歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第十四話 投げかける想い

 マリアの無事はグレートバリアリーフ号に伝えられていた。彼女から直接電話があったのだという。胸を撫で下ろす間もなく駆け出そうとするキリルを、艦長が呼び止めた。トウキョウ上空でのMS戦闘である。その当事者は、当然様々な手続きを踏まなくてはならない。

 今回の出撃はアンノウンのデータ収集が目的であり、パイロットの持つ数値化のできないコクピットでの感覚も貴重な情報なのだ。ガルバルディは、もはやこの船では修理の出来ないレベルの損傷を受けている。その元を取らなくては、出撃させた意味がないであろう。

 苛立つキリルの顔に、艦長はしかめっ面を作った。ブリッジクルーの一人が、そっとメモを渡してくれる。

「あんまり、派手に遊ぶなよ」

 そう耳打ちしたクルーはキリルをブリッジから追い出す。メモには、電話番号が書かれていた。店の番号ではなく、彼女の自宅の番号だ。

 嬉々として取り掛かった報告書が完成する頃に、エリックも船へと戻ってくる。皺だらけのスーツを着替えると、すぐさま調べ物を始めた。彼にすればずいぶんと真面目な態度だ。

 エリックは報告書を提出し終えたキリルに、タマユラ地区へ出向くように頼んだ。トウキョウに入り込んでいる可能性のある傭兵の件について、シュバルベ工業の社員と接触して欲しいのだという。アポイントはすでに取ってあるそうだ。

「正直、そういうのがどれほど重要か分からなくなってきたんだけどな・・・」

 だからこそ、少しでも判断材料は多い方がいい。エリックの真剣な様子に、キリルは気を引き締めた。

 タマユラ地区で出会ったタルハ・アンワール・ガニーとユンディ・ミナカミ。建設用重機を扱う会社に勤めているという二人には、こちらの身分の一端を明かしている。彼らは自社製品が大量にタマユラ地区に運び込まれた事に疑問を感じているようで、こちらの示唆した傭兵の件についても興味を示していた。

 キリルはエリックから、メモリーチップを受け取る。情報を一方的に提供してもらう事は出来ない。ギブアンドテイクが基本なのだ。チップの中身は、ジュンコ・ヤオイからもらったプログラムである。

 待ち合わせの場所と時間をエリックに確認して、キリルは身支度を始めた。タマユラ地区までの電車の運行は問題ないようだが、都心への武装警察投入と平行して、身分証確認ゲートのセキュリティが強化されたという噂があった。普段使っている偽造の身分証ではなく、正規の身分証を借りる。そのために余計な書類を書かされるが、そこを怠る事だけは出来ないのだ。

 高くなった太陽を見上げ、タクシー乗り場に立つ。キリルは小さくため息をついた。早朝からばたついた一日である。彼は電話ボックスを探したが、あいにく近くには無かった。

 

 

 

 

 

 江戸川上空で戦闘行為が行われていたらしいと、タクシー乗り場に並んでいる時に聞いた。特別行政府はそのような情報を流さないようにしているという話だが、トウキョウの住人は何でも知っていた。都営新宿線は江戸川の下を通っているので、通常運行が続けられており、ルーイとアメリは、そちらの駅へと向った。

 孤児院の方に顔を出してから家に帰るつもりだという彼女について、彼も孤児院に向う事にした。病院を訪ねて無駄足を踏んだ事を話すと、丁寧に謝ってくれる。ルーイは笑った。

「いいって、そんな事。でも、安心した」

「何?」

「友達と遊びに行くとか、結構普通の生活しているんだなって」

 看護婦として昼間働いているだけではなく、夜もアルバイトをしていると聞いていたし、試験勉強もなかなかに大変そうだ。祖国の母親に仕送りをしながらの生活は、それほど簡単なものでは無いだろう。

 だから、そうやって遊びに行く余裕を持っているという事に安心するのだ。視線を窓に向けている彼女の横顔と、ガラスに映る彼女の顔を見つめた。

 満員の車内では、どうしても互いに体を寄せ合わなくてはならない。ルーイは、彼女を背中から抱き締めた。ガラスの中の彼女が、ほんの少しだけ顔をほころばせた。その事に深い満足を覚えながら、ルーイは電車の揺れに身を委ねる。

 二人は、幾度かの乗り継ぎをしてようやく孤児院に着く。子供達は丁度昼寝の時間らしく、黒いスーツに白いエプロンをつけた屈強な職員が、テキパキと掃除をしたり洗濯物を畳んだりしていた。ダルウィーシュ・ダルが、二人を台所に通してくれる。院長は来客中だそうだ。

「それほど長くはかからないかと思います」

 そう言ってダルは仕事に戻った。ルーイは、アメリがこの孤児院に関わるようになった理由を尋ねてみる。日本人特別居留区への支援なども行っている団体であり、単なる慈善団体とは言いがたい組織だ。もっとも、その裏を何らかの組織がバックアップしているという話もないようなのだが。

 アメリは微笑んで、ただの偶然だと言った。寄付金集めのために病院に訪れた事があり、その時にたまたま知ったのだという。

「子供は好きだし、ピアノもあるし・・・」

 彼女の視線が動いたので、彼はその方に振り返った。院長が来客に院内を案内するため、応接室から出てきたのだ。ルーイは表情を固める。

「アメリさんに、キリロフ君も来ていたのね。こちら、ルポライターのエルフリーデ・シーハンさん」

 丁寧にお辞儀をするアメリを横目に見ながら、ルーイは会釈だけをする。ゆっくりしていってねと言う院長に、アメリは挨拶に寄っただけだからと言った。また手伝いに来ますと言って、その場を辞する彼女について彼も帰ろうとする。

 だがルーイは、エルフリーデに呼び止められた。

 

 

 

 

 

 基地内の慌しさは異常であった。作戦開始の日の早朝から、トウキョウ上空でアンノウン同士の戦闘が行われたのだ、殺気立つ雰囲気も理解できるというものだろう。ヒューはギブスが取れた部分をさすりながら、ヨコタの滑走路を眺めている。今回の作戦には不参加なのだ。

 今夜22時に作戦は開始され、日本人特別居留区に対してMSだけで20機が投入される事になっていた。さらにヨコスカの大西洋軍を牽制するために空母一隻と複数の艦艇が浦賀水道に展開、多摩川と利根川にも部隊を配備しトウキョウ特別行政区に対して越境攻撃を行う日本自治区内の反政府勢力に睨みを利かせる。タマユラ地区に対しても、武装警察を中心とした部隊を送る事になっている。

 特別行政区の発足以来、日本人特別居留区に対する攻撃は幾度となく行われているが、この規模は異例である。東アジア共和国内部の、再・再構築派に対する一種の恫喝であった。

「逆行してるっての・・・」

 ヒューは走り回る職員の邪魔にならないよう、食堂の隅で新聞を広げていた。当局の手が入った新聞は、どうにも面白みが欠ける。情報統制など、戦時下の遺物でしかない。大西洋やユーラシアでは、既にそういった戦時の情報統制関連の法律は廃止されている。そして、それらの国が再・再構築を仕掛けている事とは、密接な関係がある。

 プラントという独立国の存在と、二度の戦争で見せ付けられたコーディネーターの性能は、連合に隠然たる脅威を与えている。それに対抗するためには、連合が現在のような国家の寄り合い所帯では駄目なのだ。プラントとの外交窓口を一本化し、軍事行動も連合が統括する。そのためには各国が個別に有しているその権限を、連合に委譲していかなくてはならない。しかしそれ以外の各国各地の個別の政策に、連合が口を挟む必要性は無かった。

 それは連合を構成する各国の内部でも同じ事である。再構築戦争で生まれた国家はそもそもに無理があり、プラントとの戦争状態が無くなれば、その無理を正そうとする動きが現れるのは必然である。情報統制や軍事的抑圧は、それに油を注ぐだけなのだ。大西洋やユーラシアは、自国内における自治や分権の要求を幅広く認めつつ、軍事や外交、金融・通貨政策などは中央集権化を進めていた。分権と集権は、常にバーターで行われている。

「それが分かってねぇんだよなぁ」

 中央政府が統括すべき事案とそうではない事案を区別できず、全てを中央政府が決定し遂行しようという発想は、今後の世界戦略を欠いた思考と言わざるを得ない。しかもそれを強権的な手法で行うなど、旧世紀の発想だ。シャンハイは、再・再構築に理解を示しているという話だが、今は完全にペキン抑えられているという話だった。

 新聞を閉じたヒューは冷めた茶を流し込み、席を立つ。作戦には参加しないと言っても、仕事がないわけではないのだ。彼は別の顔も持っているのだから。

 

 

 

 

 

 イケブクロも、かつてはオタク文化の主要な発信拠点だった時代がある。アキハバラのように分かりやすい外見ではなかったが、そことは異なった趣向のコンテンツが集まる場所であった。今ではそのような文化も廃れ、ごく普通のオフィス街という外見をしているが、当時の面影を残す場所もいくつか存在している。

 ハーモナイズコミュニティのトウキョウ事務所が入っているビルは、そんな場所の一つであった。階段の壁に貼られているポスターや、窓から見えるように貼られている絵は、男性だか女性だか良く分からないキャラクターのものばかりである。

 当局の目は、こんな簡単なものでもくらませる事ができるのだ。

「その誤魔化しも、そろそろヤバいかもよ」

「君の場合は、れっきとした趣味だろう?」

 事務所に集まっている数名の男女が、そんな話をしている。全員、ラフないでたちの若者だ。ややエキセントリックな服装は、おそらくプラントのものであろう。

規制を回避してネットに接続するための違法プログラムの仲介人が、何人か捕まっているという情報が入ったのだ。プログラム自体は当局の手に渡っていないという話だが、油断は出来なかった。

 だが今夜の時点で、とりあえずそのプログラムは一つの重大な使命を終える事になる。そのための準備は万全に整っていた。一人がその事を報告する。

「機材や人員は、善隣幇の全面的なバックアップのお陰で、滞りなくそろった。予算なんか余っちゃったよ」

「その点は感謝だな・・・で、どうなの? その、リって人」

 全員の表情に困惑が浮かんだ。善隣幇の首領にして財界の重鎮であるリ・ウェン。彼の組織とは一応の協力関係にあるのだが、互いの理念は一致しているとは言いがたい。彼らにしてみれば、ウェンの発想は「古い」のだ。

 だがそれだけに、彼が何をどこまで考えているかが読めない。下手をすれば利用されるだけで終わるのではないかとも危惧している。

「あのお爺さんが融和と共存を理解してるとも思えないけど・・・」

「ま、俺らは俺らでそれを表現するさ。老人の思想なんて関係ない」

 彼らはパソコンの画面に視線を移した。江戸川の鉄橋が通過できるようになり、鉄道の運行が正常化する見込みだというニュースが流れている。一人が思い出したように言った。

「ハニスから連絡あったか?」

「何か失敗したって」

「・・・あいつ、先走りし過ぎ。今はまだ必要ないだろ、声はさ」

 彼らがトウキョウで目指している事は、自分達が発信する情報で社会的なうねりを作り出す事である。融和と共存、その思想を言葉ではなく、もっと別の形で表現し発信しそしてムーブメントを起こすのだ。

 人の進化と革新は、その更に先にある事であり、声はその時になってようやく必要とされるものである。彼らはいくつかの打ち合わせの後、解散となった。

 

 

 

 

 

 玄関先までアメリを見送りに出たキリルは、手持ち無沙汰に応接間に足を向けた。エルフリーデは、院長に施設内部を見せてもらっているようだ。彼女が自分を呼び止めた理由は定かでは無いが、どの道彼にとって面白い話では無いだろう。少し冷めた紅茶を、ぼんやりとかき混ぜる。

 嫌いなのではない、ただ苦手なのだ。命の恩人の一人であり、小さな頃から世話になっている人だ。その仕事は尊敬に値するものであろうし、見習うべき人なのであろう。でも、苦手だった。

 最近は、関わりにならないように心がけていたのだが、まさか地球の裏側で出会うとは予想外にも程がある。彼女の活動を考えれば、トウキョウの現状に興味を持つだろう事は分かるが、実際に出会う確率など低くて当然だ。

「ゴメンね、ルーイくん」

 声に振り返ると、ピンクのヘアバンドとそれが不必要なほど短い髪をした女性が入ってくる。ルーイの母親が若い頃、同じようなヘアバンドをしていたのだと聞いた事があった。

 待たせた事を謝りながら、エルフリーデは向かいのソファに腰を掛けた。そしてバッグの中から手紙を取り出す。母親からのものだった。トウキョウで彼に会った事をたまたま伝えたら、彼女宛に届いたのだと言う。内容は、読まなくても分かる。ただ、息子の身を案じるだけの親からの手紙だ。

 用事はこれだけかと聞こうとする彼の機先を制するように、エルフリーデが口を開く。

「あの人は、ルーイくんの彼女?」

「え・・・」

 立つタイミングを削ぐような質問に、ルーイは視線をそらせた。否定するのも白々しいが、肯定するのも勇気がいる。穏やかに微笑むエルフリーデは、まるで母親のようだ。ルーイは唇を噛む。

 大きくなったとか、もう結婚を考える年になったのかとか、そんな他愛のない感慨を語るエルフリーデの様子が腹立たしい。そんな風に、自分に構って欲しくないのだ。

「メイファンさんには連絡しているの? 何か心配して・・・」

「俺の事はどうでもいいだろ!!」

 エルフリーデが驚いて手を止めたのを見た。彼女はそっとティーカップを降ろして、ルーイを見つめる。ルーイは何故か震えている声でまくし立てた。

「何で、いつもいつも俺の事ばっかりなんだよ! エル姉の方がよっぽど危ない事してるんだろ! 考えるならまずそっちだろ! クルトさんやロルフくんもいるんだろ、だったらまず自分の事考えろよ!! お袋も親父もそうだ、いっつも俺の事俺の事・・・自分達が一番辛いんじゃないかよ! それをまず考えてくれよ! 俺の事なんか、その後でいいから・・・!!」

 母が書斎で、父にすがって泣いていたのを見た事がある。エルフリーデと母が、夜中激しく口論をしていたのを聞いた事がある。彼女らが、どんな仕事に携わっているのか、それを理解する前から、彼は彼女らがどのような仕事をしているか知っていた。

 それでも彼女らは、それを彼の前では見せなかった。ただ精一杯、親として大人として、彼を慈しんでくれた。一欠の苦労も、一滴の不幸も、彼に負わせまいとしてくれていた。

 だが彼が望んでいたのは、自分の事ではない。母が、父が、ただ普通に幸せであって欲しかったのだ。自分自身の幸福を、子供に捧げるような生き方など、望んでいなかった。

 目を拭ってエルフリーデを睨む。ルーイは見つめ返してくる彼女の瞳に気圧された。彼女がゆっくりと口を開く。

「ルーイくんは、知ってるよね。私が・・・愛した人の事」

 それを永遠に失ってしまう悲しみを、彼に味わって欲しくは無いと言う。

 戦争がそれを引き起こすのであれば、それに抗する。貧困がそれを引き起こすのであれば、それに抗する。抑圧がそれを引き起こすのであれば、それに抗する。無知がそれを引き起こすのであれば、それに抗する。そのために、この職業を選んだのだと彼女は言う。

 彼女の身に降りかかった不幸は、もはや取り返せない過去の事である。だが彼の、彼らの世代に降りかかる不幸は、それを防ぐ事も減じる事も出来るはずだと。だから、この職業を選んだのだと言う。

 彼女の目は静かに澄んでいる。悲しみや憎しみや、そういった個人的な感情を、世界に対する憤りへと昇華させたような瞳。その瞳は焼けつくように世界を射抜きながら、決して世界を燃やし尽くさない。

 ルーイは逃げるように視線を逸らす。母が時折見せるそんな瞳が、怖くてならなかった。その瞳が、母を飲み込んでしまうのではないかと、恐れていた。

「違う・・・違うんだって・・・」

 彼は言葉を探す。彼が望むのはもっと単純な事だ。それなのに、言葉が見つからない。その視線を拒否する言葉が分からない。奥歯を噛み締めて沈黙に耐えた。

 磁器の触れ合う音が、沈黙を揺らめかせた。エルフリーデがカップに口を付けている。紅茶を飲み干した彼女は、少し寂しげな微笑を残して席を立った。応接室のドアの向こうから、彼女が院長に挨拶をしている声が聞こえる。残されたまま、ルーイは視線を上げる事が出来ない。

 不意に、アメリの事を想う。彼女の穏やかな微笑みに、彼は自分が惹かれる理由が分かった気がした。彼は彼女の幸福を願い、彼女はただ、それをそのまま受け止めてくれるのだ。

 彼が望むのは、きっとそういう事なのだ。

 

 

 

 

 

 これ以上の遅延は許されず、エヴィデンスはアッザムのMS搭載スペースへと収容される。数名のスタッフが、作戦行動中のアッザムの中で機体の調整を続ける事となっていた。

 ミラージュコロイド装備とは言うものの、コロイドの剥離しやすい大気圏内での運用であり、周囲の風景が変化に富んでいるため、肉眼による発見は想定以上に容易なのだ。夜陰に乗じて特別行政区内へと移動するためには、そろそろツクバを出なくてはならない時間である。

「機体そのものの問題は無いのだろう」

 格納庫の天井が開き、アッザムがゆっくりと上昇していく。四本の脚を生やした不恰好な栗のような姿が宙に浮いている様子は、なかなかシュールなものだ。チン・ヤンチャンは、傍らにいる疲れた顔の男に尋ねた。

 ギリギリまでエヴィデンスを調査していたミツネ・ササは、黙って頷く。突如として発生したSEEDコンバーターの不調は、その原因が分からないままなのだ。少なくとも、機械的な問題では無いだろうというのが、現時点までに分かっている事である。

「そうなると、パイロットの問題か・・・」

「ですがコクピットのレコーダーには、これといった変化がなく」

 SEED現象の発現に伴う、生理学的変化やSEEDコンバーターへの作用を記録するために設置されている装置を解析しても、通常と変わらない数値しか出てこないのだ。

 もともと、その全容のほとんどが謎の現象を使用した装置であり、発生した不具合に対してその場で処方箋を出せるはずもない。だが、エヴィデンスは単なる実験機材ではなく、実戦で運用する兵器なのだ。原因不明の不調など、兵器にとっては致命的な欠陥であろう。

 それを理由に出撃を拒否できないのが、彼らの立場の弱さであった。ヤンチャンにとっては慣れた事であるが、ミツネの表情は苦渋に満ちている。ただ、パイロットの士気は至って旺盛であり、その点の心配はなさそうであった。

 ヤンチャンはもう一度、各種のデータに目を通してみる。順調な実験結果の中での発見は少ないものなのだ。実験の不調の中に理論の真髄が隠れている事は、よくある話だ。気になった点をいくつか箇条書きのメモにしておいた。

「・・・これは、ハニスの数値ではないな」

「それは、ノイズを除去する前のデー・・・ノイズ?」

 ミツネも同じ事を思いついたようだ。ノイズとして処理したものの中に、ノイズではないものが混ざっていた可能性がある。

 もしそれがハニス自身が持つノイズであれば、これまでも検出されているだろう。しかし、それがハニス自身のノイズではなかったとすれば、SEEDコンバーターに外部から干渉が加えられた可能性が出てくるのだ。

 猛然とデータの精査を始めたミツネから目を離し、ヤンチャンは椅子を回す。ブラインドの角度を変えて、外が見えるようにする。日がようやく傾きだした。

 

 

 

 

 

 報央社の各オフィスは、張り詰めた緊張の中にある。軍による日本人特別居留区での大規模軍事作戦。それに関する報道を取り仕切るのが、報央社の役割である。

 東アジアの国営通信社である報央社は、当局の実行部隊として報道管制や情報統制を行ったり、メディアである事を利用した情報収集活動を行ったりしている。縦割りの著しい国家機関から、名目とはいえ独立している報央社は、様々なセクションの人間が入り乱れて活動している唯一の場所である。

 ユ・ケディンも同僚達と同様に、この作戦に危惧を抱いていた。

「作戦実行までが遅すぎるんだ」

 緊張の糸を緩めようとする者達が、自動販売機の前でたむろしている。ケディンは砂糖少なめミルク多めコーヒー濃いめのボタンを押した。同僚の話を聞くと、皆同じ事を考えているようだ。

 だが、彼がそれ以上に気になるのは、その遅すぎる作戦に対して、日本軍からの積極的な動きが見えない事だ。確かに都心部では、幾度かの爆破テロやその未遂、ロケット弾による攻撃などが起こってはいた。

 しかしそれは従来活動の延長であり、いわばルーチンワークのようなものだ。軍の作戦情報が一切外部に漏れていないため日本軍も動きようがない、などと考える楽天家はペキンにしかいないであろう。アンノウンによる幾度かの襲撃は、軍の情報が漏れ出ている事の証拠である。

 情報の漏洩すら前提条件として盛り込んだ上での作戦にはなっているはずなのだが、それにしても敵の動きのなさが不気味だった。

「動きがあるのは、それ以外の場所ばかりだ」

 紙コップを投げ捨てた同僚がそう吐き捨てた。アングラ勢力を中心に、色々動いている事は、ケディンも掴んでいる。さらには特別行政区の保安局まで、不穏な動きを見せ始めているという。

 特に武装警察を都心に投入してから、保安局との軋轢は日に日に増えている感じだ。ケディン指揮による二度目のタチバナ邸襲撃も、保安局が事前に動いた事で中止に追い込まれていた。もっともあちらにすれば、職務を遂行しただけと言うだろう。

 既に、都内各所でも部隊配備は終わり、日本人特別居留区攻撃と呼応するように、特別行政区内に潜伏する反東アジア分子の摘発を行う手はずとなっていた。上層部は取り合わないが、間違いなく保安局との交戦になるだろう。ケディンは、ため息をコーヒーで押し流す。

 きっと想定外の事が起こる、それだけは確実に予測できた。それに適切な対処を施さなければ、東アジアに未来は無い。東アジアの主権と独立を守るためにも、分離主義者は排除されなくてはならないのだ。

 コーヒーを飲み終えた者は、次々と持ち場へ散っていく。皆、報央社の記者という表の顔以外の顔を持つ者達だ。

 

 

 

 

 

 日が西に傾いている。部屋が西日の色に変わり、ブラインドが下ろされる。コーヒーのおかわりを頼みながら、キリルは資料に目を通し終えた。東南アジアを中心に活動していた民間軍事企業のメンバーが、タマユラ地区に入っている事は事実のようだ。その企業がプラント系である事に、キリルは深い失望の念を禁じえない。

 ただMSやそれに関する武器などが日本人特別居留区に運び込まれているか否かは、分からないとの事だった。だが日本軍と呼ばれるテロ組織が、軍事顧問団を雇う事もないだろう。実戦部隊であると考えた方がいい。

「金の出所までは調べられん。それは君らの方が専門だろう」

「それに関しては、問題ない」

 ジャンク屋組合からの情報で、日本軍に対する支援の多くに善隣幇が関わっているという事は調べが付いていた。キリルは資料を閉じる。ここは、タルハ・アンワール・ガニーとユンディ・ミナカミが滞在するマンションであった。喫茶店でやり取りできる情報ではないのだ。

 一ヶ月から一年程度の契約で長期滞在者用に貸し出されるマンションは、ほとんどの家具が備え付けの物であるが、それでも室内は新婚夫婦の新居のような雰囲気であった。その事に多少の居心地の悪さを覚えながら、キリルは資料の内容について二三の質問をする。

 扱っている商品が商品なだけに、二人はトウキョウの行政関係部局にも繋がりを持っていた。そのため、かなり深い情報も入手出来るようだ。

「リーマンの愚痴ってのは、無関係な人間にこそこぼすもんだからな」

 実務に携わる職員の多くは、東アジア中央政府のやり方を快く思っていない。だからこそ、聞くことの出来る話も出てくるのだ。同じサラリーマンとして、その気持ちは痛いほど良く分かる、そうタルハが言う。

 キリルは聞いた。

「何故、ユーラシア籍の民間企業に?」

「アカデミーで赤服を取ってまで?」

 コーヒーのおかわりを持って来たユンディがそう言った。調べれば一発だもんねと言う彼女は、アカデミーの成績優秀者に贈られる赤服の授与者であった。しかも整備課程で初の快挙であり、数少ない女性の赤服でもある。

「アフリカの地面耕してる男も、研究室で哲学書に埋もれてる女も、赤服よ」

 そんな知り合いばっかりといって笑う彼女を、キリルはじっと見据えた。アカデミーとは本来、市民軍であるザフトの中核となる人材を育成するための教育機関である。その卒業生は、プラントの礎、コーディネーターの守護者たるザフトを指導する立場の人間であるべきなのだ。

 少なくとも、同じアカデミーの卒業生であるキリルは、赤服でないにせよ、そうだと思っている。だが、目の前の二人は全く違った。

 キリルの視線の意味を察したのか、二人は真顔になった。頭の中を整理するように、ゆっくりとコーヒーに口をつけ、同じようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「社長の技術に、同じ技術屋として惚れていたってのもあるわ」

「コーディネーターの貴女が?」

「遺伝子上のアドバンテージなんて、工場に三日入れば吹っ飛ぶわよ」

 それは技術屋としての個人的な理由だと言った彼女は、コーヒーカップを置く。そして、ザフトでは自分達が体験した事を十分に生かせないと感じたからだという。彼女はキリルに従軍経験を尋ねた。

 ペディオニーテ動乱後、ザフトが関わった戦争はなく、宇宙では海賊やテロ組織の掃討作戦が小規模に行われているだけである。当然、キリルに従軍経験はなかった。それは良い事だと、ユンディは言う。

 そして、戦争は色々なものを否応なく見せ付け、それを見せ付けられた者は変わらざるを得なくなると言う。ザフトに対する意識の変化は、その一つだと付け加えた。

「私らは整備員だったし、MSを弄ってただけよ。でも、人の生き死に直接関わった子は、もっとずっと重くそれからの生き方を受け止めたのだと思う」

「ザフトはその重さを受け止める場所では無いと?」

「少なくとも、私らにとってはそうだというだけの話よ」

 自分達のささやかな幸福すら、あの時の光景に立ち返って捉えなおさなくてはならない生き方。ザフトの掲げるものでは、その生き方を支えられない。

 その結果が、しがないサラリーマン生活ではあまり意味は無いのかもしれない、タルハはそう言って笑うが、キリルは笑わなかった。彼にとって、ザフトとはそのような軽い物ではない。

 ザフトとは守るものであり、解放するものだ。連合による差別、抑圧、迫害、そういったコーディネーターの脅威を排除し、人類の次なる発展へと備えるための存在だ。コーディネーターが「調整者」たるためには、その守護者たるザフトが単なる暴力装置などであってはならないのだ。

 現在のザフトが、ただの軍隊に成り下がっている事は悲しい現実であろう。その点に関して言えば、彼女らの考え方も全くの間違いとは言いがたい。だが、そうであればなおさら、ザフトを正すために行動する事こそが、コーディネーターのあり方では無いのか。

 キリルは資料を鞄にしまって立ち上がった。エリックからもらったメモリーチップをテーブルの上に置くと、無言で一礼だけして部屋を辞した。

 守るもの、解放するもの、それがザフトのあり方であるのならば、自分自身もそのようにあらねばならないはずだ。彼が想うのは、マリアの美しい横顔であった。




 次回は、日曜日に投稿する予定です。

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