旅の演者はかく語りき   作:澪加 江

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幕間 休日

正午を知らせる鐘の音。

 

ブロートの街に響くそれを、そわそわと聞きながらニュクスは辺りを見回した。

ニュクスの現在の格好は白いシャツによれたベスト、使い古された外套。首にはネクタイをしめてそわそわと落ち着きなく立っていた。その服装はこの街では少し気取った小綺麗なもので、道ゆく人の視線を浴びている。

 

ブロートの街は歴史的な遺産を多く残した街ということで旅人が多い。魔導国の治世では、その成り立ちによって観光都市として有名だったのだが、再び人類の生存競争が苛烈になった今では昔ほどの人通りはない。それでもこれだけ旅人が多いのは、それだけ人類全体に“漆黒”の英雄モモンが広まっているということだ。

更に季節は夏の終わり。

実りの季節を前にしたこの街の一大行事も控えている。街の喧騒には、明るい空気が漂っていた。

 

 

「少し遅れてしまいましたか?」

 

唐突にかけられた声に振り返ると、そこには昨日会うことを約束したモモンガが立っていた。

 

「いや、俺が早く来ただけだから気にしなくていい、です」

 

軽く頭を下げる所作ですらも気品がある。そんなモモンガに、とってつけたような敬語を使う。

モモンガの服装は昨日とは違った随分と派手なものである。本当に彼の生まれは貴族かもしれない。

彼は明るい色の服についた沢山のブローチを鳴らしながら近づいてきた。外套は右腕にだけ袖を通した変わった着方であり、街中ではなく舞台にこそ映えそうな、見事な仕立てのものに見えた。

 

「そうですか。では、今からどうするのですか? 話ではこの街を案内していただけるということでしたが」

「ああ、そりゃもちろん! ところでモモンガさんはひょっとして吟遊詩人かなにかなんですかね?」

「いいえ。残念ながら私はそのような職業をとってはいません」

 

残念な事に、と肩を竦め眉を上げる。

 

「そうですね、私の職業が何かと聞かれたら……独演家、そう、独演家のモモンガと覚えていただけると嬉しいです」

 

カツリとかかとを鳴らし、胸をはる。そして片方の手を胸にあてて微笑む。

穏やかな笑顔につい微笑み返してしまった。芝居がかったモモンガではあるが、きっと職業病というやつなのだろう。顔はよくないのにどうしてこんなに様になるのだろうか。

 

「独演家? なかなか聞きなれない職だな」

「それは仕方がないでしょう。何せ勝手に名乗っているだけなのですから!」

「独演家ねぇ?」

「やっていることは昨日の夜やった一人舞台です! 小さな村や町、たまにはこういう大きな都市に来て話を語り、日銭を稼ぐ。そういう生活です」

「いやいや、昨日は本当にありがとうよ! あんな見事な舞台は中々見れないからさ! でもそれなら今日案内しようと思ったところに興味をもってもらえそうだ」

 

ニュクスはモモンガの前を歩いて案内する。行き先は街の中心地、それのやや富裕層寄りの場所であった。石の敷かれた通りを歩きながら、モモンガは珍しげに辺りを見回す。

 

「ここなんだけどさ」

「おお、これは!」

 

モモンガのこぼす感嘆のため息にニヤリと顔が歪んでしまう。

それほどこの劇場はこの街に住むものにとっての自慢なのだ。

 

街の中でも目を引く白亜の城。白い大理石で整えられた外観に、雨風にさらされながらも美しさを失わない見事な彫刻はかの“漆黒”をかたどったもの。

広くとられた入り口から覗けば、魔法の光に煌々とてらされ、中の様子がまるで陽の光の下のようにわかる。

 

「ささ、中へ入ってくれよ」

 

入り口へ続く階段を登り、建物の中へと入る。

踏み込んだ先の床は赤い絨毯が敷かれ、柱や壁には色とりどりの石を使ったモザイク画がキラキラと光っている。

モザイク画の内容はどれも“漆黒”にまつわる英雄譚のようで、黒い見事な鎧に身を包んだ人物が強大な敵に向かう姿が多く描かれている。

その中でも入り口の正面、もっとも大きい空間に描かれているものが強く目を引く。

 

それは“漆黒”のモモンと、向かい合うように立つ黒いローブに身を包んだ人物だ。

モモンの鎧に負けず黒であらわされたその人物の顔は骨。手には金の杖を持ち顔と同じ骨の指には色とりどりの指輪を嵌めている。

かの魔導王アインズ・ウール・ゴウンの姿である。

 

「――――」

 

感動ゆえだろう。モモンガの頬を一筋の涙が流れた。

それだけではなく体を震わせ、その場に跪く勢いのそれに、ニュクスは遠慮がちに声をかける。

 

「これがこの劇場でもっとも有名なモザイク画、“漆黒”の英雄モモンと魔導王アインズ・ウール・ゴウン。すごいだろ?」

 

「ーーええ! ええ! ええ!! まさかこれが残っているとは……! 全てあの冒涜者達に壊されているものだと思っておりました!!」

 

興奮が伝わる声は申し訳程度にひそめられているが、広いエントランスホールにはよく響いた。わなわなと震える手を握ったり伸ばしたり、その感動具合がよく窺えた。

 

「この地の先人達が必死に“破滅を呼ぶ英雄”達の手から守ったらしくてさ。今唯一残る魔導王を描いたものじゃないかって言われてるんだ」

「ええ! ええ! そうでしょう!! 長く旅を続けてきましたが、このように完全な姿で残されているものはみたことがありません!」

 

ばっと振り向いたモモンガの顔は大の男が涙を流し目を腫れさせるという、とても見られたものではなかったが、何処か超然とした空気のあった彼がここまで感動するのかとニュクスはただただ驚くだけだった。

 

「ありがとう。ありがとうございますニュクスさん! ああ、ああ本当に素晴らしい!」

 

両手を掴まれ強く握られる。万力のようなそれに少し痛みを感じるが、ここまで喜ばれるとニュクスとしても嬉しかった。

 

「この壁画も素晴らしいけどさ、モモンガさんには特別にもう一つ、もっと素晴らしいものを見てもらいたいんだよ」

 

ニュクスはモモンガを連れて劇場の貴賓席へと続く階段を上り、劇場長の部屋の扉口に立った。

不思議な顔をしながら着いてきてくれたモモンガへと振り返り、いたずらな顔を向ける。

 

「実は俺の親友がここの劇場長でさ。なんとか頼み倒して見せてもらえることになったんだ」

 

コンコンとノックを二回。

どうぞと返された部屋の主の声は、厚い扉のおかげで随分とくぐもっていた。

そのままノブをひねりモモンガを案内する。扉の内には高級な調度品で飾られた趣のある部屋。自分もスルリと体をもぐり込ませて扉を閉める。

部屋の奥にある執務机には一人の男が座っていた。

 

「初めまして。わたくし、ここ、ブロート劇場の劇場長をしているアランと申します」

「こちらこそ初めまして。私は旅の独演家モモンガ。昨晩ニュクスさんと知りあってここに案内させていただいた者です」

 

執務机から立ち上がり、二人を出迎えたのはニュクスとそう変わらない年齢の男。

上等な生地と仕立ての服を違和感なく着込んだアランはモモンガと軽く握手を交わす。

 

「ニュクスから話は聞いております。なんでも素晴らしい腕の語り部だとか。是非とも一度、当劇場で演じてもらいたいものです」

「機会が許すのならばやぶさかではございませんが、これほど格調高い劇場ですと、向こうひと月の予定は詰まっていますでしょう?」

「ええ、残念ながら。この耳でニュクスを魅了したという話が聞けないのが残念です」

 

極めて紳士的なやりとりが続き、それに慣れないニュクスはそわそわと落ち着きなく部屋の中を見回す。アランが劇場長になった際に招かれた時と変わりない調度品の出来を見た時はものすごく感動したものだった。

その時に感動し尽くしたものだと思っていたが、今日改めて見て新鮮な驚きがあった。もっとも、多くの調度品のモチーフは“漆黒”のものであり、ニュクスにとっては一日見ていても飽きないものである。

 

「しかし……この部屋も魔導王の時代とほぼ同じように見受けられますが」

「モモンガ殿は目敏いですね。そうなのです。<保存>の魔法が込められている事が大きいですが、この街に住む全てのものの総意として、当時と変わらない姿を再現しているのです」

 

先ほどからのモモンガの目利き具合には驚きの連続だ。どうして見ただけでこうも魔導王時代の品などとわかるのだろうか。

アランも同じ思いなのだろう、ニュクスにたまに驚きの視線を送ってくる。

 

「モモンガ殿は大変な慧眼をお持ちのようだ。一体何処のお生まれですか?」

 

「はて、私の生まれですか……」

 

少し困ったように首を傾げる。顔も、どう答えたものかと思案している。

しかしその姿も仕草も、芝居がかって見えるものであった。

 

「……遥かなる遠い地。今は無き安息の黄金郷――などというのはいかがでしょうか」

 

微笑の乗った顔にはこれ以上の詮索をためらわせるものがあった。

一旦言葉が途切れ、沈黙が支配する。

やっとの思いで口を開けたニュクスは、ここに来た本来の目的を口にする。

 

「モモンガさんの生まれが黄金郷とは! これは今から見せるものに満足していただけるか不安になっちまうな」

「ああ。そうだな。いえ、素晴らしいものというのは保証しますが、いやはや不安になってしまいます」

 

 

こちらへどうぞ。

そう言ってアランが案内したのは執務机の奥の

扉。そこを開けた先にあったのは下へと続く階段だった。

 

「この先です。足元にお気をつけください」

 

入口にかけられたランタンをとり、魔法の光をつけると、アランはゆっくりと下へと向かう。

それに続くモモンガの顔は腑に落ちないというものだった。

既に一階分は下り終えたにもかかわらず、階段はまだ先へと続く。

 

「ここが作られたのは“破滅を呼ぶ英雄”が魔導王を滅ぼした後なのですよ。当時魔導王に携わる全てのものが壊され、焼かれる中でこの街の者たちが協力して作ったのがこの地下室です」

「そう、なのですか……」

「ええ。魔導王を否定するということは“漆黒”の英雄モモンを否定するということです。救われた我々からすれば、それは許されるものではない」

「だから当時の劇場長達が必死でこの地下室を作ったんだってさ、この街に昔からいる連中のなかじゃあ有名な話なんだぜ?」

「探知系の魔法のせいで、たいしたものは残せなかったと代々の劇場長は言っていましたが………とんでもない」

 

階段が終わった先には一つの鉄の扉があった。

 

「ここにあるものこそ全ての生き物の理想郷、魔導国は確かにあったのだという証拠なんですから」

 

開かれた扉の先にあったのは本棚だった。

魔法の光をつけられた室内は、本が傷まないように薄暗い。

本棚の中身はどれもこれも相当な年季の入ったもので、盗難防止や劣化防止など何重にも厳重に魔法がかけられていた。

アランはポケットから白く清潔な手袋を取り出すと、おもむろに一冊の本を取り出す。

赤い装丁に金の刺繍。

複雑なその模様はモモンガにとってとても見覚えのあるものであった。

 

「それはアインズ・ウール・ゴウンの紋章ではありませんか!!」

 

両の目を見開き手をわなわなと震わせてアランに詰め寄ったモモンガは、その本の表紙を見て更に叫びを上げる。

 

「ブロートの街に捧げられた歌劇!! “漆黒の英雄は魔王をうち滅ぼせり”! まさか現存していたとは!!」

 

一目でそこまで見抜いたことにも、その剣幕にもおどろいたアランは危うく本を落としそうになる。

凄まじい視線でそれを咎めるモモンガに軽く謝ると、傷まないように布の張られた机の上に置き中身をめくる。

外装こそ本の形をとってはいるが、中身は蛇腹に畳まれた一枚の長い紙である。

それをアランが広げるとモモンガはすぐさま体を割り込ませて内容に目を通しはじめる。熱心に読むモモンガの表情は恍惚としたものであった。

素晴らしい、素晴らしいと熱に浮かされたように言葉を漏らし、まるで焼きつけるように見入っている。

 

びっしりと書かれた本を読み終え、満足したモモンガは、ふうとため息をつくと丁寧にニュクスとアランに礼を述べた。

 

「とても有意義な時間でした」

 

満足したモモンガの様子にニュクスも満足した。

昨日は酔ったままの勢いで無茶な願いを聞いてもらったのだ。恩返しでは無いが、そのまま礼をいっただけではあまりにも気分が悪かった。

そんな気持ちも随分と晴れ、足取り軽く階段を上る。

行きとは見間違える程上機嫌な様子のモモンガは先ほどから夢見心地のようだった。

 

元の劇場長室に戻ってきた彼らは、いつの間にか部屋に入っていた青年に会う。ニュクスはその青年の顔に見覚えがあり、どうしたことかと首をひねった。

 

「劇場長! とニュクスさんに、……?」

「今日ニュクスが連れてこられたお客様だ。何かあったのか?」

 

ちらりとアランはニュクスとモモンガの方を窺う。とっさに部外者に聞かせる話題では無いと思っての目配せだったのだが、青年はその視線に気付かずにさっさと本題にはいってしまった。

 

「今晩の演目の前座がまだ到着してないんです! どうしましょう? このままだと今晩の舞台に穴が……普段だったら一部の料金を払い戻したりすればいいんでしょうけど、今日は何人もの貴族様が観劇に来ていて………」

「前座の到着が遅れている? 遅くても昨日には街に入っている予定だっただろう」

「そのはずだったんですけれど! 今、護衛をしていたであろう冒険者のことを、組合に人を送って聞いています……」

「どうするよアラン。貴族は面子大事にするからよ、前座無しとか今から下手な腕の奴呼ぶなんてことやったら、きっと厳しいお咎めがあるぜ?」

 

「いや、大丈夫だきっと予定より遅れているだけだろう………」

 

事態の深刻さにアランは焦りだす。

このままでは伝統あるこの劇場に泥を塗ってしまうことにもなる。

どうしたものかと考えを巡らせているさなかに邪魔が入った。

 

コンコン。

ノックの音とともに、そのままドアは開けられた。

普段であれば咎められる事ではあるが、入ってきた人物の顔色の悪さを見て皆口を閉じる。

 

「前座の“歌うコマドリ”一座が! モンスターに襲われて! 死傷者がでたそうです!」

 

よほど急いで来たのだろう。大きな汗を浮かべ、息も絶え絶えにそう言うと冒険者組合に行っていた男はその場に崩れ落ちた。

 

「今朝一番で! 生き残りの人達と! ブロートに入ったんですけど!! 今夜の前座は無理だ! っそうですっ!!」

 

「どうしましょう!?」

「劇場長……!!」

 

すがるような目線を受けたアランの方もどんどん顔色が悪くなる。不安で目が泳ぐのを止められずキョロキョロと彷徨わせる。

今この街にある劇団は“ブロート劇団”のみ。しかも今夜のメイン演目を担当していて前座に回せる頭数は居ないのだ。

だからこそ前座を別の劇団に依頼したというのに。

解決の糸口が掴めずに頭を悩ませるアラン。

 

その思考に揺れていた視線が一箇所で止まる。

 

視線の先には興味深そうにこちらを見ているモモンガがいた。

 

「モモンガ殿」

 

喘ぐように、助けを求めるようにアランはモモンガへ助けを求めた。

 

「はい、なんでしょうか。アランさん」

 

「断っていただいても大丈夫です。いえ、大丈夫では無いのですが、無理強いするつもりはありません。ですが、どうか、力を貸して頂けませんか?」

 

祈るような数拍の後、モモンガはにこりと笑った。

 

「報酬は少し高くなってしまいますが、よろしいですか?」

「もちろんです!!」

 

ポカンとした劇場員をよそに、ニュクスとアランは喜び跳びはね、モモンガに礼を述べた。

 

 

 

 

「今日の演目は“漆黒と魔王”。ブロートの街でおこった史実を元にした物語です。モモンガさんにはこの演目に関わりのある小話をお願いしたいと思っています」

「幸い演目欄には前座とだけしか書いていなかったので、よほど外れた内容で無い限りは大丈夫だと思います」

 

前座を引き受けたモモンガは、そのまま流れるように詳しい内容の打ち合わせを劇場員と、ブロート劇団の劇団長とともに詰める。

交わされる言葉に、何度も深く頷きを返すモモンガはピン、と人差し指を立てる。

 

「“漆黒と魔王”。ブロートの街で起こった英雄と魔王との戦いを描いた戯曲。成立は魔導国の治世の円熟期! “漆黒”と魔王にのみ焦点を当てることで少ない人数でも上演が可能な演目であり、地方都市の上演でよく選ばれたものですね」

 

淀みなくスラスラと淀みなく話す彼は一流の知者でも知らない事を言った。

今この世界に残っている戯曲や歌劇は多くが文化の円熟期をむかえた魔導国時代のものである。しかしながら“破滅を呼ぶ英雄”により戯曲や歌劇の成立の歴史などは断絶されている。そのはずだ。にも拘らず、この男は知っていて当然の知識を述べる口調である。

そのことに劇団長は目を見張り、劇場員は首を傾げる。

 

「ならば前座も二人に焦点を当てたものが良いでしょう。魔王と“漆黒”に縁が深いもう一つの都市――王都リ・エスティーゼを舞台にした“炎の壁”などは如何でしょうか?」

 

聞きなれない演目に再び目を見張る。

もしこの場が急遽開かれた今夜の演目を話し合う場で無かったのならば、深い知識をもつ独演家を名乗る彼にその知識の一端を授けてもらいたいところだ。

 

「“炎の壁”?」

「おや? こちらではもう途絶えてしまいましたか。漆黒の英雄モモンと魔王ヤルダバオトの初邂逅を歌った短い歌劇、とでも申しましょうか。いい前座になると思いますよ?」

 

はじめて聞く演目名に、演劇や歌劇に携わる者としての好奇心がむくむくと湧く。

どういった内容なのかを聞いた限りでは前座として問題が無いように思える。

 

「ではそれでお願いします」

 

 

 

 

舞台合わせが終わった頃には既に夕刻。

白亜の劇場には次々に観客が訪れはじめていた。

 

 

 


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