箒は三年生を追い払い、一夏の特訓の手伝いをすることになった。
「
だがそこで起こったのは笑いだった。それは彼女にとっていつものこと。感じがまんま「箒」だからである。
———箒
それは特別な思いから付けられた名前であり、箒自身その名前を気に入っていた。だが未だ、その名前に込められた意味を知る者に巡り合ったことはなかった彼女は、転校するたびに笑われている。
さらには、からかうために質問する人間も出ることだった。ほとんど同じようなもので「掃除が得意なのか」や「掃除やの娘なんですか」などが主である。
そして箒の予想通り、一人の男子生徒が手を挙げた。だがその質問は予想の斜め上を超えたものだった。
「もしかして篠田さんの家に大型の望遠鏡ってあります?」
全員がその男子の方を見る。
その生徒は背は高い方なのだが、ひょろっとしている印象を受ける。所謂インドア派のような人間だった。
「……いや、そんなものはなかったはずだが……」
神社と剣道場がある屋敷と言っても過言ではない家に生まれた箒だが、そう言ったものは記憶が正しければ置いていないはずだ、と考える。
(……姉さんが個人で持っていそうだがな)
その生家から離れて既に4年は経過していたが、未だ鮮明に記憶に残る生家から言われた物を探すが、そんなものはなかった。
「ってことは違うのかな? てっきり僕は箒星……彗星の方の意味で名前を付けられたって思ったんだけど」
彼女は思っていなかった。彼との出会いが自分の人生を大きく変えることになるとは。
「ということで、織斑先生。ISの使用許可を下さい」
「……いや、舞崎。唐突に「ということで」というのは間違っていると思うのだが……」
放課後。職員室ではそんなやり取りが行われていた。
授業が始まって二日目の放課後。男子が現れたことで注目を浴びることになった静流だが、来たのが静流だとわかった瞬間に何事もなかったように仕事に戻る彼女ら。そして同時に一夏でないことに愚痴が起こるが、当の本人は全く気にしていないのか何も反論しなかった。
「でだ、何故ISの使用許可を?」
「単純なことなのですが、僕も織斑君もISに関しては素人でしょう? なので飛ぶ訓練ぐらいの許可はもらえないかなと。今は篠ノ之さんに教わることになっていますが、彼女は専用機持ちではないので流石に限界はありますし、彼女の立場を考えて合わせて三機ほどお願いしたいのですが」
「………三機、か」
それはかなり無理な話だった。
本来、ISを借りるには何枚もの書類にサインなどを記入し、申請しても一学年で8クラス分―――1クラスに30人(ただし静流が遅く発覚したため、1組のみ31人)―――つまり240に3をかけ、ざっと720人はいる計算になる。
2年生になれば整備科や特殊情報科など、いくつかの専門分野を受講することになるので多少は少なくなるが、それでも開発過程で必要となるため受講するものもいるのだ。
「できればすぐに忘れないよう、日曜日の夜七時辺りに都合していただきたいのですが」
「………確かに、それならば他の生徒も食事をしている頃だな」
だがその時間、千冬にはもう一つ用があった。今年度の新人歓迎会が今週の日曜に行われる予定なのだ。当然、それには真耶も含まれ、先輩としてはそっちも行くべきなのだろう。
「わかった。手配をしておくので書類を書いて提出しろ。筆記用具は―――」
「持っています」
そう言って静流はペンを出して冊子となっている束を取ってそれを読み、サインしていく。
それを一通り終えて千冬に提出した静流は挨拶してから部屋を出た。
(しかし、一夏とは随分違うな)
今頃静流の言った通りならば箒に教わっているであろう自分の弟を想像する千冬。今頃二人の共通点とも言える剣道で腕試しをしているだろうと考える。
(使う機会はないと思って記念に買っておいたが、まさかな)
そう考えながらも千冬は教員の歓迎会参加リストを見て、参加しない教員を確認し始めた。
実際、千冬の想像通りの展開となっていた。
一夏は本人にとってどうしてあるのかわからない剣道用の道具一式を部屋から持って来て、道場で箒と部活中なので少し離れたところで打ち合っていたのである。ちなみにこれは千冬が「大きくなったらまたするだろう」という思いからプレゼントとして買ったものだったが、鍛える一環として荷物に紛れ込ませたものだ。
「………どういうことだ」
「いや、どういうことって言われても……」
一夏は床で胡坐をかき、面を外した状態で肩で息をしていた。
「どうしてそこまで弱くなっている」
「じゅ、受験勉強してたから、かな?」
「………中学では何部に所属していた?」
「帰宅部。三年連続皆勤賞だ」
ドヤ顔でそう言う一夏に箒は盛大にため息を吐いた。
(………普通、ここまで弱くなるものなのか?)
箒は離れていたこともあってわからないのだが、一夏はずっと働かせっぱなしの姉のことを案じて年齢を偽ってバイトをしていた。今ではそれは一夏の貯金となっているが、そのこともあってここ数年一夏はまともに竹刀を握っていない。
(……いや、一夏にだって事情はあるんだ。そう責めることもあるまい)
同門……しかもライバル的存在だった一夏が弱くなっていることは素直にショックだ。だが一方的にそのことを責めたところで環境に変化が起こるわけがない。
そう思った箒は強く言わずに言葉を探ろうとしたところで、ギャラリーの中から陽気な声が聞こえて来た。
「すみません。通してください。俺に恥部を触れられて嫌な思いをしたくなければ道を……ありがとうございます」
少し涙を流しながらそう言った静流。箒は自然と同情してしまった。
「どうしたんだ、静流。一緒にしないっていってたんじゃないのか?」
一夏は静流にそう尋ねると、静流は持っていた冊子を二人に渡す。
「二人の事だから、たぶん忘れていたと思ってね。僕の分も出すついでに持って来たってわけ」
そう言って静流は二人にその冊子を渡す。先程静流がサインしていたIS貸し出し申請書を見た一夏は喜び、お礼を言った。
「サンキュー、静流! こういうのが欲しかったんだよ」
「……………」
一気に不機嫌になる箒。彼女は静流の方を睨むと、それに気づいたのかフォローする。
「でも通るかわからないから剣道でも柔道でも、武術とかボクシングとか……ともかく武道はしておいた方が良いと思うけど。織斑君は専用機を持つって言ったって、どんな機体になるのかまだわからないんだし」
「それもそうだけどさ」
そう言ってくる一夏に静流はさらに言った。
「でも、実際織斑君って篠ノ之さんより弱いから今も床に座っているんだよね?」
「そ、それは……っていうかそういう静流はどうなんだよ?」
「僕はもちろん弱いよ。というか剣道は中学の授業の一環としてしたぐらいで、まともな経験はないかな」
そう答える静流に対して一夏は「人のことを言えないじゃないか……」と答える。
「でもその分、いつもトレーニングしているから体力だけはあるかな」
「そういえば、舞崎は去年のマラソン大会でも上位入賞していたな。確か、3位だったか?」
「まぁ、前二人が長距離走のエキスパートだからね。今頃私立にスカウトされてお互いを高め合っているんじゃない?」
そんな会話を繰り広げる二人を一夏はただ眺める。それに気付いたのか、静流は二人に言った。
「じゃあ、用はそれだけだから僕は帰るね。サインが終わったら織斑先生に提出すること」
その言葉の後、静流は道場を出ようとギャラリーの方へと進むと、自然と通路が開いて悠々とその道を歩いていく。今日も彼はトレーニングをするつもりなんだろう。
そしてその数日後、使用許可が出たはずの静流はフィールド内に姿を現さなかった。
「………遅い」
日曜日の夕方。目まぐるしく進んだ一週間が終わり、いよいよ明日の放課後にセシリア・オルコットとの決闘を控えた一夏は箒と一緒に第二アリーナのフィールド内で待機していた。
その日は千冬の働きで三人一緒に打鉄を借りることに成功した。少なくとも土曜日のSHRで副担任の真耶からそう聞かされていたのである。
そのため一夏と箒は先に来て支給されているISスーツに着替え、打鉄を受領して今も来ない静流を待っているのである。
「まぁいい。舞崎には悪いが先に始めるとしよう」
「もう少し待とうぜ。そうした方が―――」
「いや、舞崎はあまりそういうのが嫌いな奴でな。一度遅刻した時に「今度遅れた時は先にしておいてほしい」と言っていた。始めた方が舞崎も気が楽になるだろう」
そう言って箒は一夏の指導を始める。
———一方、静流はと言うと管制室にいる教師に呼び出されていた。
「あの、用事ってなんでしょうか?」
初めて入る部屋が機械的だということもあって少し緊張と興奮をする静流。すぐさま周りを観察して色々と触りたいという衝動に駆られるが、今は目の前の教師に対して集中した。
「君に話があるのよ」
「話、ですか。あの、これからISに乗れる時間なのですみませんが後にしてもらえませんか? ご存知でしょうが、この学園じゃISに乗れる時間って限られていますから、無駄にしたくないんです」
せっかく手に入れた練習時間でもあるため、静流としては有効に使いたい。だがその女性はそれを否定するようなことを言った。
「その必要はないわ。何故ならあなたの分の機体なんて用意していないもの」
「……どうしてですか?」
「その理由、説明する必要はあるかしら?」
そう言われた静流は自分が今置かれている状況、そして目の前の女性がどんな人間かを考え、推測する。
ISが出たことで日本を含め、世界各国ではISを取り入れられることになった。その中でも先進国がメインとなって大量のコアを獲得したため、残りの国では分配されなかったか分配されても代表候補生として鍛える余裕がない国がほとんどである。それでも、その国にもIS適性が高い人間は現れることが多い。そんな状況で世界的に見れば多く獲得できた国の一つである日本で女性優遇制度を設けた結果、全世界で一番「女尊男卑」の風潮が強くなってしまった。その理由は第二次世界大戦後もしばらく「男尊女卑」だったことが大きな要因となった。
そもそもそんな風潮が強かったのは昔からであり、男性の方が政治や戦に駆り出されることが多く、自然とそうなったからである。が、設立当時はそれすらも薄れており、「男女平等」の風潮が強かった。しかし結局は女が国防となることで「女尊男卑」となり、「男尊女卑」以上に女性が虐げられることが多くなった。
「……………そういうことですか」
本当は「どうして織斑君が認められているのですか?」と聞きそうになった静流だが、その理由もすぐに察知した。
「理解が早くて助かるわ。わかったなら、明日の試合も負けなさい」
「え………?」
予想外のことに思わずそんな声を漏らす静流。
「何か問題でもあるかしら?」
「…………いえ。少し驚いただけです。まさか素人の僕が代表候補生に勝てる、なんて思ったのかなぁ……と」
素直に口に出すとその女性教員は「まさか」と答えた。
「あなたのような素人が代表候補生なんかに勝てるわけがないじゃない。でも、念には念ってことよ。万が一、あなたが勝ちそうになったら負けなさい」
「………わかりました」
不服そうに答える静流は続けて尋ねる。
「話は以上ですか?」
「ええ。わかったならすぐにこのアリーナからも、そして今日から一週間以内にIS学園から去る準備もすることね」
「………………」
「返事は……?」
「……………わかりました。でも、その前にここの施設を借りていいですか? 理由はどうあれ、取り決めを守らずに帰るので、一言声をかけるべきかと思います」
「……それならいいわ」
そう言ってその女教師は設備の説明をする。静流はそれに従ってマイクを起動させた。
「織斑君、篠ノ之さん、聞こえる?」
『舞崎か? 一体どうした!? 何故来ない』
すぐさま反応する箒。静流は簡単に説明した。
「実は僕が使う予定だった打鉄に故障が見つかってね。だから今からそのメンテナンスが始まるし、どうせなら朝から風邪気味だったから、明日に備えて今日はもう帰ろうと思うんだ。約束守れなくてごめんね」
『いや、それなら仕方ねえよ。お大事にな』
一夏がそう答えるが、箒からは中々返事が来ない。モニターで彼女の様子を確認すると、何か考え事をしているようだった。
『本当にそうなのか?』
「うん。昨日はちょっと熱く感じたから少し早く半袖で寝たんだけど、それが原因かもしれない。ごめんね、心配かけて」
そう言った静流はマイクのスイッチを押し、「失礼します」と言ってから部屋を出る。
しばらく歩くと静流は足を止めて後ろを向くが、何もないと思った静流はまた歩き始めた。
「篠田さん、唐突だけどおっぱいを揉ませてくれない?」
「………本当に唐突だな、おい」
隣に座る男子にそう言われた箒はため息を吐く。
以前から箒はこういったことは言われたことはないが、自分の胸部に視線を向けられたことがある。なので自分の胸が男にとってそういうものだということは重々承知していた。
「あ、これでも一応はちゃんと部活動の一環だからね? 身体研究部……まぁ、僕以外は基本的に幽霊部員だから、未だに「部」として認可されないんだけど」
「当たり前だろう。第一、そんな如何わしいものに誰が入るか。その幽霊部員も友人が名前を貸しただけだろう?」
「いや、ちゃんとした動機で入ってきた人だよ?」
そう言われた箒はもちろん、周りにいる人たちも驚きを見せる。周囲の人間は興味本位から聞いていたが、まさか関わることはないだろうと思っていた部活動に箒が転校してきたことで「物知り」として頭角を現した男子生徒が入っているとは思わなかったのだ。
「その人たち、整体師とか医者になりたいんだって。その一環として、人体の構造とはどういうものか調べるために入部してくれたんだ」
「そういうお前はどんな夢を持っている?」
「僕は将来はエンジニアとかプログラマーとか、理系に関することに触れたいなと思ってる。ISじゃなくて別の―――それこそ表立って役に立つロボットとかを開発したいなぁって。人型兵器とかに乗って空を自由に飛びたい気持ちはあるけど」
ドヤ顔をしてそう答えるその少年。箒には一瞬少年の瞳が黒く、何かがうごめいた気がしたが、気のせいだろうと思って忘れることにした。
「まぁ、今はトレーニングとかしているから、自分の人体構造とかを研究することはできるけど………女性の検体はいないからさぁ……中学生にしては大きすぎると言っても過言ではない胸を持つ篠田さんに協力をお願いしようと―――」
「———却下だ」
強く言う箒に対してその少年は悲しそうな顔をした。
「お願い! 協力して! なんでも……とは言えないけど、篠田さんの女の子としての魅力を引き出す手伝いはできるはずなんだ!」
「何を馬鹿なことを。大体、今の私にそんなものは必要ない」
「…………好きな人、いるくせに」
「!?」
小さいが同時にショックを受ける程の衝撃に見舞われた箒。隣に座る男子はある写真を見せる。
「いやぁ、マメだねぇ。わざわざ写真を撮ってその裏に日にちと名前を書くなんて」
「うわぁああああ!!」
箒は慌てて写真を奪おうとするが、少年はギリギリかわし続ける。
「き、貴様ぁあああ!!」
本人は気付いていないが、涙目になっている箒。それを見た少年は耳元で言った。「放課後、残るように」と。
そして二人は誰もいない教室に残ったが、一人はエロを、一人は別のことを考えていたため意見が食い違うことになるが、それはまた別の話。