香霖堂始末譚   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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りんのすけとさくやのへや

 夜も遅く、そろそろ店じまいするかと思いながら、それでも本の続きが気になり椅子から離れられない僕の耳に、一つ音が入り込んできた。

 からん、と小さく草臥れたカウベルが鳴く。僕は読んでいた本から顔を上げ、入り口に居るだろう誰かを確かめる事もせず、適当に挨拶をした。

 

「いら――」

 

「えぇ、いらっしゃいました」

 

 しかし、客と思しき人影の返事は僕より早く、しかも何故か近かった。

 おかしな事はそれだけでなく、その声が決して大きな声で無かった事だ。まるで耳の側で囁かれたような、そんな小さな声である。

 それがカウベルの音がなったすぐ後に、僕の挨拶よりも早く、しかも側で、しっかりと聞こえるというのは、どう考えても普通ではない。

 

 更には、人影が在るであろう筈の入り口は常の通りで、扉ももう閉まっていると来たものだ。

 嫌な予感が背筋を悪寒となって走るが、僕はその動揺をどうにか抑え込み平然とした顔で動作を開始した。手に持っていた本をゆっくりと机に戻し、同様、ゆっくりと顔だけを横へと動かしていく。声のした、その方向へと。

 

 果たして、僕の視線の先には――いや、視界一杯には、想像通りというべきか、願い叶わずと言うべきか……見知った女性の顔が在った。

 

「紅魔館一の働き者、お嫁さんにしたいメイド№1、十六夜咲夜、まかり越しまして御座います」

「ご苦労様。出口はあちらだよ」

 

 唇が触れるかという距離で、いきなり出て行けと言い放っても、これは仕方ない。誰だってそうする。

 

        ●

 

「いきなり帰れと言われましても、今来たばかりでしょう? それとも、何か虫の居所が悪くて、無力な少女に八つ当たり?」

 

「君が無力なら、この幻想郷も随分と平和な場所なんだろうね。寝言をここで言うほどに疲れているのなら、自室で静養するべきだと僕は思うよ」

 

「あら……でしたら、そうしましょうか」

 

 にこり、と微笑み、彼女は靴を脱いでこの店の奥へと入ろうとする。さぁ、おかしい。

 

「何故上がる?」

 

 咲夜の腕を強く握り、引き止める。

 

「まぁ、怖い顔。そんな顔、のんきな店主さんには似合っていないわ」

 

「そう思うなら、そんな顔をさせないでくれないか」

 

「まぁまぁ、誰があなたをそんな顔へとさせているのかしら? 良ければ聞いて差し上げますよ? 聞くだけですけれど」

 

「君は僕の眉間に皺を寄せさせて、何か得るものであるのか?」

 

「そうねぇ……ちょっと面白い」

 

「そんないつも通りの余所行きの顔で言っても、白々しいと言うのだよ、咲夜」

 

「あらやだ、この人うまい事言ったつもりかしら」

 

 それまで浮かべていた普段の相から一変、気の毒、と言った顔でこれ見よがしに大きく溜息を吐く。おまけに肩まで竦められた。

 

 僕は空いている左手の親指と人差し指で眉間を揉みながら、摺り返られそうな話題を修正する為に口を開く。

 

「何故、君は、僕の、私室へと、上がろうとしているのか」

 

「そこに、私の部屋が、あるから」

 

「ないだろう」

 

「あります、ほら」

 

 咲夜は掴まれていない右手で、奥にある僕の私室の襖を指差した。

 目を細め、廊下の先にある薄暗いそれを見ると――……

 

 "りんのすけとさくやのへや"

 

 そう書かれた可愛らしい、如何にも女性が好みそうなネームプレートが五寸釘で打ち付けられていた。

 襖に。

 語る必要はないだろうが、文字は赤かった。生乾きを打ち付けたからだろうか、文字が所々垂れて不吉だった。

 これは新手の呪いか嫌がらせだ。

 

 僕は掴んでいた咲夜の腕を放し、先程の彼女と同じ様に大きく溜息を吐いた。肩だって竦めた。竦めるより他無いだろう、そりゃあ。

 

「なんて能力の無駄遣いだ……」

 

「この世に無駄なものなんてないのよ?」

 

「その言葉、君の職場にいる自称メイド達にでも言ってあげれば良い」

 

「時間の無駄」

 

「ほら、無駄なんじゃあないか」

 

「あらやだ、この人うまい事言ったつもりかしら」

 

 先程と同じ様に咲夜が溜息を吐くから、僕もそうした。乗じた訳じゃあない。ただ偶々動作が被っただけの事だ。

 

「取りあえず、ここで話を聞くから、用件を言ってくれないか。早く終わらせて、早く日常に戻りたい」

 

「巫女と魔法使いにたかられる日常に戻りたいんですね」

 

「あれを僕の日常に組み込むな」

 

 確かに彼女達は顔を見せる頻度も、勝手に物を持って帰る頻度も、勝手にお茶を入れてお茶菓子まで貪りつくす頻度も高いが、だからと言ってそれが僕にとっての日常と言うわけではない。決して無い。

 

「僕の日常と言うのは、静かな一日の事であって、彼女達や君が来る日が、平々凡々であってたまるものか」

 

「特別だと、そう仰るのねあなたは」

 

「一度診療所へ行くべきだ」

 

「その前に一度自室でゆっくり休んでいきます」

 

「だから、待てと言っているんだ」

 

 再び腕を掴み、勝手に僕の私室へと行こうとする咲夜を留める。すると彼女は、僕の顔をじっと見つめてからこう言った。

 

「今の店主さん、まるで外の世界のロックスターみたい」

 

「……なんだい、それは?」

 

 あまり聞いた事の無い単語である。聞き流しても良かったが、気になったので僕は遥か年下の少女相手に、ついつい聞き返してしまった。

 僕の言葉を聞いて、彼女の唇が少しばかり釣りあがったから、本当に"しまった"だ。

 

「適当な言葉を並べて歌って、寄ってくる女に乱暴を振るうお星様」

 

「それこそ、随分と乱暴だ。僕がそんな性分だと、君は今言ったか?」

 

「私が部屋に戻ろうとすると、あなたは私の手を取って今みたく適当にうまい事言って、自由を奪おうとするのだから、ほら、ロックスター」

 

「本当にそんな意味なのかい、その言葉は?」

 

「お嬢様が仰るには、そんな意味だそうで」

 

「君の主の言は、正直半分真面目に聞くくらいで良いと僕は思うんだが」

 

「半分不真面目に聞いていると、涙目で怒るんです、お嬢様」

 

「あぁ、つまりやったのか」

 

「えぇ、ご馳走様でした」

 

 大変美味しゅう御座いました、と言った顔で頷く咲夜に、僕は少しばかりレミリアに同情した。

 同時に、その位で涙目になるなとも思った。そんな事だから下である咲夜がこうもなるのだ。

 この意味不明な問答で覚える疲労の責任は、幼い吸血鬼に行き着くのだと僕は確信し、目下の問題の解決へと舌を動かした。

 あの吸血鬼への正当な仕返しは、今度来た時にしっかりとするから今は良いとする。同情? そんな物始めから無かった。無かったのだ。

 

「僕はそういった類の者ではないと君に言い聞かせたいが、時間が勿体無いから、言わせて貰うよ」

 

「えぇ、どうぞ、なんなりと」

 

 居住まいを正し、全身で言葉を聞く熱心な儒教徒の様な姿を装い、咲夜は僕の次の言葉を待つ。

 なんだろうか、その振りは。これも新手の嫌がらせか擬態なのだろうか。

 大声で笑えと言うのなら、僕は今それを成すことになんら抵抗もなく出来そうだ。

 だが、今はそんな時じゃあない。さっさと終わらせて、僕は店を閉めて静かな明日を望むだけなのだ。

 

「何か求めているのなら言ってくれ。持ってくる。何か探しているのなら、言ってくれ。取りあえず覚えておく」

 

「あなたが欲し――」

 

「出口はあっちだ」

 

「最後まで言わせないとか、あなた本当にロックスター」

 

「気に入ったのかい、その単語」

 

「言うたびにお嬢様の涙目の顔を思い出せるから、大好きです」

 

「そんな理由で好きになったと聞けば、そのロックスターとやらも涙目になるだろうね」

 

「可愛くて良いんじゃないかしら?」

 

「僕は売り物じゃない、はい、終わっただろう? 帰ってくれ」

 

「私くらいの容姿があれば、こう言うと大抵の男は驚いた後何かしらの良からぬ事をやってくれると聞きました」

 

「誰に」

 

「お嬢様に」

 

 なんだろうか、レミリアお嬢様はそんなに暇なのだろうか。暇なのだろう。そう思わなければ、五百年を生きた吸血鬼に対する神秘性や偶像が壊れてしまいそうだ。

 畏敬の念など既に木っ端微塵であるから、せめてその程度の物は求めたいのだが。もっと長くを生きる胡散臭い隙間妖怪が脳裏を掠めたが、彼女は苦手だからどうでも良い。

 

「では、用件を終わりましたので、お休みなさい店主さん」

 

「だから、奥へ行くなと言っているんだ」

 

 三度、彼女の腕を掴む。

 

「ここで情を契れと?」

 

「無情か薄情で良いなら、それで君を千切ってあげよう」

 

「情事には縁遠い言葉ね」

 

「情事じゃあないからだ……なんだろうな……君達は、魔理沙や霊夢や君は、何か。僕の店でこういった事でもしないと、落ち着かないとでも言うのか? それとも、これを善行か何かだと勘違いしているのか?」

 

「……そう、ですねぇ」

 

 その言葉、肯定の意味で放った言葉じゃあないと信じたい。

 

 咲夜は顔を俯かせ顎に手をやり、私今考えてます、といった姿を見せる。

 彼女の長い睫が伏せられ、元々切れ長の瞳は更に剣呑な物へとなったが、それを僕は不快とも怖いとも思わなかった。

 

「私は……休みに来ました」

 

 顔を上げ、常の顔で口を開く彼女が、少々頓珍漢だと分かっているからだ。

 

「なら、あのお屋敷の、君の部屋で休めば良い」

 

「休める場所を増やす事は、悪い事かしら?」

 

 先程までのどこか楽しげな雰囲気はなりを潜め、咲夜は真っ直ぐと僕を見つめながら語っている。

 どうやらやっとここに来た用件へと話が近づいたようだ。僕は少々乱れた着物の襟元を直してから、目で続きを促す。

 

「私は、ご存知の通りメイドです」

 

「あぁ、メイド長だね」

 

「はい、常に紅魔館で働く、恐らく、この幻想郷でも一二を争う労働者です」

 

「……ふむ、かもしれない」

 

 それは多分、そう大きな間違いでも無い。

 何せ彼女の下に居るメイド達は、自称メイドで手数に入らない。言ってしまえば、猫の手以下の手だ。それらを束ね、一人あの屋敷を切り盛りする彼女は、なるほど、そう言っても頷ける。

 少なくとも、鼻で笑って終わるといったものじゃあ、ない。

 

「ですから……あの屋敷以外で、休める場所が欲しいと思いまして、ここに来ました」

 

「……言葉が足りないと、僕は思うんだが」

 

「察して頂けるでしょうから、足りなくても問題ないでしょう?」

 

 メイドとしての言葉と、咲夜と言う一少女の言葉が入り混じって、なるほどと僕に思わせた。

 なるほど、ちぐはぐだ、と。

 過去の記憶がなく、彼女が見せる所作は礼にこそかなっているがどこか古臭い。人里の転生者も記していたが、まるで数百年前の人物と向かい合っているような錯覚を、咲夜は時として与える。

 しかし彼女はこうも鮮明に、忘れる事を許さないかのように存在を見せ付ける。

 記憶を失う前に体にしみこんだ古い所作と、今を生きて覚えた所作と言葉。

 メイドと言う咲夜と、咲夜と言う少女の言葉。混ぜ込んで、織り込んで、ほら、彼女は今僕の目の前で当たり前に堂々と立っている。

 

「ですから、部屋で休みます」

 

 堂々と立ち過ぎだ。

 

「なんですか、その遠慮をしろと言う視線は」

 

「そのままだよ、他意は一切無い」

 

「私が私らしく在れるのは、なんと吃驚このお店だけなんです店主さん」

 

「ロックスター云々の会話の流れで、君が自然体のままに職場で働いている事は分かっている」

 

「察しが良すぎる殿方は、嫌われるものよ?」

 

「わがままだ」

 

「お嬢様のわがままに比べたら、私なんて慎ましやかな物でしょう?」

 

「自由奔放さは、同じくらいだ」

 

「わたし、しょくばでいじめられてるんですッ!」

 

 誰がこの少女を虐められると言うのだろうか。該当者は、ちょっと思いつかない。

 

「もんばんとか!」

 

 無い。絶対無い。逆はあってもそれはない。

 

「さて、疲れたので本題に入りましょうか」

 

「なんて我がままさと時間の無駄遣い振りだろうか」

 

「余裕があると言ってくれないかしら」

 

「物は言い様、とは言えど、君ほど暴力的に言葉を弄り倒す存在は稀有だろうな」

 

「希少で瀟洒ですから、私」

 

 少しばかり誇らしげな咲夜に、僕は無言のまま肩をすくめた。

 

「あなたの時間を、少々貰いに着ました」

 

「君はどこでも、好きな場所で休むといい。僕は診療所へ行ってくる」

 

 行ってくれないのなら、僕が行くしかない。平穏は多分そこに在るのだ。

 

「あなたは、あんな不吉なネームプレートが打ち付けられた部屋で私一人休めと言うのね」

 

「なぁ、僕がここで君をぶったら、誰が非難すると思う?」

 

「私」

 

「いや、君にはその権利が無い、間違いなく、絶対無い」

 

 元凶にそんな権利がある筈も無いだろうに。

 

「折角本題に入ったというのに、どこかに行こうだなんてあなたは酷い男よ?」

 

「ここまで付き合いの良い僕が酷いのなら、君の方が余程に酷いよ。極悪非道だ」

 

「こんな愛らしいメイドに極悪非道とか……って、あら、どこへ?」

 

 立ち上がり、不吉なネームプレートの突き刺された襖へと歩み寄る僕に、どこか気の抜けた声が掛かる。が、そんな物は半ば無視して僕は言った。

 

「今日はもう、寝る」

 

「なるほど、お供します」

 

「するな」

 

 当然と言った顔でとてとてと近づいてくる少女に、僕は短く鋭く言葉を返した。

 

「ちょっとだけ、先っちょだけですから」

 

「言わせて貰うがね……」

 

 僕の後ろ三歩分にぴたりと張り付き、とうとう寝室に足を踏み入れてきた上に意味不明な事を口走る咲夜に、僕は背を向けたまま苦み走った顔で、頭を押さえながら見えずともその相が伝わるだろう声音で、はっきりと言った。

 

「僕で遊んで、楽しいものかい?」

 

「大丈夫、天井の染みを数えていれば終わりますから」

 

「……意味は分かって言っているんだろうね?」

 

「実は知りません」

 

「……」

 

 なんて危険な少女だろうか。

 

「ただ、こう思うの」

 

「なんだい?」

 

 彼女の言葉の続きを待つ。今度馬鹿げた事を言ったら、もう四の五の言わず叩き出そうと決意して。

 もしくは――

 

「作りたいと、願ってしまうから」

 

 彼女の、どこか寂しげな声に少しばかりは胸打たれて。

 僕は振り返り、彼女の言葉の続きを待つ。

 

「何も無い過去だから、貴方達からすれば少ない先を、いろんな場所に残したい、と」

 

 危険な少女だ。危険すぎる少女だ。

 吸血鬼の従者で、吸血鬼の最愛の人間で。

 霊夢や魔理沙の友人で。同様、それ以上、聡明で。

 それ以上に、貪欲だ。

 先に死ぬと分かっていて、自身の居場所をまだ広げようとする人間は、長くを生きてしまう者にとって酷く厄介で残酷な存在だ。

 

「……君たちは短い癖に、太く生きるから、困る」

 

「大人になるのが早いから、わがままを沢山したがるのよ」

 

 居なくなってしまった時、心に抜けない楔を残していくから。

 

 多分、振り返るべきでは無かった。僕は、振り返るべきでは無かった。

 例え咲夜が真摯な声音で呟こうとも、泣き叫ぼうとも、今のように、寂しげな苦笑を浮かべてい様とも。僕は振り返るべきでは無かった。

 

 咲夜は浮かんだ苦笑を無理矢理消して、怪しく濡れた唇を動かした。

 

「そんなことより枕投げしましょうか」

 

「二人でやれというのか」

 

 台無しだ。

 

「人間はすぐに大人になってしまうから、わがままな生き物なの」

 

「頼むから今すぐ大人になってくれないか」

 

「私、もう大人です」

 

「絶対違う」

 

 結局、僕が折れて布団をもう一組用意させれた挙句、きっちり枕投げまでやった。

 それだけの話だ。

 何も無い、咲夜と言う少女が好き勝手出来る場所が増えたというだけの、そんな話だ。




これで手元にあるファイルは出し尽くしました。
が、一応完結タグはつけずにいきたいと思います。

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