優雅は運命を知ってしまったそうです   作:風剣

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契約

 

 

「……はぁ」

 

 密室に響く、どこまでも重苦しい溜め息。『余裕をもって優雅たれ』という家訓も一時忘れ、己の書斎に一人篭もる時臣は息を吐いた。

 

「……しかし、参ったな。この様子では精神干渉系の魔術攻撃を受けた時に耐えられるかどうか―――……」

 

 自嘲気味にひとりごこち、見慣れた天井を見上げ―――再び、息を吐いた。

 

 当然といえば当然だろう。『胎盤』の作成を目的とした間桐の翁による娘の虐待、旧交を温めていた監督役の神父の殺害、己の英霊の離反、挙句の果てには信頼していた弟子による刺殺―――想定を遥かに超える衝撃的な運命を見せられて平常心を保てなどどだい無理な話だ。それも十数年後の未来においての娘達の苦境や濡れ場まで含まれていたとなれば尚更だった。

 

「……」

 

 

 ―――しかし、こうしてもいられない。

 

 

 既に、疑似的かつ限定的な千里眼によって手に入れた情報の裏付けは取れていた。第三次聖杯戦争においてアインツベルンが召喚したというイレギュラーなサーヴァント『アヴェンジャー』―――この世全ての悪(アンリマユ)による大聖杯の汚染を確認。数日前監督役として派遣された言峰璃正を伴い円蔵山の『龍洞』を訪れた時臣が発見したのは極大の呪詛であった。

 

 ―――あんなモノが出てしまえば、被害は冬木市に留まらない。

 

 大聖杯の破壊、それを決断するのは早かった。―――神秘の秘匿、隠蔽を優先する魔術師としての打算の他にも、汚染された聖杯のおぞましさや大勢の犠牲が出る事への人としての忌避感があったのは決して否定できなかったが。

 

(―――まったく、あの光景(セカイ)にでも影響されたか?)

 

 苦り切った笑みを浮かべつつ、聖杯戦争の中心となった一人の男を思い浮かべる。

 

 衛宮切嗣。

 

 そう時間をかけず敵対することになるだろう『魔術師殺し(メイガスマーダー)』―――彼の悪辣極まる手段には変わらず嫌悪感を覚えるものの、本来なら決して届かない『争いの根絶』『恒久的世界平和の実現』を求める執念の程は、魔術師の到達点である『根源』を目指す時臣をして唸らせるものだった。

 

 願い(それ)に懸ける希望(想い)に関しては明らかに切嗣の方が上回っている。平行世界の自分と違い彼を侮るつもりは毛頭なかった。

 

 やはり警戒しなければならないのはトンプソン・コンテンダーなる近代兵器、それから撃ち出される『起源弾』だろうが……他にも、対処しなければならない問題は山積みになっている。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 眉間に手をやって嘆息する時臣の視線の先―――木製の扉が、外からノックされる。

 

「……」

 

 自分から呼び出したとは言え、扉の向こう側にいるだろう男の顔を思い浮かべて薄く薄く息を吐く。緊張に体が強張るのを痛い程に自覚しながら、彼は口を重々しく開いた。

 

「―――入って来てくれたまえ、綺礼君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠坂時臣。

 

 艱難辛苦を経て醸成された確たる自律と克己を持ち合わせた一流の魔術師であり、自分と同じくその手に令呪を宿らせ『根源』へと至らんとする一人のマスター。―――この師弟関係はあくまで彼に聖杯を勝ち取らせる為の仮初のものに過ぎず、これまでの求道と同じく己の求める『答え』を手に入れられることはない。

 

 少なくとも、数日前までは言峰綺礼はそう思っていた。

 

 過去未来現在、世界全てを見渡す千里眼―――最高位の魔術師であることを示す証である魔眼を限定的に再現したその日。帰宅した家族をかき抱いてむせび泣く彼の声は、悲嘆と絶望に塗れていた。

 

 ―――思えば、その時からだっただろうか。

 

 死徒や異端の魔術師達を数え切れないほど屠ってきた歴戦の代行者としての直感が、己に向けられる警戒の念に気付いたのは。

 

 当然ながら、彼に心当たりなどあるはずもない。

 

 であれば、時臣が見たという未来、そこで何らかの要因による敵対関係に発展したと考えるのが妥当か―――、

 

『綺礼君』

 

「……導師」

 

 師弟関係を結ぶにあたって自室にあてがわれた一室、そこで一人考え込んでいた綺礼は、件の人物より届いた念話に顔を上げる。重要な話をする為彼の書斎に来るようにと言われ、是非もなく了承した。

 

 遠坂邸の廊下を歩く中、再び時臣の見たであろう光景に思いをはせる。

 

 あの儀式は、間違いなく成功した。己に対する態度を豹変させた彼の様子からして何かしらを『視た』のは間違いないだろう。本来の予定通りに儀式を完遂することができていれば、それこそ敗北の要素など皆無。参加する魔術師(マスター)、召喚されるサーヴァントの真名及び弱点、各陣営の戦略……それら全てを把握して負ける筈がない。

 

 だが気になるのは―――何を見たか、だ。

 

 聖杯戦争。七人の魔術師がそれぞれヒトの次元を超えた英霊を召喚し、万能の願望器を巡り殺し合う―――恐らくはその瞬間、世界で最も凄絶な戦いになるであろう大儀式。

 

 もしその中で、自分がナニカを見つけられたのなら―――彼は、それを知っているのだろうか。

 

 自然と気が昂ぶるのを感じつつ、書斎の前に立った彼は控えめに木製の扉を叩く。

 

「……」

 

 一拍の間を置いて、中から返事があった。

 

「入って来てくれたまえ、綺礼君」

 

「はっ」

 

 扉を開いた綺礼は、机の上に何枚かの図面を広げてこちらを見つめる時臣の前に歩み寄る。その碧眼はどこか彼を見透かそうとしているように感じられた。

 

「―――突然呼び立ててしまってすまなかった。問題はなかったかい?」

 

「いえ―――それで、どのような用件でしょうか」

 

「……」

 

 先日よりは余裕のある表情を見せる時臣に尋ねると、彼はどこか悩む素振りを見せ―――覚悟を決めたように、息を吐いた。

 

「ここ数日、ごたごたしていて何も話すことができなかったからな―――とりあえず、君と一度話し合おうと思った次第だ。三年後行われる第四次聖杯戦争と……君の抱える歪みと懊悩について」

 

「……!」

 

「……一つ言っておくと、私の伝えることを認めるか否かは君次第だ。君の求める『答え』を本当に満たせるのかは私には把握し切れないし、これから伝えることは璃正神父の影響もあって人一倍の道徳心を持つ『今の君』には許容できる内容ではないだろう。……ただ―――それでも私の視たものを知りたいと思うのなら、この契約に同意して欲しい」

 

 そう言って時臣が提示したのは―――、

 

「これ、は……?」

 

自己強制証文(セルフギアス・スクロール)……魔術師の世界において違約不可能な取り決めをする際に使われる、最大の呪術契約だ」

 

 自分の魔術刻印の機能を用いて術者本人にかける強制の呪いは、いかなる手段を用いたとしてても解除不可能。例え命を差し出しても、次代に継承された魔術刻印がある限り、死後の魂すらも束縛される。この証文を差し出した上での交渉は、魔術師にとって最大限の譲歩を意味し、魔術師達の間でも滅多に見られない代物であった。

 

 そして時臣が綺礼に見せたそれには、次のようにあった。

 

 

 

『遠坂家五代目当主、遠坂時臣が言峰綺礼と契約を結ぶ―――』

 

 

 ―――言峰綺礼は下記の条項を誓約する―――

・言峰綺礼とそれに繋がりがある存在は、遠坂時臣とその一族に対する一切の反逆行為を為すことを禁ずる

・勝ち取った聖杯の処遇は、遠坂時臣の判断に委ねる

 

 

 ―――遠坂時臣は下記の条項を誓約する―――

・弟子である言峰綺礼の指導を、彼がサーヴァントを召喚するまで続ける

・勝ち取った聖杯によって無辜の民に被害を出すことを全面的に禁じる

 

 

 

「これ、は……」

 

 掠れた声を唇から漏らし、瞠目して契約内容を凝視する。

 

 大仰な始まりにも関わらず簡潔に纏められた契約、その中身は本来の二人の関係を考えれば守られて当然の内容であり―――その程度のことに呪術契約を求められる時点で、綺礼が信用されていない事実を理解させるのには十分だった。

 

 ―――やはり自分は、導師を裏切った。

 

 一体どのような過程を経てそのようなことになったのか全く想像がつかなかったが、目の前の人物は確かに聖杯戦争を観測し、そして来たる未来(悲劇)を回避する為に動き始めているのだろう。

 

 

 ―――であれば。

 

 

 見れるかもしれない、聞けるかもしれない、知れるかもしれない。

 

 いかなる苦行、いかなる求道を経ても満たすことのできなかった虚ろな心、その全てを満たせるようなナニカを。

 

「元より自分は、貴方に聖杯を勝ち取らせる為に弟子となった身―――この契約をすることについては何の躊躇いもございません。しかし……本当に貴方が、私の求めていたものを―――?」

 

「それを判断するのは君だ。この契約に署名(サイン)をしてくれるのならば、私の見た第四次聖杯戦争を君に見せよう」

 

「……ッ」

 

 迷いは数瞬だった。

 

 すぐさま綺礼のサインが為された自己強制証文(セルフギアス・スクロール)。それを確認して小さく頷いた時臣は、黒光りする宝石を手に取った。

 

「―――これを。呑み込めば、私の観測した第四次聖杯戦争の記憶を共有できる」

 

「……はっ」

 

 自分でも驚くほどの衝動が沸き上がるのをどうにか堪えながら、受け取った宝石を躊躇いなく口の中に放る。

 

 そしてごくりと嚥下し―――途方もない衝撃を打ち込まれた。

 

「くっ……!」

 

 髑髏の仮面、黄金の光、数多の軍勢、度重なる銃声、血に濡れたアゾット剣、そして―――街を侵し焼き尽くす、泥の奔流。莫大な情報量を一度に叩き込まれる衝撃に、顔を苦しげに歪める。たたらを踏みかけた綺礼は、すんでの所で体勢を立て直した。

 

「―――はッ……はぁ……はぁ……………………」

 

「……」

 

 沈黙。

 

 頭を割らんばかりだった情報の奔流も収まり、ただ荒い息を吐いて肩を揺らす綺礼に、時臣は僅かに目を見開いた。

 

「……意外だな」

 

「何が、でしょう」

 

「いや……その光景を君が見たら、己の在りように怒り狂うか、どこまでも愉しそうに嗤い始めるかのどちらかと思っていたのでね。今の君はそう、どこか落ち着いているようにも見える」

 

「あぁ……いえ。確かに、あの光景を見せられれば激情に駆られもしましたが―――」

 

 どこか憑き物が取れたような表情で首を振った綺礼は、苦笑すら浮かべて告げる。

 

「最後の締めくくりが、全裸の英雄王では。どうにも、憤る気にもなれず」

 

「……あぁ、成程。確かに、そうだったな」

 

 まぁ冷静ならばそれに越したことはないが―――確かに、あれでは萎えもするだろうか。彼も新たな鎧なり衣装なりを身に纏えば良かったものを、などと不遜にも考えつつ、時臣は咳払いをして意識を切り替える。

 

「アレを視た君ならば分かっただろうが、この世全ての悪(アンリマユ)に汚染された聖杯は決して私の目的に合致するものではない。数年後の第四次聖杯戦争にて、私は冬木のセカンドオーナーとして大聖杯の破壊ないし解体を決行する……戦いの趨勢によっては、君もまたアレを見ることができるだろうし、今後の行動次第では聖杯戦争以外の場でも渇望を満たすことが可能なはずだ」

 

「……えぇ。もとより、契約に束縛された自分にはそれ以外の選択肢がありませんが」

 

「それはすまなかった、こうでもしなければ君には背を預けられなかったのでね―――これで契約は成った。改めて、これからもよろしく頼む」

 

「えぇ、こちらこそ」

 

 こうして、彼等は手を握り合った。

 

 

 運命の時は、近い。

 

 

 









「ところで、何故私の指導の件について契約したのです? それについては別に言及する必要はなかったかと思いますが」
「……何。魂の束縛でもしなければ、君の指導を滞らせない自信がなかったのでね」
「あぁ、そういうことでしたか―――信頼していた者に、背中を刺されて聖杯戦争を退場したのを見た気分は如何でしたか?」
「君は……!? やはり吹っ切れたか……!!」



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