香霖堂始末譚   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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『ゑとせとら』
昼寝


 薄呆けたような、不確かな、不明瞭な視界に彼は気を取られた。

 

「おはよう、目が覚めたかしら?」

 

 だから彼は、目の前の少女に気付けなかった。

 

「……あぁ、おはよう」

「今日も良い天気よ、えぇ、憎らしいくらい良い天気だわ」

 

 巫女服を纏った少女に。

 寝ていた彼の頭を、ゆっくりと撫でていた少女の手の平に。

 

 

 

   《昼寝》

 

 

 

 少女の手の平を無造作に払い、眼鏡を外して、彼は眉間を揉んでから一つ背を伸ばした。

 その動作が終えてから、眼鏡を掛けなおし辺りを見回す。

 いつも通り。いつも通りの、錆びた風景だ。

 それ以上、何を思うことも無い。ただ多少とも違う点があるとすれば、それは彼の眼前に佇む巫女装束の少女だろうか。

 

「どうしたんだい、今日はまた、随分と巫女らしい巫女服じゃあないか」

「巫女だもの。これ以外ないでしょ? まぁ……この窮屈な、着せられているって感じも嫌いではないのだけれど……ううん、やっぱり嫌ね」

 

 少女は払われた手を擦りながら、そこで言葉を区切り鬱屈とした音で言葉を再開する。

 

「もっと開放的な巫女服も良いわよね?」

「それが"らしい"物であるかどうか、僕には分からないけどもね」

 

 神に仕えると言う巫女が、開放的な服など纏って良い物かどうかは、今更考えるまでも無い。

 

「私"らしい"のであれば、別に誰も困らないと思うの」

「当代は、巫女の選定からして失敗だと僕は思うのだけれどね」

「なら、それも含めて意志じゃなくて? そうあれかし、みたいな物よ」

「なんとも、君は」

 

 肩を竦めて怖や怖やと嘯く彼に、少女は屈託の無い笑顔を見せた。先程まであった鬱屈の相は無く、それを彼は内心で密やかに喜んだ。

 

「それはそうと、私はお客様よ。それも、起きるまで子守さえしていたのよ、私。お茶の一つも出ないのかしら?」

「勝手に入ってきて、無心かい? やめた方が良いね。里の皆が、巫女の意味を疑ってしまうよ」

「私が疑われないのなら、別に何を疑っても良いわよ?」

「困ったものだ、君は」

「そんな事が出来る場所だから、そうしているだけだもの」

 

 澄ましていれば愛らしいはずの顔に、なんとも含むものがありそうな笑みを浮かべて少女は言った。

 

「あぁ、待っておくといい。昨日から変えていない茶で良ければ、今持ってくるよ」

「嫌よ、そんなの。畳も茶葉も、新しいほうが良いに決まっているじゃない」

「初耳だ」

「そう、寝耳に水でしょう?」

「君はどうにも、言葉に対して挑戦的に過ぎると思うね、僕は」

「一を聞いて十にしてしまうのが、女という生き物よ?」

「少女が、言う」

「女、よ」

 

 少女の軽い拳骨を受けてから、彼は席を離れ台所へと向かっていった。

 

 盆に新茶葉を入れた急須と、湯飲み二つを乗せて戻ってくると、少女の前には煎餅の盛られた皿が置かれていた。そして、それを手にしてぼりぼりと咀嚼している少女も、彼には見えた。

 

「不思議よねぇ」

「不思議だね。なぜ隠していた筈のそれが、今君の前にあるのか、実に不思議だ」

 

 呟きに対して返って来た青年の言葉に、少女はきょとんとしてから手を横に振った。

 

「私たちが不思議だと言うの。煎餅の在る無しなんて、そんなのはね、あなた。あの程度の隠し場所しか思いつかないなら、不思議でもなんでもないの。むしろあの程度で隠したつもりなのが不思議だわ」

「漁っておいてそこまで言うから、君は始末に置けないよ。なぁ、巫女という言葉に物漁りという項目を付け足したら、僕は神様に怒られると思うかい?」

「その前に私が怒るわ」

「君の事ではなく、巫女の事だというのにかい?」

「私を見ながら言えば、私の事でしょう」

 

 つりあがって行く少女の眉を意識しながら、彼は溜息交じりで返す。

 

「君が齧っている煎餅を見ていたんだよ」

「あげないわよ」

「元々僕の物だよ」

「なら煎餅一枚一枚に、確りと名前を書いておく事をお勧めします」

「なるほど……で、その煎餅には君の名前が書かれているのかな?」

「もう食べたから分からないわ。そうねぇ……余ってる分には何も名前も書かれていないし、分けてあげても良いわよ?」

「君の言葉は、異国情緒に溢れ過ぎていて、僕は偶に戸惑ってしまうよ。何語で話しているのか、とね」

「私達の言葉で話しているのよ」

 

 青年はもう何も返さず、湯飲みを少女の前に置き、そこにお茶を注いだ。同じ様に自身の分も注ぎ、彼は息を吐いた。そして、続ける。

 

「それで、君は僕達の何が不思議だと?」

「そういうところ、好きよ」

「それはどうも、在り難い事だね。御利益を期待して、明日は客人の無い日にして欲しい物だよ」「無理」

「……なんとも、冷たい巫女様だ」

「御利益なんてそうは無い物だし、それを下さる神様というのは、空その物よ。冷たいも、温かいも無いわ」

「巫女、言う」

「私が、言ったのよ」

 

 少女は湯飲みに息を二、三度吹きかけてから口をつけ、青年は自身の肩を揉みながら間を置いた。

 

「不思議だと、思うのよ」

 

 少女が湯飲みを置き、呟く。

 

「巫女が、かい? 君が、かい?」

「両方ね。不思議だもの。どうして私達は、こんなに寛いで、向かい合っていられるのかしら?」

 少女はその装束が語るまま、巫女である。その対に座る青年は、見る者が目を見張るほどに、尋常からかけ離れた存在である。

 銀髪、金眼。人では決して在りえない、ある筈も無い特徴。

 

 であれば、こうして向かい合い、一見してたんなる歓談を行っているのは、無理がある。対で向かい合うのは、両者の今の姿だけではない。存在そのものが、完全に対なのだ。

 本来は。

 

「僕が半端者だからだろう?」

「じゃあ、それと平気で話をしている私は?」

「半端者だろう?」

 

 青年の言葉に、少女は瞳に険の色を露にした。

 

「事実だよ、巫女。君。どちらも尊ぶのであれば、どちらも蔑ろになるものさ。人だろうが、それ以外だろうが、一つの器に二つも入りはしないよ」

「あなたは、人間で妖怪でしょう?」

「僕は半妖と言う一つだよ。別に、二つ分が入っている訳じゃあない」

 

 半妖と言う名の一種であると、青年は恥じるでもなく、誇るでもなく、ただ言った。少女はその言葉に呆気取られ、やがて瞳に浮かぶ険を熔かし、常の色彩を放つ瞳で青年を眺めて

 

「あなたは、存在と対話する事が、多分上手なのよね」

 

 諦念の宿った、賢者のような透き通った瞳と相で呟いた。青年を本とすれば、一頁一頁、一文字一文字、見逃すこと無くめくり、全ての意味を解きあばこうとする様な、そんな顔で。

 

「口を開けば閉じない奴だと、昔から良く言われるよ」

「そう言うの、多分一つの才能か、余分なゴミだと思うの」

「どっちなんだい?」

「そう言う事をするようになれば、きっと答えが見つかると思うわ、私は」

「……なんて意味の無い託宣だろうね。捉え様が百とある在り難い予言らしい不明瞭さすらない」「中途半端な私の言葉でしょう? だから、"らしい"のよ」

 

 青年が良く見せる仕草を真似て、少女は肩を竦めて湯飲みに再び口をつける。その中にある茶を嚥下し、飲み尽くし、湯飲みをとんと机に置いて……目を閉じて少女は立ち上がり、皺の寄った袴を軽く払った。

 

 ぱしん、と言う音が辺りに響き渡り、それを目を瞑ったまま聞いていた彼女は、ゆっくりと目を開いて呟いた。

 

「重いし、窮屈だし、汚れは目立つし……巫女服なんて良い事無いわ。そう思うでしょう?」

「着た事が無いから、僕から言える事は無いよ」

「そう? でも、この窮屈な巫女らしい服が、最後の一線で私達をこうして隔てているとしたら、ねぇ、どうすれば良いのかしら?」

 

 歌うような、或いはただの独り言の様な言葉に、青年は少しばかり考えてから、同じ様に囁いた。

 

「なら、中途半端な巫女服にしてしまえば良い」

 

 独り言。

 或いは、願望。

 今はまだ、手を取り合えない人間と、それ以外を一緒くたにするための、嘘。二人の在り様そのままに、差し出された中途半端な手を、少女は握り返す事も無く。

 

「じゃあ、それをお願いするわ」

 

 背を向けて、何も無い錆びた風景を後にした。

 廃墟にも見える、がらんどうの屋。在る意味では、今の逢瀬に何よりも相応しい場所。

 遠い昔、かつて、あの時まで居た錆びた一軒家。

 

 去っていく少女のその背中が、余りに遠く、儚く、また怖かったから、青年は声を上げた。

 

「あぁ、次には用意しておくよ」

 

 けれどもそれは、無理だった。無理だったのだ。

 叶わなかったから、今こんな事を言っているのだ。

 

「嘘つき。……けれど、好きだったわよ、あなたのそんなところも」

 

 理解すると同時に、視界に映るすべての世界は解け失せた。

 

 

 

   ●

 

 

 

 薄呆けたような、不確かな、不明瞭な視界に彼は気を取られた。

 

「おはよう、目が覚めたかしら?」

 

 だから彼は、目の前の少女に気付けなかった。

 

「……あぁ、おはよう」

 

 ただ惰性のまま、言葉に対して返事をした。

 

「まだ寝ているのかしら?」

「おきているよ……霊夢」

「そう、じゃあお茶とお菓子を出してくれない、霖之助さん」

 

 霊夢の言葉を無視して、霖之助は現在の状態を確かめる。

 場所は常の香霖堂、そして座すべき所。つまりは、備え付けの机。

 昼寝していたのだと彼は得心した。したから、言葉を続ける。

 

「夢を、見ていたよ」

 

 ぼんやりとした目で呟く。どこか温かい言葉が、寝起きの渇いた喉を通って香霖堂に零れ落ちる。

 

「ふぅーん……それは私のお茶やお菓子より、大事な夢なのかしら?」

 

 興味が無い、と言外に語る言葉に、霖之助は躊躇せず頷いた。

 

「あぁ、君の着ている巫女服を着たがっていた……遠い昔の少女の夢さ」

「……ふぅーん」

 

 その瞳に何も映さず、霊夢は霖之助の顔を眺め、口を開こうとして……それを止めた。変わりに彼女は、手を伸ばした。 

 

「今日も良い天気よ、えぇ、憎らしいくらい良い天気だわ」

 

 その手が自身の頭を優しげに撫でるから、霖之助はその手を払った。

 

「僕を撫でたければ、僕に君の名前でも書いてみる事だね」

 

 きょとんとした霊夢の顔に、霖之助は微笑んだ。

 今まで、霊夢が見た事も無いような、温かく優しげな笑顔で。

 

 

 

 

   ――了


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