東方戦争犬   作:ポっパイ

41 / 62
四十一話

 

 一昔前の幻想郷において『彼女』という存在は二極化していた。人間からは救世の巫女として讃えられ、人外からは弱肉強食の頂点として恐れられていた。

 

 スペルカードルールの概念もない弱肉強食の時代において、彼女は数々の大妖怪と自らの肉体一つで戦い、数々の武勇伝を打ち立て、やがてはその頂点に達した。

 

 その中でも歴代の巫女が封印に失敗してきたルーミアという存在自体が邪悪な化物の封印に成功したという功績は大きかった。

 

 だが、彼女は人間だった。弱肉強食の頂点に立とうとも、特殊な修行により老化を遅らせていたとしても、彼女には寿命があった。彼女は人間であるが故にその寿命からは逃れられなかった。

 

 このまま死んでしまう彼女を紫は見過ごせなかった。時に対立し、時に背中を合わせ戦い、時に二人だけの宴会をした親友が死んでしまうなど許せなかった。そこで紫は彼女に提案した。

 

『私の式になりなさい。そうすれば、貴女は老いから救われるわ』

 

 提案ではなく、半ば命令に近いものがあった。彼女はいつもと変わらぬぶっきらぼうな表情だったのを僅かに口角を上げて答える。

 

『それはできない』

 

 彼女ならそう答えるとは分かっていても紫の心に鋭い痛みが走る。

 

『何故かしら?』

 

 そんなことを訊ねたところで帰ってくる答えは分かりきっている。だが、どうしてか彼女の口からまた聴きたいと思ってしまった。

 

『私が人間だからだよ。いくら化物達をこの拳で葬ろうとも私は人間なんだ。老いは私に残された唯一の人間らしさなんだ。そんな大事なモノ、そう易々と捨てれないさ』

 

 老いてく度に口にするその台詞に紫はうんざりしていた。何故、こうも人間は思い通りにならないものかと。かつて、紫の知る歴代の巫女が皆が皆、そうであったように彼女もそうだったのだ。

 

『親友を置いていくのは残念だが、親友に看取って貰えるなら本望さ。獣のように野垂れ死ぬよりかはずっとましさ。悪鬼羅刹のように憎悪を撒き散らしながら死ぬよりかはずっとずっとましさ。―――――そう思えるのも紫のお陰なんだ』

 

 太陽のように明るい笑みを浮かべた彼女を見たのは初めてだった。そこまで言われてしまっては仕方ない。ただ一人の人外の親友として彼女の最期を看取ってやろうではないか。

 

 そうして彼女は紫に看取られ逝ってしまった。その後、博麗の巫女が不在という僅かな空白期間が生じてしまったが、紫の尽力により何も起こらなかった。

 

 彼女の遺体は八雲家が管理する歴代の巫女が埋葬されている墳墓へと同じように埋葬された。紫の能力によって、誰にも侵入されないようにその墳墓への道は閉ざされていた。

 

 だが、そこを大尉たちに付け込まれた。紫が無力化されている今、墳墓へと通じる道は開いてしまっていた。式である藍も紫が無力化され、その動きも封じられてしまっている。

 

 後はやりたい放題したい放題だ。幽香が先代巫女の死体を操る計画を発案し、キョンシー作りの仙術に長ける青娥が実行に移した。大尉は何も言わなかった。むしろ、幽香のその案に感心していたくらいだ。

 

 かつて、一人の哀れな女性の死体をあばいた。最悪の吸血鬼が血を吸い吸われた唯一の存在。残骸のような彼女を残骸にしつくした。正確にはそれをやったのは大尉の仲間だったが、それに関して大尉は何の感情も抱かなかった。

 

 今回も残骸を残骸にしつくすだけだ。文句があるのであれば、死んでしまっている残骸が悪いのだ。

 

 武人気質なところがあるように見える大尉だが、彼の上官は霧の都ロンドンを地獄に変えた張本人だ。手段のためなら目的を選ばないのは大尉とて同じだ。

 

 そうして彼女は蘇った。魂もなく、意思もない器だけの彼女はただの傀儡だ。大尉と青娥の命令にしか反応しない人形だ。

 

 生気を感じさせない肌の色。額には制御するためのものであろう札が貼られ、死後、硬直した身体には幽香の植物が入り、無理やり動かされている。

 

 それでも生前に鍛え抜かれた肉体と戦闘能力は大尉たちの中でも群を抜いている。

 

 死ぬまで人間にあることにこだわり続けた彼女が死後、キョンシーになってしまうとは何とも皮肉な話だ。

 

 妖怪の山の砦に攻め込んだのは幽香と先代巫女のみだ。既に青娥によって命令が下された先代巫女は敵を殲滅するだけの殺戮マシーンだ。

 

「あらら、本当にキョンシーに成り下がっちゃったのね」

 

 大天狗や鼻高天狗に無双する先代巫女の姿を幽香は倒した烏天狗や鼻高天狗、大天狗を積み重ねた上に座りながら楽しそうに眺める。今回は先代巫女の試運転のようなものだ。試運転だけで妖怪の山が崩壊してしまう可能性 もあるが、崩壊するのが先になるか後になるかだけの問題だ。

 

「私も戦ってみたかったけど――――興が覚めちゃったわ」

 

 幽香の本音としてはキョンシーになっても彼女自身の意識はあるのではないかと期待していた。そして、そんな彼女と戦ってみたかった。生前の彼女との本気の殺し合いを望んでいたが果たされることなく先に逝かれてしまった。

 

 これは勝手で我が儘な仕返しだ。もし、彼女が幽香と一度でも本気の殺し合いをしていたならば、こんなことにはなっていなかったであろう。恨むならそうしなかった自身を恨んで欲しいくらいだ。

 

「……彼は上手いことやっているかしら」

 

 大天狗を砦の壁もろとも粉砕する彼女の姿を眺めながら幽香はここにはいない大尉たちの心配をする。こっちはただ暴れていれば良いだけだが、大尉たちが向かった先はそうはいかない。

 

「彼ならばきっと大丈夫ですよ」

 

 ふわりと宙に浮かんだ青娥が幽香に微笑みかける。先代巫女が十分に機能するようでご満悦な様子だ。

 

「さっさと制圧してしまいしょうか」

 

 青娥に目を向けることなく幽香は腰を持ち上げる。大丈夫だと思ってはいるが、大尉にはどうしても払拭できない危なっかしさがある。その危なっかしさの正体を幽香は知っている。

 

 彼には生に対する執着が感じられない。まるで死ぬためだけに歩みを進めているような気がする。それは非常に危ないことだ。死んでもいい、と思ってしまえば簡単にあっさりと死んでしまうからだ。

 

 自分たちを唆しておいて真っ先に死なれてしまってはそれはとてもつまらない。自分だけ満足するなんて卑怯というものだ。

 

 幽香が加勢しようと動き始めた時、先代がこちらへと吹き飛ばされてくる。キョンシーと謂えども先代を吹き飛ばす存在は間違いなく強者の分類だ。幽香は先代を吹き飛ばしたであろう相手を見つめて微笑んだ。

 

「久しぶりね、天魔。何百年ぶりかしら?」

 

 先代を吹き飛ばしたのは白い羽織を着た黒髪の女性だった。烏天狗を思わせる黒翼を生やしてはいるが漂う雰囲気は烏天狗のそれではない。その手にはハルバードと火縄銃をくっ付けたような巨大で異様な武器が握られている。

 

 彼女こそが妖怪の山を統べる絶対者、天魔だった。

 

 先代を見れば、その異様な武器によって斬られたであろう傷が残っていたがもう再生の兆しをみせている。

 

「敵と馴れ馴れしく語るつもりはない」

 

 その表情からは感情を感じさせないが間違いなく怒っているだろう。漂う雰囲気は刺々しく、近付いただけで串刺しになってしまいそうだ。

 

「彼女が天魔ですか? 私、初めて見ました。挨拶した方がよろしいですか?」

 

「えぇ、彼女が天魔よ。根っからの引きこもりでコミュニケーションもまともにとらない馬鹿だから挨拶なんてするだけ無駄よ」

 

「あら、そうですの。じゃあ、先代ちゃん、殺っちゃって」

 

 冷たく言い放つ青娥の命令に先代は獣のような雄叫びを上げて天魔へと突撃していく。その姿から理性を一切感じさせない。

 

「哀れなものだな、博麗の巫女よ」

 

 天魔は先代のことを知る一人だ。手合わせはしたことはないが、それでもその武勇は天魔の耳にも入っていた。故に、天魔は今の先代巫女の姿に嫌悪感を抱いていた。

 

「楽にしてやろう」

 

 天魔の武器から音もなく空気の砲弾が撃ち放たれる。馬鹿正直に正面から突っ込んできた先代の胸を撃ち抜き、そこで初めて青娥は攻撃されたのだと理解する。

 

 だが、先代はそれでも突っ込んでくる。キョンシーであるが故に痛みを感じない。胸を撃ち抜かれた程度でしかない。

 

――――先代と天魔が衝突する。

 

 

――――――

 

 

 ほぼ同時刻、大尉は通訳の影狼を連れて妖怪の山のある場所へと来ていた。その服装は幻想入りした当初の軍用コートに戻っている。というのも、ボロボロになった着物では格好が付かないと考え、幽香に頼み植物で新しいものを編んでもらっていた。

 

 長い石畳の階段を一段一段昇っていく。別にここには攻めにきたわけではない。交渉をしにきたのだ。それなりの礼を持たなければ決裂されてしまうだろう。

 

「交渉って貴方が喋るわけでもないでしように」

 

 そう。大尉は人語を喋れぬ人狼だ。大尉の意思を伝えるには通訳が必要になってくる。なので、影狼がどうしても必要になる。況してや、交渉なんて場には尚更必要だ。

 

 もし、影狼が大尉の意思を無視して余計なことを勝手に喋り始めたものならその場で腕をへし折ると脅してある。殺しはしない。殺してしまっては新しい通訳が必要になってしまう。その宛ても無いことは無いのだが、今は未だ確実ではないので頼ることにしている。

 

 影狼も脅しに慣れたのか「あーはいはい」と適当な返事で返せるまでになった。だが、もし、そこにEXルーミアがいようものなら剣を突き付けられていただろう。現に、適当な返事をした時、恐い顔をしたEXルーミアに首に剣を突き付けられた。

 

 天子や青娥にはまだ警戒心が抜けていないもののEXルーミアや幽香には慣れてしまった自分がいた。本気なのか冗談なのか分からない脅しをしてくるものの慣れてしまった。

 

 もし、こう思えてくることが洗脳の一環だとすれば、影狼は「もうちょっと優しい洗脳しろよ! 飴と鞭の使い方おかしいんじゃないの!? 鞭しかないじゃないか、バーカ!」と吠えていただろう。だが、生憎、大尉に洗脳の技術はない。持っていたとしても青娥だ。だが、最後に加入した青娥が影狼を洗脳するには、あまりにも影狼はこの状況に慣れすぎていた。

 

「あーあ、どっからともなく私を救ってくれる素敵な妖怪は現れないものかねぇ?」

 

 階段を昇りながら意味もなく愚痴る。大尉を前にこんな軽口叩けるのも慣れのお陰だろう。大尉がそれはそれで好都合だ、と伝えてきたがそんなものは無視だ。

 

 影狼は自覚していなかった。こうして愚痴や軽口が許されるのも、アジト内で寝所が与えられたのも、捕虜として切り捨てられないのも、大尉なりの優しさだということに。

 

 もし、これを自覚したならば影狼は「うっさいわバーカ! バァァァァアカ!」と泣きじゃくりながら吠えていただろう。嬉しくて泣くのではない。あまりの自分のいる環境の悪さに泣くのだ。だが、影狼は決して気づくことなく、この先を過ごしてしまうだろう。

 

 階段を上がりきると影狼も見知った場所に辿り着く。二柱の祭神とそれを奉る巫女が住まう神社。片や天を作る軍神。片や日本最古の祟り神。そんな二人が境内で大尉と影狼に対して凄まじい殺気を隠すことなく放ちながら待ち構えていた。その表情は眉間に皺が寄り、とても険しい。まるで、何時でも殺せるぞ、と言っているようにすら感じる。

 

 

 

 

 影狼は吐いた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。