【Ⅸ】
アークス流剣術―終の三十六手、滅界。
その意は使用者の身体に重大な負担を強いる程の絶技。
その技は極限を超えた剣戟乱舞。高速を凌駕し、音速を超えて光速に迫る神技。
要は凄まじく速い突きの連続である。そう言い切ってしまえば一言で済む程に簡単だが、それ故に強い。
シンプル故に強く、単純故に打ち破る方法は限られる。
奇しくもそれはハンター協会会長ネテロ・アイザックの秘奥、百式観音が繰り出す不可避の速攻と酷似していた。
――技を受けし者が【神】を垣間見る事も含めて。
異様な光景が広がっていた。
通学路として使用されていた筈のアスファルトは歪に捲れ上がって波打ち、その傍らには半ばから飴細工の様に捻じ曲がり倒れた電信柱。周囲一帯には崩れたコンクリートブロックが散らばっている。
砂埃が立ち込めるその一角は戦場もかくやと言わんばかりの凄まじい惨状が広がり、通学路には倒れ伏した人々が折り重なるように倒れていた。
彼らはもう二度と瞼を開ける事は無い。
自らの意思と無関係に操られ、意思なき傀儡と化した。そして事が終わってしまえばそこらに転がっている空き缶の如く投げ捨てられる。
強者が弱者に求める物はいつだって理不尽だった。
その中で一際に凄惨な景色が有った。
人の形を留めない程四方に飛散した肉片、どす黒い血の水溜り、砕けた脳漿、はみ出た臓物と潰れた眼球。
そして足の踏み場も無い程のそれらの真ん中に平然と立つ長髪の男。
能面を思わせるその顔には何の感慨も浮かんではいない。
「あー、久々に死ぬかと思った。 残しておいて良かったよ、肉人形」
「……下種め」
思わず吐き捨てたセフィリアだが、怒気を孕んだ口調と裏腹にその呼吸は荒く乱れている。
(好機に逸って勝負を焦りすぎましたか、まさかあの様な外道な方法を平然と使用して来るとは)
滅界を放とうと気を放ったあの瞬間、周囲に倒れていた哀れな傀儡人形達が一斉にイルミに引き寄せられ、文字通り肉の盾と化したのだ。
(あの時、咄嗟に滅界の軌道を逸らさなければ、あの男を仕留める事は出来たでしょうか? …いや、恐らく彼らが緩衝材となって致命の一撃にはなりえなかったでしょうね)
「…ついでに補足しておくとこの人達、体内にしこたま針が仕込まれていました。 ともすれば不意を突かれて僕達もやられていた可能性も有りえましたね」
刹那のタイミングで滅界を回避したクリードが臓腑を曝け出した老人を横目に見ながら立ち上がる。
「もう少し近寄ってくれたらお見舞いできたんだけどね。 ホント、つくづく愚図って使えないや」
抑揚の無い声には、使い捨てた命への敬意も哀悼の念も感じられない。
書き損じた紙を丸めて投げて、屑籠に放り込み損ねた。イルミ・ゾルディックには精々その程度の認識だった。
「ゾルディック。 貴方は他人の命を何だと思っているのですか?」
漏れ出る怒りを噛み殺す様に、溢れだそうとする感情を抑えつける様に。
俯いたままセフィリアは呟く。
「……私も決して人に誇れるような人間では有りません。 他人の血で汚れた掌は貴方と同じです。 ・・・けれど、けれども。
貴方と私で確実に、大きく違う所が一つ有ります」
「…へえ、違う所? 興味が有るね、教えてよ」
イルミは揺るがない。
彼は何処までも無感情で無表情だった。それは暗殺者としては正しいのだろう。だが、この場に限って言うならば、彼は超弩級の地雷を踏み抜いた。
ーー瞬間、セフィリア・アークスを繋ぎ止めていた最後のブレーカーが弾け飛び、落ちる。
「イルミ・ゾルディック、貴方には覚悟が有りません。 手前勝手な都合で手に掛けた命。それを背負って生きる覚悟も無しに、私の前に現れた事を後悔させてあげましょう・・・!」
セフィリアの瞳が真正面からイルミを捕えた。
久しく感じていなかった感覚。ぞわりと全身が粟立つ様な、凄まじい悪寒がイルミの全身を駆け巡る。
「人の命の重みをその身を持って知れッッ!!」
咆哮と共に大気が弾け飛んだ。
噴火の如く吹き上がるオーラに世界が震え、空間が揺らぐ。
次の瞬間、イルミの正面数十センチの所にセフィリアが居た。
先程までの戦闘と桁違いの速度にイルミの思考が追い付けない。
咄嗟に後方へ飛び下がろうとして―――彼は盛大に地面に叩き付けられる。
受け身も取れず背中を強打する事になり、次いで左腕から今までに味わった事の無い猛烈な灼熱感を感じた。
(くっ、何が起きた・・・!?)
残った肉の壁を引き寄せると共に素早く体勢を立て直し、状況を把握しようと試みる。
未だ衝撃に揺れる彼の視界に映ったのは、クリードが持っている異様な剣だった。
『グゲゲゲゲ…ゲゲゲ…!!』
先程まで携えていた不可視の剣とは似ても似つかない醜悪な剣。
それが自らの腕を根元から喰いちぎったのだと認識するのに数瞬。
引き寄せようとした肉壁と自分を繋げるワイヤーが全て切断されている事に気づくまで更に数瞬。
視界から消えたセフィリアを探すのに更に数瞬。
それだけの時間が有れば、セフィリアには十分だった。
「…せめて仏の慈悲を持って葬りましょう、イルミ・ゾルディック」
手加減無し、本当の威力を籠めた【滅界】が彼の身体を隈なく蹂躙していく。
―――夕闇に甲高い電子音が響いていた。
【Ⅹ】
セフィリアの滅界によって文字通り砂塵と化した通学路。僅かに残った瓦礫の一つに腰を預け、座り込んだイルミが何所かと連絡を取っている。
その身体には左腕が無かった。更に左の脇腹は大きく抉れ、さらしで固定しているものの、隙間からはピンク色の腸が覗き、ぽつぽつと血が滴っている。
血臭香るその脇で、クリードが蛙か飛蝗の様に這い蹲った姿勢のまま何やら喚いていた。
「というか、さっきから酷いですよ! 僕ごと殺す気ですか師匠!!」
「おや失礼な、これでもかなり(心の中で)加減して放ちましたよ? そもそも直前に即死コースから軌道を逸らしましたしね。 …それに私が何を放つか態々丁寧に予告してあげたではないですか」
クリード君、あの程度位は余裕を持って躱せる様になりなさい。
至極理不尽な事をさらりと述べつつ、セフィリアは懐の携帯電話を取り出した。
「…クリード君、どうやら時間稼ぎは成功したようですよ」
「そうですか、良かった。 …ではこれでキョウコさんは貴方達に狙われる事は無くなったのですね?」
埃を叩きながらよっこらせと立ち上がったクリードがイルミに問う。 左手で通信機を内ポケットに仕舞ってから、イルミが考え込む姿勢を見せた。
「…ああ、そういう事か。 まあ、依頼主から中止命令を出されたらしょうがない。 オレとしてはもう少し早く出して欲しかったけどね? 割と本気で死ぬところだったし」
まあいいや、仕事が無くなったなら用は無いから。
そう言い捨てるが否や、すたすたと立ち去るイルミを見送った後、セフィリアが膝から崩れ落ちる様に倒れた。
「あ、あああああ、ああああああ・・・・!!」
「ちょっと師匠、大丈夫ですか? 滅界二連発何て無茶苦茶するから!」
「大丈夫ですか?ですって? …全然大丈夫ではありませんよ!! これを見なさい、この無残な姿を…!!」
(…まさか、無茶な使い方をした所為でクライストが欠けてしまったのか!? ついさっき研ぎ終わったばかりなのに! 僕のポケットマネーで!!)
クリードが悲壮な声を上げたセフィリアの視線の先を見れば、何の事は無い。
土埃に塗れ、溶けてグシャグシャに崩れた雪見大○の残骸が転がっていた。
「まだ半分しか食べてないというのに!! おのれゾルディックぅうううう・・・!」
全く、逆恨みも甚だしい。
そう思いながらクリードが視線を横にずらすと、文字通り砂の塊と化した通学路の一角に歪な阿弥陀如来が顕現していた。
咄嗟に軌道を逸らしたせいでこんな口元がにやけた仏様になってしまったらしい。
改めて周りを見れば、何処かの誰かが手加減無しで放った滅界のせいで視界に映る物全てが滅茶苦茶だった。大災害がピンポイントで直撃したのだと言われてもあながち嘘とは思えない光景だ。
「ああああああああああ!!!!?」
「……師匠、今度は何ですか?」
「此処に! 確かに隠しておいた、お持ち帰り用に取って置いたゴリゴリ君がありません!! 氷嚢ごと持って行かれたに違いない!!」
おのれゾルディック、ゆ゛る゛さ゛ん゛!!
もう片方の腕も捥いでや゛る゛!!
咆哮と共にセフィリアが阿修羅の形相で走り出し、数歩進んだ所で思いっきりずっこけた。
「あっ、痛たたた……」
「幾ら師匠でも無理ですって、あれを連発して尚戦おうなんて無茶ですよ。 …そんな事より、ふざけていないで早くこの場から離れましょうよ…ってあれ? 師匠!? 消えた!?」
直後、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。振り返れば視界を埋め尽くす赤色灯の群れ。
気が付けばクリードはパトカーと特殊警察に完全に包囲されていた。
「手を挙げて地面に伏せろォ!! お前は完全に包囲されている!!」
「そんな、僕が何をしたっていうのですか? やったのは殆ど師匠なのに!!
...っていうかもしかしなくてもこれ、全部僕がやった事になるんじゃ…」
もしかしなくてもその通りだった。
◆ ◆ ◆
「命を背負う覚悟、ねえ。 そんな物一々背負っていたら暗殺業何て出来やしないっての。 …ふーん、中々美味いねこのアイス」
今丁度家に居る筈だし、キルにお土産で持って帰るかな。
そうだ、帰ったら義手を作って貰わなきゃ。 . ...そういえば【アレ】が居るか。 折角だし使ってみよう。
割に合わな過ぎる仕事を終え、暗殺者は帰路に着く。
――未来が欲しいのならば金と銀に手を出してはいけない。
世界を知る者に刃を立てる事は、未来を捨てる事と同義なのだから。
ランプの灯りがぼんやりと部屋の薄闇を照らしていた。
暖かな橙の光が照らした先に、倒れ伏した壮年の男が居た。
唐突にその指先がぴくりと跳ねる。数秒の間を置いてもう一度。
時間を置いて一定の間隔で痙攣が続く。指から掌へ、そこから腕へ登り、肩へ達し、やがて全身へ痙攣が廻って行く。
爪先まで痙攣が達してから暫し。
最後に一度、身体が大きく仰け反る様に跳ねると、ギギギと擬音が付く様な、糸に引っ張られる傀儡人形を思わせるぎこちない動作で男は立ち上がった。
腕を上げたり掌を開閉したり。
それはまるで生まれたばかりの赤子が自らの身体の動かし方を確かめている様を想像させた。
「うーーー、…あー、…うー、…….あーー、ああーーー………」
抑揚の無い声が静寂に満ちた居室に響き渡る。
それはまるで雛鳥が声の出し方を確かめている様を想像させた。
やがて満足したのか、それとも声を出すのに飽きたのかはさて置いて、男はキョロキョロと周囲を見回し始める。
そして先程のどこかぎこちない動作では無く、生きた人間の動きで机の前まで歩いて行き、其処に有った一枚の紙を手に取った。
「…なる、ほど、な」
その直後、尋常ならざる物音と苦痛に満ちた声を聞きつけたダルツォルネが主人の居る部屋の扉を勢いよく開け放った。
「ノストラード様、失礼します!!」
果たして、彼の主人は安楽椅子に座っていた。
血相を変えて飛び込んで来たダルツォルネをじろりと睥睨して重々しく口を開く。
「どうした、ダルツォルネ。 随分と、騒がしいな」
「い、いえ…。 大きな音が聞こえましたので、何事かと思いまして…」
「ああ、そこの椅子を倒してしまっただけだ。 …それよりも今日が終わるまでまだ後七時間はあるだろう、気を抜くな」
「は、はあ、申し訳ありません…」
訝しがりつつ首を捻りながら部屋を出て行ったダルツォルネを見送った後、ノストラードと呼ばれた男は懐から携帯電話を取り出した。
「ふん、全く面倒な事だ。 しかしこの男が使えるのも事実…。 未来を見据えた行動の早さ、流石はクリード様だな」
何処かで虫の羽音が聞こえていた。
【epilogue】
目を覚ました時、全ては終わっていた。
私の居ない所で私を巻き込んで話は進み、けれども私が関わる余地が無いまま事態は収束してしまったのだ。
…どうにも今日一日で起こった事が色々と現実離れしすぎていて実感が湧かない。未だに夢の中を漂っている様な気分だった。
事の顛末は砂塗れで帰って来た栗井、じゃないクリードさんから聞く事が出来た。
何でも私達一家は世界でも有数の殺し屋に狙われていたらしい。あのネコ目の長髪さんは、その中でも特にヤバイ奴だったとか。
じゃあクリードさんは何奴?と聞けば、実は泣く子も黙る極悪犯罪集団の団長だとか何とか。 突拍子の無さに思わず噴出しかけたが、彼の真剣な表情を見るに冗談で言った訳では無いらしい。
「…とまあ、おかげで僕は大量殺人、テロ容疑に公共物損壊、公務執行妨害その他諸々の極悪犯罪人扱いですよ? 全く心外です」
それを聞いて、何の気なしにTVを付けてみる。丁度アナウンサーのお姉さんが強張った表情で緊急速報を読み上げている所だった。
どうやら目の前のイケメンは放課後の通学路に突如として出現し、居合わせた通行人を老若男女の見境なく切り裂き、爆弾で粉微塵に吹き飛ばし、それだけでは飽き足らず手当たり次第に建物や壁に当たり散らし、挙句の果てには包囲した警察を振り切って現在も逃走中らしい。
現場に謎の阿弥陀様を残して。
砂埃を被ったまま、必死になって警察から逃げ回る残念なイケメンことクリードさんを想像して私は大いに笑った。
「あっはははは、 …あー、笑った笑った。 うーん、一年分ぐらい纏めて笑った気がするなー。 …あっ、もしかして今警察にクリードさん突きだしたら賞金もらえたりします?」
「えっ? まあ、今までの余罪を含めれば軽く億は貰えるでしょうね。 …こんな事は自慢にもなりませんが。 ってキョウコさん、割と洒落にならないので止めて下さいね?」
クリードさんはでかでかと自分の姿が映し出されたTVを顔を引き攣らせながら凝視している。
それからもう少しだけ詳しい話を聞いた。
本当なら両親と同じ時間に私はあの世に行って居たらしいが、運良くクリードさんとセフィリアさんが赴任して来る日だった為、今こうして生きているそうだ。
じゃあ何で二人がこんな何の変哲も無い地方都市に赴任して来たのかを質問したら、お昼の話をもう一度最初から聞かされる事になった。
「キリサキさん、お昼に僕が言った事を覚えていますか?」
「前世の記憶がどうこうって話ですか?」
「そうです、僕とセフィリアさんは共にその【記憶】を持っているのです」
少々話が長いので割愛。クリードさんの話を要約するとこういう事だ。
◆クリードさんとセフィリア先生は効率よく情報を集める為に組織を作り、同じ様な記憶が有る人間を探して世界を回っている。
◆同じ記憶を持っている人間でも、その中身にはかなりの個人差が有る。
現にクリードさんは穴ぼこだらけの記憶しかないが、セフィリア先生はほぼ完全に近い形で記憶を思い出しているらしい。
◆組織の目標は、『原因』を突きとめる事。
そして私の様に不可思議な記憶を思い出していない『原作に登場していた』人間を見つけ出し、組織に勧誘、もしくは保護する事。
根掘り葉掘り話を聞いている内に何時の間にやら時計は二十一時を指していた。
「…おや、もうこんな時間ですか。 キリサキさん、お疲れの所を長々とお話してすみませんでした」
「いいえ、先生こそ私を護ってくれてありがとうございました。 セフィリア先生にもお礼を言わなくちゃいけないですね。 ……星の使徒、でしたっけ? 其処に入るかどうかはまだ決められないですけれど」
「別に焦る必要はありません。 キョウコさんの人生は貴女自身が決めれば良いのです、誰かに強制されて進む物では無いですから」
そう言ってクリードさんは柔らかく微笑んだ。見る見るうちに私の顔が紅くなっていくのが分かる。
「……最後にもう一つ、これは余計なお世話かもしれませんが。 お父さんとお母さんは、決してキョウコさんを見捨てていませんでしたよ?」
訝しがる私を見て、栗井さんが鞄の中から一枚の紙を差し出した。
「キリサキさんの御両親は立派に守りましたよ。 自分達の命よりも、患者の命よりも、何よりも貴女を優先して守ったんです」
「守った…? 私を?」
それでは、答えが決まったら教えて下さいね。それまでは此処に居てもらって結構ですから。
そう言ってクリードさんはホテルの部屋を出て行った。
私の人生の中で、恐らく最も慌ただしい一日が終わろうとしている。
…それにしても今日は疲れた。気だるさに身を任せてさっさと寝てしまおうかと思ったが、流石にまだ早すぎるのでテラスへ出てみる事にした。
...決してセンチメンタルな気分になった訳では無い。
一応部屋の周囲は警戒してくれているらしいが、念の為に外へは出ない様にとのお達しが出ていた。 …まあテラスならセーフだと思う。
遠くの方に街の灯りが見えた。多分私が住んで居る町だろう。
―――覚悟を決めろ、私。
意を決して紙を覗き込む。そこに書かれた文字はインクが掠れて滲んでいるのか、とても読みづらかった。
「ところで師匠、結局何故わざわざジャポンに来られたので?」
「そんなものは決まっています。 クリード君が真面目に教師をやっているのを笑い…じゃない、観察…ではなくて、ええと…そう、見学…じゃない、見守りに来ただけの事ですよ」
「そんな理由でわざわざ来ますかね、普通。 しかも昨日はケーキの食べ放題に半日以上居たらしいですね、リンの手を借りて変装してまでしぶとく居座って...」
「うっ! …だって、制限時間が一時間半しか無いんですもの、それだけの時間では到底全種類食べきれません、だからしょうが無かったんです!」
(うわあ、何言ってんだこの人…)
次回からやっとこさ原作ですよ、原作!