ラプンツェル   作:朱緒

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第九話☆三大○○と七不思議の一つ

 とりあえず、アベル(ファーレンハイト)とは仲直りすることにした。

 主な理由は「気にされても困るから」

 アベルがあの時のことを、気にしているなんて思ってもいなかったのだが、

 

「手土産を持って謝罪したいので、伝えて欲しいと頼みに来ておった。手土産か? 兄弟が目の前で捨てておった。兄弟は公爵殿のご命令に忠実ゆえな」

 

 元皇女からそう伝えられたので、とりあえず下男を褒めてから、謝罪して気が済むのなら、適当に聞き流してやることにした。

 そもそもアベルがわたしに謝罪する理由はない。わたしもアベルに謝罪する理由はないが。

 

 アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、アベルについてだが、アベルは子爵の令息だった。アベルの父親は横領犯を告発しようとしていた伯爵の部下で、敵に先手を打たれて敗北。

 逆に逮捕され、取調中に病死したと ―― きっと病気の原因は殴る蹴るで、死因は脳内出血とか内臓破裂だとおもうけど、それを確かめる方法はない。母親は父親が逮捕されて直ぐに自殺したそうな。

 生きていたら酷い目に遭うのは確実なので、これも仕方の無いことだろう。門閥貴族は本当にえげつない生き物である。

 アベルは当時十一歳で、命は助かったものの財産を全て没収され、当然ながら爵位も失った。

 巻き添えを食いたくない親族はアベルから離れてゆき、アベルは十一歳の身空で独りぼっちになった。

 で、そこに手を差し伸べたのが、貧乏さにかけてはアベルの遙か上、銀河帝国貧乏界の神座に腰を降ろし、この騒動を見ていた父さん。

 金は一帝国マルクも出せないが、衣食住くらいなら確保してやるぜ! 保護者代理くらいならなってやるぜ! と、連れ帰ってきたそうな。

 完全なる貧乏中二病患者である父さんについてくる程に困窮していたアベル。

 貧すれば鈍するの生きた見本ともいえよう。

 そんな鈍したアベルは”さあ、衣食住を確保しようぜ!”と父さんに連れられ、十一歳で従卒の道へ ―― まさに食うために軍人ルートに乗せられたわけだ。

 十一歳で従卒ってどうなの? 聞かれそうだが、ウチは極貧ですが門閥貴族なことと、アベル自身が爵位なくした門閥だったこともありOK! なにより父さんの従卒だったから。

 こうしてアベルは我が家で暮らしていたのだとか。詳しいことは、あまり知らない。

 アベルは十六歳で士官学校へ。わたしが生まれたのはこの頃。なので、わたしとアベルはそれほど親しいわけではない。

 アベルは休暇のたびに我が家へと帰ってきて、それなりに楽しそうに過ごしていた。

 わたしはアベルとは年が離れているので、そんなに話をしたことはないのだが、その中で覚えているのは、金に苦労したアベルは、金持ちの女と結婚したいと、夢と希望に満ちあふれたことを言っていた ―― 言ってたんだよ! 間違いなく言っていたんだよ! だからわたしは悪くないんだよ!

 

 ……なんのことかって?

 

 アベルが士官学校を卒業して五年、順当に階級を上げ将官となり、そろそろ身をかためても良いお年頃になっていた。

 父さんと母さんが出征した後 ―― 二人は帰ってくることはなかったのだが ―― アベルが「近いうちに結婚する。近々その相手を連れてきたい」と告げた。

 ふーん良かったね……と思い、そしてアベルの結婚が本決まりとなった。たしか父さんの戦死報告が届いた頃、報告しにやってきた筈だ。

 もちろんわたしにではなく、当時の公爵家当主(祖父)に。

 祖父に呼ばれたわたしは、アベルが侯爵家の令嬢と婚約が整ったと教えられた。同時にその侯爵家が裕福であることも。

 「近いうちに結婚」と語った時のアベルの表情は幸せそのものだったから、盛大にお祝いの言葉をかけたんだ「金持ちのお嬢さん射止めるとは、やるね!」「昔から金持ち狙ってたもんな!」「金好きだもんな、おまえ!」……みたいな台詞をな。だって金持ちと結婚したいって言ってたじゃないか!

 

 そうしたらアベルが激怒した。

 

 そりゃもう、どこぞのディオニス王もセリヌンティウスを人質にしようなんて思わないくらいに激怒した。

 

「二度と俺に話し掛けるな!」

 

 そう言ってアベルは邸から去った。以来わたしはアベルと会うことはなかった ―― わたしは悪くないと思う。だってアベルが金持ち好きだって言ってたんだから。

 そんなアベルとの再会は、キルヒアイスが死にガイエスブルグ要塞で彼らの議長を務めたとき。

 久しぶりに見たアベルの老けっぷりに、何もなければ引いただろうが、あの時はそんな暇も無く全スルー。

 話し掛けるなに関しても、あの状況でそれを持ち出すほど馬鹿ではないので、あの時に限ってはノーカウントでいいだろう。

 「なんでアベルが?」と帰国中に調べたら、アベルを見初めたのはファーレンハイト侯爵令嬢だった。

 正直、わたしは悪くないと思うんだ。まさかアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトとアベルが同一人物だなんて思わないじゃないか!

 わたしは悪くないー! 悪くないんだー! ファーレンハイト侯爵家なる存在を覚えていなかったことは、落ち度かもしれないが、わたしは悪くないー!

 

 アベルがファーレンハイトと知ったわたしは、ラインハルトの従卒という美味しいポジションを更に使い、アベルの家族構成について調べ、調べなければ良かった! と速攻で後悔するはめに。

 侯爵令嬢はリップシュタット戦役の直前に死亡していた。死因ははっきりと書かれていなかったのだが、死亡した場所が門閥貴族専門の精神病院ってところで、ある程度想像がついてしまう。

 調べた以上、想像だけで終わらせるわけにはいかないので帰国後、下男にアベルの結婚について知っていることを全部教えるよう命じた。

 そこでわたしが知ったのは、アベルが婚約していたのは、金持ちでもなんでもない一般平民女性だったそうだ。

 幸せそうにアベルが語ったのは、この婚約者のこと。

 婚約者は妊娠しており、安定期に入ったら我が家に連れてくる予定だったんだそうだ。

 そこに横やりを入れたのが、ファーレンハイト侯爵家。

 デビュタントしたばかりの令嬢が、どこぞでアベルに一目惚れ。アベルに一目惚れなんかしないで、素直にロイエンタールにでも……と思わなくもなかったが、今更言っても仕方の無いことだ。

 侯爵令嬢は「おじいさま、わたくし、あの方と結婚したい」当主である祖父に頼み込んだ。ここでアベルが平民だったり、芽が出なそうな軍人なら良かったのだが、本来なら子爵を継いでいるはずの人物。父親の罪に関しては、父さんと執事(皇太子)が長年かけて「間違って殺しちゃった☆」という方向に訂正しており、家族に犯罪者はいないことになっていた ―― 実際犯罪者ではないのだが。

 軍人に関しても二十五歳で准将ともなれば、侯爵も異議を唱える必要などなく、孫侯爵令嬢の頼みを聞き入れた。

 侯爵令嬢に一目惚れされたアベルは、当然拒否するのだが、侯爵側はそれも織り込み済みで、事前に捕らえていた婚約者をアベルの前に引き出し、薬を投与して胎児を殺害した。結構えぐい話だが、婚約者はアベルの目の前で死んだ我が子を出産したそうだ。

 侯爵側は言うことを聞かないと、婚約者も殺害すると告げ、アベルは結婚を承諾し、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトになったのだが……侯爵に一つ聞きたいことがある。あのな、アベルの性格上、そんなことをしたら絶対後々逆襲してくる。つか、アベル以外の人でも半数くらいは、虎視眈々と復讐の機会を狙うに決まってる。そこのところ、どう考えてるんだ? それとも、なかなか出来る男だが、自分以下だと考えていたのか? 侯爵。

 もう一つ気になったのは、アベルが結婚を承諾した理由。

 婚約者を守る為? 本気で守るなら、婚約者を連れて亡命したはずだ。アベルならできたはず。そこだけはわたしも評価している。

 ではなぜ、アベルがそれを選ばなかったのか?

 我が家に迷惑がかかると考えて、亡命は諦めたのだそうだ。

 馬鹿だなあー。気にせずに婚約者連れて亡命すれば良かったのに……でも、亡命してたら死ぬ可能性高いよな、アベルは亡命しても軍人の道を選ぶだろうから。

 だから、きっと亡命したと聞いたら、アベル馬鹿だなー。同盟は滅ぶんだぜー仕方ないやつだな……と思ったことだろう。この微妙な気持ちを分かってくれる人はいないだろうが。

 こうして力尽くで侯爵令嬢と結婚させられたアベルだが、結婚前とは打って変わって、外に女を作ったりと、素行が少々悪くなった。職務放棄までできなかったのは、アベルの真面目さなんだろう。それができたら、放逐されたか……どうかなあ。

 侯爵令嬢のほうは、本当にアベルのことが好きだったらしいから。だから外に女がいるは堪えたらしい。

 そして結婚から四年後、とどめを刺された。アベルに婚約者がいたこと、妊娠していたこと、侯爵家により強制堕胎されたことを知った時、侯爵令嬢の精神は崩壊し、精神病院送りとなり、さらにそれから三年後、衰弱死に至った。

 たしかに侯爵令嬢も悪いところはあっただろう。精神が脆いのは、門閥貴族としては罪だ。だが……なんなんだろうね。

 それでこの侯爵令嬢にとどめを刺した、過去の出来事。誰が教えたのか? 元諜報員だそうで、それを指示したのはうちの祖父。

 昔の伝手でアベルに結婚を承諾させた方法なども調べ、結婚から四年目に行動に移した。侯爵家を滅ぼすために。

 おそらく、いや確実に祖父は腹に据えかねていた。

 なにが? 亡命したら我が家に迷惑がかかる、亡命したことを取っ掛かりに我が家を滅ぼすと侯爵がアベルに告げたことが。

 「貴様らなんぞに、滅ぼされるほど、間抜けではない」とな。

 財力では完膚なきまで負けている我が家なので、侯爵がそう言ったところで、おかしくはないのだが、祖父はイラッときて、侯爵家を滅ぼすことにして、跡取りの娘を壊した。

 祖父に言わせると「あの程度で壊れるようでは、門閥貴族としてはやっていけまい」だったとか。

 そりゃまあ、我が家はわたし以外は最強メンタルの持ち主だから、それと比較しちゃあ駄目。わたしは、それほどメンタル強くはないと思うよ。ほら、精神はあくまでも一般人だから。

 話を戻すが、侯爵家は貴族間の闘争に負け、跡取りを失った。

 これは古典的な手法で、あのグリンメルスハウゼン子爵も得意としていたね。

 ほら、ハルテンベルク伯の妹エリザベートに、今更ながらにカール・マチアスの死の真相を吹き込んだ、あの手法だよ。おそらくグリンメルスハウゼン子爵は、誰かに頼まれるか、自分自身の考えでハルテンベルク伯を傷つけたかったのだろう。そうでもなければ、わざわざあの時期に告げるはずもない。

 侯爵令嬢亡き後、アベルは貴族連合に与し、そしてラインハルトの麾下に。ファーレンハイトの名を捨てて、失った子爵の名を取り返しても良さそうなものだが、なにを思ったのかアベルのやつ、ファーレンハイト家の養子になってた。次期侯爵さまだね。現侯爵はかなり弱っていて、年を越せそうにないとか。アベルが別れた婚約者と結婚する気配はないし、愛人とくっつく感じもなければ、女っ気すらなくなっているので、ファーレンハイト家はこれで終わりか。

 

 祖父さん、あんたの勝ちだぜ!

 

 で、アベルからの謝罪を聞いているのだが、別に気にしてはいないので、お前も気にするなよ☆

 お前、白ワインネタをばらしたのか、それも全員の前で……よし、分かった、心置きなく元帥昇進(回廊で戦死)してこい。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「もしかして、あなたも……」

 

 ラインハルトは間違いなく、最良の皇帝になるだろう。

 わたしとラインハルトがなんの話をしているのかというと、フリードリヒ四世に関して。

 もちろんこの男のことを、ラインハルトは決して許しはしないのだが、最近はある程度落ち着いてきたらしく、話題に出すことができるようになってきた。

 以前はフリッツ……フリードリヒ四世の話なんて出したら、粛清対象になりかねない勢いがあったんだが、成長したんだろうね。ビッテンフェルトじゃないけれど、その苛烈さがなくなると、ちょっと恐いというか、病発症した? 心配になるが。

 でも個人的には怒りに凝り固まるよりは、許さなくてもいいけれど、少しは楽になって良いと思うんだ。

 ラインハルトのフリードリヒ四世の思い出は、碌なものじゃない。これは仕方ない。ほとんどはアンネローゼ絡みなので、知らないわたしは頷きようはないのだが、あることに関しては、完全に同意できた。

 

 曾祖父とフリッツのじじい(フリードリヒ四世)は従兄弟なので、それなりに交流があった。

 二人だけで交流していりゃあいいものを、わたしを連れて、フリッツのじじいの家(ノイエ・サンスーシ)に遊びに行くことも。

 初めて連れて行かれたのは、わたしが八ヶ月のころ。

 

「フリッツ、俺の曾孫だ。賢く聡明で利発な顔だちだろ」

 

 わたしは生まれた時から前世の記憶があり、会話を理解できていたが……フリッツが誰なのか、分からなかったのは仕方ないと思うんだ。

 天下の銀河帝国皇帝のこと愛称で呼びかけるようなヤツ、本編にはいなかったし。でも曾祖父との会話で、徐々に理解していくことになる。

 

「余は銀河帝国皇帝ぞ。その余をフリッツと呼ぶのはお主くらいのものだ。賢いのは当たり前であろう。なにせお主の血を引いているのだからな」

「褒めてもなにも出ないぞ、フリッツ。戦乙女、フリッツと遊んでやれ」

「戦乙女? そのような名ではなかったような」

「孫が曾孫につけた愛称だ。本名より、若干呼びやすかろう」

「たしかに戦乙女(ワルキューレ)の方が……あれは些か変わった名前が好きだな」

 

 曾祖父はわたしを床に降ろした。わたしは喋ることはできないが、喋っていることは理解できるので、遊んでやるために、這い這いしてフリッツのじじいに近づいたのだが、即座に回頭して逃走した。

 だが遊んでやらないと、フリッツのじじいの機嫌が悪くなるかもしれない、そうなったら家族に迷惑がかかると考えて、振り返って座って楽しそうに手を叩き、再び這い這いを開始し、フリッツのじじいに近づき、また離れ ―― ヒット・アンド・ウェイを繰り返した。

 

「ついて来いと言ってるんだぞ、フリッツ」

「そうか。では、どれどれ」

「戦乙女。フリッツに捕まるなよ」

 

 こうして零歳児(わたし)と、当時四十代後半なのに、六十過ぎに見える元放蕩大公、現美少女大好き(寵姫はまだシュザンナ)皇帝との追いかけっこが始まった。

 わたしはフリッツのじじいを翻弄しまくった。決して捕まらぬ、捕まったら自害して果ててやる! との勢いで。

 フリッツのじじいは、この追いかけっこを非常に気に入ったらしいのだが、不摂生で直ぐに息が上がり、椅子に腰を降ろす。

 ”やった! 逃げ切ったー!”と喜んでいたわたしだが、フリッツのじじいよりも年上なのに、足取り軽やかな曾祖父にぱしゅっ! と捕まり、

 

「膝に乗せてみるか。落とすなよ」

「落とすから要らぬといいたいところだが。乗せてみよ」

 

 ”やめろー! やめろー!”叫びは、曾祖父には届くことなく、わたしはフリッツのじじいの膝に乗せられた。

 その時の写真が残っているのだが、楽しそうなフリッツのじじいとは反対に、わたしの目は死んでいる。完全にハイライトが消えた、俗に言われるレイプ目。

 口元からはナイアガラの滝を彷彿とさせる涎があふれ出している、酷い写真。

”ラインハルトが台頭するまでの我慢”

 全精力を持ち、ラインハルトが天下を取ることを糧にして、機嫌良さそうに手を叩いた。

 

「ほとんどの子供に泣かれた余だが、戦乙女だけは泣かんな」

 

 フリッツのじじいの膝に乗せられても泣かなかったわたしは、非常に気に入られ、曾祖父が死ぬまでの間、半年に一度の割合でフリッツのじじいの家へ連れて行かれて、追いかけっこに精を出した。

 

 酒を飲まない人ならば分かるとおもうのだが、酒を飲んだ人間は臭い。酒が分解されている時は尚臭い。

 そしてフリッツのじじいは、いかなる時でも酒を飲み酔っ払っていた。

 人間なので体臭と加齢臭は仕方ないとしても、酒臭さプラス二日酔いの悪臭、男性用香水と整髪料の匂いが混じった物体(フリッツのじじい)は、赤子が引きつけを起こすレベルで臭かった。

 ラインハルトに思わせぶりなことを言ったり、バラ園で滅びるなら~とかほざいていたが、悪臭の発生源なので格好がつかない。

 鼻毛が出ている人間が格好つけても、どうにもならないのと同じだ。むしろ被害が大きい分、こちらのほうが厄介だろう。

 「ほとんどの子供に泣かれる」のは当然だ。フリッツのじじいは、こちらが生命の危険を覚えるくらい臭いのだ。

 わたしは前世の記憶があり、フリッツのじじいの機嫌を損ねないほうが得策だと知っており、精神力もあったので耐えられたが、普通の赤子なら泣く。全身全霊で泣いて拒否する。

 だが拒否されるとフリッツのじじいは面白くないらしく、皇子や皇女、孫たちとほとんど会わなかった。

 仕方ないじゃないか、ほんとうに臭かったんだもん。

 フリッツのじじいの前を辞して、帰宅前にミルクを飲んだわたしに、

 

「お前、よくフリッツに抱かれて泣かなかったな」

 

 曾祖父が分かっていて乗せたことを理解したわたしは、げっぷのついでに悪臭を思い出し、ミルクと涎を混ぜたものを、肩口にゲレゲレと吐き出してやった。

 そのくらい許されるはず。

 ラインハルトなら理解してくれるはず!

 

「本当にフリードリヒは臭かったな」

 

 ですよね☆ラインハルト。

 あの匂いは酷かったよね。あれほどの悪臭をまとうフリッツのじじいのこと、愛し過ぎて死んだベーネミュンデ侯爵夫人の気がしれ……副鼻腔炎かなにかで、鼻がきかなかったのかなあ。宮廷医師に鼻穴診てもら……わないよな。

 そして銀河帝国の女性たちよ、アンネローゼに感謝せよ。アンネローゼのおかげで、悪臭に晒される少女の数が抑えられたのだ。アンネローゼが何時も悲しげな顔をしていたのは、フリッツのじじいが臭いのも何割かあるだろう。

 父親も似たようなもんだったから(セバスティアンもアル中)酒が分解されているときの悪臭になれていたのかもしれないが、使命を終えたアンネローゼがフロイデンにて新鮮な空気を胸一杯に吸いこむのは、当然の権利といえよう。

 これ、なにが一番悪かったかって、相手が神聖不可侵の皇帝だから、臭いと誰も言えなかった。曾祖父ならば言えたらしいのだが、敢えて言わなかったんだそうだ。

 

「忠告してくれる部下の存在……なるほど」

 

 曾祖父が言ったら聞いただろうし、フリッツのじじい本人も悪臭について分かっていた……かどうかは不明だが、皇帝に苦言を呈したり、普通の人は言いたくないことを進言できる部下は必要であり、皇帝たるものはそれを受け止める度量も必要だと。曾祖父はそういう存在にはなれたが、年を取り過ぎていたので、もっと若い人にそれを託した ――

 ラインハルトに置き換えると、オーベルシュタインだね。キルヒアイスは言わないで、処理しちゃうタイプ……思えばあまり良いタイプではないが、そこはもう故人だから仕方ないで済ませておこう。

 

「たしかに軍務尚書ならば、言うであろうな」

 

 むしろオーベルシュタインが苦言を呈さなくなったら、それはもう見限られたと考えたほうがいいだろうなあ。そんなことあり得ないけれど。

 オーベルシュタイン、色々言ってもラインハルトのこと大好きだからな。

 ラインハルトに意見を全部潰されても、オーベルシュタインは恨んだり、自分の才能に嫉妬しているだとか、下らないことも言わないから、色々と納得がいかないこともあるだろうし、不愉快になることも多々あるだろうが、一回はオーベルシュタインの意見を聞いてみるべきだとおもう。

 あとは暴走を諫めてやればよし。特に門閥貴族の粛清とか、門閥貴族の粛清とか、門閥貴族の粛清とか、門閥貴族の粛清とか ―― ラインハルトと別れたら粛清されるとか嫌ですからな☆ここは重要ですよ!

 

「軍務尚書の暴走な。たしかに、あなたの言うことには一理ある、髪長姫」

 

 それにしても、最近すっかり髪長姫(ラプンツェル)が定着してきたなあ。なんか世間では、わたしの名前は、ラプンツェル・フォン・ローエングラムかワルキューレ・フォン・ツークツワンクだと勘違いされているらしい。どれもこれも間違いだよ。かろうじてローエングラムは掠っているが、それだって近々返上する。

 まあ前者の髪長姫(ラプンツェル)はまだいい。後のこの世界の支配者が使っているのだから、それが宇宙の正義になるのは当然だ。だが後者はなぜ? あの愛称(ワルキューレ)がなんで知られてるんだよ! アベルか? アベルの仕業なのか? 貴様がその気なら、わたしも封印していたアレを暴露するぞ。三十過ぎには可哀想だと思って封印していた父さんと執事がお前に付けた愛称で呼ぶぞ!

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 いやーアベルのこと、愛称で呼ばなくてよかった☆

 わたしの目の前にいるのは、アベルにブラスターでふくらはぎを撃ち抜かれ、おざなりに包帯を巻かれただけの地味顔の女。

 この女が撃たれた理由は、アベルのことを愛称で呼んだから……だけではないのは分かる。

 この地味な顔の女は、執事の妻。元皇太子妃(黒縁眼鏡)とも言う。ただし精神病院に収容され、衰弱死したはず。

 幽霊……幽霊のほうが、もう少し存在感ありそうだがな。昔っから、なんか影薄かったもんなあ黒縁眼鏡(皇太子妃)

 

「今更何を言っている、男爵令嬢」

「都合の良いことを言っているのは、分かっております、ファンタスマゴリ(ファーレンハイト)さま」

 

 アベルがブラスターの引き金を引き、ばしゅっ! とな。

 落ち着けアベル。あー本当にアベルのこと愛称(ファンタスマゴリ)で呼ばなくて良かった。ああ、アベルの愛称はファンタスマゴリ。

 中二病が好む三大単語、レゾンデートル・グランギニョル・ファンタスマゴリ。三大に関しては異論は認めるが、中二病患者が好む単語であることを否定するのは許さない。

 それにしても、昔はファンタスマゴリと呼ばれていても、銃乱射なんてしなかったんだけどな。

 呼んでたのは父さんと執事と祖父と曾祖父と母さん……うん、まあ恩がある相手だから、黙って呼ばれてたんだろうな。

 子供心にアベルの愛称、移り変わる幻影(ファンタスマゴリ)って変だなーそれに比べたら、わたしの愛称戦乙女(ワルキューレ)はまともだよな……全然まともじゃなかったんだけど、比較対象が酷すぎて、感覚が麻痺してた。今なら分かる☆だが分かった時には既に手遅れ☆

 ちなみにわたしがアベルのことを移り変わる幻影(ファンタスマゴリ)と呼ばなかったのは、単に言えなかっただけ。

 幼少期、わたしの滑舌は悪かった。このボディはブラック・ジャック作のピノコかなにかか? 思うほどに滑舌が悪かった。

 例を挙げるとフリッツは「ふいっちゅ」アベルのことは「ぁべゆゅぅ」状態。

 しっかりと発音しているつもりなのに「ぁべゆゅぅ」

 最初はストレスを感じたが、後半は楽しくなってきて、おかしなテンションで父さんへの手紙に分かるまいと、「あっちょんぶりけ(ピノコが八倍ふやけたような発音)」と入れてやったら、後日解読されて帰ってきたのには驚いた。

 もちろん意味は分かっていなかったようだが、父さんは楽しかったそうだ。

 帰国後、件の青年士官と三日三晩かけて一緒に解読したと言われた時、二度とこんな馬鹿な真似はいたしませんと、心に固く誓った。もちろんその青年士官に対して。

 幼少期はこんな滑舌なので移り変わる幻影なんて、とても発音できなかった。今はもちろん苦もなく発音できるが、撃たれて死にたくないので封印しておくとしよう。

 

 唐突だが銀河英雄伝説七不思議の一つ「エルウィン・ヨーゼフ二世の父親は誰なのか」あとの六つは適当に各人で考えていただきたいが、このエルウィンの父親については、当時から不思議だった。

 エルウィン・ヨーゼフ二世は皇太孫。父親とされているのは皇太子ルードヴィヒ。

 ルードヴィヒが死亡したのは、帝国歴四七七年。皇太子ルードヴィヒが死亡したことにより、跡取りになる男児を得るために、女狩りが行われ、そこでアンネローゼが見つかった。ゴールデンバウム王朝滅亡の序章が始まった年とも言える。

 

 で、エルウィン・ヨーゼフ二世は四八二年生まれ………………?

 

 これは姑獲鳥の夏も真っ青な、ルードヴィヒの妻は五年間妊娠し無事男児を出産したんだ! ではない。この血統のミッシングリンクを埋めるのは、フリッツのじじいの子供は四人だけ成人した、というくだり。

 そう名前も明らかにされず、帝国歴四八六年頃には既に死んでいる人物。

 それが我が家の執事こと元皇太子。彼がエルウィン・ヨーゼフ二世の父親であり、母親がわたしの目の前にいる……影が薄くて目の前にいても偶に見過ごしてしまう黒縁眼鏡の男爵令嬢。

 皇太子と男爵令嬢の恋物語って、字面だけならロマンス小説だよなあ、実物を知っているとまったくそうは思わないが。

 それを言ったらアベルと侯爵令嬢だって、ハーレクイン系の……ハーレクインなら幸せになれたかもしれないが、ここはスペースオペラ。

 それもかなり殺伐で死亡フラグに満ちあふれ、気を抜かなくても死んでしまう、ルナティックモードな世界。日常生活がデスゲーム(テロ乱発)。内乱は年中行事(艦隊戦)。ちょっと気を抜くと、核ミサイルが容赦なく降り注ぎ、惑星が一個まるごと壊滅してしまうような世界☆なんでこんな世界に転生してしまったんだ……。

 考えても仕方の無いことは、頭から排除して、今までのことを整理しよう。

 フリッツのじじいには、成人した四人の子供がいた。そのうちの一人が我が家で執事をしていた皇太子。

 ルッツ……ルードヴィヒのことだが、あまりにも不吉な名前なので、我が家ではルッツと愛称で呼んでいた。

 ルッツ(皇太子)はフリッツのじじいの長男で、執事は二男。長男(ルッツ)の母親は寒門ながらも門閥貴族。だが執事の母親は娼婦。外で飲み歩くのが大好きだった放蕩大公らしい、種の撒き方である。

 出自の時点で皇太子になれる可能性は限りなく0に近かった。通常なら、胎児の時点で、さっさと始末してしまうところなのだが、グリンメルスハウゼン子爵か誰かが後始末に失敗したらしく、皇帝の息子だと娼婦が騒ぎ、DNA調査をしたところ、フリッツのじじいの息子と認定された。

 「こんな生まれのを皇族として認めるのか? でも男児。ルードヴィヒ皇子と違って健康だ。だが娼婦の息子だ。でも健康な男児だ。だが娼婦の息子だ……」

 無限ループで会議が踊っているとき、曾祖父が「俺ならさほど強力な後ろ盾にはならんが、まったく後ろ盾になれないわけでもないから、いいだろう?」養育してやると言いだし、面倒事が嫌いな諸兄は曾祖父の気が変わらないうちにと執事を預けた。

 以来、執事(二男)は我が家で育てられるのだが、曾祖父は父さんと執事を分けて育てた。普通は分け隔て無く育てるものでは? と言われそうだが、一応名門当主の座が確定している父さんと、爵位もらえるのかどうかも怪しい執事を、同じように育てるわけにはいかない。

 なので二人は兄弟ではなく、一緒に暮らしながら友人になった。

 教育が良かった(曾祖父が先生)と認めるのはなんか悔しいし、遺伝子(片親はフリッツ)が良かったと言うのも釈然としない、まして友人に恵まれた(中二病)なんて言いたくもないのだが、執事は立派に成長した……友人(父さん)同様、中二病だったけど。

 執事、執事言っているが、本人が佐官の制服を着ながら「あくまで執事ですので」と言っていただけである。

 果てはあげくに「執事といえばセバスティアン。わたしは執事だからセバスティアン」と言い出したが、執事の名前はセバスティアンでもなんでもない。

 そうそう名前と言えばルートヴィヒ(ルッツ)

 あの呪われた名前、なんで改名しなかったのか? 不思議には思っていたんだよ。そして遊びにきていたルッツ(皇太子)に直接聞いたことあるんだ。

 そうしたらルッツ(皇太子)は、諦めきった表情で「名前を変えたら、簒奪の意があると思われてしまう可能性があるからだよ」教えてくれた。

 即位したいから改名した。即位を熱望している。だが体が弱い。父帝の死を望んでいるに違いない! 皇位を得るために、殺害を計画しているはずだ! そうだ! そうだ! 疑わしきは厳罰に処するべきである! で、処分されてしまうということだ。

 ルッツ(皇太子)の伯父さんも、それで自害するはめになったんだから、下手な動きは取れない。そしてルッツ(皇太子)は帝国の呪われた歴史に名を刻み、帝国歴四七七年に退場していった。

 ちなみにルッツ(皇太子)は体が弱かったこともあり独身。執事は出自がアレなこと、当時結婚していたが相手が行き遅れの男爵令嬢(黒縁眼鏡)で、二人の間には子供はいなかったこともあり、フリッツのじじいの寵姫探しが始まったのだ。

 だがアンネローゼが懐妊するまでの繋ぎとして、執事が立太子された。誰も次の皇帝になるなんて、思ってなかった。立太子された当人すら。そして誰もが予想した通り、即位することなく……執事が死んで黒縁眼鏡も死亡して、エルウィンだけが生き残り即位したはずなのだが。なんだ? わたしも知らないなにかがあるのか?

 なに? 下男が全部知っている? あれなら、大概のことは知っているだろう。

 え? 聞いても、喋らない。ふーん……面倒だから、ラインハルトのところにいって、下男を呼び出して聞けよ。皇帝とか皇太子絡みの厄介事なんか、持ってくんな☆

 

「ローエングラム公が直接尋ねたのだが、口を開く気配はなかった。おそらく太子公(曾祖父)の命だと思われる。となれば、下男の口を開かせることができるのはあなただけだ、戦乙女……ではなく公爵夫人。ローエングラム公が協力して欲しいと」

 

 わたしのところに来る前に、ラインハルトの所にいったのかアベル。そして下男を呼び出して事情を聞いたが、口を開かないと。

 下男がラインハルトから聞かれて答えないってことは、曾祖父が口外無用と命じたな。となると、わたしが命じたところで喋るかどうか。

 でもまあ、聞いてみるとするか。

 ああ、面倒事が向こうからやってくる☆

 

 そうだヴァルハラの父さん、一つだけいいたいことがある。なんでアベルの愛称ファンタスマゴリにしたんだ? レゾンテートルやグランギニョルでもよかっただろう。ファーレンハイトとファンタスマゴリって「ふぁ」が被ってて、苛つき指数が二乗の二乗の二乗増しなんだよ☆

 そう言えば母さん、アベルの愛称(ファンタスマゴリ)を省略して「ファー」って呼んでたな。ふふふ、わたしの愛称(ワルキューレ)暴露の仕返しに「ふぁー」って呼んでやろうか☆三十過ぎて「ふぁー」って呼ばれるとか、恥ずかしいにも程がある……わたしがね。あの面にむかって「ふぁー」は懲役刑にも匹敵する。


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