歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第九話  秘密

 高速道路情報を伝えるラジオは、道路に埋め込まれた装置からNJでは阻害され難い周波数帯を使って発信されるので、極めて感度が良い。キリルはナビゲーションを操作して、道路情報を照合する。関越道に交通規制が掛けられているのだ。

 その規制区間は時間ごとに更新されており、工事にしては少し妙なものであった。エリックは走行車線に車を戻して言った。

「どっかで下道に下りるか」

「いや・・・規制区間に追いつけるか?」

 キリルの言葉に、エリックはニヤッと笑う。規制理由が予想通りなら、追いついても面白いかもしれない。彼がアクセルを踏みなおすと、車は驚いたように加速する。アスラーダを舐めんなよ、と振り切れそうなメーターに怒鳴るエリックに、キリルはため息をついた。高速道路にも法定速度は定められているが、この車を捕まえる事は出来ないであろう。

 そんなものを置いていたレンタカーの店をエリックが面白がって、電車で戻る予定を車に変えたのだ。だが、彼の気まぐれが役に立つ事もある。

 先の道路が規制されている事を知っている他の車は、次々と高速道を降りていく。そのため、二人の乗る車は遠慮なくスピードを上げる事が出来た。ようやく西の空に傾きはじめた太陽の光は、まだ明るい。

 

「あれは、立体映像か何かか?」

 軍用トレーラーの車列が、高速道の規制区間を南下している。先頭車両の運転手は、バックミラー越しに見えた物の事を聞いた。助手席の男が後続の車両に確認を求める。よく知っている道であるが、あんなものがジャンクションに飾っているのを今まで見たことが無い。悪趣味な紫色をした四本足の栗に、棘が生えているような姿だ。毒々しい夕日に照らされ、その姿が揺らめきながら現れたり消えたりしている。

 次の瞬間、棘の一つが火を吹いたのが見えた。加速粒子の閃光は後続のトレーラーの列をかすめ、その上に掛かっているカバーを発火させた。樹脂の焼ける臭いと黒い煙の下、荷台に寝かされていたMSがその姿を現した。

 急停車する車列の前に、一機のMSが姿を見せる。六対のスタビライザーを羽のように広げているMSが、音もなく路面に降り立ったかに見えた。だが一番先頭のトレーラーを運転している者は、その機体が足を路面に接触していない様子を目撃していた。文字通り、浮いているのだ。

 随伴していた車両から自動小銃を構えた兵士が降り立ち、一斉に発砲を始める。寂しい音を立てて装甲に当たる銃弾は、ゆっくりとその数を減らしていった。一人、また一人と兵士が倒れていくのだ。

 自分達が狙撃の的になっている事に気付いた兵士達は、慌てて遮蔽物を探す。だが、運良く遮蔽物を見つけた者は、逆にその遮蔽物の裏で殺された。不気味で一方的な戦闘が終わった事に気付いたのは、ただ一人生き残っていた兵士であった。

 恐慌を起こしそうになった彼を救ったのは、ようやく動き始めた味方のMSの姿であった。トレーラーの荷台から起き上がったMSは五機。安堵の息をついてその場にへたり込んだ兵士は、そのまま何かに押しつぶされるような形になって死んだ。

 

 

 

 

 

「これは、はめられたんじゃねぇか!?」

「マグナルド大尉、援護を!!」

 そのまま引き返そうとしていたヒューは舌打ちをした。ニイガタからヨコタに向っていた増派部隊の一陣が、謎のMSに襲撃されたとの情報にスクランブルが掛かったのだ。三機のウィンダムⅡを率いて駆けつけたのだが、すでに友軍機が五機、破壊された姿で高速道路を塞いでいた。

 そして謎のMSに突っ込んでいったウィンダムも、一撃で破壊された。まるで刃物で切ったように綺麗な真っ二つであった。ヒューはビームライフルを乱射して残った二機を散開させる。

「シャンディエン・・・あれが隊長機だな」

 東アジア製の新型というライブラリーの照合結果に、ハニス・アマカシはエヴィデンスのコクピットの中で舌なめずりをした。腰の引けている二機のウィンダムと違い、隊長機は確実に後退できるチャンスを探すような動きだ。久々にまともなパイロットに出会った気がする。

 どこまでも深く澄んだ紫の瞳が、モニターの中のMSに狙いを定めた。エヴィデンスは背中の翼を羽ばたかせる。次の瞬間、旋回中のウィンダムの真正面にエヴィデンスが現れていた。近接防御がオートで作動し、ウィンダムの頭部の機関砲が発射される。

 しかしその機関砲弾は、エヴィデンスの眼前で次々と押しつぶされ下に落ちていく。まるで透明の壁がそこにあるように、砲弾が空中で止められるのだ。パイロットの悲鳴とともに、ウィンダムの手が振り払われる。

 だがシールドを持った手がエヴィデンスに当たる事は無い。コンクリートの壁を思い切り殴ったような衝撃とともに、ウィンダムは弾き飛ばされる。追い討ちを掛ける素振りを見せたエヴィデンスの目の前を、ビームが遮った。高速道路に降り立ったシャンディエンが、ビームライフルを構えている。

 当たるコースではなく目の前にビームを撃つセンスに、ハニスは感心した。直撃コースであれば弾けば済む。だが目の前をビームが過ぎれば、反射的に動きを止めてしまうものだ。

「ありえない光景に順応するのが早いパイロットだ・・・」

 ハニスは笑ってレバーを引く。エヴィデンスの腕が振るわれ、道路上のトレーラーが次々と引き千切られるように切断されていった。高速道路の遮音壁が根こそぎ吹き飛ばされるが、シャンディエンはその攻撃をかわしていた。

 それでも左足の足首から先が消えてなくなっている。ヒューは苛立たしく舌打ちをした。攻撃方法も防御方法も全くもって不明だ。戦場はいくつも見ているが、オカルトの類を見たのは初めてだった。

「たっ! 助けっ・・・!」

 雑音の奥から一瞬だけ悲鳴が聞こえた。ヒューがモニターを見回すと、上空のウィンダムが全身から煙を上げている。既にスラスターは機能を停止しているのだろう、噴流炎も見えなくなっている。

 にもかかわらず、ウィンダムは上空で静止していた。機体が奇妙な形に歪んでいく。まるで周囲全体から圧力を掛けられるように、手足は捻じ曲がり頭部は押しつぶされる。無線から聞こえるのは、コクピットの内壁が徐々に狭まっていく様子にパニックを起こした兵士の絶叫だった。

 パイロットもろとも押しつぶされたウィンダムが空中で爆発する。ヒューは、無表情のはずのMSが真っ赤な光の中で笑っているのを見た。

 

 

 

 

 

 電気がスパークを起こす音に、高熱に焼けた樹脂がくすぶる音。燃えた機械油の臭いに、水素吸着素材独特の臭い。宇宙では静謐さすら漂う戦闘後の空間は、地上ではその行為の醜悪さを示すような感覚で満たされている。

 路上には乾いた血溜りが無数に広がり。目を閉じる暇もなく死んだ兵士達が、そのままの姿で転がっていた。エリックは大仰な仕草で肩をすくめて、キリルのもとに近づく。生存者を見つける事は出来なかった。

「どうやら、あなただけのようだ。生き残ったのは」

 キリルは横たわったままのパイロットスーツの男に、そう告げた。黒い肌に映える白い歯を見せて、男は顔をしかめるように笑う。応急処置は施しており、傷も命に別状の無いレベルだった。機体を特攻させると見せかけて自爆させ、自分はその直前にコクピットから脱出したのだ。

 それでも、骨の二三箇所は間違いなく折れていると確信できる。応急パックの鎮痛剤が切れる前に救助されたいものだと、ヒューは言った。そもそもあの怪物相手に、よく生き残れたものだ。何度か怪物じみた相手は目撃した事もあるが、あれは全く別次元の何かであった。

 速いとか強いとか、そういった物理的な力ではない。もっとオカルトめいたものを感じるのだ。それに比べたら、交通規制区間に入り込んだ二人組みの男など、不思議でも何でもない。

「・・・君らは、ザフトか何かか?」

 その身のこなしをみれば、コーディネーターかナチュラルかの見分けくらいはつけられる。ティーンエイジャーであろう顔立ちに、不相応な態度と言葉遣い。それらを勘案すれば、彼らがザフトの諜報員の類だという事は、同業者として感覚的に分かる事だ。

 何もいわずにその場を離れていく二人の姿は、その感覚が正しい事を示しているのだろう。特徴的なフォルムの車が、静かなモーター音とともに遠ざかっていく。

「あのオッサン、すげぇな」

「それよりもあのMSだ」

 二人が再びトウキョウに派遣されたのは、謎のMSについての情報を集めるためだった。その戦闘を間近で見られるなど、願ったり叶ったりの事態であった。だがあの光景は、それが見られた事を幸運だとは思えないものであった。安物のバラエティ番組に出てくる超能力者のように、あのMSは手を触れる事無くMSを破壊する。

 それの調査を命じたという事は、ザフトはあのMSについて何かを知っているかもしれないということなのではないか。あのデザインは、まさしくザフト製である。

「・・・フリーダムって知ってるか」

 エリックがつぶやくように言う。その単語はザフトでは一種のタブーとなっている言葉であった。毀誉褒貶の激しい機体であるが、それが圧倒的な戦闘能力を有していた事を認めていないのは公式発表だけである。

 エリックはさらに続けた。あの機体に搭載されていた特殊装置について知っているかと。今や公然の存在であるNJCではなく、未だにその正体すら不明確な装置が積み込まれていたと言うのだ。

 奥歯に物の挟まったような言い方をするエリックに、キリルは焦れたように話を促す。

「SEEDコンバーター、そう呼ばれていた装置が存在したそうだ」

 

 

 

 

 

 それはもともとエヴィデンス01に関する研究の過程で、偶然に発見されたものであった。その生物らしきものが、いったい何であるのか。化石から得られた情報をもとに、様々な研究が行われていた。その研究の一つに、構成組織に関する研究があった。

 宇宙空間において生命活動、またはそれに類する物理化学現象を発生させるためには、どのような物質で構成される必要があるのか。化石の分析からそれを解明しようというアプローチとは逆に、様々な金属や高分子から宇宙空間における生命活動を可能とする物質を見つけ出そうという研究も行われていた。

 その研究の途上で、特殊な無機超高分子が発見された。木星の強い重力を再現する事によって作られるその高分子は、時折謎の物理現象を引き起こすのだ。

「それはあたかも、万有引力に対する斥力とも呼べるもの。全てのものが引き合う力ではなく、全てのものを拒絶する力」

 ミツネ・ササの論文は、抑えられない興奮に、時折表現が小説のようになる。チン・ヤンチャンは、若い彼の情熱をもはや微笑をもって眺める事しか出来ない。

 その現象が測定のミスなどによるものではないという事が判明した頃には、既にナチュラルとコーディネーターの対立は抜き差しならぬものとなっており、連合各国とプラントとの共同研究であったエヴィデンス01に関する研究も、中断を余儀なくされた。一部研究者は、中立だったオーブへと降りて研究を続ける事になる。

 そしてオーブにおいて、その無機超高分子がSEED現象の発現に呼応して、謎の物理現象を発生させる事が判明したのだ。

 それをもとに作られたのが、SEEDコンバーターと呼ばれる斥力発生装置である。この装置は、初期のGAT-Xシリーズの一機に極秘搭載され、至近距離でのMSの自爆からパイロットを守るという奇跡的な成果を生み出した。

 この装置はその後もモルゲンレーテとターミナルで共同研究が続けられ、かのフリーダムにも搭載される事となった。しかも緊急時のパイロット保護機能だけではなく、高機動時に発生する慣性重力の制御、機体そのものを保護するバリア、斥力を利用した推進システム、そして機体各部の駆動系に至るまでSEEDコンバーターは使用されることとなる。

「未だ、斥力を生み出すという現象しか知られていないにもかかわらず、その装置は使用され続けている。だが科学者が追うべきは、その使い方ではなく、ただその『理由』だ」

 ミツネはその斥力の発生について、大胆な仮説を提示していた。超高分子の構造が、量子論的不確定性をマクロレベルで生じさせるのではないかと。それによって、現在我々の存在する時空とは異なる時空が転移し現出する。

 さらにその時空がこちらの時空とは逆に、負の質量を生み出す『反』ヒッグス粒子によって満たされているため、現出した時空が斥力を生じさせるのではないかと。おそらく、あちらの時空にはこちら側の時空に満ちるヒッグス粒子が質量と重力を生じさせているのであろう。なお、現出した空間が有している斥力が吐き出されてしまうと、その空間は安定的に存在できずに消滅する。

 SEEDコンバーターが発生させる斥力が、距離の二乗に反比例する事は測定されており、それがこの仮説を強力に裏付けるものだとしていた。

 さらに、その無機超高分子の構造をフラクタル幾何の一種を使って解析すると、その結果は人間の脳神経系の解析結果と近似する。これは、SEED現象と斥力発生に因果関係が存在する事の何らかの理由となりうるだろうと仮説されている。

 ミツネの仮説はさらに大胆に飛躍する。

 この無機超高分子はエヴィデンス01も有していたのではないか。別次元から膨大な斥力を取り出すこのシステムは、宇宙空間を移動する際に唯一といっていい推進システムとなる。必要なエネルギーは、コンバーターを起動させるための何らかの脳神経活動だけなのだ。

 あの鯨は人間の脳神経系と同様の組織を有し、その力で無機超高分子による斥力の発生を行っていた。それによって宇宙空間を自由に航行し、かつ人間と同レベルの精神活動も行っていたのではないか。

「SEED現象、及びSEEDコンバーターの研究は、人類が無限の大宇宙に乗り出すために必要不可欠となる技術である」

 分野の違うヤンチャンにとって、この仮説がどの程度まで研究の価値があり、どの程度まで荒唐無稽なのかは分からない。だが、これを書いた人間が研究において優秀であり、学問に対して誠実なのは知っていた。

 だからこそ、この論文の意義を正確に理解し支援してくれる人間が出てくれる事を願って止まない。ツクバは、かつての学園都市では無いのだ。ここはトウキョウ特別行政区を望む日本自治区の最前線であり、特別行政区内への様々な工作を行う拠点である。

 エヴィデンスと呼称されるMSは、自治政府による対特別行政区工作の一環として運用されている兵器に過ぎなかった。

 フリーダムに搭載されていたSEEDコンバーターは起動も出力も不安定で、あくまでもサブシステムとして搭載されていたに過ぎない。パイロットも自らのSEED発現を完全に任意で行うレベルには至っておらず、コンバーターの機能を十分に発揮できる状態ではなかったのだ。

 しかしエヴィデンスは、SEEDコンバーターをメインのシステムに採用している。通常のバッテリーはコクピットやセンサーを動かすためのものであり、機体そのものはコンバーターが生み出す斥力を利用して動くのだ。

 武装もなければ、装甲は発泡金属すら使用していない。それでも、あの異常な性能を見せることが可能なのだ。

「そんな成果、何の役にも立ちはしない・・・」

 軍事研究の場で純粋な学問的成果が現れる事は珍しい事ではない。だがそれが、不幸な事である事に違いは無いはずだ。ヤンチャンは、論文の束を静かに机に置いて嘆息を漏らす。

 

 

 

 

 

 川を一本、壁一枚を隔てただけで、ここまで違う光景が広がる。旧世界などと呼ばれる日本人特別居留区は、トウキョウの中に存在する異世界のようだ。違うのは、ここに住んでいる人達はみな実体があるという事だった。

 再構築戦争と日本自治区、トウキョウ特別行政区の成立。その狭間に生まれたのが、日本人特別居留区である。ここが旧世界と呼ばれるのは、まさにここにだけ旧世紀の枠組みが残っているからだ。ここの住民は、全員が東アジア共和国の国籍を有していない。すなわち「日本人」なのだ。

 大西洋連邦の基幹となった国はもともとが移民の国であり、国家と民族や人種をイコールで結ぶ考えを持っていなかった。ユーラシア連邦の主要構成国は、一世紀以上の時間をかけて国民国家を解体し、ヨーロッパ市民という概念に基づく国家を作り出した。だが、東アジアは違った。

 一部の人々の中では、国民というイデオロギーは強固に残り、国民国家という十九世紀の概念を墨守し続けた。東アジアには、ここ以外にも再構築戦争前の国民の名を冠する特別居留区が複数存在する。

 そのどれもが、同じような姿をしていた。ヨシトは、カズヤの後についてトンネルから顔を上げた。

 埃色の空気の中に、瓦礫で覆われた地面が見える。建物はどれも壊れた外壁が残るばかりである。辛うじて建物の形をしている物は、どれもコンクリートブロックを積み上げてセメントで塗り固められただけであった。

 廃材とビニールシートだけで作られたようなテントや、瓦礫を組んでセメントで固めただけの家、錆でボロボロになったコンテナハウスや、プレハブの仮設住宅が無造作に立ち並ぶ街。それは人の生活が存在する証拠であり、最底辺の生活を余儀なくされている事の証拠であった。

 道路は陥没と爆撃跡でその用を果たさず、瓦礫の山を上り下りしながら前に進むしかない。昨晩も小さな空爆があり、何発かの爆弾が投下されていた。

 タマユラ地区から分離壁下のトンネルを通って、ヨシトとカズヤが特別居留区にやって来たのは、日本軍に対する取材が目的である。危ない橋である事は確かだが、安全な報道などこのトウキョウで行う理由は無い。

「司令官にお会いしたい、アポイントは取っているはずだ」

 カズヤが両手を上げて言った。銃を構えた男達が、慎重のその囲みを縮めていった。執拗に繰り返されるボディーチェックを経て、二人は司令部と呼ばれる建物に案内される。元は駅ビルだったのだろうその建物は、地上部分は崩れているが地下部分は比較的綺麗に残っていた。

 この特別居留区の生活を支えているのは日本軍であり、彼らは東アジアが断じるような単純なテロリストではない。物資の配給に病院の設営、学校の建設に至るまで、日本軍とそれに関連する団体が行っている。支援組織は、日本自治区のあちこちにあり、資金や物資はそこからの寄付という形で送られてくるのだ。

 様々な反東アジア組織が結集して組織された日本軍に、明確な指揮命令系統が存在するのかどうか、それすらよく分かっていない。空爆のたびに指導者の殺害に成功したという発表は行われるが、組織が壊滅したという話は一切聞かない。目の前にいる禿頭の男が、どのようなレベルの司令官なのかを知る術は無いのだ。

 疑わしげな目を向けるヨシトをよそに、カズヤは愛想よく司令官と握手をした。そして、彼らの主義主張を熱心に聞き流す。

 彼らが訴えるのは日本独立の一点である。細部は派閥ごとに異なるとはいえ、その部分に関しては一致している。だからこそ、日本軍という統一組織が存在できているのだ。だから今さらそんな主張を聞く必要性は無い。

 二人がここまで足を伸ばしたのは、トウキョウ特別行政区の動きに、彼らがどこまで関与しているかを知るためであった。

「・・・MS、ですね?」

「それに関しては肯定も否定も控えさせてもらおう」

 ヨシトの問いに、司令官は自信たっぷりに言った。日本軍が、武装の強化を推し進めている事は間違いないようだ。だがそれを、彼らが戦略性を持って主体的に行っているかは別の話だった。今までどうしても手に入れる事のできなかったMSが、何故今になって入手できたのか。それが彼らの努力の成果とは思えなかった。

 たいした情報もなく、二人は司令部を後にした。表に出ると子供達が瓦礫を遊び場にしていた。戦争ゴッコに興じている彼らは、五年もすれば日本軍の兵士として実際の戦争をするようになると思うと切なくてならない。

 

 

 

 

 

 足のがたつく折りたたみ式長机を押さえながら、発表内容がメモされていく。小さな会議室は人で一杯であった。スグル・ハタナカは、ペットボトルのお茶に口をつけると一息つく。

「以上が、ヨコハマにおけるリ氏との会談内容です」

 トウキョウの労働組合を統括する連合会の幹部会が、浅草の雑居ビルで行われていた。内容は、リ・ウェンとの会談の検討と今後の活動方針であった。リの経営する会社は、何社かがトウキョウに進出しており、その会社の労働組合を通して、多額の活動資金を援助すると申し出てきたのだ。

 まずはその事が紛糾の種であった。会社の経営陣に対して、社員の権利拡充を要求する労働組合が、事もあろうにその経営者から資金をもらうなどもっての他という筋論である。それは組合を弱体化させるための罠ではないのかというのは、もっともな見方であろう。

 しかし、それ以上に問題となっているのが、そもそも何故そのような申し出を行ってきたのかという事である。別の者が、調査結果を述べる。

「調査は続行中である事を念頭にいれて置いてください」

 リ・ウェンに関する調査の中間報告であるのだが、その内容は非常に曖昧なものであった。ヨコハマに拠点を置いて多数の企業を傘下に治める持ち株会社の代表であり、同時に善隣幇と呼ばれる華僑マフィアのボスである人物。そして根っからの反東アジア主義者であった。

 最近では、自分達以外にも様々な組織との接触が繰り返されているようであった。つまり、今回の資金提供の申し出も、他の組織との接触と同じ目的を持ってなされているという事である。

「独立・・・か」

 参加者の一人が聞こえるようにつぶやいた。接触を図っている組織や、リ・ウェンの思想信条などを勘案すれば、彼の目的がそこにある事は明白であろう。だとすれば問題は、自分達も同じ目的を持つ団体であると思われている事である。

 確かに、反東アジア活動家への支援なども行っていたりするが、それは決して主要な目的ではないはずだ。あくまでも各業種各企業における労働者の権利を擁護するのが、労働組合の目的であった。

 現在の特別行政府による統治体制に不満がないわけでは無い。だが、それを一足飛びに独立要求とするかは、全くの別問題である。ましてや、マフィアやテロリストと提携して、何らかの行動を起こそうなどとは考えていない。

 活動資金は欲しいが、それによって何らかの無理な要求がなされるのであれば、申し出を断るべきであろう。スグルは、会議の方向性を頭の中で組み立てる。

 労働組合といっても、その色合いは様々であり、リ・ウェンの考えに賛同を示す組合も一定数は存在する。行政府や東アジア中央政府に対して強硬な姿勢を示す組合は、少なくないのだ。

 そういった組織に会議の主導権を握らせないためにも、先手を打って軽い妥協案とパッケージになった先送り案を提示する。こういう手法は組合であろうと、勤め先であろうと有効なのだ。

「では、リ氏に関しての詳細な調査結果を待った上で、資金提供の申し出を検討する会議を設置するという事でよろしいでしょうか」

 積極的な賛同も反対も無い。それを消極的な賛同として処理するのが、会議のまとめ方である。スグルは検討会議の準備メンバーに、穏健な組織の代表者を数名指名する。これでとりあえずは、何かが決まった事になる。

 バラバラと出席者が帰っていく会議室で、彼は独自の情報収集の必要性を感じていた。

 

 

 

 

 

 再構築戦争後、地球連合の発足に伴い地球圏の公用語が定められた。さらに各国ではその国の公用語が定められ、少なくとも中央政府ではその言葉を話す事が推奨されるようになった。

 だが各地域の言葉が消える事はなく、コズミック・イラでは母語としての地域公用語と中央の公用語、最低でも二つの言葉が話せるバイリンガルである事が普通であった。今の子供であれば、これに連合の公用語を加えたトライリンガルである事も珍しくはない。

 現在、日本自治区の地域公用語は日本語であるが、イントネーションに少し変化が生じていた。

 トウキョウが中央政府の直接統治であるため、自治政府の首都はオオサカに置かれているのだが、その影響で従来オオサカの方言であったものが公用語に混ざりつつあるのだ。

「ありえへ・・・ありえない事です」

 資料を手にした男性がそう言いなおして椅子に座る。自治政府行政院の院長官房室に、数名の自治政府高官が集まっていた。ツクバから送られてきた報告書に関する検討会議である。東アジア軍のMSを9機撃墜したという情報は、房総半島における砲撃事件以上の衝撃であった。

 彼らに要請したのは、あくまでも東アジア軍に対する揺さぶりであり、トウキョウの情勢を適度に不安定化させる事であった。自治政府も日本軍に対する支援を行っているが、それも同じ理由で行われている。

 だが今回の事件は揺さぶりどころの話ではない、完全な挑発である。人選に問題があったと考えるしかない。

「誰やね・・・誰なんだ、あんな連中を連れてきたのは」

「オーブであれば、タマユラ地区に対するパイプも期待できると選んだのでしょう」

「責任とか今はとりあえずどうでもええねん。既に状況はこっちの手の上にはない、ほなそれをどうするかや・・・奇貨おくべし言うやろ」

 大げさな方言で場の空気が一変する。行政院院長が、腕組みをしながら天井を見上げていた。ツクバの連中にせよ、ヨコハマの老人にせよ、自分達の都合を持った者を相手にしているのだ。こちらの都合だけで物事が運ぶはずも無い。

 こちらの都合を相手に合わせる必要は無いが、相手の都合を無視して何かが出来るはずも無い。ならば相手の都合を利用して、現実を自分の都合のいい状況に誘導できるかである。

 ペキンの中央政府に対する心情は、どちらも同じなのだ。問題は、ペキンに対してどのようなスタンスを持つのかではなく、その先にどのようなビジョンを描いているかである。研究結果のデモンストレーション程度の考えしか持っていないであろうツクバの連中はともかくとして、リ・ウェンのビジョンと自治政府のビジョンは明らかに異なる方向を向いている。

 だからこそ、あの老人は積極的に動いて状況を作り出そうとしているのだ。それをいかに利用するか。失敗すれば、日本自治区そのものがペキンによる直接統治を受け入れなくてはならない事態になりかねないのだ。自治政府が守ってきた「日本」を手放さないためにも、すべき事は数多くあった。院長は、いくつかの指示を出す。

 

 

 

 

 

 出勤時間なのだろう、車の数が増えてきた。近くに小学校があるらしく、子供達の登校する姿も見える。街全体が眼を覚ましたように、明るい空の下を朝の活気が満たしていた。

 人の家を訪ねるにはまだ少し時間が早いだろう。ルーイはいつものように、病院の裏口近くの木陰にたたずんでいる。ブンジ・タチバナの邸宅に行く前に、彼女の顔を見ておきたいのだ。病院に出勤してくる人が、次々と裏口に入っていく。交代制勤務なので、夜勤の人達はこれから帰宅するはずだった。

「違うさ・・・全然」

 ルーイは呟きを漏らす。ここで彼女を待つ事は多いが、そんな時に思い出すのは決まって両親、いや母親の事であった。母親との距離感を掴めなくなったのは、いつ頃からだったであろうか。

 ユーラシア連邦で現在二度目の内閣を率いているメイファン・キリロフが、彼の母親である。聞かないようにしていても、彼女の噂は耳に入る。肯定的な物も否定的な物もあるが、客観的に判断すれば彼女の政治姿勢はおおむね好意的に捉えられているようであった。

 今の政治情勢でユーラシアの舵取りをするなど、想像もつかない困難さがあるであろう。それに取り組んでいる母親の姿は、十分に尊敬できるものだと思う。戦災孤児となった自分を引き取って育ててくれた彼女の愛を疑いはしない。それでも、彼は母親との距離を感じざるを得ない。

 自分から、彼女と距離を置くようになったのだから。

 自立とか、そういった類の話ではない。母親の生き方に、疑問のようなものを感じているのだ。それは一体、何なのであろうか。

「あ、キリロフさん? おはようございます」

 自分を呼ぶ声に我に返った。視線を向けると、顔見知りの看護婦が裏口から出てきたところであった。私服という事は、今から帰るのであろう。ルーイは微笑んで挨拶を返した。

 その女性は彼の近くによって来て、何をしているのか聞く。彼は少し言いにくそうにアメリを待っていると答えた。彼女は残念そうな顔で言った。

「アメリちゃん、今日は休みの日よ」

「え・・・夜勤だったんじゃ」

 自分の聞き違いだったのだろうかと言うルーイに、女性は怪訝な顔をする。アメリは夜勤に入れないのだという。彼女がこの国に来ている技術研修制度では、夜勤や残業といった働き方は禁止されているのだそうだ。

「腕はいいし、患者さんの受けもいいし、夜にも入ってくれればいいんだけど・・・」

 女性はため息混じりに言った。もともと出身の国では正規の看護婦として働いていたので、腕に関しては申し分ないという。日本語も完璧なので公用語の苦手な老人にもきちんと対応できるのだそうだ。そういう人材には、ちゃんとした給料を払ってちゃんと働いてもらった方がいいと言った。

 この研修制度では、域内の労働法制の例外として、通常よりも安い賃金で働かせる事ができるのだという。そのため昼間の看護婦の多くは、彼女同様に外国から来た人が大半を占めているのだそうだ。

 確かにそれでも出身国で働くより高い賃金であるのだが、トウキョウで暮らしながら母国へ仕送りもしてでは生活も大変だろうという。女性は同情をこめてそう言っていた。

 腕時計を見て慌てて駅へと向った女性に視線を向けながら、ルーイは別の事を考える。今聞いた話は、何一つ知らなかった事だ。

 

 

 

 

 

 足しげく通っていた身としては、一週間に満たない日数とはいえ、ずいぶんと長い間来ていなかったような気がする。酔っ払いや客引きのかわし方も手馴れたものとなり、キリルはいつもの店の前に来ていた。

 しかし、日が暮れてずいぶん経つというのに、店の前は静かだった。いつもであれば、もっとうるさいはずだ。そっとドアを開くと、店の中は明かりが着いているものの、物音一つしないほどの静かさである。中を見回すと、年配の黒服の一人と眼が合った。

 顔を覚えていてくれたのだろう、その場で待つように手振りで示される。少しすると、チーママが奥から姿を現した。

「ローレンスさん、ごめんなさい。今日はママの大事なお客さんが来ててね。店の子はみんなそのお相手なの・・・」

「そうですか。それでは」

「マリアちゃんよね。一人くらいなら大丈夫だと思うから、同伴してきなさいな」

 そう言って彼女は再び店の奥に消えていった。黒服が気を利かせて出してくれたグラスが空になる頃、マリアが姿を見せる。

 いつものようなきわどいドレスではなく、落ち着いた感じの洋服であった。はにかむように視線を逸らした彼女の横顔に、彼の視線は吸い寄せられた。どうしていいか分からずに立ち尽くす彼を、黒服が送り出してくれる。

 ドアの閉まる音が聞こえ、二人で並んで立っていることに気付く。渇く口から発せられる言葉は、どこか震えている。

「そ、その・・・この辺りはまだ不慣れで、どういうところに行けばいいのか・・・」

 彼女がリクエストを聞いてくれ、案内をしてくれる。こうやって店の女性を連れて歩く客を相手にした店も数多くあるのだ。二人は、小洒落たダイニングバーに腰を据えた。キリルは解けきらない緊張を宥めすかせて、メニューを手に取る。

 そんな彼の様子に、マリアが手を口に当てて笑った。少しムッとした顔を見せる彼に、彼女は素直に謝る。そして肩の力を抜けといった。

「女の子のエスコートくらい、した事ないの?」

 子供の遊びの延長のようなデートしかした事がない。こういうのに、慣れていないのは確かだった。彼女は、だったら女性にリードさせる事も覚えた方が良いと言う。ウェイターにメニューを返した彼女は、手を組んで彼を見つめていた。テーブルの上のキャンドルが、その瞳の中で揺らめいている。

 そのまま、彼女を見つめるだけで時を過ごしてしまいそうだ。それが気恥ずかしくて、キリルは話題を探した。気の利いた言葉など思いつきもしないというのに。案の定、どうでもいい話を口にしていた。今日、店に来ていた客の事だ。

 もともと不法滞在者であったあの店のママは、善隣幇と呼ばれる相互扶助組織から資金援助を受けて今の店を開いたのだという。今日来ていたのは、その時に資金援助をしてくれた人なのだそうだ。

 キリルの表情が一瞬変わったことに気付いたのだろう、彼女はどうかしたのかと聞く。なんでもないと答え、彼は運ばれてきたグラスを手に取った。二つのグラスが、澄んだ音を立てた。




 次回は、金曜日に投稿する予定です。

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