東方戦争犬   作:ポっパイ

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四十二話

 

 何が起きたのか理解できなかったのは影狼だ。神霊級の二人の殺気にあてられ、それでも耐えようとしたが、祟り神の目を見てしまったら自分の意思とは関係なしに胃の中のものが逆流してしまった。

 

 何か分からないがおぞましいモノを見てしまったような気がした。一つではなく、無数に蠢くおぞましいナニか。それらが全て幼い子供の形をした祟り神の中に収まっているような気がしてならない。

 

 そんな祟り神を見て、また吐きそうになる影狼の視界を塞ぐかのように大尉の手が伸ばされる。大尉ですら祟り神を直視することに気持ち悪さを感じていた。それなのに影狼が耐えれるわけがない。

 

 奇妙な帽子を被る幼子の姿をした祟り神――――洩矢 諏訪子のその姿はまるであの吸血鬼を思い出す。姿形なんて一切意味がない。少女の姿であろうが、その実態は化物以外の何者でもない。

 

「そっちの通訳さんには悪いことしちゃったかな?ごめんねー」

 

 ばつの悪そうな顔をした諏訪子が殺気を収める。その様子からは先ほどの気持ち悪さが嘘のように感じられない。

 

「まさか大将自ら乗り込んでくるとは思いもしなかった」

 

 てっきり別の者が来るものだと思っていた軍神――――八坂 神奈子が殺気を隠すことなく大尉に語りかける。

 

「わざわざ通訳まで連れてきたところ申し訳ないが私たちは交渉するつもりはない。私たちの手で貴様らを殺しても良いんだぞ?」

 

 そんなことは大尉とて分かっている。だからこそ、大尉はこの『神』と呼ばれている存在に対して優しさを感じていた。

 

 自分のような存在に対して、誰かのための殺意を向けてくれている。外では考えられない状況だ。

 

 外の世界の神は何万人も人間が自分たちに理不尽に殺されようとも、決して自ら手を下そうとはしなかった。それはその神を崇拝する信者たちが河に呑まれようとも変わらぬ対応だった。

 

 神は降りてはこなかった。幾多の血が流れようとも、幾多の命が河に呑まれようとも、少佐の思う通りに事が進んでも神は人々を救いに降りてこなかった。

 

 宗教観の違いだというのは解る。だが、この世界の神は身近すぎる。神社に行くだけで会える神など大尉からしてみれば質の悪い冗談だ。

 

 影狼の背中を擦りながら大尉は大丈夫か、と問う。影狼が喋ってくれなくては来た意味がなくなってしまう。戦争そのものが終わってしまう。

 

「ひゅぅ……ひゅぅ……だ、大丈夫」

 

 僅かに口臭に吐瀉物の鼻を付くよう臭いが残っているがそれでも影狼は親指を立てて虚勢を張る。

 

 影狼から表情がストンと抜け落ちる。さっきまで苦しそうにしていたとは思えない。何も感じさせないほど表情がなくなっていく。

 

 これも影狼なりの処世術だ。大尉の通訳をやるとき、一々怯えていては身が持たない。なので、通訳をやるときは自分の意思を殺すことにしていた。つい最近、完成した術だが、思っていたよりも効力はあるようで何時もよりはストレスを感じない。

 

「我々は神と争う気はない」

 

 大尉の言葉を代弁する。

 

「むしろ、我々と手を組まないか―――――」

 

 影狼の口調は淡々と感情を感じさせない。その言葉を代弁した瞬間、轟音と共に大尉の足元の石畳が砕け散り、注連縄が巻かれた巨大な六角柱の鉄柱が境内の石畳を突き破り刺さっていた。

 

「交渉する気はないと言っているだろう? 次、巫山戯たことをほざいてみろ――――殺す」

 

 軍神の背中に先程の鉄柱が顕現する。その様子からは脅しでもなんでもなく、本気なのだと理解できる。

 

「巫山戯ているつもりは一切ない。手を組むのが嫌だと言うのなら、せめて、停戦協定を結びたい」

 

「それこそ、馬鹿にしてるんじゃない? 神奈子、コイツをさっさと殺そう。そうすれば、この巫山戯た劇も終わる」

 

 先程まで口を閉ざしていた諏訪子が冷たく言い放つ。まったくもってその通りなのだが、大尉とて素直に殺されるほど馬鹿ではない。

 

「ならば、仕方ない。貴様らが大事にしている巫女も道連れにしてやろう」

 

 影狼から放たれた言葉ではあったが、その内容は二人の神の心を揺さぶるには十分であった。はったりだと思いたかったが、とてもそうには思えない。況してや、そうすることができる戦力を抱え込んでいる。

 

「ルーミアならば、きっと巫女を喰い殺すだろう。あの闇で身動きを奪い、脚から順に喰らっていき、最後は悲痛に歪んだ巫女の顔に齧り付くだろう」

 

 挑発するような大尉の言葉に諏訪子は抑えきれず、得たいの知れない白蛇を顕現させる。それは巨大で、目がなく、歪な牙を持ち、黒い模様のようなものが巨駆を走っている。

 

 だが、その白蛇は大尉に襲い掛かることなく、諏訪子の背後でとぐろを巻いている。影狼の顔色が青くなっているが仕方のないことだ。

 

「……条件はなんだ」

 

「神奈子!?」

 

 EXルーミアに早苗が喰われる様を想像してしまったのか神奈子が大尉を殺したい気持ちを抑え込んでまで訊ねる。握った拳からは血が流れている。

 

「貴様らのような神と名乗る存在の不介入。人と化物の闘争に神が介入するなどもっての他だ。外の神ですら我々の戦力をただ見ているだけだった」

 

「ロンドンのことか?」

 

「やはり知っていたか。ならば、話は早い。外の神のように傍観していろ。そうすれば、巫女だけは戦争においても殺さないでいよう」

 

 幽香から守谷一派が最近幻想郷に来たという情報を予め得ていた大尉は第二次アシカ作戦のことを知っているだろうとは踏んでいた。

 

「何も悪い話だけではない」

 

「なんだ?」

 

不服そうな表情を浮かべる神奈子に大尉は甘い甘い蜜を垂らす。

 

「妖怪の山の支配権をくれてやる。天狗も河童も戦争が終われば全ては用済みだ。混沌と化し、無秩序の山に新たな支配者として名を馳せてはみたくないか?」

 

 守谷一派と妖怪の山の因縁は歴史は浅いがとても根深い。参拝客が来ようにも天狗たちの許可が要り、気楽には来れない。河童との技術提携も天狗たちに邪魔をされ、思うように進まない。

 

 早苗の手前、表面上は仲良く手を繋いではいるが、その裏では常に会議という殴り合いがされてきた。

 

「今頃、他の仲間が本殿を攻めている頃合いだ。上層部がいなくなれば、そちらも支配はしやすいだろう?」

 

「言いたいことは分かった。私たちが何もしないだけで早苗は見逃されるのだな?」

 

「その通り。そして、何もしないだけで守谷神社はこの山の支配者となる」

 

 神奈子の口元が僅かに口角を上げる。諏訪子は横目でその様子を見るが、もはや手遅れであると察してしまう。

 

「一つ教えてくれない?」

 

「一つと言わず、答えられることなら何でも答える」

 

「そちら側の戦力を教えてほしい」

 

 諏訪子の問いに大尉はそんなことかと謂わんばかりに影狼を通して、現在の全戦力を伝える。

 

「ルーミアに風見 幽香、比那名居 天子、霍 青娥、博麗の先代巫女のキョンシー。そして――――自分自身だ。この山への進軍が終わる頃には白狼天狗と河童も戦力に加わる予定だ」

 

 天子が大尉たちに付いたというのは知っていた。だが、青娥や先代巫女のキョンシーが大尉たちに付いたというのは知りもしなかった。

 

「白狼天狗と河童もだと? 天狗どもはどうでもいいが、河童を使い潰されるのは後の統治に困る」

 

「河童には武器の改造を頼んでいる。その手前、味方に引き入れただけだ」

 

 決して、嘘は吐いてはいない。武器の改造を頼んでいるのは本当のことだ。銃の仕組みを理解され、敵に回ると厄介だから味方に引き入れた。椛の人質にもなっている。嘘は吐いてはいないが、多くを語っていないだけだ。

 

「殺しはしないから安心してほしい。そちらの統治が楽になるように外の技術も教えれるものは教えておこう。ただ、逆らった場合は保証が難しい」

 

 神奈子は早苗が人質されている以外で悪いことはない、と考えていた。大尉たちが山を攻め、いなくなった後で自分が山を統治する。都合が良すぎると周りから責められようものなら、素直に早苗が人質にされていたと白状し、その上で、山を統治する者が必要だと思って行動した、と述べればいいだけだ。

 

「それで、そちらの返答は?」

 

「あぁ、仕方ないがそちらの要求を飲むしかなさそうだ」

 

 横の諏訪子が納得していない表情をしているが、これは早苗のためであり、決して自身の野心だけではない。

 

「そう言ってもらえるとこちらとしても有り難い。――――個人的なことを訊いてもいいか?」

 

「私も答えられることなら答えよう」

 

 まさか、大尉から質問をされるとは思ってもみなかった神奈子の表情が僅かに強張る。答えると言った手前、幻想郷の強者の弱点を教えろ、と訊かれてしまっては返答に困る。

 

「あの戦争――――少佐殿やアーカードがどうなったか解るか?」

 

 大尉は戦争の結末を知らずに一足先に死んでしまった。少佐の作戦が失敗するはずはないと思っていても、相手が相手だ。外から来た神奈子や諏訪子ならもしかしたら知っているのではないだろうかと思っていた。

 

「あぁ、知ってるとも。『最後の大隊』は一人残らず死んだ。あの研究者も、あの執事も、あの少佐も、猫がどうなったか予想も付かないが皆死んだ」

 

「アーカードは?」

 

「あの吸血鬼も少佐の毒酒を煽って虚数へと消えていった。そして、少佐も吸血鬼の主人に撃たれて死んだ。これで満足か?」

 

 大尉は歓喜に満ちていた。これ程までの喜びは幻想郷に来て初めてのことだった。やはり、少佐殿は間違っていなかった。吸血鬼が消えたならば、それは少佐の勝ちだ。人間が化物を倒した。それが事実だ。大願は果たされた。

 

 少佐の作戦ならば確実だろうと思っていたが、その確証を得られぬまま死んでしまった。死んだことに悔いはないが、負け続けの少佐が勝利の美酒を味わう様子も見てみたかったというのが本音だ。

 

ならば、次は――――。

 

「――――ッ!」

 

 かなり驚いた表情浮かべる神奈子の表情を見て、大尉は思考をそちらに向ける。神奈子が何をそんなに驚いているのか分かっていない。

 

 影狼も大尉を見ては神奈子よりも酷く口をみっともなく開けて驚いている様子だった。喋れない自分が喋ったのかと思ったが、そうでもなさそうだ。

 

 諏訪子を見てみるが、なんとも言えない複雑そうな表情を浮かべてこちらを見ている。大尉は自分が一体何をしたのかを理解していなかった。

 

「そんな顔、初めて見た」

 

 影狼がぼそりと呟いたが、大尉はその意味を理解していない。何はともあれ、厄介な神と交渉がうまくいったことを大尉は少なからず喜んでいた。これで邪魔者の介入がなくなり、心置きなく戦争が続けられる。

 

「あんたを殺した吸血鬼がどうなったのかは訊かなくていいの?」

 

 諏訪子が嫌みったらしく訊ねてくるが、そんなことは訊かなくとも大尉は分かっている。自分を殺した吸血鬼ならば、きっと今もうまくやっているだろうと。

 

「え、あ、帰るのかい?」

 

 踵を返し、階段を降りていこうとする大尉の姿に影狼は反応が遅れる。大尉から、合流する、と伝えられた影狼は二柱の神に一礼して大尉の背中を追い掛けて行った。

 

 

――――――――

 

 

 降りていく様子をじっと睨み付けたまま待ち続け、完全に大尉と影狼の気配がなくなると直ぐ様、諏訪子は神奈子の胸ぐらに掴み掛かり、地面に押し倒す。その腕力はとても幼子とは思えない。

 

「巫山戯るのも大概にしろ、神奈子! 何であんな連中の要求を素直に飲んだりした!?」

 

 気付けば控えていた白蛇も神奈子に対して明らかに敵意を向けているのが分かる。

 

「諏訪子、早苗は大事か?」

 

「あぁ、もちろん!」

 

 そんなこと分かりきった質問をするなといった表情を浮かべる諏訪子に神奈子は哀しく笑った。

 

「私も早苗は大事だ。大事な大事な娘みたいなものだからな」

 

「馬鹿にしているの?」

 

「いや、本気だ。だからこそ、連中に殺されたくはない」

 

「なら、他の人たちはどうでもいいって?」

 

 歪な牙を持つ大口を開けて白蛇が神奈子に喰らい付かんとする。だが、神奈子には反抗する様子はない。

 

「違う。信者も大事だ。それだけじゃなく霊夢や魔理沙も大事な早苗の友人だ。だが、それらと早苗を天秤にかけた私がいるんだ」

 

 言いたいことは分かるが諏訪子は理解したくはなかった。どうすることもできなかったのも分かる。何かすれば早苗は喰い殺されていただろう。

 

 だが、それだけではないことを付き合いが長い分、諏訪子は神奈子を理解している。妖怪の山の支配権に惹かれてしまったのだろう。

 

「何かあったら私は連中も神奈子も自分自身も祟り尽くしてやる」

 

 諏訪子の憎悪に満ちた言葉に神奈子は「すまない」と一言謝るだけだった。






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