱んだ空気の中で溺れてしまうのではないかと感じたから。

 日本人特別居留区を迂回するように走る電車は、いつも以上に遅く感じる。乗客は込み合う車内で、未だうっすらと煙を上げている特別居留区を見つめ、口々に東アジアの非道をなじり、日本軍の健闘を称えていた。昨日まで、昨夜のスポーツや歌番組の話題を口にするだけであった人々が、そんな事を話している。その、今まで見たことのない光景に、ルーイは慄然とした。

 そして、一刻も早く彼女のもとにたどり着き、この場を、トウキョウを離れなくてはならないと思う。きっと、昨晩とは比べ物にならない事が起こる。爛々と輝く電車の乗客の目が、ルーイにそう確信させた。

 こんな場所に、あの人がいてはいけない。ルーイはそう確信した。

 

 

 

 

 

 サブカルチャーの世界における党派性というものは、極めて複雑である。自己責任を基調とした自由と反権力の世界という牧歌的な構図は、旧世紀の早い時期に失われた。自らの趣味の世界で完結するノンポリな人々のコミュニティという図式も、それを確固として維持できる人々は少数派だった。

 コズミック・イラを象徴する遺伝子イデオロギーの嵐が吹き荒れた時、サブカルチャーはその嵐に巻き込まれる事なく独自の文化を構築していた、そうハーモナイズコミュニティは宣伝する。だが、それが誇大広告に過ぎない事は、ネットの住人であれば分かる事だ。

 それどころか、メインカルチャーの側が積極的に総括と反省を始めた現在において、遺伝子イデオロギーに固執する者は、サブカルチャーの世界に活路を見出しているくらいである。表の世界ではあらかたパージされたブルーコスモスも、ネットの中ではいくつもの花畑を持っていたりするのだ。

 そもそもノンポリという事は、簡単に染まってしまうという事でしかない。アキハバラの街を見ればそれが良く分かる。

「仕事の速さだけね・・・感心できるのは」

 あの映像が流れた翌日には、街のポスターを彩る女の子達の服装が変わっていた。メカと美少女というのは、日本オタクシーンの永遠のキーワードであるが、目と鼻の先で本物の戦争が起こった翌日に、露出の多い軍服で戦闘機に乗る女の子の絵が街に張り出されるのである。死の商人の端くれであるジュンコ・ヤオイとしても、その感覚は異常だと思った。

 それは代替行為であり、人々の中にある好戦的な雰囲気のガス抜きとして作用するという見方もあるかもしれないが、おそらくそうでは無いだろう。加盟業者に流れてくる注文書を見れば一目瞭然だ。

 日本人特別居留区の日本軍を多大な犠牲を払って排除した東アジア軍は、トウキョウ特別行政区全体を日本人特別居留区へと変貌させたのだ。アキハバラが特別なのでは無い。

 改めて善隣幇、いやリ・ウェンに恐れのような感心を抱く。顧客とすべき相手ではなかったのだ。真正面のビルで凛とした表情を見せる女の子が構える自動小銃は、その銃の形式が分かるほど無駄に細かいディテールだった。ジュンコは視線を室内に戻す。

「組合としては、何かが起こる前にトウキョウを離れたい」

 しかし、とジュンコは続けた。

「愛着があるわけではないが、この街には色々と世話になった。幇に利用されたままというのも気に食わない」

 組合としてはトウキョウから避難する準備を進めさせてもらうが、彼女個人としての協力は可能だと伝える。ハーモナイズコミュニティから来たという青年が、生意気そうな顔のままぎこちなく頭を下げる。おそらく幹部なのだろう、相手にへりくだるという事に慣れていないのだ。

 若者の仕草が癇に障るという事は、もう若くないという事だろうか。ジュンコは頭を振ってそれを否定すると、相手の求める機材とその搬入場所の確認を行った。納期まで時間がない上に大量注文だ。腕が鳴るのを感じる。

 

 

 

 

 

 強面の男達が、人の輪をかき分ける。車道にはみ出ていた人ごみが左右に分かれ、黒塗りの車が道を進んでいく。駐車場のゲートが閉まると、再び人ごみが車道に溢れた。完全防弾仕様の車であるが、人ごみから投げかけられる声は聞こえていた。

 建物を取り囲む人達は口々に、公正な報道や検閲の反対を叫んでいる。トウキョウの大手メディアは、未だに昨夜の詳細な情報を報道できないままなのだ。その原因が、ここにあると見られている。

 東アジア共和国の国営通信社である報央社。地球圏の各地に支社を置き、各国のニュースを東アジア国内に配信する会社であるが、そこが東アジアの諜報活動の一翼を担っている事は、業界の常識であった。トウキョウ特別行政区の支社も、当然そのような活動を行っていた。

 そこに乗り込んだのはコウキ・ヨシオカである。トウキョウの情勢は、もはや彼の理解の範疇を超越していた。

「ユ・ケディンを出せって言ってんだ! 本名だ、知ってんだろ!」

 お茶を出しに来た女性社員にそうすごむが、完全に足元を見られていた。彼の率いる凌雲会は、トウキョウのアングラを統べるマフィアの最大派閥として、東アジア軍とは対等のビジネスパートナーだったはずだ。

 それが、今ではこの有様だった。トウキョウ中が鉄火場になり、東アジア軍は自分達をも明確な標的としているのだ。

 どうしてこうなったのか、自分は一切のミスをしていないはずだ。コウキは怒りと不安に震える手を押さえ、茶碗を手にした。しかし応接室のドアが開く音に驚き、思わずそれを落としてしまう。

 ユ・ケディンは、コウキを笑うことすら出来なかった。思えば、この男を提携相手に選んだ事から間違いは始まったのでは無いかとも思う。だが、それとて自分のミスであった。少なくとも、平時においては十分に有能な男だったのだから。

 だが今のような非常時にまで、この男と繋がっておくメリットは無い。ケディンは尊大な態度を示して言う。

「ヤクザの世界では『けじめ』と言うのでしたか・・・どう、責任を取るおつもりで?」

「なっ・・・!!」

「先日、あなた方の抵抗によって我が軍が多大な被害を受けた事はご存知でしょう」

 この場であなたに責任を取ってもらっても、こちらは困らないと言う。コウキの部下が背広の中に手を突っ込むと同時に、ケディンの拳銃がコウキの額に押し当てられている。

「報央社のジャーナリストをなめてもらっては困る」

 蒼白になったコウキに、責任の取り方はそちらで考えるようにと言って、応接室を追い出した。おとなしくトウキョウを逃げ出すならそれでよし、他に何をしたところで、もはや何も出来ない男だ。

 ケディンは深いため息とともに、その男の事を忘れる。

 

 

 

 

 

 店はいつもより空いている感じだ。酔っ払いの大声も聞こえず、隣の席で何が行われているのかを考えなければ、静かにグラスを傾けられる雰囲気だった。席に着くと、チーママが横に座る。

「ごめんなさいね、ローレンスさん。マリアちゃん、今日はまだなの」

 彼の好みより若干濃い水割りを舌の上で転がしながら、キリルは落胆を表情に出さないようにする。マリアは試験直前なので、遅い出勤になっているのだ。本当は休んでもよいのだろうが、生活を考えるとそうもいかないのだとチーママは言う。

 そう思って店内を見回すと、見知ったホステスがいない。みんな、この時期だけ短期で働きに来る女性だそうだ。この店で働く女性は、ママやチーママなどごく一部を除けば、全員がマリアと同じような境遇にある。研修制度でトウキョウに働きに来て、毎年試験に臨んでいる。

 それに受からない限り、いつまでたっても正規の労働者としては扱われず、低賃金での労働を余儀なくされるのだ。だから、このような場所で働かざるを得ない。

「でも、その試験も今年は・・・」

 最後まで言い終わる事無く、チーママは別の席から指名を受けた。マリアがいないのであれば長居する事も無いと、キリルはグラスを煽る。店を出ようとしたところ、ママに呼び止められた。

 誰も座っていないカウンターに腰を据える。オンザロックの氷が、グラスの中で小さな音を立てる。キリルの視線は、店の隅のピアノへと向けられていた。彼の耳の奥には、いつもマリアが奏でていた音楽が響いている。

 あんなに美しい音を生み出す人が、扇情的なドレスに身を包んで夜な夜な男の相手をしている。そんな事実が、胸を締め付ける。

「幇が何を企んでいるか・・・知ってる?」

「それはこちらが聞きたい事です。だが、今夜の騒ぎは別の組織だ」

 ママは驚いた顔をした。マフィアも、プラントから来た音楽関係者というのも、全て善隣幇と関係のある組織だと思っていた。彼女は、頭をめぐらせて構図の修正を図る。どうやらリ・ウェン以外にも筋書きを書いている人間がいるのだろう。

 ゼネストはどうなるのかという問いに、キリルは分からないと答える。疑い深いママの視線に、彼は苦笑した。プラントは、トウキョウ情勢に関して積極的な情報収集を諦め、事後的な分析に力を入れているのだ。彼女が思っているほど、彼らは有能な機関では無い。

 ウィスキーのアルコールが、喉を熱く通る。苛立たしげに煙草を取り出したママを視界の隅に捕らえた。この世界を泳ぎ渡るには、それ相応の才覚が必要なのだろう。夜の世界とは、表の世界と裏の世界の接点に存在する。女の媚びを店で売り、男は金と情報を支払う。そんな場所なのだ。

 グラスの氷が融ける前に、キリルはウィスキーを飲み干した。

 彼は確信する。あの人は、こんな世界に身を置くべきではないと。あの歌声は、明るい世界で響くべきなのだと。

 

 

 

 

 

 投光機の光の中では、既に足場の解体作業が始まっていた。解体を受け持つ作業員と、機材のチェックを行うスタッフが入り乱れ、現場は軽いパニックである。カクテル光線が溢れ、スピーカーが激しくハウリングを起こす中、ヘルメットも着けないままの男が複数の図面をもとに指示を行っていた。

 この国の故事に一夜城というものがあるそうだ。一晩で砦を作り上げてしまった人物の才覚を語る故事であるが、真に称えるべきはそのプランに対応できたこの国の現場作業員のクオリティの高さであろう。瞬く間に解体の終えられた足場は、トラックに載せられ次の現場に向う。そのトラックが退くと同時に、別のトラックが次の機材の搬入に来るのだ。

「マジで、一晩で終わるぞ・・・これ」

 男は機材のチェックを他の者に引き継がせると、トラブルを伝えてきた現場へバイクを走らせる。

 ブンジ・タチバナなる人物が提案した計画は、荒唐無稽な無理難題だと思われた。ハーモナイズコミュニティの執行部の中には、速やかな撤退を主張する者もいた。それでも、トウキョウに降りてきた者達を中心に、計画への参加が決定されたのだ。

 それは、自分達が引き起こした事態に対する責任というより、ある種の恐怖感からである。自分達の行為が持つ力が、現実的な力であった事に対する恐怖。

 彼らは「融和と共存」という理念を掲げるが、テロリズムは使用しない。融和と共存を叫ぶテロリストが何を生み出すかは、既にクライン派なりターミナルなりが証明している。だからこそ、彼らはサブカルチャーを足がかりに、理念を表現してきた。

 だがそれでさえ、使い方によってはテロリズムを生み出す事ができるのだ。自分達が、非暴力だと信じてきた行為そのものが、暴力を生み出しうるという現実は、恐怖に値するものであった。

 しかしここで逃げれば、自分達が行ってきた事の否定的な結果だけが残る。歌を捨てた歌姫の姿に失望したからこそ、彼らはもう一度「文化」の力に賭けたのだ。男はバイクのブレーキを掛けながら、ブンジ・タチバナが言った言葉を思い返す。

「ラクス・クラインになるか、ミーア・キャンベルになるか・・・君たちは、その瀬戸際にいる」

 到着した現場では、機材の配送ミスでセッティングに支障をきたしていた。今から正規の機材を手配する時間はないため、手元にあるもので何とかしなくてはならない。男は、各担当者を集める。

「リミットは4時です。それ以降は、別の人達の準備がある」

「配電関係は何とかならぁな」

「足場外してないから、セットの方を動かせば入るだろ」

「人は今手配してる」

 作業着に軍手、ヘルメットに安全靴といった姿の人達は、既にフォローに動いていた。機材同士のマッチングに関しては、コンピューター関係の技師をイケブクロから呼ぶ事になった。

 今、トウキョウ中で、このような突貫工事が進められている。あとは時間との戦いだ。

 ゼネストの開始は、地下鉄の始発が動く時間。明るくなれば、様々な抗議集会も企画されているのだろう。

「そこに、コレをぶつけるのか・・・」

 音もなく空を飛ぶMSのコクピットで、ハニス・アマカシが笑う。こういった計画は、結果が見えないところが面白い。そして、彼は考えた。

 あの歌声が響くべき舞台が整ったではないかと。




 次回は、木曜日に投稿します。

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