沈黙は金では無い。    作:ありっさ

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19.おじさんは盾でも剣でもありません。

 

《何だ、オレはまだ夢の中に居るのか》

 

 目が覚めた時、まず最初にトンパが考えた事はその一文だった。

 これを現実だと云うには余りにもリアリティの無い状況。 例えるならばTVのブラウン管。その内側に閉じ込められた様に、黒く四角い枠で切り取られた視界からトンパは世界を見ていた。 

 夢と現。 その違和感にはすぐに気が付く事になる。 

意識を投げ出す前に見ていた景色と今、枠から見ている景色が全く同じなのだ。 

 …本当にこれは夢の世界なのか? もしかすると現実では無いのか?

 そう考えてしまったら最後、言い知れない恐怖を覚えたトンパは堪らずに悲鳴を上げ、夢から醒めようと身を捩って…捩ろうとして気付く。 声が出せず、身体の感覚が全く分からない。 

 まるで暗黒の宇宙空間に放り出されたかのように、頭の先から足の爪先に至るまで、一切の感覚が消失していた。 如何に力を籠め、歯を食いしばってもがき、喉を震わせようとしてもこの不出来な夢から醒める事は叶わない。 

 

 操作しているイルミでさえ与り知らない事だが、一時的にとは言え意識を失った状態でイルミの針によって『人形』へ変えられた事。彼にとっての最大の不幸がそこに有った。 

 

 トンパの身体は彼の意識を離れ、額に埋め込まれた針が受信するイルミからの思念を頼りに動き始める。 

 今や元の主であるトンパの方が異物と化している状態であり、自身の意思が介在する余地は何処にも残されていなかった。 バージョンアップしたパーソナルコンピューターのOS、その内側にデータの塊として残されている旧OS。 

 トンパが置かれた今の状況を表すとすれば、それが一番近い表現だろうか。

 自らの意思を無視して動かぬ体。 自らの意思を無視して勝手に動き出す体。 耳を塞ぐ事も出来ず、嫌でも聞こえて来る外界の物音。

 

 どうやら前へ向かって歩いているらしい自分の直ぐ後ろに、クリードともう一人(恐らくはあの能面の様な顔をした男だろう)がぴったりと付いて来ているのが、時折漏れ聞こえて来る声で分かった。

 

「イルミ、約束しろ。この試験が終わったら彼を自由の身に開放すると」 

 

「…えー、面倒臭いなあ、まあ良いけどさ。 こんなおじさんを後生大事に手元に置く趣味もないしね」

 

《自由の身? 開放? オレの事か? …こいつ等の会話から察するに、あの不気味な男が俺の身体を操っているって事か? だがどうやってだよ、つーか元に戻せよ!》

 

 この状況で唯一、自分の意思で自由に動かせる脳内。そこでトンパが答えの出ない葛藤を繰り広げている間に風景は変化し、三人はまたしても行き止まりに突き当たっていた。 目の前には真白い大理石の石壁が広がっており、その中程に掌が収まるサイズの丸い窪みが三つ空いているのが見える。

 

「三又鉾、つまりこういう事な訳だね」 

 

「…恐らくだが、三人が揃っていなければ先へ進めない様な仕掛けが多々有ると見た方が良いだろうな」

 

 三人の手が同時に窪みへと翳されたその瞬間、トンパは確かに見た。 

 電気の様な無色の光が窪みから毛細血管の様に網状に広がり、部屋全体を走るのを。 

 数秒後、前方を塞いでいた石壁が地響きと共にせり上がって行く、

 

「予想通りだね。 道が開いた事だし、じゃあ出発進行」 

 

 イルミと呼ばれた男が抑揚の無い声でそう呟くと、枠から見える風景が少しずつ前に進み始める。 

 “やはり自分の身体は自分の意思を無視して、この男の裁量で動かされているのだ” 

 否応なしにそう悟るも、どうしようも無かった。 

 ともすれば発狂しそうな程の際限無い恐怖に包まれながら、それでもトンパには呻き声一つ、瞬き一つ自由に行う権利さえも与えられていなかったから。

 

 避雷針…もとい、トンパを先頭に三人がしばらく道なりに進んで行くと、延々と続くかと思われた廊下が不意に途切れ、階下へ降りる為の螺旋階段が見えて来た。

 

「…罠か」

 

「うん、罠だね。 …って事で、良し行け一号」 《…は?》

 

 短いやり取りの後、その場に留まる二人。歩み続ける自分。 

 階段の一段目、そこへトンパが右足を掛けた瞬間だった。カチリという妙に小気味良い音が踏み込んだ足元から聞こえると同時、突如として鋼の槍がすさまじい勢いで飛び出した。 上から下から横から、有りとあらゆる方向から。雨霰の様に。

 

《どおわああああああああ!!》

 

 頬の直ぐ真横を通り過ぎて行った刃に絶叫し肝を冷やすが、それが外へ漏れる事は無い。

 ギラリと光る穂先に映った自分の顔は、ゾッとするほどに感情が抜け落ちていた。

 

「おー、危なかったね。さて進もうか」 《おいふざけんな、危ないのはオレだけだろうが!! 人を罠避けに使うんじゃねえ!!》

 

 どんなに泣き喚こうが、トンパの叫びは届かない。 例え届いたとしても、イルミが懇願を聞き入れる事は無いだろうが。

 

「また罠だね、頼んだ一号(棒読み)」

 

 階段の途中で止まる二人。 進む自分。 発動する罠。

 

《ふざけんな畜生!! 俺の命を一体何だと思っていやがるんだ!! っでええええええ!?》

 

 

「さあ逝け、じゃないや、行け一号~(適当)」 《うわああああああ!?》

 

―—――—―

 

「おっ、また出番だ、良かったね(よそ見しながら)」 《ちっとも良くねえよバカやろおおおおお!!》 

 

―—―――――—――

 

「….(携帯電話を弄っている)」 《せめて何か言えよ…ってぎゃああああああああああ!?》

 

 鉄球、落とし穴、高圧電流の仕込まれた複数の仕掛け扉etc…。 

 延々と続く螺旋階段、その至る所に張り巡らされた罠をトンパ、もとい一号がその身を以て掻い潜りつつ進んで行くと、やがて奇妙なオブジェが三つ並んでいる小部屋へと出た。

 

「この像、さっきと同じ様に掌を当てる所が有るね」

 

「他に道は無いようだし、やって見るしか無いだろうな」

 

 翳す。 固く閉ざされていた岩戸が開く様に、扉が横へとスライドして行く。

 開いた先、そこは今までの小部屋とはまるで広さが違う、試験の為に誂えたような作りの部屋だった。 

 底のまるで見えない深さの奈落が四方を囲んでおり、その中央には石畳で構成された舞台が用意されている。 

 三人が室内へ入って来るのを見計らったかのように、天井に備え付けられたスピーカーから音声が響く。

 

 

『三又鉾の試験へようこそ。 此処では試験官と一人ずつ、一対一で勝負をしてもらう。 勝負の内容は試験官によって決められる。 君達三人で二勝すれば先へと進む為の道が開かれるだろう。 …但し、一敗する度にペナルティとして残り時間が二十時間ずつ減るので注意して欲しい。 …以上だ』

 

「ふむ。 随分とペナルティが重い気がするな」

 

「…確かにね。 あー分かった、多分だけどアレじゃない? 俺達が『使い手』だから厳しくしてるんだよ、きっと」

 

「成程、それで三人で二勝か。確かにそれなら合点が行く」

 

 二人がのほほんと会話している内に、閉ざされていた反対側の扉から囚人服を着た男と女が一人ずつ、そしてダークスーツに身を包んだ厳めしい男が一人、現れた。

 

「…スーツのあの男、何処かで見た覚えが有るな」

 

「あっ、クリードもやっぱりそう思った? オレもどっかで見た覚えが有るんだけどなー、何処だったか…」

 

 会話を遮る様にして先に出てきたのは囚人服を着た女だった。 

 中央舞台からクリード達に向けて指を向け、高らかに宣言する。

 

「さあ、此方の一番手は私だよ、そっちは誰が来るんだい?」

 

「うーん、見た感じは大した使い手じゃあ無さそうだけど。 …クリード、どうしようか?」

 

 夕食のおかずを尋ねるかの様に、緊張感の欠片も感じさせない口調でイルミがクリードの意見を聞く。

 

「彼方の出方を知る為にも様子見が必要だろう。 最悪、二勝一敗でも此処は通過できる。 詰まる所、僕とイルミが勝てば良い話だ。どうしても闘いたいと言うのなら止めはしないが」

 

「いや、まあそりゃそうだけどさ。 一々あんな雑魚の相手するの、面倒じゃない?」

 

 じろりと睥睨するイルミの視線を受けて女がぶるりと身を震わせる。

 

「…まあ良いや。 じゃあここは一号君に頑張って貰おうかな」 

 

「ハイ、ガンバリマス」

 

 口が開き、喉が震え、舌が言葉を紡ぐ。 トンパの体は相変わらず、彼自身の意思を完全に無視して中央舞台へと歩いて行った。

 

 

◆◆◆

 

 

「ちっ、誰が来るかと思ったらアンタかい。 おっさん何てアタシの趣味じゃ無いんだけどねぇ」

 

 目の前であからさまに失望された顔をされても、彼にとってはそれ所では無かった。 …そもそも『人形』と化した彼は、リアクションの取りようが無いのだが。

 

『出来る限り頑張ってくれ、()()()は気にしなくて良いから』

 

 トンパの頭の中では、舞台へ出てくる前に耳元でクリードに囁かれた言葉がぐるぐるとリフレインしていた。

 

「ゴタクハイイカラ、トットトカカッテコイヨクソビッチ」

 

 これ見よがしに唾を吐き捨てるトンパ。 次いで中指が天へ向けて立てられ、止めに親指が首を切る様に左から右へと流れて行った。

 

《おいよせ止めろ、わざわざ挑発すんなオレ!!》

 

「……ブチ殺す。 と言いたい所だけれどね、見ての通り私は腕力に自信が無いのさ。 という訳で私が提案するのは『にらめっこ』!! 先に声を出した方の負け!! …どうだ、分かり易いだろう?」

 

「イイダロウ、トットトハジメロ」

 

「へえ、見た目と裏腹に度胸は有るんだ。 …じゃあ行くよ? 私が次に『スタート』と言ったら勝負開始だ!! (馬鹿オヤジめ、引っかかりやがったな。 誰も顔で笑わせろとは言っていないのにねぇ? 男なんて生き物はみんな同じ!! 少しばかり下着でも見せてやれば動揺する事必至!! 其処を付く!!)」

 

「…スタート!!」

 

 舞台脇で睨みを利かせ…観戦していたイルミがぽつりと呟いた。

 

「…勝ったね」 「…ああ」

 

 

―—―――

 

―—―――――—――

 

 

『勝者、トンパ!!』

 

「ば…馬鹿な….。 私の色香が通用しない…!?」

 

《…そりゃそうだろうよ。 喋れねえんだもん、オレ》

 

「…終わったなら退け、次は俺が行く」

 

 敗北のショックで蹲った女を押しのける様にして、スーツの男が舞台へ登って来る。 

 

「この時を待っていたぞクリード…! あの日貴様にやられてから今まで、一日一秒としてこの失った四肢の痛み、そして恨みを忘れた事は無い。 さあ上がって来い!! 今こそ満願成就の時、被った汚名を晴らさせてもらう!!」

 

 怒りに震える指が指し示す先、クリード・ディスケンスはカチカチと携帯電話を弄っていた。

 

「…おーいクリード、何か指名されてるけど?」

 

 携帯を胸ポケットに仕舞い込み、クリードがゆっくりと顔を上げて男を見る。 暫しの間を置いて、得心が行った様に頷いた。

 

「…ああ、漸く思い出した。 彼はツェズゲラさん。以前、僕を捕えに来たブラックリストハンターだよ。 どうにもその時の印象が薄くて忘れてしまっていた様だ」

 

「わあ可哀想、本人を目の前にしてそんな事言っちゃうんだ」

 

 待ちきれないと言わんばかりにツェズゲラの身体から間欠泉を思わせる勢いで噴き上がるオーラ。 

 その流れは滑らか、かつ流麗であり、クリードへの怒りに任せて闇雲に修練して来たのでは無い事が見て取れた。

 やれやれと溜息を付いて、クリードが舞台へと上がる。

 

「どうもお待たせしたようで。 一つ宜しく頼む。 …所で勝敗はどうするのかな?」

 

「決まっている、何方かが死ぬまでだ。 …と言いたい所だが、生憎と此処での殺しは許可されていない。 故に勝敗は失神するか負けを認めるまで! …但し、オレが失神していると認めない限り死合いは終わらんがなぁ!! クククク…!!」

 

「成程、了解した。 …何時でもどうぞ?」

 

「ふん、どこまでそのふざけた態度を保っていられるかな…!? 行くぞ!!」

 

 足元の石舞台を踏み砕く勢いでツェズゲラがクリードに迫る。 

 小規模の爆発を想起させる程の凄まじい加速は、観戦していたイルミがほうと感嘆の溜息を漏らすほどだった。

 十メートルは優に離れていた二人の距離が一瞬の内にゼロになる。 

 横合いから左の鋼拳がクリードの顔面を目掛けて迫る中、抜刀即撃―—居合の構えから神速で抜き放たれた虎徹、その刃が一瞬早くツェズゲラの胴体を輪切りにせんと真一文字に奔った。 —――だが。

 

「…!」 「無駄だ!! 砕けろクリードォォォ!!」

 

 鈍い金属音と共に不可視の剣戟が弾かれる。 弾かれたその勢いを上手く利用して身体を捻り、寸での所で致死の鋼拳を躱したクリード。 しかし、その口端からは一筋の血が滴っていた。

 

(刃の破損によるフィードバック…! 幻想虎徹が欠ける程の合金とは。 このまま闇雲に斬り合っても分が悪いか…?)

 

 三次試験開始から今まで表情筋一つ、眉一つ動かす事の無かった目の前の怨敵。 

 その余裕に満ちた表情が初めて崩れたのを見て、ツェズゲラは愉悦と歓喜を抑えきれずにいた。 

 

(行ける、あの時とは違う。 自分の力はクリードに通用している。 これまでの血の滲む様な修練の日々は無駄では無かったのだ!!)  

 

「ふっ、今の一撃を良く躱したと褒めてやりたい所だが、生憎と残念だったな。 今の俺の拳は絶対無敵だ。 例え躱したとしても、それによって生じる風圧でさえ皮膚を裂き、骨を抉る凶器と化す!! くくく、ふははは…!!」

 

(意外に馬鹿だなアイツ。 あれ、どう見ても風圧で負ったダメージ何かじゃ無いでしょ。 …考えられる可能性としては、あの見えない刃が鎧で弾かれて欠けたから制約でクリード本体もダメージを受けた、かな? 面白いのは俺やヒソカと戦った時に見せた剣とまるで形状が違う事だよね、まあ何らかのトリガーが有るんだろうけれど…)

 

 観戦しているイルミが脳内で幻想虎徹に対する考えを纏めている内にも戦闘は続いている。 舞台上では好機と見たツェズゲラがクリードを一気呵成に攻め立てていた。

 

 風を切り裂く左フックから軽く残像を生じさせるほどの右の高速ジャブのコンビネーション。そこからオーラの流れや視線を含めた高度なフェイントを挟んで側頭部へのハイキック。 

 まともに受ける事を嫌い、屈んで避けようと姿勢を低く落としたクリード、その脳天を叩き潰そうと頭上で急停止した鋼の足が豪速で落ちる。まともに当たれば確実に肉はへしゃげ、骨が砕ける事は必死の苛烈な攻め。 

 それを左前方へ身を投げ出す様にして半ば転がりながら躱し、更にその回転の勢いを利用してクリードは再び剣戟を奔らせる。 

 狙いは全霊を籠めた蹴撃の代償に崩れた態勢、そこから狙える唯一の急所、首筋―—―!

 

 二度目。 ガリガリと金属と金属が擦れる耳障りな音が周囲一体に響き渡る。咄嗟にツェズゲラが顔の前で交差させた腕に阻まれ、刃は急所を貫く事が出来ずにいた。

 

「くくく…! 無駄だ、その程度の反撃は端から想定済よ。 …だが今の一撃、良く躱したと褒めておいてやろう。 まあ、この鋼の四肢から繰り出される殴打の嵐から何時まで逃げ続けられるか見物だがなぁ!!」

 

(…成程、守りを鋼の身体に委ねる事で全身全霊、全ての力を攻撃に集中出来る訳か。 アイツからしたら鋼で覆っていない急所だけ気を配って守れば良いと。 脳筋だけど、まあ中々に厄介かもね)

 

「一号はどう思う?」

 

《は、速すぎて何してんのか分かんねぇ..》

 

「...?」

 

 分の悪い鍔迫り合いを嫌い、クリードが後方へ飛び退く。 当然ツェズゲラがそれを見逃す筈も無く一足飛びに踏み込み、そして拳を振りかぶって、振り下ろそうとして。

 

「…何の真似だ?」

 

 クリードは何時の間にか虎徹を腰の鞘へと戻し、腕をだらりと下げて無造作に突っ立っていた。 少なくともツェズゲラにはそうとしか見えなかった。 

 

「戦闘中に得物を仕舞い、剰え呆けるとは。 随分と余裕だなクリード、それとももう諦めたのか?」

 

 どこまでも余裕の態度を崩さない怨敵。 図らずも言葉の端々に震えが混じる。 

 

「いや、これで良いんだ。 どうぞ、遠慮せず掛かって来るといい」

 

「…ふん。 そんなに死にたいのならば…望み通りブチ砕いてやろう!!」

 

 端正な顔面を目掛けて、超至近距離からツェズゲラの鋼拳が迫る。 そのスピードはこれまでの攻防で見せた動きよりも間違い無く数段速かった。 

 しかし、クリードは動かない。 ツェズゲラの視界が彩度を増して急速にスローになっていく、まるで白黒映画のコマ送りシーンの様にゆっくりと、必殺の拳がクリードに吸い込まれていく。

 

(くくく、もうお前がどう動こうと間に合わん!! …取った!!)  

 

 

 —――――パシィン!!

 

 

「…がはっ!?」

 

 

 果たして、血反吐を吐いたのは必勝の気合を籠めて全身全霊の拳を振り抜いたツェズゲラの方だった。 

 腹部から全身へと、波紋の様に広がる衝撃。 恐る恐るツェズゲラが視線を下げると、息遣いを感じる程に接近したクリードの掌が超合金で覆われた腹部の中心―—手首の半ばまで減り込んでいるのが見えた。 

 渾身の一撃は鋼の腕、更にその内側へと入り込んだクリードの銀髪を数本掠めただけの結果に終わってしまっていた。

 

「ぐっ、馬鹿な…!!」 「…悪いが終わりだ」

 

 ぼそりとクリードが呟いた言葉。 

 脳内で単語の意味を咀嚼する前にツェズゲラは腹から背に抜ける激しい衝撃を再度感じ、次の瞬間には遥か後方――中央舞台を突き抜け、周囲を囲む奈落を超えて、真白い大理石の壁へと錐揉み状態で叩き付けられた。

 この時、培って来た経験と勘がツェズゲラの命を救っていた。 

 クリードの全身から添えられた掌へとうねりながら急激に集中するオーラを見て、咄嗟に全てのオーラを【硬】で腹部に集中していなければ、間違いなく首から下は挽肉と化していただろう。 それ程の衝撃が詰められた一撃だった。

 

「み…ごと…..だ」

 

 ツェズゲラが完全に失神して起き上がって来ないのを確認し、此方へと戻って来たクリード。 イルミが投げやりに拍手を打って勝利を称える。

 

「お疲れー。 これで二勝だね。 っていうかクリードって寸勁とか使えるんだ。 …何処で覚えたの?」

 

「正確に言うなら通背拳という技だがな。 昔、仕事中に戦闘になった相手が使って来たのを覚えていて、時間を掛けて会得した。 …それだけだ」

 

 クリードの脳内に現在同じ塔内で試験をこなしているだろう少年、その父親の顔が浮かぶ。 態々其処まで懇切丁寧に説明する気も余力も無かったが。

 

「…ふーん、まあどうでもいいや、これで此処を突破出来る訳だしね」

 

 イルミの視線の先、ツェズゲラを背負った囚人服の男が扉の奥へと消えて行く。

 

『試験突破おめでとう。扉の先にペナルティ用の部屋が有るので、そこで時間を過ごしてもらう…と言いたい所だが、君達は一度も負けていないのでそのまま通過して頂いて結構だ。 …この先の健闘を祈る』

 

 話の腰を折られて興味を失ったのか、はたまた端からそんな物はどうでも良かったのか。イルミは我先にと開いた扉の先へ消えて行った。 …と見せかけて引き返して来た。

 

「イルミ、どうした?」

 

「ん~、クリード、先に行っててくれる? ちょっと忘れ物しちゃってさ」

 

 訝しげにイルミを見つめていたクリードだが、無言無表情を貫くイルミに根負けしたのか扉を潜り、一人外へと出て行った。

 クリードを見送った後、イルミはぐるりと後ろを振り返り、棒立ちしていたトンパを見やる。

 

「全く、約束を忘れるところだったよ。 —――という訳で、アンタは自由の身だ、良かったね」

 

 “じゃあバイバイ。それなりに役に立ったよアンタ” 

 

 相変わらずの抑揚のない声でイルミがそう呟くと、トンパの視界が後ろへ――—詰まる所、身体が少しずつ後退りを始めた。 少しずつ、少しずつ。

 

《ちょ…おい、ふざけんな、俺一人置いて行く気かよ! せめて身体を元に戻して行けよ!! …おい!?》

 

 如何に歯ぎしりをし、泣き叫ぼうとトンパの口から音が漏れる事は無い。 徐々に離れていくイルミの背に恨みの念をぶつけるも、状況は何一つ変化しなかった。

 一歩、また一歩。 じりじりと後ろへ下がって行く視界。 やがてトンパの脳内に或る一つの恐ろしい考えが過る。

 

《…おい待て、待てよ? まさか、このまま後ろに下がって行ったら…!!》

 

 この状況下、否が応でも思い返すこの部屋の構造。 四角い石畳の闘技場、その周囲を囲む様に配置された奈落。 脳内で描く現在の自分の位置。 …つまり。

 

《ああああああああああああああああああああ!! 誰か助けて!! 誰か誰かダレかダレかd…》

 

 

 

 

 クリード・ディスケンス 所要時間十六時間二十三分。

 ギタラクル 所要時間十六時間二十六分。 三次試験突破!!

 

「イル…ギタラクル、彼はどうした?」

 

「ん? ああ、アイツならこの先の試験に合格する自信が無いから辞退するってさ。 勿体無いよねー」

 




一度やって見たかった魔改造、ちょっとだけ満足。

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