ラプンツェル   作:朱緒

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第二話◇契約と俺たち

 公爵夫人が俺のものと訪れたのは、帝国暦四八五年一月の末。

 俺とキルヒアイスがグリンメルスハウゼン艦隊に所属し、ヴァンフリート星域会戦に向かうことが決まった日のことだった。

 下宿に戻るとフーバー未亡人が、客が待っていると告げてきた。来客の名を聞いたが、俺には聞き覚えはなかった。

 

「歴史ある公爵家です」

 

 キルヒアイスも名は聞いたことがあるものの、具体的なことは分からなかった。

 なにをしてくるのか分からないが、会ってみなければ始まらない ―― 俺とキルヒアイスは公爵夫人が通された部屋へと足を向けた。

 古びた下宿の一室にいたのは、俺が想像していた貴族の子女とは全く違う、野生の群れを作らぬ孤高の肉食動物のようなオーラを持った女性だった。

 俺が来たことに気付いた公爵夫人は、椅子から立ち上がり、深々と頭を下げ、急な来訪を詫びる。

 椅子をすすめ ―― クーリヒ未亡人が珈琲を出し去ってゆく。

 

「私はあなたとは初対面だが」

 

 挨拶もそこそこに訪問理由を聞いた。

 公爵夫人は、まさに単刀直入と言わんばかりに、来訪の目的を告げた ―― 自分の身の安全をはかって欲しいのだと。

 実家は貧乏なので働きたいのだが働けないと言う。

 

「働く意欲があるのは良いことだ。だが働けないとはどういうことだ?」 

 

 公爵夫人が当主を務める公爵家は家柄も血筋も良いが、あとは貧相なものであった。

 だが貴族社会において家柄と血筋は喉から手が出るほど欲しい。手に入れるためには、婚姻を結ぶのが一番。

 身寄りなく金のない公爵夫人は、格好の獲物なのだという。

 拒否をしても力尽く、訴え出ることもできない。

 陽狂など以ての外 ―― 気が狂っていようがいまいが、そもそも人格など必要としていないのだから、暴力を持って純潔を奪われて終わりなのだと。

 

 この血を捨てることができないかぎり、どこへも行くことができず、だがこの血ゆえ、どこへも逃げることができず。留まるしかないのだが、留まれば尊厳もなにもかも踏みにじられる。

 だから ―― 賭に出たのだと。

 この世界を変えてくれそうな俺の元へと身を寄せて、新たな世界を見たいとはっきりと言ってきた。

 

 門閥貴族が放ったスパイかと疑ったが ―― その日は下宿に泊めた。

 邸に返して拉致でもされては、俺の寝覚めが悪くなる。

 

 キルヒアイスが公爵夫人の証言の裏付けを取り、そのどれもが事実だったこともあり、守るために結婚した。

 当初はそれ以外にも守る方法はないかを模索したのだが、キルヒアイスと帰宅途中、未亡人に頼まれて買い物に出た公爵夫人が、路上で地上車に押し込まれている場面に遭遇した ―― 助けようとしたら、持っていたネイルガンで応戦し、暴漢を見事に仕留めていたが。

 聞けば買い物前に屋根の補修をしていて、間違って持ち出してしまったとのこと。

 うっかりが役に立つこともあるのだな。

 だがなぜ二挺持っていたのだろう?

 まあ公爵夫人の二挺ネイルガン捌きは見事なものであったが……だがそれを目の当たりにし、公爵夫人が置かれている状況は切迫した状況なのだと俺たちはようやく理解し、結婚することにした。

 むろん書類上の結婚で、部屋は下宿の一室を新たに借りた。

 いつか公爵夫人の思い人と再会させることができたなら ――

 

 公爵夫人は生まれた時から貧乏で、物心ついた時には召使いは下男一人だけしかいなかったという。

 その下男から寝たきりの老人(前公爵)の世話など様々なことを習い ―― 両未亡人が驚くほど家事が上手だった。

 料理や掃除はもちろん、庭木の剪定から本格的な大工仕事に、かなり大規模な家庭菜園など、何でもできる。

 聞けば公爵夫人の困窮はすさまじく、水道は止められて久しく、水道管は乾き朽ち果てている。飲料から生活用水まで、全てを敷地内にある井戸で賄っていたこと。無論電動ポンプなどはなく手押し。

 電気も止められており、早寝早起きはもちろん、夜は暗いのが当たり前。気付いたら夜目が利くようになったとかなんだとか。

 どうしても明かりが欲しいときは、塀の向こう側にある外灯の近くへと行き作業をしていたそうだ。

 調理は軍用の野営品の払い下げで、僅かな現金収入で燃料を買っていた ―― そちらのほうが安く付くとのこと。

 庭には畑 ―― じゃがいもにトマト、茄子に胡瓜。キャベツに玉葱、ホップに人参、調味料として各種ハーブに香辛料をも育てていた。

 広い庭を生かして養蜂にも手を出していたそうだ ―― 甘味は全て蜂蜜で補っていたとか。

 鶏を飼い、肉と卵を確保。

 ”鶏絞めさせたら、門閥貴族界一!”と高らかに叫びつつ俺の前で締めてくれたが……鶏を絞める門閥貴族はいないのではないだろうか? 思ったが、黙っていた。あと公爵夫人は鶏の羽毟りも門閥貴族界一ではないだろうかと俺は思う。あと関節を外したり、折ったりするのも……

 

 ちなみに公爵夫人自ら絞め毟り解体してくれた鶏は、その後公爵夫人自らが調理し「塩鶏」なる料理となり食卓に上がり、かなり美味かった。今ではカレーと並んで俺の好物になっている。もちろんキルヒアイスも大好物だ。

 

 採れた野菜やハーブは売り物でもあり、これで現金収入を得ていたのだという。

 海にも足を運び魚を釣ったり、素潜りをして銛で突いたり、貝を採取したり、海藻や塩を持ち帰り ―― 塩も自作だったそうだ。

 電子機器も簡単なものならば、自分で部品まで削り出し修理できるとのこと。

 

 この辺りの能力は、キルヒアイスでも及ばない。料理の腕も ―― 姉上とは別方向だが、かなりのものだった。

 

 下宿に帰れば公爵夫人の、味わったこともなければ聞いたこともないが、非常に美味い料理とデザートが待っている。

 

「ラプンツェルさんの手料理は、ご近所でも評判なのよ」

「昨日のお茶会でも、ラプンツェルさんが作ったお菓子は大評判でね。カステイ……なんて言ったかしら?」

「たしかカステラとか言っていたわ。今日のお二人さんのデザートだそうよ」

「わたしたちは先に味見を」

 

 両未亡人は公爵夫人のことを「ラプンツェルさん」と呼んでいる。あのご婦人方は、俺たちのことを金髪や赤毛と呼ぶように、人を頭髪に関連づけて呼びたがる悪い癖がある ―― 公爵夫人は笑って許していたが。

 髪長姫(ラプンツェル)と呼ばれる通り、公爵夫人の髪はかなり長い。

 理由を尋ねたら、貧乏だったので、入り用な際に髪を売るつもりで伸ばしていたのだそうだ。どこまでも現実的な女性だ。

 今も髪は伸ばしている ―― 何かあったとき売れるようにそのままにしておくのだと言う。

 

「ラプンツェルさん、これが石鹸なの?」

「まあ、美味しそうね」

 

 髪に体、衣服に食器など、全て自作の石鹸で洗っていたとのこと。

 これが唯一の趣味だそうで、蜂蜜入りだったり、庭の花を混ぜ込んだりなど、菓子と見間違うような石鹸を作る。

 姉上に一度プレゼントしたところ、また作って欲しいと言われたと元気に報告してくれた。姉上と仲良くしてくれるのは、本当にありがたい。

 

 俺と公爵夫人は一緒に生活することはあまりなかったが、帰国した際に食卓を囲み話しをするのは、楽しいものであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「御前さまのこと、よろしくお願いいたします」

 

 公爵家唯一の使用人である下男。

 俺はそのまま雇っても良かったのだが、公爵夫人は暇を出すと言った。

 理由を尋ねたところ、ここまで公爵家に誠心誠意仕えてくれたのだから、余生は自由気ままに好きなことをさせてやりたいとのこと。

 もちろん住環境は整え、生活に困らぬ退職金を出してやる ―― それが当主としての最低限の責務であるときっぱり言い切った。

 

「良い主だな」

「そうですね、ラインハルトさま」

 

 公爵夫人の下男なのだから、暇を出すことに異論はない。

 ただ一応表面上は仕事を与えるので、面接はすることにした。

 内容は公爵家について。

 下男は俺に一通り感謝を述べたあと、下男は彼の知る公爵家について語った。

 

 下男は元々はカストロプ公爵家の奴隷だった。

 現在の財務尚書オイゲン・フォン・カストロプの祖父の頃に。

 この父親は門閥貴族としては珍しくはないが、奴隷を虐待するのが趣味で、下男の母親も手ひどく虐待されたのだという。

 特に殴ることを好み、下男の母親は彼の言葉で言うならば「頭がいかれてしまった」らしく、うめき声のような声を上げて宙をぼんやりと見るしか出来なくなってしまったのだという。

 ちなみに下男の父親は不明 ―― 貴族の子弟に公衆の面前で、集団陵辱されたあとに生まれたのだと語る下男の声にも表情にも、なんら感情はなかった。深い闇のようなものはあった。なによりその【表情】は真実を物語っている証拠に充分足りた。

 

「貴族のことは嫌いではないのか?」

「貴族は嫌いですが、主さまは別です。主さまがカストロプを訪れたのは、あの時が初めてでした。少なくとも主さまとその一族は、わたしたちに暴虐は働いていない」

 

 狂ってしまった母親と自分を連れ出して邸に戻った主 ―― 公爵夫人の曾祖父のことをそう呼んでいるとのだという。

 

「貧乏だから、手元にいる奴隷は大切にする方針だと言われましてな。息子である公爵さまも”親父さま、いつかはやるとは思っておりましたがねえ”と笑って受け入れてくださいました。母は奴隷としてなにも使い物になりませんでしたが、主さまは、普通に一人分の食事を与えてくださいました。それだけで充分だというのに、わざわざ金を工面して病院にまで行かせて下さいました。治療方法はないという診断をもらえ、わたしはそれは嬉しゅうございました」

 

「それからしばらくして、公爵さまは奥さまをお迎えになられました。同い年の……ああ、そうそう。閣下に一つ、年寄りの戯れ言だと思ってくださっても結構ですが、十以上も年下の女性と結婚するような男は部下になさるな。関係を持つだけの男も部下には不適でございます。閣下ならばお分かりでしょう、いまの銀河帝国を治める皇帝の所行を見れば、わたしが事細かに語らずとも分かりますでしょう。ええ、そうでございます。ま、上下五歳が最適ですな。御前さまと閣下の年の差だからか? いえいえ。そんなことはございません」

 

「話が逸れましたな。公爵夫人……御前さまではなく前の公爵の奥方さまですが、この方が優しいお方でして、母は公爵夫人の嫁入り道具であったネックレスが気に入りましてね。まったくもって恐れ多いことですが、公爵夫人はそれを遊び道具として貸してくださいました。母はそれを見ている時は、奇声は上げれど笑顔でした。とても美しいダイヤモンドのネックレスでございましたよ」

 

「母は晩年、若さま……御前さまのお父上ですが、若さまに面倒を見てもらい、その若さまが五歳の頃に死にました。悲しくはございませんでしたな。なにせ幸せな人生を送らせてもらっていたこともありますが、それ以上に申し訳なくて。ええ、母はなにもできませんでしたから。主さまはそんなことは気にするなと仰ってくださいましたが、そうは言いましても。主さまは持ち帰ったものの責任だと、自ら母の棺を作ってくださいました。廃材で作った棺ですが、充分でございます。なにせ主さまも同じような自作の廃材棺に入られたのですから。お優し公爵夫人は、母が気に入っていたのだからと、ネックレスを棺に入れてくださいました。わたしは辞退したのですが、公爵夫人がお許し下さいませんでした」

 

「閣下にお願いがございます。庭に作った墓を移動させるとお聞きしました。その際に、母の棺を開けてネックレスを取り出して欲しく。奴隷の死体と共に埋葬されたネックレスではありますが、御前さまならばお気になさらず使われるはず。必要ないと言われたら、売った金を御前さまにお渡しくださいませ。御前さまがお許しにならなかったら? それでしたら諦めます。御前さまには逆らうつもりはございません。ええ、御前さまには感謝しかございません。わたしが育てた? なにを仰います。御前さまはこんな年寄り奴隷を捨てて、若く新しい奴隷を買うこともできたのに、見捨てずに御屋敷においてくださったのです。もっと働ける新しい奴隷を買えたというのに」

 

「カストロプについてどう思うかでございますか? ごくごく普通の門閥貴族かと。あれが一般的なものでしょう。ですので閣下は滅ぼされるのでしょう。そんな驚いた顔をなさいますな、覇王となられるお方のされる表情ではありませんぞ。なぜ閣下が滅ぼされると思ったのかですか。御前さまが閣下のことを覇王と呼ばれていたからです。こうして対面し、お話をさせていただき、御前さまがなぜ閣下のことを覇王と呼ばれたのか、よく分かりました。あなたは覇王でいらっしゃる。閣下が覇王となられたら、かの大帝の銅像を撤去していただけませんかな? ええ、あの顔が忌々しい。そしてこの顔が忌々しい。わたしめが貴族の蛮行の果てに生まれたと告げたとき、閣下は疑わなかった。それはわたしめの顔が、うり二つだからでございましょう。分かっておりますとも。御前さまには正面から告げたことはございませんが、邸内のあれの写真とわたしめの顔を見比べて、理解なさったもようです」

 

 この下男の表情や体つきは、晩年のルドルフよりも余程精悍であろう ―― 最後に俺は公爵夫人の両親について尋ねた。

 

「御前さまのご両親のことですか。ああ、その前に一つ言い忘れたことがございます。さきほど閣下に聞かれたカストロプについてです。厳密に申せば、カストロプの親戚であるマリーンドルフ。御前さまはこの家に、援助を求めに足を運んだのですが、門前払いの憂き目にあいましてな。よってわたしめは、マリーンドルフは嫌いですな。所詮カストロプの血縁、善人にして良識派を気取っておりますが、それは表面上だけのこと。中身は他の門閥となんら違いありません。むしろ常識人ぶっているところが、余計に性質が悪いかと。私怨にございますとも。私怨になにか問題でも? わたしめはただの奴隷ですので。ああ、御前さまのご両親のことでしたな。御前さまの母上ですが……」

 

 下男は公爵夫人の事は、それこそなんでも知っていた。

 両親のことを聞き終え、最後に公爵夫人の片思いの相手について聞くと ―― 下男は目を大きく見開き”さて、困った”とばかりに視線を俺から逸らし、先ほどまでの年を感じさせぬ力強さのある口調とは打って変わって、口元を手で押さえて、くぐもった声で、つっかえながら答えた。

 驚きの表情は本物に見えるが ―― これが芝居ならば大したものだ。

 

「御前さまの思い人ですか……平民……ですか? 聞いたことはございませんな。まさか御前さまに、そのような人がいたとは。ですが閣下、御前さまがそのことを正直に告げたのは、疚しいことはなく、また閣下に誠心誠意お仕えする意思表明にございます。御前さまは二心を持つようなことはいたしません」

「ああ、そうだな」

 

 下男は仕事などせずとも生きていけるのだが、黙っていられない性質だといって、家の周辺の掃除などをし、官舎にも随分と馴染んでいたと ―― キルヒアイスが報告してくれた。キルヒアイスの死後は、公爵夫人に尋ねることになった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

帝国暦四八七年四月 ――

 

「いかがなさいました?」

 

 書類に目を通し、不愉快さを露わにしているラインハルトにキルヒアイスが声を掛ける。ラインハルトは、わざわざ聞くなとばかりに書類を行儀悪く放り投げる。

 

「意地が悪いぞキルヒアイス。お前なら俺が不機嫌な理由など、分かっているのだろう」

 

 放り投げられた書類は、ラインハルトにカストロプ動乱を鎮圧するために派兵するよう書かれていた。

 

「三度目も失敗でしたか」

「無能の集まりだとは知っていたが、これほどまでだったとは驚いた」

「ラインハルトさま」

 

 財務尚書であったオイゲン・フォン・カストロプが事故死し、息子マクシミリアンが跡を継ぎ ―― 不正に蓄財した財産を国庫に返却するよう求めたものの、マクシミリアンはそれらを拒否し起こった、所謂カストロプ動乱。

 一度目のシュムーデが敗北した際に、ラインハルトはキルヒアイスを周囲に認めさせるために出兵させようとしたものの、捕らえられているのがマリーンドルフ伯と聞き、公爵夫人が受けた仕打ちを思い出し見送った。

 その後、粛々と第二陣が送られたものの、また敗北。

 次に誰を送るかを話し合っていた首脳陣たちは ―― ラインハルトが部下に功績を与えるために立候補するものと考えていたのだが、それもなく。

 仕方なしに第三陣を自分たちで編成し送ったものの、結果はマクシミリアンの勝利。

 三度にわたり勝利したマクシミリアンは、一族郎党に黙って従え、さもなくばこうなるぞ ―― マリーンドルフ伯の首を送りつけた。

 諫めようとしていた親族たちも、この行動によりマクシミリアンを見放す。

 だが正規軍が三度負けたのも事実。

 被害総額は微々たるものだが、これ以上の負けは許されないと、普段は「叛徒が無能だったから勝った」「たまたま運が良かったから勝った」「姉が寵姫だから勝った」と一切才能を認めていないラインハルトに討伐を依頼する。

 

「彼らも頭を下げてきたのです」

「分かってはいるが、この部分さえなければ……」

 

 ラインハルトが指さしたのは「カストロプの正規財産の受取人について」

 不正蓄財分は国庫に収めるが、残りの一部は血縁に分配する予定であり、その候補に卿の妻も入っている。そちらの出方によっては分配率を引き上げてもよい ―― ラインハルトが嫌う条件を持ちかけてきたのだ。

 持ちかけた方は、金がもらえるのだから、嫌がることはないだろうと考えてのことだが。

 

「そうですね。ですが、ラインハルトさまが勝手に断るわけにもいかないでしょう。これは公爵夫人の正当な権利ですから」

「分かっている」

 

 腹に据えかねたが、これ以上いたずらに兵を損ねるのは、ラインハルトとしても避けたかったので、命令を受けて当初の予定通りキルヒアイスを送り ―― 見事勝利を収めた。

 事後処理は速やかに行われ、公爵夫人も遺産を受け取る。

 分配率は書類に記されていたものより高めで、かなりの額になったが、公爵夫人はお世話になったのでと半額をラインハルトに渡す。

 ラインハルトは最初は断ったが ―― キルヒアイスに「固辞しても無意味ですよ」との助言を受け、公爵夫人の口座を作り入金しておいた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 皇帝が死に、リヒテンラーデと俺がエルウィン・ヨーゼフ二世を担ぎ ―― 門閥貴族たちの不満が募り、そろそろ爆発しそうになった頃、面会者があった。

 マリーンドルフ伯爵夫人ヒルデガルド ―― カストロプ動乱で殺害されたマリーンドルフ家の新たな当主。

 年は俺よりも二歳ほど年下で、頭は切れそうだが、貴族令嬢らしく世慣れしていないというか……公爵夫人が逞しすぎるのだろうな。肉体ではなく精神が。

 マリーンドルフ伯爵夫人は、起こる内乱に際して、俺の側につくと告げた。

 好き嫌いを理由に断るわけにもいかないので、その申し出を受け入れる。

 最後にマリーンドルフ伯爵夫人は、他の貴族との連帯をはかるような真似はしませんと、賢しらげに断言したが、そんなことは聞かなくても分かっている。

 

「あの下男が言っていた通り、立派な門閥貴族だ」

 

 自分たちのみの身の安全を図る。立派な姿勢ではあるが、いざと言う時に助けてもらえないというリスクもある。あの伯爵夫人は、そのことを分かっているのだろうか? 俺はあの伯爵夫人関係で、何らかの迷惑を被った際には特赦することもなく、さっさと切り捨てる ―― そういう関係になっただけのこと。

 

「ラインハルトさま。そう仰りたい気持ちもわかりますが」

 

 事実先代マリーンドルフ伯は、公爵夫人に援助をしなかったことが、非業の死を遂げる遠因だ。

 あの時金を貸していたならば、キルヒアイスが出兵できるよう素早く根回しし、救出されていたはず。

 

「あの者を優遇などしたら、気分はよくないだろうな」

「公爵夫人は、あまり気になさらないのではないでしょうか? ああ、そうそう。公爵夫人の制服、仕立て上がりましたよ」

「…………本気でついてくるつもりなのだろうな」

 

 公爵夫人は従卒として今回の内乱に付き従いたいと希望してきた。

 危険なので待って居るよう説得してみたものの、自分が従っていることで、投降しやすい環境を作れる筈だと ―― 奴らは追い詰め排除するが、暴発は避けたい。そこに小さな逃げ道を用意しておくのはこちらとしても悪くはない。キルヒアイスにも説得され折れた。

 

「お菓子や石鹸造りの材料も頼まれました」

「そうか」

 

 なにより俺は最初の説得で失敗した。戦艦での生活は不自由が多いから止めたほうがいいなどと言ってしまったのだが、戦艦は蛇口から水が出るから、それだけで住環境としては温い! 贅沢! リアル天国(ヴァルハラ)! と言われては……。きっと公爵夫人なら大丈夫だろうな。

 


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