悪魔城ドラキュラ Dimension of 1999   作:41

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再会

……パペットマスターが逃げ込んだそこは、まさに”秘密の隠れ家”と形容するにふさわしい場所だった。壁紙も、カーテンも、天井も、部屋中の至る所が怪しい紫色に統一され、不気味な雰囲気を放っている。それ以外の色と言えば部屋のあちこちに飾られた無数の人形と、主であるパペットマスター。そして招かれざる二人の侵入者だけだった……

 

 

 

 

「……Naomi!!(ナオミお姉ちゃん!!)」

 

 ハルカの翡翠色の瞳が、薄暗い天井の一点を見つめ続ける。そこにはマリオネットの様に吊るされた、変わり果てた姉”ナオミ・ヴェルナンデス”の姿があった。

 

「ナオ……ミ?」

 

 我を忘れたハルカが完全に英語で発音したため、マキは事情を察するまでしばしの時間を要した。だが人形の姿を一目見た瞬間、全てを理解する。

 

「あれが……ハルカ殿の姉上……!」

 

 整った顔立ちといい、華奢な体つきといい、その姿は正にハルカと瓜二つ。違う事と言えば体の大きさが一回り程小さい事くらいだろうか。陶製なのか木製なのかは人形に詳しくないマキには解らなかったが、今まで戦ってきた人形達とは比べ物にならぬ程精巧に作られたナオミの人形は、まるで本当に()()()()()様にマキの眼には映った。

 

 

「……ぅ……ァ」

『!!』

 

 その時微かに、呻くような声が聞こえた。

 

「お姉ちゃん!」

 

 普通なら聞き取れない程に微かな囁きだったが、肉親であるハルカにだけは聞き取れた。

それはまぎれもない、久方ぶりに聴く姉の声だった。

 

 実に4年ぶりの姉妹の再会……。いや子供の一年は大人の十年に匹敵するという。一日千秋の思いで待ち続けた願いが、今ようやく叶ったのだ。ハルカの瞳から数年ぶりに流れる嬉し涙……。

しかしそれはハルカから再び”冷静さ”を奪う事に他ならなかった。

 

 

「待っててお姉ちゃん!今そこから助けるから!!」

 

 4年ぶりに姉の声を聞き、もうじっとしてなどいられなかった。なけなしの体力を使い、すぐさまナオミが吊るされている天井まで瞬間移動を試みる!しかし……

 

 

 

 

――来ちゃ……だめェ!

 

「!?」

 

 振り絞るような姉の叫びが聞こえた時には、すでに遅かった。

 

 

 

 

”バチィッ!!”

 

「か……はッ」

 

 

 ナオミの人形にたどり着くずっと手前で、ハルカの体に高圧電流のような衝撃が走った。闘技場や時計塔の時と同じ……自身のコレクションを保護するためか、強力な結界が人形の周囲に張り巡らされていたのだ。ハルカの体は誘導灯にあてられた羽虫の如く、真っ逆さまに地面へと落ちる。

 

「――ハルカ殿!」

 

 疲労しきった自身の体も顧みず、マキが遮二無二駆け出す!ハルカが床に激突する寸前、かろうじて体を滑り込ませる事に成功した。

 

「ハルカ殿!ハルカ殿!!」

 

 ハルカは衣服が所々焦げ、息こそあるが完全に意識を失っていた。マキが大声で呼びかけるが、ハルカは一向に眼を覚ます気配は無い。その時、辺りが急にざわめき始める。

 

 最初マキは気のせいだと思った。自身の焦りからくる心臓の鼓動か何かかと。だがそれは次第にはっきりと……マキの耳に伝わってくる。

 

「おね……がい……」

「たす……けて…」

「ころ……して……」

 

「……………!」

 

 人形達の発する苦痛に満ちた哀願……。それを聞いた瞬間、マキはパペットマスターが言っていた先の台詞を思い出す。

 

 

――生皮ヲ剥イデ生キ人形二シテヤル――

 

 

「まさか……ここにいる人形全て……ッ!」

 

 周囲に置かれた人形は優に百体は越えている。よくよく見れば人種もバラバラ、何百年も前の貴族のドレスを纏っている物もあれば、ほんの数年前に流行った服を着ている物もいる。この魔物がどれほど生きているのか解らないが、何百年にも渡り至る所で悪事を働いて来たであろう事が嫌でも解った。

 もしハルカが救い出してくれなければ自分もここにいる者達と同じ運命を辿っていたに違いない。マキの背筋に薄ら寒い物が走った。

 

 

「――思イ出シタ!オ前ハアノ時ノ双子!!」

 

「――!?」

 

 その時それまで沈黙を保っていたパペットマスターが突如不気味な金切り声を発した。天井のナオミと、マキに抱えられたハルカを見比べながら、パペットマスターの目玉がせわしなくグルグル動く。

 

「……ソウダ間違イナイ!何年カ前二俺ヲ現世二呼ビ出シタ双子ノ片割レ……」

「ゲハハ……!コレハイイ!アノ時逃ガシタ獲物ガソチラカラ来テクレルトワ!

コレデヨウヤク作品ガ完成スル!」

 

 さっきまでろくに思い出しもしなかったくせに、今になって敵は随分ハルカにご執心らしい。「勝手な野郎だ」とマキは思った。

 

 そんなマキの心情を知ってか知らずか、パペットマスターはひとしきり笑い終えると、天井から吊るされたナオミに手を伸ばし、強引に糸を引きちぎり自身の側に手繰り寄せた。

 

「グフフ……オ前モ嬉シイダロウ?モウスグ妹トマタ共二暮ラセルゾ?」

 

 パペットマスターがナオミの人形を抱き寄せ、愛おしそうに頬ずりを始めた。ナオミの人形は今まで戦った人形達と違い自由に体が動かせないらしく、表情もほとんど変わらない。だがその心中は察するにあまりあった。

 

「下郎が……!!」

 

 凄まじい生理的嫌悪感に、無意識のうちにマキの口から侮蔑の言葉が漏れる。だがパペットマスターは怒りに震えるマキをさらに挑発するように、今度はその蛭の様な舌で、ナオミの頬をペロリと舐め始めた。

 

「貴ッ様ァ……ッ!!」

 

 同じ女としてさすがに我慢の限界だ。マキは自身の体力を顧みず、腰の刀に手をかけたが、何者かによって制止される。見れば意識を取り戻したハルカが服の袖を掴んでいた。

 

「ハルカ殿!大丈夫なのですか!?」

「……あんまり……でも今はそれより……!」

 

 ハルカは今すぐにでも飛びかかりたい気持ちを必死に押さえ、じっとパペットマスターを睨んでいる。先の電撃がショック療法になったのか、その瞳にはいつもの冷静さが戻っている。

 

 

――あいつの挑発に乗るな……冷静(クレバー)にならなきゃお姉ちゃんも私達も助からない!――

 

 

 少女の頭脳がフル回転する。敵は化け物一匹、こちらは二人。数だけならこっちが有利だが、自分もマキも万全とはとても言えない。逆に敵はまだまだ余裕がある上、人質までとっている。

 

 

――何とか時間を稼いでアルカード達の救援を待つか?いや、床の魔法障壁はかなり厚かった。

アルカードでも解除に数分はかかるだろう。さすがにそんなに長い時間、敵が何もせずに黙っている筈がない。

 

――自分だけ瞬間移動で飛び、アルカードだけでも連れてくるか?いやダメだ。一人残されたマキがどうなるか解ったもんじゃない。

 

――ならいっそ二人で……これもだめだ。例え数十秒でも隙を与えたら奴はまた例のすり抜けで何処かへ逃げ出す。そしてもしそうなったら、二度とお姉ちゃんを取り戻すチャンスは無い……!

 

 

考えろ……考えるんだ!

 

 ハルカは弱気になる心を奮いたたせ、繰り返し考えを巡らせた。だがどうやっても誰かが犠牲になる案しか浮かばない。「私にはどうする事もできないのか」ハルカの心が打ちひしがれかけたその時、傍らの少女がそっと語り掛ける。

 

「……何を悩む事がありますか」

「――!」

 

 刀の鍔に指をかけたマキがそう囁いた。

 

「何年もかけて追い求めた姉君が目の前にいるのでしょう?何を迷う事があります!」

「でも……今の私達じゃ……」

 

「策は……あります」

「……ッ!」

 

 言いよどむハルカに、マキが力強い笑顔で返した。

 

「奴も追い込まれています。その証拠に余裕があるように見せてその実一向にこちらにかかって来ない」

「私達はともかく、アルカード殿らも相手どるのは厳しいと見えます。だからどうにかして逃げようと隙を伺っているのでしょう。迎え撃つ気が無い敵ならば望みはあります」

 

 そう言うとマキはパペットマスターに気取られないよう、作戦の内容を話す。だがその内容にハルカの顔色が変わった。

 

「そんな……!それじゃマキが……!」

「危険は承知の上、ですが現状……奴を仕留めナオミ殿を取り戻すにはこれしかありません」

 

 マキはそれだけ言うと、困惑するハルカに了承を得ないまま一歩前に出た。そして刀の柄に手をかけるとゆっくり腰を落とす、居合の構えだ。

 

 

「…………ヌ!?」

 

 マキの行動に敵も即座に反応した。何しろ散々得体のしれない技を繰り出してきた少女だ。次は一体何を仕掛けてくるのかと、パペットマスターは訝しみながらも警戒態勢を取った。

 

 

――張り詰めた空気が互いの間を流れる――

 

 

「ありがとう、マキ」

 

 そうハルカが語り掛けた次の瞬間……

 

「!」

 

パペットマスターの視界から少女の姿が――――消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でええやあああああッ!!」

 

「――!?」

 

 居合の力を高めるため、思い切り体を反らせたマキが、パペットマスターの眼前に躍り出る!

奇しくもそれはユリウスがデス戦で見せた不意打ちと同じ物だった。マキはナオミが掴まれている左上腕に狙いを定め、腰の”やすつな”を一気に引き抜く!!

 

「いやあああああああッ!!」

 

「――ヌグウゥッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

”ガッ”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「が…は…ッ」

 

 だがその策はパペットマスターに見切られていた。マキの斬撃が届くよりも早く、パペットマスターの手刀がマキの体を捉える。”ゴリッ”という骨の髄が砕ける鈍い音が全身に響き、少女の口元から赤い鮮血が漏れる。

 

「馬鹿メ!ソノ程度ノ浅知恵、俺ガ見ヌケヌトデモ思ッタカ!」

 

指先から伝わるその手ごたえに、パペットマスターが勝利の笑みを浮かべる。だが……

 

 

「……かかったな?」

「!?」

 

 

――赤く濡れた口元を歪め、少女が勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがボクちんの見せ場よォ―――――ンッ!!」

 

”バッキヤァァンッ!!”

 

 次の瞬間、鼻悪魔がマキの被っていた烏帽子から飛び出し、パペットマスターの鼻っ柱目掛け

強烈な体当たりをぶちかます! 

 

 

「グギイイイアアアアッッ!!」

 

 

 上階にいるアルカード達にも聞こえる程の咆哮!鼻悪魔はマキが攫われた際、ドサクサに紛れて少女の服の中に隠れていたのだ。使い魔の捨て身の攻撃はパペットマスターの顔面に放射状の亀裂を走らせ、その衝撃でナオミの人形がパペットマスターの手から解き放たれた!

 

――ハルカ殿!

 

 先の攻撃で声は出せなかったが、それでもマキは必死にハルカに合図を送る。だがマキの合図を待つ間もなく、すでにハルカは駆けだしていた。

 もう瞬間移動をする体力すら残っていない少女は、もたつく足に何度もよろけそうになりながらも、投げ出された姉を受け止めるべく懸命に走る!

 

 

「ヌウゥグググッッ!!」

 

 だがやぶれかぶれのあがきか、それとも何が何でもコレクションは渡さないという意地か、パペットマスターがハルカに雪崩かかった!しかし当のハルカは落ちてくる姉の人形に気を取られ、完全に無防備な体をさらけだしている!

 

――まずい!

 

 何とか仲間に危機を伝えようとするマキ。だがもう間に合わない!既にハルカの目前にはパペットマスターの丸太の様な腕が迫っている――!

 

 

 

”バキィイイインッ!!”

 

 

 

 

 

 

 

 

――部屋に鳴り響いたのは、肉と骨が砕ける鈍い音では無く、何か硬い物質が砕ける甲高い音――

 

 地面に落ちる寸前、マキは信じられない光景を見た。自分の意志では一歩たりとも体を動かせないはずのナオミの人形が、化け物の手から妹を守る様にハルカを突き飛ばしたのだ。

 

―――――――――――

 

空間を支配する一瞬の静寂……そして…………

 

 

 

 

「いやああああああああ――――ッッ!!」

 

 そののちに訪れる、張り裂けるような絶叫。

 

 

「ああああ!お姉ちゃん!お姉ちゃぁんッ!!」

 

 半ば錯乱しながら、ハルカは必死に姉の残骸をかき集めた。だがかろうじて集めた上半身も、ほぼ半壊している状態だった。

 

 

「バ……馬鹿ナ……」

 

 想定外のダメージと、自身の手でコレクションを破壊してしまったショックのせいか、パぺットマスターはそのままもんどりうって倒れてしまった。だがハルカに目の前の化け物にかまっている余裕など無い。散乱する破片の中からどうにか頭部を見つけ出し、その顔をこちらに向ける。

 ……その顔はボロボロにひび割れ、以前の美しさは全く残っていなかった。それでもハルカはようやく会えた姉に必死に語り掛ける。

 

 

「ハル……カ……」

 

「――お姉ちゃん!」

 

 

 ガラクタになり果てたナオミがハルカに語り掛ける。

 

 

「最後に……また会えて……よかった……」

 

「…………ッ!!」

 

「どうか……あなただけは……無事で……」

 

「――!」

 

 その時だった。ナオミの体が淡く光りだし、緑色の粒子が蛍の様に宙に浮かび始める。楔から解き放たれた魂が天へ召されようとしているのだ。

 

 

「そ……んな……!!」

 

 行ってしまう……!この四年間、ただそれだけのために生き、必死に追い求めた姉が、天へ旅立ってしまう……!ハルカは浮かび上がる粒子を必死に押さえつけようとするが……

 

「お姉……ちゃん!!いや!いっちゃダメェッ!」」

 

 

 その時腕に感じていた重みが不意に軽くなった。見れば腕に抱かれた人形にすでに光りは無い。そして入れ替わる様に、ハルカとよく似た少女が目の前に現れた。少女は優しい笑みをハルカにかけながら、徐々に天へと昇っていく……

 

「あ……ああ……」

 

 嫌……嫌だ……やっと……やっと4年ぶりに話が出来たのに、最後に交わす会話がこんな別れの言葉だなんて……ハルカは姉の魂を掴もうと、宙に向かって精一杯手を伸ばす。だが実体のある肉体と実体の無い魂、いかに双子とはいえ互いの手は重なっても触れ合う事は無い。

 

 見る間に遠のいていく姉の魂……もはやどれだけ身を乗り出そうともハルカの手は届かない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事死んでもさせるかァ――――ッ!!」

 

 

 降ろしかけた手が、再び天に向かって突き出される!瞬間、掌に刻まれた刻印が強い光を放ち始めた!

 

「!?ハルカ!何を!?」

 

 困惑するナオミをよそにハルカは地下闘技場でのやり取りを思い返す。

 

「……双子は同じ入れ物……そう言ってたよなサンジェルマン!ならあたしの体……お姉ちゃんに捧げてやる!!」

 

「!?」

 

 思いもよらぬハルカの行動に、ナオミの魂はもちろん、マキも驚いた。”消えゆく魂を取り戻す……本当にそんな事が出来るのか!?”と……

 

 

「ぐうう……おとなしく……私の体に入れェッ!!」

 

 残り少ない生命力を吸印のための魔力に変換しながら、ハルカは必死に姉の魂の捕獲を試みる。

だが姉の魂は懸命にその頸木から逃れようとする。理由はハルカの体を見れば一目瞭然だった。

 

”ビシィッ!”

           ”ブシュゥッ!”

    ”バリィッ!”

 

 ナオミの魂を吸い込むにつれ、ハルカの皮膚の至る所が裂け、血が溢れ出す。いくら親和性の高い双子の魂とはいえ、一人分の体に二人分の魂を入れようというのだ。すなわちそれは500ミリのペットボトルに1リットルの水を入れるに等しい行為。無理が起きないはずがない。

 

――ハルカやめて!このまま続けたら!――

 

 ハルカの頭の中に姉のテレパスが響く。だがハルカは吸引の力を一向に緩める気配はない。それどころか自身を奮い立たせるように、自らの体を叱咤する。

 

「根性入れろ刻印!今使えなくて何のための印術だ!ドラキュラの魂は吸い込めるくせに女の子

1人吸い込めないのかァッ!」

 

 尚も吸印の力を強めるハルカ。だが本来魂の吸引はドミナスの時のように正式な陣を敷いて初めて成功する物。それを何の準備もないまま無理やり行っているのだ。血圧は異常なほど上がり、耐えきれなくなった毛細血管が裂ける。ハルカの目は元の色が解らぬほど充血し、遂には何筋もの血の涙が流れだした。

 

 

――やめなさいハルカ!いい加減にしないと!――

 

 自ら死を選ぶようなハルカの行動を見かねたのか、ナオミの魂が語気を荒げハルカを諫め始めた。だが――

 

「うるさいッッ!!」

 

――!?

 

 逆にハルカに一喝される。

 

「私の……あたしの気持ちを考えた事があるのか!双子なのに……たった二人の家族なのに……いつも守ってもらってばかりで……あの時も……そして今も……!このまま……ずっと守られたまま生きろっていうのか!!」

 

…………!!

 

「私だって……私だってお姉ちゃんを守れる!私だってお姉ちゃんの役に立てるんだ!いいからそのまま黙って見てろッ!!」

 

 なりふりかまわないハルカの心の叫びに、ナオミはそれ以上声を出す事が出来なかった。やがて妹の成長に感じ入ったのか……姉は妹を煩わせる事の無いよう、そして少しでも負担を和らげるよう、それ以降話しかけるのをやめた。

 

 ナオミの反発が無くなったおかげか、吸印のスピードが幾分早まった。だがここで恐れていた事態が起こる。

 

「――!」

 

 ハルカの薬指に光るアストラルリングが不気味な点滅を始めたのだ。魔力の代替であるハルカの生命力が危険領域まで達していることを知らせているのである。だがそれでもハルカは刻印の力を緩めようとはしなかった。

 

「この……程度!ユリウスに出来て……あたしに出来ない筈が……!!」

 

 無意識の内に、庭園での青年の姿がフラッシュバックする。そうだ、ユリウスは死にかけても私を連れ戻してくれたじゃないか!この程度でくたばったらユリウスに笑われる!第一あいつに負けるなんて私のプライドが許さない!

 

 仲間に対する感謝と対抗心、ハルカは愛憎入り乱れるあらゆる感情全てを利用して、薄れゆく意識を繋ぎとめようとした。だがもはや少女の体は気力で耐えられる限界をとうに過ぎていた。

 

 

「――まだだ……まだ死ねない!あたしが死ぬのはお姉ちゃんの魂を完全に取り戻した後だ!もしそれで死んだとしても――」

 

――悪魔に魂を売り、他人を踏み台にしてここまで来た、きっと私は地獄へ行くだろう……

だが姉の魂だけは決して天国へなど行かせない!神の下になど渡してたまるか!!例え私はどうなってもお姉ちゃ――

 

 

”ドクンッッ!!”

 

――ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……」

 

 ……私は……何を……?何で……こんなに苦しいんだ…………?

 

「ぐ……ごふッ」

 

 咳と一緒に赤い血反吐が出た。そうだ、奴を仕留めるために囮になって……その攻撃をまともに喰らったのだ。

 

 全身……特に胸の痛みがひどい。恐らく骨だけではなく内臓にもダメージがあるのだろう。だがその痛みのおかげで次第に意識がはっきりしてくる。

 

「!」

 

 かろうじて顔をあげた先、パペットマスターがそのでかい図体を横たえている。ピクリとも動かない所を見るとどうやら奇襲は成功したようだ。とりあえずホッと胸を撫でおろす。

 

だがすぐにそんな気持ちは掻き消えた。仲間は……ハルカと鼻悪魔は無事か?

 

 幸い鼻悪魔はすぐ近くに倒れていた。体当たりの反動が凄まじかったらしく、完全にのされてはいるものの生きてはいるようだ。

 

「ハルカ……殿」

 

 必死に声を振り絞り、仲間を呼ぶ。……ほどなく少し離れた場所に座り込む少女を見つけたが……

 

 

 

「う……」

 

 

 

「う……あ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルカァ――……ッ!!」

 

 

 マキが目にしたのは、純白の衣を自らの血で赤く染めたハルカの姿だった。

 

あと一息……あとほんの数秒あれば少女は姉の魂を取り戻せた……、手が届いた……、だが非情にも、少女の命はその数ミリ前で尽きた。

 

――少女の指につけられた主の指輪は……すでにその輝きを失っていた。

 

 

 

「う……嘘だ……」

 

「ハルカ殿……目を……目を覚ましてください……!」

 

 

 倒れ伏すハルカを前にして、マキが張り裂けんばかりに慟哭する。マキはボロボロの体で床を這いずりながら、必死にハルカの下へ急いだ。だが……

 

”ドスゥッ!!”

 

 突如背中に強い衝撃を受ける。

 

 

「ゲヒヒ……掴マエタァッ!!」

 

「貴様……ッ!!」

 

 地獄の底から蘇った怪物の魔手が、少女の体を鷲掴みにした。パペットマスターはそのまま力まかせにマキを抱え上げると、首吊りの状態に持っていく。

 

「ハァ……、ハァ……、アノ程度デ……俺様ガ死ヌトデモ思ッタカ!」

「う……ぐ……」

 

 すでに満身創痍のマキはろくに抵抗する事も出来ず、ただでさえ血の気の引いていた顔がみるみる青くなっていく。

 

「ヨクモ……ヨクモヤッテクレタナアァ!?モウ剥製モ人形モドウデモイイ!オ前ハコノママ首ヲネジキッテヤル!!」

 

 そう凄むやいなや、パペットマスターは怒りに任せ一気に握る力を強めた。加えられた圧力でマキの眼球が飛び出さんばかりに膨らむ。

 

「く……あ……」

 

 強まる圧力に、とうとうマキは手に持っていた刀も落としてしまう。もうあとほんの数秒の後には、少女の命は黄泉路を辿る事だろう。

 

 少女はすでに生きる事を諦めていた。だがせめて最後に見る物が醜い化け物という事態は避けたかったのだろう、もうほとんど目が見えないにもかかわらず、無意識に友人のいる方へと視線を向けた。

 

――ハルカ……殿、お役に……立てず……申し訳……ありません――

 

 先に黄泉路へと行ったであろう少女に、心の中で懺悔する。が、薄れゆく意識の中、揺らめく視界に入った映像が、少女を地獄から引き戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――プネウマァッ!!」

 

 

”ズバシュゥッ!!”

 

 

「グッ!?ギィエアアアアアァァァァ――――ッッ!?」

 

 辺りを切り裂くパペットマスターの悲鳴!何処かから放たれた真空の刃が、マキを縛っていた化け物の腕を切り落とした!

 

 

「はぁ……はぁ……、マキから離れろ……このロリコン野郎ォッ!!」

 

 

 自身の血で顔を真っ赤に染め、肩で息をしながらも、ハルカは二本の足で立ち、乱れた髪の間から敵を睨みつけていた。本来ならば体が弾け飛んでいてもおかしくなかった行為……なのに何故少女は無事でいられたのだろうか?

 

――ドミナスに魔力を奪われていた分、体の容量に空きがあった?――

――姉の魂を吸印した事で魔力が戻り、賢者の石で回復が出来た?――

――妹の負担を少しでも減らすため、吸印される際ナオミが自身の魂の一部を斬り捨てた?――

 

幾つかの要素が考えられた。だが結局の所それらは全て仮説にしか過ぎなかった。ただ一つ言える事……それは少女が姉を救う事を決して諦めなかった事。今この時だけでは無い、姉を失ってからの4年間、ただひたすらに姉を救えると信じ手に入れてきた様々な力。それがこの奇跡を生んだのだ。

 

 

「ジョーンズ……今だけは、今だけはあんたに感謝するよ……!」

 

 

 顔についた血を拭いながら、ハルカは誰に聞かせるでもなく一人心の中で叫んでいた……

 

 

 

 




前回投稿から随分時間が空いてしまい申し訳ありません。
少しずつですがまたペースを上げていく予定なので
気長にお付き合い頂けると幸いです。

 

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