いくさん2連発です
《空気 読む》
秋が運んでくる早い夜に、霖之助がそろそろ店も閉めようかとしていた頃、その女性はやって来た。
「あぁ、申し訳ないが、もう閉めるんだ。明日にでも来てくれないかい」
「嫌です。此処はお店なのですから、客をいつ何時でも受け入れるべきでしょう?」
「胡散臭いお客様はお断りなんですよ。さぁ、どうぞ出口へ」
「えらく横着な店なのですね……あ、これ良さそうですね。包んで頂けますか? 一つだけを」
「おかえりはあちらです、と言いましたがね。それとも、君のその耳は聞こえていないのか?」
顔に馴染みも一切ない女性を見ながら、霖之助は溜息を零した。
「かなり高性能な耳ですが。そうですね、ここの埃が耳に入って、少々落ちたかもしれません。ありますか、耳かき」
「気を遣うべきだね、君は。まぁ、在るにはあるが……勿論、お買取頂くから宜しく」
「苦痛ですね……たった一度の為、部屋に在る耳かきを買い取るなんて……綿棒ならどうでしょう? ありましたっけ?」
「毛玉ならその辺に幾らでもあるよ。ほら、あすことか、ここ」
「ここまで自由気ままな店も珍しいですね……では、ちょっと私が頑張りましょうか。さぁ、そこを退いてくださいまし。さぁさ」
さて、腕を捲くり袖を捲くりながら、女性は掃除道具を物色し始めた。
「さても妙な女性が居たものだ……あぁ、そこに在る道具で掃除するといい。あぁ、そこの物差し」
「したくても、これでは出来た物ではありませんよ? これで如何しろと言うのです」
「少しばかりでも自身を計るといい。それはそう言う道具だ。気に入ったなら買ってくれると嬉しいよ。君はそれで何度も計りなおせ」
「背は女性としては少々高めなので、余り計りたくはありません……そうだ、この店を潰して新築と言うのはどうでしょうか、いっそ」
「そんな事をして僕に何の利益が……いや、もう良い……兎に角、また明日にでも来て下さい、明日」
溜息をまた吐きながら、霖之助は女性にそう言う。
「確かに、それでも良いでしょう。貴方は早く店を閉めたい。私は店を見たい。これで手打ち」
「ちっとも手打ちじゃないよ。いや、と言うかだね、君は誰だい? 挨拶くらいできないかい? 挨拶」
「つまり、店主様は私の全てを知りたい、と……全て? 構いませんが、聞きたいですか? 全て?」
「提案がある……一つ道具を上げるから、帰ってくれ。早々と」
「と、言われましても、私は買い物にきた訳で御座いまして……それに、もっと優しく接してくださいな」
なんとも言えぬ妖艶な流し目だったが、霖之助にとっては正体不明で夜分に転がり込んできた迷惑な客でしかない。
「何を言うかと思えば……優しくしてほしければ、まず君の正体を明かして貰えないものかな。まずはそこが第一だろうに」
「兄さん……忘れたんですか? 私ですよ? ほら、遠い日に一緒に草原を駆けた、遠い記憶の片隅に追いやられた貴方の雌犬」
「縫い針を取ってくるから、ちょっとそこで待っていてくれ。大丈夫、すぐ持ってくるからね」
「姉さん、それで何をなさるお積りですの?」
「脳に百本ほど刺すには丁度良いだろう、縫い針は」
儚むような顔を霖之助に見せ、女性は呟いた。
「はて……縫い針にそんな使い方が在ったでしょうか……仮にも道具屋の貴方が、そんな間違った遣い方をなさるなんて……なんて無慈悲」
「人にそんな使い方をさせているのは君だ。姉だの兄だの無慈悲だのと…………あぁ、じゃあこうしよう、あすこにあるナイフ」
「ふふふ……ご冗談がお上手な方なんですね。さぁ、このナイフは片付けましょうか、あちらの方へ」
「平穏を脅かす存在ばかりが店に来る……もういい。歩いて帰りなさい。徒歩」
「本当は嬉しい癖に……可愛いですよ、ご主人様」
目蓋を強く閉じ、霖之助は首を横に振った。
「また聞きなれない言葉で呼ぶ……兄だ姉だご主人様だと、僕を如何したいんだい、君」
「未来の私の旦那様、なんてどうなんでしょう? あ……、今胸がときめきました。これがドキドキハッピータイム?」
「無視したいんだが……言わせて貰おうか。馬鹿め」
「面と向かってそんな事を言われるなんて……流石私の見初めた方……私もう、何されても良いかも……」
「もっと自分を大事にしてくれないものか、僕の精神的な苦痛削減の為にも。いやもう、呼ぶべきか、医者」
ややもすれば、萎えようとする気勢をどうにか奮い立たせ霖之助は言葉を打つ。が、先制攻撃は戦場の常套である。先を越された。
「や……そんな、いきなりお医者様を呼ぶなんて……まだお腹にややこは居ませんのに……もう、困ったご亭主……」
「結納もおさめていないのに、何故いきなり夫扱いか。君、本当に力尽くで追い出すよ?」
「宜しくお願いいたします。何分伽は初めてですので、粗相をするかと思いますが……頑張りますから」
埒の明かぬこの会話に、いい加減霖之助は焦れる。だから彼は、最初に戻ることにしたのだ。
「来訪の理由は、なんですか、お客様? ただ遊びたいだけなら、もう夜も遅いからさっさとお帰り」
「理由……ですか。ここに珍しい道具があるとお聞きまして。つい立ち寄ったのでございまする」
「累の割にはあっさりとした理由だね……まぁ、誰が教えたのかはいずれはっきりさせるとして……あぁ、いずれ」
「冷酷な仕打ちはご勘弁差し上げてくださいまし……爪をゆっくり剥ぐ程度で宜しいかと……そぞろ」
「碌な物じゃあないね……君も。なんとなくでそんな事をしろと君は僕に言うのかい? そんな事をやりそうに見えるかい、僕は?」
訳も分からぬ会話のまま、彼は彼女に聞いた。早く終わらせたいのなら、それは悪手に他ならないのだが、彼の場合は口が動くから仕方ない。
「私からなんとも……でも、そんな貴方様も私は愛せますよ? さぁ、一緒に白寿まで祝いましょう。さぁ、これにサインを」
「おもむろに婚姻届を出されてもね……それに白寿も何も……あぁもう霊夢、来てくれ……君が解決すべきことだ、これは……異変だ、異変」
「んー……実はその霊夢さんに、この店を聞いたのですよ、私……さて、これで……クリア?」
二人はゆっくりと頷き、手を握り合った。
で
「……で、君は本当に、何か道具を買いに?」
「勿論です。途中から意図に気付き、遊ばせて頂きましたが」
「なるほど……回転が速いね、君は。また来ると良い。君なら歓迎しよう」
「あら、嬉しいお言葉ですこと……でも、怒られてしまうかも知れませんね?」
「?」
「ふふふ。さて、では少し掃除をしましょうか」
「……そっちも、本当にやるのかい?」
「勿論です」
この夜、香霖堂にやってきたこの女性――永江衣玖が、その後も足繁く店に通い、五年後、森近衣玖になる等と誰が予想出来ただろうか。
縁は異なもの。
「旦那様、あなた、おまえ様、ご主人様、兄さん、姉さん……ねぇ、どれが宜しいと思われます?」
「とりあえず後ろ三つは却下だ」
「まぁ」
なるほど、その通りだろう。
――了
え→へ
お←→を
わ→は