歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

14 / 25
第十二話 船上パーティー

 口からでまかせの肩書きで、よくも会話を続けられるものだと思った。技術系の仕事をしていたというのが信じられない。エリックの言葉を聞きながら、キリルは呆れていた。同時に、このような才能の方が求められるようになったプラントの現状を深く憂う。

 話の相手は港で出会った女性と、その夫であった。二人とも同じ職場に勤めており、トウキョウには長期の出張だという事だった。

「パラジウム合金並の効率ですね・・・カーボンナノチューブと発泡金属の組合せですか?」

「良くご存知だ。でもこれ以上は」

「失礼、企業秘密ですね」

 二人の勤めるシュバルベ工業の商品である多脚多腕型汎用作業機械は、MSと同じ動力を使用している。カタログのスペックを見ただけで、企業秘密に触れる情報まで読み通したのは、エリックが技術畑の人間だからだろう。

 そういった専門的なやり取りだからこそ、相手に警戒をされていないのかもしれない。オペレーションシステムの内容ともなると、キリルにはついていけない話であった。テーブルの上の名刺に視線を落とす。

 店員に水のおかわりを頼んだ時、名刺の名前を聞いた事があると思い出した。アカデミー時代に耳にした事のある噂で、赤服授与者でありながらザフトではなく連合の部隊に配属されたという人達がいたというのだ。

 そのうちの一人はアカデミー初の整備課程での赤服で、プラントの各開発局が学生時代からスカウト合戦を繰り広げるほどの才能だったという。だが連合の部隊から戻った後、その人物は辺境の資源衛星にある名も無き民間企業に就職したという話であった。

 就職活動の季節になると流れる噂らしいのだが、連合に加わった者がいたなどという話はキリルにとって愉快なものではなかった。その連合部隊は、現在存在しないという。

「連合軍緊急即応部隊・・・」

 何の気無しにつぶやいた言葉に、二人の注意が向けられた。キリルは何かまずい事を言っただろうかと思う。

「・・・君達は、ザフトか」

 キリルとエリックは表情を固めた。その反応を笑ったユンディ・ミナカミが説明する。自分達の経歴は、別段隠蔽されている物でもないが、おおっぴらに公表されている物でもないと。プラントの一般市民でその話を知っているのは、ほとんどいないはずだという。だから、ザフトではないかと思ったのだと

 エリックの恨みがましい目に、キリルは視線を落とした。そんな様子を再び笑われる。

「まぁ、未だゴタゴタしたご時勢だ」

 タルハ・アンワール・ガニーがそう言って紅茶を飲み干す。そして、どういうわけで自分達と接触したのかと聞く。今後の営業活動を円滑にするためにもぜひ聞かせてもらいたいと言った。

 キリルとエリックは目配せをする。タマユラ地区における情報源は少なく、この二人との繋がりは保っておいた方がいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 都心の一等地に、マフィアが堂々と事務所を構えている。ダミー会社を仕立てるでもなく、その名前を堂々と晒すことができるのは、世界中でもここだけだろう。暴力団と呼ばれる日本のマフィアは、他国のマフィアとは少々異なる存在だと言われたりもする。

 その文化史を紐解けば、それなりに面白い読み物が書けるかもしれないが、あいにくとカズヤ・イシは、その方面に興味を持っていなかった。彼が追っているのは、今のトウキョウの水面下に蠢くものの正体である。

 大企業の応接室のような品のいい部屋に通された彼は、取材相手が来るのを待つ。

「タチバナ先生からの紹介で・・・」

「聞いている。座りたまえ」

 現れたのは和服姿の老人、菱丘組の組長であるユウゾウ・カトウだ。トウキョウのアングラの最低でも半分は彼が掌握していると言われている。いかにもといった感じの男達がその背後をがっちりと固め、カズヤに対しても警戒心を解こうとしない。

 以前、軍の特殊部隊による襲撃が何件かあったという噂は本当なのだろう。当たり障りの無い自己紹介をして、本題へと入る。『トウキョウと東京』そんなタイトルの記事という事で、取材の申し入れをしていたのだ。

 いくつかの段階を経てトウキョウ特別行政区は発足しているため、どの時点をもって成立とするかは識者によっていくつかの説がある。実質的にはもっと早くに成立したという説が主流だが、東アジア共和国の公式発表に基づくと来年で丁度50年であった。記念式典その他の話は今のところ聞かないが、それはトウキョウに対する人々の意識を反映しているのかもしれない。

 市民の大半は「トウキョウ」しか知らない世代である。しかしその意識の深層には間違いなく「東京」が存在する。「東京」を知っているユウゾウらの年代であれば、それはより顕著であろう。

「・・・なるほど。やはり根っこの部分では日本軍とも相通ずる部分があると」

「同じ日本人も標的にする点において、連中はヤクザ以下の外道だ。だが日本の独立を目指すという点では大いに共感すべき部分がある」

 カズヤはメモを取る手を止める事無く、それを書きとめた。だが独立というキーワードは、かなり重大な意味を持つだろう。彼らマフィアが、反東アジア活動を行っていた事は確かだ。だがそれを、明確な政治目標として掲げて行動した事は無い。あくまでも、自分達の経済活動の妨げとなる東アジアの動きに対抗しようというものに過ぎなかったのだ。

 それが今、日本独立を目指すと言う。マフィアの明確な方針転換である。当然、裏には利害得失その他の関係が控えているであろう。しかし、その看板を掲げたという事実は大きい。

 やはり、トウキョウで何か大きな動きがあるとすれば、それは日本軍の動向とは全く異なる部分で動くのであろう。日本独立、その言葉をマフィアのトップから聞けただけで、今回の取材には意義があったとカズヤは考えた。

 

 

 

 

 

 近々、歴史的建造物の認定がなされるという話のサンシャイン60ビルを真正面に見る建物の一角に、ハーモナイズコミュニティの事務所が置かれていた。スグル・ハタナカは、何の変哲も無い事務所の隅の、パーテーションで囲まれただけの応接スペースで出されたコーヒーを居心地悪くすすっていた。

 応対するのは自分よりずっと若い男性で、おそらくコーディネーターだろうという感じの髪の色だった。だが、国外からの入区の難しいトウキョウで、小さいとはいえ事務所を構えている組織だ、侮ってはいけないと肝に銘じる。

「ゼネスト・・・ね。で、どんな事するの?」

 この口の利き方は間違いなくプラント出身だ。スグルは心を落ち着かせるように息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながらしゃべる。実際にゼネストを実行するかどうかはまだ決まっておらず、そうならないために努力を続けている最中であった。

 ただ、もし仮にゼネストが実行されるのであれば、それはただ仕事を放棄するだけでは留まらないだろう。おそらく、デモ行進などが企画されるはずである。スグルの言葉に、男性は薄笑いを浮かべて腕を組んだ。

「古いなぁ・・・それ時代劇じゃん」

「だから、それは仮の話であって・・・」

「違うんだよね。用は行政府に対して自由を要求するんだろ。あの不便なゲートを無くして、生の情報に触れさせろって言いたいわけだよね」

 その直接的な言い方に、スグルは思わず周囲を見回した。男性は笑って、盗聴対策は万全を期していると言った。

 彼は、デモ行進などで表現できる事は僅かしかないと言い、もっと異なった表現を探るべきだと付け加えた。スグルは、その表現という単語を聞き返した。どこか微妙に話が食い違っているような感じだ。

 だが男性は、何の疑問も無く表現という言葉を使う。

「主義主張、要求要望、とにかく自分がこうしたいこうして欲しいって思いは、最終的に表現されなきゃ伝わらないだろ。言葉だって表現だし、まぁデモ行進も表現だよね。でもその表現はもう古くて効果が無いって事は、過去の歴史が証明してるじゃん」

 それは自分の思いを表現するだけだったからだと男性は言った。今求められているのは、自分の思いだけではなく他人の思いをも表現する事だと。他人が未だ気付かず、表現に至る事の無い思いを、自らの表現を持って引き出し、他人を表現の世界へと導いていく事だと。

「表現ってのはさ、結局最後は他人を巻き込んでいくものだよね。ムーブメントを起こして、既存を乗り越えていく事が、表現の一番大事な役割なんだ」

 特別行政府という枠組みを超越するムーブメントを起こす表現、その一翼をハーモナイズコミュニティに担わせてもらいたい。男性はそう言って握手を求めてきた。スグルはその手を握り返すべきか否かを迷う。

 この男性、そしてハーモナイズコミュニティなる組織が何をしようとしているかが全く見えないのだ。彼らの言葉は、スグル達のいる世界とは全く異なる次元にあるかのようだ。

 ブンジ・タチバナは、普通ではないアプローチが必要だと言ったが、これはそんなレベルでは済まないかもしれない。とりあえず、今後も接触を続ける事だけ取り決めて、スグルはイケブクロの地を後にした。

 

 

 

 

 

 女性が一息入れるようにコーヒーカップに口をつけた。興奮した様子で話し続けていたヨシトは、今しがた仕事の都合でその店を後にしている。心底、名残惜しそうな様子の彼に、女性は苦笑していた。自分はそれほど有名人だったのかと。

 問いかけるようなその言葉を、ルーイは聞こえない振りをした。その女性、エルフリーデ・シーハンは両親の友人であり、フリーのルポライターをしている人だ。前大戦時、ユーラシア中央部の都市を拠点に行われていた大規模な人身売買組織に関する著作は、ユーラシアのみならず大西洋やプラントでも静かな反響を生んでいた。

 アフリカや南アメリカなどの紛争地における少年兵問題に関するルポルタージュは、連合の人道支援に関する部局が本格的な調査に乗り出すきっかけにもなっている。一般的な有名人とは違うが、その筋の人であれば最低でも名前は知っているはずの人物であった。

 ルーイにとっては、母同様に苦手な人だ。

「ルーイ君は仕事?」

「うん。エル姉も?」

 他の取材と平行しながらであるが、彼女はずっとある組織の事を追っていた。東アジアで様々な人体実験を行っていたとされる研究機関、新京新医学学術院。その関係者らしき人物がオーブから日本自治区に渡ったという。その情報を追って、タマユラ地区まで足を伸ばしていた。

 日本人特別居留区に関する取材もやっておきたいのだが、ツテがないという。エルフリーデは、ルーイにその辺りの情報に詳しい人を知らないかと聞く。彼は答えなかった。彼女は、取り立ててその事を追及するでもなく、ただ穏やかにカップを傾けていた。自分を責める事すらしない彼女の視線は、彼を貫き続ける。

 彼がテレビ局に勤め出したのは、彼女の夫の新聞記者の紹介だった。学生を終えても進路の決まっていなかった彼は、特に考える事も無くそこに就職した。今思えば、それは間違いだったのかもしれない。母の仕事も、エルフリーデの活動も、嫌でも耳に入ってくる職場だ。

 だが、比較されるのが嫌なわけではない。うだつの上がらない自分に嫌気が差すわけでもない。何かに突き動かされるように仕事をしている彼女らの様子が、とても痛々しく感じられるのが嫌なのだ。

 コーヒーカップとソーサーが触れる音が、微かに聞こえた。

「ルーイ君は、何を追っているの?」

「・・・東アジアのサブカル」

 もともと日本自治区に来たのはそのためだったので、そう答えておく。

満足そうに頷く彼女に、ルーイはやりきれない気持ちを募らせた。小さい頃、熱を出して寝込んでいた時、一睡もせずに看病していた母が、眼を覚ました自分に微笑みかけた時のような、いたたまれなさ。ルーイはそっと唇を噛む。

 エルフリーデは店内の時計を見上げた。宿泊先の電話番号を書いたメモをルーイに手渡すと、伝票を手にして席を立つ。彼は、その後姿を追いかける事をしなかった。

 

 

 

 

 

 豪華なシャンデリアのぶら下げられた広いホール。正装をまとった男女が、グラスを手に談笑している。白い服のシェフ達は、運び込まれてくる料理をパフォーマンスを交えながら取り分けていた。

 イベントの成功を祝うパーティーだが、それはライブスタッフの打ち上げとは全く異なったものである。プラントの歌手をトウキョウ特別行政区で歌わせる、そんな無茶な企画に尽力した人を招いてのパーティーである。招待客は、行政区の高官や東アジア共和国の政治家、そして財界の有名人などである。

「良く、ご存知ですね」

 居並ぶ面々の名前をそらんじているエリック・リブーに、ジュンコ・ヤオイは低い声で話しかける。ここは、グレート・バリアリーフ号の船内のホールであった。エリック達プラントの情報部員も、招待客に紛れてパーティーに参加している。

 グラスを煽ったエリックにウェイターが近づき、新しい酒を手渡す。手際のよさは、最高級のホテルと同じだ。どれほどの金がかかっているのか、容易には想像できない額だろう。ハーモナイズコミュニティなる組織が、サブカルネットワークなどであるはずかない。

 エリックはジュンコをエスコートするように、ホールを離れる。そして彼女に、この組織についての情報を質す。

「ネットワークの奥の方に、ターミナル残党がいるのは確か。ただし、思想的にはかなりの急進派」

 ハーモナイズコミュニティのトウキョウでの拠点がイケブクロにある事までは調べがついたそうだが、それ以上の具体的な話はなかった。かつてのような、軍事力によるレジームチェンジを目論む過激派である可能性を危惧するエリックに、ジュンコは過激ではなく思想的にラジカルなのだと言った。

 また、招待客にはそれぞれの思惑があるだろうが、ハーモナイズコミュニティのシンパはいないだろうという事だった。プラントとのパイプを求めていたり、事業的な提携関係があるなど、どれも実利の関係ばかりなのだ。連合、プラントの双方で、ターミナル系の議員や官僚は徹底的なパージを受けている。

「謎の組織の手先はいないって事か・・・」

「そちらはどうです。傭兵の件」

 タマユラ地区で情報源になりそうな人物との接触を持てた事を伝える。近いうちに、何らかの情報が入手できるだろう。そう言ったエリックは、ジュンコの視線が別の方に向いている事に気付く。

 視線の先には、女性をエスコートして歩くキリルの姿があった。そんな彼に、ジュンコは心底驚いた表情をしている。

「あの女性は?」

「南千住の飲み屋のねぇちゃん」

 パーティーは婦人の同伴が必要なのだ。エリック達情報部員も、パートナー探しには難儀していた。実際、パートナーの見つからなかった数名は、ウェイターやコックとして会場に入っている。

「俺ももう少し熱心に夜遊びしとけば良かったですよ。そしたら姐さんを連れなくて済んだ」

 ジュンコはその言葉を聞き流す。彼女としても、このような場に出席できる事は大きなチャンスである。男の軽口など、いくら聞こうとお釣りが出るほどリターンは大きい。ジャンク屋という商売を続けていくためには、一にも二にも情報なのだ。

 

 

 

 

 

 煌びやかな衣装が舞っている。ホールではダンスが催されていた。ただでさえ、こういった浮ついた雰囲気は苦手だというのに、さらにダンスである。キリルの気持ちを察したのか、マリアはそっとホールを出るように促す。

 キャバレーの安っぽく扇情的なだけの服ではない、きちんとしたドレスを身につけた彼女は、ただ美しかった。結い上げられた髪から視線を落とすと、うなじから背中にかけての艶かしいラインが眼に入る。照明に映える肌は艶めき、淡い色の口紅とともに魅惑的な表情を作っていた。

 任務は、今後の活動に備えて、パーティー出席者との接触を持つ事である。だが、彼女とこうして腕を組んで歩いているだけで、そんな事は忘れてしまいそうになる。

「会場は、ここだけじゃないのね」

 マリアの声に、キリルは我に返る。ダンスの始まったホールだけではなく、他の小ホールもパーティー会場だった。そちらに足を向けるのは、キリル同様にそういった社交事に慣れていない人達である。

 愛想笑いの仮面をつけ、定型の美辞麗句だけを並べる会話劇を政治というのであれば、そんなものはプラントに不要である。連合との国際政治を通じて地球圏の安定をもたらすなど、この茶番によって成し遂げられる事ではない。コーディネーターの能力は、そんな事のためにあるのでは無いはずだ。キリルの表情は固くなる。

「不機嫌になるのはお腹が減った証拠よ」

 小ホールでも食べ物が供されており、マリアはキリルの分を皿に盛って差し出してくれた。ローストされた牛肉を口に運びながら、彼女の微笑みを見つめる。きっと、この場にいる女性の誰よりも美しく、誰よりも聡明な女性だ。

 小ホールにも人はけっこういるのだが、向こうのように大声でしゃべったり笑ったりしている人はいない。アイドルが人の間を縫うように移動し、挨拶を繰り返すわけでもない。多くはパートナーと壁際に設えられた椅子に座るなどして、静かに話しているだけだ。

 キリルはマリアの手を取って、空いている椅子を探す。ホールの隅のピアノの陰に、場所を見つけた。手にしたグラスを触れ合わせ、そっと口を付ける。シャンペンの泡が、香りとともに弾けている。

 一応はアイドルのコンサートに関わった人達への謝恩パーティーであるため、BGMにはそのアイドルの曲が使われていた。丁度、曲の継ぎ目なのだろう、BGMが途絶えて、ホールが少しだけ静かになった。

「君の歌の方が・・・素敵なのに」

 そんなキリルのつぶやきが聞こえたのだろう、マリアはホールの責任者らしき者に声をかけた。そして、ピアノの前に座る。静かな音がホールに染み渡っていった。

 人々の視線がその音に集まり、その耳が歌へと傾けられていくのが分かる。

 マリアが故郷の歌だと言っていた曲。言葉は分からないが、その声は胸の奥に沈みこむように伝わってくる。キリルは目を閉じ、彼女の歌に心を委ねた。

 最後の音がホールの空気に溶け込むと、人々は自然に手を叩いていた。歌と同じように、静かに染み入るように拍手が響いている。少し恥ずかしそうに一礼するマリアに手を差し伸べるキリルは、何故か誇らしい気持ちで一杯だった。

 

 

 

 

 

 拍手の音で、曲が終わった事に気付く。もう少し長く、その余韻に浸っていたいと思ったのだが、芸術を遺伝子の奥底で感じる事の出来ない人間にとっては、音の終了が音楽の終了なのだろう。

 連れの男に手を引かれるようにしてピアノの前から立ち去った女を、ハニス・アマカシはじっと見つめている。僥倖とは、こういう事を言うのだろう。額を指で叩きながら、今にも弾けそうな自分を落ち着かせる。

「ハーモナイズコミュニティ・・・」

 彼は組織の名に込められた意味を反芻する。

 彼はもともと、オーブにあったターミナルの研究施設で育ったコーディネーターである。武装闘争路線をひた走る主流派とは距離を置いていた研究機関であったため、ターミナルが壊滅した後も細々と研究が続けられていた。ツクバに来たのは、SEEDコンバーターやSEED因子に関する研究の実証データを入手しつつ、研究資金などの提供を受けるためである。

 今のところは、大きな問題も無いようだが、今後のトウキョウ情勢の如何によっては、どうなるか分からない。研究者達も、現在の研究環境が失われた時にどう行動するかの算段は、今のうちから考えているのだろう。

 しかし彼は、そのような事に興味は無かった。研究者は詳細なデータや客観的な証拠が必要なのかもしれないが、ハニス個人にとってSEEDの発現は紛れも無い事実であり、ラクス・クラインやミーア・キャンベルの声が、その発動条件となっている事も事実である。彼自身にとっては、それで十分なのだ。

「その声は・・・世界にあまねく響くもの」

 平和の歌を歌う事をやめ、剥き出しの力に魅入られた者達は、結局ナチュラルの猿真似の政治の世界に沈み、愚かな失敗を犯した。ターミナルは、ただの陰謀組織と成り果て、より強大な力にねじ伏せられるだけであった。

 自らの想いをかなぐり捨て、力のみで世界に対峙した者の当然の結末であり、ハニスはただ冷たい失笑しかしない。

「こんな歌ですら、世界を揺さぶれるんだ」

 船内のBGMとして流れるアイドルの歌に、ハニスは愉快そうな表情を見せる。最近のものは、組織が提供し歌詞も曲も綿密に設計されたものであるが、ハニスの頭には何ら響かないものである。ツクバが開発した、非可聴領域まで再現できるスピーカーを使用しても同じである。生の歌を聴いた時もそうであったのだから。

 だが、この歌がトウキョウで静かに鳴動している事は確かである。人々の心に確実にハーモナイズコミュニティの想いを伝えているのだ。

 もしこれが彼女の声であれば、ハニスはそう夢想する。

 人々の心の奥底に、まだ眠る人としての可能性。それを目覚めさせる歌。その時、人は本当の意味での進化の時を迎え、コーディネーターはジョージ・グレンが語ったように「調整者」となるであろう。

 ウェイターが差し出すグラスを受け取った。一瞬、そのウェイターと目が合う。相手は、何かにたじろいだように体を震わせ、それを誤魔化すような丁寧なお辞儀をして離れて行った。

 ハニスの瞳は、底を失ったように深く深く光っている。

 

 

 

 

 

 このパーティーの会場にグレートバリアリーフ号が選ばれたのは、船自体の宣伝も兼ねられているからである。汽笛が二度鳴らされ、船が岸壁を離れる事が伝えられた。海上からトウキョウの夜景を眺めるのだという。招待客の多くはそのまま船に一泊する予定であり、豪華客船の乗り心地を堪能できるという触れ込みだった。

 ザフトの調べでは、船会社にも大洋州にもターミナルの影は確認されず、正規の契約によって船を借り上げたようだ。資金の出所が問題だというエリックのつぶやきに、それを調べるのはあまり意味が無いと男が答えた。

 特徴の無い外見だが、財界では知らない者がいないと言われる、上海第七銀行の元頭取であるカヲ・ツォピン。ジャンク屋に対する極秘融資の案件について、ジュンコと話していた人物だ。

「ターミナル系の資金ルートは、連合とプラントの金融当局が既に洗った後です」

 その後に同様の資金ルートを構築しようにも、市場には監視の目が張られているという。おそらく、全く異なる資金の集め方、動かし方をしているのだろうと。

「ネットのコミュニティを利用した小口の募金や協賛金、そういったものを無数のサイトで少しずつ集める・・・とか」

 かつてのように、核搭載MSを不法に運用するような集団とは、全く異なるのがこの組織だ。その資金も、組織形態に合わせたものとなるだろう。クレジットカードと連動したワンクリック募金のような形で集められる資金をいちいち把握し、その一つずつを抑えたり止めたりする事は不可能である。

 エリックはつまらなそうな顔で、グラスを煽った。ハーモナイズコミュニティなる組織が、敵性の組織であるかどうかも現時点では不明確であるが、不気味さだけは増した感じだ。

 カヲが時計を見上げて立ち上がる。宿泊をしない一部の招待客は、船が動き出す前に降りなくてはならないのだ。ジュンコとエリックも立ち上がった。

「降りるのか?」

「姐さん、泊まりじゃないんだよ。流石に送ってかにゃなるまい」

 キリルに聞かれたエリックがそう言う。そして、そのまま外泊するから一晩部屋を使ってもいいぞと付け加えた。

「!? 何にだ!」

「何って・・・ナニだよ」

 ここまで来て立ち止まる必要がどこにあると言って、エリックはキリルの肩を叩いた。そしてニヤッと笑うと、待っているジュンコのところに小走りで去っていった。取り残されたように立ち尽くすキリルは、後から掛けられた声に肩を震わせた。

 マリアが不思議そうな顔で見つめてくる。彼は思わず視線をそらせた。

「夜景・・・見ていかないのか?」

 部屋ならある、それを言うのに、どれほどの勇気を振り絞っただろう。そのかすれた声を、彼女はちゃんと聞き取ってくれた。

 

 

 

 

 

 東京港の日の出桟橋が見渡せるビルの一角では、東アジア軍諜報機関がグレートバリアリーフ号を監視していた。船会社のピーアールのために、長期の停泊を行っているという話であり、現に富裕層向けの広報宣伝活動を行っていた。今回のパーティーも、その一環という事だろう。

 だが、その船を隠れ蓑にザフトの諜報機関がトウキョウで何らかの活動を行っている事はほぼ確実であり、パーティーの主催者はハーモナイズコミュニティという半分はアングラのような組織である。監視の目を厳しくするのは当然であろう。

「嫌な感じだ・・・嫌な」

 ユ・ケディンは、報央社の記者としての記事を書きながら、グレートバリアリーフ号を眺めていた。トウキョウでのライブを成功させたプラントの歌手が、東アジアの政財界関係者を招いてのパーティーを開いたという、どうでもいいベタ記事であった。社として招待されていれば良かったのだが、あいにくとライブに協力的ではなかったのだ。

 書き上がった原稿を電送すると、双眼鏡を覗く。パーティーから帰る客達を乗せたタクシーが長い行列を作っており、船は丁度岸壁を離れたところだった。メガネを外して目頭を強く押す。

 軍による特別居留区攻撃は間近に迫っている。上層部は、それによって事態を一挙に好転させるつもりでいるようだが、ケディンにはそこに引っかかりを覚えるのだ。

 確かに、都心部での爆弾テロや利根川を越えてのロケット弾攻撃など、特別行政区の治安情勢には日本軍やその協力者が大きく関わっていよう。だからこそ軍は、その排除を目指している。

 だがケディンが調べれば調べるほど、その調査内容から日本軍の姿が消えていくのだ。それが、引っかかりを覚えさせる。

 善隣幇、菱丘組、ハーモナイズコミュニティ、さらにはツクバを通じた日本自治政府の動きに、区内各企業の労働組合、そしてタマユラ地区。軍が目を向けないそういった要因が、ケディンの調査の中には現れていた。

 それらは、明確な繋がりを持つわけではなく、淡い糸のようなもので緩く繋がっている。だから糸を手繰って調査を進める事が困難なのだ。手繰ればすぐに切れてしまう。

 しかし、それらは決してバラバラに存在しているわけではない。トウキョウの奥底に流れる「何か」によって、間違いなく繋がっている。その決定的な「何か」が見えてこないのだ。トウキョウの街は、今日も平穏な様子を保ったままだった。

「東京・・・」

 ケディンはパソコンを弄り、雑誌の記事を検索した。月刊のオピニオン誌の次号予告の中に『トウキョウと東京』というタイトルの記事を見つけた。タマユラ地区の小さな出版社が出している雑誌であるが、そのタイトルの意味は深い。

 トウキョウ特別行政区において、「東京」という日本語での発音は一切認められていない。それは検閲の対象であり、テレビやラジオでも徹底して行われている事だ。だが簡体字ではない漢字で「東京」と表記されるものは、日本語で発音するものと考えるのが、トウキョウに住む人間の感覚であった。

 ケディンは「何か」に触れたような感覚を覚える。

 

 

 

 

 

 客室のランクとしては一番格下の船室であるが、下手なホテルよりずっといい部屋である。小さいながらもシャワーが設置されており、照明を少し落とした部屋には、その音が響いているのだろう。キリルはカランを捻った。

 静かになったシャワールームは、それだけで緊張感を際立たせる。鏡に映る金髪の男は、熱いシャワーを浴びたにも関わらず、青い顔をしていた。拭き終えてしまった体を持て余すように、バスローブを羽織った。

 シャワールームのドアを開けて視線を巡らせる。ベッドには同じバスローブを羽織ったマリアが腰掛けていた。彼女は彼を安心させるかのように、微笑んでいた。

 ぎこちない自分を省みる余裕すらない。せり上がって来そうな心臓を飲み込むように、テーブルのコップを掴むと、中の水を飲み干す。

「その・・・」

 沈黙を嫌うように声を出したキリルを咎めるように、マリアはバスローブを床に落として立ち上がる。何も身に着けていない美しい裸身が、彼の目の前に現れる。彼女は彼の目の前に立ち、すっと手を伸ばした。

 両手を首の後ろに回すような仕草で、彼のバスローブに手をかけ、それを床に落とす。そして、そっと彼を抱き締めた。

 その優しく柔らかい行いに、彼は自身の中に湧き上がってくる熱い愛を自覚する。彼女を強く抱き締め、その唇を吸う。彼女をベッドへと横たえ、その香りと味を確かめるよう、全身を愛撫する。

 柔らかな胸の固い頂きへの口付けを止める事が出来ない。彼女の口から漏れる吐息が、彼の胸を震わせた。

 その滑らかな肌に手を滑らせると、その終着点には淡い茂みと熱い潤みがある。彼女の微かな動きに促され、そこに触れ奥を目指す。薄く目を開いた彼女と、視線が絡まる。何かを訴えるようなその視線に、彼は彼女の足を押し開いた。

 痛みとともにその存在を誇示するような自分自身を、彼女は拒む事無く導いてくれる。熱く抱き締められた彼自身は喜びに打ち震え、更なる喜びを彼に要求する。激しくなる動きに、彼女の吐息が喘ぎ声に変わった。

 彼女の手足が彼に絡みつき、喘ぎ声の中で彼女は彼の名を呼んだ。

 その声は彼の心を打ち、駆け上がってくる感覚が弾け飛んだのを感じた。繋がったまま溶け合う体を感じながら、キリルはマリアの顔を見つめた。

 上気したまま微笑む彼女に、彼は込みあがってくるものを抑えられない。カーテンの隙間から見える外は、まだ夜景の瞬く夜である。




 次回は、水曜日を予定しています。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。