ソードアート・オンライン 黒と紫の軌跡   作:藤崎葵

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うぶぇぇぇ……花粉がぁ……花粉が私の鼻を疼かせるぅゥ。
花粉症、辛ひ。




では67話、始まります。



第六十七話 君が護ったもの

事件から2日後。

その日の授業が終わり、帰り支度を整えた少女―――朝田詩乃は早足で教室を出て校門へと向かっていた。

今日は『死銃』事件について、色々と説明を受ける事になっており、迎えが来ると言う事になっている。

昇降口を出て、校門へと向かうと、学校の敷地を囲む高い塀の内側に、幾つかの女子生徒の集団がチラチラと校門のほうを見ながらヒソヒソと話している。

その中の2人が、大半の生徒に避けられるようになってからも、そこそこ話をする生徒である事に気付いて、詩乃は彼女等に歩み寄った。

ロングヘアの生徒が詩乃に気付いて

「あ、朝田さん。今帰り?」

「えぇ。なにしてるの?」

尋ねると、栗色の髪の生徒が肩をすくめて笑いながら応えた。

「あのね。校門のところに私服の男の人がいるの。大学生くらいの人なんだけど、うちの生徒でも待ってるのかな、って話してたんだ」

それを聞いた瞬間、詩乃の顔から血の気が引いた感覚がした。

確かに学校が終わったら待ち合わせる約束はしていた。

けれど、まさか校門のど真ん前で待ちかまえるとは思いもしなかった。

恐る恐る塀に身体を寄せて、校門の向こう側を見てから詩乃は深々と溜息を吐いた。

赤みがかった髪を、ゆるく吹く冷たい風で揺らしながら、空を眺める青年は間違いなく一昨日あったばかりの人物その人だ。

多数の生徒に注視されながら、自ら声を掛け、一緒に歩いていく事を考えると顔がこれでもかというくらい熱くなる。

もう一度軽く溜息を吐いて、なけなしの度胸を振り絞って詩乃は同級生に向き直った。

「えっと……あの人、私の……知り合いなの」

消え入るような声で告げると、女生徒達は驚いたように彼女を見て

「えっ、朝田さんの知り合い?!」

「ど、どういう関係?!」

驚愕の叫びを上げた。

その声に、周囲の生徒達の視線が集まるのを感じ、鞄を抱えて

「ご、ごめんなさいっ」

何故か謝りながら駆け出した。

背後から「明日説明しなさいよー」と聞こえてきたが、振り返ることなく詩乃は校門をくぐる。

すると、詩乃が出てきた事に気付いた青年―――天賀井空人は彼女に視線を向けて

「やぁ、シノン」

穏やかに笑ってそう言った。

「こんにちは……お待たせ」

「いや、さっき着いたばかりだよ」

「そう……そう言えば、貴方一人なの? キリトは?」

てっきりもう一人の少年も一緒かと思ったが、辺りに視線を向けても空人一人しかいない。

すると空人は笑って

「あぁ、キリトはちょっと別件があってね。君を迎えに行くのは僕だけになったんだ」

「ふぅん……なら、はやく行きましょう」

「そうだね。じゃぁいこうか」

詩乃に移動を促された空人はそう言って歩き出す。

未だに注視されているにも関わらず、彼は平然としていた。

鈍感なのか、はたまたこういった視線に慣れているのか、詩乃にはよくわからない。

学校から少し離れた場所でタクシーを拾い、2人はそれに乗って目的地である銀座へと向かう。

文京区湯島から中央区銀座までは、地下鉄を乗り継ぐよりは地上を行く方が遥かに近い。

僅か15分足らずで目的地に到着する。

空人が料金の支払いを済ませ、タクシーを降りてある人物と待ち合わせてある場所へ歩いていく。

案内された場所は、いかにも高級そうな喫茶店だった。

中に入ると、ウェイターが深々と頭を下げ

「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」

と尋ねてきた。

その直後、店の奥からシックな雰囲気を壊すように、傍若無人な声が聞こえてくる。

「おーい、ソラ君! こっちこっち!」

「……アレと待ち合わせです」

微妙な表情で言う空人に、ウェイターは顔色一つ変えず「かしこまりました」と一礼し、席へと案内する。

目指す席の向こうで立ち上がったのは、高級そうなスーツを身に纏い、眼鏡をかけた男性だ。

その目の前の席には、少年が座ったまま視線を向けてきていた。

「よ、早かったな」

「まぁね。キリトこそ早いな。準備はもういいのか?」

「あぁ」

キリト―――桐ヶ谷和人はそう言って返した。

空人と詩乃が椅子に座ると、即座に湯気の立ったおしぼりとメニューが用意される。

「さ、なんでも頼んでください」

眼鏡の男性に言われ、詩乃はメニューに目を通した―――途端に唖然とした。

軽食類のメニューだけでなく、デザート類まで四ケタの値段が表示されていたからだ。

どうするべきか悩んでいると

「遠慮しない方がいいぞ。どうせ支払いは国民の血税だからな」

「身も蓋もないけど、そういう事だから遠慮なく頼めばいい。と、言う訳でストロベリーワッフルケーキにナッツチョコタルト、オリジナルブレンドコーヒーを一つずつ」

和人が頬づきしながら言い、空人も本当に遠慮なしに注文している。

ちらりと視線を向けると、眼鏡の男性も笑ったまま頷いている。

「じゃ、じゃぁ……このレアチーズケーキ・クランベリーソースと、アールグレイ」

空人が頼んだ分も含めての合計金額に、詩乃は内心で青ざめている。

ウェイターが深々と一礼して立ち去ると、眼鏡の男性は一枚の名刺を取り出して詩乃に差し出した。

「はじめまして。僕は総務省総合通信基盤局の菊岡誠二郎といいます」

「あ、はじめまして。朝田詩乃……です」

名刺を受取った詩乃は会釈を返す。

顔を上げると、菊岡は引き締めた表情で詩乃に向かい合い

「この度は、こちらの不手際で朝田さんを大変危険な目にあわせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

深々と頭を下げてきた。

「い、いえ……そんな」

再び慌てて詩乃が頭を下げ返すと、和人が混ぜ返すように口を挟んできた。

「しっかり謝ってもらった方がいいぞ。菊岡サンがもっと真剣に調べてれば、俺達が危険な目に遭う事はなかったはずだからな」

「そう言われたら返す言葉もないが……しかし、キリト君達もまさか『死銃』がチームだったなんて予想もしてなかっただろう?」

「まぁ、確かに。僕もキリトも、システム的なロジックがあるとばかり考えてましたからね」

菊岡の言葉に、空人が苦笑いで応えた。

「とりあえず、今までにわかった事を教えてくれよ、菊岡サン。今日はその為に呼んだんだろ?」

「と言っても、犯行が明らかになってから、まだ二日しか経ってないから全容解明にはほど遠いが……と、その前に」

ちょうどその時、ウェイターが大量の皿を乗せて戻ってくる。

それらがテーブルに並べられ、ウェイターが下がるのを待ってから、菊岡は手ぶりで詩乃たちに勧めた。

正直なところ、詩乃はそこまで食欲があるとは言えなかったが、取りあえずケーキ一つくらいなら入るだろうとフォークを手に取る。

隣の空人は「いただきます」といい、すでにタルトから口にしていた。

「本当はもっと楽しい話をしながら食べてほしかったのですが、それはまたの機会にという事で」

「は、はぁ……」

「聞き流していいぞ。性悪公務員の世迷言だと思ってな」

菊岡の言葉に、詩乃がどう返していいのかわからないでいると、和人が毒を吐いてくる。

それだけで彼がどれだけ菊岡という男を警戒しているのかを詩乃は感じ取る事が出来た。

「酷いなぁ、キリト君。まぁ、それはそれとして、事件の概要だったね。とりあえず今日までにわかった事を説明させてもらうよ」

そう言って菊岡は鞄からタブレット型の端末を取り出して操作する。

一昨日、詩乃が住むアパートに警察が到着した後、『死銃』の片腕である新川恭二は逮捕された。

それから数十分後に、彼の兄である新川昌一が逮捕。

恭二が連行された後、念のためという事で、和人達は病院で検査を受け、軽く事情聴取を受けた後、その日はそのまま病院で一泊し、翌日、パトカーでそれぞれの自宅へと送ってもらっている。

そのまま詩乃は学校へ登校したのだが、疲れの所為かうとうとしながらなんとか授業を乗り切った。

学校からアパートに戻ると警察の車が待っていて、着替えを持って向かった先は前日に検査を受けた病院だった。

医師から軽い問診を受けた後、二度目の事情聴取を受けて、その日も念の為泊まるように言われた。

そして翌日、つまりは今日の朝、再び覆面パトカーでアパートまで送ってもらい、「これで一応聞きとりは終了です」と言われた。

有難かったが、事件に関する事を今後どうやって知ればいいのかとおもっていたところ、スマートフォンが鳴り、画面を見ると表示されていたのは念のために連絡先を交換していた和人の名だった。

通話に出ると、開口一番に今日の放課後に時間があるかと聞かれ、詩乃は反射的に「うん」と応える。

そして今、詩乃は和人や空人の言っていた『依頼人』である菊岡と向かい合っている。

周囲を気遣ってか、菊岡は低い声で話し始めた。

まず、BoBで『死銃』のアバターを操っていたのは『赤眼のザザ』こと新川昌一である事。

最初の二件の犯行は新川兄弟2人の犯行で、BoBでの犯行から、昌一がもう一人、共犯者を連れて来ていた。

SAO時代に彼とコンビを組んでいた毒投げ短剣使いの『ジョニー・ブラック』―――現実での名を金本敦。

その金本は未だ捕まっておらず、彼が持つ『サクシニルコリン』のカートリッジと共に行方をくらませているとのことで、現在警察はその行方を追っている。

新川兄弟が今回の犯行に及んだ動機だが、弟の恭二が、兄にキャラ育成が行き詰まった事を相談したのが切っ掛けであったという。

恭二はゼクシードが流した『AGI最強説』を鵜呑みにし、そのように数値を振った結果キャラクターの育成に行き詰ったと怨嗟の言葉を口にしていたと、昌一は警察の事情聴取で語っている。

当の恭二は黙秘を続けているそうだが――――閑話休題(それはさておき)

そこからどうやってゼクシードを粛正するかを話していくうちに、今回の『死銃計画』を思いついたようである。

RMT(リアル・マネー・トレード)によって手に入れていた『メタマテリアル光歪曲迷彩』を利用して覗き見た個人情報の事や、ゲーム内での銃撃に合わせて薬物を投与するなど、計画をより完璧に練っていったという。

そして、彼らがターゲットに選んでいたとわかったのは5人。

『ゼクシード』、『薄塩たらこ』、『ペイルライダー』、『ギャレット』、そして『シノン』こと朝田詩乃である。

そこまで聞いて、詩乃は聞こうと思っていた事を口にする。

「あの……新川くん……恭二君はどうなるんですか?」

問われた菊岡は眼鏡を指で上げ直し

「昌一氏は19歳、恭二氏は16歳だから、少年法による裁判を受ける事になる。けれど、4人も亡くなってる大事件だからね……彼らの言動を見る限り、医療少年院へ収容される可能性が極めて高いと、僕は思う」

「そうですか……恭二君との面会は出来ますか?」

「すぐには無理ですが、可能ですよ」

問われた菊岡はそう返す。

「――――私、彼に会いに行きます。会って、私が今まで何を考えてきたのか……今、何を考えてるのか、それを話したい」

その言葉を聞いた菊岡は笑みを浮かべて

「貴女は強い人だ。ぜひ、そうしてください。今後の日程の詳細は後ほどメールで送りましょう」

そう言った後、左腕の時計を見る。

「―――申し訳ないが、そろそろ行かなくては。閑職とはいえ、雑務に追われていてね」

「あぁ。悪かったな」

「手間を取らせてしまいました。ありがとうございます」

和人と空人がそう言った後、続けて詩乃がぺこりと頭を下げた。

「ありがとう、ございました」

「いやいや。君達を危険な目にあわせてしまったのはこちらの落ち度です。これくらいの事はしないと。新しい情報があったら、またお知らせしますよ」

ビジネスバックを手に取り、タブレットを仕舞って椅子から立ち上がり、伝票を手に取ろうとしたところで動きを止めた。

「そうだ、キリト君にソラ君」

「「?」」

「これ、頼まれていたものだ」

疑問符を浮かべる2人に、菊岡はスーツの内ポケットから小さな紙片を取り出して、テーブル越しに渡してくる。

「『死銃』……いや、『赤眼のザザ』こと新川昌一は、捜査員が君達からの質問だと伝えると躊躇わずに答えたそうだ。ただ、自分から君たちへの伝言も届けるという条件を出したそうだ。もちろん、馬鹿正直に聞く必要はないし、そもそも取り調べ中の被疑者からのメッセージなど外部に漏らせるわけにもいかないので公式には警察内で止まるものだが……聞くかい?」

和人と空人は視線を向けあい、互いに頷いた。

「手間を掛けついでだ、聞くよ」

「お願いします」

「そうかい。えー……」

返答を聞いた菊岡は、二枚目の紙片を取り出して目を通す。

「……『これが終わりじゃない。終わらせる力は、貴様たちにはない。すぐに貴様たちも、それに気付かされる。イッツ・ショウ・タイム』。以上だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……まったく、食えない奴だよ」

菊岡がにこにこと手を振りながら姿を消してから約10分後。

喫茶店を出て、歩きながら和人が毒づいた。

「まぁ、なんというか。胡散臭いのは確かだな」

続いて空人も苦笑いを零しつつ、割とキツイ毒を吐いている。

「あの人、一体何者なの? 総務省の役人、って言ってたけど……」

詩乃は菊岡をどうにも捉えどころのない人物だと思いながら尋ねると、和人が肩をすくめながら言った。

「まぁ、総務省のVRワールド監視部署に所属してるのは間違いないんだろう。今は、だろうけどな」

「今は?」

「だってさ、事件からまだ二日しか経ってないってのに、警察の内部情報に詳し過ぎないと思わないか?」

そう言われた詩乃は疑問符を浮かべている。

そんな彼女に、今度は空人が口を開いた。

「おそらく彼の本来の所属は別なんだと思う。警察庁か……まさかとは思うが……防衛省の可能性もある」

それを聞いた詩乃は呆気に取られた表情になり

「それって……自衛隊ってこと?」

「まぁ、推測の域を出ないけどね」

「そもそも、警察は自衛隊と仲悪い筈だから、有り得ないとは思うけど。兎に角、菊岡は油断ならない奴だって認識しとけばいいってことかな」

和人がそう言い終ると同時に、彼がバイクを停めてある場所へと辿り着く。

和人は後輪のU字ロックを外し、ヘルメットを手にとって

「さてと、シノン。この後、時間あるか?」

そう聞いてきた。

「別に用事はないけど。GGOも当分はインする気ないし」

「なら、御徒町まで付き合って欲しいんだ。僕達のVRMMO仲間に、今回の事を説明しないといけなくてね。そんなに時間は取らせないよ」

「湯島の隣じゃない。ちょうど帰り道だし、構わないわよ」

空人の言葉に詩乃はそう応える。

それを聞いた空人は和人に視線を送り、互いに頷いて

「ありがとう。じゃぁ、俺は先に行ってるから、シノンのエスコート頼むぜ、ソラ」

「あぁ、任せてくれ」

空人の返答を聞いてから、和人はヘルメットを被りバイクにエンジンを掛けた。

そのままバイクを発進させ、ゆっくり走っていく。

「さて、僕等はタクシーで行こうか」

「……そうね」

彼の言葉に頷く詩乃。

2人はすぐ近くに停まっていたタクシーを捕まえて、そのまま乗り込み目的地へと向かってもらった。

10分近く掛けて、タクシーは御徒町界隈へと辿り着き、そこで空人たちはタクシーを降りて徒歩で目的地へと向かった。

歩く事数分、見えてきたのは黒光りする無愛想な木造の建物だ。

ドアの上に掲げられた、二つのサイコロを組み合わせた意匠の金属板には、『DiceyCafe』と打ち抜かれている。

掛けられたプレートには『CLOSED』と表記されていた。

「……ここ?」

「あぁ」

戸惑う詩乃を余所に、空人は迷うことなく扉を押し開けた。

店内に入ると、スローテンポなジャズミュージックが耳に届いてくる。

「いらっしゃい」

そう言ったのはカウンターの向こうにいる、褐色肌の巨漢だった。

カウンターのスツールには、学生服を着た三人の少女と、先に来ていた和人が座っている。

2人がやってきた事に気付いた少女のうち一人が

「遅いよ、ソラ―」

艶やかな長い黒髪を靡かせながら振り向き、口を尖らせた。

「もう、木綿季。お行儀悪いよ」

そう言って注意したのは栗色の髪をした少女だ。

「まぁまぁ、明日奈。あの娘がキリトの言ってた娘?」

言いながら、肩までの髪にわずかにハネをつけた少女が和人に尋ねる。

「あぁ、そうだよ」

「すまない。待たせてしまったね」

「いえ、それより空人さん、和人君も、早く紹介してください」

そう言われた空人と和人は頷く。

空人が詩乃の背中を押して店の中央まで進み出ると、少女らに向かって軽く頭を下げた。

「こちら、ガンゲイル・オンラインの3代目チャンピオン、シノンこと朝田詩乃さん」

「ちょ、やめてよ」

思わぬ紹介の仕方をした和人に詩乃は抗議の声を出す。

けれど和人は笑って返すだけだ。

そのまま今度は黒紫の髪の少女の元へ歩み寄り

「こっちが、俺の恋人で『絶剣』ユウキこと紺野木綿季」

「二つ名はやめてよ和人ー。紺野木綿季です。よろしく朝田さん」

言いながら少女―――紺野木綿季はぺこりと会釈した。

「んで、そっちがぼったくり鍛冶屋のリズベットこと篠崎里香で、隣にいるのが、ソラの彼女でバーサク治療師のアスナこと結城明日奈だ」

「んな! ちょっとキリト、あんたねぇ」

「和人君ひどいよー」

それぞれ抗議の声を出した後、2人の少女――――篠崎里香と結城明日奈も詩乃に向かい軽く会釈する。

「そんで、あれが……壁のエギルことエギル」

「おいおい、壁とはなんだ壁とは!? だいたい、オレにはママから貰った立派な名前があるんだぞ」

マスターまでもがVRMMOプレイヤーであることに驚く詩乃。

そんな彼女を見て巨漢はニヤリと笑って言う。

「はじめまして。アンドリュー・ギルバート・ミルズだ。今後ともよろしくな」

名前のところだけはネイティブな英語の発音なのに、あとの部分が完璧な日本語だった為、詩乃は呆気の取られたように瞬きした。

慌ててぺこりと頭を下げる。

「さぁ、座った座った」

和人がそう言い、詩乃をテーブルへと促し、椅子に座らせる。

続いて木綿季達もカウンターのスツールからテーブルへ移動して座りなおした。

和人と空人はその近くにあるテーブルの椅子へと腰を下ろした。

「エギル、俺はジンジャーエール。シノンは何か飲むか?」

「あ……じゃぁ、同じのを」

「ここのはカライぞ」

和人はニヤリと笑って「二つ!」とカウンターにいるエギルに言った。

「僕はブレンドをお願いします」

次いで空人がそう言うと、エギルは頷いた。

「さて。それじゃぁ、日曜に何があったのかを説明するよ」

「そういう約束だったからね。シノンには少しばかり補足をしてもらいたい」

「わかったわ……」

詩乃が頷いたのを確認し、和人と空人は今回の事件のことを木綿季達に話し始めた。

BoB本大会での出来事と、菊岡から聞かされた事件の概要を、三人が補填しあいながら話す。

説明に要した時間は十数分。

「―――と、まぁ、こんな感じだよ」

「まだマスコミ発表前だから実名や細部は伏せたけどね」

そう言って話し終えると、和人は二杯目のジンジャーエールを飲みほした。

空人も冷えたブレンドコーヒーを飲みきる。

話を聞き終えた木綿季達はそれぞれ呆れた表情になり

「なんて言うか、もうこの一言しか出てこないよ……和人の大馬鹿!」

「空人さんもですよ。本当に心配したんですからね!」

「まー、木綿季達の言いたい事はもっともね。それにしても、アンタ達ってホント巻き込まれ体質なのね」

「いや、そうでもないさ。今回の事件は、僕達の因縁でもあったわけだからね」

言いながら空人が苦笑いになった。

「あいつが最後の一人とは限らないけどな。SAOに魂を歪められた人間は、おそらくまだまだいる筈だ」

次いで真剣な表情で言う和人。

場の空気が重くなりかけるが、それを打ち消すように木綿季が笑って

「けど、魂を救われた人もいっぱいいると思うよ。ボクもそうだしね。茅場晶彦……ヒースクリフさんのしたことを擁護する訳じゃなけどさ……ボクにとってあの二年間は苦しいことだけじゃなかったもん。だから否定したり後悔したりもしないよ、絶対に」

「そうだな。俺もそう思う……あの二年間があったからこそ、今の俺達があるんだろうな」

そういうと和人と木綿季は互いに視線を合わせて微笑みあった。

「あーあ、人目も気にせずイチャつかないで欲しいんだけどぉ?」

里香が呆れ交じりの溜息を吐きつつ言うと、木綿季はプクッと頬を膨らませて

「ぶー、いいじゃん。羨ましいならリズも早く恋人作りなよー」

「うっさーい! アンタ達みてると偶に胸焼けすんのよ! エギル、ブラックコーヒー頂戴!」

そうやりとりする2人を、明日奈はクスクスと笑ってから、詩乃に視線を向けて

「あの、朝田さん」

「は、はい」

「私がこんな事言うのも変だけど、ごめんなさい。空人さん達が迷惑をかけちゃって……」

「ボクからも言わせて。ごめんね、和人達が巻き込んだせいで怖い目に遭わせて」

そう言って2人は詩乃に向かい頭を下げる。

詩乃は急いで首を振り、次いで応える。

「いえ、そんな……今回の事件は、多分、私自身が呼びよせてしまったものでもあるんです。私の性格とか、プレイスタイルとか……過去とかが。その所為で、私、大会中にパニックを起こしてしまって……2人が落ち着かせてくれたんです」

「「あー……」」

詩乃が言い終えたと同時に、木綿季と里香がちらりと明日奈を見た。

和人は何故か笑いを堪えている。

視線の先にいる明日奈は笑っていた。

そう――――笑っている――――けど目は笑ってなかった。

それを見た空人は表情を引き攣らせ

「あ、明日奈?」

「ふふふ。大丈夫ですよ空人さん。私、ぜぇーんぜん! 気にしてませんから!」

怖い笑顔のまま言う明日奈。

(((嘘だ、絶対気にしてる)))

和人達は心の中で突っ込む。

そんな彼女に冷や汗を流しながら、空人は木綿季に視線を移し

「ちょ、ユウキ。どういうことだ? 君と明日奈は、その中継シーンの時は移動中だったんじゃ……」

「だったんだけどねぇ」

「実は、今回の中継をエギルが録画してたのよ」

困ったような笑みを浮かべる木綿季と、悪戯っぽく笑って言う里香。

彼女の言葉を聞いて、カウンターの奥にいる褐色巨漢に視線を向けると、これでもかというくらいのドヤ顔を見せられた。

「で、アンタ達が来るまで暇だったから、その録画を見てたって訳よ」

里香が言い終ると同時に、更に嫌な汗が空人を伝う。

「あ、明日奈! 誤解だ! アレは殺人鬼に追われてて、その、緊急事態だったからであってだな――――」

「へぇー。緊急事態だったら知り合って間もない女の子を抱きしめるんですねぇー? そ・ら・ひ・と・さん?」

慌てて弁明する空人だが、明日奈は機嫌を損ねたままだ。

彼は困ったように視線を和人に向けて

「キ、キリト! 君からも説明してくれ!!」

「いやぁ。まぁ、頑張れ?」

「他人事か!?」

「他人事だしなーwww」

ニヤニヤ笑いながら言う和人を恨みがましい目で見た後、空人は明日奈を宥めにかかる。

弁明を重ね、ようやく明日奈の機嫌が戻った時、空人の顔には疲労の色が見えていた。

後に彼は語る―――『死銃』より怖かった―――と。

閑話休題。

「ま、なにはともあれ、女の子のVRMMOプレイヤーとリアルで知り合えたのは嬉しいわ」

「ホントだね。色々、GGOの話とか聞きたいよ」

「うん。朝田さん、ボク達と友達になってくれたら嬉しいな」

里香と明日奈の言葉に頷いた木綿季が、にっこり笑いながら右手を差し出してきた。

その白く、柔らかそうな手を見た途端――――詩乃は竦んでしまった。

友達、という言葉が胸に沁みた途端、そこから焼けつくような渇望と、鋭い痛みが伴う不安が同時に込み上げてくる。

五年前の事件以来、何度となく望み、裏切られ、二度と求めるまいと心の底に己の戒めを刻み込んだものだ。

友達になりたいという木綿季の手を取り、その温かさを感じてみたい。

一緒に遊んで、他愛のいない事で長話をしたり、普通の女の子がするような事をしてみたい。

だが、そうなれば、彼女はいつか知ってしまう。

自分がかつて、人を殺したことを。

そのとき、木綿季の瞳に浮かぶであろう嫌悪の色が恐ろしいと詩乃は思った。

更に思う、人に触れることは自分にはきっと永遠に許されない行為だと―――。

戸惑った表情のまま凍りついた詩乃を、木綿季は疑問符を浮かべて首を傾げている。

それを見て、詩乃は目を伏せた。

(このまま帰ろう……)

そう思考を巡らせて、詩乃は「ごめんなさい」を言おうとした時だった。

「シノン」

小さな囁きが耳に届き、詩乃は視線を向けた。

向けた視線の先にいる和人と空人が小さく、確かな動きで頷いた。

促されるように詩乃は木綿季の手を取る。

伝わってくる温もりは、詩乃の凍った心を融かしてしまうくらいに温かかった。

しばらくの間、その温もりを意識していると、不意に微笑んでいた木綿季の口元に躊躇いの色が滲んできた。

反射的に手を引っこめようとするも、木綿季はいっそう強く手を握ってくる。

戸惑う詩乃に向かって、木綿季はゆっくりと喋りはじめた。

「あのね……朝田さん。ううん、詩乃さん。今日この店に来てもらったのには、もう一つ理由があるんだ。もしかしたら、詩乃さんは不快に思うかもしれないし、怒ったりするかもしれない……でも、ボク達はどうしても、貴女に伝えたいことがあるんだ」

「理由? 私が、怒る……?」

意味が判らずに詩乃は疑問符を浮かべている。

すると、和人がどこか張り詰めた声で言った。

「シノン。まず、君に謝らないといけない」

そういうと和人が頭を下げてくる。

次いで空人も頭を下げてきた。

頭を上げた2人は戸惑う詩乃を凝視して

「実は、君の事件の事を木綿季達に話してあるんだ」

「キリトだけを責めないでくれ。そうしようと言いだしたのは僕だから。どうしても、彼女達の協力が必要だったんだ」

「えっ……?!」

2人の言葉を気いた途端、詩乃は木綿季達を凝視する。

次いで思考が巡った。

(――――知っている?! 五年前の事件を……私が何をしたのか、この人たちはもう、知っているの?!)

詩乃は今度こそ、木綿季の手から自身の手を引き抜こうとする。

けれど、それは叶わなかった。

華奢な少女の何処に、と思える程の力で木綿季は詩乃の右手を握り続けているからだ。

木綿季の瞳が、表情が、伝わってくる温もりが、詩乃に何かを語りかけようとしている。

けど、一体何を―――?

自分の手が、拭えない血で汚れているのを知った上で、何を伝えると言うのか?

「詩乃さん。実は、ボクと明日奈とリズ、和人とソラでね、昨日の月曜に学校を休んで、『―――市』に行って来たんだ」

「―――――――!!!」

木綿季の口から発せられた地名は、間違いなく詩乃が中学卒業まで住んでいた街の名前だ。

あの事件があった、忘れたい、二度と帰りたくない場所。

何故? と、戸惑う詩乃。

「なんで……どうして……そんな事……」

「シノン。君は会うべき人に会ってない……そして、聞くべき言葉を聞いてないからだ。君を傷付けるかもしれないとは思った……だが、僕はどうしても君をこのままにはしておけなかったんだ」

「だから、新聞社のデータベースで事件のことを調べて、電話じゃ解かってもらえないと思ったから、直接事件のあった郵便局まで行って、ある人の連絡先を教えてほしいとお願いした」

「会うべき人……? 聞くべき……言葉……?」

呆然と繰り返す詩乃を余所に、和人が里香に目で合図を送った。

頷いた里香が立ちあがり、店の奥に見えるドアへと歩いていく。

『PRIVATE』の札が掛けられたドアが開くと、その奥から一人の女性が姿を現した。

三十歳くらいで、髪はセミロング、化粧は薄めで服装も落ち着いている。

OLというよりは主婦というイメージが強く見れた。

その印象を裏付けるように、女性の後ろから、まだ小学校に上がる前であろう女の子が走り出てきた。

顔立ちが似ているので、親子である事がよくわかる。

けれど、詩乃はますます困惑するばかりだ。

なぜなら親子が誰なのか、詩乃にはまるでわからないからである。

女性は呆然と座ったままの詩乃をみると、泣き笑いを思わせる表情を浮かべて深々と一礼した。

隣の女の子もぺこりと頭を下げる。

里香に促され、親子は詩乃が座るテーブルまで歩み寄ってきた。

木綿季と明日奈は椅子から立ち上がると、詩乃の正面に親子を座らせる。

カウンターの奥から、エギルがやって来て2人に飲み物を差し出した。

こうして間近で見ても、やはり誰だがわからずにいる詩乃。

なぜ、和人と空人はこの女性が詩乃の『会うべき人』というのか?

彼らは何か勘違いしているのでは、と考える。

しかし、詩乃の記憶の何処かで、小さな火花が弾けるのを感じた。

女性は再び深々と一礼し、微かに震える声で名乗った。

「はじめまして。朝田……詩乃さん。私は、大澤祥恵といいます。この子は瑞恵、4歳です」

やはり名前にも聞き覚えはない。

けれど、記憶は相変わらずちりちりと疼き続けていた。

挨拶を返す事も出来ずにいる詩乃に向かい、祥恵という女性は大きく一度息を吸ってから、はっきりとした声で言った。

「……私が東京に越してきたのは、この子が産まれてからです。それまでは『―――市』で働いてました。職場は……―――町三丁目郵便局です」

「あ……」

詩乃の唇から、微かな声が漏れる。

その郵便局は、五年前の事件があった郵便局。

あの時、強盗に押し入った男は、男性職員を撃った後、詩乃の母親を撃つか、カウンターの奥にいた女性職員を撃つかを迷う素振りを見せた。

しかし、詩乃が無我夢中で男に飛び掛かり、銃を奪ってトリガーを引いた。

彼女はその時、居合わせた女性職員その人だったのである。

つまりは、こう言うことなのか。

和人と空人は、昨日、木綿季や明日奈、里香と共にわざわざあの郵便局まで行き、すでに職を辞して東京に引っ越していたこの女性の現住所を調べ、連絡し、今日この場で詩乃と引き合わせたという事になる。

そこまではどうにか理解できたものの、最大の疑問がまだ残っていた。

(なんで? なんで彼らは、学校を休んでまでそんな事を?)

そう思考が巡った時

「……ごめんなさい。ごめんなさいね、詩乃さん」

不意に、正面の祥恵が涙を浮かべながらそう言った。

どうして謝るのか解からずに、呆然としている詩乃に向かい、祥恵は尚も言葉を続ける。

「本当に、ごめんなさい。もっと早く……貴女にお会いしなきゃいけなかったのに……あの事件の事を忘れたくて……夫が転勤になったのをいいことに、そのまま東京に出てきてしまって……貴女がずっと苦しんでいた事も、少し想像すれば解かった事なのに……謝罪も……お礼すら言わずに……」

目尻に浮かんだ涙が零れる。

母親を心配するように見上げた瑞恵という女の子の頭をそっと撫でながら彼女は続けた。

「あの事件の時、私のお腹の中にはこの子がいたんです。だから詩乃さん、貴女は私だけでなく……この子の命も救ってくれたの。本当に……本当にありがとう。ありがとう……」

「命を……救った……?」

詩乃はその二つの言葉を繰り返す。

あの郵便局で、11歳の詩乃は銃のトリガーを引き、一人の命を奪った。

それが彼女がしたこと。

今までもずっとそう思ってきた。

けれど、目の前の女性は確かに言った。

『救った』、と。

「シノン」

いつの間にか、詩乃の隣に歩み寄っていた空人が、彼女を呼んで囁く。

「確かに、君は一つの命を奪ってしまった。それは決して拭えないものだろう。けど、同時に君は、失われていたかもしれない命を救ったんだ。この人たちは、君が『護った』ものなんだよ」

「ソラの言う通りだよ、シノン。君はずっと自分を責めて、罰しようとしてきた。それが間違いとは言わない。でも、君には、自分が救った人の事を考える権利もあるんだよ。それを考えて、自分自身を赦す権利があるんだ」

2人の言葉を聞いて、視線を祥恵に移す詩乃。

何か言わないと、と思いつつも言葉が出ない。

すると、瑞恵が椅子から飛び降りて詩乃のもとへと歩いてくる。

幼稚園の制服らしいブラウスの上からかけたポシェットに手をやり、何かを引っ張り出す。

それは四つ折りにした画用紙で、彼女は不器用な手つきで画用紙を広げ、詩乃に差し出してきた。

クレヨンで描いたと思われる絵が目に映る。

中央に、髪の長い女性の顔。

にこにこと笑うそれは、きっと母親だろう。

右側には三つ編みの女の子が描かれている。

それは瑞恵自身だ。

左側の眼鏡を掛けた男性は、父親で間違いないだろう。

そして一番上に、覚えたばかりであろう平仮名で『しのおねえさんへ』と記されている。

差し出されたその絵を受け取る詩乃。

瑞恵はにこりと笑い、大きく息を吸って、一生懸命に練習してきたらしい、たどたどしい声で、けれどもはっきりとこう言った。

「しのおねえさん、ママとみずえを、たすけてくれて、ありがとう」

その言葉が耳に届いた途端、詩乃の視界がぼやけた。

自分が泣いている事に気付くのに、少し時間がかかった。

いや、それ以前に、こんなに優しく、全てを洗い流してくれるような涙が存在している事に驚いた。

大きな画用紙を持ったまま、ただ涙を零し続ける詩乃の右手を――――火薬の微粒子によってつくられた黒子が残るその場所を、小さな柔らかい手が、最初は恐る恐る、しかし、すぐにしっかりと握ってきた。

目の前の光景に、感極まって涙を浮かべる木綿季達。

そのさらに後ろで、和人と空人は詩乃たちを見ながら

「これでよかったんだよな?」

「彼女は今まで、自分を赦すことが出来なかった。それは、彼女自身が命を奪うと同時に、護れたものがある事を知らなかったからだ。それを知ることが出来た今、すぐには無理だろうけど、きっと過去の全てを受け入れて、前を向いて歩いていくことが出来る筈だ」

「そうだな。きっと、シノンなら……」

そう言って互いに笑って頷き合った。

 

 

 




事件から数日後。


過去と向き合うと決めた少女は、目の前の現実と相対する。




次回「友達」

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