「———であるからして、ISの基本的な運用は現時点で国家の認証が必要であり、枠内を逸脱したIS運用をした場合は刑法によって罰せられ―――」
現在は二時間目―――しかし朝から入学式と始業式があったからか、実質5時間目の授業を受けている静流の精神的な体力は少々心もとない。
(でも、コミュニケーションはとっておくべきだよね)
後で休ませてもらおうと思った静流は気を取り直してノートを取り続ける。そのページは宇宙にある惑星の光を思わせるほど黒く、その中に少しの色が混じっている。大切なものには線を引いたり赤ペンで注意書きをしたりと、まるで優等生のノートの一つだった。
だが静流は何度か得意な所は高成績を取ったことはあれど、トップを取ったことがなかった。あくまで成績はそれなりに高い方ということだけである。しかし静流はそれで満足していて、別段気にしていなかった。
(……って、何してるんだろう?)
黒板に書かれていることを見ようと前に向いた瞬間、静流の目に一夏が隣の女生徒と話をしているのを見た。顔を青くしている一夏を目撃した静流は、今の一夏の状況を察する。
(………もしかして勉強していない……とか?)
そんな馬鹿な―――と思う静流。だがその予想は間違っていなかった。
「織斑君、何かわからないところがありますか?」
最前列の真ん中―――さらに言えば教卓の真ん前という絶好のポジションだからだろうか、副担任の山田真耶が様子がおかしい一夏に声をかける。一夏は急に聞かれたこともあって慌てるが、
「わからないところがあったら聞いてくださいね。何せ私は先生ですから!」
胸を張ったために幼めな容姿を持つ真耶には似つかわしくない、箒よりもやや大き目な双丘が揺れた。そこに気付かないほど安心感を得た一夏はすかさず挙手する。
「先生!」
「はい、織斑君!」
「ほとんど全部わかりません!」
項垂れながらそう答える一夏。
「え……。ぜ、全部、ですか……?」
困惑する真耶は思わず周りに質問する。
「え、えっと……織斑君以外で、今の段階でわからないという人はいませんか?」
この学園に通う生徒は、この学園に入学を目指して勉強してきている。最初の授業内容で躓くことなどまずありえないことだ。もっともそれは一夏には当てはまらないことなのだが―――
「……織斑、入学前に配布された参考書は読んだか?」
見かねた千冬が一夏にそう尋ねると、一夏の脳内に電話帳並の厚さを持った参考書が脳内に過る。
「……あの分厚いやつですよね?」
「そうだ。必読と書いてあっただろう?」
「…………………古い電話帳と間違えて捨てまし―――」
———ズバゴンッ!!
とても出席簿で殴っても出ない音が周りに響く。それを聞いた周りは少し引いた。
「この馬鹿者が。……仕方ない。後で再発行してやるから、一週間以内に覚えろ。いいな」
「い、いや、一週間であの分厚さはちょっと……」
すると千冬は静流の方を向く。嫌な予感がした静流は目を逸らすが、容赦なく質問する。
「舞崎、お前はどこまで参考書を読んでいる」
「…………理解と言う範囲によりますけど、大体100ページぐらいですかね」
ちなみに参考書は1万ページぐらいある。
「…一応聞くが、お前はこれまで何をしていた?」
「…そうですね。起床時間が大体4時45分くらいなので、5時ぐらいからランニングと柔軟、それに筋トレして、6時から15分くらいまでシャワーを浴びて、そこから45分くらいまで勉強して、7時過ぎまでに朝食を作ってアニメを見るかゲームをしながらご飯を食べて、30分過ぎから勉強。で、2時間ぐらいしたら空きが来るのでゲームして、30分すれば満足するからそこから1時間45分くらい勉強。12過ぎぐらいに昼食を食べて、1時半までゲーム。で、ゲームは飽きるから勉強して、4時半ぐらいから風呂洗って、沸かしている間に外に走って来て、大体一時間ぐらい休憩込みで戻ってきて、6時半ぐらいまで風呂入って、ご飯作って、そこからゲームしつつ勉強して、10時ぐらいに就寝してました」
「ゲームのしすぎだ。その分は勉強に当てたらもう少し進んだだろうに」
「これでもまだ譲歩した方だと思いますよ。酷い時にはゲームしながら勉強か、もしくはずっとオンラインゲームをしますからね。10時就寝は守りますが」
すると周りの生徒たちがひそひそと話し始める。それは静流が「オタク」ということが露見し、侮蔑するような内容だったが、当の本人にはすべて聞こえていた。
(………みんな、見てないんだ)
意外に思いつつもそれ以外は何も思わず、さらに千冬からも何もなかったこともあってそのまま勉強を再開した。
「まぁいい。舞崎、貴様も残りを一週間で覚えろ。それと―――」
「お断りします」
「……何?」
まさか断られると思っていなかった千冬は戸惑いを顕わにしたが、静流は容赦なく言った。
「別に僕は、まったく勉強していないってわけではありませんからね。イメトレや体力もIS訓練の一環だと思いますが」
「…………いや、しかしな。ゲームは―――」
「最近のゲームでもより細かく動くものはありますし、動画で確認しましたがIS戦の参考にはなると思ったのでしたまでです。アニメだってIS抜きでもそれなりに参考になるものもあります。むしろ立ち回りは現実に起こる事象よりも参考になると思ったからです。そこまで加味しての先程の発言でしょうか?」
「………………ああ、もう。わかった」
降参した千冬はため息を吐くが、気を取り直したのかバッタリと目が合った一夏を睨んだ。
「ISはその機動性、攻撃力、制圧力と過去の兵器を遥かに凌ぐ。そういった「兵器」を深く知らずに扱えば必ず事故が起こる。そうしないための基礎知識と訓練だ。理解ができなくても覚えろ。そして守れ。規則とはそういうものだ」
一夏はその言葉に打たれたが、対照的に静流は興味をなくしたのか自分の勉強を再開した。
「……貴様。「自分は望んでここにいるわけではない」と思っているな?」
唐突にそう言ったこともあって静流は顔を上げる。千冬の目は一夏を見ているのを確認した静流はそのまま気にせず勉強を続けた。
「望む望まざるに関わらず、人は集団の中で生きなくてはならない。それすら放棄するなら、まず人であることを辞めるのだな」
それを聞いた数秒、静流は書いていたシャープペンを止める。だが何事もなかったかのように再開する。
「え、えっと、織斑君。わからないところは授業が終わってから放課後教えてあげますから、頑張って? ね? ねっ?」
「はい。それじゃあ、また放課後によろしくお願いします」
一夏は普通に答えたつもりだったが、真耶の脳内には意外にも乙女だったようだ。
「ほ、放課後……放課後に二人きりの教師と生徒……。あっ! だ、ダメですよ、織斑君。先生、強引にされると弱いんですから……それに私、男の人は初めてで……」
その言葉にどういうことかわからなかったのか、一夏は心配そうに見ていたが、周りからの冷たい視線にそれどころではなかった。
そんな中、既に渦中にいない男子生徒は―――何故か口を動かしていた。
二時間目が終わり、静流はすぐさま休憩するために教科書とノートを積んでいるところに一夏が現れた。
「なぁ静流、頼みがあるんだ」
「勉強は自分でした方がいいと思うよ。君と僕とでは理解の法則が違うんだし」
だがほとんど休憩モードに入っていて、今すぐにでも寝たい静流は少々冷たく返す。
「そこをなんとか。頼む」
「…………その前に寝かせてよ。僕だって疲れているんだしさ」
「ああ。悪い」
———そりゃそうだよな
何も自分だけじゃない。だって男なんだからこんな好奇心旺盛な女子たちの視線にさらされて疲れないわけがないな―――そう思った一夏は退散しようと思っていると、別の方から違うアプローチがやってきた。
「ちょっと、よろしくて?」
「へ?」
まさか話しかけて来る人間がいるとは思いもしなかった一夏。静流は意識を手放そうとしている時に声をかけられたこともあって不満げに顔を上げる。
「聞いてます? お返事は?」
「あ、ああ。聞いてるけど……どういう用件だ?」
するとその女生徒は声を上げた。
「まあ! 何ですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるのではないのかしら?」
一夏は顔を引きつらせたが、我慢して言った。
「悪いな。俺、君が誰だか知らないし。静流、知ってる?」
「………そんな余裕なんて僕にはないよ。そもそも僕、自己紹介中に落ちちゃって途中からしか聞いてないんだから」
だがその女生徒にとって、二人の反応は信じられないことだったらしく、見下した態度で言葉を続けた。
「わたくしを知らない? このセシリア・オルコットを? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこのわたくしを」
それも無理はないことだろう。男にとって普通、ISは厄災をもたらしたようなものだ。なにせISの出現で自分たちの地位が下がったのである。それに関して知って置けというのは無理な話だろう。
その一人である一夏は早速セシリアに尋ねた。
「あ、質問いいか?」
「ふん。下々の者の要求に応える貴族の務めですわ。よろしくてよ」
許可が出たこともあって一夏は遠慮なく言ったが―――
「代表候補生って…………何?」
その内容が内容だけに聞き耳を立てていた生徒が全員こける。それほど一夏が言ったことは常識外れだった。
「あ………あ………あなた! 本気で仰ってますの!?」
「おう。知らん」
凄い剣幕で迫るセシリア。だが一夏はそれに臆することなく素直に答えたため、頭を抑えてしまう。
「なぁ静流、代表候補生って何だ?」
「………確か、11歳くらいから登録できる国家所属の操縦者。ISに関する基礎知識………それこそ今僕らが習っているところなんて暗記して言えるレベルの人たちで、IS操縦にも長けている人たちで、さらに登録だけでもIS学園以上と言われているから、エリートとして扱われている」
脳内で思い出しながらそう説明すると、気分が回復したのか手を腰に当てて胸を張ったセシリアは堂々と言った。
「そう、エリートなのですわ!」
そして一夏に人差し指を向ける。先端がもう少しで一夏の鼻に当たりそうなほど近かった。
「本来なら、わたくしのような選ばれた人間とは、クラスを同じくすることだけでも奇跡……いえ、幸運なんですのよ。その現実をもう少し理解していただける?」
「そうか。それはラッキーだ」
「………馬鹿にしていますの?」
「お前が幸運だって言ったんじゃないか」
ちなみにだが、国家に所属するIS操縦者は複数……少なくとも、3人以上はいるので二人しかいない男性IS操縦者とクラスを同じくする方がよほど幸運である。故に一夏もしくは静流と同じクラスになった女子たちの方が幸運と思うべきだろう。
「大体、あなたISについて何も知らない癖に、よくこの学園に入れましたわね。それにもう一人は少しはできるようですが、さっきから崩しに崩しているとは、本当にわたくしの話を聞く気がありますの? 男でISを操縦できると聞いていましたから、少しくらい知的さを感じさせるかと思っていましたけど、期待外れですわね」
「俺に何かを期待されても困るんだが」
ため息を吐きながらそう答えると、静流はそれに追随するように言った。
「ごめん、オルコットさん。頭使い過ぎてオーバーヒート起こしてるから、もう自分の席に戻ってください」
一見、普通に授業を聞いている静流だが、実は同時進行でその先の勉強をしているのである。一週間と少しで100ページは勉強したとしても、いつまでもゆっくりしているわけではないことをよく理解している静流は少しでも追いつかれないように見えない努力をしていた。
「ふん。まあでも? わたくしは優秀ですから、あなたたちのような救いようのない人間にも優しくしてあげますわよ」
———じゃあもう帰って!
なんとかその言葉を出さずに耐える静流だが、そろそろ色々と限界だった。主に数々の罵倒に対して言い返したいという意味で。
「ISのことでわからないことがあれば、まあ……泣いて頼まれたら教えて差し上げてもよくって。何せわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから!」
堂々とそう宣言するように言ったセシリアに対して、一夏は再度尋ねる。
「入試って、あれか? ISを動かして戦うってやつ?」
「それ以外に入試など………いえ、確かわたくしは代表候補生ってことで免除されたんでしたわね。ともかく、わたくしが言っているのはそれですわ!」
そう。IS学園の入試制度は特殊だ。通常、午前の内にISに関する筆記試験が行われ、午後からISでの戦闘試験が行われる。だが代表候補生の場合、既に同程度のISに関する試験が行われ、合格しているため免除されるのだ。そのため、戦闘試験が朝から行われる。
「あれ? 俺も倒したぞ、教官」
「……はい?」
だが一夏も、ちょうどタイミングよくその試験会場に訪れていた。
というのも一夏がISを動かした場所はIS試験会場。ちなみに彼が受ける予定だった藍越学園は確かに近くにあったが、同じ試験場ではなかった。
そこで一夏のことで混乱した大人たちは、とりあえず人がいないこともあって戦闘試験を行ったのである。
「倒したって言うより、いきなり突っ込んできたからかわしたら、勝手に勝手に壁にぶつかってそのまま動かなくなったんだ」
「………それって倒したって言わないと思うよ」
「あ、やっぱり?」
しかしセシリアは自分だけじゃないことが相当ショックだったため話を聞いておらず、驚きに目を見開かせている。
「わ、わたくしだけと聞きましたが?」
「女子ではってオチじゃないのか?」
静流の脳内ではその言葉を聞いた瞬間、一夏がよく戦争映画で見られる迷彩装備をした上で戦場をかけ、見事地雷を踏み抜いて爆発したイメージが流れた。
「つ、つまり、わたくしだけではないと………?」
「いや、知らないけど―――」
———キーンコーンカーンコーン
独特なリズムでチャイムが鳴り、セシリアは舌打ちをして戻って捨て台詞のような言葉を吐いた。
「この話の続きはまたいずれ。逃げないことね!」
(………もう来ないでほしいけど……)
———来るだろうなぁ
授業が始まったこともあり、顔を上げた静流はメモ帳を出して記入し始める。
『セシリア・オルコット
イギリスの代表候補生。プライドが高く、女尊男卑。これからも絡まれる可能性あり。要注意』
そうメモをした静流は名前の隣に「〆」マークを記入した。
(…………まぁ、それで毎度毎度僕の邪魔をされたら困るんだよねぇ)
などと思いながら前を見ると、教壇には山田真耶ではなく、織斑千冬が立っていた。
「それではこの時間は実践で使用する各種装備の特性について説明する」
瞬間、静流の顔が千冬が心の底から驚くほど喜びに満ちる。そしてそれは―――
「舞崎、もし頭に異常があると思うなら保健室に行って来ていいからな」
「…………え?」
本気で千冬が心配するほどだった。