沈黙は金では無い。    作:ありっさ

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28.エクスプロージョン・マイハウス

 

『クリード君。先日私が貴方に言った事をちゃんと覚えていますか?』

 

『…ええ、それで合っていますよ。覚えているなら宜しい。くれぐれも試験に夢中になって貴方がやるべき事を失念してしまわぬ様に。 

 

それに加えてもう一つだけ。今から私の言う事を、良く覚えておきなさい。 良いですか? 一度しか言いませんよ?』

 

『――そうです。私達や、星の使徒のメンバーの様な存在がこの世界に存在しているという事が、既に有り得てはいけない事なのですから…』

 

『私が今列挙した人名は、いずれ必ずこの世界を廻す鍵となる人物達なのです。 それが良い意味でも、悪い意味でも』

 

『絶対に殺す、もしくは再起不能になる様な傷を負わせてはなりません。 ―――ええ、例え貴方やサキ、私の身にどんな事が起きたとしてもです』

 

『えっ? 三年前にノストラード組のボスを殺して組織を乗っ取る様に指令を出したのは誰だったかですって? ………。 あー! あー! 何だか急にスイーツが食べたくなって来ました!! これはいけません、一刻も早く食べないと糖分欠乏症で死んでしまいます。 …という訳でクリード君、後は任せました! 試験頑張る様に!! サキの事をキチンと守護る(まも)事!! では…アデュー!!』

 

 

 

 

 四次試験の終了間際。 一体何が起こったのか全く訳が分からないままに不合格の判定を頂戴し、無人の砂浜にたった一人で置いてけぼりにされてから既に丸一日が経過していた。 

 正しく理不尽と不可解の極みだった。今現在に至るまで、帰路を辿りながら何度も振り返ってみたものの、未だ納得の行く答えは未だに得られていない。試験中に接触した人間と状況証拠からして、限りなくクロに近くて怪しいのは変態☆奇術師ことヒソカ氏、時点でイルミだろう。 

 だがしかし、彼らの何方かがやったのだとしても、()()を明確に提示できる証拠など僕は持ち合わせていなかった。

 まあ、剰え証拠が有ったとしても自分からあの変態’sに話しかけに行く気は毛頭ない。もう変態成分は胃もたれを通り越して潰瘍になる程たっぷり味わったので結構です。

 

 修業時代なら兎も角、残念ながら今の僕には立場が有る。やらなければならない事が山積みになっている今、何時までも変態に構っている暇は無いし、失意に沈んでいる悠長な時間なんて優しい物も存在しない。 

 元々試験はサキ君の付き添いで受けた様な物だし、要は彼女さえ無事に合格すれば問題無い話だろう。きっとそうだ。 …受かるよね?  

 

 という訳で、僕は星の使徒の本拠地及び自宅が在る某国の田舎町まで、色々な意味で鉛の様に重い足を引き摺る様にして一直線に戻って来ていた。繁華街を通り過ぎて暫く道なりに歩いた先に見えるあの赤い屋根こそ、かつて天空闘技場でヒソカさんに怯えながら稼いだ金の大半を注ぎ込んで建てた庭付き一戸建ての我が家だ。

 

 師匠から引き継いだ秘密組織【星の使徒】

 その運営資金に大半を注ぎこんだ残りの賞金、〇千万ジェニー。 後生大事に持っていても何れ師匠に勝手に使われるのは想像に難くない。ならば使われる前にとっとと使い切ってしまえ、とこっそりひっそり購入した我が家…の筈なのだが、恐らく今は某干物お姉さんの私物や洗い物etc…が山盛りに積み上がってゴミ屋敷と化しているのだろう。

 

 とっくの昔に気が付いていた事だが、この世界には神も仏も居やしないらしい。全く以て世知辛い事この上ないです。

 

 本当、家事や雑務の諸々全てを僕に投げっぱなすなら、せめて掃除くらいはやってくれたら良いのに。そう思いかけて僕はぶんぶんと首を振る。 

 駄目だ駄目だ、あの人は剣と戦闘以外の事をやらせると絶望的に不器用な人だった。  庭の草むしりにクライストを持ち出そうとした師匠の素敵な笑顔を思い出してしまい、タダでさえ憂鬱な気分が更に加速する。 

 “剣気を飛ばして雑草ごと土を掘り起こそうと思ったのです。 ついでに魔〇剣の練習も出来て一石二鳥じゃないですか”とか何とか、一ミリも意味の分からない言い訳をしていたあの時の師匠。…大体魔人〇って何ですか、魔物みたいな人が使う剣術って意味なら文字通りで正しいのだろうけれど。 

 

 理解不能な奇行と唐突に吹っ掛けられる無理難題に慣れて来た最近でも、瞑想しているのかと思いきや、“アセリア”がどうとか“ダオスを倒す(だおす)”とかブツブツ独り言を呟いているのをよく見かけるし。

 本当に大丈夫なのだろうかあの人、もとい魔人師匠。クライストの振りすぎで脳味噌まで筋肉に染まっていやしないか? 

 

 色々と溜まった鬱憤を少しでも外へ吐き出そうとして、じっとりと広がった曇天に向けてほうと溜息を吐いてみた。寒気に冷えた身体がぶるりと身震いを起こし、吐息が白く煙って溶けて行く。陽が落ち始めてから一気に気温が下がった様な気がする。 …この寒さだと今夜辺りに雪が降るかもしれないな。 

 

 行き交う人の波に逆らいながらぼんやりと歩く僕。すれ違う人達が時折此方に向けて来る視線に哀れみの感情が混じっている様に感じるのは、きっと気のせいでは無い。 

 

 ええ、ええ。こう見えても苦労しているんですよ、歳の割には。

 

 胸の内に蔓延るもやもやは消えない。現実逃避代わりの思考も止まらない。それでもやらなければならない。

 世界を壊すのに必要な三つの“鍵”の内、既に二つが彼の元に有る事が判明している。師匠曰く、もう一つは最高レベルで安全な場所で厳重に保管されているらしい。

 だが、だといって何もせずにいて良い訳が無い。この期に及んで彼が最後の鍵を揃えるのを諦めるとも思えないし。

 

 こんな、理不尽と不合理が蔓延っている世界でも、僕は結構気に入ってたりするんだ。 

 だから守ってみせる。例え誰にもそれを認知して貰えないのだとしても。誰一人として理解してくれないのだとしても。 

 万が一が起こってしまった時、『僕達』がやらなければ本当の意味でこの世界が地獄と化してしまうだろうから。

 

 我が家が目視できる位置に入った所で立ち止まり、頬を一度叩いて気を引き締める。試験は不本意な結果に終わってしまったが、寧ろここからが本番だとも言えるだろう。

 

 《絶対に、この世界の運命の流れを変えてはいけません。そして、変えさせてはいけないのです…!》

 

 何時になく真面目な顔をした、あの時の師匠の言葉が脳内をリフレインしていた。 

 僕はてっきり『彼』の事を言っているのだとばかり思っていたが、師匠の口ぶりからするとまだ他にも同じ事を考えている存在が居るのかもしれない。それこそ、僕達の様なイレギュラーな存在が集まった集団が。 

 …まあ、変な所で心配性な師匠の事だから、無駄に深く捻って考えすぎているだけな気がするけれども。 

 

 そして今回、試験中に最優先で達成する様に念を押された任務について。 

 結局の所、今年のハンター試験受験者の中には星の使徒、もしくはクロノナンバーズ及び、【黒猫】の関係者と思わしき人物、転生者は見つからなかった。 

もしかしたら混じっていたのかもしれないが、受験者の殆どは一次試験でヒソカさんに味見と称した試験官ごっこ(退屈しのぎ)で一掃されてしまったからなぁ。 

 どんな仄暗い野望を抱いていたとしても、死んでしまったらお終いだ、その後も先も有りはしない。 

 

 

 死人は生き返らない、生き返ってはいけない。未知と不可思議が蔓延しているこの世界でも変わる事の無い絶対の法だ。

 

 ついでだ、関係が有る様でもしかしたら無いかもしれない話をもう一つだけ聞いて欲しい。

 

 師匠曰く、この世界は“ブラックキャット”の世界では無くて“ハンターハンター”という漫画の世界らしい。

 らしい、と前置きで述べたのは、十二歳でクリード・ディスケンスと思わしき人間の記憶が蘇ってから、三年前に勃発したサキ君に関連する一連の事件が終わるまでの間。それを全く疑いもしなかったからだ。何なら今でも半信半疑であるとも言える。

 この世界の齟齬に全く気が付かなかった僕は馬鹿だったのだろうか。 いや、馬鹿ではない(反語)。普通の人間はそんな考えを持つ所か、考えすらしないからだ。

 

 というか、だ。そもそもの話、『ハンターハンター』という漫画を僕は知らない。 他の星の使徒のメンバーに聞いてみても誰も知らないというのだから、本当に存在しているのか疑わしい物である。  

 もしかして、それって師匠の妄想なんじゃないですかね? それをうっかり口に出したら最後、修行と冠した拷問紛いの折檻を受ける事は確実なので、絶対に本人の目の前で言う事は無いけれども、僕は内心でそう考えている。

 

 万が一、『それ』が真実だとするならば。僕達は漫画の世界に違う漫画のキャラクターとして生まれて、そのキャラクターの武器を手に、こうして生きている事になる。この如何ともし難い矛盾を、師匠はどう説明するというのだろうか。

 

 そこまで考えた所で、僕は一つ大きな失敗をしていた事に気が付いた。

 クリードさん(本人)に聞いてみれば良かったじゃないか。折角(夢の中とはいっても)会う機会が有ったのに、戦ってやられてハイお終いとは。あの時の僕は戦闘直後だったり、イルミに絡まれたりして頭に血が上っていたとはいえ、色々と勿体ない事をした様な…。

 

 いやもう全く、辻褄が合わない事だらけで嫌になる。試験は落ちるし、やたらに寒いし周囲の皆さんの視線は痛いし、ヒソカさんはブレずに変態☆奇術師だったし、師匠は相も変わらず師匠だし寒いし。 

 

 …筋肉モリモリマッチョウーメンなお婆さんが後ろから尾行して来ているし。

 

 曲がり角を利用してカーブミラーで姿を確認する。大変に失礼だが、どう見ても、明らかに堅気には見えない。

 「オアッッ!!」とか叫びながら服を気合だけで引き千切りそうな気配がムンムン漂っていらっしゃられる謎のお婆さん。一体、僕が彼女?に何をしたというのだろうか。謂れの無い理不尽がまた一つ増えてしまった。

 何かもう、尾行っていうか普通に僕の後ろ数メートルの距離を維持したまま、ピッタリくっ付いて歩いて来ているんですけれど…。 

 

 ああ…成程、行き交う人達が僕に向けていた意味ありげな視線の理由はそういう事だったのか。

 

 一つ納得が行った所で、この意味不明な状況が変わる訳では無かった。

 この後の事、後ろから付いて来る明らかに堅気じゃない方の事。対応策を考えてはみるものの、碌な案が浮かんで来ない。

 そうこうしている内にいつの間にやら自宅前へ到着してしまった。 

 門の真横にデカデカと張り付けられた表札には、師匠の直筆で《ホシノ・アークス》と記されている。 …我が家とは何だったのか。(一回目)

 

 

 はてさて、これからどう動いて行こう。 一先ず師匠に試験と任務の報告を済ませて、それから大掃除か。それが終わったら携帯を修理に出して、星の使徒のメンバーと連絡を取って。 

 ああ、ノストラード組(仮)に派遣している三人とも現状の確認と今後の動きの打ち合わせをしておかなくてはいけないか。 一週間以上も放置していたからさぞかし面倒な案件が溜まっている事だろう。後ろのお婆さんは…どうせ喰っちゃ寝三昧で暇を持て余しているだろう師匠に押し付けよう、そうしよう。確か、太ったとかダイエットしたいとかメールに書いて有ったし一石二鳥じゃないか。

 

 そこそこの良案が浮かんだ所でいざ動かん。 …良し、行くか(逝くか)。 

 頭の中でこれからどう動くかをもう一度シミュレーションし、家の惨状を直視する覚悟を決めてインターホンを鳴らす。 

 頼む、リン君かエキドナ君が応対してくれ!! 師匠の場合、機嫌の如何によっては最悪中に入れて貰えないかもしれないからな。 …我が家とは何だったのか。(二回目)

 

「…クリード・ディスケンスです。只今試験より帰還しました」

 

『あっ、父様だ! お帰りなさい!!』

 

 良くてリン君、最悪で師匠。そんな僕の予想を大きく裏切って、インターホンの向こうから聞こえて来たのは声変わり前特有の甲高い子供の声だった。 

 …えっ、ちょっと待って待って。 子供? 父様? WHY? 星の使徒のメンバーにそんな年の若い子は居ない筈だが。一番若いサキ君でも18歳なのに、そんな馬鹿な。

  

 まさか、家を間違えたのか? でも今、僕の事を父様って呼んでいたような。 

 慌てて門まで駆け戻って表札を再度確認するも、やはりこの無駄に達筆な表札は師匠の字で間違い無い。

 

 早速勃発した予想外の事態。訳が分からず頭を捻っている内に玄関の施錠が解除され、奥から赤いスリッパを履いた見知らぬ子供がとてとてと()()()()()()駆け寄って来る。 

 黒い髪に真っ直ぐ切り揃えたおかっぱ、切れ長の瞳。身に纏っている黒を基調としたこの独特の服は確か…ジャポンの伝統衣装、“ワフク”だったか? 偶に師匠が真面目モードの時に着用しているのを見た事は有るけれど、この位の歳の子供が着ているのを見たのは初めてだった。

 

「父様? どうかなさいましたか?」

 

 こてん、と可愛らしく小首を傾げた謎の子供。 

 今、この子は確かに“父様”と僕の事を呼んだよね? やっぱり、愉快な気の所為では無かったらしいですよ。

 

「…た、ただいま?」

 

「何故? なのか分からないですけれど、お帰りなさい父様。 ハンター試験お疲れさまでした。 母様も帰って来るのを心待ちにしていましたよ?」

 

「え、ええと、母様って一体誰なのかなー? あー…、もしかしてだが。ししょ…セフィリア・アークスという名前の人だったりするかい?」

 

「…父様、それは酷いです。 まさか、母様の事をお忘れになったのですか? 例え冗談でも言って良い事と悪い事が有ります!」

 

 上目使い+ジト目で僕を睨んで来る謎の子供。この一連の動作に擬音を付けるなら、“ぷんぷん!”という感じだろうか。

 予想外の事態の連続攻撃に硬直してしまい、反応を返せない僕をじれったく思ったのかは不明だが、上記のコンボに追加して頬を膨らませながら可愛らしく怒るその頭を優しく撫でて、よっこらせいと抱き上げる。

 

 その華奢な身体を持ち上げた瞬間、流石の僕も困惑…もとい、ドン引きせざるを得なかった。

 

 うわあ…やばいよ、やばいですよこの子。身体から香って来る血の匂いが尋常では無い。流石にあのヒソカさんやイルミと比べるのは酷だが、それでも無視できない濃厚さで臭って来るんですけれど…。

 染み付いた血の臭いといい、さりげなく最速で関節を取れる様な抱き着き方といい、絶対カタギじゃないよねこの子。 

 …そういえば、動作の一挙動や歩く時に物音を立てないって、つい最近何処かで何度も見かけた光景の様な...。 

 

 ……あっ。そこまで考えて、僕は察した。

 

 謎の子供(恐らくはZさんのお家の息子、その内の長男と三男を除いた中の誰かだろう)を両腕の中に抱えたまま、僕は玄関を抜けてフローリングへ向かう。 

 

 余談だが、こういう時に【円】を使うのはお勧めしない。ゴキ〇リやネ〇ミ何かも纏めて察知してしまうから。本当にどうでも良い話である。 

 

(頼む、頼むぞ! 少しでも想定より少ないゴミ山で在ってくれッ!! 3、2、1、いざ!!)

 

 弾みを付けて勢い良くフローリングを覗き込む。 

… …パッと見た限りでは、想定していたより遥かに家の中は散らかっていなかった。生ごみその他が無造作に詰め込まれたポリ袋も考えていた数よりはかなり少ない。 

 この(Zさん家の)子供が片付けてくれたのか、はたまた師匠が漸く自重という言葉を覚えて下さったのか。

 

 だが、全く以て甘いと言わざるを得ない。この程度の偽装では、長年一人で家事仕事をこなして来た僕の眼は誤魔化せない。 

 よくよく観察してみれば、違和感をそこかしこから感じられる。ギチギチに膨らんだクローゼット、芳香剤の臭いに紛れて仄かに臭って来る生ごみと思わしき腐臭。 

 

 成程成程、随分と雑にお隠しになられた様ですねえ、師匠。

 

「あら、お帰りなさい貴方。 そろそろ帰って来る頃かと思って、油を煮込んでいた所でしたの。直ぐにお召し上がりになられます? 丁度良い感じに煮えていますわ」

 

 フローリングの奥、台所からエプロン姿の師匠が鉄鍋を両手に抱えて顔を覗かせる。 

 

 貴方…、父様…、このわざとらしい演技…。 成程、全ての合点が行った。全部あなたの所為ですか、そうですか。

 

「…ええ、不肖クリード・ディスケンス、只今ハンター試験より帰還しました。 それより師匠…いや、セフィリア・アークス。 そこに座りなさい」

 

「―――あら、少し見ない内に大層な口を利く様になりましたねぇクリード君。 一体誰に向かって…」

 

「座れ」 「あっハイ」

 

「…あのー、ボクはどうすれば良いですか?」

 

「確か…カルト君、だったかな? もう()()はしなくて良いよ、大方この人に無理矢理命じられたんだろうけれども」

 

「…何だ、ボクの名前知っていたんだ。 まあ、そう言うなら遠慮なくそうさせてもらおうかな」

 

 僕の予想通り、彼は猫を被っていたのだろう。

 明らかに変化した雰囲気、そして口調と共にそれだけ言い放ったカルト君は座布団の上にちょこんと正座で座る師匠の膝…ではなく、

 

「…カルト君?」

 

 テーブルを挟んで対面に座った僕の膝の間に体育座りで収まってしまった。

 

「個人的にこの膝が気に入ったので座りました。 何か問題が?」

 

「いや、まあ…。 君がそれで良いなら構わないが」

 

 家に帰ってから此処までのやり取りの何処にカルト君が気に入る物が有ったのだろうか。心中で首を捻るが、全く合点が行く所は思い当たらなかった。単純にゾルディック家でこういう団欒染みた光景が珍しいだけなのかもしれないが。

 

「全く、クリード君と来たら相も変わらずの節操無しですねえ。男でも女でもロリッ娘でもショタでもお構いなしですか?」

 

「はぁ…。 師匠、これ以上有らぬ風評被害を撒き散らすのは止めて頂けませんか?」

 

 テーブルの上で無遠慮に手を組み、さもありなんと溜息を吐く師匠。

 ネットの海に拡散している僕や星の使徒に纏わる悪評の内、何割かは確実にこの人の所為であろう事は想像に難くなかった。その癖、この人の悪評は殆どヒットしないのだから世の中は随分と不公平に出来ている。

 そんな事よりどうしよう。鬱憤に任せて怒ってやろうと思っていたのに何だか変な流れになってしまったじゃないか。 ああ、カルト君可愛い(現実逃避)、

 

「今、何か失礼な事を考えていませんか? …まあ良いでしょう。何はともあれ、クリード君。長丁場の試験お疲れ様でした」

 

「それについてなのですが…。 申し訳ありません師匠、不覚を取りまして、四次試験で脱落という失態を犯してしまいました…!」

 

 カルト君を横にずらし、土下座する勢いで頭を下げた僕。 

 しかし、予想に反して師匠の声に怒りの感情は然程籠っていなかった。

 

「ああ、試験ですか。それについてはサキから大凡の経緯は聞いていますよ。 災難でしたね、クリード君」

 

「…? 師匠、怒っていないので?」

 

「え?」 「ん?」

 

「全く貴方は。 帰って来て開口一番に何を言うかと思えば。 ...勿論怒っていますよ? それこそ貴方を弟子にしてから一番の大激怒です。 

 でも…それと同時にこうも考えたのです。『私は、少しばかりクリード君に頼り過ぎたのかもしれない』と。

 

 今日は、そんな苦労続きの貴方の労を労おうと、頑張ってテンプラ油を用意したのです」

 

“飲んでくれますよね?” 

 

 師匠、恐らく貴女の中では最大限に可愛らしく小首を傾げた心算でしょうが、生憎僕には処刑宣告にしか見えませんでしたよ。 あーあ、カルト君がすっかり怯えて縮こまってしまって。僕が居ない間ずっとこうだったのだろうか、可哀想に。 

 

 …ん?

 

「…テンプラ油って言いました? テンプラではなくて?」

 

「クリード君、テンプラなんて難しい料理、私が作れる訳が無いでしょう、少しは頭を使いなさいな。 …全くもう、職務怠慢に加えて察しも悪くなってしまったのですか? 一度お医者様に診て貰った方が良いのでは?」

 

「えぇ……(何でそんな偉そうなんですか。…あっ、何時もの事か)」

 

 人を小馬鹿にした溜息と共に師匠が台所に消え、程なくして満面の笑みと共に鉄鍋を抱えて戻って来た。危なっかしい足取りで。

 

「クリード君、また失礼な事を考えましたね? ...はい、アツアツの出来立てですよ、冷めない内に召し上がれ♡」

 

 ドスン。 雑に置かれた鉄の鍋。立ち込める熱気とムッとする臭気に咽ながら、恐る恐る鍋の中身を覗き込む。 

 …うん、油だ。純度百パーセントのナタネ油ですね。笑えない冗談かと思ったら本気らしいですよ。

 

「…師匠、つかぬ事をお聞きしますが。 これを、一体どうしろと?」

 

「ん? どうするか? そんなモノは決まっているでしょうに。 飲むのですよ、一気飲みです。 本当に、全く貴方は…! ハンター試験如きに手古摺り、剰え不合格とは情けない限りです!!」

 

 それを飲んで少しはその緩み切った性根を叩きなおしなさい。

 

 人差し指をピンと突きつける師匠からは、これが決して冗談ではない雰囲気、そして有無を言わさぬ迫力が漲っていた。

 

「ああ、何かと思ったら『それ』ですか。イルミ兄様が偶に暇を持て余している時、掟を破った執事にやっている罰ゲームですね。 兄様曰く、一気飲みすればそこまできつく無いらしいですから。 ファイトです父様」

 

 横からひょいと覗き込んだカルト君がさも当然の様に役に立たない助言を授けて下さる。これが日常って…、そりゃあキルア君が家を飛び出す訳だ。

 

 

 

 

 鉄鍋と仁王立ちするセフィリア。偶にカルト。クリードの視線はその何れかを行き来し続けたまま、ふらふらと定まらない。

 焦れったくなったのか、セフィリアのお小言が再開した丁度その時だった。

 

「油が当たる個所を的確にオーラでガードするだけだと云うのに何をそんなに躊躇う事が有るのですか。 何時になっても手間の掛かる弟子ですねクリード君は。 師匠として本当に…ッ!? クリード君!!」 

 

「御意!!」

 

 瞬間にも満たない何百分の一の時間の狭間。 居合わせた人間を根こそぎ弛緩させる様な間抜けた空気を漂わせていた二人の雰囲気が、ゾルディックに勝るとも劣らぬ歴戦の猛者のそれへと瞬時に切り替わったのをカルトは目の当たりにした。

 何が、と声を出す間もなく猛烈な浮遊感と共に身体が宙を舞う。 クリードが自分を抱えたまま体当たりで壁をぶち抜き、外へ飛び降りていたのだ。

 

 自らの住居を破壊する事に一切の躊躇が無い、比類なき判断力と体捌き。(これ幸いと)クリードの両手から放り出された鉄鍋が熱油と共に宙を舞い飛び、その奥でセフィリアがフローリングのガラス戸をぶち破って外へ飛び出して行くのを急激に移り変わる視界の端で辛うじて捕えながら。

 カルトは依然として二人が豹変した理由と行動の意図を図りかねていた。

 

(一体()を、()が!?)

 

 当然に抱いた疑問の回答は、眼前数メートルで繰り広げられた暴虐を以て直ちに示された。 

 飛び出した二人が地面に降り立つより早く、超々低空から亜音速で突っ込んで来た小型の戦闘機が家の支柱を豪快に破壊しながら通り過ぎて行き、間を置かずに遥か天空より降り注いだ、眩い光を放つ数多の龍の矢。それが間断なく家と、その中に有る物全てを微塵に粉砕していったのだ。

 二人が外へ避難する事をほんの僅かでも躊躇っていたならばどうなっていたか。轟音を響かせながら崩れ落ちる、数瞬前まで家だったモノが分かり易く教えてくれていた。

 

(ボクは...対応はおろか、今の攻撃に気付く事すら出来ないレベルだっていうのか…!?)

 

 巻き上がる砂埃と共にカルトを抱えて庭へと降り立ったクリード。

 その目前で家、台所が有ったと思わしき場所から盛大に火柱が噴き上がった。

 

「…あっ、しまった。 そういえばコンロの火を点けたままでしたね、セフィリアさんうっかり☆」

 

 師匠、歳を考えて下さいよ。 砂埃の向こうでクリードが律儀にツッコミを入れるのとほぼ同時だった。爆音、そして爆発が周囲一帯を地震と錯覚させる程に轟き、揺らし、それが収まった時、ほんの先刻まで確かに家だった『モノ』は完全に人の住む事等到底出来ない廃墟へとその姿を一変させていた。 我が家とは何だったのか(三回目)。

 

(マイホ―――—――――――――ム!!!!)

 

 その瞬間、カルトは確かに聴いた。クリードの鉄面皮の内側で木霊した魂の絶叫を。

 

「カルト君、僕から少し離れていたまえ。 決して君を馬鹿にする訳では無いが、誰かをカバーしながら戦える様な生易しい相手では無さそうだ…!」

 

 爆炎の向こうから悠然と歩いて来る二つの人影。 

 身構えるクリードの前に現れたのは白髪の老人。そして髪を二つに分け、執事服を着こなした老婆の二人組だった。

 

「…ふむ。 久しいの、坊主」

 

「ええ、お久しぶりです大師匠。 …まさか、貴方がゾルディックだったとは知りませんでしたよ」

 

「…何じゃ、気付いておらんかったのか。 お主、儂を何と思っておった?」

 

「てっきり、師匠の師匠的な存在かと…」

 

「はぁ…呆れたヤツじゃの。 流石、セフィリアの弟子というだけは有るわ。弟子は師匠に似ると云う事か。 

 

―――まあ良いわ、特別に稽古を付けてやろうぞ。 …構えいクリード」

 

 零れた溜息。そして一瞬の間を置いて双方から放たれるは、空気を揺るがす甚大な殺気とオーラ。  

 

「ゼノ様、不覚を取りましたがまだ私は…!」

 

「いや、こやつ相手にその爛れた腕では厳しかろうて。 ツボネ。お主は隙を見て【失くし物】を探せ。 …“アレ”だけは必ず連れ帰らねばならん。 何としても、だ」

 

「…御意」

 

 一言だけを残し、瞬時に展開された【円】と共にツボネが飛び跳ねる様にして家の残骸へと向かって行く。

 

「ゼノ爺様、それにツボネ…!」

 

 世界でも上から数えた方が早い強者二人。そこから放たれる殺気の応酬に当てられてクリードの後ろで硬直する事しか出来なかったカルト。ここに来て辛うじて言葉を発する事が出来た。 …出来ただけに過ぎなかったが。

 

「…ふむ。お主では力量不足じゃ、下がっておれカルト。 儂個人としてはお主の出奔をどうこう言う心算は無いが、これが少しばかり面倒な事態に発展しおっての。 久々に依頼以外でのド突き合いに来た訳じゃな」

 

《まあ、お主が儂等に付いて来れるなら別に構わんがのう》

 

 震える姿を一瞥し、髭をしごきながらぼそりと呟いたゼノの姿が掻き消える。 

 それを追う様にクリードの姿も消え、次の瞬間、カルトの遥か後方で乾いた衝撃音が鳴り響いた。

 

「くっ……!」

 

 突きつけられた無力さと行き場の無い怒りに、固く握りしめられた拳がぶるぶると震える。少年の鉾は何処へ向かうのだろうか? 今はまだ、誰にも解らない。

 

 

 

 絶え間なく続いている小規模な爆発によって舞い上がり続ける砂埃。

 クリード達に合流しようと動きかけたセフィリアの前に現れたのは、厳粛な雰囲気を身に纏った偉丈夫だった。

 

「―――おやおや、御当主殿のお出ましですか。 残念ですがカルト君は当分此方で預からせて頂きますので。 此処は一つ、穏便にお引き取り願えないでしょうか?」

 

「…つい先程の事だ。執事から連絡が有った。 俺達が此処へ向かっている隙を突かれて【アレ】を強奪されたとな。 ―――言え、何処に隠した」

 

「【アレ】...とは? ……まさか!!」

 

 思わず表情を変えてしまったセフィリアを一瞥し、シルバが一歩、悠然と歩を進める。

 

「どうやら心当たりが有る様だな。 カルトだけならお前に任せるのも一つの手だと考えていたが、【アレ】はゾルディックの極秘だ。 …必ず返して貰うぞ」

 

「馬鹿な…ッ、私は知りません! それについては完全に埒外です!」

 

「ふん、飽くまでも白を切る気か。 ならば此方も容赦はしない…!」

 

 問答無用。寒風を切り裂いて迫るシルバの足刀を寸での所で首を捻って躱し、間を置かずに放たれた手刀による首筋、心臓、肝臓を狙った容赦ない三連撃を居合抜きで抜刀したクライスト、その峰で逸らし、弾き返して後方へ飛び下がり距離を稼ぐ。 

 腰を深く落とし、常の様に正眼に構えたセフィリアだったが、その心中では何時にない程の疑念と焦りが渦巻いていた。

 

(ゾルディックの極秘….【アレ】とは十中八九、最後の【鍵】…あの()の事で間違いないでしょう。 しかし、これは幾ら何でもおかしい。 私の行動を逐一監視しているのだとしても、余りにもタイミングが良すぎます。 

 

 

 

 …まさか、ですが。 内通者が星の使徒の内に存在する…!?)

 

 




次回は五次試験ですね。 

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