ラプンツェル   作:朱緒

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第十一話☆皇子さま

「お似合いです、御前さま」

「瓜二つですよ、戦乙女。このお姿を見たら、ルシファー(兄上)さまもきっとお喜びになったことでしょう……」

 

 わたしは今、曾祖父が外出していた時の服を着ている。下男が用意してくれたのだから、格好に間違いないだろう。

 アベル、そんなに目をキラキラさせて似てるとか言うな。まして父さんが喜ぶとか言うな! 本当に喜ぶだろなーアレはさあーなんか曾祖父のこと好きだったし。

 あと父さんのことルシファーはヤメロと何度も……言っても、直るわけないよな。アベルを連れ帰ってきた時からルシファーって呼ばせてたんだから。もうね、わたしは鶏の羽を毟る時、ルシファー(伝承)の十二枚の羽を毟るつもりでいってる。

 なんていうのかなー、わたしの反抗期を全て羽を毟ることで昇華してるってか、坊主が憎ければ袈裟まで……とも違うか。

 こんな下らないことを考えている場合じゃない。

 いまは緊急事態だ。だからこんな男装というか仮装というか、曾祖父の格好してるんだがな。

 

「病院襲撃の準備、整いました」

 

 おう、ありがとうギュンター。見ててくれギュンター、君が教えてくれた救助方法で見事ケスラーを病室から連れ出すからな。

 

「御屋敷の方も、最低限生活ができるよう整えました」

 

 手間掛けたな下男。お前は本当に出来る男だ。アベルも手伝ってくれたんだな……同僚だもんなー。では夜まで時間を潰すか。

 

 曾祖父の格好をしたわたしは、これから病院を襲撃し、ケスラーを助け出し、そのまま思い出の廃屋へと向かう ―― 別にケスラーが本当に捕まったわけではない。彼が本当に捕まっていたら、わたしなんかじゃなくて、本職が救出に向かう。

 

 では何故そんなことをするのか? ケスラーを元に戻すためである。

 

 ことの始まりはケスラーが乗っていた車が、事故に巻き込まれてしまったことだ。

 ケスラーの怪我は大したことはなかったのだが、頭を強く打ってしまい逆行性健忘症、所謂「記憶喪失」になってしまった。

 記憶喪失だけでも厄介なのだが、その記憶喪失にもう一つ記憶喪失が重なってしまい、この上なく面倒なことに。

 

 意識を失ったケスラーは、当然病院へと運ばれ治療を受けた。

 治療の際に過去のカルテを照会したところ、ケスラーは二十歳の頃にも、橋の崩落事故に巻き込まれ、今回と同じく逆行性健忘症になっていたんだそうだ。

 この初回の逆行性健忘症を引き起こしたのは大規模人災。

 わたしは全く知らなかったのだが、わたしが生まれる少し前に首都の平民が住んでいる区画の大きな橋が崩落した。原因は有史以来変わらない手抜き工事が原因らしい。

 ”らしい”というのは手抜き工事には門閥貴族が関わっていたこと、死傷者に門閥貴族が一人もいなかったこともあり、事件は有耶無耶にされて幕引きとなった。なので”らしい”としか言えないのだ。ちなみにわたしが知らなかったのは、この事件は圧力がかかりほとんどニュースにならなかったので、図書館で新聞読んでも分からなかったのだ。

 

 今からでも遅くない。その時の責任者引っ張ってこい! 極刑に処してやる!! ……わたしにそんな権限はないけどさー。でもさー、納得いかないー! 手抜き工事したやつらもそうだけど、調査せずに終わらせた警察のやつらも! 責任者の首吹っ飛ばせ! 社会的にじゃなくて物理的にいこうぜ!

 

 それは今は置いておくが、この橋の崩落現場に、非番だった若き日のケスラーが居合わせ、彼は彼らしく率先して避難誘導や救出に携わったそうだ。

 さすがケスラーだが二次災害 ―― 橋の崩落だけでは飽き足らず、支柱が倒れてケスラーが誘導していた道路のほうに倒れ込んだところ、道路も手抜き工事だったため、ぼこんがっこん、さらにはがらがらがらの阿鼻叫喚……と。あほなのか、馬鹿なのか、そこのところ、わたしの目をまっすぐ見て教えろ施工業者ども。ああ、怒りはしないさ。殴り殺さないとは言ってないが ―― 巻き込まれて大量の瓦礫と共に川に転落し、ケスラーはこの際に頭を打って記憶喪失になった。

 そのケスラーを助けた年寄りがいた。そう我が家の曾祖父である。

 事故現場の映像を観ると、爆撃を受けている市街地状態。はっきり言ってどうやって助け出したのか謎としか言いようがないのだが、とにかく曾祖父はケスラーを救出し、意識を失っているケスラーを担いで軍病院へと運んだ。

 ケスラーはIDを持っていなかったが、体格や筋肉の付き方や誘導している時の動きから、曾祖父は軍人だと当たりをつけて軍病院へ。

 負傷者が大量に出ていたので、本来ならIDなしのケスラーは後回しにされるところだったのだが、そこは連れてきたヤツのIDが門閥貴族なので、直ぐに検査され異常がないと診断された。

 意識が戻ったら帰っても大丈夫と言われたケスラーだったのだが、目覚めた彼は十年強の記憶を失い自分の名も分からない「十歳前後のうるりっひちゃん」になった。

 病院は嫌だと泣き出すうるりっひちゃん、次々に運び込まれてくる負傷者。そこで曾祖父が病院が落ち着くまで此方で預かろうと申し出て、うるりっひちゃんを連れて縁のある廃屋へ。

 そこで二人で過ごすわけだが、うるりっひちゃんは、曾祖父に懐いた……そうな。どう懐いたのかは不明だが、とりあえず懐いたんだそうだ。

 一週間ほどして軍病院が落ち着いたので、詳細な検査と治療ができますと連絡が来た。その間に祖父がうるりっひちゃんが「ウルリッヒ・ケスラー」であることを調べてもいた。こうして書類を整えて病院へ連れて行こうとしていたところで、ケスラーの記憶が戻った。

 移動中の無人タクシーの中で、赤信号で止まった時に思い出したらしく、曾祖父に気付かずふらふらと車中から出て、軍服を着ている軍人に近づき……といった形で、そのまま自力で帰宅し軍に復帰した。

 ケスラーは記憶が戻ると同時に、記憶がなかった時のことは忘れてしまったが、曾祖父や祖父は、後遺症もなく元に戻ったのならいいだろうということで、終わらせた。あの二人はそういうの、あまり拘らないからな。わたしや父さんも同じく、拘らないけどね☆

 数年後、ケスラーは健康診断を受けた際に、突っ込んで診てくれる医者と当たり、記憶喪失が治ったあと、受けるべき健診を受けていないことを指摘され、今からでも受けてくるよう指示を出した。

 特に不調を感じていなかったケスラーだが、健康診断に引っかかった形になったので、詳細な検査を受け医師の診断書を人事課に提出しなければならない。

 そこで時間を作って検査を受けにいった。

 もちろんなんの問題もなかったのだが、診断してくれた医師が、記憶喪失になった時検査してくれた医師だった。

 ケスラーが余程印象深い患者……まあ連れていったのが若干どころじゃなく皇族よりの門閥貴族だから、インパクト強かったんだろうなー……とにかく、医師はケスラーを助け、しばらく面倒を見てくれたのが曾祖父だったと教えた。

 記憶のないケスラーだが、診察に関する代理のサインを見せてもらい、職場に戻ってから確認したところ、曾祖父のサインと一致……そりゃするだろうな、本人が書いたんだから。

 曾祖父に礼を言わねばと調べたケスラーだが、その頃曾祖父は既に鬼籍に入っており、前後するように彼も辺境に飛ばされ、我が家にお礼を言う機会が中々取れず。

 

 そして今回二回目の逆行性健忘症になったケスラーなのだが、一回目の逆行性健忘症を患っている最中のケスラーになってしまったのだ。要するに曾祖父と一緒に過ごしていた幼少期のケスラーが出てきてしまったのだ。

 

「精神が安定したら、直ぐに治療開始できます。こちらでも監視しておりますので、ご安心ください戦乙女」

 

 現在は逆行性健忘症を治療する機器もあるのだが、それを使用するのには、精神を安定させなくてはならないのだそうだ。

 脳波のブレの範囲とか、不安な状態の時に増えるホルモンの値を下げるなど、複雑な条件があるらしく、薬で「はい安定」とはいかないのだそうだ。

 だが病院にいるケスラーは全く安定する気配がない。むしろ悪化の一方。

 まあ時間を掛ければ安定するのだろうが、正直ケスラーを一ヶ月も二ヶ月も記憶喪失で入院させておけるほど、帝国は平和でもなければ暇でもないので、速効治せそうなわたしに白羽の矢が立ったのだ。

 わたしは知らなかったが、ケスラーは周囲の人に、かつて曾祖父に救われたこと、お礼を言わないで過ごしていたことを悔いていること、わたしにお礼をしてもいいものだろうか? 礼をするのならば、なにか品物も。その品物はどんなものが、など相談していたんだそうだ。

 なので同僚たちは、ケスラーの症状を聞き「きっと事情を知っているに違いない」と下男に協力を求めたところ、彼らの希望通り下男は全部知っており、協力を求められたのさ。面倒が嫌いなわたしでも、引き受けないという選択肢はないのさ☆

 いや普段のわたしなら「一ヶ月くらい、休暇代わりに休ませてあげなよ☆」と言うところだが……ケスラーと病院は相性が悪いというか……わたしは知らない! いや、知らないったら、知らないんだ! そう言えば原作でケスラーは私生活が全然分からないと書かれていたが、この幼少期が問題…………ああああ! わたしは見てない! 下男が差し出した祖父が作成した報告書など読んでなどいない! あー! あー! あー! なにも聞いてない、見てない! 聞いてないー! 知らないったら、知らないんだからなー!

 とにかく、今のケスラーならば精神力で病院にいられるだろうが、うるりっひちゃんなケスラーは病院関係の施設では決して安心できない。

 曾祖父はなんかそれを直ぐに感じ取ったらしく……なんで感じ取れるんだよと思わなくもないが、ケスラーの年齢と言葉の端々の訛りから(今はもう訛りなんてないが)病院を怖がる原因に関して、心当たりもあったらしい。

 なんなの、あの事情通め☆知っていることがあるなら、全部教えて逝けよ☆思わせぶりじゃないのが、また憎たらしい。

 とにかく孫のような年齢の青年が記憶を失って怯えている姿を憐れに思ったのか、単に面白そうだと思ったのかは知らないが、曾祖父は怯えているうるりっひちゃんに「皇子」と名乗ったんだそうだ。「助けに来たよ、ウルリッヒ」ともな。

 曾祖父は皇子名乗っても許されるよ、実際皇子だからな。台詞は間違ってないよ、何一つ間違っちゃいねえよ。ああ、何一つな。憎たらしくなるほど正しいさ! でも全部きっと間違ってる! なんか違う!

 だがうるりっひちゃんは、その言葉が心に刻み込まれているらしく、病院で曾祖父が来てくれるのを怯えつつ待ってる……

 

 そこのウルリッヒ・ケスラー。お前、なに皇子さま待ってるんだよ!

 

 そう言っていてもこの状況ではなにも始まらないので、わたしが曾祖父のふりをすることに。

 でもかなり無理あるけどなー。だってケスラーを助けた頃の曾祖父って、それから五年もしたら死ぬくらいの年なんだぞ。わたしはまだ十代、十六歳です! 見た目全然違います!

 

「大丈夫です。戦乙女その雰囲気、間違いなくメメント・モリ(曾祖父)さまと重なります。自信をお持ち下さい」

 

 止めないか、アベル。父さんが曾祖父に付けた愛称で呼ぶな! 曾祖父も黙って呼ばれてないで……フリッツのじじいも曾祖父のことメメントって呼んでたわー。もうね、ゴールデンバウムの歴史とともに滅べ☆滅びろ☆滅んで死ね☆ 嗚呼フリッツのじじい、もう死んでたー。もしも生きていたとしても、フリッツのじじいの息の根は、わたしが止める分なんて残ってないけどね☆そこは全部ラインハルトに譲るくらいの節度は持ってる。

 病院の屋上から垂らしたロープを伝ってケスラーの病室へ。

 最初から鍵が開いている窓を開けて、病室へと侵入し、ケスラーを起こして……

 

「皇子さま! 来てくださったのですね」

 

 ……頭に衝撃加えたら、治らないかな? 記憶喪失。わたしの拳で良かったら食らわせるよ。

 わたしをただの皇子に見間違うのは良いけど、お前が言っている皇子さまって曾祖父のことだよね? なあ、ケスラーよ!

 襟を掴んでがくがくさせて問いただしたいところだが、彼は病人なのだと自分に言い聞かせ、救助隊よろしく連れて窓から脱出し、用意していた地上車に乗り込んで廃屋へ。

 寝ていていいぞと言ったところ、素直に寝ましたよケスラー。

 わたしは運転席に座っているが、行き先は事前に入力しているので、ただ景色を眺めるだけ。

 無事廃屋に着いたので起こしたが、ケスラーは半分眠った状態。普段のケスラーってそれほど知っている訳じゃないけど、完全に憲兵総監閣下じゃないのは分かる。

 この状態で歩かせて怪我でもしたら困るので……きっと出来る! お姫さま抱っこ。うん、想像よりも重かったけど、大丈夫だ。

 

「皇子さま」

 

 きらきらした目でわたしを見るなケスラー。そしてそんなに嬉しそうな顔をするな! 用意していた部屋へと連れて行き、ベッドに下ろしてとりあえず今日のミッションは終了。

 

「皇子さま。お話の続きを教えてください」

 

 翌朝、スキレットに具材をたたき込んだだけの、簡単隠れ家ご飯を食べ終えたあと、ケスラーがそう言い出した。

 お話の続きってなんだよーと思って、何処まで話したのかを尋ねたら……聞いたことある話だった。

 曾祖父が自分で作った話なんだぞと、わたしに語っていた話だ。そして最後に「最終話は俺の他にもう一人だけ知っている。そいつを探し出してみろ」と。あれ最後が思いつかなくて適当に誤魔化しやがったと思ったのだが、違ったらしい☆

 案の定ケスラーは最終話を知っているが、途中が分からない……最終話前までたどり着いたら、記憶戻るかも☆さっさと語ってしまおうかな? と思ったが、ケスラーの希望で一日一話。

 ま、四日で最終話前まで語り終わるから焦る必要もないか。

 

「……公妃……さま?」

 

 予想通り最終話まで聞き眠りに落ちたケスラーが、夜更けに目を覚ましたら記憶を取り戻していた。

 良かった良かった。添い寝してやった甲斐があったってもんだ。

 なんで添い寝してるかって? ここ廃屋だから、感受性豊かで精神状態の悪いうるりっひちゃん、幽霊らしいものを見たって怖がるんだよ。マントの端っこを控え目に、だがしっかりと掴んで放さず震えるうるりっひちゃんがね……通常の状態なら見間違えだろで終わらせられるけど、この状況だとねえ。というわけで添い寝。いやね、曾祖父も添い寝してやってたらしいんだ。

 大体こんな廃屋じゃなくて、まだマシな邸の方(現元帥府)に連れて来いよー。そうしたら十六年前もうるりっひちゃんだって、こんな恐い思いしなくて済んだ……言いたいところだが、曾祖父がケスラーを邸に連れて来なかったのは、当時母さんが初産控えての臨月だったので、身元不明の記憶喪失者を連れ帰って、精神に負担を掛けてはいけないと考えて、この廃屋に連れてきたんだそうだ。

 あんな曾祖父だが、一応母さんには気を遣ってた。母さんに遣ってた分の、五千分の一でいいから、わたしにも遣えよ☆もう死んでるけど。曾祖父(メメント・モリ)め!

 

「も、もうしわけ……」

 

 急いでベッドから降りて、平身低頭で謝るが、謝る必要はないぞケスラー。あの状態なら仕方ないさ☆でもケスラーを見て思った、絶対記憶喪失にだけはなりたくないなって。

 幼少期に戻ったりしたら………………なんの問題もなさそう。わたし、これといって暗い過去とかないしねー。前世まで記憶が戻ったらちょっと問題だけど、あそこまで戻ったら、みんな健忘症だなんて思わないね☆

 

「もしかして、小官の世話をしてくださったのは」

 

 震える声で尋ねてきたけど、小官の世話ってなんのことだ? そりゃまあ全部世話したけど、入浴? ああ、体洗ったぞ。ケスラーが入浴中恐いというので……まあ、彼の過去からすると、入浴が恐いのもしかたな……あああああ! 知らん! わたしはケスラーの過去なんて知らん! ああ、あの祖父の報告書は全部うーそー。可哀想なうるりっひちゃんなんていないんだ☆ ……とにかく恐いというので、入浴している時に側にいたのだが、子供状態なので体を洗うのが下手くそ過ぎたので手伝った。

 

「あの……その……」

 

 ケスラーが股間をおさえているが……あれ? 痛いの? かなり丁寧に洗ったつもりだったけど、もしかして傷つけちゃった? 指輪外して、爪も切ってるから傷つける要素ないんだけどなあ。

 男性の大事なところだから、気を付けたつもりだったんだけど、なにせ初めて触ったもんだから、ちょっと勝手が分からなくて。

 いや初日から洗ってるから、もしかして慣れたつもりの頃が一番失敗するってやつ?

 もっと優しく撫でるように、包み込むように、するべきだったのかな? たくさんの泡をつけた手で直接触れるべきだった? ケスラーがうるりっひちゃん状態なら、痛いの痛いの飛んでいけーで誤魔化せそうだが、ここは撫でるべきか?

 

「失礼いたします、公妃さま! お叱りはあとで受けますゆえ、ケスラーを病院に連れていかせてください!」

 

 警備にはうるりっひちゃんが驚くから、わたしが許可した時以外は廃屋には入ってくるなと命じてはいたが、治ったのなら別に入ってきても構わんぞ。

 おお、今夜の担当はワーレンか。

 わざわざワーレンほどの男を、現場の指揮に当たらせていたのか。ほんと、ラインハルトはケスラーのこと好きだね☆こんなに大事にされて、幸せだねえケスラー。こんなにもラインハルトに愛されてるなんて、胸張って自慢していいぞ☆いや、するべきだ☆

 

「……」

「……」

 

 どうした? ケスラーとワーレン。なんだその、情けなさそうな表情は。

 そんな表情浮かべてなくていいから、早く病院で検査受けておいで。わたしはここに泊まるよ。大丈夫だって、ここ人こないから。大体ここ、ゴールデンバウム王家の敷地だから、人なんてこないから。

 二人が出ていったので、わたしはビールの栓を抜いて瓶のまま口に運ぶ。

 眩しいくらいの月明かりの下、外を眺めていたら、ケスラーがワーレンと共に戻ってきた。なんだ? 忘れ物か。

 荷物が一纏めになっているバックを掴んで、窓から飛び降りて彼らのほうへと駆け寄る。

 どうしたのかと尋ねるより前に、ケスラーが直角といっていい礼をして、

 

「助けていただき、ありがとうございました!」

 

 叫ぶようにそう言った。

 そっか。お前はそれを気にしていたそうだな。うーん、気にするなは違うなあ。頭を上げろもちょっと違うだろうなあ。

 うーむ……ここはちょっと偉そうな感じで、十六年前の避難誘導などの活動を褒めてみるか。宮廷語の中でも、かなり偉く聞こえる言葉をチョイスして、最後に「大義であった」を付ければ曾祖父っぽくなるだろう。いや、声とか全然違うんだけどね。喋り方は似てるらしいよ、絶望的に不本意だけど、下男とか元皇女が嬉しそうに言ってくるから全否定すんのもどうかな? って。

 

「皇子!」

 

 ケスラーが顔を上げてこっちをみて、吃驚したような顔を。

 曾祖父じゃなかったことに驚いたのだろうか? まだ記憶が混乱しているのかな? 大丈夫かケスラー。しっかりと治療しろよ。お前さんはラインハルトをして「得がたい存在」と言われているくらいの愛され系なんだから。この先もずっとラインハルトに気に入られ、皇妃(ヒルダ)にも気に入られ、皇妃の親戚筋の侍女(マリーカ)を嫁に貰って、さくっと皇室の外戚ポジションに収まるべき男なんだからさ!

 

 ワーレンに連れられて去って行くケスラーを見送り、廃屋に戻って玄関ドアに手をかけた……あ、鍵かかってる!

 そりゃそうか、ワーレン出て行く時に鍵掛けるよなあ。

 窓から飛び降りて、鍵は……たしかサイドボードの上だ。地上車まで走っていって鍵を貰ってくるか。いや、一刻も早く病院に行かせよう。

 うーん……蹴れば入り口のドアくらいぶっ壊せそうな気もするが、たしか窓は開いたままだから、壁を登ろう! 月明かりの下、フリークライム開始!

 結構スリリングだけど、そのスリルもまたよし☆

 今こそ、母さんの最後の部下(キスリング)から教えてもらった技の真価が試される!

 ちなみに曾祖父は軽快に貴族の邸から色々なものを盗み出していたが、忍び込んだりはしないタイプなので、こういうのはあまり教えてくれなかった。

 曾祖父は行きも帰りも堂々と正面☆突破オンリーだったんだってー。祖父と父さん、そして苦笑しながら母さんも認めてたから、本当なんだろう。

 なんという節穴警備ども。貴族は無駄に金を使う生き物だが、この派手な格好(ただいま仮装中)してる曾祖父を見逃すとか、どんな無駄警備だよ。

 おっ! 窓枠に手が届いた。よし! 無事侵入完了。よーし、ビール飲むぞー。

 

 翌朝、残り食材をスキレットにぶち込んで焼いていたら、ラインハルトが紙袋を抱えてやってきた。

 

「一緒に朝食を取ろうと思って」

 

 え、わざわざ来たの。いやいや、もちろん良いですよ。ラインハルトが持ってきてくれたのは、焼きたてのパンですか。

 これはこれは、美味しそうで。

 

「あなたの前に座ってもいいだろうか?」

 

 ラインハルトさん、なにを仰ってらっしゃるんですかいな? わたしの前に座る? ……え、なに羽織ってない二人羽織的なことするんですか?

 

「ケスラーにこうして食べさせていたのを見て……」

 

 たしかにケスラーにはしましたが。

 曾祖父がさあ、うるりっひちゃんに物語を語るとき、子供にするように膝に乗せたらしくて、それをせがまれてしまったのだよ。そのまま食事を与えたりもしたらしい……曾祖父はいいよ。190㎝後半だったから。でもねわたしはまだ170cm台なの、分かる? そのわたしがケスラーを前に置いて……ラインハルトの語尾が消えてしまって顔が赤らんだ……ああ! はいはい! 面白そうに見えたんだね☆たしかに面白そうに見えるよなー。

 ラインハルトがお望みなら叶えて進ぜましょう☆

 さあ、わたしの前に座っ……大きい! ラインハルトってケスラーより背高いから、これやるの辛いなあ。

 だが楽しそうだからと頼んできたラインハルトの頼みを聞かないという選択はない。

 綺麗なお顔を汚さないように、気を付けて食べさせなくては☆

 いやーホント綺麗な顔だ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 ケスラーは検査だけですぐに病院をあとにして、職務に復帰したそうだ。三日くらい休めばいいのになあ。

 そうそう、廃屋でラインハルトと朝食を取った際に、ケスラーの記憶を取り戻したことに感謝されたのだが、他人の体を洗うのは止めたほうがいいと、わりとはっきり言われた。帰宅後オーベルシュタインにまで、それに関して言われたのだ。

 このことから導き出される答えは一つ! 間違いなく酷い洗い方をしてしまった! これはもう確定!

 二度とそんな失敗をしないためにもと看護師の資格を取り、介助もできるように……と思い立ち、廃屋から戻ったその日のうちに行動に移したのだが、よほどわたしは向いていないのか止められてしまった。

 座学は受けられたし、筆記試験も合格点を取ったのだが、実技を受けさせてくれないのだ。実技は受けなくても看護師の資格を差し上げます、だと?

 わたしはそんなにもがさつなのかー! ……はっ! ケスラーのアレ大丈夫か? いやここまで阻止されるとなると、大丈夫なはずがない。これは直接聞かねば。念のために賠償金も持って……こういうときの相場って幾らだ? さすがに下男に「覇王の大切な部下の男性機能を破壊してしまったっぽい。幾らくらい払えば許される?」なんて聞けない。賠償金……まあいいや、言い値で払おう! 小切手手帳を持っていけば、なんとかなるはず。

 だがそのためには、まず会って話さなくては。面会予約を取って、下男に洋服を見立ててもらって、ちょっと小洒落た訪問着を着て、ケスラーの職場へ! 一応下男も連れてね。普段なら連れて歩かないが、ケスラーが以前のことを聞きたがることも考えて。あとで下男を送るよと言ってもいいんだが、偶にわたしが命令しないと開示しない情報とかもあるので、そういった手間を省くためにもね。

 

「申し訳ございません」

 

 ケスラーの部下のヴィッツレーベン大佐に土下座された。

 なんかケスラーの所に、急な来客があって、そいつが中々帰ってくれないんだそうで。まあ、いいよ。ケスラーほどの男なら、急ながら重要な来客があって当然だろう。わたしは特に急いではいないし、これから予定もないので、ここで待っていていいのかな? と聞いたら、

 

「閣下をお呼び立てしてくださっても」

 

 なにを言っているのだね、ヴィッツレーベン大佐くん(年上だけど)

 大将閣下を呼び立てるなんて真似、するわけなかろうが。客だって地位のある人間なんだろう? 待つに決まってるだろう。むしろ、わたしのことなど気にしなくていいから☆

 気にすんな。わたしは下男と三次元チェスして時間つぶせるから。チェスボード? 要らん、要らん。互いに頭の中でやるから問題なし。

 

「畏まりました御前さま。ではお相手を務めさせていただきます」

 

 ソファーの背もたれに体を預けて、脳内三次元チェス開始。下男は立ったままだけど、あいつ何言っても座らんからな☆年も年なんで、疲れたら床に膝ついていいぞとは言っておいたが。

 九手ほど打ったところで、ケスラーが息を切らせてやってきたよ。

 そんなに急がなくていいんだぜケスラー。

 

「お待たせしてしまい、まことに! まことに!」

 

 いいから。土下座しなくていいから。

 ケスラーを座らせてから、わたしは単刀直入に聞いたら、再び椅子から降りて土下座された。

 いや、土下座されるために来たわけじゃないんだ。むしろわたしが土下座しなきゃならんのでは?

 

「そのようなことではありません……あの、本当にお分かりになって、いらっしゃらないのですか?」

 

 言いたいことがあるならはっきりと言え、ケスラー。

 …………あ、そういうこと。主君の嫁に介助させたのが問題だったのね。でもあの時は仕方ないし。

 

「はい。公もそれに関しては許してくださいましたが、許すのと感情は別物ですので」

 

 感情? 感情ってなんだろね☆

 まあ、それはいいか。なんにせよ、ケスラーの大事な海綿体を複雑骨折させるような真似をしていなかったのなら、いいや☆でもさ、わたしとしては看護師の実技を受けたいのだよ。ケスラー、口添えしてくれない? と頼んでみた。

 

「理由をお聞かせ願えれば、お力になれるやも知れません」

 

 理由は簡単。もしも下男が寝たきりになったら、介護するためだよ。

 曾祖父のように日時決めてぽっくり逝くも良しだが、祖父のように少々体が不自由になったら介助とかする必要があるじゃないか。

 金はあるので介護師も看護師も雇えるけど、最後はわたしが面倒を見て看取るわけなんですよ。そう決めてるんですよ、というか決まってるのな、曾祖父の遺言で。

 書面の遺言じゃなくて、口伝ですがね☆もっとも、言われなくたって面倒見るし、看取るわー。そのくらいするに決まってるじゃない。言われた時、曾祖父の脇腹にパンチ入れて「馬鹿にするな(びゃかにしゅんにゃー)」と仁王立ちしたのは、良い思い出である。

 

「なるほど。貴いお志でございますな」

 

 貴くもなんともねーっての。

 でもなんか、ケスラーがラインハルトに口添えしてくれるそうだ。説得頼むぞ☆

 

「先ほどちらりと話された、皇子……ではなく、曾祖父殿の最後ですが」

 

 ケスラーは曾祖父の最後が気になるらしい。庭で死んだんだが、雑談代わりに教えてもいいけど、時間はあるのかい? ケスラー。

 君忙しい男だろう?

 

「時間はあります! 問題ありません! 公妃さまがよろしいのでしたら、是非!」

 

 勢い込んで聞かれたので、死ぬ一ヶ月前から説明してやった。

 曾祖父はある日「あ、俺一ヶ月後に死ぬから。ヨロシク」と言い出した。ついに呆けたか曾祖父め! わたしは思ったが、祖父と父さんは特に驚いたような素振りもなく「はいはい、死ぬんですねー」で終わらせた。

 一ヶ月後に死ぬと宣言した曾祖父は、その日から一週間ほど暴飲暴食しまくった。料理を作ったのは当然下男。

 その間にフリッツのじじいの所へも行き「死ぬから奢れ(意訳)」で、珍味を大量に摂取。

 一週間で暴飲暴食をぴたりと止めて、麦粥とワインのみの食事に切り替える。

 更に一週間後には麦粥だけにして、自分が入る墓穴を掘り、これまた自分で作っていた棺の内装を整える。

 わたしには「摘んだ花で隙間を満たしてくれ」などとほざきやがった。仕方ないので叶えてやったが、わたしは曾祖父の死後二日間、花を摘む作業に没頭するはめになった☆

 曾祖父は三日前くらいからは、食事は絶って水だけ。

 死ぬ当日、下男に体を洗わせて、母さんや執事と話をして。最後の晩餐は公爵家直系だけで、ワインを飲んでお話を。残念すぎることにわたしも直系に含まれており、参加せざるを得なかった。

 曾祖父はこの時、残りの曾祖母の白ワインを開け、全員で飲んだ。「息子に孫、その上曾孫とまで一緒に酒を飲めて幸せだ」それはそれは上機嫌だった。たしかに上機嫌になるだろうよ。

 わたし? わたしも飲んだよ。とは言ってもほんの少しだけどね。

 ちなみに酒を飲んでいる場所は、あの三次元チェス用の写真をとった葡萄の木の前。みんなで色々な話をしながら、わたしは曾祖父のあぐらの中で遊びながら、たまに話に混ざり、気が付いたら寝ていた。

 そして翌朝 ―― 危うく圧死するところだった。

 俯せで寝てたんだけど、背中に曾祖父の腕が乗ってたんだ。それも死んで、完全に力が失われたヤツ。

 必死の思いでその冷たくなった腕から逃れて気付いた、わたし曾祖父の胸の上で寝てた☆齢五つにして、屍と眠るという偉業を成し遂げてしまったのだよ☆成し遂げる必要など皆無だけど。

 父さんに聞いたところ「曾祖父(メメント・モリ)が最後は軍人らしく戦乙女(わたし)の腕に抱かれて死にたいと言ったから」とのこと ―― ワルキューレは戦死した軍人を迎えに来るわけであって、地面の上で大往生した人間がワルキューレ希望とか、図々しいにも程がある。ホント好き勝手しまくった男の最後でしたとも。

 そんな朝日に照らされた満足げな曾祖父の表情に、わたしは少しだけ悲しくなったものだ。もう少し好き勝手に長生きしてほしかったなあ……とね。

 

「最良の最期ですな……」

 

 ちょっとしんみりしたけれど、楽しんでもらえたなら良かった。

 そうだ、頼みがあるんだ。この本、最後のパート書き込んでくれないか? ケスラーの記憶を取り戻した話、最終話以外は全部書き込まれてるんだ。わたしも最後を知りたいから書き足してくれ。

 

「これは、曾祖父殿の手ですか?」

 

 字はな。絵は祖父だよ……教えたら、ケスラーが吹き出しかけた。いや、盛大に吹き出していいんだぜ☆憲兵上がりの祖父が描いたとは思えないくらいに、ファンシーな絵柄にしてポップな色使いだもんな☆でも曾祖父がこの絵と色使いなのは、もっと嫌ですぞ☆父さんだったら、別に何とも思わんがな! 

 

「畏まりました……あの、少々下男殿にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 それは構わんよ。下男に聞かれたこと喋るように告げて、二人は廊下に出た。わたしは一人部屋に残っていたのだが……直ぐに戻ってきた。

 話が終わったのかと思いきや、

 

「質問には答えられないと」

 

 誰かが口を封じていた。

 やれやれ……。ケスラーに何を聞いたのか? なにを聞きたいのかを尋ねたのだが、言葉に詰まってしまった。

 わたしには聞かれたくない類いの話?

 でもな、そんな態度を取られると、わたしは聞きたくなるから、下男に先ほどの質問を聞くよ。そして下男は絶対に答えるよ。それでも良いのかね、ケスラー。

 

「以前小官を助けて下さったのは、曾祖父殿ですか……尋ねたのですが、答えていただけませんでした」

 

 以前って十六年間……じゃなくて、触れて欲しくない方の過去のことか。

 ではわたしが下男に聞いてみようではないか。で、曾祖父は幼少期のケスラーを助けたのかい☆

 

「それに関しては、直接答えるなと主さまより言いつかっております。御前さまは既に答えをご存じにございます。その導き出した答えを告げるも告げないも、御前さまのお心のままに」

 

 ………………曾祖父!!! 貴様というヤツは! ふっ……なにを怒っているのだ、わたしよ。

 曾祖父がそういう人間だってことは、知ってただろう? 自分。考えてやるさ! 曾祖父の思惑に乗るのは嫌だが、分からないのはもっと嫌だ!

 ちょっと待ってろ、ケスラー。卿を地獄から救い出したのが曾祖父なのかどうなのか。記憶を手繰って…………あれ? おや…………。

 下男から聞いた話が微妙に矛盾してるようだ。下男は曾祖父にそう告げるように言われたらそのまま告げるが、そうでない限りは嘘はいわない。そして「答えを知っている」と言った。

 

『~そこは連れてきたヤツのIDが門閥貴族なので、直ぐに検査され異常がないと診断された。

 意識が戻ったら帰っても大丈夫と言われたケスラーだったのだが、目覚めた彼は十年強の記憶を失い()()()()()()()()()()「十歳前後のうるりっひちゃん」になった~』

 

『とにかく孫のような年齢の青年が記憶を失って怯えている姿を憐れに思ったのか、単に面白そうだと思ったのかは知らないが、曾祖父は怯えているうるりっひちゃんに「皇子」と名乗ったんだそうだ。「()()()()()()()()()()()()」ともな』

 

 たしか曾祖父がケスラーを病院から連れ出したのは当日。

 当日にはウルリッヒ・ケスラーだとは分かっていなかった筈だよな。だが「助けに来たよ、ウルリッヒ」と言ったとなると、祖父が直ぐに調べた? いや……

 

『大体こんな廃屋じゃなくて、まだマシな邸の方(現元帥府)に連れて来いよー。そうしたら十六年前もうるりっひちゃんだって、こんな恐い思いしなくて済んだ……言いたいところだが、曾祖父がケスラーを邸に連れて来なかったのは、当時母さんが初産控えての臨月だったので、()()()()()()()()()()()()()()()()、精神に負担を掛けてはいけないと考えて、この廃屋に連れてきたんだそうだ』

 

 怪我人が大勢出て、病院は大騒ぎで、記憶喪失者なんかに構っていられない状態。生きているヤツの身元調査なんて後回しだよな。

 

『ケスラーの年齢と言葉の端々の訛りから(今はもう訛りなんてないが)病院を怖がる原因に関して、()()()()()()()()()()()

 

 心当たりどころか、曾祖父のヤツ、あの襲撃事件の当事者だったな!

 誰が暴露したのか不明だが、曾祖父の仕業なんだな! 下男のほうを見たら、にっこり笑いやがった☆曾祖父が遠出するときは、お前付いていくもんなー下男。

 曾祖父当人に助けたという認識があったかどうかは知らないが、結果として助けたといっても間違いではない。ということで「助けた」と答えた。

 え? そんなに簡単に答えていいの? 

 いいんですよ☆わたし、引っ張るの嫌いなんで。

 ただね、ケスラーが顔を両手で覆ってしまった。なんかうめき声的なものを少し漏らして……。

 居心地悪さが半端ないのだが、帰るタイミングではないことくらいは分かっている。いや何時も分かっていながら、無視して帰ってるんだけど、さすがにコレはね☆

 十分ほどそんな感じで、ケスラーが何とか立ち直り、

 

「お時間を取らせて、申し訳ございませんでした」

 

 詫びてきたが、別に良いよ。だが悪い気はしない☆いつまでも、そのままのケスラーでいてくれ。

 

「急ぎ話の内容を書き込みます。それで……お願いがあるのですが。この本のコピーをいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 欲しいのならくれてやるよ、その原本をな。わたしはラストが読めればそれでいいんで。

 

「とても栄誉なことですが、コピーで充分です。原本は公妃さまがお持ち下さい。きっと曾祖父殿も、それを望んでおられることでしょう」

 

 あいつはそんなこと、望んでないというか、気にしないというか、まあいいや。ケスラーにとっては曾祖父は命の恩人なので、美化してしまっているのだろう。美化されるような人間じゃないんだが、いまの傷つききったケスラーの表情を前に、突っ込むのは気が引ける。それに、曾祖父のこと、そんなに慕っててくれるなら、後々面倒事頼めそうだし☆ラインハルトと別れてから、面倒が起きた時なんか、頼りにできそう。面倒事なんか、起こさないのが一番なんだけどさ。

 ケスラー、序でと言ってはなんだが、十六年前の橋の崩落事故について、業者もそうだが、もみ消した奴らについて調べられるかな? うん、教えて欲しいんだ。頼むね☆

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 さ☆て ―― あの後、ケスラーは約束を守ってくれて、ラインハルトのことを説得してくれ実習を受けることができるようになった。

 ただどう説得したのか分からないが、実技の練習台としてラインハルトがやってくるようになった。

 体を拭くなどの実技は、全部ラインハルトで行うことに。

 ちなみにその室内には、他の実習生はいない状態だった。ラインハルトの裸体なんて、見せたらみんなどきどきしちゃうもんね☆でも見られなくて残念だったろうなあ。

 ちなみに採血などはラインハルトではなく、同じ実習生で。

 だがこっちはこっちで、誰もわたしから血を抜いてくれないのだー。別に血液になんの病気もありませんよ☆気にせずごりごり抜きなよ。きっと血管太くて抜きやすいよ☆と誘ったのだが、誰も近づいてこなかった。

 悲しいわー。それとも、皮膚や血管が丈夫そうで敬遠された? いや、そんなに強くはないって。見た目は丈夫そうで、実際丈夫だけど。

 みんなやらせてくれるんだけど、誰もわたしで実習しない。ふっ……門閥貴族の業の深さってやつか。仕方ない。そんなハブられ気味な実習生活を送っていたら、ケスラーから物語の結末が書き込まれた本と、橋の崩落事故に関する報告書が届いた。

 最初に腹立たしいほうを終わらせようということで、報告書から。なにをするのかって? え? 闇討ちくらいしても良いよね☆ほら、襲われたので正当防衛です(キリッ)と言えば、何とかなるさ、きっと!

 責任者よ、月夜ばかりと思うなよ! さて、誰だ。事件を闇に葬った責任者は。責任者はエーリッヒ・フォン。ハルテンベルク……妹に頭かち割られて死んだ人だな。確かにこの人警察官僚だったね、それも有能でばりばり出世してた人だったね。なーんだ、闇討ちしようと思ったのに、残☆念。

 

 死んでしまったのは仕方ない、許してやろう。では物語のラストでも読むとするか。読み終わったら下男にも読ませよう!

 


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