沈黙は金では無い。    作:ありっさ

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26.長い夜、短い生。(下-前編)

 

【Ⅵ—6】

 

 

 意思(おもい)では、意地(きもち)だけでは、どうやっても越えられない壁がある。

 

 私は過ちの代償として『それ』を思い知り、それまでの斜に構えて他人を見下していた自分を捨てる事を決めた。ジャポンの高校生、キリサキ・キョウコはあの時に死に、代わりに星の使徒の一員、サキが生まれたのだ。…いや、生んだのは私自身か。 私自身が変わらなければ、あの人の隣に居る資格が無いと思ってしまったから。

 

 そして今。 私はまた、懲りもせずに同じ過ちを繰り返そうとしているらしいです。 場所と時間と相手こそ違えど、状況はあの時と皮肉なほどに似通っていた。

 余りにも分の悪すぎるギャンブル。 所持金()が尽きるまでに()を出す事が出来たならば私の勝ち。財布の中身を全部使って、それでも()しか出なかったならば私の負け。ゲームセットでお終いだ。

 

 

 

「はぁ…はぁ…、くっそぉ、化け物め…」

 

 渾身の思いで生み出した火災旋風はとうに消えていた。 周囲の木々に誘火させる事でヒソカを閉じ込めていた私の炎は、タイミング悪く降り出した大粒のにわか雨の所為で粗方が鎮火してしまっている。

 

 相変わらずのニヤついた表情のまま、ヒソカは動こうとしない。 

 私が手札から何を出すかを予想し、眺めて遊んでいるのだ。所謂一つの舐めプという奴である。少しでも二人が安全圏へ逃げる時間を稼ぎたいこちらとしては願ったり叶ったりなのだけれども。隠そうともしない此方を舐め切った態度を目の当たりにしてしまうと、どうしても苛立ちを隠せない。

 

 ヒソカが動く気が無い事を確認し、右手に嵌めた腕時計を見る。 …足止めを始めてから大体七分と少しか。 精根尽き果てる寸前までオーラを絞ってぶつけて、たったの七分しか稼げていない。対するあっちは息切れ一つせずに余裕で高みの見物ときた。

 

 でも仕方がない。これが現実、これが今の私の実力。覆せない、“経験”と“才能”という名称が付いた絶対の壁。

 

 それでも、死ぬ気で頑張っても一矢報いる事すら出来ないのだとしても。 こんな私にだって譲れない物は有るんだ。

 

 

「いいね、中々面白い能力だ♡ 自分のオーラに熱量を付与して発火させ、その火が触れている物体を間接的に操作している…といった所かな? だから最初に震脚で木の葉を巻き上げる必要が有った訳だ★」

 

 ぜいぜいと息を切らしている私を嘲笑うかの様に、ヒソカが笑いながら御考察を得意げに述べて下さった。 大体の部分が合っているのがまた腹立たしいったらありゃしない。

 私が答えないでいると(答えるだけの余裕が無いとも言う)、ヒソカは初めて自分から動きを見せた。無造作に一歩前に足を踏み出す。それと同時にやる気なく垂れ流しになっていた変態オーラが明らかに力強さを増したのが私の眼にもはっきりと分かった。 

 

 …来るか!?

 

 それはほんの一瞬の出来事だった。 そして、つい最近に何処かで見た覚えが有る動きだった。

 蜃気楼が霞んで消えるみたいに、目の前からヒソカが文字通り消失する。 

 次の瞬間にはあれだけ濃厚に漂っていた殺気さえも嘘みたいに感じられなくなってしまった。感じるのは生臭い血の匂い、その残り香だけ。 戦闘開始直後から脳内で喧しく鳴り続けていた警鐘が一気に最大音量へと跳ねあがる。 セオリー通り【円】で警戒を、と考えた瞬間、お腹の中心から途轍もなく重い衝撃が奔った。 

 

 ずどん。 擬音で表すならそんな感じ。 トラックに真正面から全速力で衝突された様な凄まじい衝撃だった。寸前とは言え、しっかりと【凝】でガードしている筈なのにこの重さですか。込み上げる嘔吐感、喉の奥からせり上がって来る灼熱感。耐えきれずにごふごふと咳き込んでしまう。口に添えた掌は真っ赤に染まっていた。

 

 短時間に大量のオーラを消費しすぎた事による強烈な脱力感。戦闘の連続で蓄積した疲労とダメージ。そして今の腹パン。 

 急速にブラックアウトしてゆく意識を懸命に繋ぎ止めて、私は歯を食いしばる。 

 視線を下げる。鳩尾に深く突き刺さった拳が見えた。 視線を上げる。JKに腹パンをブチかました事で愉悦の頂点に達してしまわれたのか、超至近距離で涎を垂らしながらアへ顔でニヤつく変態さん。

 

 どちらも血塗れ、煤塗れでお揃いねってか。図らずもその変態さんと熱い視線を躱し合う羽目になった私は、半ば現実逃避しながらそんなくだらない事を考えていた。

 

 いやいや、冗談じゃないってば。何が楽しくてこのドSピエロとペアルックしなけりゃならないんですか、クリードさんとならまだしも。

 

「只…残念な事に、それだけの高度で大量の念を繰り出して展開し続けるにはキミ自身のスタミナが全く足りていない♠ おまけに操作技術もまだまだ未熟で粗雑♦ 使いこなす事が出来れば良い使い手になれるかもしれないけどね♡」

 

 後何年か修業すれば良い感じに食べ頃になるとか何とか。本当、聞いてもいないのにべらべらと良く喋る変態ですことよ。人様をスーパーで売っているフルーツ扱いして下さって、大変に光栄ですねぇ。

 

 心の中で必死に毒づくも、もう十分頑張っただろう、適当に倒れて気絶した振りでもして休んでしまえばいいと頭の内側で頻りに黒い私が囁いているのが聞こえていた。

 

 いや―――まだだ、諦めるな、私。まだ、後一つだけ私は奥の手を残しているじゃないか! 

 

 危うく黒い私の誘惑に屈しそうになった所で、反対側から白い私がそう囁くのが聞こえて来る。

 

 そうだった。その言葉で私は正気に返る。ハッと思い出して見渡せば、数メートル先の茂みに私の鞄が転がっているのが見えた。 その中身に思いを馳せ、機を伺う。

 

 ...いや、待っていても駄目だ、チャンスは自分の手で作り出して見せる!! 

 

「げっほ…! そうやって…余裕ぶっこいてるから、私なんかに足元を掬われるんです…よッ!! 【陽炎(咄嗟に思いついた技なので名前はまだ無い)!!】」

 

 この時、私にとっては都合の良い事に、にわか雨が止んでくれていた。 空前の好機、仕掛けるなら今しか無い!! 地面からもわもわと立ち昇る湿気に、変態の後ろで何とか燃え尽きずに燻っている炎。それに残りのオーラをありったけ混ぜ合わせ、総動員して発動する!!

 

「へえ、器用な真似をするじゃないか♡ さしずめ、炎で出来た幻影――陽炎という奴かい?」

 

 私としては完全に虚を突いた、会心の一撃の心算だったが、ヒソカの顔に張り付いた余裕の表情は全く崩れない。振り返りもせずに裏拳の一撃で背後から飛び掛かる()()()()を打ち抜いてしまわれた。 

 無慈悲ですかこのヤロー! 剛腕で薙ぎ払われた事で形を保てずに霧散していく虚像の私。

 

 でもでも、呑気にベラベラと感想を述べてくれたお陰で隙が出来た!! これで決める、ていうか決めないと私がマズイ!! 

 

 私は可及的速やかに茂みへ飛び込んで鞄を手繰り寄せる。中身を掻き分けてお目当ての物を―――良かった、割れずにいてくれた!!

 

「こっの…超ウルトラ変態め!! これでも…喰らえええええッ!!」

 

 ありったけ、渾身の力を籠めて、鞄から小瓶を取り出してヒソカに投げつけた。瓶はゆっくりと此方へ振り返りつつあったヒソカの顔面、そのど真ん中に衝突し、破裂し、その中身―――ガソリンと灯油の混合液を盛大に…ぶちまける事無く止まってしまった。まるで顔に接着剤でも付いているかの様に。ピタリと吸い付く様にして。

 

 破裂―――しない!? 何で!?

 

 液体を浴びた瞬間に着火してやろうと思っていた矢先に起きた不可解な現象。理解が追い付かず、目を見張る私。

 

「…残念♡ 君には悪いけれど、ついさっきに同じ様な手でやられたばっかりなんだよね。 二度続けて無様にやられるほどボクは馬鹿じゃない♦」

 

 ずるり、と顔から剥がれ落ちた瓶がヒソカの腰の辺りで停止して空中を浮遊していた。咄嗟に【凝】で注視してみれば、指先から伸びたオーラが瓶にベトリと張り付いていて、その動きに従ってプラプラと揺れているではないか。

 

 …ああ~成程、そういう事ですか。あの粘着する奇妙なオーラで瓶を覆う事で衝撃を吸収して破裂する事を防いだということですか、納得です。

 

 納得するついでにもう一つ合点が行った。繰り出した炎が消えるのがやたらに早かったのもそういう訳だったのだ。恐らくだが、あのオーラを被せる事で燃焼の広がりを妨げていたのだろう。

 そこまでこの状況についての考察が終わった所で再び私の全身に衝撃が奔る。 

 流石に二度目は意識を保っていられない。 急速に灯りが消えて行く脳内。…今度はもう、立ち上がれないな。そう実感してしまうと落ちるのも早かった。

 今、自分が出せる力を出し尽くした事にある種の満足感を覚えながら、私は目を閉じる。

 

(ああ….二人は上手く逃げ切れたでしょうか。 ある程度の時間は…稼げた筈ですし、きっと大丈夫だと信じたいですね。 けれども、少し残念で……)

 

 

 

 確実にサキの意識を刈り取る為、先程よりも本気で撃った腹部への強烈な一撃。

 それによりくの字になった事で晒し出された無防備な延髄に向けて、止めの手刀を放った瞬間だった。 

 ヒソカには雑草の間を縫って此方へ転がって来る球体に見覚えが有り、それ故に動きがほんの一瞬だけ停止してしまう。

 数時間前の二の轍を踏むまいとして、そして直前にサキと交わした攻防のリプレイの如く、最速でバンジーガムを発動させるまでに一瞬、球体を包む様にすっぽりと覆い被せて虚空へ放り投げる間に更に数瞬。 後方へ飛び下がりながら耳をオーラで塞ぎ、両目を手で塞いで閃光に備え、“何も起こらない”事を訝しがるまでに数秒。 

 

 それだけ有れば、“三人”にとっては十分だった。

 

 破裂、しない!? 

 

 ゆっくりと塞いでいた手を下げる。 焼け焦げた木々の奥に、サキを抱えて斜面を駆け下りて行くレオリオとクラピカ、そして釣竿から何かを外して懐へ仕舞い込んでいる途中のゴンの後ろ姿が見えた。 左胸に手を当てる。プレートは見事に消え失せていた。

 

「…ククク、またヤられちゃったよ♡ 一体、誰の入れ知恵かな?」

 

(まあ、大方の予想はついているけれどね。 …さ~て、どちらを追い掛けようか♡)

 

 三方に別れて逃げる三人のうちの一人に狙いを定めて、陸上のクラウチングスタートの様な極端な前傾姿勢から、弾丸の如き速度でヒソカが宙を舞った。

 

 

 

 

「はっ…はぁっ…」

 

 先程登って来た場所とは少し離れているが、山道を登る時に通った雑木林が視界の前方に迫って来ていた。

 

(そろそろ安全な所まで逃げ切れたかな?) 

 

 急斜面を飛ぶ勢いで駆け下りながらそう思い、足を緩めかけた瞬間だった。後方から何かが凄まじいスピードで風を切りながら近づいて来る音をゴンの優れた聴覚が捕える。 

 

(何か…こっちに向かって来てる!?)

 

 まさか、ヒソカだろうか? 恐怖心に駆られ、堪らず振り返る。髪を逆立てた特徴的なヘアースタイル。その額の中心に握り拳大の石礫が衝突し、血飛沫と共に少年の小柄な体は宙を舞った。

 

「がっ…!!」

 

 間を置かずに現れたヒソカが、もんどりうって倒れたゴンの元へ歩み寄り、上から覗きこむ。

 

「ククク…追いついた♡」

 

「これ…彼のだろう? 成程、海水に浸かった事で破裂しなかったんだね、すっかり引っ掛かっちゃったよ♡」

 

 ヒソカが閃光手榴弾を掌の中でクルクルと回して弄ぶ。 

 その隙に何とか動こうとして、必死の形相でもがくゴン。しかし、意に反して身体はピクリとも動かない。 直撃した礫が脳を揺らした事で、一時的な脳震盪を引き起こしていたのだ。

 

「まあ、それはともかくとして、ゴン…だったかな? キミ、中々に見事な一撃だった♡ ボクの発した一瞬の殺気に自分の意を上手く紛れ込ませて、寸前まで攻撃を悟らせなかった。 …そして気配の消し方♡ これもまた素晴らしいね、野生の獣と比べても遜色ないレベル…自己流とは思えない程だよ。 

使()()()でも無いのに此処まで気配を完璧に消せる人間が居るとはねえ♦ ……ああ、そうだった。 これ、あげるよ♡」

 

 ボクから奪って見せたご褒美だ。 そう言って無造作に放り投げたプレートがゴンの顔の上に転がって、ぽとりと落ちた。

 

「キミなら恐らく、一日有れば動ける位には回復できるだろう。 じゃあね♡」

 

 さて、とりあえずの用件を済ませたし、近くに居る筈のクリードにでも会いに行こうか。 

 そんな事を考えながら、鼻歌交じりに上機嫌で立ち去ろうとしていたヒソカ。 

 

「…♠」

 

「お前のプレートなんて…必要…無い…ッ!! 今….返す…!!」

 

 時に、強い意思は肉体の限界を容易く超越する。 頭部に直撃した礫の一撃。それにより起こった脳震盪。身体を動かす為の司令塔がマヒした事で弛緩して動かない筈の身体。それをぐつぐつと煮えたぎる怒りの感情一つで無理やりに捻じ伏せ、稼働させて、ゴンがヒソカにプレートを突きつけていた。 震える指先が、ガクガクと嗤う膝が、額から流れ落ちる鮮血が、定まらぬ視点が、揺るがぬ意思の力を以て立ち向かう力へと変換されている。 

 俄には信じ難い光景だが、現実に彼はやり遂げて見せたのだ。

 

「…」

 

 ぶわりと空気が粘度を増す。 

 無言のままつかつかとヒソカが歩み寄り、無造作に右拳で殴り飛ばした。碌に動かない身体で避ける事など出る訳は無く、鈍い衝撃音と共に再びサッカーボールの様に吹き飛ぶゴン。 受け身を取る事も出来ず、背中から万年杉の大樹に叩き付けられた。

 

「御立派な心意気を見せてくれた所を申し訳無いけれども、残念ながら今の君の我儘に付き合う心算は、全く無い♦」

 

 胸を抉る様なヒソカの言葉。 ゴンに答える力は残っておらず、それでも…せめてもの抵抗として、首だけを起こしてヒソカを睨みつける。それが精一杯で、正真正銘の限界だった。

 

「…もっともっと、食べるのが惜しくなるほどに目一杯熟れてから出直しておいで。 それまでそのプレートはキミに預けておこう♠」

 

 くくく…ふふふ…。 不気味な笑い声と共に股間を摩りつつヒソカが去って行き、後には悔し涙を浮かべて空を見上げるゴンが一人残された。

 

 

「うぐッ…。 くそ…、くっそぉ…!!」

 

 

【Ⅶ—4】

 

 

「勘も案外というか、馬鹿に出来ないモノだね。 …見つけたよクリード」

 

 クリードから湿気た鎮圧用手榴弾を受け取ったゴンの姿が木々の奥へ消えてから幾ばくもしない内に、背後の暗闇から滲み出る様にしてイルミが現れた。

 クリード一人にだけ存在を気付かせる為に放たれた、微かに漂って来た気配の仄暗さと冷たさから発信者が誰なのか大方の予測は出来ていたものの、出来る事なら違っていて欲しかった。 願い叶わず小さく溜息を漏らしたクリードだが、それに構う事無くイルミは話を続ける。

 

「…イル、ギタラクルか。 僕に何の用かな?」

 

「クリード、聞きたい事が有る。 これから俺が話す事について、お前が知っている事を全て、嘘偽りなく正確に答えろ」

 

“君レベルになると色々と面倒だし、出来る事なら無理矢理吐かせる様な真似はしたくないから” 

 

 口調こそ平常時と変わらずに平坦なものの、発している気配は尋常な物では無い。

 手間を取らせるなら無理やりでも構わない。そう暗に告げる様な、昏く禍々しいオーラが全身から漲っていた。 

 三次試験で対峙した瞬間よりも更に悍ましく、さながら夕暮れの通学路で対峙したあの時の如く。

 

 

「―――――という訳で、君のお連れさんはゾルディック家を散々に荒らし回った挙句、弟を連れて見事逃走に成功したという訳だ。 …此処までで何か弁解は有るか?」

 

 抑揚の無い声でそう問われ、クリードが額を揉み解す様にぐりぐりと動かしていた真っ白い指を下げて真正面からイルミを見据えた。

 

「…ギタラクル、期待に沿えなくて済まないが、僕は何も知らない。 今聞いた話の全て、何もかもが初耳だ。それが君に言える全てだよ。 悪いが僕には何の事か分からない(というか、今の話を現実だと認識したくない)。 

 この試験を受ける前に彼女とそんな話はしなかったし、僕はあくまでサキ君の付き添いという名目でこの試験に参加したからね。 …ついでに言っておくと、今すぐ連絡を取れと言われても不可能だ。 虎の子の携帯電話は生憎と海水に浸かった所為でこの通り、おしゃかになってしまった。 今、この場ではどうやっても連絡の取りようも無い現状だよ。 …少なくとも、この四次試験が終わるまでは」

 

 クリードはダークスーツの懐から携帯電話を取り出し、罅が入った液晶画面をイルミに見せつける様にプラプラと揺らして見せた。耐水性と耐衝撃に優れた機種だった筈だが、高高度からの落下と着水の衝撃には流石に耐えられなかったらしい。

 

 感情の籠らない目でじっと見つめていたイルミ。やや有ってから、ぽつりと言葉が漏れた。

 

「―――ふうん、成程。 そういう事か、了解した。 とどのつまり、今回の件に君は一切関与していない。全てはあの金髪女の独断だという事だね?」

 

 念を押す様に問うイルミに、間を置かずに肯定で以てクリードは答える。

 

「君の話が本当なら、だけれども。 残念ながら、その通りだと言わざるを得ないな」

 

「…ふうん。 まあいいや、知らないなら仕方ない。 それじゃあクリード、取引しようか」

 

 唐突に飛び出した『取引』をいう単語に警戒心を強めるクリードだが、イルミの提案した取引の内容を聞いて、承諾せざるを得なかった。

 

“クリードは四次試験が終り次第、セフィリアに連絡を取って事の真偽を確認する事。 イルミは四次試験の間、ヒソカをクリードからそれとなく引き離す事”

 

「……成程、そういう事か。 そうだな…まあ、非は此方に有る訳だし、その程度別段構わないが...」

 

「うん、じゃあ取引は成立だね。 もし万が一四次試験の間に彼女と連絡が付いたとしても俺に報告宜しく、大至急ね」

 

 ああそうだ、これ、俺のホームコード。 無造作に紙切れを放り投げながら背を向けてすたすたと立ち去るイルミ。試験中に幾度もクリードと邂逅しているが、彼の動作は不気味なほどに全く足音がしなかった。

 そのまま何処かへ立ち去るかと思われたが、暫く歩いた所でイルミが急に立ち止まり、顔だけをクリードの方へぐりんと動かして振り返る。

 

「…まだ、何かあるのか?」

 

「もう一つ、ついでだから聞いておくけれども。 キミが連れて来ている女の子さぁ、『()()()()()』?」

 

「………」

 

 クリードは答えない。答えない事、沈黙が返答とでも言う心算なのだろうか? それは本人にしか解らない。 只、そのポーカーフェイスがほんの僅か、針の先端に満たない程微かに歪んだ瞬間をイルミは見逃していなかった。

 

「…ああ、答えづらいなら無理に答えなくていいよ? 君のその顔を見れば、どういう事かは大体想像が付いたからね」

 

“特に意味ないし、別に誰にもばらす心算は無いけれど、これで貸し一つだね。 気が向いたらその内何かで返してよ、宜しく”

 

 そうして、今度こそ本当にイルミは茂みの奥へと姿を消し、後に残されたのはクリードと静寂だけだった。

 

 

「…生きているさ。ちゃんと、自分の意思で」

 

 

 ◆◆

 

 

 暗殺業を続けていく上で絶対必須なスキルの一つ。 無尽蔵に溢れている情報の海から嘘と真実を正確に見抜き、仕事を遂行する為に必要なモノだけを拾い上げる観察眼。

 

 人間が嘘を吐く時というのは面白い物で、何気ない仕草や表情、声色、オーラ、etc…。 

 その何処かに決まって必ず、特有の仕草や癖が現れる。訓練を積めば“それ”を限りなく小さくする事は可能だが、完全に消し去る事はほぼ不可能と言っていい。それは老若男女問わず、どんな人間でも変わる事は無い。

 勿論、その時の状況によって引き出せる情報の質も量も違って来る。 

 例えば、拷問によって与えられる苦痛から逃れたい一心で吐く嘘と、何気ない会話の中に散りばめられた嘘ではそこに含まれる虚飾の色が違うし、種類も違う。

 

 話を本題に戻す。暗殺者として本格的に活動を始めてから十数年。コツコツと積み重ねて来た、その経験から云えば―――クリードは、今回の件について本当に何も知らない。 それが俺の出した答えだった。

  

 今回の様なケースの場合、少しでも何かを知っていれば、知られたくない情報を隠そうとして発する言葉の何処かに誤魔化しの単語が混じるし、表情や態度の何処かに必ず、嘘を吐く瞬間特有のぎこちなさが滲み出て来る。 

 クリードはその点で言えばかなり読み取りにくいタイプの優秀な人間では有るが、伊達に俺もゾルディックの看板を背負って仕事している訳じゃない。みすみす見逃すような何処かの間抜けと同じにして貰っては困る。

 

 推測だが、過去にも同じ様な事をかの女は繰り返し、その度にクリードが後始末に奔走していたのだろう。一見すると平常と変わらない様に見える彼の無表情。その面の皮一枚を剥がした内側に、明らかに憔悴の色が混じり始めたのがその根拠だ。

 

 “またやらかしたな” クリードは今回の件を俺から聞いた時に無意識でそう考えてしまったのだ。そして連鎖的に、自分が後始末に駆り出されるであろう、近い内に訪れる事が確定している未来をも想像してしまったに違いない。

 

 …まあ、嘘を吐いていない事以外の全ては俺の憶測に過ぎないのだけれども。 クリードの心象風景を好き勝手に想像しながら、俺は懐から通信機を取り出した。

 

『もしもし、ヒソカ? ちょっと頼みが有るんだけど…』


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