沈黙は金では無い。    作:ありっさ

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真面目な話だよ!


15.5 貴方は神を信じますか?

 ありふれた、何所にでも存在する様な喫茶店。 

 男が一人、窓際の席で本を読んでいた。艶の有る黒い髪を、白いヘアバンドで留めた若い男だった。

 整った顔立ちは、街を歩けば幾人もの女性が振り返る程には俗世離れしている。 

 近寄って来る者が居ないのは、男の纏う独特の空気が、周囲との干渉を遠ざける異質な雰囲気を醸し出しているからか。 

  …そも、今この喫茶店には店主とアルバイトの給仕を除けば、黒髪の男しか客と呼べる人間は居ないのだが。

 

 古びた蓄音機から流れてくるクラシカルなジャズと、掛け時計の秒針が進む音をBGMに時間がゆっくりと流れて行く。

 口に出した事は無いが、男はこの店に漂う退廃的な雰囲気がそこそこ気に入っていた。新しい本を入手する度にこの店のドアを開く程度には。

 

 男の持つ古めかしい本の頁が半分程捲られた時、喫茶店の入り口でからんとベルが鳴り、新たな客の入店を知らせた。

 丁度洗い場に居た給仕の代わりに、妙齢の店主が鈍重な動きでカウンターを出て応対に向かって来るのを手で制し、先の男と待ち合わせしている旨を伝えたのは真っ白い洋装に身を包んだ金髪の女だった。腰に一振りの西洋剣を携えた、凛とした空気を身に纏う女だ。

 年齢は20代後半から30代前半という所だろうか。艶の有るブロンドが風に吹かれてはたはたと揺れていた。

 

「すいません、どうやら待たせてしまった様ですね」

 

「…いや、先に俺が此処に来ていただけだ、約束した時間は過ぎて居ないよ」

 

 栞を挟み、ぱたりと本を閉じた男が顔を上げ、値踏みする様にじろりと女を見た。 

 

「そうですか、では失礼します」

 

 ねめつける様な男の視線を気にも留めず、からからと椅子を引いて男の対面に女は腰掛ける。

 目の前の男を一瞥して徐にテーブルの上に立て掛けられたメニュー表を手に取り、暫し熟考した後に給仕を呼びつけると、高らかに注文を言い付けた。

 

「では、お手数ですがこのケーキの欄に書かれている物を上から下まで全てお願いします。 後、カフェオレを一杯。 当然ですが砂糖ましましで」

 

「…はい?」

 

 給仕が間の抜けた顔を晒す。 女の注文を聞き間違えたのか、または急に耳が遠くなったのか? と考えざるを得なかったのだ。 

 無理も無い事だった。この喫茶店の(唯一の)売りであるケーキ。 シナモンロール、ジャポン栗のモンブラン、オードソックスなショートケーキetc…。 数にして20、それを一度に全て頼む等というふざけた人間が存在するとは想像すらしていなかったのだ。 その後ろで男も驚愕に眼を見開いている。 カウンターの奥では店主も天を仰いで仰け反っていた。

 

(こいつは一体全体、此処に何をしに来たのだろうか。 まさかわざわざ人様を呼びつけておいて、見たくも無いケーキの大食いでも見せつける心算なのか…?)

 

 男は心の内で、以前にこの喫茶店で出会った銀髪の男と眼前の女を無意識に重ね合わせていた。

 人を小馬鹿にした様な態度といい、身に纏う雰囲気といい、腰に差した剣といい、どうにも身内か、それに近しい者としか思えない。

 

「…注文が聞こえませんでしたか? 全てです、全て。 迅速に、かつ最高の品を所望します」

 

「ヒィ!? し、少々お待ちくださいませー!!」

 

 女に睨まれ、給仕は足をもつれさせながらも慌ただしくカウンターへ駆けこんで行く。

 給仕から男へ、視線を戻した女は髪を後ろに流して溜息を一つ吐き、木目の机の上で手を組んだ。

 

「…さて、()()()()()の注文も済ませた事ですし、改めて自己紹介と行きましょうか。 私はセフィリア・アークスと云う者です。 先日は不肖の弟子、クリードがお世話になった様で」

 

 男の中で予測が確信に変わった瞬間だった。 

 とりあえず、当たり障りの無い返答をしようと男が口を開いた瞬間、セフィリアの掌が顔を覆う様に突き出された。 

 

「ああ、貴方の名前は既に存じているので結構ですよ? …幻影旅団団長、クロロ・ルシルフルさん」

 

 伸ばした掌に収まりきらず、はみ出した男の顔のパーツがひくひくと動いているのがセフィリアからは良く見えた。

 

「…アンタといい、アイツといい、人の神経を逆撫でする趣味でも有るのか?」

 

「失礼な、私をあの超Sクラスの鈍感無神経男と同列にしないで頂きたい」

 

 どう見ても同じ類の人間にしか見えないが。 

 危うく口から漏れ出そうになった言葉を呑みこんで、クロロは本題を話せと促した。 

 小窓の向こう側で、一際に強く風が吹き付けている。

 

「おや、性急な事ですね。 …本題に入る前に一つ、聞いておかなければならない事が有ります。 

 

 ―――貴方は神を信じますか?」

 

 フッ、とクロロの口から失笑が漏れた。

 

「生憎だが、俺は神を信じちゃいないんだ」

 

 そう言うとクロロはヘアバンドを外し、前髪を搔き上げて見せた。 露わになった額の中心には神への反逆の証―逆十字が彫られていた。

 

「…成程、寧ろ自分は神に反逆する人間だと主張している訳ですね」

 

「何だ、わざわざ人を呼びつけておいて宗教の勧誘でもする心算か? …それとも星の使徒は新興宗教の信者の集まりだったのか?」

 

 嘲りを含んだクロロの言葉に苛立つでも無く、語気を荒げるでもなく。 

 只、セフィリアの腹部から極々小さな唸り声が聞こえた。 クロロは何も聞かなかった事にした。

 

「ゴホン! …い、いえ、そう云う訳では有りません。 これからする話の前にどうしても聞いておかなければならなかったものですから」

 

 そう言いつつも、セフィリアの視線は明後日の方向―給仕がワゴンに乗せて運んで来るケーキの山へ向けられている。

 

「お、お待たせしました、こちらが当店のケーキの一式になります」

 

 ワゴンから机へと次々に移送されて来る数多のケーキの群れ。 脳味噌が爛れる様な、甘い香りが二人の座るテーブル、否、店内を余さず蹂躙していく。 見ているだけで胸焼けを起こしそうだとクロロは思った。

 全てのケーキが机へ置かれた時には、セフィリアは苺のムースを早々と食べ終わり、間髪入れずに隣のティラミスへと食指を伸ばし始めている所だった。 

 

「話を戻しましょう。 貴方、クロロさんは神や、宗教に類する物は信じていないが、神の存在は信じている、と」

 

 一口で三分の一が口内へと消える。 クロロはセフィリアをUMAか宇宙人でも見る様な、信じられない物を見てしまったといわんばかりの表情で見ていた。

 

「クリードから星の使徒について、何か聞きましたか?」

 

 回答を待たず、残りの三分の二が口内へと吸い込まれていく。 僅かな咀嚼の後、隣のモンブランタルトが半分に分断される。

 

「…特に何も。 少し調べた限りでは、俺達と同列のA級犯罪者集団というぐらいだな。 俺達と違う所は、組織としての目的がどうにも不透明な所か」

 

 回答の報酬としてセフィリアから突き出されたのは、フォークに刺さったモンブラン、二分の一ヶ。

 

「…何がしたい?」

 

 訝しがるクロロに、極々真面目な口調でセフィリアは告げた。

 

「食べなさい」

 

「人をおちょくるのも大概にしろよ…!」

 

 ついに忍耐の限界を超えたクロロから怒気が放たれた。 

 それを、まるで稚児が駄々を捏ねるのを見ているかのようにセフィリアは涼しげな表情のままで見つめていた。 口をもきゅもきゅさせながら。

 

「モタブの予言書」

 

 机を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がりかけていたクロロの動きがピタリと止まる。 

 

「貴方にお譲りしましょう。 …但し、このモンブランを食べて、尚且つ私の話を最後まで聞いて頂けたら、ですが」

 

「……良いだろう、提案に乗ってやる」

 

 言うが早いか、クロロはフォークを喰い千切らんばかりの勢いでモンブランに食らいついた。冷静沈着を素で行う彼らしくない、やけくそな行動だった。 

 幻影旅団の突っ込み担当で有るシャルナーク辺りがこの場に居たならば、さぞかし口をあんぐりさせていたに違いない。

 

 瞬間、口内に広がる柔らかで典雅なモンブランクリームの風味。 鼻へ抜ける独特の芳香が、使用されている栗の品質の高さを暗に誇示している。特筆すべきは生地に練り込まれている細かく刻まれた薄皮付きの栗の実だろう。噛みしめる度にぷちりと心地よく弾け、それがまた、ともすれば飽きが来やすいモンブランの食感のアクセントとして素晴らしい役割を果たしていた。

 

「…これは、美味いな」

 

 かなりの頻度でこの喫茶店に来店しているクロロだったが、コーヒーか紅茶、稀に軽食類しか注文する事は無かった為、ケーキを食べるのは初めてだった。 

 別に甘いものが嫌いという訳では無く、好きこのんで注文する気にならなかっただけの話だが。

 

「品が有りませんねクロロ。 …折角私があ~んをしてあげようと思っていたのに無碍にするとは」

 

「やかましい黙れ、早く話を進めろ」

 

 悍ましいまでの怒気を放ちつつも、一口に入れてしまったモンブランの量に四苦八苦しているクロロ。 それをセフィリアは微笑ましい気持ちで眺めていた。マドレーヌを分割しながら。

 

「私を含めて、星の使徒の全てのメンバーには或る共通点が有ります」

 

「…神を見た事が有るとでも言う心算か?」

 

 先の会話を踏まえてのクロロの言葉だったが、不正解だと伝えたいのかクロロの眼前でフォークが左右に揺れる。 額に青筋が浮かびかけるのをクロロは鋼の精神力で抑え込んだ。

 

「残念、不正解です。 …良い所は突いていますが」

 

 正解はですね。 

 

 そう言いつつ、セフィリアの口内へチョコレートケーキが消えて行く。 

 アクセントに乗せられたのだろうオレンジピールの残骸が、真っ白い皿の上でケーキが此処に在ったのだと主張している様だと、クロロは疲労が蓄積し始めた頭でぼんやりと考えた。

 

「私達には、とある摩訶不思議な記憶が共通して存在するのです。 …多少の個人差は有りますがね」

 

「…記憶?」

 

 

 セフィリアが語った事は、クロロには俄かに信じがたい話の連続だった。

 この世界に存在しない、異なる世界の『漫画』の記憶を持つ人間。 それも複数。 一つの例外も無く『原作』キャラクターに酷似した外見、能力。 その集まりが、『星の使徒』なのだとセフィリアは言った。

 かのクリード・ディスケンスや、目の前でシナモンロールを満面の笑顔でもぐもぐしている女も同様なのだという。

 クロロは久方ぶりに盗賊としての血が騒ぐのを感じていた。

 

「…そこで私は違和感を覚えたのです。 不可思議な記憶を保有する者は、その量や鮮明さに多少の違いは有っても今、この世では先にお話しした様に『ブラックキャット』の原作キャラクターに酷似している容姿、発現する能力も強弱や規模は違えども同一と断言しても良いレベルを例外なく保持しています。

しかしです、前世の自分は誰で、どんな人間だったのかとなると一切思い出せないのですよ。 …記憶を保有している誰一人として、です」

 

 言葉の終わり際、セフィリアの口の中にチーズケーキが消えて行く。

 

「成程な。 まるで、神によって作られた様な記憶という訳か」

 

 外気から、口内から、纏わりつく甘ったるい匂いを打ち消すかのように、クロロはブラックコーヒーを口に含んだ。

 

「その通り。 この様な奇跡、神の御業としか思えない。 …しかし、誰一人として神の御姿を見た事は無いのです」

 

 季節のベリーがふんだんに練り込まれたロールが分割され、口内へ消えていく。 

 

「…成程、確かに面白い話では有るな。 だが、何故俺にその話を聞かせた? お前の口ぶりから察するに、俺がその記憶を持っていると思って接触して来た訳ではあるまい」

 

 ええ、その通りです。

 

 セフィリアは一つ頷くと純白のショートケーキを目の前に引き寄せた。

 

「ではお聞きします。 ――神の定義とは?」

 

 暫し熟考して、クロロは答える。

 

「…全知全能で有る事か?」

 

 フォークに刺さった大粒の苺が艶めかしい唇へ、その奥へと呑み込まれていく。 僅かな咀嚼の後、ごくりと音を立てて喉を通り、胃へ流れて行った。 

 

「ぎりぎり及第点と言った所ですね、クロロ。 …では、今回貴方を呼び出した理由、本題に入ります」

 

 今までになく真剣な面持ちで、セフィリアはクロロを真正面から見据えた。 頬に生クリームをこびり付かせて。

 

「―――もし、未来の情報を知る事が出来たとしたならば、貴方は対価に何を差し出せますか?」

 

 吹き付けていた風は、いつの間にか止んでいた。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「さて、行きますよクロロ! めくるめくスイーツ巡りの旅へ!!」

 

 結局、20に迫る数のケーキをほぼ一人で完食し、更に御土産としてホールのショートケーキをぶら下げたセフィリアはすこぶる上機嫌だった。

 

「……は?」 「…ん?」

 

 コイツは一体何を言っているんだ? というクロロの視線と、この人は何故に疑問符で返答したのでしょう? というセフィリアの視線が交錯する。

 

「貴方は何を勘違いしているのですか? 私の話はまだ終わってはいませんよ?」

 

「何…だと….!?」

 

「提示した条件は、『私の話を最後まで聞いてくれたら』です。 此処で別れるのならば、誠に残念な事ですが約定は無効となりますねえ」

 

 してやったりな表情でにやにやと笑うセフィリアを力無く睨み返す事しか、クロロに出来る事は残っていなかった。

 

(コイツ、まだ食べる気なのか…!? 俺の金で!!)

 

「…太るぞ?」

 

 失言だったと気付いたのは、直ぐ脇を通り抜けた一筋の風と、半ばから寸断されて轟音と共に倒れ込んだ電柱を視界に入れた後。

 

「う、運動するから平気です!!」

 

 若干涙目になりながらそう叫ぶセフィリアを見て、こいつは間違いなくクリードの師匠なのだろうな、とクロロは疲労が溜まりきってぼんやりとした脳内で考えた。

 

 

 

 

 

 半日後、スイーツ巡りの旅(強制)から漸く解放され、胸焼けの激しい腹を摩りつつクロロは帰路を辿る。

 込み上げる吐き気と共に思い出すのは、帰り際のセフィリアの言葉。

 

 

 この十年余り、私は手掛かりを求め、同じ記憶を持つ仲間を探しながら世界を回って来ました。 

 

 ――そしてついに見つけたのです、全てを解き明かす『鍵』の存在を。

 

 

「神の御許へ踏み込む禁忌の技術、ナノマシン【G・B】―――か」

 

 先に紹介された予知能力者の事と云い、今日は収穫の多い日だったと言えるだろう。 得た情報の代わり、対価はかなり高く付いてしまったが、それはこれから取り戻せば良いだけの話だ。

 くつくつと笑いながら、盗賊は闇に紛れる様に姿を消した。

 


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