歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第十五話 発火

 夜の一角が異常に明るい。聞こえてくる音は、幼い頃に聞いたことのある気がする音だ。静まり返った街に、遠くの轟音が伝わってくる。空気だけでなく地面をも揺らすようなそれは、不気味な振動で街を押し包んでいた。

 いつもより早い時間から急に始まった交通規制のせいで、ルーイは荒川を渡り終えるのが精一杯だった。交通規制は、この轟音が理由なのであろう。彼はおぼろげながら覚えてきた地図を、懸命に頭の中に広げて道を走る。ともかく、線路伝いに進んでいけばいいはずだ。

 道を走るパトカーや特別行政区の広報車は、外出禁止令が発令されている事を盛んにスピーカーで流している。交通規制による帰宅困難者は、最寄りの学校や公民館に行くように告げていた。だからルーイは、物陰に身を隠しながらの移動となる。しかし他に出歩いている人間がいないので、車にさえ気をつければ見つからずに進めるはずだ。

 ルーイは全力で飛ばす。子供のとき以来だろうか、コーディネーターとしての能力を全開にして動く事など。ナチュラルと暮らしていると、全力で体を動かす必要性などなくなるものだ。

「くっそ・・・ちゃんと動けよ・・・」

 だから息が上がるのも早い。もちろんナチュラルと比較すれば、倍以上の速さで倍以上の長さを走っているだろう。だが、そんな事は慰めにもならない。焦る気に置き去りにされるように、体は急速にその速度を失っていった。

 パトカーの灯りを見て、近くの路地に身を潜めて息を整える。道が間違っていない事を祈るだけだ。耳をつんざく音に肩をすくめて空を見上げる。一瞬だけ眼に入ったのは、おそらくMSの姿だ。

 聞こえてくる音は、やはり聞いたことのある音。戦争の音だ。

 目標となっている場所は、孤児院からは比較的離れているはずだし、今向っているアメリの家とも逆方向だ。だが、大掛かりな外出禁止令まで発しているのである、楽観的な予想などできない。

 ようやく落ち着きだした心臓を叱咤して、ルーイは再び走り出す。アメリの無事を確認し、その安全を確保しなくてはならない。

 エルフリーデの事や、孤児院の事も心配ではあるが、彼女らであれば間違いなく無事であろう。そういった点に関しては、自分などよりずっと能力のある人達だ。しかし彼女は違う。

「アメリ・・・」

 あの優しげな微笑みは、戦争などという場から最も離れたところにある。だから、彼は惹かれたのだ。戦争の影を目に焼き付けてしまったかのような瞳とは対極にある、穏やかな微笑み。

 そのためであれば、痛む膝も疼く足首も関係なかった。ルーイは膝に手を付いて、荒く息を吐いた。赤一色に統一された信号が、真っ直ぐな道に整列しているのが見える。それで、彼の足が止まるわけは無い。

 

 

 

 

 

 タクシーの運転手に精算を頼み、キリルは道路に出る。そこは、検問に並ぶ車で長い渋滞が出来ていた。しかし、場所はギリギリ山手線の外側であるため、身分証確認ゲートの設置数は多くない。道を選んで行けば、強行突破しないでも済みそうだ。

 電話が通じれば、ここまで焦りを覚える事はなかったかもしれない。だが、電話回線も交通規制と同時に制限され、連絡をつける事が出来なかったのだ。マリアの電話番号を肝心な時に生かすことが出来なかった。キリルは走りながら自分に悪態をつく。

「それ以上に、忌々しい・・・うちの組織は!」

 プラントの様々な部局から人員を引き抜き、トウキョウがザフトの地球での拠点になり得るかどうかを調査するために結成された組織。しかし、それにも関わらず東アジア軍の動きをまったく捉えられていなかったのだ。自分を含めて、一体何をしていたというのだろう。

 日本軍はこの事態に備えて、傭兵の招聘などを行っていたのだ。向こうの方がはるかに優秀ではないか。ここまで届く音に振り返ってみると、空を切り裂くビームの筋が見えた。その色から判断すると、かなりの高出力であろう。

 しかも、地面から空に向けて撃ち出されたという事は、日本軍が有しているビームか、もしくは日本軍が飛行可能な兵器を有しているという事だ。テロ組織の掃討作戦ではすまない事態になっているのかもしれない。

 キリルは視線を戻して走り始める。走りやすい格好ではないが、長距離走は得意分野だ。一刻も早く、彼女のもとにたどり着かなくてはならない。

 この非常事態である、本来であれば直ちにグレートバリアリーフ号に戻って、情報の収集と情勢の分析を行わなくてはならないのかもしれない。だが今いる場所から港まで、各種交通規制の中を移動するのは極めて困難である。

 だから彼は、マリアの家に向っているのだ。軍が動いているのである、何か不測の事態が発生する可能性は、決してゼロではない。

 彼女を守る事が今の自分の役目である。それは言い訳でも何でもなく、彼の本心だ。

「マリア・・・」

 美しく聡明な彼女の横顔を思い出す。彼女を今の境遇から救い出すためにも、その身の安全は最優先にしなければならない。彼は今朝、彼女をアンノウンから守る事も助け出す事も出来なかった。

 だから今度こそ、彼女を救ってみせるのだ。それが出来なければ、トウキョウの片隅でか細い歌声を震わせるだけの彼女を、救い出す事など出来るはずがない。

 道にはまだ車が走っているが、人通りは一気に少なくなっている。防災用のスピーカーからは、夜間外出禁止令が発令中であることが、何度か放送されていた。大通りを避けて、細い道を選ぶように走る。

 こんなところで誰かに捕まって、余計な時間を費やすわけには行かない。幸い、だいぶ土地勘を掴んできた辺りを走っているので、しばらくの間は大通りを通らなくても済むはずだった。

 遠くから聞こえる爆発音は、もう気にならない。今はマリアの事だけを考えている。

 

 

 

 

 

 膝を撃ち抜かれたサードダガーが姿勢を崩し、そこに無数の砲火が降り注ぐ。壁しか残っていないようなビルの中から、対MSロケット弾が撃ち出されてくるのだ。撃ち上げられる対空ビームに、ウィンダムのバックパックが破壊される。抵抗は予想通りだが、火力が予想外であった。

 シールドを揺さぶられながら、サードダガーのパイロットは毒づいた。敵が軍隊だとは聞いていないと。支援の戦闘ヘリを狙う敵対空砲陣地にグレネードを投げ込み、脚部機関砲で携帯ミサイルを搭載したトラックを狙う。

「信号弾? MSだと!?」

 地図をディスプレイに表示して、味方の信号弾の位置を把握した。群がっていた戦闘車両を蹴散らした部隊に転進を命令する。半数の3機を315号線を伝って亀戸方面へと向わせた。

 コクピットのアラームが鳴り、パイロットは後部モニターに視線を流す。日本軍がヘリを有しているという話も、今初めて知った。頭部機関砲で牽制し、ビームライフルを構える。突如メインモニターの一部が消えた。死角になった場所から放たれたロケット弾の直撃を受けて、右腕部の脱落が表示される。

 

 ビームライフルを失ったMSにヘリが執拗な攻撃を仕掛けるのを確認しながら、廃墟となったビルの屋上に陣取った狙撃手が、次弾の装填を行う。大型の対物ライフル、銃身に複数の薬室を設けた姿からムカデと呼ばれている物だ。全薬室のチェックを終え、スコープを覗く。MSの装甲には通用しないが、カメラやセンサーであれば余裕で破壊できる。

 ヘリの動きを見ながら引き金を引いた。耳栓無しでは耐えられないほどの銃声とともに撃ち出される弾丸は、ウィンダムのメインカメラに吸い込まれる。一瞬動きが止まった敵機に、味方のヘリが砲弾を浴びせかけた。

 ヘリの砲手が次の標的に向けて視線を巡らせると、味方がいるはずのビルにミサイルが飛び込んだのを見た。さらに空中から降下してきた敵の第一陣に続いて、高速道路を通ってきた第二陣が高架から飛び降りているのを、暗闇の向こうにぼんやりと見る。

 

「馬鹿な!!」

 着地と同時に対MS地雷を踏んだ機体の中で、パイロットが叫んだ。侵攻ルートを予測されていたのだろう、少し離れた場所でも派手な爆発音が聞こえる。高架の上では、味方機が飛び降りるのを躊躇している。高架の上に立つ20mの巨人は、例え夜でも的であろう。一機がビームの直撃を受けて上半身を消し飛ばされた。

 脚部を全損した機体の中で、パイロットは頭部機関砲を周囲にばら撒く。周囲の地雷を排除しない事には、味方が降りられない。数箇所で地面が爆発し、ある程度のスペースが確保される。パイロットは味方機に降りるよう促す。

 向きを変えて再度地雷を排除しようと、機体を支えていた腕を動かす。それがすぐそばの地雷に接触した。

 

「厩橋の部隊の足止めは成功のようだ。こっちも上手くやれよ」

 味方の連絡を聞いて暗闇の中で身を潜めている兵士が言葉を交わしあう。対MS地雷の存在は既に敵にも知れ渡っているのだろう、東アジア軍は大通りを避けるように移動している。対MS地雷は大型で、ある程度広い場所でないと設置できないのだ。瓦礫が不自然に撤去されている場所は、確実に避けている。

 それでも敵が不用意に飛ばないのは、こちらの対空砲の存在であろう。アフリカで猛威を振るった小型ビーム砲の威力は、ここでも健在であった。モニターを監視していた兵士が合図を出し、全員がそこを見つめる。

 三機の敵MSが、味方の装甲車両を追跡していた。そのまま逃げ切れずに、マシンガンの直撃を受けた装甲車両が吹っ飛ぶ。モニターを見つめる顔は苦渋に満ちた。だが、敵は仕掛けのポイントに入っている。

 連続した爆発音とともに、地面が裂ける。三機のMSがその地割れに吸い込まれた。通りの地下には、もともと営団地下鉄半蔵門線が走っていたのだ。モニター前の兵士達は、目の前に現れたMSの下半分を見て歓声を上げる。貨車に載せられたレールガンが咆哮し、地下鉄の線路上に落とされた三機のMSは一撃の下に貫かれた。

 

「MSは囮かよ!」

 上空の偵察機で地上を観測している兵士が吐き捨てる。日本軍のMSを発見したという情報を元に、味方部隊の動きはそれを意識したものへと変わった。それを敵に見透かされていたのだろう、進攻ルートの各地で待ち伏せ攻撃を受けている。

 正確な損耗数は把握できていないが、既に計画を立てた段階での予測を上回っているだろう。旧中川付近では、日本軍のMSが大立ち回りを演じていた。待ち伏せ攻撃で、味方増援の到着がまちまちとなるため、到着した部隊から順に各個撃破の形となってしまっている。ドムのバズーカがウィンダムを吹き飛ばす。

 川の水面をホバー走行しながら、三機のドムは交互に砲撃を繰り返していた。蔵前橋通りと総武本線の間の200mほどの区間に陣取っており、双方の橋には強固な陣地が形成されているため、攻撃を仕掛けられる場所が限られる。焦れて上空から攻撃を仕掛けようとすれば、相手の思う壺とばかりに対空砲火を浴びせられる。

 十分な数で一気に攻撃すれば対処できる相手であるが、その十分な数がそろわないのだ。陣地から砲撃に、サードダガーの部隊がじりじりと後退する。

 

「急げ、背後をつけるぞ!」

 錦糸町の駅では、クレーンが地下鉄の線路から総武本線の線路へと貨車を移していた。艦船用の大型レールガンを積んだそれはディーゼル車に押されて亀戸駅へと向う。傭兵隊が釘付けにしている敵部隊を背後から砲撃するのだ。廃墟のようになっているとはいえ、亀戸周辺のビルが遮蔽物となって、錦糸町からは直接狙う事ができない。

 突然、照明弾が空を照らし、7号小松川線高架の上の数機のMSが射撃体勢に入っているのが見えた。ディーゼル車の乗組員が一斉に退避する。だが破壊されたのは、レールガンではなくその前方の線路のみであった。

 乗組員が地面に伏せていた顔を上げると、高架の上の機体は姿を消している。代わりに音もなく宙に浮かぶMSが羽根を広げていた。そのシルエットが、照明弾の残光の中に浮かび上がっている。

 

「アンノウン・・・だと?」

 偵察機からのレーザー通信が最後に伝えた情報だった。東アジア軍の前線司令部が置かれている市ヶ谷では、作戦終了時間を待たずに撤退する事も視野に入れだしている。後は、それを上が理解するかどうかだった。

 

 

 

 

 

 荒川と隅田川、そして首都高速七号線に囲まれた、ほぼ正三角形の区域が日本人特別居留区である。東アジア軍は、ここを拠点にトウキョウ特別行政区でテロ活動を続ける日本軍と名乗る組織を掃討するため、軍部隊を投入していた。その規模は、これまでのような報復目的の空爆とは一線を画するものである。

 ヨコタを発進した空中からの降下部隊が9機。6号向島線の駒形パーキングエリア付近から突入する部隊9機に、堀切付近から突入する部隊が3機。東京湾から荒川を上り京葉道路付近に上陸する部隊が6機。449号線、京成押上線、6号線を渡って突入する部隊が各2機ずつの計6機。それとは別に、タマユラ地区との境界線に当たる7号小松川線を警備するために3機。これに各種支援車両や戦闘機も投入されている。戦後のMSを使用した作戦としては、東アジア軍最大規模の作戦であった。

 これは単なるテロリスト掃討ではなく、東アジア共和国内の分離独立を目指す各勢力、そして再・再構築に理解を示す上海閥に向けた示威行為である。国家の威信、軍の面子がかかっているのだ。日本軍はそれを見越していた。

 

「日本の浮沈をこの一戦に掛ける! 祖国の奪還は、今ここから始まる!!」

 日本軍の司令部に高揚した声が満ちる。序盤の作戦は十分すぎる成果を挙げていた。あとは、この成果を夜明けまで守りきる事である。振動が絶え間なく伝わってくる地下の司令部は、常に人が出入りしていた。

 飛び込んできた兵士が腹を押さえたまま倒れる。助け起こすより前に、床に鮮血が広がっていく。同時に侵入者を伝える警報が鳴り響いた。司令部の兵士が銃を取るのと、銃声はほぼ同時。東アジア軍は、MSだけでなく特殊部隊の展開も同時に行っていたのだ。

 通信機材が血飛沫を浴びる中、抜刀した司令官がヘルメットごと敵兵の頭を叩き割った。刀を返す暇もなく銃弾を浴びた司令官は、最後の執念で床のスイッチを押す。

 

「京島の司令部が自爆しました!」

 別の司令部で指揮系統の再構築が行われ、伝令の兵士が散っていく。東アジア軍に対して単独でテロ活動を行っていた謎のMSは、今も積極的な動きをみせていないが、そういった不確かな要因に作戦の行方を左右させるつもりは無かった。敵の動揺が消えないうちに、二の矢、三の矢を放つ。

 北千住で待機していたもう一つの傭兵部隊にも出動を命じ、指揮下の機械化部隊の投入も決定した。これからは、トラップや奇襲の効果が薄れる。MSと正面から戦わなくてはならないのだ。

 ここからが正念場となろう。司令官は鉢巻を締め直した。

 

「ブレは仕方ないか・・・」

 ウィンダムのパイロットは、ようやくメインモニターの映像を回復させた。だが、サブカメラを潰されているため、画像の補正能力が低下している。狙撃兵の隠れていたトーチカを踏み潰し、前進の合図を出す。

 頭上を飛ぶ航空機の数が減っている。敵が対空兵器を重点的に装備していた事と、味方が厄介な敵の攻撃ヘリの排除を優先した影響だろう。ヨコタから増援がある事を祈りつつ、ウィンダムのパイロットはシールドを掲げて足を進める。そのシールドに衝撃が走った。

 その重みは、今までのものと別物。対MS用に開発された携帯式や小型化された兵器の衝撃ではない。関節などのウィークポイントを狙うのではなく、真正面からMSを破壊しようとする衝撃。

 地面に設置された大型のビームやレールガンの類かと前方を注視するが、その視界の隅で味方機が胴体を貫かれたのを見た。先ほどとはまったく別の場所からの攻撃。センサーが移動する物体を捉えた。

 

「遅えよっ!!」

 操縦席の中でオペレーターが叫ぶ。瓦礫の山の上に六本の脚を使って器用な姿勢でバランスをとる機械が、手にしたビームライフルを発射した。その一撃はシールドに防がれるが、別の機体から発射されたロケット弾数発が直撃している。

 多脚多腕型汎用建設重機。不整地であっても安定した作業を可能とする六脚と、クレーン並の懸架能力を有する四本の腕を持った作業機械である。その手にMSが持つのと同様の武器を持たせているのだ。

 エネルギー供給の関係上、ビームやレールガンの連射は不可能だが、その威力は携帯式の対MSロケット弾や小型ビーム砲とは雲泥の差であった。全高はMSの四分の一ほどであり、瓦礫の山や廃墟を遮蔽物にしながらの戦闘も可能である。

 もっとも、建設機械なので補強を施してあるとはいっても耐弾性は無きに等しく、MSとまともに戦えるものではない。だが、熱源が増加し熱紋照合が難しくなった暗闇で、数の優位を維持しながら戦えるのであれば、MSに対して十分な脅威となる。

 残ったウィンダムを、7機で包囲していた。各機の砲門が一斉に開かれる。

 

「手遅れになるぞ!」

「分かってる!」

 日本軍の陣地が構築された旧中川にかかる鉄橋の下に取り付き、その橋桁の切断作業をしていた水中型ダガーのコクピットでは、同じやり取りが何度も繰り返されている。不明確な通信を拾い上げてみるに、どうにも友軍が不利に立たされているらしい。

 橋桁の切断と炸薬の設置が終わり、ダガーはその場を離れる。大音響と共に鉄橋が崩落し、その上の砲台が川の中に落ちた。同時に水中から頭を出したダガーは、水面を滑っていたドムに銛撃ち銃を発射する。コクピットを貫かれたドムは姿勢を崩し、そのスピードのまま水面を跳ねて爆発した。

 もう一本の橋を飛び越えて撤退するドムに代わって、派手派手しいカラーリングを施したウィンダムが飛び込んでくる。ビームが飛び交い、水面に着弾したそれが激しい爆発を起こす。

 

「テロリストどもが・・・!」

 ヨコタの東アジア軍司令官は、歯軋りをしながら呻く。夜明けまではまだ時間があった。市ヶ谷からの撤退要請には、ヨコタの裁量で動かせるMSと支援機を緊急発進させる事で応える。三機のシャンディエンが、ハンガーから滑走路へと移動してきた。

 

 

 

 

 

 火をつけた煙草をすぐに捨てる。鮮血の生臭さと錆臭さが煙の匂いと混ざり、えもいわれぬ味となったのだ。防弾スーツにヘルメットで完全武装した保安局警備部特務課のシュウ・サクラは、口寂しさを紛らわすようにため息をつく。

 軍が日本人特別居留区に対して攻撃を行う事は事前に知らされていなかった。ましてや、それと同時に軍警察や特殊部隊による都内各所での反政府活動家の一斉摘発が行われる事も知らされていなかった。だから、彼は彼の仕事を果たすためにこんな格好をしている。

 電話を借りていた隊員が戻って状況を伝える。煙草がないのが、どうにも我慢できない状況のようだ。

「機動隊を出してたら戦争だったな・・・」

 出せばよかった、と吐き捨てて、シュウは眼前の屋敷に足を向ける。ブンジ・タチバナの邸宅も、軍の特殊部隊による襲撃を受けていた。

 住み込みの家政婦が、パジャマに上着を羽織っただけの姿で現れ、皆さんに甘いものでもと言う。仕事中ですのでと断り、彼は邸内に入った。邸宅の人間が無事だったのは、彼らが間に合ったからではなかった。庭には、武装した兵士の死体が転がっている。

 月明かりを反射しているのは折れた刃物の破片であり、庭にはまだ数本使われていない日本刀が突き刺さっている。特殊部隊を撃退したのは、縁側で胡坐をかいて目を閉じている男だ。

「いやはや、コレクションが実際に役立つとは思いませなんだ」

 そう言って笑うのが、ブンジ・タチバナその人である。庭先の日本刀は、彼が収集している骨董品であった。実際に役立つという事は本物だったんですなぁ、などとのん気な事を言っていた。縁側の男は、指定暴力団・菱丘組の組長、ユウゾウ・カトウがボディーガードとして派遣した者だった。おそらくはコーディネーターであろう。

 死体は証拠物件として保安局で回収させてもらうと申し出るが、目の前の老人はどうにも捉えどころが無い。住み込みの家政婦といい、この状況で動揺の一つも見えないのだ。

「昔のトウキョウはもっとひどかった時期もある」

 そんなシュウの疑問を察したかのようにブンジがつぶやいた。とりあえずの用は済んだので、その場を辞するシュウを呼び止め、ブンジがパソコンを起動させた。いくつかの操作の後、ディスプレイに映し出されたのは、東アジア軍のマークを付けたMSが、煙を吹きながら倒れる様子であった。

 その映像の意味が分からなかった。昔の戦争映画でもなければ、CGアニメーションでもないだろう。だとすればここに映っているのは、現実の今の光景だ。

「旧世界、ですか?」

「善戦してますなぁ、日本軍も」

 東アジア軍による日本人特別居留区侵攻と、それに抵抗する日本軍。その映像は、特別行政区内の多くの人間が触れられる状態になっているだろうという。

 シュウは、ますますこの人物の事が分からなくなる。ただ、その穏やかな顔に憂いの影が差しているのを感じ、少なくとも悪人のカテゴリーに入る人間では無いだろうと判断する。

 隊員の一人が廊下を走ってやって来た。上野で、軍警察とマフィアが大規模な銃撃戦を行っているという。

 

 

 

 

 

 トレーラーが牽引するのは、通信機材を満載したコンテナである。日本人特別居留区が見渡せる7号小松川線のほぼ中央で、トレーラーは路肩に寄っていた。傍らに立つのは、エヴィデンスである。

 東アジア軍がMSの増援を投入した様子を捉えるエヴィデンスのメインカメラの映像は、そのままコンテナ内部にも伝えられる。中にいる男が嬉しそうな声を上げた。

「被写体が増えたぜ・・・減りすぎで、画面が寂しかったんだよ」

「写せるか? 90番台のカメラ全滅だぞ」

 別の男が、機器を操作しながら聞く。壁面一杯に並べられた小型モニターには、日本人特別居留区の様子がくまなく映し出されている。だが、何も写していないモニターも虫食いのように点在していた。責任者らしき男が、映っていないカメラをフォローするようにと、通信機に対して怒鳴っている。

 モニターの映像は、居留区内に多数設置した量子通信の原理を利用した小型の無線式カメラのものである。しかし戦闘による損壊は当然想定されていたため、カメラクルーも居留区内に複数送り込んでいた。ハーモナイズコミュニティは、この戦闘をライブ中継しているのだ。

 量子通信機や量子データを画像へと変換する装置は、ザフトでも開発途上のものであり、精度や信頼性はお世辞にも高くない。それでも、生の映像を入手できるという利点は大きかった。善隣幇からの十分な資金援助があればこそ出来た事である。

 だが、その投資に見合う結果は出ているはずだ。ハーモナイズコミュニティが設置した、特設サイトのアクセス数はカウントストップになっている。彼らの開発したソフトを持っている人間の全員が、この映像を見ているといっても過言ではない。

「よっしゃ、イイ絵きた!」

 多脚多腕型作業機械が一斉に発射したワイヤーに絡め取られ、一機のサードダガーが転倒する。そこに群がる日本軍の兵士が、MSの全身に時限爆弾を設置して退避したのだ。関節部、装甲の裏面、メンテナンスハッチや放熱ダクト、ことごとくウィークポイントを狙われたサードダガーは、爆発のたびに痙攣するように跳びはね、そのまま動かなくなる。

 映像が更新されるたびに、サイトの掲示板はスレッドとレスポンスを増やしていき、サーバーもパンク寸前であった。イケブクロの本部では、人員総出でその対処を行っているであろう。もともとこの計画は善隣幇のリ・ウェンから打診された事であるが、この凄まじい反響は予想を超えるものである。

 圧政に立ち向かい戦う者達の姿。それが、映像コンテンツとして魅力的なものだという事は理解していた。さらにその姿は、ハーモナイズコミュニティの掲げる融和と共存という理念とも重なるものである。それを記録・保存し共有する事も、組織にとって有意義な事である。

『私達は、戦っても良いのです』

 この深遠な理想を、より多くの人と共感しあうためにも、この映像はきっと役に立つ。廃墟の影からカメラを構える男が、次の撮影対象を探す。

 

 

 

 

 

 本物の音は、意外と粗末なものだ。パンパンと軽く弾けるような乾いた音は、拳銃の発射音だ。その音よりも、同時に聞こえる怒鳴り声の方が余程、迫力があるだろう。電柱の影に体を寄せ、キリルが大きく息をついた。

 東アジアの軍警察の制服を着た数名が、サブマシンガンを手に道を駆けていく。一人が頭を大きく揺らめかせて倒れると、一斉に銃声が響いた。その軽快な発射音をかき消すような怒号とともに、周囲の路地から男達が飛び出してきた。どの男も、趣味は悪いが普通の服を着た者達である。

 人数の差もさる事ながら、サブマシンガンを恐れないかのような勢いと、現地の言葉で怒鳴りながら迫ってくる男達の形相に、軍警察の人間が逃げ腰になっているのが分かる。拳銃ではなく、刃物を持って襲い掛かる者もいるのだ。

「なんぼのもんじゃあ!!!」

 ついに、軍警察の人間が袋叩きにされだした。キリルは、全ての視線がそちらに集まっている事を確認した上で走り出す。事態は、悪い方向に進んでいるらしい。おそらく、トウキョウの各所で同じような光景が繰り広げられているだろう。

 アンダーグラウンドの大勢力であった、菱丘組と善隣幇が提携したというのは、つまりこういう事だったのだ。東アジア軍による、日本人特別居留区への軍事進攻は、特別行政区内の反東アジア勢力の一斉摘発とセットで行われる。それを予期した上で、軍への対抗手段としてマフィア同士が結託したのだ。

 だが、単なる利害得失だけでマフィアがここまでの事をするとは思えない。マフィアの側も大きな痛手を被るからだ。どちらのマフィアも、何らかのイデオロギー、思想のようなものを持っているはずだ。

 それはおそらく、現在東アジア軍に攻撃を受けている日本軍とも共通するものだろう。トウキョウの情勢は、今夜を境に一気に流動化しかねない。

「何者・・・」

 キリルの前に立ち塞がったアロハシャツの男が、それ以上の言葉を発するより早く、彼の膝は男の顔面にめり込んでいた。トウキョウの情勢より、マリアの事の方がよほど心配だ。

 軍警察もマフィアも、街中で平然と発砲している。軍警察の摘発行為が、適切に適法に行われているかも分からない。東アジア国籍でない人間に対して、余所者という視線を隠そうとしないこの土地で、マリアのような外国人は常に不安定な立場にある。ましてや、非常時という便利な言い訳がまかり通るであろう状況では、より一層危険性が増すはずだ。

 再び静かになった街で、キリルの足音がヒタヒタと響く。時々立ち止まっては、電柱に張られている番地を読んだ。通りの向こうから物音が聞こえてくる。

「全員やっとく方が後腐れないじゃん」

 辛うじて聞き取れたその言葉と同時に、キリルは反射的に身を翻した。銃弾の飛び去る音が聞こえる。街灯もない夜、かなりの距離があるにもかかわらず、正確に狙われていた。

 軍警察やマフィア、いやナチュラルでは無いであろう一団が、闇を透かしてキリルを見る。

 

 

 

 

 

 運の良し悪しというものは分からないものである。非常灯の黄色い灯りだけが点々としている場所を歩きながら、彼は後ろを振り返る。前を歩いていた男が足を止めた。

「足元、気をつけて」

 地下鉄は運行を見合わせているとはいえ、その架線の電気まで止まっているとは限らない。ルーイは、カズヤ・イシに連れられて、地下鉄のトンネル内を歩いていた。タマユラ地区から特別行政区へと、密かに潜入して取材活動を行っていた彼と出会ったのは、全くの偶然であった。

 土地勘のある彼のお陰で、アメリの家まで迷う事無く行くことが出来たのだが、逆に東アジアの軍警察から追われるはめになってしまった。アメリに余計な迷惑を掛けるわけにはいかず、玄関先で彼女と一言交わしただけで、立ち去らざるを得なくなった。

 カズヤはトンネル壁面の扉を開け、メンテナンス用の通路へと入る。ずいぶんと無用心な施設だと思っていたら、カズヤが笑った。

「日本の諺に、蛇の道は蛇ってのがある」

 ここはその蛇の道そのものなのだ。トウキョウの地下には、もう一つの巨大都市が存在する。

 地下街、地下道は言うに及ばず、駐車場、地下鉄、共同溝、排水路、下水道、さらには暗渠化された河川に至るまで、まさに網目のごとき空間が広がっている。それらは個々に存在しているように見えて、その実、色々な場所で繋がっているのだ。現在、トウキョウの地下迷宮を網羅する地図は存在しない。平面ではなく立体的に入り組んでいるため、地図化も容易では無いだろう。

 トウキョウのアングラ勢力の中には、その手の情報に精通したナビゲーターのような人間が存在し、彼らの「地下の土地勘」がそれらの勢力の活動を強力にバックアップしているのだ。今のように本来なら施錠されているべき場所を開けておくのも、彼らの仕事である。

 日本軍をはじめとするテロ組織も、この地下迷宮を通って都内各所に出没しているのだ。身分証確認ゲートの無い地下空間は、慣れれば地上より簡単に移動できるという。

「もっとも私は、全然慣れていませんけ・・・」

 ルーイはカズヤの口を塞いだ。そのまま大きな配電盤の影に身を隠す。間違いなく足音が聞こえた。息を凝らし、視線だけを足音の方に向ける。だが、足音の主もこちらに気付いているようだ。

「・・・こっちは丸腰だ」

 キリルはそう言って足を止めた。敵であれば間違いなく撃たれている距離である。何もしないという事は、敵では無いということだろう。沈黙の後、二人の男が恐る恐る顔を見せた。

 張り詰めた空気の中で互いに視線で探り合う。キリルが用意していた肩書きで名乗ると、二人の男も自分の身分を明かした。彼が道に迷っている事を正直に話すと、二人は案内を買って出てくれる。おそらく、彼と同じように追われる身なのだろう。

 マリアの無事は何とか確認できたのだが、その場に留まる事はできなかった。彼女を無用な危険に晒さないためにも、その場を離れて追っ手を彼女の家から遠ざけなくてはならない。

 そんな彼に、彼女は逃げ道を教えてくれた。彼女の住むアパートのすぐ裏手の空き地にある建屋から、地下鉄の点検用通路に入り込めたのだ。近所の人ならみんな知っていると、彼女は笑って言っていた。

 彼は、ルーイ・キリロフと名乗った男と並んで歩く。道を知っているのは彼ではなく、もう一人の方であった。




 次回は、明日投稿するつもりです。

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