ソードアート・オンライン 黒と紫の軌跡   作:藤崎葵

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書けたのでアップします。

ヨツンヘイムのお話はキャリバー編の辺りで幕間として書こうと思ってます

では、ご覧くださいな


第三十三話 アルヴヘイムの真実

2025年 1月13日 アルヴヘイム中立域 央都アルン

 

「わぁ……」

 

目の前に広がる美しい風景にリーファは感嘆の声を洩らした。

古代遺跡めいた石造りの建築物が、縦横に何処までも連なっている。

黄色いかがり火や青い魔法光、桃色の鉱物燈が列をなして瞬く様は、まるで星屑のようだ。

その明りの下を行き交うプレイヤーは大小厚薄統一感がない。

妖精九種族が均等に入り混じっているのだ。

その様子にアスナとキリトもまた見入っている。

しばし煌びやかな夜景に見入ってから、ふと顔を真上に向けた。

濃紺の夜空を、枝葉の形にくっきりと切り取る影が確かに見えた。

 

「あれが……世界樹」

 

呟くキリト。

隣のアスナはキリトに視線を向けて

 

「間違いないね」

 

頷いた。

 

「ここが『アルン』だよ。アルヴヘイムの中心。世界最大の都市」

 

2人に視線を向けながらリーファが言う。

 

「ああ、ようやく着いたな」

 

頷くキリトの胸ポケットからユイが顔を出し、輝くような笑みを浮かべた。

 

「私、こんなに沢山の人がいる場所、初めてです!」

 

それはリーファとアスナも同じだった。

別に中立域や多種の領域に入る事がないわけではない。

しかし、領地を離れて自由に冒険を楽しむプレイヤーがこれほどいたとは、今まで2人は思っていなかった。

キリト達は高台のテラスの縁に座り込んだまま、しばし巨大都市の喧騒に体をひたし続けた。

しかしやがて、パイプオルガンのような重厚なサウンドが大音量で響き渡る。

続けて、ソフトな女性の声が空から降り注ぐ。

 

『お知らせします。本日午前四時から午後三時まで定期メンテナンスの為、サーバーがクローズされます。プレイヤーの皆さまは十分前までにログアウトをお願いします』

 

どうやら週に一度の定期メンテナンスのお知らせのようだ。

こんな時間までログインした事は今までなかったので、リーファとアスナは初めてこれを聞いた。

リーファは立ちあがって大きく背伸びをした。

 

「今日はここまでだね。一応宿屋でログアウトしようか」

 

「そうだねぇ。んん~~」

 

アスナも立ち上がり身体を伸ばす。

同じように立ち上がるキリト。

 

「あぁ・・・」

 

頷きながら世界樹に視線を向けた。

その表情は少々陰って見える。

それに気付いてアスナも世界樹に目を向けた。

2人の様子を見て、改めてキリトの目的を思い出すリーファ。

キリトがこの世界に来たのは世界樹に居る、『誰か』に会う事。

その誰かはアスナの知り合いの可能性もある為、キリトを手伝う為に同行している事。

 

(一体……どんな人なんだろう……?)

 

リーファは思考を巡らせるが、不意にキリトがいつもの表情に戻り

 

「さて、宿屋を探そうぜ。俺もう素寒貧(すかんぴん)だから、あんま豪華じゃない所がいいな」

 

そう言って来た。

リーファは呆れた表情で

 

「カッコつけてサクヤ達に全財産渡すからよ。宿代くらい取っときなさいよね!」

 

そう返した。

傍らのアスナも苦笑いだ。

リーファはキリトの胸ポケットに居るユイに

 

「パパはああ言ってるけど、近くに安い宿ある?」

 

そう尋ねてみる。

不思議な事に、ユイも小さな眉を寄せて世界樹を凝視していたようだったが、すぐに笑顔を浮かべて

 

「えっと……あっちに降りた所に激安のがあるみたいです!」

 

「げ、激安かぁ」

 

「この際、しょうがないね」

 

ユイの言葉にリーファは引き攣り笑いをし、アスナはそう頷く。

 

「んじゃ、行くか」

 

キリトはそう言って歩き出す。

その後をアスナが追った。

リーファも2人を追い、一歩踏み出そうとして、不意に上を見上げる。

視線の先には世界樹。

言いようのない小さな胸騒ぎを感じたが、気のせいだと断じ、リーファは2人の後を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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一方、鳥籠から脱出したユウキは、世界樹の枝の道を走っていた。

数分間走り続け、ようやく木の葉のカーテンの向こうに世界樹の本体が見えてきた。

木と幹の接合部分の上にぽっかりと木のうろのような穴が黒く口を開け、小路は奥へと続いている。

ユウキは走るのを止め、慎重に足音を殺しながら中へと入っていった。

そこには明らかな人工の扉があった。

ユウキは意を決してタッチパネルのようなプレートに指を触れさせた。

すると、扉は音をたててスライドし、開いていく。

人の気配がないかを確かめて、素早く内部に入るユウキ。

内部にはオフホワイトの直線的な通路が延びていた。

薄暗く、所々でオレンジ色の照明が無機質な壁面を照らしている。

一度深呼吸をしてユウキは歩き始めた。

しばらく歩いていくと、正面に再び扉が見えてくる。

パネルに触れると扉は音をたてて開いていく。

その先にはまた通路。

しかし、今度は直線ではなくゆるい円弧を描いて延びていた。

ユウキはとにかく歩を進めていく。

この内部の何処かに、ログアウトする為のコンソールがあると信じて。

そうして歩いていくと、ようやく壁面以外の物をユウキは目にした。

ライトグレーの壁に、ポスターのようなものが貼られていた。

ユウキは駆け寄ってそれを確認する。

どうやら内部の案内図のようだ。

それを見る限りでは、彼女が現在いるのはCフロアのようだった。

それ以外にも案内図には様々な施設が表示されている。

その中の一つを見て、ユウキは言いようのない悪寒が奔った。

目に入ったのは『実験体格納室』

それを見てユウキの脳裏にオベイロン――須郷の言葉がよぎる。

 

『脳の制御範囲を拡大する事で、思考、記憶、感情までも操作可能なのさ』

 

「実験体……」

 

呟いてユウキはしばし思案するが、すぐに身を翻して湾曲した通路を再び歩き始めた。

早足で数分進むと、やがて通路の左手、外周側の壁に飾り気のないスライドドアが現れた。

傍の壁面にプレートが据えられており、小さな下向きの三角印が浮き上がっている。

現実世界で言うエレベーターを発見したユウキは迷うことなくプレートに触れた。

ドアがスライドし、直方体の小部屋が出現する。

中に踏み込んで体を半回転させる。

目に入った操作盤をユウキは操作した。

一番下のボタンを押すとドアが閉まり、驚いた事に僅かな落下感覚が身体を包んだ。

数秒後、減速感を伴ったかと思うと、目の前の純白のドアに、直前まで存在しなかった裂け目が現れ、左右に開いた。

ユウキは一呼吸置いて一歩踏み出す。

眼前には上層と同じような味気ない通路が延びている。

それを歩いていくと、やがて大きな扉が見えてきた。

前に立つと、それは左右に開いていった。

奥から差し込んできた光に思わずユウキは眼を細める。

 

「!?」

 

内部を一目見た途端、ユウキは息を呑んだ。

途方もなく巨大な空間に、びっしりと、かつ整然と、短い柱のようなものが並んでいた。

視界に動く物がないかを確かめて、ユウキは内部に入っていく。

柱型オブジェクトは18本の列を成して配置されている。

この空間が正方形であるなら、それらはその二乗、ほぼ300もの数が存在する事になる。

ユウキは恐怖心を押し殺してその内の一つに近づいた。

彼女の胸の高さまで伸びている白い円柱。

その上面には僅かな間隔を空けて何かが浮いていた。

それはどう見ても――――人間の脳髄だった。

瞬間、ユウキは口元を押さえて一歩後ずさった。

周囲を見渡して

 

(苦しんでるっ……)

 

思考を巡らせた。

目の前にある脳は、周期的に光の筋が走り、それが消えたあたりでカラフルな火花を散らしていた。

次々と発するスパークは脳の悲鳴だとユウキは直感したのだ。

 

「これ全部……実験体ってこと……?」

 

言った直後に再び須郷の台詞が蘇ってくる。

 

「酷い……こんなの絶対に許せないっ」

 

ここで行われている事は明らかに非人道的だ。

人間の尊厳などお構いなしに蹂躙しているその様子は、ユウキに怒りを覚えさせた。

その時、ユウキの耳にドアが開く音が聞こえてきた。

反射的に円柱の陰に隠れる。

視界に入ったのはピンク色をした二体の奇怪なナメクジだ。

それらは一本の支柱に近づいて

 

「オッ、こいつまたスピカちゃんの夢見てるよ。B13と14フィールドがスケールアウト。16もかなりでてるねぇ……大興奮」

 

「偶然じゃないのか?まだ三回目だろ?」

 

「いや、感情誘導回路形成の結果だって。この頻度で現れるのは閾値を越えてるでしょ」

 

「うーん。とりあえず継続モニタリングサンプルに上げとくか」

 

キーキーと高い声を出しながら意見を交わすナメクジ達。

どうやらナメクジ達はここの研究員のようだ。

話している内容は人を完全に動物のように扱う内容だ。

倫理的な躊躇いを一切感じさせない態度に、ユウキは嫌悪感を覚えながらも気配を殺して周囲を見回す。

すると、視界に正方形の黒い石が浮いているのを見つけた。

それを見てユウキはかつてSAOで似たものを見た事を思い出す。

 

(あれは……あの時のに似てる……)

 

思考を巡らせて、ユウキはナメクジ達に視線を向ける。

ナメクジ達は未だ円柱に向かいあい、討論をしていた。

千載一遇のチャンスと確信し、ユウキは一気に駆け出した。

宙に浮く黒い立方体に向かい合い、そこに差し込まれていたカードキーをスライドさせた。

すると、目の前にメニューが表示され、ユウキはそれを確認していく。

やがて、転送と表示されたボタンを見つけ、それをタップすると『ログアウトしますか?』とメッセージが現れた。

 

「これだ……!」

 

口の中で小さく叫び、OKボタンに指を伸ばす。

これで現実へ、親友の、愛しい少年が待つ世界に帰れる。

そう思いながらユウキがOKボタンをタップしようとした、直後だった。

ピンク色の触手が彼女の腕に巻きついてそれを阻んだのだ。

それだけではない、数本の触手がユウキの両手、両足に巻きついてきた。

 

「……!!?」

 

洩れそうになる声を押し殺して、ユウキは強引にOKボタンに指を伸ばす。

しかし、触手は一気にユウキを引っ張り上げて彼女を宙づりにした。

視界には先程のナメクジが映る。

どうやら気付かれてしまったらしい。

右側のナメクジがもごもごと円い口を動かして、軋る声で言った。

 

「あんた誰? 何やってんの、こんなとこで」

 

ユウキは恐怖心を押さえてナメクジを睨み

 

「離してよ! ボクは須郷さんの友達だ。ここには見学に来てただけで、もう帰るところだよ!」

 

「へぇ? そんな話聞いてないなぁ。お前は?」

 

疑問符を浮かべて右側のナメクジに問いかける。

 

「なんも。つか、こんなとこ部外者に見せたらマズイっしょ?」

 

「あ、待てよ」

 

その時、左側のナメクジが思いついたようにユウキを見た。

丸い目玉がにゅっと伸びて覗き込んでいる。

 

「きみ、アレでしょ? 須郷ちゃんが鳥籠に囲ってるっていう」

 

「あーあー。そういやそんな話聞いたなぁ。撒餌とか言ってたっけか。なんにしてもズルイよねぇ、ボスばっかこんな可愛い娘をさぁ」

 

「くぅ……」

 

ユウキは肩越しにコンソールを振り返り、左足を伸ばしつま先でボタンを押そうとする。

しかし、新たに伸びてきた触手に絡めとられてそれもかなわなかった。

 

「ほらほら。暴れちゃ駄目だよ?」

 

「やめてっ! 離してよっ、このゲテモノ!!」

 

「酷いなぁ。これでも深部感覚へのマッピング中なんだぜ?」

 

ユウキは仮想世界特有の鈍い痛みに顔をしかめながら、必死に言葉を投げかける。

 

「君達は科学者なんでしょ……! こんな……非合法、非人道的な研究に手を貸して、恥ずかしくないの!? 良心が痛まないの!?」

 

「実験動物の脳を露出させて、電極挿すよりは人道的だと思うけどねぇ。こいつらは、夢見てるだけさ」

 

「そうそう。たまにはすっげぇ気持ちいい夢も見せてるんだ。あやかりたいもんだよ」

 

返ってくるのは寒気を感じさせる言葉だ。

この連中は、今のナメクジの姿こそが真の姿ではないかとユウキは思う。

 

「狂ってる……」

 

怒りの籠ったユウキの言葉にも、ナメクジ達は気に留めない様子で相談を交わしている。

 

「ボスは出張中なんでしょ? お前、向こうに戻って聞いてきなよ」

 

「しょうがねぇなぁ。行ってる間に一人で楽しむなよ?」

 

「わかったわかった。早く行きなって」

 

ナメクジの片割れはメニューを出すと、ログアウトボタンを押す。

途端にその姿は消えていった。

残ったのはユウキと、彼女を拘束しているナメクジだけだ。

ユウキは身体を滅茶苦茶に振り動かし、触手を振り払おうとする。

 

「離して! 離してよ! ボクをここから出せぇ!!」

 

絶叫するも触手が緩む事はない。

 

「だめだよぉー、ボスに殺されちゃうって。それよりさぁ、一緒に電子ドラッグプレイしない? 人形相手はもう飽き飽きでさぁ」

 

言葉と同時に冷たい触手がユウキの頬を撫でる。

 

「やっ……やだ! 触んないで!」

 

必死に抗うも、触手はユウキの腕や脚を這い回っていく。

白い素肌を撫でまわし、ついには彼女のワンピースの中にまで侵入を開始した。

全身を弄られる不快な感覚に耐えながら、ユウキは身体の力を抜き、抵抗する気力を失ったように装う。

ユウキの様子を見て、調子に乗ったナメクジは触手の一本を彼女の口元に近づけた。

それが唇に触れた瞬間、ユウキは思い切り触手に噛みついた。

 

「んぎゃ! いたたたたたたた!!!」

 

悲鳴を上げるナメクジに構うことなく、ユウキは歯を食い込ませていった。

 

「や、やめっ! わかった! わかったからぁ!!」

 

服に潜り込んでいた触手が離れていったのをユウキは確認し、触手を離す。

痛めつけられた触手が引っ込んでいき

 

「いてて、ペインアブソーバー切ってたの忘れてたよ……」

 

眼柄を引っ込めて呻いていると、効果音と共に片割れのナメクジが現れた。

 

「……? お前何やってんの?」

 

「なんでもないっす。それよりボスはなんて?」

 

「怒り狂ってたよ。すぐに鳥籠に戻して、パス変えて24時間監視しとけってさ」

 

「ちぇ、折角楽しめると思ったのになぁ」

 

千載一遇のチャンスを逃した事に、ユウキは目の前が真っ暗になっていく感覚に見舞われた。

 

「せめて、テレポートじゃなくて歩いて戻ろうよ。もう少し感触を楽しみたいし」

 

「好きだねぇ、お前も」

 

言いながらナメクジ達が扉の方に身体を向けた。

二体の視線が外れた瞬間、ユウキは素早く右足を伸ばした。

コンソールのスリットに差されたままのカードキーを、指先で挟んで抜き取る。

同時にウインドウが消滅したが、ナメクジ達はそれに気付きはしなかったようだ。

体を反らしてつま先のカードを、身体の後ろで拘束されている手の中に移動させる。

 

「ほらほら暴れちゃ駄目だよぉ」

 

ナメクジは改めてユウキの身体を持ち上げると、出口を目指して移動を開始した。

時間をかけてやってきた鳥籠の中に、ユウキは再び入れられた。

ガシャンと大きな音と共に扉が閉まる。

ナメクジは触手でパネルを操作して、扉の開閉パスワードを変えた。

 

「じゃあね―。機会があったらまた遊ぼうねぇ―」

 

触手を振ってユウキに言うが、彼女は振り返らない。

ナメクジ達は身を翻し、枝の上を遠ざかっていった。

鳥籠の端まで歩いていき、眼前に広がる空を視界に入れて、ユウキは呟く。

 

「キリト―――ボク、負けないよ。絶対に諦めない。必ずここから脱出してみせるよ」

 

そう言って手の中にある、銀色のカードキーに視線を向けた。

ユウキはベッドに歩み寄り、枕の下にカードキーを挟み込む。

そのまま横になって眼を閉じると、疲れ果てた頭を、眠りのベールがゆっくりと包み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2025年1月13日 所沢市総合病院

 

桐ヶ谷和人と妹の直葉はここ、所沢市の総合病院を訪れていた。

目的は木綿季のお見舞いだ。

本来なら和人一人で来る予定だったが、直葉も来たいという事で一緒に来たのである。

受付でゲスト用のカードキーを受け取って2人はエレベーターに乗る。

最上階に到達し、目的の病室に訪れる。

「ここ……?」

「あぁ……」

和人は頷いて、カードキーをスリットに差し込んだ。

直葉はその隣の金属プレートを見つめて

「紺野木綿季……さん。キャラネーム、本名だったんだね。あんまいないよね? そういう人」

呟いた。

和人は意外そうに直葉を見て

「へぇ……詳しいな。俺が知る限り、SAOでは木綿季くらいだったな、本名なのは……」

言いながらカードを滑らせると、電子音と共に扉が開く。

途端に、濃密な花の香りが流れ出してきた。

自然と呼吸を殺しながら、静謐な眠り姫の寝室へと2人は歩を進めた。

純白のカーテンに手を掛けて、そっと引き開ける。

ベッドで眠る少女を目にした瞬間、直葉は思わず見入ってしまった。

静かに眠るその姿は本当に人間なのかと疑問に思うほど、儚げで美しく見えたからだ。

まるで世界樹の上にだけ存在するといわれる『アルフ』なのではないかと思わせるほどに……

隣の和人もしばらく無言でいたが、やがて口を開く。

「紹介するよ。彼女がユウキ……俺のパートナーで『絶剣』のユウキだ。剣の速さは最後まで敵わなかったな……」

そこで一旦区切り、木綿季に視線を落として続けた。

「ユウキ。俺の妹の直葉だよ」

直葉は一歩踏み出て、恐る恐る声を掛けた。

「はじめまして、ユウキさん」

もちろん返事は返ってはこない。

ユウキを拘束する、頭部の濃紺なヘッドギアに直葉は視線を向けた。

かつて彼女も毎日のように目にし、憎悪した『ナーヴギア』だ。

前縁部の三つのインジケータランプだけが、少女――ユウキの意識の存在を示している。

和人がSAOに囚われていた二年の間、直葉が抱き続けた深い痛みと同じものを、今、和人も感じているのだろう。

そう思うと直葉の心が水面の木の葉のように揺れる。

一刻も早く現実へ、和人のもとへ帰還し、心からの笑顔を取り戻させてほしいと、そう思う直葉。

それと同時に、今隣に居る和人を見たくはないと思った。

(来ない方が……よかったかな)

思考を巡らせて直葉は目を伏せた。

彼女がここに来たいと思ったのは、今日こそ自分の気持ちを確かめる為だ。

母に真実に告げられて以来、二年間の後悔と絶望の日々の中で、直葉の中に生まれた疼き。

それは兄である和人への親愛なのか、それとも従兄としての恋慕なのか。

(私……自分の気持ちがわからない……私はお兄ちゃんと仲の良い兄妹でいたいの?……それとも……)

そこまで考えて直葉は顔を上げる。

邪魔にならないようにと出ていこうと、そう告げようとした時だった。

和人が不意に動き出し、近くにあった椅子に腰かけた。

純白のシーツからのぞくユウキの華奢な手を両手で包みこむと、無言のまま彼女を見つめる。

和人のその表情を見て

「……っ!」

直葉は自分の胸の奥に、鋭い痛みが貫いたのを自覚した。

視界にはいった彼の表情は、何年――――いや、前世から今生、そして来世へと何度も生まれ変わりながら運命の相手を探し求めるような表情だ。

優しく、穏やかな瞳の奥に、狂おしい程の慕情を感じ取れる。

その瞬間、直葉は自分が求めている答えを知り、それが決して手の届かないものだと悟った。

 

 

 

 

 

 

 

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目を開けば、ログアウトする為に泊った宿屋の天井が視界に映る。

リーファは上体を起こしてベッドの端に腰掛ける。

街の喧騒、空気の匂い、自分の肌の色さえも変わっていたが、心の奥に突き刺さった痛みは変わっていなかった。

俯いたまま、目尻に涙が浮かんでくる。

数十秒後、効果音と共に新たな人影が出現した。

リーファがゆっくりと顔を上げると視界には黒衣の少年――キリトがそこに居た。

「どうしたの……リーファ?」

その穏やかな笑みは、何処か和人に似ていた。

そう感じた瞬間、溜まってた涙は零れていく。

どうにか微笑を浮かべながら

「キリト君……私……私ね……失恋しちゃった」

そう告げた。

キリトは真直ぐにリーファを見ている。

「ご……ごめんね、会ったばかりの人にこんな事言っちゃって。ルール違反だよね、リアルの問題をこっちに持ち込むのは……」

笑みの形を保ちながら、リーファは早口に言う。

しかし、涙は止め処なく溢れてくる。

そんな彼女の頭に、キリトが手を乗せた。

いたわるように優しく撫でながら

「向こうでもこっちでも、泣きたいときは泣けばいいさ。ゲームだから感情を出しちゃいけないなんてルールはないよ」

微笑んで告げるキリト。

その瞬間、リーファは我慢の限界が来てしまった。

キリトにしがみつき、彼の胸に顔を埋めて

 

―――――私はお兄ちゃんが好き。

 

 

 

 

―――――でも、この気持ちは口にしちゃいけない。

 

 

 

 

 

―――――胸のずっと深い所に埋めなきゃいけない。

 

 

 

 

―――――いつか、忘れられるように。

 

 

 

心の中で呟きながら――――彼女は泣いた。

 

 

一頻り泣いて、リーファは落ち着きを取り戻し、顔を上げてキリトを見る。

目尻に残った涙を拭い

「……もう大丈夫。ありがとう、キリト君。優しいね、キミ」

いつもと同じ笑顔を浮かべて告げる。

キリトは照れたように頬を掻いて

「そ、そうかな? その反対の事はよく言われるけど―――今日は落ちる?」

「ううん。ここまできたら最後まで付き合うよ」

言いながら勢いよくベッドからリーファは立ち上がる。

その直後、効果音と共にまた人影が現れる。

今度はウンディーネの少女――アスナだ。

「お待たせ」

「こっちも今来たとこですよ」

言いながらアスナに笑顔を向けるリーファ。

それを見たアスナは

「……リーファちゃん。何かあったの?」

そう問いかけた。

「ふぇ? 何にもないですよぉ。ね、キリト君」

「あぁ……」

返ってきた答えにアスナは少し納得いかない表情をするも

「そう……」

頷いた。

「―――さ、2人とも行こう」

リーファは手を差し伸べる。

キリトも立ち上がり

「ユイ、行くぞ?」

自身の胸ポケットに向かい声をかける。

すると、そこから小妖精――ユイが欠伸をしながら飛び出してきた。

「ふぁ~~~~~。おはようございます。パパ、リーファさん、アスナさん」

目元を擦りながらそう言い、キリトの肩に乗るユイ。

そんな彼女を見ながら

「おはよう、ユイちゃん。―――あのね、昨日から気になってたんだけど……その、ナビゲーション・ピクシーも眠るの?」

挨拶ついでに、ふと思った事を聞いてみた。

「まさか、そんな事ないですよ―。でも、パパがいない間は入力経路を遮断して蓄積データの整理や検証をしてますから、人間の睡眠に近い行為といってもいいかもしれません」

「でも、欠伸してたよね?」

アスナも気になったのか、問いかける。

「人間って起動シークエンス中にああいう事するじゃないですか。パパなんて平均8秒くらい……」

「妙な事を言わんでよろしい」

ユイの頭を人差し指でこつんとキリトは小突く。

その様子にリーファとアスナは笑みが零れた。

キリトはウインドウを広げて黒の大剣を背中に背負う。

「さぁ、いこうか」

キリトの言葉に2人は頷いて、三人は宿を出てアルンの市街地を目指した。

現実世界では平日の午後三時だが、週一のメンテナンスが終了したとあって行き交うプレイヤーは多い。

仲睦まじく会話するサラマンダーの少女とウンディーネの青年や、巨大な狼を従えたケットシーなどが通り過ぎていく。

街並みもプレイヤーも一色だったスイルベーンと、似ても似つかぬ雑多な光景だが心が浮き立つような活気が見てとれた。

そんな街中をキリト達は気安い会話を交わしながら歩いていく。

やがて、大きな彼らの視界に大きな樹の姿が映った。

天高く聳え、幾重にも枝葉を伸ばしている。

「あれが……世界樹」

その存在感にキリトは感嘆の声を洩らした。

「あの樹の上にも街があって、そこには妖精王オベイロンがいるって言われてるわ」

「最初に謁見した種族だけが、高位種の『アルフ』に転生出来る……って事なんだよね」

「……樹の周囲からは登れないのか?」

視線を世界樹に向けたままキリトは問う。

「幹の周囲は進入禁止になってるから、木登りは無理だね」

アスナが首を横に振って答えた。

「それに、飛んで行こうとしても、上にいけないうちに、翅に限界が来るらしいよ」

補足するようにリーファがそう言った。

「何人も肩車して、限界突破したやつらがいたって話を聞いたんだけど」

「あぁ、アレね。実はその事があってからGMもかなり慌てたみたいなの。雲のすぐ上に障壁があるらしいわ」

キリトの言葉にアスナが苦笑いで答える。

「そうか……とりあえず、根元まで行ってみるか」

「ん、りょーかい」

「そうだね」

そう言って歩き出すキリトの後をリーファ達は頷いて追っていく。

しばらく歩いていくと、大きな石段とその上に口を開けるゲートが見えてきた。

それを潜れば、いよいよアルンの中央市街だ。

荘重な空気に打たれながら階段を登り、門をくぐろうとした―――その時だった。

キリトの胸ポケットからユイが勢いよく顔を出す。

その表情はいつになく真剣で、空を食い入るように見ている。

その姿にキリト達は疑問符を浮かべていたが

「ママ……ママがいます」

「なっ……!」

今度はキリトが顔を強張らせた。

アスナも動揺している。

「本当か!」

「間違いありません!このプレイヤーIDはママのものです。……座標はまっすぐこの上空です!!」

それを聞いた瞬間、キリトは翅を展開する。

「キ、キリト君!?」

「まってっ……」

2人が制止するのも聞かず、勢いよく天へと飛びあがっていった。

 




開かれる扉

迫りくる守護騎士

愛する少女を取り戻すため、少年は刃を振るう


次回「グランドクエスト」

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