では51話、始まります。
菊岡からの依頼を受けた和人達は、報酬のやりとりをし終えた後に店を出た。
提示された報酬は1人に30万。
企業戦士も真っ青な数字である。
2人は歩を進めながら
「ったく……あの性悪公務員め。撃たれて心臓トマレ」
やはり、やりきれない和人は悪態をついて言う。
彼は菊岡誠二郎という男をただのとぼけた役人とは思っていない。
常に笑顔を絶やさないその表情の下には、何かが隠されている。
そして、実際に会うのが二度目の空人もまた同じように感じていた。
総務省と名乗っているが、それもどこまで本当なのか疑わしい。
もっとも、そう感じるだけで確証はないのだが―――
「気持ちはわかるけど、引き受けた以上は文句を言ってもはじまらないさ」
未だに機嫌が悪い和人をなだめながら空人は言う。
和人は溜息をついて
「はぁ……とりあえず、GGOにログインするにあたって、俺達のALOのアバターをコンバートするから、今日の内にエギルにアイテムや所持金を預けとこう。俺はこれから木綿季と待ち合わせだけど、ソラはどうする?」
「僕も明日奈と待ち合わせてる。コンバートする事も話しておこうと思ってるよ。キリトはユウキにコンバートの事を話すのか?」
「一応な。話したらあいつも来たがるだろうけど、どんな危険があるか解らないし、ソラも一緒だって言えば大人しく待っててくれると思う」
空人の問いに、和人は肩を竦めて答えた。
「そうか……じゃぁ、僕はこっちだから、またな」
「ああ」
互いに軽く挨拶してから分かれ、それぞれの待ち人の元に向かった。
場所は変わって、四ッ谷駅ホーム入り口に少女が1人立っていた。
栗色の長髪が揺らしながら少女―――結城明日奈は恋人である空人を待っていた。
時刻は14時57分。
約束の時間、3分前だ。
腕時計で時間を確認し、息をひとつ吐いた時だった。
「明日奈」
呼ばれて振り向くと空人がいた。
「ごめん。待ったかな?」
「いえ、さっき来たばかりです」
尋ねられた明日奈はそう答えた。
すると、空人は彼女の傍まで歩み寄り、明日奈の手を握った。
突然の事に明日奈の顔が赤くなっていく。
「……冷たいな。本当は結構な時間待ってたんじゃないのか?」
「あ、あはは……実は30分くらい……」
そう、本当は約束の時間より30分も前から彼女はここで待っていた。
空人は冷たくなった明日奈の手を温めるように優しく撫で
「すまない。もう少し早く来ればよかった」
申し訳なさそうに言う。
「空人さんが気にする事じゃないですよ。私が待ちたくて待ったんですから」
いいながら明日奈は微笑む。
「……とりあえず、何処かに入ろうか」
そう言って空人は明日奈の手を握ったまま歩き出した。
明日奈は彼の手の温もりを感じながら隣を歩く。
顔は紅く染まっていたが、表情はとても嬉しそうだ。
2人は近くにあった喫茶店に入り、店員に窓際の席に案内される。
席に座って、取りあえず珈琲を2人分注文する。
「今日はここで勉強する事にしよう。寒空の中待たせてしまったし、移動の時間ももったいないからね」
「はい。よろしくお願いします」
そういうと明日奈は持っていたバックから参考書とノート、筆記用具を取りだした。
彼女は現在高校三年生―――いわゆる受験生だ。
季節はすでに冬で12月、気の緩みが許されない時期である。
その為、明日奈はこうやって空人に勉強を見てもらっていた。
こうする事で彼との時間を長く共有することが目的である。
が、彼女が空人に勉強を見てもらってる理由はそれだけではない。
「それにしても、よく両親が許してくれたね。僕と同じ大学に行くこと」
「私も最初は反対されると思ってたんですけど。父さんも母さんも、空人さんの事気にいっちゃったみたいで……」
苦笑いで明日奈は言う。
そう、明日奈は進学先を、恋人である空人がいる大学を選んだのである。
もちろん、専攻するのは空人と同じ精神医学だ。
空人と恋仲になってから、明日奈は割と早くに彼を両親に紹介した。
始めは交際そのものを反対されるのではと、内心ビクビクしていたが、彰三も京子も礼儀正しく教養のある空人をいたく気に入ってしまい、最後には「何処か気の抜けた所のある娘だが、末永くよろしく頼む」とまで言われたのである。
そういう事情もあり、進学する学び舎を彼と同じ大学にしたいと言った時も、特に反対されることはなかった。
木綿季が目覚めてからは、落ちていた成績も再び上がっていき、受験に失敗する心配もない。
それでも万が一という事もあるし、何より彼と一緒の時間を少しでも多く過ごしたいという思いもあり、空人に勉強を見てもらうことにしているのだ。
参考書を広げ、シャープペンを手にとって、空人が説明する要点をノートに書き写していく。
そうこうしていると、店員が注文した珈琲を持ってきた。
テーブルの端にカップを置いて、2人は勉強を続けていたが、ふと明日奈はその手を止めて空人に視線を移した。
「そういえば、今日はなんで四ッ谷までくるようにしたんですか?」
「ん。あぁ……実はちょっと、キリトと一緒に呼び出されていてね……」
「和人君と一緒に……ですか?」
疑問符を浮かべる明日奈。
空人は軽く咳払いをして、カップを手にとって温くなった珈琲を口にする。
カップを置いて
「実は……ALOの『ソラ』アバターを他のゲームにコンバートさせる事になって―――」
「え、えぇぇ!?」
そう言った空人に、明日奈は驚きの声が漏らした。
忽ちに周りの客達が彼女達に視線を向ける。
バツが悪そうに明日奈は小さく会釈すると、再び空人に視線を向けた。
「コンバートって……空人さん、ALO辞めちゃうんですか?」
いいながら明日奈は寂しそうな表情を浮かべている。
それを見た空人は慌てて
「いや、辞めるわけじゃなくて……実は―――」
先程、菊岡に依頼された事を――――『死銃』に関する事柄は伏せて―――説明する。
「という訳で、コンバートするのは長くて数日だけだ。ちゃんとALOに戻ってくるよ」
それを聞いた明日奈は安心したように微笑む。
「そうですか……よかったぁ。でも……なんの為にリサーチなんてするんです?」
「すまない。それは今は話せないんだ。終わったらちゃんと説明するから、今は訊かないでくれると助かる」
「……ちょっと納得できませんけど、わかりました。でも、しばらく空人さんと一緒にALOをプレイ出来ないんですね……」
「ほんの数日だよ。終わったら、明日奈の気の済むだけ一緒にいる事にするから」
再び寂しそうな表情をする明日奈に、空人は言いながら微笑む。
「むぅ。空人さん、ズルイです。……約束ですよ?」
「あぁ」
空人が頷くと、明日奈も表情を綻ばせた。
そこで、彼女はふとある考えに行き着き、空人に
「そういえば、和人君も菊岡さんからの依頼を受けたんですよね? なら、和人君もコンバートするって事ですよね?」
そう尋ねた。
「あぁ、そうだよ」
「それ……木綿季は納得しないような……」
「キリトは一応説明はすると言ってはいたけど……」
「でも木綿季ですよ?」
「……確かに」
顔を見合わせて苦笑いする明日奈と空人。
そんな二人の会話は、ALO内にて的中する事になるのだった。
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ALO・イグドラシルシティ エギルの店
「ボクもいく」
「いや、あのな……」
自分をまっすぐと見据えて言ってくるインプの少女に、スプリガンの少年は冷や汗が止まらない。
「ボクもいく」
「だから……」
「行くったら行く!」
どうにか宥めようとするも、少女は主張を曲げようとしない。
少年はカウンターの中にいる店主のノームに助けを求める様に視線を送った。
褐色肌をした巨漢のノーム―――エギルはやれやれと肩を竦め
「俺にユウキちゃんの説得は無理だ。自分で何とか説得しな、キリト」
そう言って返す。
返ってきた言葉にスプリガン―――キリトは深々と溜息を吐いた。
目の前のインプ―――ユウキに事の顛末を話してから、かれこれ30分近くこのやりとりが続いていた。
他のゲームのリサーチの為に、今のALOのアバターをコンバートさせる。
流石に菊岡から依頼された詳しい内容を言う訳にもいかず、キリトは何とか苦しくないように理由を説明したのだが、ユウキは納得できずに自分もいくと主張しているのだ。
「キリト!聞いてるの?!大体キリトはいつもいつも―――」
「こら」
と、その時、ユウキの言葉を遮るように声がした。
直後、ユウキの頭に軽い衝撃が奔る。
どうやら頭を小突かれたようだ。
ユウキが頭を押さえて振り返ると
「もう。ダメでしょユウキ?キリト君を困らせたりしたら」
「アスナぁ……」
そこにはウンディーネの少女―――アスナが困ったような表情で立っていた。
隣には同じウンディーネの青年―――ソラがいる。
彼はキリトに視線を向けて
「案の定、揉めてるな」
苦笑いで問いかける。
キリトも苦笑いで
「まぁ……な」
頭を掻きながら返した。
「だってさぁ。アスナはいいの?ソラもコンバートするんでしょ?心配じゃないの??」
そんな二人の隣ではユウキがアスナに向かい問いかけている。
「そりゃ、私だって心配だよ?ソラさん意外と無茶するし」
ユウキの問いにアスナはそう返す。
ソラはバツが悪そうに視線をそらした。
「でも、終わったら全部説明してくれるって約束してくれたし、私はソラさんを信じてるから。ユウキはキリト君が信じられない?」
微笑みながらユウキに問い返すアスナ。
すると、ユウキは項垂れたように俯いて
「それは……信じてるけど……でも……」
ちらりとキリトに視線を向ける。
目には不安そうな色が見えていた。
キリトは軽く溜息を吐いて
「ユウキ。コンバートするって言っても、長くても数日の間だけで、用件が終わればちゃんとALOに帰ってくるつもりだ。終わったらちゃんと説明もするから、今回は待っててくれないか?」
ユウキの頭に手を置いて、優しく撫でながら言う。
当の彼女は未だに納得してはいないようだが―――
「……約束だよ。終わったら全部説明してね?」
キリトに視線を向けて言うユウキ。
彼は頷く。
「あぁ。この埋め合わせは必ずするよ」
「……じゃぁ、今度高難度クエストに付き合ってよね。もちろんキリトが前衛で」
「うぐっ……わ、わかった」
彼女の提案に、キリトは言葉を詰まらせながらも応えた。
その様子を、ウンディーネ2人とノームの店主は微笑ましそうに眺めていたのだった。
それから一週間後。
ガンゲイル・オンラインにログインする場所が用意出来たと連絡を受けた和人は、その指定された場所までやってきた。
指定された場所は千代田区にある大きな都立病院だ。
そこはかつて、SAOから帰還した和人が筋力回復の為に入院した病院である。
駐車場にバイクを停めて、リハビリの経過観察の為に何度も通った事を思い出しながら和人はエントランスを目指し歩を進める。
やがて、病院の入り口が見えてきて、そこには見慣れた人物が立っていた。
「よう、ソラ」
「時間ギリギリだな、キリト」
軽く挨拶してくる和人に、空人は苦笑いで返す。
「いいじゃないか。時間通りだ」
いいながら和人はエントランスへと入っていく。
空人はやれやれと肩を竦めた後、和人の後を追ってエントランスへと入っていった。
菊岡に指定されたのは、入院病棟の三階にある病室。
その扉の前に立ち、和人は軽くノックをしてからドアを引き開けた。
「おっす! 桐ヶ谷君、しばらくぶり!」
ドアが開いた瞬間、中に居た女性がそう言って2人に歩み寄ってくる。
彼女は和人がリハビリしている間お世話になった女性看護師だ。
名前は安岐といい、女性にしてはかなりの長身である。
「ど、どうも。ご無沙汰してます」
和人が挨拶を返した途端、安岐の両手が伸びてきて、彼の肩から二の腕、脇腹辺りをぎゅうぎゅうと握った。
「うわ!」
「おー。けっこう肉ついたねぇ。でもまだまだ足りないよ。ちゃんとご飯食べてる?」
「た、食べてます食べてます。というか、なんで安岐さんがここに……?」
「眼鏡のお役人さんから話は聞いてるよー。お役所の為に仮想ネットワーク? の調査するんだってね? それで、リハビリ中の桐ヶ谷君の担当だった私に是非モニターのチェックをしてほしいって言われて、今日はシフトから外れたんだ。とりあえず、またしばらくよろしくね。それと、隣の君は初めましてだね。安岐といいます。よろしく天賀井君」
「こ、こちらこそ……」
「よろしくお願いします」
順番に握手した後、和人は周りを見回して、ふと気になった事を尋ねた。
「眼鏡の役人は来てないんですか?」
「外せない会議があるとか言ってたよ。はい、伝言を預かってるよ」
そう答えながら安岐は茶封筒を差し出す。
受け取った和人は、開いて中に入っていた手書きの紙を引っ張り出した。
空人も覗き込むようにして、書かれた内容を読んでいく。
『報告書はメールでいつものアドレスに頼む。諸経費は任務終了後、報酬と併せて支払うので請求する事。追記―――美人看護師と一緒だからって2人とも若い衝動を暴走させないように(笑)』
読み終えると同時に和人はメモを封筒ごと握りつぶし、ライダージャケットのポケットへと放り込んだ。
隣の空人は何とも言えない表情をしている。
「あんの野郎……」
「なんというか……」
「? どしたの?」
微妙な様子の2人に訝しげな表情で安岐は尋ねてきた。
2人はなんでもないと強張った笑顔を向ける。
「……それじゃぁ、さっそくネットに接続しますんで……」
「あ、はいはい。準備出来てるよ」
案内されたジェルベッドの脇にはモニター機器が並び、ヘッドレストの上には真新しいアミュスフィアが置かれている。
「じゃ、2人とも服脱いで。電極張らないといけないから。あ、上だけでいいよ」
言われた和人と空人は身に着けている衣服を脱いでいく。
それぞれのベッドに横たわり、心電図モニター用の電極がぺたぺたと張られていった。
アミュスフィアにも心拍モニター機能があるのだが、万が一クラッキングによって機能を壊されるかもしれないと危惧した菊岡が用意させたようだ。
(一応、本気で僕達の安全を気に掛けてはいるのか……)
思考を巡らせる空人。
隣のベッドの和人も似たような考えなのか、微妙な表情をしている。
「よし、これでOK……っと」
モニター機器のチェックをした安岐が頷くと、和人達はアミュスフィアを手に取り、頭に被って電源を入れた。
「多分、五時間くらいは潜りっぱなしだと思いますが……」
「え……っと、行ってきます」
2人の言葉に安岐は頷き
「2人のカラダはしっかり見てるから、安心して行ってらっしゃい」
そう言って笑顔で応えた。
「……お願いします」
「あはは……」
苦笑いで言う和人と、乾いた笑いの空人。
2人が目を閉じると、同時に耳もとでスタンバイ完了の電子音が鳴る。
「「リンク・スタート!!」」
コマンドを唱えると、見慣れた白い放射光が視界を塗り潰し、彼らの意識を仮想世界へと導いた。
彼らにとって未知の――――――銃の世界へと。
銃の世界に降り立った少年と青年
妖精の世界での姿とさして変わらぬ青年に対し、少年は驚きの姿になっていた。
次回「レアアバター」