香霖堂始末譚   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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リクを頂いて、拍手として一時使用していたものです。
時期的にも丁度良いのでこちらでも、と。


妖夢と霖之助で百物語

■ 00 たいとるこーる■

 

 八月。

 時代の流れから隔離された幻想郷と言えど、四季が運び込む暑さ、または寒さから隔離されている訳ではない。暦は八月、夏と呼ばれる暑い暑い季節は、夜になれども涼しさを運ぶ事も無く。

 

「では、私はこれで……」

 

 例年通りと言うべきか、闇雲にただ暑い日々に頭をやられたのか、それとも単なる暇つぶしか。

 

「99話目……終わらせて頂きます」

 

 美しいその唇を小さくすぼめ、少しばかりの息を吐き。その見るからに美しく、どう見ても胡散臭い隙間妖怪は自身の眼前に置かれた、ゆらゆらと揺らめく蝋燭の小さな灯火を消した。ふっ……と、部屋は灯りが消えた分だけ明るさを喪い、今や光源はただの一つとなる。

 

「では、霖之助さん……100話目、どうぞ」

 

 光源、その最後の一つ。

 その頼りなくゆらゆら、ふらふらと左右する灯火を前に、霖之助は閉じていた目をゆっくりと開いた。

 

 夏の、ある暑い夜に。

 

 

 

  『妖夢と霖之助で百物語』

 

 

 

 幻想郷の少女達が季節の行事と言う物に忠実なのか、それとも、集まって騒ぐ事が出来れば何でも良いのか。彼女達は何事も行い、そして何事も大宴会にする。

 花見、祭り、お月見、ハロウィン、クリスマス、正月、節分、ヴァレンタイン、和洋折衷でなんでも御座いだ。

 ここに海でもあれば、海開きさえ宴会にしてしまうだろう。

 このように、騒ぐ事になら活動的な少女達であったが、今年の夏の暑さはその少女達の活動力を根元からごっそりと奪った。

 

 暑い。

 暑いなんて言えないほど、暑い。

 外を歩けば汗が絶え間なく流れ落ち、ならばと日陰で休めど汗が止め処なく浮いては落ちる。だったらどうだと河や湖に向かうも、妖精達と河童達の死屍累々。実際に死んでいるわけではないが……。

 兎に角、その様な状態だった。

 

 さて、こうなると涼む事は不可能だ。

 だが、体感温度上なら、涼む事は可能ではないかと思い至った天狗が居た。お山にお住いの売れない新聞記者兼編集長、烏天狗の射命丸文さんである。

 少々暑さにやられたのか、考え付いた事を特に推敲も推察もせず、彼女は知己のある少女達全てに新聞をばらまいた。

 内容は、こうである。

 

    "百物語、開催"

 

 場所は指定されず、また日時も記されていない、ただの文字列である。だが、皆がそれに飛びついた。

 普段なら文に投げ込まれた新聞など、真面目に見ない彼女達が、真剣にそのたった六文字が記された紙を、穴が開くほどに見つめた。

 

 ゆっくりと腰を上げる者、文字通り飛び出す者、それぞれ違う挙動ではあったが、向かう先はただの一つ。

そう、この報を投げ入れた者が住まう、山である。

 

 

■ 01 やってくるさいなん■

 

 さて、この新聞とも呼べぬただの文字列が記された紙。

 それを毎度のように投げ込まれた香霖堂、その主森近霖之助は、手におさまっているその紙を冷たい目で見下ろしていた。

 百物語、開催。

 などと言われても、この幻想郷、幽霊や妖怪の跋扈する土地である。夜どころか、昼間でも幽霊や妖怪のふらふらしている場所である。

 

 ――何を以ってして怪談とするか。

 

 そう、由来があり、因縁があり、未知であるからこそ、怪談は成立する。

 事件がある。その事件が風化し、その現場となった場所に人が立ち寄り、なにかしがの事態に陥り、噂が流れる。そこに未知の要素が、妄想や想像で補強され怪談が成り立つ。

 それが、夏の季節に語られるべき怖い話、と言う物だ。

 

 だが、この幻想郷。

 今更何を怖いとすれば良いのか、いまいち判然としない場所ではないだろうか。幽霊がその辺に居るし、見える。妖怪が人里に買い物に来るし、会話も可能だ。神様だって普通に居るではないか。

 

 しかも、そういった事を解決する空飛ぶ巫女まで居るのだ。

 こうもなれば、怖い話と言うのは知能を持った存在が為す、情念から生まれた薄ら寒い話しかない。愛憎の複雑怪奇にもつれ合った刃傷沙汰や、妄執から為った黒過ぎる話、などだ。

 

 ――一応聡明な筈の彼女が、それに気付いて居ない訳ではないだろうが。

 

 霖之助は手に持っていた紙を机の上に置き、自身の顎を一撫でする。

 

 ――まぁ、毎度の通り、彼女達が騒ぐだけの話だ。僕には関係ない。

 

 基本、宴会に参加しない彼はどうでも良いかと思い、机の上に置いてあった団扇を手に取り、ぱたぱたと振った。そこから生まれた生ぬるい風に、紙はひらひらと押され、そのまま床に落ちる。

 

 そして、霖之助はその事をすっぱりと忘れた。

 きっちり、かっちりと。忘れてしまったのだ。

 

 数日後、暑い、蒸し暑い夜の夜中に、19人の少女達が100本の蝋燭と燭台を持って香霖堂にやって来るまで。彼は忘れていた。

 

 

■ 02 ものがたりはかそくする■

 

 何故に百物語の会場が香霖堂になったのかと言えば、簡単な事だった。

 

『今から名前の上がった人は、強制参加としましょうか』

 

 烏天狗の文が放った、無責任な言葉に皆が頷いた。形を持たない企画の議題は、まずは誰を語り手にするかである。生贄募集中とも言う。

 優れた踊り手無く、踊りが成立する事は無い。優れた語り手無く、怪談が成立する事は、まず無い。

 怪談とは、常識から外れた中に常識を以って語る、"枠の中の埒の外"の話であるのだ。故に、その語り手足るは。

 

『怪談が上手そうな奴って、誰だろう?』

 

『まぁ知識とか雑学とか豊富な者じゃないかしら? あと……空気を読むのが上手とか』

 

 そう言った、常識を良く知る者達で無ければならない。

 常識を良く知る彼ら、彼女達が語る非常識の世界は、本当に怖い物なのだ。

 

 妹紅と輝夜が会話し、それをこいしが継ぐ。

 

『だったら、アリス、文、慧音、幽々子、永琳、紫、藍、衣玖、咲夜……あとてゐとか上手そうかな? あー、お姉ちゃんも上手そう』

 

 その言葉に、場にいる少女達の殆どが頷いた。どうして地上に出ることが殆ど無い筈のこいしが、それらの存在を知っているのか分からないが、口に上げた者達は確かに基準を満たしていた。

 

 ふらふらと地上を遊泳した際、無意識に収集した情報だろうと、姉のさとりはなんとなく当たりをつけた。正解。その通りである。

 

 そのこいしの発言に、二人ほど頷かない"人間"がいた。

 

『確かに……そうなんだけど』

 

『なんか、一人足りない気がするなぁ……』

 

 霊夢と魔理沙が腕を組み、うんうん唸るその姿を少女達は眺めていた。

 

『何が足りないの?』

 

 代表して、永琳が二人に話しかける。

 すると、二人は同時に顔を上げ、それぞれが口にする。

 

『なんだろう……こう、いつもこう言った場所にいないんだけど……』

 

『結構普段から雑学とか色々薀蓄をべらべら語ってる奴が……』

 

『なんかこう……なんだろう、多分こんな事にも詳しそうな気がするんだけど出てこないのよ……』

『あー……私もだぜ、なんだろうな、この埋没してる何かなんだけど、別に掘り起こす必要も無いというか、かなり普段から見えてる物みたいな……』

 

 そう口にしてから、また二人は俯き思考に没頭する。二人の頭の中には、朧げながら一人の影が過ぎっていた。

 

 宴会等には顔を出さず、その癖妙にこう、存在感があるような無い様な、雑学豊富でその癖偏った知識人、かつ趣味人。二人はうんうん唸っていたが……やがて雷にでも打たれたかのように、一度大きく震え、勢い良く顔を上げた。

 雑学豊富。

 偏った知識人。

 趣味人。

 銀髪の、眼鏡の、青と、黒の、偏屈な。

 

『霖之助さんよ!!』

『香霖だよ!!』

 

 少女達の中で、霊夢と魔理沙が叫んだ存在と知己がある者達だけが

 

 ――あぁ。

 

 と頷いた。

 

 名前の挙がった人物は強制参加。

 暑いから仕方ない、仕方ないのだ。

 会議に参加してもいないのに、某店主参加決定。

 そう言う事である。

 

■ 03 そしてしょうじょたちはよるにさく■

 

「で……何故僕の店でやる必要があると?」

 

「霖之助さん、絶対来ないでしょ、そういう場所」

 

「あぁ、行かないだろうね」

 

「だからこっちから来たんだよ」

 

「あぁ、そうかい。そうかいそうかい、光栄だね。光栄過ぎて目の前が見えないね」

 

 眼鏡を押し上げ、目頭を揉む霖之助を横に、霊夢と魔理沙は勝手に居住区へと上がっていった。それに続き、一応、強制的に呼び出された参加者達が靴を脱ぎ上がっていく。

 

 霖之助に声を掛けてから上がって行く者、何も言わず上がって行く者、会釈して過ぎて行く者。対応はそれぞれだったが、辞めるつもりはないらしい。最後に横へやって来た慧音に、だから霖之助は零した。

 

「これ自体が、僕にとっての怪談みたいな物だよ」

 

「あぁ、ひやりとしたか」

 

 しない筈が、ない。

 

 さて、百物語。

 百の物語りともなれば、百人がそれぞれ持ち寄った怪談を一つ一つ語るのかと思うかもしれないが、そうではない。変則的な百物語と言うのも、実は存在する。

 場所の問題もある。そう広い場所ではない香霖堂だ。

 くじ引きで参加者を選定し、当たった者と名の上がった者達だけが参加する事になった。

それぞれが一つ語り、また間を置き、参加者全てが語って一回りすると、また最初の語り手に戻る。都合20名、5回転で百となる。

 古来より脈々と、営々と伝えられる正統な伝統的それとは違うが、悲しいかな、歴史の流れと共に変化するのもまた伝統である。

 

 20名、百物語をやるとしては少々足りない数ではあるが、宴会を想定しない一般的な家庭の居間に集まるには、多すぎる数だ。だが、そこは問題ない。

 問題ないのだ。

 霊夢と魔理沙が二人して、襖を外してそれを壁に立てかける。居間、霖之助の私室、使われる事などまぁ無い客間、それらが繋がり、広い空間が用意された。強引に、かつ家主に無許可で。無認可で。

 

 諦めたのか、霖之助はそれを見ているだけだった。

 居間に座布団を敷き、それに座り、無言で見ているだけだった。ただ一つ、彼がやった事と言えば。

 

「僕が百話目をやる。それが交換条件だね」

 

 左隣で悠然と佇む紫に、そう言った事だけだった。その言葉に、紫は扇で口元を隠し妖艶に微笑み、顰め面の霖之助を見つめていた。右隣に座っていた妖夢が、きょとんとした顔でそれを眺めていた。

 それだけの事だ。そう、それだけ。

 

 

■ 04 ひゃくものがたり■

 

 場所は用意され、場所の主たる存在はそれを一応容認し、準備と舞台は整った。

 あとはもう、灯された蝋燭を前に佇む少女達が、その美しい唇から世にも恐ろしい話を語るだけである。

 

 一番手、この百物語の企画者である新聞記者、文。永くを生きた烏天狗、しかも情報を多く持つ少女だ。

 持っている情報はピンきりではあるが、多くを知る情報通の彼女。

 さぞ恐ろしい話でも語るかと思いきや、別段、なんの衒いも無い、在り来たりの怪談だった。妖怪少女の語る怪談となれば、少々おかしな物になるのかと期待していた霖之助にとっては肩透かしもいいところだったが、それ以上に彼女の、場の空気を読んだ狡猾な"配慮"に一つ軽く頷いた。

 見れば大半の少女達が、同じ様に感心している。彼と同じく、強制参加を申し渡された少女達全員と、霊夢である。

 

 霖之助の隣に座る紫は曖昧な笑顔で底を覗かせず、それでも同意を思わせる素振り。

 右隣の妖夢は、"前座"に過ぎない文の怪談で、既にガタガタ震え霖之助の手を握っていた。

 半分は今語られている幽霊その物だと言うのに。

 

 さて……これは前座だ。

 徐々に空気を重くする為に、寒くする為に、烏天狗の少女はかなり抑えた、定番ともいえる良くある話で、まず場を作り上げたのだ。恐らく、彼女は二周目に先程よりも少々怖い話を、三周目に更に怖い話を、四周目に尚怖い話を、そして五周目に自身が持つ最恐の話を語り完全なる退路無き怪談の空気を作り上げるつもりなのだ。

 後続する者達に、さぁこれ以上の弾を撃てと。お前達の知る最恐を語れと。

 なんという狡猾さだろうか。そしてなんという配慮だろうか。

 無駄だ。余りに無駄な心遣いだ。

 

 語りは続く。

 百まで語るから百物語。

 続いて当然の事だ。その間中、霖之助の隣に座る妖夢は、ずっと彼の手を握り続けていた。

 

 なんと彼女自身が怪談を語っている最中までもだ。

 妖夢の語った話の内容自体は、一周目の軽く低い水準から見ても決して高い物ではなかった。この調子では、最後に語る内容もそう恐ろしい物ではあるまい。

 

 集まった20名の中で言えば、人間を除けば最年少組になる彼女である。

 若いというのは諸事板につかぬといわれるが、なるほど、そうであるのかも知れない。

 ただ、彼女の名誉の為に言わせて貰えば、この百物語に集まった面子が海千山千に過ぎるのだ。別にこんな事で名誉を守る必要など一切ないのだが。

 

 話は続く。

 抑え気味の話、定番とも言える話、それらが一周し、まずはお互いの持つ怪談の水準、語りの特徴、優劣を見極めさせた。文はにやりと笑い、口を開く。

 

「……さて、では少々順番を変えましょうか」

 

「なるほど」

 

 さとりが頷き、それに皆が追従する。

 この天狗、実に狡猾である。狡猾に過ぎる。

 

「あ、あの……なんで順番を変えるんですか?」

 

「あぁ、簡単な話だよ。一周目で皆の力量を、彼女は把握したんだ」

 

「えぇーっと……つまり……もしかして……」

 

「君の思ったことが、答えだ」

 

 妖夢は凍りついた。

 つまりは、そうつまりは。

 妖夢の視線の先にいる、扇をぱたぱたと振っている烏天狗は。

 

「上手いわねー。徐々に怖い話になるように、調整してるわ」

 

「……」

 

 自身の主、妖夢の右隣に愛らしく正座で佇む幽々子に、妖夢は泣きそうな顔で目を向けた。いや、泣いていた。

 

「まだ一周目なんだがね……」

 

「良いじゃない。こういう娘がいないと、やる気も起きないでしょう?」

 

「……それもそうか」

 

 霖之助は紫の言葉に同意した。ただ、ぎゅっと握られた妖夢の手は、いい加減どうにかして欲しかった。

 魔理沙と霊夢の目が、なんとも言えぬ色を宿して彼らを見ているのも、彼はどうにかして欲しかった。

 

 ――君のその細かい配慮、ここでこそ生かされないものかな。

 

 ――お断りします。

 

 霖之助と文は、目でそんな会話をした。

 

 

■ 05 てんしゅ、かたる■

 

 割愛となるが、少女達は時に朗々と、時に切々と、口調を変え、身振りを交え恐ろしい話を語り続けた。

 最後の周回、五周目ともなれば各々、自身が持つ最高の一品を持ち出した。ここからこそが本番、と言う訳だ。

 

 妖夢が落ち武者の微妙な話を、橙が化け猫の微妙な話を、魔理沙がある道具にまつわる怨念の話を、こいしが地底の救われない話を、妹紅が自身の家にあった不気味な古い話を。

 霊夢が神社にあったという昔の実話を元にした話を、輝夜が権力に見入られ狂気に至った者の起こした惨劇とその後の話を、パルスィが男と女の愛憎から生まれた永遠の呪いの話を、アリスが血を求めて夜な夜な動き出す人形の話を、咲夜が館にまつわる開かずの間の少女の話を。

 さとりが人に宿った狂気の先の黒過ぎる話を、てゐが廃屋であった一夜ばかりの愚かな旅人の話を、文が山であった愛憎の果てに起こった怪異の話を、慧音が廃墟であった不可思議な話を、藍がある一家に起きた惨劇の話を、衣玖が女の悲しくも恐ろしい悲恋の話を。

 幽々子が自身の体験した怖気の走る話を、永琳が一切の救いもない背筋の凍る話を、紫が実在した一夜にして滅んだ小さな村の話を――

 

 そして百話目、彼が――霖之助が要求した様に、彼に最後が回された。

 少女達は我知らず喉をならす。

 百に至るまで、霖之助は皆と同じく四度語った。その内容、実に秀逸であった。

 語りの抑揚、間の読み方、視点移動の滑らかさ、実に素晴らしいものであったのだ。薀蓄を語ることが半場趣味だと認識されている彼ではあるが、それはつまり、単純に。

 語るに慣れた存在であるという証左ではあるまいか。

 分かりやすく、更にはあえてぼかして、不自然に、或いは自然に。恐怖を語る彼は、それはもう恐ろしかった。

 彼自身が恐怖その物であると言わんばかりに、怖かった。紫や永琳や藍、更には幽霊である幽々子でさえ背中に嫌な汗が流れたのだ。

 

 その彼が、そんな彼が。最後の札を切るという。

 なんと恐ろしく、なんと待ち遠しい事か。

 

 少女達は期待と恐怖に包まれて、店主をじっと見つめた。

 そして――霖之助は口を開いた。

 

■ 06 じつざいのちめい、だんたいとはいっさいかんけいありませんまたとうじょうじんぶつはすべて18さいいじょうであります■

 

 場所は……言えないか。約束もあるんでね。結婚式場、とだけ言っておくよ。

 兎に角そこだ、僕は行ったんだよ。

 何のことは無い、ただの式場だ。

 そこは宿も兼ねているし、大きな行事があった際には会場を開放している場所でね。あぁ、君達も決まった相手が出来たらそこで式を挙げるといい、中々のものだよ。

 僕はそこにね、友人の結婚式に呼ばれて行ったんだ。

 祝辞を述べて、愛の誓い合いを見て、何も無い普通の、当たり前の結婚式だったね。気になった事と言えば、新婦の友人席に座る一人の女性が、やけに暗い顔だった事位だよ。やがてまぁ、式は終えてね。

 手持ち無沙汰だった僕は踵を返して帰ろうとしたんだ。それが見える前ではね。

 

 ふっとね、それは見えたんだ。

 広い会場の、その奥の通路、その辛うじて見える一番奥の扉にね……札が張ってあるじゃないか。

 札だよ、おかしいだろう? 冠婚葬祭、それらを行う会場だ。

 ここは二つほど広い会場があってね、祝い事と、それ以外を行う会場があるんだ。僕が来たのは祝い事、それも結婚式をやるような会場だよ、そこで札が見える扉なんて、穏やかじゃあない。

 もう一つの会場でそんな物を見たら、あぁそういう事もあるだろうと納得も出来ただろうがね……

 僕はその扉の前まで歩いていったんだ。

 

 まぁ正直な話、その時点でもうこれは何もないな、と思っていたんだね、僕は。

 そうだろう? 誰も止めないし、注意しない。ならそれは何も無い証拠だよ。

 そのまま扉の前で、やけに新しい札を見ながらね、僕はなんとなく口惜しくて、その札を指で軽く弾いたんだ。

 

 するとね、あーお……

 もう一度弾くとね、んあーお……

 

 猫の鳴き声がしたんだ。偶然としてはおかしな話だよ。

 猫なんてこんな場所にはいないんだから。しかもその猫の鳴き声、傍からしたんだよ。

 それも、おかしな話なんだが……扉の向こうさ。

 そう、真新しい札の張られた、その扉の向こうだよ。僕はなんとなく周りを見渡したね。

 それぞれの扉には、色直しだとか新郎控え室、新婦控え室、色々書かれた紙が張られているのに、この扉には真新しい札と来たものさ。

 

 こうなると、本格的におかしな物を感じたね。

 僕は猫の鳴き声の場所を特定する為に、もう一度札を弾こうとしたら――

 

『どいて、貰えませんか?』

 

 小さな声だ。

 寒気のする声でね、いきなり背後から声をかけられた物だから、僕も流石に驚いてしまったよ。慌てて振り返って、その声の主を見たんだ。

 すると、そこには一人の若い女性が一人いたよ。なんだこいつは……人を驚かせてと思って、僕はその女性の顔を良く見たんだ。

 

 思い出したね、この女性を。新婦の友人席で、一人暗い顔で新郎新婦を見ていた件の女性さ。

 僕は一礼した。その場の礼儀だね、一応はしたさ。

 だというのに、この女性、礼を返しもせずただじっと、じいっと扉を――いや、札を見てるんだ。

 気持ち悪いと思ったが、どうにも好奇心が勝ってしまってね。この女性、どうにもその札の貼られた扉の向こうに用があるようなんだ。

 おかしいだろう?

 札の貼られた部屋に、新郎新婦を場にそぐわない顔で見ていた女性が入ろうとしているんだ。何事かあると思うのが普通だよ。

 

 僕はまぁ、遠慮の無い話ではあるがね、つい聞いてしまったんだ。

 この先に何か御用ですか、とね。

 女性は何も応えなかった。ただ、じっと見てるんだ、先を。札を。

 で、言うんだよ。

 

『札を……』

 

 札を? 僕は先を促した。少しばかり、何を言うつもりか興味も在ったんでね。

 

『札を、外して下さい』

 

 重ね重ね、おかしな事を言う女性だと思ったよ。

 札を外せ? 僕に? それは無理だ。何せ僕はこの式場の関係者じゃあ、ない。

 それを外す権利なんてないんだ。それでも女は言うんだよ、何度も言うんだよ。

 

『札を、外して下さい……札を……札を――』

 

 おかしいなんて物じゃあなかった。

 完全に気が触れた様な、人間の形をした別の……音を再生するだけの道具のように、女は同じ声で、同じ音量で口を同じ動きで、まったく一分も違わず言い続けるんだ。

 あぁ、怖かったさ。

 僕は言葉もなく、かと言って逃げるにも機会を喪った状態で、ただ呆然と立ち尽くしていたよ。じれたのか、それともそれが動作の一つにあったのか……女がね、それまでじっと札を見てた眼を、僕に向けたんだ。

 何も映ってない、まるで濁った河の底の泥が固まって、ひび割れた様な瞳だったよ。怖かった。それ以上に、気持ち悪かったね……

 

 僕は口惜しい事だが、一瞬全てを忘れて、一歩引いてしまったんだ。けれど、後ろは扉があるだけ……どん! と扉に当たって、背に奇妙な寒気と痛みが走ったんだ。

 あーお、あーお……

 そして……猫の鳴き声がまたしたんだ。

 それも、さっきまでよりはっきりと、後ろから。間違いなく、今背にしている扉の向こうに猫がいるんだと、場違いながら僕は確信したんだ。

 

 その時、目の前の女が呟いたんだ。

 

『札が……』

 

 そう、札を、じゃない。札が、そう言ったんだ。

 女の死んだひび割れた眼が、僕ではなくもっとした……僕の足元を見ている事に気付いた僕は、嫌だったんだがね……同じ様に足元を見たんだ。

 あったんだ、あったんだよ、そこに。

 

 札が。

 

 

■ 07 なにもかたらぬものがかたること かたりたくとも……かたれぬもの■

 

 札が、落ちている。札が落ちたんだ、扉に張られた真新しい札が。

 妙な焦燥感に駆られて、僕は顔を上げたんだ……

 すると……女がね、あぁ、先程までの女だよ。眼の死んだ、あぁ眼の死んだ女だよ。その女が、笑っていたんだよ。

 貼り付けたような、嫌に口の裂けた笑顔で。近寄ってくる。それまで少しばかり離れていた女が、僕に近寄ってくる。

 僕は何かの命ずるままに、横に逃げたんだ。女はそんな僕に目もくれず、怖気のくる笑顔のまま、札のはがれた扉に手をやって――開けたんだ。

 

 んぎぃいいいいいいいいいい……

 

 開いたんだ、扉が。

 蛇が背筋を舐めるような、そんな不快感を伴ってね……何か、どこかで嗅いだ事のある匂いと一緒にさ。

 

 んあーお、あぁーおおお

 

 その匂いと一緒に、猫の声がまた響くんだ。

 嫌に、はっきりとね……女はそれを、嬉しそうに聞きながら……扉の向こうに入っていったんだよ。

 

 白い、本当に白い腕がにゅっと出てきて……扉を閉めたんだ。

 

 んぎぃいいいいいいいいいい……ばたん。

 

 声がするんだよ、声が。猫の。

 あぁああああおぅ

 猫だと、僕が思っていた声が。

 

 あぁあああああああおうぅうう

 

 臭いが、一層濃くなったんだ。嗅いだ事の在る匂いなんだよ。

 その癖、僕には分からなかったんだ。

 でもね……次の瞬間、はっきりと思い出したんだ、その匂いを。

 

んんあぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああお!!!!!

 

 鉄の錆びた……血の匂いだったんだ。

 呆然としたね。あぁ、それ以外何も出来なかった。

 

 そんな僕に気付いたんだろうね。その会場の従業員が、慌てて走りながらこっちに来るんだよ。

 

『お、お客様! ここは、立ち入り禁止なんですよ!』

 

 おかしい。

 だってそうだろう? この扉は兎も角、他の扉には新郎の控え室だ、新婦の控え室だと紙が張っているんだ。立ち入り禁止なんておかしいだろう?

 僕はそう言ったんだ。従業員は苦い顔をしてね……僕の足元にあるはがれた札を見て、ついで目を見開いて僕を見たんだ。

 

『もしかして……見られたん……ですか?』

 

 あぁ、何をかは知らないが、常識の埒の向こうにあるモノを見たよ、と言うと、従業員は観念したのか、誰にも言わないで下さいと言ってから、語ってくれたよ。

 札を、扉に貼りなおしながら、持っていたんだろうね、塩を振りまいて。

 

 つまりは、そういう事さ。

 ここには、従業員が塩を常に携帯するような事態が、あるんだ。必要があったんだ、その清めの塩が。こんな祝いの式場で。

 

 その従業員――彼が言うにはね。

 もう十年ほど前の事らしいが、この式場で入場を拒否された女性が居たんだ。その女性、誰も知らないうちに勝手に入り込んだらしくてね……

 そのまま、新婦の控え室の隣……つまり、件の扉の部屋で……自殺したんだよ。

 すぐそれはその式場にいた全ての人間に知れ渡ったんだ。何せ……その女性が自殺する僅か数秒前、大きな、大きな声が式場いったいに響き渡ったんだからね……

 

 そう、僕がさっきから聞いてた、猫の鳴き声だよ。

 でもね……猫じゃあ、ないんだ。その声はね。

 

 女が抱いてた、赤子なんだよ。

 

■ 08      ■

 

「その女性、その日行われる結婚式の主役の一人、新郎の恋人……いや、愛人だったそうだよ……子供まで作っておいて、裏切った男に……女は自分とその男の間に出来た赤ん坊で……一矢、報いたんだ。しかもね……この話の一番怖いところは。この女は……死んで尚、未だにこの場所に留まってその赤ん坊を――」

 

 霖之助は口を閉じ、そこで蝋燭の火を消した。

 

 うっすらと消えてゆく灯火。暗闇が覆うその直前に、少女達は見た。

 

「君たちがもし結婚するとき……その式場を選んでしまったら……札の張られた扉を見つけてしまったら――」

 

 霖之助の、

 

「自身の夫となる男を、じっと暗い目で見ている女性を探してみると良い……自分の、友人席をね」

 

 悪意に満ちたその笑顔を。

 

 妖夢は、完全に気絶していた。

 

 

■ 09 おわり■

 

「あ、あの……」

 

 弱弱しい声音に後ろ髪を引かれ、霖之助は振り返った。彼の背後に佇む少女の姿はどこか不安げで、どこか庇護欲を刺激する。霖之助のような男であっても、であるからそれは相当な物だった。

 振り返った霖之助の視線と、自身の視線がぶつかった事に焦ったのか。少女は一度顔を俯かせたがやがておずおずと視線を戻す。

 再び重なった視線を、今度はそらさず少女は霖之助に問うた。

 

「友人席、気にしないと駄目なんでしょうか?」

 

 問う声は頼りないくせに、霖之助に重ねられた問う瞳はどこまでも真っ直ぐだ。霖之助は一度小さく息を吐いてから、先ほどの――百物語の席で見せた悪意ある笑顔とはまったく別種の苦笑を浮かべて応じた。

 

「そうだ、と言ったら君はどうする?」

 

「斬ります」

 

 少女即答である。

 そして……霖之助は後に気づいた事であるが。

 少女は、誰を斬るかは明言してない。つまりそれは――……そういう事である。

 

 

 ――了

 




稲川淳二調で読んで下さい。
んぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃ

あと、オチを変えてます。こっちの方が、らしいかなぁ、と。

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