香霖堂始末譚   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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『 』 メイン:霖之助 永琳 慧音
前編


 ――永遠の命を、あなたはどう思う?

 

 ――永遠の命……君達のような、かい?

 

 ――えぇ、私達の様な、在り方。

 

 ――……正直に、本当に正直に言わせて貰えれば。

 

 ――貰えれば?

 

 ――ぞっとしないね。

 

 ――あら、あなたなら関心、と言うよりも興味を抱くと思ったのだけれど。

 

 ――半分、と言うだけで、もう沢山の死を見てきた。辛いよ、なかなかに。君ほどではないだろうけれど。

 

 ――そう、ね。

 

 ――だから、僕はごめんだよ。永遠なんて。僕は、僕に在る分だけで良い。十分だ。

 

 

 

『  』

 

 

 

 永遠亭のどこか。物置の様な、それにしては無駄に広く暗い室内で、男と女は向き合っていた。男はその長身を支える足を真っ直ぐに、立ったまま。女は物置に置いてあったのだろう、腰をかけるに適した大きな道具に座して。

 

「あぁ、これはやっぱり、ただのガラクタだ」

 

 男、黒と青の無国籍な、いまいちコンセプトの把握できない服を着込んだ銀髪の男は、詰まらなそうな顔でそう言って、右手に持っていた道具を対面している女に渡した。左手で鼻に掛かった眼鏡を軽く押し上げながら。

 

「あら、そう。少しは価値のある物に見えたのだけれど……」

 

 そう言って男――辺鄙な森の入り口に店を構える店主、森近霖之助――から渡された小さな道具を、軽く微笑みながら眺める。

 

「永琳、それは本気で言っているのかい?」

「あら、何が?」

 

 霖之助に永琳と呼ばれた彼女は、不思議そうな顔で子犬のように首を傾げた。

 

「……」

 

 そういった様も不思議と似合うのだから、女と言うのは分らない。こと霖之助の前で、ガラクタと言われた道具を手に少女の如く佇む女性は、実年齢をグラフ化したらどこまで行くか伸びるか反るか突破するか分ったものではない女性だ。それこそ、地上から月まで届くようなグラフが完成するかもしれない。

 

 だと言うのに、そんな仕草が似合う。

良く店に顔を出す少女達の仕草を見慣れている霖之助にも違和感が無いのだから、本当に女と言うのは、分らない。

 

「なにかよからぬ事を考えてないかしら、店主さん?」

 

 店主さん、の部分を少々強く言葉に乗せ、永琳が微笑みの色を濃くした。

 

「いや、何も。何も無いさ」

 

 軽く息を吐きながら霖之助は首を横に振る。

 

 ――関係のない事だ、永琳の仕草がどうこう等と。

 

 どうにも考え出すと長考に入りやすく、また思考する事で置かれた環境も忘れてしまう悪癖を、頭を横に振る事で一時的にでも追い出せればと霖之助は思った。

 

「でも、やはり信じられないな」

「何が?」

「永琳、君がこれを価値ある物だなんて思ってたことが、だ」

 

 今は永琳の手にある道具を見ながら霖之助はそう言った。

 

「私に道具の鑑定眼なんてないわ。あっても、それは薬物に関係する物よ。趣味趣向品までは、ね」

 

 口元に手を当て、クスクス笑うその仕草。

 大人の女、という言葉がしっくり来る女性だと言うのに、少女染みたどこか素朴なそんな仕草も、彼女がやれば嫌と言うほど様になるのだから、世は不公平なのだろう。もっとも、霖之助の周囲にいる女性陣は殆どこういった仕草が様になる。彼の知己の内は美少女や美人ばかりで、それらは全て多種多様であれど皆見目麗しい。

 

 向日葵の様な女性も居れば、氷の花びらのような少女も居る。楓の様な少女も居れば、桜のような女性も居る。言ってみれば季節不問の花の博覧会だ。

 

 まぁ、その中には食虫花としての側面も併せ持つ心臓に悪い連中が多々居るような気がするが、霖之助はまだまだ自分の人生を謳歌したいのでそんな事は心の底の底だけで思う事にしている。聡い女性が交友範囲に多い以上、彼自身が自己防衛と警戒を怠るわけには行かない。

 

「でも、どうしてそんな風に思ったのかしらね? 私に鑑定眼がある、なんて」

 

 真っ直ぐに、真っ直ぐに霖之助の目を見つめながら、永琳は言う。

 

「あー、君は、永琳は、だ」

 

 そこでこほんと咳を一つ払い、霖之助は言葉を続ける。

 

 ――頭を振った程度じゃあ、染み付いた癖が抜けるものではないか。いや、それよりも。

 

 そう、それよりも。

 霖之助はその真っ直ぐ見つめてくる彼女の瞳に、良く分からないまま圧された。圧された事実をなかった事にするために、常の顔と声で彼は言葉を続ける。それが失敗している事は、目の前にいる女しか知らない。

 

「永琳、君はもう長く生きているだろう?」

「そうね、貴方から見たらお婆さん? かしら」

「いや、君はとても魅力的だよ。そんな言葉は相応しくない」

「お世辞でも嬉しいわ」

「まさか、君がもし人里を歩けば、十人中十人が振り返るだろう。それは僕が断言するさ。しかもその十人は男も女もないだろう。君は異性であれ同性であれ、振り向かせるだけの美貌と、その知性を宿した瞳がある。そうだな……野に降りた女神と言っても過言じゃないだろう。実際の女神様達には、大変申し訳ないが」

「もしかして口説かれてる?」

「いや? ただの事実だが?」

 

 永琳は、今度は声を出して笑った。先程までの慎ましやかな微笑ではなく、楽しくて仕方ないといった笑顔で。

 

 僕は何かおかしい事を言っただろうか?

 

 真顔でそんな事を言う霖之助に、彼女はもう体を九の字に曲げて笑い出した。腹を抱えて、という奴である。

 

 そんな、常の彼女を知る者なら何事かと思う様なその事態に霖之助は、ただただ、またかと思うだけだった。また、だ。

 もう彼は見慣れている。驚く事も呆れる事も無い。最初はいつだったか。

 未だ苦しそうに笑う彼女を視界の端に入れたまま、霖之助は最初の事を思い出そうとしていた。こんな風に、こんなにも彼女が彼に何かを一生懸命曝け出すに至った、その最初の切欠。

 日常の一ページでしかない出来事を。

 

    ■ ■ ■

 

 その日、特に何か変わった事があった訳でもなく。

 毎度の如く、最早当たり前に夕方余りまで居座り続けた紅白と黒白が家路につき、赤々と熱を放つストーブとは違った、先程までの妙な熱が篭った店内で気を静めようと読みかけの本を手に取り、霖之助がさぁ読もうとした時だった。

 

 草臥れたカウベルの音と共に、熱を帯びていた店内が冬の冷たい風に一掃される。

 

「店主、居ますか?」

 

 開かれた扉には、香霖堂の数少ない優良客である永遠亭の頭脳、月のオモイカネこと八意永琳が立っていた。

店主が居る事を確認した彼女は、霖之助に向かって歩く。一切の淀みなく。そこで霖之助はおやっと思った。どうにも、おかしい、と。

 

「今日は……いつもの彼女は?」

 

 読もうとしていた本をまた机に戻し、永遠亭の買出し要員として見覚えた彼女の姿が見えない事に霖之助は少し意外な思いがしたらしく、少々失礼かと思ったが問うてみる事にした。

更に言えばいらっしゃいませの挨拶も抜けているが、ここいらが彼が商売人と言うよりは、一趣味人として皆に捉えられている由縁である。

 

「あぁ、ウドンゲは留守番なの」

「留守番……」

 

 珍しい事だと霖之助は思った。何分、この永琳という女性が来る際には、事前に予約がある。当然ことだが、彼女が求めるような医療品などはそう簡単に用意できる物ではない。

 まして彼女は質の良い物を求める。尚更だ。だというのに、今日は事前の報告も無しに来た。

 

「えぇ、少し風邪を拗らせてしまって。医者の不養生、かしらね」

 

 今は自室で療養中だと呟く永琳の顔には、少々の怒りと優しさが見えた。不甲斐ない弟子だと怒ったのだろうし、まだまだ手のかかる子だと、そこに母性を感じたのだろう。差ほどの付き合いでもない霖之助でも、今の永琳の感情の動きは読みやすかった。

 

 普段の日用品程度の消耗品ならばそれこそ誰が買い物に行こうと関係などないのだが、薬草やそれに使われる道具などとなると違ってくる。命に関わることだ、疎かには出来ないのだろう。当然、彼女が買い物に来る際には良質の物を用意する。

 

 するが、彼女はやはり自らの目で見て、触れられる物なら触れて確かめる。当然そこには会話があり、少々ながらの触れあいもある。自分の人生には少々惰性が見える霖之助だが、道具に妥協はない。専門的な物までは用意できないが、それでも彼には誇りがある。商人としても趣味人としても、薦めるべき道具が片手落ちでは彼の矜持が黙っては居ないのだ。

 

 払われる事のないツケで毎回毎回毎回毎回毎回毎回持っていかれる巫女の服などもそうだ。丹精をこめて作り、編み、繕う。事実上の無報酬だと理解していながら、だ。

大の男が少女趣味全開の巫女装束を一人夜半までせっせと繕う。正直気持ち悪い。

 

 類似事項で某普通の魔法使いが持って来る道具のメンテナンスも含まれる。彼女の場合は、どうも好意でメンテナンスしてくれていると思っている節があるが、いずれ機を見て話さなければなるまい。

 それは空飛ぶ巫女も同じなのだが、出来れば両方一度にではなく、後顧の憂いを断ってから挑みたいらしい。まぁ無理だろうが。

 

 と考えていると、永琳もう霖之助の前まで来ていた。

 

「何か考え中かしら?」

「いや、特に実のある事は何も」

 

どうやら少し待たせてしまったらしいと霖之助は反省し、

 

「それで、今日は何をお求めで?」

 

 少しどころか盛大に遅く、商人――香霖堂――としての顔で伺いを立てる。

 

「今は自信を持ってお渡し出来るような物は、特にありませんが?」

 

 どうかと思うが、事実なので霖之助は正直に言っておいた。こういったところも、商売っ気が全くない。

 

「今日は、違うのよ」

「違う、とは?」

「そうね、まず……」

 

 彼女はそこで目だけでくるっと店内を見回した後、また霖之助に視線を戻し

 

「貴方は、幾らなのかしら?」

 

 そう、はっきりと言った。

 いつも通りの、商談で使うその顔のまま。

 

    ■ ■ ■

 

「もっと、確りと説明してくれたら良かったんだ」

「あら、ごめんなさい」

「そうすれば、僕だってごねはしなかったさ」

「ごめんなさいね。で、はい、これ」

 

 ごく自然に道具を手に取り、それを霖之助に渡す永琳の姿には、言葉ほどの申し訳なさはなく、何か皮肉でも言ってやろうかと考えた霖之助だったが、この長くを生きた女に口では勝てないだろうと思い直し、素直に渡された道具を見る事にした。

 永琳直々に案内された、物置にしてはやたらに広く、暗い室内で。

 

 あの後、つまり幾らなのかと聞かれた後、一悶着があった。

 些細では、あるが。

 

『僕は売り物じゃあない』

『雇いたいの』

『僕も一応、一国一城の主なのだけれどね。君から見たらさぞ小さな兎小屋だろうけれど』

『あら、皮肉?』

『知らないよ』

『で、お幾ら?』

『ここは道具屋だ。生物は扱わない』

『なまもの?』

『せいぶつ』

『じゃあ、良いじゃない』

『僕は立派に生物だ』

『眼鏡でしょう?』

『医者に見てもら――いや、医者だったか』

『えぇ、眼科も兼ねているわ』

『医者の不養生だな……可哀想に』

『あら、こんなところに丁度いい鈍器が』

『売り物の壷で何をする気だ』

『貴方次第ではなくて?』

 

 この様に、ひどくシュールで、かつ普段の商談と少しだけの世間話とは全く違った会話があった。

 そして現在。彼らはここにいる。

 

「つまり、なんだ。僕にこの物置で見つけた道具を、鑑定して欲しいと?」

「えぇ。この前整理していたら、目ぼしい物を数点、見つけたものだから。此処に来るまでにも言いましたけど、勿論鑑定料は払うわ」

 

 ふむ……と呟き、霖之助は手にある道具を見る。

 オルゴール、それもかなりの年代物だ。意匠は凝っており、銅製の箱には勿論の事、音を鳴らすために巻く銀の螺子にまで、宝石と貴重石が下品にならない様に見目良く散りばめられていた。

 

「なるほど、確かに。これは、鳴らしても?」

「構わないわ」

 

 永琳に許可を得てから、霖之助はオルゴールの螺子を回した。オルゴールは、なるほど趣味の世界に属する物だ。置物として、そして奏でる物として。その美しい意匠で人の目を楽しませ、その拙くも原初的に美しい音色で人の心を楽しませる。

 霖之助個人の意見として言えば、奏でる以上は音もまた鑑定するべき物である。外見は十分に値打ち物だと分るのだから、あとはその中身だけだ。

 

 結果として、音は鳴らなかった。回せど鳴らぬ音に、永琳は首を傾げたが、霖之助が中の部品が壊れているんだと言ったので、納得をした。

 

「置物としては、良いんじゃないかな」

「鳴らなければ、寂しいものではなくて?」

「少なくとも、目は楽しめると思うけど」

「このオルゴールには、オルゴールとしての機能がある。それを使えないことは、さびしい事だわ」

 

人で例えるなら、知性がないような物だと永琳は悲しげに囁く。

 

「知性かい? 僕は舌だと思うけどね」

「違うわ。舌は喋るために必要な物。オルゴールにとっての音色足り得ない」

「音色が、知性かい?」

「そうよ」

「それはまた、どうして?」

「舌は――言葉は嘘をつく。音楽は、知性は、嘘をつかない」

 

 知性と音楽は精神の領域に属するからだ、と教師然とした顔で永琳は霖之助に言う。

 

「音楽は感性の分野に身を置く物だわ。なんの衒いもなく心に沁みる。滝の水が上から下に流れ落ちるように、ごく自然に。野に身を置く凶暴な獣でさえ、母の腕の中で穏やかに眠る赤子の様に静かに目を瞑り耳を立て聞き入るのが、本当の音楽という物よ。粗暴な妖怪変化、でも構わないわ。しかも音楽と言う物は人の精神医療分野において有効性を発揮し――」

 

 なるほど、と霖之助は思う。

 なるほど、これは確かに魔理沙や霊夢が僕の薀蓄を嫌がるわけだ、と。それほどに永琳の薀蓄は長かった。嫌気もさしたが、遮って席を立とう等と彼は終ぞ思わなかった。それを上回る何かがあったからだ。

 彼女の薀蓄は長かったが、それ以上に深く、そして理路整然としていた。

 

 刺激される何かが、彼の中にある。そして、身中でもどかしく疼くそれを、彼は良く理解していた。

 

 ――知識欲。

 見る事、聞く事、感じる事。ただ一個の生物として生きるにはさほど重要な物ではないそれも、知識を溜め込む事に生き甲斐を感じる、趣味人として存在する彼にとっては大であり命だ。まして現在目の前で口舌を広げるは、月が幻想郷に誇る最高にして最強のオモイカネ。

 

 聞かぬは、さて余りに勿体無い。

 

 となれば早い。

 彼は手ごろな大きさのガラクタに腰掛け、永琳の言葉を沁みるが如く聞き、吟味する。最初はなるほどと思っているだけだったが、聞き続けていれば疑問も生まれ、また薀蓄を趣きにする存在として、聞くだけでは満足できないと身中で疼く熱がうねり出す。早く、早くとそれは彼を急かした。

 我慢を知らない子供の様に。

 気付けば、霖之助は乾いた唇を一度だけ舐めて湿らせ、我知らず言葉を紡いでいた。口では勝てぬと、先程思っていたにも拘らず。

 

「それはどうかな、永琳」

「あら、何か異論でも?」

 

 気付けば、二人は物置で静かに、だが激しく口論していた。

 

「おーしーしょーさまー、いますーかー? なーんか姫がー……って」

 

 てゐが永琳を呼びに来る間、二時間もの間ずっと。

 

「だから、ケーキは甘い事が使命付けられているのよ。その為ならば百万の命を糧にしてもケーキは甘くある。分かるでしょう? 命題なのよ、これは」

「それはおかしいな。苦いケーキだってある。例えば――」

 

 ケーキの事について。

 

「……いや、なにこれ?」

 

    ■ ■ ■

 

 前日からだった。

 暇だった。それも、どうしようもなく。

 

 彼女の診療所は暇で暇でしょうがなかった。

 助手である優曇華が風邪で病欠しても余裕で回る程に。そして次の日には暇などという言葉ではすまない物になっていた。前日、暇すぎた事で前倒しした仕事が在ったせいで、やる事など何一つもなく、机を指で叩く事だけで10時間もの長い時間を過ごした。

 

 すべき物はないかと、やるべき事はないかと、その優秀な頭脳をフル稼働させた彼女は、雑用係にこれから向かう先と、何かあればそこに連絡を寄越すようにと告げ、すっと席を立ち、小さな札を手にして歩き出す。手にした札には、こう書いてあった。

 

『本日休診』

 

 つまりは、なんであったかというと、彼女は暇だったのだ。

 少し前に整理させた倉庫から転がり出てきた、骨董品を見て欲しいと、誰にも使いを頼まず、自ら森の入り口にある草臥れた店まで足を運ぶ程度に。別れ際、永琳に霖之助はそう言った。

 

『ここが暇だという事は、それだけ平和だと言う事だろう』

 

 平和だ。

 平和であるが、平和ではあるのだが、それ故弊害も生まれる。

 

 ――あぁ、弊害だ。

 

『ねぇ、私今人里流行ってるとか言う、甘味物? それが食べたいの』

 

姫が呼んでいると居ると言うから、それまでの深く静かに白熱した議論を名残惜しいが終わらせ、部屋に入った瞬間これだ。

平和すぎるのも考え物だと永琳は心底思った。買って来いと言うのかこの姫は。というか、そんな用事なら誰でも良いだろうと思ったが、相手はこの姫様である。

 

 適当に言いくるめ、それでもぶーぶー五月蝿いのでまた適当に横に置いてあった壷を片手でナックルボール並みに顔面目掛けて投げ付けたら、鼻から盛大に鼻血を出しながらガタガタ震えつつ今度買って来てくれるならそれでいいですと妥協してくれた。

 別名暴力的解決とも言う。

 

 そのまま滂沱と鼻血を流す輝夜を、幾ら不死とは言え医者としてはどうかと思う無視っぷりで彼女は自室へと戻っていった。更には加害者としてもどうかと思うが、もっと言えば一応の上司にその仕打ちはどうだと傍に居た従者達は思ったが、永琳先生の華麗なる弓術の一つ、ロングボウ置きっぱなし式ナックルボールの圧倒的な威力の前に恐れをなし、誰独り何も言えやしなかった。

 

 何事もなかったのように彼女は汗を流し、髪を梳き、寝巻きに着替え、柔らかい布団に潜り込む。灯りを消して眼を瞑った後、永琳はふと思い出した。

 

 ――オルゴールしか見て貰っていない。

 

 そう、あの一点しか鑑定していない上に、鑑定料も払っていないのだ。

あの男は本当に商売人なのだろうかと疑ってしまう。これはどうにも、もう一度来て貰う必要がありそうだ。鑑定して貰う為にも、料金を払う為にも。

 

 そう思うと、自然と口元が綻ぶ。楽しかったのだ、あの妙な時間が。彼女にとって、どうしようもなく。

 

 音楽性の話から獣の話に移り、人の精神の在り処、薬草学、医療知識、妖怪変化神の残虐性、自然から妖精への発生原因、ウドンゲのスカートの短さ、迫り来る座薬、うちの優曇華は可愛い、僕のとこの魔理沙の方が可愛い、この野郎表出ろと縦横無尽に話題は暴走し、最終的にはケーキが甘いのは神意だという話になっていた。

 

「訳が分らないわ」

 

 ぼそっと、暗い寝室で横になったまま呟く。

 

 ――本当に訳が分らない。

 

 今度は胸の中で呟き、寝返りをうつ。

 自分は月の頭脳だ、彼女はそう自分に言い聞かせる。半妖などの、しかも若造との知識比べが楽しいなんて、どうかしている。そう言い聞かせる。

 

 言い聞かせるが、どうにもならない。

 久々の、程度の差はあれ、知識を持ちそれを利用する術を心得た相手との会話だったのだから、仕方ない。

 

――暇な時にまた来て貰えば良いわね。あれもきっと暇だろうし、嫌だとは言わないでしょう。

 

 また次に。

 筆舌し難い、自身にも不明瞭な満足感に包まれたまま、彼女はその日を終えた。

 

    ■ ■ ■

 

――なぁ、最近お師匠様、機嫌良いよなぁ。

 

――なんか良い事あったんじゃないの?

 

――お師匠様に?

 

――うん、多分だけど。

 

    ■ ■ ■

 

 そしてそれは、二人の日常に組み込まれる。

 暇な時は当人が、そうでない時は優曇華やてゐが。霖之助に鑑定を依頼し、そのまま直接向かう。違う事はそれだけで、やるべき場所もやるべき事も一緒だった。

 

 霖之助が道具を鑑定し、

 

「なるほど、これは確かに中々の物だ」

「あら、そう?」

 

 永琳が語りだす。

 

「人と言う物は加虐性の強い生き物よ。特に、集団になればなるほどに」

「そうかも知れないが、僕は違うと信じたいね」

 

 そこからまた議論討論薀蓄薀蓄薀蓄。

 知識人と趣味人の、楽しい嬉しい面白い時間。来た理由も、時間も忘れる様な二人の時間。

 

 稀の呼び出しが頻繁になり、

 

「やぁ、これはまた……少し苦いお茶だな」

「茶葉、教えてあげましょうか?」

「む、それは僕に対する挑戦かな? 茶葉を味覚だけで当てて見せろという」

「本当に負けず嫌いなのね、あなたは」

「知識に貪欲なだけさ。っと、そんなじっくり飲むところを見ないで欲しいな……苦いからといって、無駄にはしないさ」

「そう願いたいわね」

 

 五日に一度の呼び出しが四日に一度になり、

 

「あら、その頭……どうしたの?」

「いや、なに……道具の整頓中に、上から落ちてきてね。参ったよ、不精者は不精のままで在れという啓示なのかな?」

「また馬鹿な事を……仕方ないわね、少し待って貰えるかしら?」

「いや、僕は診療所へ来た訳ではないのだし――」

「少し待っていなさい」

「……分かったよ、そんな顔で睨まないで欲しいんだが」

 

 三日に一度が二日に一度になった。気付けば、変わっている。

 

「はははは、それじゃ、君の所のお姫様も相変わらずって事なのかな」

「えぇ、本当に。困ったものだわ」

 

 二人の距離や。

 

「おいおい、笑うなんてのは、随分とひどいじゃないか。僕はだね、あの巫女と普通の魔法使いが如何に横暴であるかを」

「くすくす……だって、貴方……ふふふ、そんな優しそうな顔で話す事じゃ、ないもの……ふふふ」

「なんだい、僕だって一商売人としてだね、二人の勝手な振る舞いには辟易して」

「くすくす」

「あぁ、もう、良いさ。歳若い少女に出し抜かれるような不甲斐ない僕を、さぁ存分に笑うが良いさ」

「あははははははは」

 

 二人の仕草が。

 

「今日もまた、一つしか鑑定出来なかったな」

「良いのよ、急ぐ事でもないのだし」

「そうかい? まぁ……僕は楽しいから構わないけれども」

「じゃあ、良いじゃない?」

「……そうかもね」

「じゃあ、また明日」

「あぁ、また明日」

 

 当たり前に重なり合っていく。隣に居るのが自然だと、空気が主張する。誰も違和感など感じなかった。当然、当人達も。

 

「……」

 

 ただ、日常に組み込まれていく。

 それだけの事。

 

    ■ ■ ■

 

――ねぇ、てゐ。

 

――んー、何さ?

 

――最近の師匠、ちょっと――怖くない?

 

――あー……。

 

 女の心の奥底だけを置き去りに、日常は進んでいく。本当に、それだけの事。

 

    ■ ■ ■

 

 もう幾度目か数える事も必要のない普通の中で、二人は語り合い、永琳の腹を抱えて笑うという見慣れた姿を眺めること数分。最近頻繁に出る永琳の発作がようやく収まったところで、霖之助は話しかけた。

 

「もう良いかな?」

「えぇ、えぇ、十分に笑わせて貰ったわ」

「そうかい」

「……また来そう」

「いやいや、勘弁して欲しいんだが」

 

 その為には霖之助が口を閉ざせばいいだけなのだが、当然彼はそんな事を知る由もない。また永琳の肩が小刻みに震えだしたのを見た霖之助は、これでは埒があかぬとととりあえず話を変える事にした。何か話題はないものかと周囲を見回すと、それが視界に入った。

 

「しかし、ここで貰うお茶はどうにも苦いね」

 

 霖之助の前にある、テーブル代わりの置物の上にある、二つの湯飲みが。

 

「良薬は苦い、でしょう?」

「薬だったのかい? これは」

「いいえ、ただの苦いお茶だけど?」

「会話がしたいなぁ、僕は」

「何が一番の弊害となっているか、それが分らない以上は無理かもしれないわね」

 

 ため息をつき、芝居がかった仕草で肩を落とす霖之助を見て、永琳がそう言った。お前がその際たる原因だと込めて。

 勿論、

 

「なるほど、じゃあまずはそれの排除から、という事か」

 

 この男にそれが通じる筈もなく、弊害はこの関係が続く以上解決を見る事は無いのだろうと、永琳は微笑みながら諦める事にした。

 

「あぁ、本当に苦いな……出して貰っておいてなんだが、未だにこの苦さにはなれないよ」

「そうでしょうね」

「珈琲の様な苦味なら、僕も歓迎出来るんだが……永琳」

「なに?」

「……余り、じっと見ないでくれないか? どうも、飲みにくい」

「あら、ごめんなさい」

 

 ここで鑑定をし、ここで会話をし、ここで永琳が発作に襲われ、笑い出す。

 それらは来る度に起きる事で、霖之助がお茶を飲む際、永琳がそれをじっと見つめるのも繰り返された事だった。恐らくは医者という立場上、そういった癖でもあるのだろうと霖之助は当たりを付けていた。止めてくれと何度言えども改善されないのは、それが永琳の深い場所に根差す、自分の突発性長考癖にも似た悪癖の様な物だろうと諦めているが、やはり何かを口にしている最中を誰かにじっと見られるのは、そう気分の良い事ではない。

 

 じっと見つめてきたら、それを止める。霖之助には、今はその選択肢しかないのだから仕方ない。

 

 ――無くて七癖、か。

 

 どうでも良い事だ、と霖之助はそっと目を瞑って苦いお茶を嚥下する。当たり前の事だが、目を瞑っても苦さは消えやしない。

 

 ――純粋な茶葉と言うよりは、薬膳茶葉なんだろうな……ふむ、今からでも銘柄を聞けば……あぁいや、やはりそれは嫌だな。あぁ言った手前、自分で銘柄をあてるべきだ。この苦さが何に近いか、それが分れば、案外特定出来るかも知れないな。

 

 お茶の苦さに辟易しながら、彼はそんな事を考えていた。自身の言う突発性長考癖で。

 

「……」

 

 だから彼は知らない。

 その瞳を。

 彼が知らない、繰り返される毎日に組み込まれた、その仄暗い何かを。

 

    ■ ■ ■

 

 軽く汗を流し、手ぬぐいで濡れた髪を掻きながら、霖之助は日常を過ごす為の部屋に足を運んだ。一息つき、部屋の中央に座り込み――冷たい畳に顔を僅かにしかめ――考えた。

 

 ――どうにも、おかしいな。

 

 と。

 

 おかしい。

 最初のころに鑑定を依頼された道具達は、確かに鑑定するに足る物だった。だが、最近はどうだろうか。

 そう思うと、彼は首を傾げざるを得ない。価値の無い、益体もない小道具が多いのではないだろうか。見れば分る筈なのだ。

 

『永琳、君はもう長く生きているだろう?』

 

 彼は永琳にそう言った。どうでもいい様な話に摩り替えられてしまったが、確かにそう問うた。

 彼女の生は長い。想像も出来ないほどに。あの彼女、永琳だ。

 知識で肉を得、理性で骨を持ち、知性で器官を統べ、知恵で存在を確固と成す八意永琳だ。そこに多大な老獪さもまぶさなければ八意永琳は完成しないのだが、この際はどうでも良い。その彼女が、無為にその長い生を過ごして来たとは、到底霖之助には思えなかった。

 霖之助に鑑定を依頼したのは、恐らく他者の、違う視点からの見解が欲しかっただけだ。

 

 ――道具への鑑定眼はない。

 

 彼女はそう言っていたが、その際少しだけ眼を伏せた事を、霖之助は見逃さなかった。

 分っているはずなのだ、彼女は。永琳は、理解している筈なのだ。

 無為な事をしている、と。

 

「鑑定するまでも無い道具で、何故僕を呼ぶ?」

 

 結局は其処に行く。が、それよりも問題なのは彼自身だ。

 

 ――分っていながら行くのだから、僕も度し難い、か。

 

 彼にとっては、月の賢者は幻想郷の大賢者とは違い話しやすい。どこか胡散臭く、物を聞けども適度にはぐらかし、のらりくらりと人をかわす大賢者こと隙間妖怪とは違い、彼女は誠実に、それでいてお互いに益がある様にと会話を進める。少なくとも、今の関係では霖之助はそう判断していた。

 

 だから霖之助は永琳を尊敬していた。

 その話に聞き入り、星霜も知れぬほどを過ごした知識から零れる言の葉にすれば、なんとも稚拙だと言わざるを得ない知識で対抗し、口舌を縦へ横へと広がせ、永琳が上句を読めばすかさず霖之助が下句を読み上げ、連歌の如くやりあう。丁々発止と。

 残念ながら、今のところ彼に勝ち目など全くさっぱり見えない。

 

 ――何、稚拙なのも今だけさ。彼女と語り合って知識を蓄え智慧と成せば、僕だって同じ場所に立てる。

 

 いつかは分からないが、それで良いと思えた。

 そんな風に考えていると、鑑定する道具の事もやはりもうどうでも良いと思えた。あの程度の小道具なら、店に持って来る事も可能だろうにと思っていた事も、忘れた。

 

 一知識探求者として、偏った求道者として、趣味人として。それで良いと思ってしまった。

 知識と金銭の貯蓄が出来るのだから、受け入れるべき事態だと思い込むことにした。

 

 ――多少の不自然さなど、眼を瞑ってしまえ。

 

 と。

 

 彼は髪が乾き切った事を確認してからすっと立ち上がって、布団を広げた。

 また明日、彼女はあすこに居るのだから早めに寝てしまおうと。灯を消し、もそもそと布団に入り、今日語り合ったことを思い出しながら眠る。

 

 彼は気付くべきだった。

 自己防衛と警戒を怠るわけには行かないと心底思っていたのなら、その時こそ怠ってはいけなかった。

 

 最初はオルゴール、その次は置時計、その次は小型の食器棚。そして最近は、小物の道具ばかりの鑑定依頼。

 受け取る際、渡す際、どうしても触れ合ってしまう、彼の手のひらと、ひやりと冷たい彼女の手のひら。

 

 少女の様な微笑と、その仕草の意味と。

 

 ――私に道具の鑑定眼なんてないわ。あっても、それは薬物に関係する物よ。趣味趣向品までは、ね。

 

 口元に手を当てクスクスと笑う彼女の、その視線が疚しさから伏せられた物ではなく。伏せた瞳で、そっと彼の――霖之助の鎖骨を妖しく仄暗く嘗め回して居たと言う事に。

 彼はやはり、気付くべきだった。

 

    ■ ■ ■

 

 まるでそれは、己から裂け出でる火の華を封じ込めるかのように強く、強く。肩を両手で掻き抱き、顔を伏せ、頭上で煌く見えぬ星々に懺悔する様にうな垂れて。

 

 香霖堂から灯火が消え、夜が帳の羽を広げる頃、同様に暗い永遠亭の一室でそれは濡れていた。唇が血で滲むほどに噛み締めて、爪が刺さるほどに肩を掻き抱いて、普段であれば玲瓏に理性と知性で彩られた双眸を濡らして。妖しく悲しく輝きを湛え。

 

 女は暗いその場所で、自身の中にある何かを御そうと、無駄な事をしていた。

 

 ――楽しい、楽しい。

 

 あの言葉を交わす日々がそうだと。

 

 ――嬉しい、嬉しい。

 

 あの彼女の言葉を聞き入る時の、ざらつくほどに熱い視線がそうだと。

 

 ――愛しい、愛しい。

 

 あの幼稚な知識で、それでも退かず一つでも多く学ぼうとする姿がそうだと。

 

 ――悲しい、悲しい。

 

 彼女がもうなくした筈の情熱やそういった物を、彼は多く持っていた。

 それがまず一つ。

 

 ――悲しい、かなしい。

 

 彼女は永遠に倦んでいた。彼女の上司に当たる、月の姫君の様な永遠に飽く事無い感情の絆――殺し合い――を持たない彼女は、倦んでいた。

 彼女達は円の中にいる対等同士で、自身は姫君にとって時に下に時に上に、円の外にあるだけの関係だった。弟子達は愛おしいが、彼女達は弟子である事しか選ばなかった。ここに、対等はなかった。

 それがまず一つ。

 

 ――かなしい、かなしい。

 

 為に、目の前に飛び込んで来たそれを、離さず逃がさず強く望んだ。対等で在ろうとする、まだ未成熟な半妖の雄鳥を。

 それがそれがそれがまず一つ。

 

 ――かなしい、カナシイ。

 

 だけれど、彼女は分かっていた。

 それを囲う事は裏切り行為だと。対等に成るために、横に立つその為に。真摯なほどに足掻き羽ばたくその鳥の、嘴を引き千切り足をもぎ取り目をくり貫き羽を毟り取る行為だと。

 分かっていた。

 分かっていたのに――それでも。

 それが、それが、まず一つ。

 

 ――カナシイ、カナシイ。

 

 日々が、彼女の歩んできた途方も無い道程からすれば短く、ただ過ぎる日々からすれば長いその時間という時間全てが。

 あの日からのその全てが。

 理解して尚、それでも、寒い怖い辛い淋しいと、親からはぐれた幼女の様に震えて怯える彼女の背中を。誰でもない、彼女自身が押した。

 

 ――悲シイ。

 

 あぁ、あぁ、あぁ。

 いつか気付いてしまうだろう。

 百年後か、十年後か、明日か。老いないその身に、死なないその身に、死ねないその身に。

 いつか彼が――霖之助が気付きそれを詰るだろう。彼女を罵倒し蔑み忌み嫌うだろう。分っていたのに、分っているのに。

 

 それが、それが、それが――

 

 ――あぁ、かなしい。

 

 掻き抱いた肩から血が零れ落ちても、永琳にはもう痛くなかった。

 

 或いは、それがこの顛末の目に見える答えだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

  ――続

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理解していてもそれは顔を背けられない。その鋭い爪からは逃げる術もない。

 それが生物の設計図にこびり付いたインク――愛と呼ばれる物だからだ。


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