「僕達を認めようとしない、こんな腐った世界は壊さなければならない。 全部壊して、僕達の手で一から作り直そうじゃないか…!!」
男は同士達の前で拳を振り上げて熱っぽく語った。
男の言葉は鋼鉄を蕩かせる程の熱となり、狂気を孕んで、瞬く間に伝播していく。
そうして、男とその仲間達は行動を開始した。
冷酷に、無感情に、ありったけの憎悪を込めて。 彼らは眼前に立ち塞がる全ての人間を殺していった。
愚鈍な老人を、肥え太った無能な豚共を。 かつての仲間だった者達、親兄弟を。 殺して、壊して、殺し尽して。
—――——例えその先に破滅しか無いと分かっていたとしても、もう後戻りは出来ないのだから。
『トレイン・ハートネットに認めて欲しい』
男が人の域を超えた力を求めたのも、同士を集めて世界を壊そうとしたのも、突き詰めて行けばそこに集約されるのだろう。
かつて、男が唯一心の底から心酔した存在。 一切の慈悲も憐憫も無く、只管に標的を屠る一匹の黒い猫。世界に存在しない時間の番人。
男は強烈に焦がれ、その姿を追い続けた。 自由を愛し、孤独を貫く黒猫のその生き方が男には太陽の如く眩しく映った。
物語の終わりは何時だって唐突に訪れる。
目にした“黒猫”の腑抜けた姿。 その姿に絶望し、腑抜けさせた元凶を激情のままに殺し、それでもまだ足りないと執着して。
―——結局、愛する人を失った黒猫は男の前から姿を消した。
狂った精神を辛うじて支えていた柱を失い、満たされない心は男の中で抑え切れないほどに膨れ上がり。 やがて男は絶対を求める様になる。
それから幾年が過ぎた有る時、偶然の助けを借りて黒猫と男は邂逅する。 相変わらずの府抜けたその姿に男は激高し、またそれ以上に失望した。
腕を切り落とした代償は鉛弾を数発。 男はせせら笑った。 かつてあれ程までに恐れられた黒猫が、今やこんな程度にまで落ちぶれたか、と。
狂気は収まらない。 やがて男は星を掻き集め、世界に生きる全ての存在に猛然とその牙を剥いた。
『僕は神になる。 全然足りない。 ….もっとだ、もっと。 全てを超越する力を僕に―—―——!!』
人の身に余る力は男を人間から『化物』へと変貌させる。 不死身と呼んでも遜色ない程の異形の肉体を手に入れて、それでも尚、男は満足する事は無かった。
何処まで行けば満たされるのか、何処まで飲み込めば満足できるのか。
―—――——まだ足りない、まだ満足出来ない。 そうして、僅かに残ったヒトの心、その最後の一片まで狂気に染まろうとして。
寸での所で『化物』は黒猫によって打ち倒される。
そして積み上げた全ての力を失い、男は“神”から“只の人”へと引き戻された。
文字通り、心を真っ二つに圧し折られた男は潔く敗北を受け入れた。
何よりも、男にとっては自身の全てを掛けて執着し続けた黒猫に否定され、引導を渡された事が大きかったのだ。
男は喜劇の舞台から退場し、ついに紅い幕は下ろされる。 スタンディングオベーション、万来喝采の嵐の中で物語は終焉を飾った。 …筈だった。
◆◆
懐かしい声に誘われるまま、ゆっくりと眼を開く。 半ば予想していた通り、鏡で映して分けた様に瓜二つな『僕』が其処に居た。
『僕』は何処にでも有る様な、ありふれた木製の椅子に深く腰掛けて『ボク』を見ている。 やや有ってから、形の良い唇が弧を描き、紅い舌がちろりと顔を覗かせた。
「おや、また会ったね、僕」
「…ええ、前に有ったのは大体二年程前ですかね、『オリジナル』さん」
『僕』は口に手を当てて暫く震えていたが、やがて堪えきれなくなったのか、くつくつと笑い始めた。
「ふふっ、その呼び方は止めてくれ。君だって同じ『クリード・ディスケンス』だろう?」
「…前にも言ったでしょうに。外見と名前が同じだけです、中身は違う。 駝鳥と鶏の卵位は似て非なるモノですよ」
何故か無性に可笑しくなって、『ボク』も笑った。
「ふむ、同じ鳥類の卵でも生まれて来るモノはまるで別人という訳か。 相変わらず君は面白い事を言うな」
くつくつ、くすくす。
―—―——やがて『僕達』は笑う事を止めて、向かい合った。
360度、地平線が果てしなく続く灰色に満ちた幻想の世界。そこに
「…ふむ、視線の誘導とフェイントは以前に比べてかなり上達したんじゃないか?」
左下手から振り上げた渾身の一撃を、前のめりに崩れた態勢から片手一本で難なく受け止めて『僕』が笑う。
「顔色一つ変えずに受け止めながら言われても嫌味にしか聞こえません…よっ!!」
鍔迫り合いの状態から一気に氣の出力を上げて力任せに吹き飛ばすも、まるで手応えが無かった。 確かに目の前に居るのに、空気か霞でも相手にしているような不気味さである。
こういうのを柳に腕押し、糠に釘とジャポンの諺で言うらしい。 …でしたっけ、師匠?
「おや、呆けている暇が有るのかい?」
吹き飛ばされた勢いを利用してくるくると空を廻る僕。
ニヤリ、と厭らしい笑みが垣間見えた。 背筋をゾクゾクと悪寒が駆け抜けて行く。 …こういう、神経が研ぎ澄まされていく感覚は嫌いじゃない。
間合いの外から超速で突き出された刺突を紙一重で躱し、次いで横薙ぎに振るわれた一閃を屈んでやり過ごそうとして。
「…ッ!!」
ボクは直感に従って両の足を跳ねさせる。
次の瞬間、本当の一撃が一瞬前までボクの足が有った空間を文字通り、根こそぐ勢いで薙ぎ払っていった。
「ほう、良く避けたな。 今ので決める心算だったのだが」
(二重の刀身を投影した幻想虎徹…!? しかも今の刃は背後からだった!! 遠隔操作? それとも…即席で生成した?)
目の前で悠然と微笑む僕のポテンシャルの凄まじさ。 戦慄に慄く身体を叱咤しつつ、改めて思い知る。 …分かっていた事だが、虎徹の使い方ではやはり彼方に分が有るようだ。
―——――となれば、やはりボクが『僕』に勝機を見出す為には氣を用いた接近戦しかないか。
思考を切り替えて【円】を展開する。脳天を唐竹割りにしようと振り降ろされつつある致死の一撃を半ば転がる様にして身を投げ出し、避ける。 次いで足元から飛び出て来る具現化された刃の群れを強引に虎徹で逸らしながら、少しでも離れた間合いを詰めようとして―——。
「切り替えが早いのは素晴らしいが、少しばかり勝負を焦りすぎだな」
「!!」
ほんの瞬き一つ分の間に、『僕』は
僕達以外、何も無い空間の中をおおよそ数十メートル程吹き飛び、ごろごろと無様に転がって。
「ぐっ….。 ……はぁ…ッはぁ…!」
膝に力を込め、強引に立ち上がる。 舞い上がった砂塵と衝撃でふらつく視界を強引に戻し、もう一度【円】を展開――—する間も無く、袈裟に切り落とす一撃を薄皮一枚の所で受けとめた。
『僕』が憎しみで磨き上げられた剣を振るい、『ボク』がそれを寸での所で空虚さを押し固めた剣で受けとめる。 何て素敵なreciprocity。 虎徹がギリギリと耳障りな刃鳴を上げていた。
「おや、もうお終いかい? まだ出来る事が有るだろう?」
砂塵が晴れ、そう言い放ちながら僕が悠然とその姿を現した。
幾ら同じ姿形をしていてもやはり違う存在なのだろう。こうして改めてその姿を見ればやはりそう思う。
似て非なるモノ。何処までも同じで、何処まで行っても交わらない平行線。
思考している間にも途方もない力が圧し掛かって来ている。 カタカタと震える唇と刃はそのまま僕達の心の優劣を表すバロメーターの様だった。
もう、数秒もしない内に彼方の刃がボクの身体に食い込むだろう。
(…だから、気に入らない。 その眼が、その余裕に満ちた表情が気に入らないよ、クリード・ディスケンス!!)
勝てないまでも、せめてその余裕面を削いで見せる。 高ぶる激情に身を委ね、久方ぶりにボクは歯を剥き出して吠えた。
渾身の力を込めて迫る刃を押し返し、稼いだ一瞬で体に残る全ての力を開放する!!
「—――――当然だ、ボクはまだ負けていない!! 幻想虎徹Lv2,、開放!!」
『ギャヒャヒャ…!!』
僅かに眼を見開いて、僕が嗤った。
「ククク…! いいぞ、その調子だ。もっとぶつけて来いよ、“僕”!」
「言われなくても、その心算、です!!」
斬って、突いて、薙いで、ぶつけて。
延々と、永遠と続けとばかりに僕達は剣を振るい続けた。
…永遠何て、そんな物は有る筈が無いのに。
「99%と100%の差…か」
結局の所、完膚なきまでに打ちのめされ、半強制的に大の字に横たわる事になったボクは空を見上げて呟いた。
遥か上空をゆるゆると灰色の雲が流れて行く。どうやら、この幻想に満ちた空間にもそれ位の情緒は有るらしい。
「そうだね。 たった1%、けれども大きな1%だ。 …ほら、立てるかい?」
差し出された手を取り、ふらつきつつもどうにか立ち上がる。
「嗚呼、楽しい時間をどうもありがとう。 …ふふふ、久々に有意義な時間を過ごせたよ」
僕の幻想はもう折れてしまったからね。
そう言いながら、僕は空を見上げている。
そうして暫しの間、何をするでも無く二人で空を見上げていた。
……ああ、そうだ。手合わせの報酬代わりという訳でも無いが、同じ僕のよしみだ。
一度だけ、君に手を貸してあげよう、光栄に思うが良い。
頷いて、僕は目を閉じる。 今度こそ、抗えない微睡に落ちて行く。
「…それは、どうも。 出来れば、永遠にそんな機会が来ない事を願いますよ…」
「ククク、違いないね」
ドクターの事、宜しく頼む。
もう一回だけ頷いて、今度こそ僕は現実へと帰還する。
…徐々に浮上していく意識。肌に感じる心地よい陽光。 ゆっくりと目を開けて。
「おや、おはよう♡ よく眠れたかい?」
「……お陰様で。 早速だが顔が近いので僕から離れて頂けると有り難いのだが。 出来れば5キロ位は」
「おやおや、手厳しい事だ♠」
嫌な意味で毎度お馴染みになった、変態ピエロさんが僕の目の前、数十センチも無い程の超至近距離でニヤついていた。
◆◆◆
三次試験を恙なく突破した後、僕は未曽有の危機に陥っていた。
前後左右を逃げ場無く包囲され、懐の虎徹を抜き放つ余裕も隙も見いだせないまま、ぶるぶると震えているしかない。そんな絶望的な状況である。
「ハァ…ハァ…やっぱり君は最高だよ♡ あんな不出来な林檎なんかじゃあ全然、全く足りないんだ…。 ああ駄目だ、今すぐ殺りたい…! ねぇクリード、殺ろうよぉ…♠」
寄り掛かっている木陰の背後から生臭い息がふぅふぅと吹き掛かる。 所々を血で染めたピエロ―—ヒソカさんだ。 鋭い刃物と思わしき物で刻まれた裂傷が身体のそこかしこに見受けられる。
…どうせまた、相手を舐めくさった戦い方をした結果なんだろうけれども。
「はあはあ五月蠅いのよ変態ピエロ!! どっか行ってろや!! ね、ね、そんなことよりさ、ねえ、冗談よね? 貴方があのA級盗賊団――星の使徒の頭だなんて…! そうよ、何かやむを得ない事情が有るのよね? 悪い年下女に嵌められたとか、誰かを助ける為にお金が必要だとかさぁ!!」
正面からぐいぐいと詰め寄って来るのは、今日も今日とてはしたなく露出した素肌を晒す試験官―—メンチさんである。
正直な所、そのファッションは無いと思います。
…言ったら間違いなくどつかれそうなので、絶対に言わないけれどね。 どつかれるのは何処かの師匠だけで充分である。
「オイちょっと待てよ! こいつに質問したのは俺が先だぜ!? つーか二次試験はとっくに終わっただろーが!! 試験官はとっとと消えろよ!!」
「あ? 何だハゲ、やんのかコラ!?」
「ハゲじゃねえ、これは剃ってんだよ!! ああもう、話が進まねえ!! …話を戻すぜ、クリードさんよ。 悪いが調べは付いてんだ、アンタが俺の探している【隠者の書】を持っているのはな。 ...なあ、金なら幾らでも積む、譲ってくれよ、頼む!!」
左側からはつるつるに頭を剃り上げたおしゃべりな忍者さん…お名前、何ていうんでしたっけ? 残念ながら覚えていません、ごめんなさい。
「カタカタカタカタ…」
右側ではエキセントリック針男ことギタラクルさんが、さながら風にそよぐ蒲公英の様に、楽しそうに揺れていた。
…貴方、どさくさに紛れて僕に針を刺そうとしていません? 何か右手からちらちらと細長く尖った物が見え隠れしているんですけれども? 殺気がちらちらと漏れているのは態と何だろうか。 多分、態とだろうなあ。
嗚呼、助けてくれ、誰でもいい。 この状況から助けてくれるなら誰でも…!! あっ、出来れば師匠以外でお願いします。
…もしかするとこれは、早速『僕』に助力を頼むべき時が来たのかもしれない。 …どうしよう。 いや、本当に。
内心で困り果てていた僕を見かねたのか、遂に救いの女神が舞い降りた。
「こら~~! そこの変態共、クリードさんから離れなさーい!!」
地獄に釈迦の蜘蛛の糸。とはこの事か。
「済まない、助かったよ女神…じゃない、サキ君。正直危ない所だった」
「ま、まあ、確かに色んな意味で危なかったですねえ…。 (えっ、ちょっと待って!! 女神!? 今クリードさん、私の事を女神って言ったよね? 何それ何それ何それ!! …はっ、そうか、分かりました!! クリードさんったら、会えなかったこの72時間の間に私への思いが積もりすぎて思わず口から火炎放射しちゃったんですね、きっとそうだ、落ち着くのよキョウコ!! Coolになるのよ私! 冷静になってこの機を掴む!! あのでかちち女何かに渡してたまるものか!!)」
「は~い、三次試験突破おめでとうございまーす!! 早速ですが次の試験会場へ向かいますので、皆さん私に付いて来て下さ~~い!!」
声のした方を見れば、受付嬢の様な装いをした小柄な女性が小型の拡声器を手にして呼びかけていた。
長丁場の三次試験が終わるや否や、間髪入れずに次の試験とは。 時間が押しているのか、それとも元からこうなのか。
「ふむ。そういう事らしいし、準備をして次の試験に備えようかサキ君」
とにもかくにも行かない事には始まらない。
そう思い、急かす様に声を掛けるも返事が無い。 振り返って見れば、サキ君は惚けた表情のまま固まっている。
「…サキ君?」 「あっ、はい!! 結婚式はジャポン式がよかとです!! でもウエディングドレスも捨てがたいです!!」
「???」
…何が何だか、さっぱり分からない。
薄暗い室内。 唐突にカーテンが開け放たれる。
無遠慮に窓を開けながら妙齢の女が後ろを振り返り、少しばかり驚いた顔をして見せた。
「や、珍しいね、今日はえらく機嫌が良いみたいじゃないか。 …何か良い事でも有ったのかい?」
「くくく、いや、何でもないさエキドナ。 …少しばかり良い夢を見た、それだけの話だよ」
頬を撫でる微風に目を細め、銀髪の男が笑う。
“嗚呼、今日はとても良い天気だね。 久しぶりに散歩にでも出掛けるかい?”
男の提案を信じられないといった顔で見ていた女も、やがて柔らかく微笑んだ。
「私が断る理由なんてないさ、クリード。 …但し、条件が一つ」
「…何だい?」
「どんな夢を見ていたのか、私にも教えておくれよ、それが条件さ」