悪魔城ドラキュラ Dimension of 1999 作:41
――崩れた壁の中からゆっくりと「奴」がその姿を現した――
雄山羊のような節のある角、ライオンのようなたてがみ、幾重にも並ぶ鋭い牙、丸太のように太い足、狼とハイエナを合わせたような醜悪な顔……しかしそんな数ある特徴がどうでもいいと思えるほど「奴」の体は巨大だった。
動物園の象やキリンなど比較にもならない、子供の頃連れて行ってもらったホエールウォッチングのクジラよりもでかいのではないか。それほど「奴」のインパクトは凄まじかった。
……そして同時にラングは思った。「コイツには何をしても絶対に勝てない」と。
「総員退避ィッ!!」
つんざくような将軍の叫び声がホールに轟く、が、それをかき消すかのように「奴」は城が震えるほどの咆哮をあげた。そして次の瞬間その太い前脚を横薙ぎに払い、前列にいた隊員の上半身だけを、まるで積み木でも崩すかのように削り飛ばしてしまった。
後に残された立ったままの下半身からは壊れたポンプのように”ピュッピュッ”と血が吹き出し、吹き飛ばされた上半身はまるで車に轢かれた猫のように壁にべっとりと張り付いている。
『うわあああああッ!!』
これまで必死に奮い立たせてきた隊員達の理性はもろくも崩壊した。皆持っていた武器を放り出し、出口に殺到する!
ラングも無我夢中で走った!たまたま「奴」が現れた壁から最も離れた位置にいたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
しかし皆が幸運なわけではない、逃げるラングの背後からは不幸にも逃げ遅れた者の断末魔と、けなげにも抵抗を試みた者の銃声が聞こえる。しかしそれらを気にしている余裕などもはやラングには無い。
ここにたどり着くまでに何種かのバケモノと戦ってきたが、それらは苦戦はするも勝てない相手では無かった。だが「奴」は違う。自分が人間という存在である以上、どんな努力や技術を用いても絶対に勝てない、そんな存在であると思うに充分であった。
◆
――どれだけ走ったのか……気づけば一人だった、一体どんな道筋をたどってきたのか全く覚えていない。不思議な事に道中あれだけ出くわしたモンスター達が一匹も現れなかった。
たまたま運が良かったのか、自分より強い存在に恐れをなして身を隠したのかは定かではない。だがともかくラングは城に入ってすぐの場所、長い回廊まで戻ってきた。
もう走ろうとしても息が続かない、とうとうラングはその場に倒れこんでしまった。頭の中では仲間の叫び声、銃声、その仲間を喰らう「奴」の咀嚼音が二日酔いのようにガーンガーンと頭の中で木霊している。
本来ならここで落ち着きを取り戻すうちに、「奴」と出会った恐怖、仲間を見捨てた自責の念、この先の不安等、あらゆる感情がひしめきあうのだろうが……「奴」はそんな感傷にひたる暇さえ与えてはくれなかった。
「…ズウ…ゥン…!」 「…ズウウゥゥンッ……!!」
地響きが次第に大きくなり、パラパラと天井から塵が落ちる……「奴」が追いかけてきているのだ……! だがもうここに逃げ道は無い、この長い回廊には今来た道以外には例の開かずの扉しかなく、人が隠れる事の出来るスペースも無い。天井は吹き抜けになっている部分もあるが、普通の人間があそこまで跳べるはずも無い。
「ドオォオンッ!!!」
大音響と共に周りの壁ごと扉が吹っ飛ばされた!!そして「奴」がゆっくりと顔を覗かせる。回廊の幅一杯まで広がる、その巨大な体躯を窮屈そうによじりながら………
見れば奴の口から仲間のものであろう血だらけの迷彩服の切れ端が、ねっとりとした唾液とともに顔を覗かせている。
”俺もああなるのか……っ”
諦めにも似た感情が脳裏をよぎる。正直こんな所で死にたくはない。だが反面、退避命令が出たとはいえ、抵抗もせず逃げた自分には当然の末路かとも思った。
……一歩、また一歩と「奴」が近づいてくる。前脚を伸ばせば届く距離なのにしないのは、通路が狭いからか、はたまた直接かぶりつこうという腹か、どちらにせよこの「奴」との距離がそのままラングに残された寿命を表しているのだ。
――とうとう最後の時が来たようだ……背後には開かずの門、眼前には「奴」の巨大な顔が鼻息がかかるほど近くに迫っている。逃げようにもあまりの恐怖に腰が抜けて、這うことすらおぼつかない。
「奴」がゆっくりと口を開ける、むわっとした強烈な腐臭がラングの顔をなでた。見ると「奴」の牙の間に何か挟まっている、口が開くにつれ、光が差し込み、徐々に輪郭がはっきりしてくる……
ちぎれた軍服………裂けた皮膚………見覚えのあるタトゥー…………
―――それは親友の……スミスの腕だった―――
「うあああああァァァ――――ッ!!!!」
絶叫と供に拳銃を乱射する!!何故今まで動かなかった体が動いたのかは解らない、
だがラングはありったけの殺意を込めて「奴」の開ききった口腔に鉛玉をぶちこんだ!!
さしもの「奴」も完全に不意打ちとなったラングの攻撃に一瞬たじろぐ、しかしこの
”ささやかな抵抗”は結果として「奴」の怒りを増大させただけだった。
ようやく食えると思っていた”エサ”の悪あがきにすこぶる機嫌をそこねた「奴」はイラつく様に頭を振り回す!ラングの100キロを超える体が人形のように舞い上がる。
「ぐぅッ!!」
声にならない衝撃と共にラングの身体は宙を舞い、堅い石壁に叩きつけられる!
糸の切れた人形の様にその場に崩れ落ちるラング。痛覚のキャパシティを超えたのか痛みはほとんど無い。だが呼吸が……息ができない!
「ごぼッ!!」
咳と一緒にドス黒い血ヘドが石の床を染める。恐らく肺に砕けた骨が突き刺さっているのだろう。腕一本まともに動かせない。出来る事といったら死にかけのセミのように這いつくばるだけだ。
よりによって意識だけははっきりしている、眼前には敵意を剥き出しにした「奴」の姿……
……これで終わりか……
ラングにはもうどうする事も出来なかった。おそらく数秒後には「奴」に骨ごと食い尽くされるのだろう……いや、腹いせにズタズタに引き裂かれるかもしれない……。
震える手でドッグタグを握り締め、目を閉じる………最後の瞬間、ラングのまぶたに浮かんだのは愛する妻の笑顔だった。
「……すまない、マリア……!!」
そう心の中で叫んだ―――その時―――
決して開くはずの無い扉が開いた。