では63話、始まります。
シノンを洞窟に残し、外に出たキリトとソラ。
時刻は21時43分。
七度目のサテライト・スキャンまでもう二分を切っていた。
先に洞窟から出ていたソラは、夕焼けの赤が消え去り、仄かな残照が残る空を見上げていた。
そんな彼に視線を向けて
「あれが、ソラがシノンに感じていた違和感の正体だったんだな」
キリトが言った。
ソラはちらりとキリトに視線を向ける。
「あぁ。そうみたいだ……正直、想像していたよりも遥かに重く、辛いものだった」
「そう……だな」
「僕達のように、ある程度物事を割り切れる年齢での出来事なら、少しは折り合いもつけて生きれただろうけど……彼女の場合はそうではなかった。当然だ、11歳の子供が人を殺す等という事を、簡単に受け止められるわけがない。そして、周囲の人々も、きっと彼女を倦厭していたんだろう……それが彼女の心の傷を更に深めてしまい、あれほど追い詰められたんだろうな。なのに、僕は彼女が死んでもいい、悲しむものがいないと言った時、彼女の気持ちも理解しようとせず怒鳴りつけてしまった……情けない限りだよ」
自嘲するように笑いながらソラは言う。
キリトはそんな彼の肩を軽く叩き
「気にするなよ。誰だって、彼女があれほどの苦悩を抱えてるなんてわからなかったさ。それに、ソラの気持ちはきっと、シノンもわかってくれてるさ」
「……そうだといいけどね」
キリトの言葉に、ソラは苦笑いで返す。
そうこうしていると、時刻が21時45分となり、7度目のスキャンが開始された。
2人は素早く端末を取り出し、光点を確認する。
端末のマップに映った光点で、光を灯した者はキリトとソラを含めて5つあった。
が、直後に廃墟で密接していた二つの光点が突如、グレー色になって消灯してしまった。
「なぁ、これって……」
キリトが微妙な表情で端末を指差す。
ソラは彼が言いたい事に察しがついているようで
「多分だが、お互い近くにいる事を知らなかったんじゃないか? で、このスキャンで近くにいる事を知って互いにグレネードを投げ合った……とかじゃないか?」
「あらら……それは南無三」
ソラの推測に、キリトは何とも言えぬ表情でいい、心の中で合掌する。
「それよりもキリト。光点が足りないぞ」
「? 洞窟にいるシノンと、透明化できる『死銃』は映らないし、ペイルライダーは奴に殺されて消えてるから、足りないのは……いや、これは……」
「あぁ、4度目のスキャンの時、光点の数を数えたら、映っていたのは28個だった。殺されてしまったペイルライダーと、透明化していた死銃を含めて30個だったが、今はどんなに数えても映っているのが26個しかない」
現在、端末に表示されている光点で、光が灯っているものが3つ、キリトとソラ、そして『闇風』というプレイヤーだ。
グレー色となって消灯している光点が23個。
合計で26個である。
洞窟にいて映らないシノンと、透明化でスキャンを回避している『死銃』に殺されたペイルライダーを合わせても、合計29個で一つ数が足りない。
これが意味しているもの――――――それは
「……シノンのように洞窟で身を隠しているのか? だが……」
「あまり考えたくはないが……『死銃』は2人組じゃなく、複数犯の可能性があるな……」
ソラの言葉を聞いて、キリトは息を呑む。
それは決して有り得ない可能性ではなかった。
なぜなら、『笑う棺桶』自体は壊滅に追い込まれたが、生き残ったメンバーが数名いるからである。
旧SAOに囚われていた時に、もしかすると現実での連絡先などを教え合っていた可能性もある。
やがて、衛星が飛び去っていき、端末に表示された情報がリセットされた。
2人は何とも言えない表情で顔を見合わせ
「とりあえず、シノンのところに戻るぞ」
「そうだな」
頷き合い、駆け出した。
洞窟へと戻ると、彼女は入り口から少し進んだ先にある角で、ヘカートⅡを肩にかけて待っていた。
「状況は?! どうだったの?!」
急くように尋ねてくるシノンに、キリト達は状況を説明する。
「スキャン中に、廃墟エリアで2人脱落した。残ってるのは俺達三人と『死銃』、そして『闇風』ってプレイヤーだけだ」
「『闇風』はここから6キロ南西にいる。透明化で姿を消してるが、『死銃』もおそらくこの砂漠エリアにいるだろう。消灯している点が幾つもあったが、それはおそらく『死銃』が僕達を探しつつ倒していった者たちだろう。それと、人数だが……もう一人回線切断された可能性がある」
それを聞いたシノンは目を見開き
「まさか……また誰かが殺されたっていうの……? それは不可能な筈よ?! だって、『死銃』の共犯者は私を狙ってるんでしょう?!」
そう声を荒げたが
「シノン。僕達も考えたくはないが、『死銃』の共犯者が二人とは限らない。複数の『実行部隊』がいる可能性もあるんだ」
ソラが苦い表情で返してきた。
シノンは息を呑み、次いで小さく首を振った。
「そんな……こんな恐ろしい事に3人以上が関わってるって言うの?」
「……『笑う棺桶』自体は確かに壊滅に追い込んだけど、生き残ったメンバーが数人いる。もしかしたら、SAOにいる間に現実での連絡先を教え合っていても不思議じゃない」
キリトがそういうと、シノンはまたも首を振る。
「……そこまでして『PK』で居続けなきゃいけないの? 折角デスゲームから解放されたのに……どうして……?」
震える声でそういうシノン。
その問いかけに、キリトが渇いた喉から答えを押し出した。
「もしかしたら……俺やソラが『剣士』であろうとし、君が『狙撃手』であろうとするのと同じ理由なのかもな……」
「……だからと言って、奴等のしている事は許されない。殺人はゲームじゃないんだから」
キリトの言葉に、ソラは言いながら唇をかみしめた。
「……そうね。貴方の言う通りだわ。私、さっき『PK』って言ったけど取り消すわ。このゲームでもPKをやってる人は多いけど、その人達にはその人達なりの矜持や覚悟があるもの。『死銃』がやってる事は『PK』じゃない。ただの卑劣な犯罪よ」
「そうだな。これ以上、奴等の好きにはさせられない。必ず『死銃』を倒し、共犯者も一緒に罪を償わせる!」
「あぁ。奴らとの因縁にここで決着をつける」
三人は互いの顔を見て頷き合う。
「その為にも一番の問題を片づけないといけないわね」
「一番の問題?」
ソラが疑問符を浮かべて尋ねた。
「『闇風』の事よ。スキャンで光ってた光点はもう貴方達と彼だけだったんでしょ? 貴方達の位置もバレてるから、きっと接近してくるはず」
「強いのか?」
「前回のBoBの準優勝者だったはずだ。ゼクシードも出演していた『今週の勝ち組さん』に彼も出演してたんで憶えてるよ」
「その通り。AGI一極ビルドで、『ランガンの鬼』って呼ばれてるわ。前大会ではゼクシードのレア銃と防具に競り負けたけど、実力は彼の方が上って言われてるわね」
シノンの説明に、2人は納得したような表情になる。
最強決定戦であるこのバトルロワイヤルで、最終盤まで生き残っているのだから弱い筈がない。
しかし、今の状況下で『闇風』の相手までするとなると、流石のキリト達といえど一筋縄ではいかない。
なにしろ姿を消している『死銃』の位置を特定しなければならないのだから。
けれど『闇風』はこちらの事情など知らないのだからお構いなしに戦闘を仕掛けてくるだろう。
どうするべきかと唸っていると
「『闇風』の相手は私がするわ」
「え……?」
シノンがそう申し出てきた。
目を丸くするキリト達だが、彼女は構わずに続ける。
「あの人は強い。たとえあなた達でも、瞬殺は出来ないわ。戦ってる所をどちらかが『死銃』に撃たれるだけだわ」
「し、しかし……」
「どうせ貴方達の事だから、私を護らなきゃって考えてるんでしょ? 冗談じゃないわ。私がスナイパーで貴方達がスポッターなのよ。敵の位置を割さえしてくれれば、2人とも私が始末するだけよ」
そう言ってのける彼女の目は真剣そのものだった。
「けど……」
「キリト」
懸念が消えないキリトが何か言おうとするも、ソラが彼の名を呼び制した。
ソラはシノンの前に歩み寄り、彼女の瞳をまっすぐに見る。
見据えた瞳には迷いが感じられない、決意に満ちたものだった。
ソラはフッと優しく微笑み
「わかった。君に任せるよ」
そう言った。
「いいのか?」
「あぁ」
キリトの問いに、ソラは頷く。
すると彼は苦笑いを浮かべる。
「……じゃぁ、君に任せるよシノン。そろそろ、両方ともかなり接近してきただろう。まず俺達がバギーで飛び出すから、君は後からここを出て、狙撃出来る位置についてくれ」
「わかったわ」
キリトは頷くと、奥に停止させてあるバギーまで走りだす。
ソラもその後に続いて駆け出そうとし、足を止めた。
シノンは疑問符を浮かべ彼に視線を向けると、ソラが彼女の肩に手を乗せ
「君ならきっと出来る。信じているよ」
笑ってそう言った。
シノンは僅かに頬を赤くするも、それを隠すように巻いているマフラーで顔の下半分を隠し
「……任せて」
そう小さく返した。
ソラは頷きバギーに向かって駆け出した。
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暗視モードに切り替えたスコープを、シノンは右の目で覗きこむ。
今のところ、広大な砂漠の中を動くものはないが、南西からは『闇風』が、そしていずこから『死銃』がこの場所を目指して接近しているのは間違いない。
彼女が狙撃位置に選んだのは、潜伏していた洞窟がある低い岩山の上だ。
地上からは見つかり難く、周囲を遠くまで見渡せる為、狙撃位置としては上々の場所である。
かといって危険がな訳でない。
移動できるルートが一つの為、敵に接近されれば退避する事が出来ず撃たれる可能性がある。
だが、今はネガティブな思考に囚われるわけにはいかない。
平静を保ち、ゆっくりとライフルを右に旋回させると、視野の中央にひっそりと立つ二つの影が見えた。
時折吹く風が、黒い長髪と燃えるような灼髪を揺らしている。
その姿は銃を携えた兵士と言うより、幻想世界の砂漠に佇む妖精の剣士のように思えた。
彼らの向こうには、乗ってきたバギーが停止している。
その大きな車体が掩蔽物となり、彼らの発見は容易でも北側からの狙撃を困難にしていた。
南にはシノンが潜伏する岩山がある為、必然的に『死銃』が狙撃してくるのは東か西と言う事になる。
そして西からは『闇風』が接近中という事を考慮すると、おそらくは東から撃ってくると予測できた。
おそらく死銃は電磁スタン弾でなく、必殺の威力を誇る338ラプア・マグナムでどちらかを狙撃するだろう。
頭か心臓に当たれば即死は免れず、手足にあたろうともHPを半分は持っていかれるだろう。
更には『死銃』の第一射には予測線が存在せず、透明化したまま狙撃してくる。
避けるのは容易なものではない。
けれど、シノンは不思議と不安には思っていなかった。
(……貴方達なら、きっと避けられる。私はそう信じてる)
胸中でそう囁き、シノンはライフルの位置を戻した。
スコープを覗きながら意識を集中させていく。
彼女はずっと信じていた。
この世界で強くなれば、きっと『過去』を乗り越えられると。
銃への恐れを捨て、事件の事を思い出す事もなくなる。
現実世界の朝田詩乃が本当の強さを手に入れ、普通に暮らしていけるようになれる――――そう願っていた。
けれど、その願いは少しだけ照準がズレていた。
いつしか彼女は、『シノン』と『詩乃』を心のどこかで別の存在として考えていた。
強いシノンと、弱い詩乃、そう区別してしまっていたのだ。
けど、それは間違いなのだと気付かされた。
他でもない、異世界からやってきた2人の剣士によって。
シノンの中にも弱い部分は存在する。
だからこそ、『黒星』をみて怯えてしまい、逃走時の狙撃を外した。
そう、『シノン』も『詩乃』も同じ自分だったのだ。
それを気付かせてくれた2人は、きっと現実世界でもあのままの人達なのだろう。
自分の弱さに抗って、強くあろうと必死に戦っているのだろう。
ならば、詩乃の中にも、きっとシノンの強さは存在していたはずだ。
(私はもう逃げない。詩乃として、この一弾を撃つ!)
決意の思考を巡らせた時、シノンのスコープが高速で移動する影を捉えた。
間違いなく『闇風』だ。
シノンはトリガーに指を添える。
チャンスは一度切りしかない。
これを外せば闇風はキリト達を強襲し、その混乱に乗じて『死銃』はシノンを『黒星』で撃ちにくるだろう。
アレに撃たれたら、潜伏している共犯者が彼女に薬品を注射し、その心臓を止めるだろう。
自身の命がかかった一弾。
けれど、シノンの心は静かに平静を保っていた。
手に握るヘカートⅡ――――出会ってから幾つもの戦場で共に戦い、死線を潜りぬけてきた彼女の無二の相棒。
――――――お願い、力を貸して。もう一度、ここから立って歩き出す為の力を!
そう思考が巡った瞬間、遂にスコープが闇風を捉えた。
当の闇風は驚異的な速度でキリト達の背後にまで接近している。
しかし2人は振り返らない。
動じることなく、只々前だけを見据え続けていた。
信じているのだ、シノンが必ずやり遂げる事を。
(必ず倒す! 貴方達の信頼に応える為にも!)
2人を強襲する際、闇風は一度制止するだろう。
その瞬間を狙うべく、シノンは思考を止め、極限にまで集中した。
視界に映るのは疾走する標的と、その心臓を追う十字のレクティルだけだ。
そして、遂にその瞬間がやってきた。
彼女の視界の端を、白い光が右下から左上へと横切った。
勿論、ヘカートⅡの弾丸ではない。
砂漠の東側から、『死銃』が撃った338ラプア弾だ。
それをキリトが回避し、西側から接近していた闇風の足元に着弾した。
自分に気付いていないと思っていたキリトとソラの向こう側から、まさか銃撃されるとは思ってなかった闇風は、身を屈めて制動し、近くの岩陰に方向転換を開始する。
訪れた正真正銘、最初で最後のチャンス。
表示された予測円が収縮し、闇風の胸を捉えた瞬間、シノンの指がヘカートⅡのトリガーを引き絞る。
轟音が響き、放たれた決意の一弾。
マズルフラッシュに気付いた闇風の目と、シノンの右目がスコープ越しに交差する。
彼の顔に、驚きと悔しさ、そして賞賛の色をシノンは見た気がした。
超速で空を切り、翔け抜けた弾丸は彼の胸を穿つ。
眩いライトエフェクトが弾け、アバターが数メートル吹き飛ばされて砂地を転がり、腹部に『Dead』と表示されたウインドウが出現した。
その時にはもう、シノンはヘカートⅡごと身体の向きを変えていた。
銃弾を躱したキリトが一直線に駆け出し、次いでソラも駆け出すのが映る。
行く先で澄色の光が瞬いた。
飛来した弾丸を光剣で破壊したのだろう。
速力を落とすことなく、2人は真直ぐに駆け抜ける。
シノンはスコープの暗視モードを切り、倍率を限界まで上げた。
捉えたのは銃弾の発射位置―――――大きなサボテンの下に見える布地から、特徴的な減音器が付けられた『サイレント・アサシン』が見えた。
それを構える『死銃』の姿を捉えると、途端に恐怖が湧きあがってくる。
しかし、シノンは右目を見開いたままそれに抗う。
(お前は亡霊じゃない。『ソードアート・オンライン』で多くの人を殺し、現実に戻っても、こんな恐ろしい計画を立ててまで人を殺す狂った異常者であって、生きて呼吸し、心臓を脈打つ―――――只の人間だ!!)
そう思考を巡らせ、『死銃』にレクティルを合わせトリガーを絞る。
その瞬間、彼の頭がピクリと反応した。
闇風を銃撃した場所から、予測線を見たのだろう。
つまり、奴も彼女のいる場所を把握している。
―――条件は同じ。さぁ、勝負よ!!
『死銃』がL115を動かし、シノンに銃口を向けてきた。
シノンは予測円の収縮を待たず、トリガーを引く。
轟音が響くと同時に、『死銃』のライフルからも小さな火を奔らせる。
シノンはスコープから目を離し、肉眼で飛来する弾丸の行方を捉えた。
弾同士は同一線上にあるように思えたが、僅かに逸れて交差する。
刹那、くわぁん! と甲高い衝撃音が響き、ヘカートⅡに装着した大型スコープが跡形なく吹き飛んだ。
もし右目をつけたままだったら即死は免れなかっただろう。
『死銃』の放った弾丸は、シノンの右肩をかすめて後方へと消えていく。
そして、シノンが放った弾丸は、こちらも狙いが逸れて、L115のレシーバーへと着弾する。
激しい衝撃音が鳴り、次いで銃の中心部がポリゴン片を散らして崩壊した。
『死銃』の『サイレント・アサシン』は、バレルを遺して破壊されたのだ。
(……ごめんね)
稀少かつ高性能な銃に、シノンは胸中で弔いの言葉を呟く。
再度ボルトハンドルを引くと、次弾が装填された。
しかし、スコープが破壊された今、遠距離からの狙撃は出来ない。
「後は頼んだわよ。キリト、ソラ」
疾駆する2人の剣士の背中に、シノンはそう囁いた。
キリト達と『死銃』の距離はもう200メートルを切っている。
たとえ透明化したとしても、この地形では離脱は不可能だ。
それが判っているからか、『死銃』はサボテンの下からゆらりと立ち上がった。
そのまま滑るように前進する。
右手にはL115の遺した長く大きなバレルがぶら下がっていた。
(まさか、あれで戦う気なの?)
2人が持つ光剣の威力は絶大だ。
一撃でたたっ斬られるのがオチだろう。
そうシノンが思考を巡らせている間に、彼らの距離は縮まっていく。
キリト達は右手の光剣を大きく肩の上に引き絞り、左手を前に翳した。
予選で何度か見せた、強力無比な突きの構え。
『死銃』はバレルを左手に持ち替え、右手で銃口のあたりに触れた。
バレルを水平に構えた瞬間、彼の手元にギラリとした鋭い光が見える。
構うことなく2人は勢いよく踏み込んだ。
同時に、右手の光剣を勢いよく突き出す。
紫と赤のエネルギーの奔流が『死銃』へ近付く―――――が、触れる事はなかった。
『死銃』が思いきり上体を後方へと傾けたからだ。
2人の技を、完璧に読んでいたかのような回避だった。
技が回避されたせいか、2人の動きが止まりかけるも、すぐに動きだした。
キリトが左に、ソラが右に跳ぼうとする。
その時には、『死銃』の右手が独自の生物を思わせる動きでソラへと伸びてきた。
握られた長さ80センチ程の金属針の先端が、彼の左肩をかすめた。
「ソラ!」
シノンの声が響くと同時に、赤いライトエフェクトが血飛沫を思わせるように薄い闇の中を散った。
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一台のタクシーが、千代田区の都立病院へと到着する。
黒紫の長髪をした少女が、携帯端末を支払いパッドに押し付け、精算のサウンドが響いた。
直後に彼女と、一緒に乗ってきた栗色の髪の少女は「ありがとう!」と叫んでタクシーから飛び降りた。
時刻はすでに22時前だ。
自動ドアの電源は落ちていたが、その脇にある夜間面会口と表示されたガラス戸を押し開けて少女達―――――紺野木綿季と結城明日奈は面会受付カウンターへと駆けていく。
ログアウト前に、クリスハイトこと菊岡誠二郎が病院に話を通しておくと言っていた。
連絡はすでに来ている筈なので、2人は用意していた台詞を捲し立てた。
「7025号室に面会の予約がある紺野です!」
「同じく、結城です!」
言い終えると同時に、あらかじめ手に持っていた学生証をカウンターへ、叩きつけるような勢いで置いた2人。
看護婦がそれを手に取り、本人かどうか確認をしている間に、彼女達は館内見取り図を頭の中に叩きこんだ。
「はい、紺野木綿季さんと結城明日奈さんですね。これが面会者パスになります。帰りに忘れずに返却してください。病室は―――」
「わかります! いこう、明日奈!」
「ええ!」
パスカードを受け取った2人はそう言いながら一礼し、足早にエレベーターへと目指す。
エレベーター手前にあるゲートの端末にパスカードを翳すと、金属バーが開いた。
ゲートを通り抜け、上へのボタンを押し、開いたドアの中に2人は飛び込んだ。
エレベーターが階を通過するごとに、穏やかな電子音が響くが、今の2人には七階分の上昇がとても遅く感じられた。
『大丈夫です。ママ、明日奈さん』
不意に、木綿季が両手で握っていたスマートフォンのスピーカーから、彼女の愛娘であるユイの声が聞こえた。
彼女のコアプログラムは、和人の部屋にある専用の据え置き機の中にあり、必要に応じてALOにダイブしたり、今のように現実でも端末を通して会話が出来るようになっている。
もっとも、バッテリー容量に限界があるので、常に会話できるわけではない。
けれど今は、ダイシー・カフェを飛び出した時から繋ぎっぱなしにしていた。
『どんなに強い敵が来ても、パパ達なら負けません』
「そうだね……」
「ありがとう、ユイちゃん」
彼女の言葉に、2人はそう返した。
やがてエレベーターが6階を通過し、7階へと到着。
ドアが開くと同時に、ユイが病室へのナビゲートを開始する。
それに従い、無人の廊下を2人は全力で駆け出した。
流れていく金属プレートを、走りながらチェックしていく。
しばらく行くと、視界に7025のプレートを捉え、彼女達はそのスライドドアの前で停止した。
木綿季がプレートにパスカードを押し当てると、赤のインジケータが青に変わり、その瞬間ドアを引き開けた。
入った部屋の中にはジェルベットが二つ設置され、それぞれに少年と青年が横たわっていた。
周囲にはモニター機器があり、それらに接続されたコードが2人の胸部へと貼りつけられていた。
2人の頭部には見慣れたフルダイブ機器―――――アミュスフィアがある。
名を呼ぼうと息を吸ったところで「桐ヶ谷君!? 天賀井君!?」と、誰かの声が室内に響いた。
軽くつんのめりかかるも、首を伸ばしてみると今までモニター機器に隠れて見えなかったベットの奥側に誰かがいた。
三つ編みに纏められた髪に、眼鏡をかけた看護婦だ。
そう言えば菊岡が2人の傍には人がいると言っていたのを木綿季達は思い出す。
しかし、それが妙齢の美人の女性であった為、2人は思わずムッとした表情になる。
だがそれも一瞬の事。
彼女達の入室に気付いて顔を上げた看護婦―――安岐の表情が切迫していたのだ。
「あ、紺野さんに結城さんね? お話は伺ってます」
やや早口に言うと、木綿季達をこちらに来るように促した。
2人は会釈した後、それぞれのベッドに駆けより彼らの顔を覗き込んだ。
もちろん瞼は閉じている。
だが、決して眠っているわけではない。
彼らの五感は今、アミュスフィアによって遮断され、仮想世界へと繋げられているのだ。
「あの、キ……2人とも、どうかしたんですか?」
木綿季がおずおずと安岐へと問いかけた。
安岐は小刻みに首を振って
「大丈夫よ。身体的に危険という事はないわ。けど、さっき2人の心拍数が急に130近くにまで上がって……」
「心拍……」
明日奈が呟いてモニター装置を覗きこむ。
液晶画面にはドラマで見るようなグラフと『129bpm』という数字が表示されていた。
その時だった。
『ママ! 明日奈さん! 壁のパネルを見てください! 回線を『MMOストリーム』に接続します!』
木綿季の左手に握られたスマートフォンから、再びユイの声が響いた。
顔を上げると、ベッドの脚側にある壁に設置された40インチほどの薄型モニタに映像が表示された。
上部左にGGOのロゴがあり、その隣に『第三回バレット・オブ・バレッツ本戦バトルロワイヤル! 独占生中継!』と書かれた文字があった。
画面には、青白い月明かりに照らされた砂漠が映っている。
どうやらここで起こっている接近戦を撮影しているようだ。
映し出されたのは黒の戦闘服に身を包み、長い黒髪を揺らし、紫に輝く刃の剣を握った小柄なアバター。
もう一人は白い戦闘服を纏い、左手にホルスターを、右手に赤い刃の剣を握った灼髪の青年アバター。
2人の足元には、小さく名が表示されている。
『Kirito』に『Sora』
「あれが……キリト……」
「ソラさん……」
「あそこに映ってるのが、桐ヶ谷君と天賀井君のアバターってこと? いま、ここにいる2人がリアルタイムで動かしてるのね?」
同じようにモニタを見た安岐が、やや戸惑ったように言うと、2人は頷いた。
「はい。今は戦闘中みたい……」
「だから心拍数が上昇してるんだと思います」
そう言って再びモニタを見る木綿季達。
キリトは特にダメージを受けてはいないようだが、ソラは左肩から血が流れるような赤いエフェクトを見せている。
深くはないが、それでもダメージは受けているようだ。
彼等と相対しているボロマントのアバターに目を移すと、木綿季が目を見開いた。
ボロマントが持つ武器が、鉄橋エリアで使ったライフルでも黒い銃でもなかったからだ。
先端が鋭くとがった金属棒。
それはレイピアとは違い、完全に刺突のみに特化した武器。
「
声を洩らす木綿季を、明日奈は訝しげに見た。
当の木綿季の脳裏には、かつてのSAOでの記憶が巡っていた。
そいつは『笑う棺桶』の幹部に確かにいた。
常にリーダーと、もう一人の幹部と行動を共にしていたエストックの達人。
その名前は――――――
思考を巡らせながら、木綿季がボロマントの名前を視界にとらえる。
表示されていたのは『Sterben』。
「スティー……ブン?」
ぎこちなく呟くと、明日奈が口を開いた。
「違うわ、木綿季。あれはドイツ語よ」
『明日奈さんの言う通りです、ママ』
次いでユイの声がスマートフォンから聞こえてくる。
疑問符を浮かべていると、安岐が眉を寄せ、張り詰めた表情で言った。
「彼女の言う通り、アレはドイツ語。同時に、医療関係の用語でもあるの。読み方は『ステルベン』。その意味は……『死』よ」
それを聞いた瞬間、木綿季は全身で身震いする。
明日奈は画面に映ったソラの姿を、不安になる気持ちを押しとどめながら見続け、木綿季は画面から目を離し、ベッドに横たわる少年の顔を見た。
「キリト……」
彼女から零れた声は、普段からは想像も出来ないほど震えていた。
少年は言う、かつての世界にいた自分はいないと
青年は言う、かつての世界は消えたのだと
その言葉に、死を与える者は……
次回「憎悪」