届物語   作:根無草

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開幕


するがダウト
其ノ壹


【001】

 

 

 神原駿河という人物を語ろうとするならば僕はその全てを語り尽くせないだろう。

 

 いや、誰かが誰かを語り尽くすなんて事は土台無理な話であって極論を言えば自分自身の事ですら語り尽くせはしないのかもしれないーー

 だとして、それでも誰かに誰かを説明する場合、やはり僕には神原を説明できない。

 

 説明が追いつかない。

 

 ひたぎを始め、羽川や八九寺、延いてはもう二度と会う事も叶わないであろう千石撫子のことだって、その人物像の説明くらいならば僕にもできる。

 

 その内容の正否に関しては保証しかねるが、説明はーーできる。

 

 しかし、ただ一人の例外として神原駿河という人物は例外というよりも特例的に説明が困難なのだ。

 というのも、その人物像があまりにも混沌としているというかーー良くも悪くもハイスペック過ぎるというのが理由としては大きい。

 

 ハイスペックにしてハイブリッド。

 

 仮に、直江津高校在学生に神原の印象を聞けば皆が揃ってこう答えるだろう。

 直江津高校のスターだ、と。

 直江津高校の歴史に名を残す天才といえばご存知の通り羽川翼なのだが、直江津高校の歴史に名を残すスターといえばそれは神原駿河になるのだ。

 

 進学校として名高い僕の母校、それと同時にスポーツに関しては弱小高校の直江津高校において、そのバスケ部を全国大会にまで導いた実績は記憶に新しい。

 本人いわく、最大九人にまで分身できるだとか、本気で走れば体育館の床が抜けるなどという残念な逸話がないでもないけれど……

 話が逸しすぎているけれど……

 それでなくても、その類稀なる運動神経は人々の羨望の的だった事だろう。

 例に漏れず僕だって別段スポーツに興味関心がある訳でもないのに神原の試合を観戦しに行った事がある程だ。

 

 エースナンバーを背負い、華麗にダンクシュートを決める彼女は確かに格好良かった。

 

 更にその名声は直江津高校だけに留まらず、他校生の間でも有名で今や中学生の間でも名を轟かせる程らしい。

 芸能人でもないのに非公式とはいえファンクラブまで存在するのだから恐ろしいとさえ言える。

 

 尚且つ、神原はそれを鼻に掛ける事もせず誰にでも人当たりの良い優良生徒で通っているのだ。

 成績について実際のところどうなのかは僕の知るところではないけれど、あれだけの知名度でありながら特に目立った悪評を聞かないという事は少なくとも文武両道ではあるのだろう。

 

 男女問わずに人を惹きつけるのも頷ける。

 

 と、ここまでは学生として一般的に知られる神原駿河の人間性になるのだけど、詳しく掘り下げればまだまだ多くの武勇伝があるが、それを語ろうと思えばキリがないーーそれこそ語り尽くせないので割愛させてもらう。

 

 では、少し視点を変えてもっと親しい間柄の人間ならばどうだろうか?

 

 視点を変えるというか、視野を絞る。

 

 漠然と全校生徒という訳ではなく、神原駿河を良く知る人物からの視点。

 

 まあ、これもまた通例で、良く知るとは言っても実際のところ知っている部分はほんの一部であり、やはり全てを知る事は無いのだろうけどーー羽川の台詞のように、知っていることだけなのだろうけど。

 それでもその名声だけを知る人よりは遥かに深く詳しく知っているとは言える。

 そして、そんな人々から見た神原駿河とはどういった印象なのかと言えばーー

 

 ガラリと変わるだろう。

 

 ガラガラと崩れ去るだろう。

 

 もはやそれは二面性などではなく多面性とさえ言える変貌を遂げる事だろう。

 

 万華鏡かよあいつは。

 ともあれ、触れるべきはその側面ーー二面にせよ多面にせよ、一般的には認知されていないもうひとつの神原駿河の人間性なんだけれど……

 

 変態なのだ。

 

 これが冗談などではなく、冗談じゃない程に極めて変態なのだ。病的に。

 

 その原因の一端を担っているのが他でもない僕の彼女である戦場ヶ原ひたぎだというのだから受け止めるべき現実としては些か悲しいところだけれど、彼女を良く知る人物がその人間性を問われたならば確実に挙げられるであろうステータスである。

 

 BL好きの腐女子で百合でマゾヒストで受けでロリコンで露出狂で欲求不満ーー

 さらには所構わず僕のエロ奴隷だと公言する始末……

 

 属性過多にも限度があるだろう。

 

 どんな欲張りだ。

 

 これもまた本人いわくなのだが、相手が年下の女子であるならば十秒以内に口説けるらしい。

 

 逮捕されろ。

 

 ちなみにこれこそ極一部の人間、主に僕やひたぎくらいしか知らない事だろうけど、神原は致命的に自分にルーズな部分がある。

 それはアスリートとして肉体を管理、酷使する神原からは想像もつかないーー自堕落さだ。

 

 その片鱗というか正体がもろに露呈しているのが、他でもない彼女の自室なのだけど……僕としてはあれを部屋だと定義する事が既に抵抗を覚える。

 

 有り体に言えば、究極的に散らかっているのだ。

 いつか神原の部屋を片付けた時の感想は部屋ではなく倉庫だった。

 しかもあいつはそれを当たり前としているし、開き直って書庫だと言いきりやがった過去さえある。

 

 蔵書が全てBL本の書庫なんてあってたまるか。

 

 室内において遭難や滑落を危惧される状況を僕は神原の部屋を置いて他に知らないし、平面的にではなく立体的に散らかっている部屋も他に知らない。

 

 散らかす系女子にして散らカオス系女子。

 

 まあ、ここであまりにも酷評を連ねたならばまるで神原に対する悪口のようになってしまうのでこの辺りにしておこうと思うがーー誤解のないように言っておくけれど、僕は神原が嫌いな訳ではないのだ。

 

 むしろ大好き。

 

 つまりは直江津高校の全校生徒が憧れるスーパースターの裏側には、知られざる別の顔があるということだけ理解してもらいたい。

 

 そして、ここまで挙げただけでも神原駿河を説明できないという僕の言葉の意味がわかってもらえるとは思うけれど、神原にはもう一つの側面がある。

 

 側面というか内面、または仮面や裏面とでも言うべき一面がある

 

 怪異ーー

 

 今も尚、神原の左腕には痛々しいほどの包帯が巻かれている。

 それこそが栄光あるバスケットボール部エースの座を退く理由にして神原駿河の真の裏側と言っても過言ではない闇の顔。

 

 レイニー・デヴィル

 

 雨降りの悪魔、雨合羽の悪魔、泣き虫の悪魔ーー猿の手。

 

 神原はその悪魔に、猿に願った。

 そしてその身に怪異を宿すことになった。

 この怪異に纏わる話にはとりあえずの終止符が打たれており、今は神原の身体から悪魔が離れるのを待つばかりなのだけれど、悪魔に願うにまで至ったその激情は、だからどうしようもなく神原自身であり今も神原の中に存在している。

 

 直江津高校のスターにして、類を見ない類稀なる変態、そしてその身に怪異を宿す少女ーー神原駿河。

 

 極め付けはその親戚はあの専門家の元締めである臥煙伊豆湖なのだ。

 あの人の脅威は僕が一番この身をもって味わっているから臥煙伊豆湖がどれだけ規格外な人物なのかは保証できるとして、その専門家の元締めにしてなんでも知ってるお姉さんをしてそのまま埋もれさせておくには惜しい逸材とまで言わしめている。

 

 そんな奴の説明なんて僕に務まるはずがない。

 

 手に負えない。

 

 手に負えなくて、打つ手がなくて、手の付けようがない。

 

 だからこそーーそんな様々な自分自身をコントロールしながら、それでも確固たる自分を持ち続ける神原だからこそーー

 僕にはにわかに信じられなかったのだ……電話口から聞こえた彼女の弱々しいその声が。

 

「助けてくれ……阿良々木先輩……」

 

 

 

【002】

 

 

 

 ミスタードーナツにてお腹は満腹、財布は極度の飢餓状態な僕達は店を出た後そのまま帰路へとついていた。

 

 結局、僕が最初に購入した八九寺のためのドーナツと僕の分のドーナツはお持ち帰り用として袋に入れたままだ。

 そもそもドーナツをプレゼントしに行った筈の相手とドーナツを持ってドーナツを食べに来た挙句、ドーナツを持って帰るって……とんでもなく不経済な事をしたな。

 

 文にしたらドーナツがゲシュタルト崩壊を起こしそう。

 

「ご馳走様でした阿良々木さん」

 

 バックミラー越しの八九寺が礼を言う。

 

「突然のサプライズに加えお土産のドーナツまで頂いてしまって」

 

「良いんだよ別に、僕がしたくてした事なんだから。それに忍と八九寺があれだけ喜んでくれたら僕も満足だしさ。ドーナツは夜にでも食べてくれ」

 

 当の忍は目的のドーナツを食べ終えたからか、店を出る頃にはすっかり睡眠モードだったけど。

 普段は寝ている時間を押してまで僕に付き合ってくれたのだからそれもしょうがないだろう。今は影の中で熟睡している。

 

 それよりも神様とはいえ育ち盛りの女の子が昼も夜もドーナツを食べて過ごすとは余り良い食生活とは言えないけれど……八九寺の食生活ってどうなってるんだろ?

 ドーナツやジュースなんかは吸血鬼と同じように単なる趣向品で、実は食べなくても平気なのだろうか。

 信仰さえあれば生きていけるとか?

 

 いつか機会があれば専門家に聞いてみたい事柄ではある。

 

「ですが記念日ということでしたらわたしからも何かしらのプレゼントを用意するべきでしょう。あいにく手持ちでプレゼントできるような物はないのですが……」

 

「いやいや、本当にそこまで気にする必要はないって。その気持ちだけでも十分嬉しいよ」

 

「そうはいきません!それでは新人とはいえ神様の沽券に関わります。なので阿良々木さん、わたしに叶えてもらいたいお願いはありませんか?」

 

 新人神様の沽券というものが何なのか、僕にはいまいちわからないけど……お願いかーー

 

 唐突に問われても返答に迷う質問だな。

 

「なあ八九寺、そのお願いっていうのは何でも良いのか?」

 

「構いません。とは言っても七つの玉を集めて出現するドラゴンのようにとはいきませんが……不老不死や億万長者なんかは無理ですね。わたしに叶えられる範囲のお願いならば何でも言ってください」

 

 なるほどーー何でもとは言っても八九寺の力の範疇で、か。

 もっとも、某ドラゴンが目の前にいたところで不老不死も億万長者も願わないだろう事ははっきりしているけれど。

 

 不老不死なんて特に。

 

 ギャルのパンティーを願った豚さんがやけに堅実に思えたものだ。

 

「なら八九寺、お前でも確実に叶えられる願い事なんだけど……良いか?」

 

「決まっているのなら遠慮せずにどうぞ。八九寺真宵大明神は信者を裏切りませんよ!」

 

『ドン!』という擬音が聞こえてきそうなくらい胸を張る八九寺。

 頼もしい限りの神様だな。

 そうとなれば僕も遠慮はいらないだろう。神様からここまで言っていただいたからには素直な気持ちを願いに乗せて進言するまでだ。

 

「なら……眼球を舐めさせてくれ!」

 

「…………」

 

 神様が固まった。

 

『ドン!』という擬音が聞こえてきそうな体制と表情のまま石化した。

 

「どうしたんだよ八九寺真宵大明神様?信者のささやかな願いを叶えてくれるんだろ?」

 

「……念のためにお伺いしますけど、それは神様に願うようなことでしょうか?」

 

「当たり前だ。こんなこと神様というかお前にしかお願いできないだろ」

 

 本当は羽川にもお願いしたけど。

 

「わかりました……阿良々木さんをわたしの信者から解任します!穢れた信仰はいりません!」

 

「神様からクビにされた!?」

 

「当たり前でしょう!ロリコンを始めとする特殊性癖のハイブリッドなかただとは思ってましたけどそこまでいくと危険人物でしかありませんっ!」

 

 何故だ!?

 少女の眼球を舐めたいって健全な男子ならば誰しも願うことじゃないのか?

 それならそれで肋骨を心ゆくまで触らせてもらうとかーー

 

「ーーあれ、電話がなってる?」

 

 頭の中で八九寺に叶えてもらうべき僕の欲望ーーもとい、お願いを考えているとポケットの中の携帯電話が振動した。

 ちなみにだけど僕は運転中、携帯電話をマナーモードにしている。

 突然の呼び出し音にびっくりして予想外な事故を防ぐための処置として。

 まあ、実際にはそんな処置をしなくても僕の携帯電話が着信を受けることなんて滅多にないんだけど……自分で言ってて凄く悲しい。

 例外的に着信やメールが携帯電話の容量をパンクさせる程に寄せられる事もあるんだけど。僕が失踪した時とか。

 

 それにしたってバイブレーションが長いな。

 という事は電話だろうか?メールなら後で読めば良いけれど、電話となると気になるな……緊急の用事かもしれないし。

 これで火憐や月火からのくだらない電話だったならば帰宅してから然るべき制裁をくわえようーー主に月火に。

 

「八九寺、悪いけど少し車を止めるぞ」

 

「ま、まさか阿良々木さん……とうとうこの密室を利用してわたしの眼球を!?」

 

「そうじゃねえよ!電話が鳴ってるからだ!ながら運転は事故の元なんだよ」

 

 そもそも運転中の携帯電話使用は法律で罰せられる列記とした犯罪だっつーの。

 ルールは破りまくってきた僕かもしれないけれど法律くらいは守らなければ。

 

 後方確認、標識確認、ポンピングブレーキ、ハザードランプーー教習所で習う手順通りに車を路肩に停車させる。

 

 着信・神原駿河ーー

 

 ポケットから取り出した携帯電話のディスプレイには神原の名前が表示されていた。

 そりゃあ友達だし、携帯電話の連絡先くらいは交換している。それに今日は土曜日で直江津高校も休日なはずだ、神原からの着信があってもおかしな事ではないだろう。

 しかし、この着信に対して僕の抱いた感想はーー珍しいな、だった。

 

 ヴァルハラコンビと自称するだけあって、ひたぎと神原の二人は頻繁に連絡をとりあっているようだけど、僕と神原が連絡をとりあうことは実は少ない。

 その上、その少ない連絡の殆どが僕から発信するものであり神原から僕へと連絡をしてくることはそんなにないのだ。

 

 直江津高校を卒業してからは特に。

 

 改めて言ってみるとまるで僕が神原のストーカーであるかのような語弊もあるけれど元はあいつの方がストーカーだったし、その要件の大半があいつの部屋の掃除だという事を忘れないでもらいたい。

 

「いや、誰に対しての言い訳ですか?」

 

「世間だよ。しかしひたぎにじゃなくて僕に電話って何の要件なんだろう?」

 

 あいつの部屋を掃除するのはもう少し先の約束なのに……そう思いながら画面に表示されている通話ボタンをタップする。

 

「もしもし、どうしたんだ神原?お前から電話なんて珍しいじゃないか」

 

 とはいえ、珍しいとは言っても全く連絡がない訳じゃない。

 内心はどうせいつもの例に漏れない雑談だと思っての第一声だった。

 しかし、神原の開口一番の声に雑談を感じさせる雰囲気は無かったーー

 

「助けてくれ……阿良々木先輩……」

 

 掠れた声で、絞り出すように聞こえる受話器越しの神原の声はどうしようもなく弱々しく泣くようにーーだから全く神原とは思えないような声をしていた。

 そもそも良くも悪くも唯我独尊、猪突猛進なこいつが助けを求める事が異変なのだ。

 

 異なるしーー変すぎる。

 

「お、おい!本当にどうしたんだよ神原!?とりあえず何があったのか説明しろ!」

 

 どちらにせよ運転中に電話応対はしないけれど、それでも運転中じゃなくて良かった。

 こんな声をいきなり聞かされれば僕は運転どころじゃなかっただろう。

 

「尊敬すべき阿良々木先輩に対してアポイントメントもとらずに電話をしてしまって申し訳ないが……私はもう……駄目かもしれない……」

 

「アポは電話でとるものであって電話をするためのアポをとるなんて話はきいたことがないぞ!じゃなくて……本当に何があったんだ!?」

 

 お前は元から駄目だよと突っ込みたかったけれど、そんな突っ込みが許されるような雰囲気じゃない。

 どころかそんな不躾な事を言ったら勢い余って自殺でもするのではないかというほどに覇気が感じられない。

 

「うむ……こんな私事を偉大なる阿良々木先輩に相談すること自体が神に唾する行為なのだが……実はーー」

 

 私事を僕に相談することは後ろの少女に唾をかけるに等しいのかよーー神様の名前を使った比喩も神様を目の前に聞いてみると殆ど虐めじゃねえか。

 しかしそんな突っ込みもご法度。

 今は可愛い後輩の相談とやらを聞いてやらねばーー

 

「……私のおば『ピー』」

 

 私のおばピー?おばピーってなんだ!?

 

 この後輩……とうとう変態を(こじ)らせすぎて二次創作の文字媒体ですら規制がかかるような変態になったのか?

 

 って、そうじゃない!

 

 さっきまで某笑顔動画をこの携帯電話で見てたんだ……僕は普段からまめに充電するタイプでもないし、そもそも携帯電話の充電がなくなるまで使う事がないせいかバッテリーに関する危機感なんて皆無に等しいーー

 

 つまり、『ピー』は伏字ではなく電池残量がなくなる警告音だった。

 

「ごめん神原!訳あって今は電話できないんだ、お前どこにいるんだ!?」

 

「なんだ阿良々木先輩、取り込み中か……?私は自宅にいるが……良いんだ、もう私の事は忘れてくれ……どうか私の分まで幸せにな……」

 

「重っ!お前は命の危機に瀕した悲劇のヒロインか!単に充電切れなだけだよ!今から行くからそこを動くなっ!」

 

「今からか?ならば私は服を『ピー』」

 

 服を『ピー』ってなんだ?今度こそ規制されたか?

 しかしどうやらその心配は杞憂で、今度の『ピー』は充電が切れる音だった。

 ……いや、杞憂なのか?凄まじく嫌な予感がするんだけれど。

 

 ひとまず充電の切れた携帯電話をポケットにしまって周囲の安全確認を始める。

 

「悪いんだけど八九寺、少し予定が変わった。先に神原の家に向かいたいんだけど構わないか?」

 

「え?それならわたしは歩いて帰りますよ?電話の様子から察するに緊急を要するようですし」

 

「そんな訳にいくか。いつものお前ならともかく、今のお前は誰からでも目撃できる状態なんだぞ?いくら昼間とはいえ何かあったらどうするんだよ、今の世間はお前が思う以上に物騒なんだぜ?」

 

 変態が横行しすぎて連日連夜その手のニュースがテレビを賑わしているくらいだからな、用心は必要だし用心しすぎるくらいで丁度良いんだ。

 とは言ってもこの街は大きな犯罪なんて聞いたこともないような田舎なんだけどーー

 

「そういう事でしたら阿良々木さんと行動を共にしているこの現状が一番危険だと思うのですが」

 

「何を言ってるんだ八九寺?少女にとって僕の腕の中ほど安全な場所はないとまで断言できるぞ」

 

「死んでください、できるだけ苦しんで」

 

「何のひねりもなく罵倒された!?」

 

 バックミラー越しに見える八九寺の視線は体感で氷点下どころか絶対零度かと思うほどに冷ややかだった。

 

 マイナス273°Cだった。

 

「……ですがしょうがありませんね。わたしが何と言ったところでロリコンの阿良々木さんが今のわたしをそのまま帰すとも思えませんし。ご同行しますよ」

 

「ロリコンという部分については否定させてもらうが解釈としてはそれで良い、そうと決まれば出発だ」

 

 八九寺との会話は楽しいんだけど今は雑談を楽しんでいるような状況じゃないからな。

 一通りの安全確認を終え、僕達は一路神原邸へと発進したーー勿論、法廷速度は厳守した上で。

 

 

 

【003】

 

 

 

 気持ちの上では大切な後輩の有事に押っ取り刀で駆け付けたつもりなんだけれど、そこはやっぱり新米ドライバー。

 交通ルールに殉じてそれなりの時間をかけて神原邸へと到着した。

 

「堅実な表現で悠長に語っていますけどね阿良々木さん、いくらなんでも安全運転すぎますよ。親しい人のピンチくらいもう少し急いではいかがかと」

 

「これでも急いだんだよ。ただ交通ルールを破ることは事故に繋がるだろ?車で移動する以上は急ぎようがないじゃん」

 

「ですから刑事ドラマよろしくの緊急時のみ適応されるダイハード的な運転をするとか」

 

「お前だけはそれを推奨するんじゃねえよ!」

 

 そんな危険運転のせいでお前は死んじゃったんだぞ!?

 本当の八九寺ならそんな事は言わないなんて批判がきたらどうするんだよ!

 

「まあ、それは良いです。とりあえず行ってきてはどうですか?わたしはここでお待ちしてますので」

 

 新章開幕で交わすにふさわしいジャブ程度の会話の後、八九寺はそう言った。

 

 車内待機か……

 八九寺の見た目だけならば車内放置と言っても良いかもしれない。

 いくら今が5月で陽気も穏やかとはいえ、車内温度って結構高いらしいし……直江津市では聞かないけれど全国ニュースではパチンコ店なんかでの子供の車内放置の事故は良く聞く。

 少なくとも普段の僕ならば絶対に選択しない行動だろう。

 

 そう、普段の僕ならばーー

 

 悪いことに、というか最悪なことにここは神原駿河の根城なのだ。

 つまりは八九寺の身を案じて車から連れ出したならば、それは八九寺と神原の対面を意味するーー

 

 うん、超怖い。

 

 幸か不幸か今の八九寺ならば神原からでも視認できるだろう。

 そしてこっちは確実に不幸なことに、そうなった場合の八九寺は……想像もしたくねー。

 

 十中八九、八九寺の花は散る。

 

 神原が咲き乱れる。

 

 変態の度合いにランクがあるとして、あの後輩は間違いなくそのランクの最高峰に君臨している。

 少し想像するだけで車内と神原の部屋、どちらの方が危険かなんて答えが出るというものだ。

 

「……とりあえず窓は開けておくしロックもしないから暑くなったら車外に出るんだぞ。熱中症にでもなったら大変だからな」

 

「そもそもわたしが熱中症になるのかが疑問ですが……そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 いってらっしゃいませ、と八九寺。

 確かに八九寺の事は心配だけど、かといって神原のことだって心配だ。

 どんな状況に置かれているのかは定かではないけれど、あの声から察するによっぽどの事態なのだと推察できる。

 八九寺には申し訳ないけど、僕は車をあとにして神原邸の玄関へと向かった。

 

 後輩の自宅を指して通い慣れているというのも中々聞かない話だと思うが、僕は通い慣れたその敷地を進みインターフォンを押す。

 程なくして玄関が開き、中から神原のお祖母さんが顔を出した。

 ここでも様子がおかしかったのは、いつもはいらっしゃいと笑顔で出迎えてくれるお祖母さんが心なしか曇った顔だった。

 

 ーー暦くん。

 

 ーー駿河をお願いね。

 

 とても申し訳なさそうに頭を下げられた。

 ここまでで大方の想像はつきそうなものだけど……今度は何をしやがったんだあの後輩。

 神原のお祖母さんにこんな事を言われるのはあいつが全裸で電話しているのをお祖母さんが目撃した時以来だーーつまりはそれに準じる事をしやがったのか……

 僕も大概だけど、学習しようよ……神原さん。

 

 かといってお祖母さんの前で可愛い孫娘を罵倒するわけにもいかず、当たり障りのない挨拶だけ交わして家へとあげてもらう。

 

 神原邸ーー

 

 絵に描いたような日本家屋で資産家の邸宅である事を容易に想像させるような立派な佇まい。

 その庭だって広大な敷地を有しており、阿良々木家が庭に収まるような広さを誇っている。

 枯山水がある庭ってなんだよ……

 そんな立派な家の廊下を進んでいくと程なくして神原の部屋に到着した。

 

 いや、正確には神原の部屋には到着できなかったーーだからその部屋の前、立派な襖の前で僕は足をとめてしまったのだから。

 

「えっと……神原……だよな?」

 

 そこには成仏できない地縛霊のようなオーラを纏った女の子が座り込んでいた。

 それがタンクトップにホットパンツという無駄に露出の高い服装だったから神原だと同定できたものの、それがなければ到底本人だとは思えない雰囲気だ。

 

「阿良々木先輩か……わざわざ出向いてもらってすまないな……」

 

 こちらを振り向いた神原は泣いていた。

 ポロポロというかボロボロと。

 

「ど、どうしたんだよ神原!?何があってそうなってるのか僕にもわかるように説明してくれ!」

 

 いや、本当に訳がわからない!

 出向いてみれば部屋の前で座り込んで泣いてる後輩に出迎えられるってどんなシチュエーションだよ!?

 

「それは……それはっ……!うああああああああん!」

 

 元バスケ部エースの大スターで変態の後輩が声をあげて泣き出した。

 

 号泣しだした。

 

「とりあえず落ち着け!なんとかしてやりたくても状況が把握できなきゃ何もできないぞ」

 

 この神原を見ていると状況を把握したところで何もできなそうだけど……

 

「うっうっ……すまない、ちゃんと話すから助けてくれ阿良々木先輩……」

 

 助けてくれ、か……

 そういえば面と向かって助けてくれと言われるのは千石以来かもしれないな。

 どこかのバランス大好き野郎が聞いたらお決まりの台詞が返ってきそうだーー

 まあ、それでも僕はあいつじゃないし、後輩が助けを求めてきたならば助けたいと思うんだけれど。

 

「話は今日の昼頃なのだが……」

 

「ついさっきじゃねえか、まさかこの家で何か起きたのか?」

 

「いや、起きたというか元から起こっていたと言うべきだろう……あるいは怒っていたのかもしれない」

 

 怒っていた?

 誰が?誰に?

 

「その時私は昼食を済ませて部屋で読書に勤しんでいたのだ……ああ、安心してくれ。読書とは勿論BL小説のことだ」

 

「安心できるかっ!お前は今、真剣に相談しているんだよな!?」

 

「当たり前だ!私の世界一尊敬する世界一の阿良々木先輩にふざけて相談などするものか!」

 

 そりゃあ僕は一人しかいないんだから阿良々木先輩というカテゴリーで順列を付ければ必然的に世界一位にランキングされるだろうけどさ……

 何で真剣な相談をする時にBL小説という単語が出てくるんだよ。

 

「まあ、私の事はどうでもよい。それよりも話の続きなのだが……その時、いつもならありえない出来事が起きたのだ……」

 

「ありえない?何がどうありえないんだ?」

 

「お祖母ちゃんが……私の部屋へとやってきたんだ……」

 

 ーーああ……もうわかった。完璧に理解した。

 状況を把握するならばそれだけ聞けば十分なくらいだ。

 要するにこの馬鹿、ゴミ屋敷と化した部屋をお祖母さんに見られて落ち込んでいるのだろうーー

 そりゃあ可愛い孫娘が休日に部屋に篭ってゴミに埋もれながらBL小説を読んでいるとなればお祖母さんだって何かしらのリアクションを起こすだろうし、神原は筋金入りのお祖母ちゃん子だからそのリアクションは精神的に相当なダメージを与えた筈だ。

 

 ……ん?ちょっと待てよ?

 神原のお祖母さんて無許可で部屋の襖を開けるようなタイプの人だっけ?

 どちらかといえば神原のプライベートには極力立ち入らないような印象があったんだけど……

 

「うむ、それに関しては私が入室を許可した」

 

「馬鹿かよお前は!それってもう完全な自爆じゃねえか!自業自得のハードルを自分から高めてるじゃねえか!」

 

「しょうがあるまい!小説が良いところで手が離せなかったのだ!お祖母ちゃんが襖を開けるところまで頭が回るはずないだろう!」

 

「お前の頭は元から回ってねえよ!首ごと回っちまえ!」

 

「阿良々木先輩にそこまで言われるとときめかざるを得ないが私はこれでも本気で落ち込んでいるのだ!そういったプレイは日を改めてくれ」

 

「改めるべきはお前の人格だよ!」

 

 ちくしょう……本気で心配してやってきたのにここまで損した気分にさせられるとは思ってもみなかった。

 今日からは絶対に携帯電話の充電を使い切るような事は避けようーー

 

「想像してみるがいい阿良々木先輩……あのお祖母ちゃんが部屋を開けて中を見るなり『駿河……あなたももう高校三年生、大人の部類なの……もう少しで良いから自覚を持って……お願い……』と呟いたのだぞ……」

 

「ああ、本当に同情するよ……お前のお祖母ちゃんに」

 

 僕がお祖母さんの立場ならひとまずこいつを家から追い出してる。

 即決即断で。

 

「私だって始めてそんなことを言われたのだ、さすがにマズいと思って片付けようと思ったさ……だが……」

 

「だが、なんだよ?」

 

「改めて見てみると片付けようにもどこから手をつけるべきかもわからなかった……いつか阿良々木先輩が言ってたように、ダイナマイトで爆破処理をした方が早いとさえ思えた……」

 

 こいつ……この前僕が掃除をしてから今にいたるまでの間にどれだけ散らかしたんだよ。

 

「結局、私の手には負えず……呆然と部屋を眺めながらお祖母ちゃんの言葉を思い出していたら涙が止まらなくなってしまってな。そこで阿良々木先輩に電話した次第だ」

 

「つまり助けてくれって……部屋を片付けてくれって事か……」

 

「うむ、さすがは万人の心の声を聞き分けると名高い阿良々木先輩だ!話が早くて助かるぞ」

 

「今の僕に聞き分けられる心の声はお祖母さんの悲痛な叫びくらいだけとな」

 

 それでもお祖母さんには申し訳ない限りだが、僕は今更……本当に今更、神原の部屋が散らかっているくらいでは動じやしない。

 どころか納得してしまうだろうし、逆説的に言うならばこいつの部屋が綺麗に整理整頓されていたならば狼狽えてしまうだろう。

 そう考えると僕も大概、神原に毒されているのかもしれないーー

 

 兎に角、今はこの阿保な後輩のためーーひいては孫思いのお祖母さんのために掃除に手をつけるか。

 どちらにせよ酷い有様であることを想定して、襖を開けはなつーー

 

「…………」

 

 絶句。

 

 予想以上に予想以上だった。

 観る人が観れば現代アートと言ってしまうかもしれない仕上がりだ。

 

「どうしたのだ阿良々木先輩?そんな所で固まっていては始まるものも始まるまい。不動の寡黙とまで言われた阿良々木先輩らしいといえばらしいがそれでは先が思いやられるぞ」

 

「始まるまい、じゃねえよ!始まる前から色々と終わってるんだよお前はっ!」

 

 思いやられるのもお前だよ!

 つーか何でお前がそのあだ名を知ってるんだ。

 

「何でもは知らないが阿良々木先輩のことならば何でも知ってる私だからな、あだ名どころか性癖についてだって熟知している!」

 

「……神原さん、僕にはこの部屋の掃除を放棄してお祖母ちゃんに日頃のお前を語るという選択肢もあるからね?」

 

「それは放棄と箒をかけての冗談か?さすがは阿良々木先輩、落ち込む後輩のケアも忘れない気遣いの人だな」

 

「この部屋のどこを見れば箒なんてアイテムが出てくるんだ?箒どころか重機が必要なレベルじゃねえか!」

 

 ああ!駄目だ!

 こいつと話していたらそれこそ始まるものも始まらねえ!

 襖はかろうじて開いたけど埒があかなねえよ。

 もっと別の相談かと思っていたけれど、これじゃあ八九寺を先に神社まで送った方が良いかもしれないな……どう見たって長丁場になるだろうし。

 

 とりあえず作業スペースだけ確保するしたら八九寺を送っていこう。

 そのついでにゴミ袋なんかも仕入れてくれば丁度いいだろう。

 

「そういえば阿良々木先輩、もう昼食は済ませたのか?」

 

 いつものように僕の掃除を鑑賞する体制になった神原が訪ねてきた。

 

「昼食っていうか……まあ、ご飯ではなかったけれどお腹はそれなりに満たされているよ。それがどうした?」

 

 良く考えれば今日の昼食はドーナツだったもんな……食生活としては非常によろしくない。

 もう受験生でもないのに糖分の過剰摂取は控えなければ。

 いつぞやの忘却探偵にがぶ飲みさせられたジュースを思い出してしまった。

 

「いや、いくら私といえども予定外の労働を強いてしまって申し訳なく思う気持ちくらいはある。まだ昼食前だったなら食事くらいは用意しようと思ったのだ」

 

「そういうことか。気持ちはありがたいけど今は遠慮しておくよ」

 

 それにその食事はお前じゃなくてお祖母さんが作るものだろうが。

 ついさっきお叱りを受けた相手に気楽に料理を要求するなよ。

 

「それならば飲み物くらいは用意させてくれ。私だって食事は無理でもジュースの買い出しくらいはできる」

 

「胸を張って言うような事かよ……ああ、でも飲み物はありがたいな。掃除してると埃っぽくなるし」

 

 ついでにマスクでもあればありがたいけど、それは後でゴミ袋と一緒に買えばいいか。

 

「それでは行ってくる!阿良々木先輩はお茶で良いか?」

 

「甘くなければ何でもいいよ、コーヒーでもお茶でも。ただホットはやめてくれ」

 

「ははっ、この陽気でホットドリンクを差し入れするほど私も愚かではない。しかし阿良々木先輩がどうしてもと言うのなら……この身体を使って温めたドリンクを飲んでもらうまでだ」

 

「お前の変態っぷりを僕が当たり前に理解できる前提で話すな!身体を使って温めたドリンクってなんだよ!?」

 

 身体のどこをどう使うつもりだったんだこいつ……

 

「委細承知!では行ってくる!」

 

「急ぐのはいいけど車には気を付けろよ。それでなくても土曜日の昼間ならいつもより交通量も多いだろう……しーー」

 

 つっても道を歩く事を知らないような奴だからな……忠告も虚しいくらいに全力疾走なんだろうけど。

 案の定、僕のそんな呼びかけが終わるかどうかというタイミングで神原はもう飛び出していった後だった。

 火のついた花火どころか発射されたミサイルのように。

 

 さて、とーー

 

 僕ものんびり神原の帰りを待つだけではいけないし、そろそろ作業にとりかかるか。

 見れば見るほど心が折れそうになるけれど、部屋の最深部まで到達するためにまずは入り口の確保くらはいはしておきたい。

 つーか散らかっているものの大半が腐った感じの本なんだけれど……お祖母さんのため、神原の将来のためーー帰ってくる前に捨ててしまおうかと本気で考えてしまうな。

 このシリーズのアニメ版における誇張表現には一家言あるところだが神原の部屋と火憐の馬鹿さはあながち間違ってないと思うし。

 

 でも本気でこのBL小説を全て捨てたらあいつはどんなリアクションをするのだろうか……

 パターンがあり過ぎて断定はできないけれど、うっかり僕が殺されるくらいはありえそうだ。

 それかこの世の終わりと言わんばかりに落ち込むとか。

 あの神原が信じられないくらい大絶叫したりしてーー

 

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 そうそう、そんな感じにーーって、今の声!

 

「は、八九寺!?」

 

 嘘だろおい……やばいやばいやばいやばい!

 完璧に僕のミスだ!真に八九寺の身を案じるならば神原を野に放つべきではなかったーー

 

 手に持っていた小説をゴミのように投げ飛ばして僕は駆け出した。

 早くしなければ八九寺が何をされるかわかったものじゃない!

 花を散らされた挙句にとんでもない変態へと調教でもされたら完全に僕の責任だ!

 つーか僕の八九寺に手遅れな事をしやがったらあの後輩は生かしておかねえからな!

 

「八九寺ーーーーーー!」

 

 僕はそのまま靴も履かずに飛び出した。

 




【次回予告】


「この度は『届物語・するがダウト』を読んでくれてありがとう。神原駿河、阿良々木先輩のエロ奴隷だ!」

「しかしこの『するがダウト』というネーミングはどうだろう」

「これまでも『するがモンキー』や『するがデビル』と、他のタイトルに比べてどこか間抜けな感が否めないタイトリングだったが……『するがダウト』は酷いだろう!」

「ダウトとは疑うとか嘘という意味じゃないか!昨今は私の事を口だけ変態だとか実は純粋初心だとか言う輩が横行しているというのに、これではそんな輩に拍車をかけてしまう」

「断っておくが私は列記とした変態だ!今もこの次回予告を全裸でおこなっているぞ!」

「次回『するがダウト・其ノ貳』」

「ところでネーミングといえば『がんばるするがちゃん』改め、『なんでもするがちゃん』はどうだろうか?」

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