邯鄲夢の蟲   作:ましほ

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間桐兄弟と幼馴染のはずの少女の関係について。
とかいいつつ、内容自体はずれてる雁夜くんと自己保身が多分に含まれた過保護なお兄ちゃんの会話、あとお兄ちゃんの考察もどきというか愚痴です。


兄弟と彼女の関係

 突然だが、間桐鶴野は禅城葵という少女にたいしてたいそう複雑な感情を持っている。

 鶴野にとって彼女は間桐家と多少の縁がある家系の娘であり、同年代の少女。それだけだ。ただし、そこに鶴野の弟である雁夜が関わってくれば話は変わってくる。 

 なにしろ『禅城葵』あるいは『遠坂葵』は幼い頃の『雁夜』の救いになると同時に、彼が破滅に自ら進みゆく切っ掛けとなった女性だ。そしてなにより、最期に『雁夜』を絶望の淵に叩き落とした存在である。

 正確には鶴野の弟の雁夜はまだ齢八つの子どもであり、悲惨な最期を遂げた『雁夜』は雁夜が夢に見るもう一人の『間桐雁夜』にすぎない。つまり、『葵さん』ではない彼の知る禅城葵にしてみれば、鶴野が抱えるわだかまりなどまったく身に覚えのないものだ。それは鶴野自身も自覚しているのだが、人の感情というのはなんともままならないものである。とはいえ、一応は表には出していないのだから、勘弁してほしいとも思う。

 そして、今この時に鶴野が殊更にこうして『葵』について考察してしまうのにはわけがあった。

 

「あ、ただいま兄ちゃん!」

「おかえり雁夜。どうだった、一人でのはじめての外出は」

「面白かった! でもなんで兄ちゃんも来なかったんだよー。俺、兄ちゃんと一緒にいろんなもの見たかったのに!」

 

 弾んだ声で居間に入ってきたのは、雁夜だった。

 たった今、人生初といってもいいはじめてのおつかい…もとい、はじめての一人きりの外出から帰ってきたところだ。当然、周囲に監視用の使い魔がいたがこれはさすがにノーカウントでもいいだろう。

 つまり今日という日は、生まれた時から呪われた蟲蔵で育ち、ある程度成長してからも軟禁状態で間桐家の敷地から数えるほどしか外に出たことのない少年の記念すべき日といえる。しかし、その外出を許した存在の思惑を知っている身としては、鶴野は手放しで喜べはしなかった。

 とはいえ、それはこちらの事情である。いや雁夜が関わるといえば関わるのだが、現段階ではただ鶴野が懸念というか釈然としない想いを抱えているだけというのが正確か。そんな自分の気持ちひとつで、せっかくの外出に興奮してはしゃいでいる弟に水を差すのも気が引けた鶴野は、ため息一つで意識を切り替えた。

 

「おーおー、じゃあお兄様にお前が見聞きしたものについてしっかり報告してもらおうか」

「うっわ偉そう! えーとね、公園の藤棚が満開で綺麗だったのと、藤の花の周りをクマンバチがブンブン飛び交ってたのと…」

 

 「偉そう!」と口を尖らせて言いつつも、すぐにまた笑顔満開で話し始めた雁夜の声を聞きながら、鶴野の意識は過去に戻って行った。

 

 

 

 

 

 雁夜の自我(あと常識とか人間的なあれこれ)がある程度しっかりしてきた頃。世間一般の子どもと比べれば遅いだろうが、具体的には八歳になって暫くしてからだろうか。間桐兄弟は禅城の娘と出会った。それは、配偶者の血統における潜在能力を最大限引き出すという禅城の血を、あわよくば間桐に取り込もうという臓硯の目論見により設けられた場であった。

 鶴野はなんとも複雑な気持ちでその日を迎えたものだ。彼は完全に雁夜の子守というか付き添い状態であったが、とはいえそれが原因ではない。

 この頃すでに、鶴野は弟から『間桐雁夜』の話は何度となく聞いていたのだ。

 奇跡的に呪われた間桐の家から離れることができた『雁夜』。その彼が自ら地獄へと舞い戻る契機となった、そして最期の最期で誰よりも何よりも手酷く『雁夜』を壊した女。

 まだ見ぬ『禅城葵』に対して鶴野の中の彼女のイメージはそれで固定されてしまっていた。第三者の視点…あるいは、彼女の視点に立って見ればむしろ『雁夜』の方に問題があるのだろう。というより、雁夜の話す夢の内容を聞く限りでは、おそらく『雁夜』が一人よがりに空回った可能性が高い。『遠坂葵』にしてみれば大きなお世話だったのだろう。

 だが、頭ではそう理解していてもやはり人間身内が可愛いのだ。よく知らない人間よりも、身内贔屓な心情になるのは当然だろうと鶴野はもはや開き直っている。

 つまり、どうしても鶴野は彼女に対して良い感情を持てなかった。『葵さん』が『雁夜』の好意を利用しようとした腹黒い人間、計算高い女のように思えてならなかったのだ。

 『雁夜』のことはどうしようもないが、雁夜までどうにかされては堪らない。なにしろ雁夜は鶴野が間桐家で生き抜くための大事な命綱なのだ。そして唯一の癒しであり二人きりの兄弟でもある。『雁夜』のように雁夜を彼女にべったりにさせるわけにはいかない。決して雁夜を『雁夜』にするわけにはいかない。

 鶴野はそう気張って、雁夜の片手をきつく握り自分の背の後ろに下がらせながら彼女との対面に臨んだ。そしてその甲斐あってか、とくにこれといったイベントも記憶に強く残る会話もとくになく恙無く初めての対面式は終了した。

 ちなみに、初対面後の雁夜の感想はこうだった。

 

「兄ちゃん、俺ついに本物の『葵さん』に会っちゃったよ!」

 

 なぜか、いつもはテレビで見ていたタレントに直接会ってしまった一般人のような反応だった。

 そしてそんな初対面からさらに二度、間桐兄弟と禅城葵は引き会わされた。まぁその出会いにお互いの生家の作為を感じていたのは鶴野だけだろうが。

 雁夜は相変わらず能天気でおつむのネジが常人とは多少違った嵌り方をしているので仕方がない。

 また禅城葵の方も、実家の教育がたいそう素晴らしいのだろう。自身に都合の悪いことや知る必要のないことにはてんで興味も関心も示さず、あるいは示している素振りを見せずに綺麗な笑顔を浮かべるだけだ。いずれは魔術師の家に嫁ぐというのなら、その生き方は何とも役に立つ、そして必須となるものなのだろう。本当に素晴らしい教育を施されているものだ。まぁ、これは鶴野の穿った見方かもしれないが。

 そしてついに、今日は雁夜一人で彼女に会うことになった。初めは当然のように、鶴野は子守と称して今回も雁夜の傍らにいようとした。しかし臓硯によって雁夜一人で行かせるようにと命令されては仕方がない。そのため、鶴野は雁夜につけた使い魔の送ってくる視界や聴覚情報を頼りに弟を見守っていたのだ。

 

 

 

 

 

 なんて、過去の回想がようやく現在の思考にまで追いついてきたところで鶴野はようやく弟の声を声として認識し始めた。というか、まだ報告は続いていたらしいことに少し驚いた。ほんの短い外出でどうしてそこまで話の種が見つかるのか不思議である。

 

「―――急に風が強く吹いて葵さんの帽子が飛ばされて…あ、あと葵さんのワンピースのスカートの裾が捲れてパンチラしてた!」

「お前それなんつぅラッキースケベ…」

 

 お兄ちゃん、パンチラなんて単語を教えた覚えはありませんよ! つまりまたか、ヤンデレに続いてまたなのか検閲の網抜け知識!? 兄ちゃんのチェックがザルすぎるってのかちくしょう!!

 顔を引き攣らせつつ内心で頭を掻き毟りつつ絶叫する兄の心弟知らず。雁夜は幼い顔に無邪気な笑みを浮かべてひどく楽しそうだ。

 

「葵さんの今日のパンツは薄桃色で可愛いレースがついてたよ!」

「あーそうかよ!!」

 

 ってか一瞬のうちにそこまでちゃっかり観察してんじゃねーよ!

 耐えきれなくなった鶴野はついに絶叫と同時に能天気すぎる弟の頭に強烈なチョップを振り下ろした。お兄ちゃん悪くない。

 

 

 

 

 

 雁夜と禅城葵が二人だけで会ってから(つまり雁夜のラッキースケベ&パンチラ初体験から)数日後。

 本日のおやつの芋けんぴを左手で摘まみつつ、右手でシャーペンを握って宿題をしている最中のこと。鶴野はふと気になった疑問を傍らにいた雁夜に投げかけた。

 

「なぁ雁夜」

「んーなぁに?」

 

 芋けんぴを餌に三匹の団子蟲を競争させて遊んでいた雁夜は、なんとも暢気な声を上げつつ振り返った。その小さな右手では、指に摘ままれた芋けんぴがプラプラと振られている。ちなみに雁夜の遊び相手になっているこの団子蟲、一匹ずつが一抱えほどもある立派な体躯の持ち主で、まさに某風の谷の姫姉さまと心を通わせた王の名を冠する蟲のミニチュア版である。そしてその移動速度は結構速かった。

 若干意図的に猛然と走る巨大団子蟲を視界から外しながら、鶴野は尋ねる。

 

「お前は禅城葵を嫁にしようとは思わないのか?」

「んー?」

 

 何言ってるのかわかりません、という顔をする雁夜。

 そのプラプラ振られていた手が止まった隙を突き、ついに居間を1着で5周し終えた団子蟲が雁夜の右手指先に摘ままれた芋けんぴをGETしているのが見えるが、どうでもいいことなのでスルーする。

 ちなみに僅差でゴールした他二体が自分たちにも芋けんぴを寄越せと言わんばかりに一位の団子蟲に追いすがるが、そちらを見もしない雁夜の左手にはたかれてすごすごと丸まって転がった(弟は勝負事の勝敗には意外とシビアだ)。…が、やはりどうでもいいのでスルーした。

 

「『雁夜』は間桐を憎悪して嫌悪して反発していた。慕った相手が間桐に組み込まれることを恐れて結局は遠目で見守るに留めていた。けどお前は違うだろう? 禅城葵に『雁夜』ほどに慕情を持ってるわけでもなし、間桐に嫌悪を感じているわけでもない。つまり、お前があの女を遠ざける理由は無い」

「うーん…まぁそうかも」

「それとも、夢の『雁夜』と同じように遠坂のお坊ちゃんにくれてやるのか? 結局は魔術師の都合に巻き込まれることがわかっていて」

「あーうん、今のところ俺は葵さんには遠坂時臣と結婚してもらうつもりだけど」

「…なんでだ?」

「だって俺が『葵さん』と夫婦になっちゃったら『桜ちゃん』と『凛ちゃん』が生まれないだろ? それは困る」

 

 眉根を寄せ唇を尖らせた、子どもがわざとらしく作ったような難しい顔をしてみせる雁夜。いや、実際にたった八歳のがきんちょであるわけだが。

 あぁショタ好きな大きいお姉さんとかは「可愛いー!」とか言うんだろうか。こんな子どもが一生懸命大人ぶった仕草をしてるとさ。その点子どもって得だよなぁ。

 なんて、鶴野が暢気に俗物的な思考を飛ばしている目の前で。雁夜は相変わらずにこやかに笑う。

 

「だって俺、『桜ちゃん』にも会ってみたいし」

「…つまり、『桜』に会うために『葵』には構わないってことか?」

「うん、そのつもり」

「なんだ、じゃあお前は禅城葵自身には全く興味がないみたいじゃないか」

 

 『雁夜』に執着している…というか、『彼』を羨望している弟のことだ。てっきり『雁夜』が一心に慕った女性のことも同じように見ていると思っていたのだが、違うというのだろうか。

 鶴野がまさかと思って問いかけた言葉に、しかし雁夜は膝に抱えた蟲レース一等に輝いた巨大団子蟲を撫でつつあっけらかんと答えた。

 

「あーうん、なんか俺、思ったより葵さんには何にも感じないんだよなぁ。こういうのを拍子抜けっていうの? 『雁夜』があんなに執着してたんだから、俺もなんか変わるかなって思ってワクワクしてたんだけど、別にそんなことなかったんだよなぁ…。そりゃあ、葵さんは綺麗だしふわふわしててなんかあったかい気はするけどさ。でもそれだけだし。なんていうの、確かになんか気持ち良いのは気持ち良いんだけど、別に無くても困らないかなーってくらいなんだよなぁ」

 

 ―――これって絶対、『雁夜』の『葵さん』に対する想いとは違うよね?

 

 そう無邪気に小首を傾げながら問いかける弟に、鶴野は何か少しうすら寒いモノを感じた。雁夜はただ『間桐雁夜』に羨望を抱いているだけではなく、『彼』の感じたものを追い求めることのみを重要視しているのではないか。『雁夜』の軌跡を追うことでしか、弟は人として生きられないのではないか。そしてその先に、最期に待つのは―――。

 

「葵さんのことは嫌いじゃないけど。でも残念だよー。俺、『雁夜』みたいに葵さんのこと強く思えないんだぁ。あ、もしかしたらこれから変わるかもしれないから、またこれからも会うつもりだけどね」

 

 なんとも薄っぺらく空っぽな笑顔を浮かべた雁夜はにこやかに言う。いつか『人の心』がわかるかもしれないから、今はとりあえず『人=雁夜』の生き方を真似している。ただ、それだけ。

 ―――こいつは、他人のことなんてなんとも思っていないんじゃないか。他人の…俺のことなんて、なんとも思っていないんじゃないか。ただでさえ『雁夜』は『鶴野』にほとんど感情を向けていなかったのだ。『雁夜』は初恋の女とその娘には強い親愛を初めとした温かな想いを、憎い恋敵には強い憎悪や嫉妬といった冷たい想いを向けていた。だが、実の兄には…?

 『葵』にさえ、雁夜はこれなのだ。では、『兄』には…。

 

「に、兄ちゃんどうしたんだよ!?」 

 

 鶴野がふと気がつくと、弟が急に血相を変えて慌てているところだった。膝に抱えていた巨大団子蟲を放り投げて、雁夜がこちらに駆け寄って来る(他二匹の団子蟲が「ざまぁ」と言わんばかりにそれをつついていたが、どうでもいいのでやはりスルーする)。

 そして、普段のぼんやりした様子が嘘のように慌ただしく鶴野の身体をペタペタと触ってきた。

 

「顔色真っ白だぞ、なんか悪いもんでも食べたのか、蟲が兄ちゃんに悪戯したのか、それともお父さんに怖いことされたのか!?」

 

 そんなことを言いながら、腹を撫でたり服の裾を持ち上げて中を覗き込んできたり、キョロキョロと周りを見回してみたり。なんとも騒がしい。

 と、そこで鶴野ははたと気付いた。

 

 ―――あれ、俺ってば今、雁夜にすっげぇ心配されてる? ってか、予想以上に雁夜に懐かれてる?

 

 そこに思い至ると、鶴野の諦観に染まりかけていた瞳に力が戻る。

 

 ―――これで俺の生存確率が上がる…か!?

 

 …どこまでも小者臭漂う思考回路である。

 が、そんなものとっくに自覚済みかつ開き直って、だからなんだ俺は蟲にぺロムシャ喰われるのはごめんなんだよ小者上等!と言い張れるまでに至った鶴野には今更だ。

 

「…雁夜」

「なんだよ、具合悪いなら宿題なんかやってないで大人しく寝ろよ! 俺ちゃんと看病の仕方とかも本で読んで知ってるから心配しなくていいからさー!」

「雁夜、お前、兄ちゃんのこと好きか?」

「好き! なんだよそんなの好きに決まってんじゃん、今更何言ってんだよ! 馬鹿、兄ちゃんの馬鹿ぁ!!」

 

 雁夜にとって鶴野は『鶴野』とは違うし、自分たち兄弟は『鶴野』と『雁夜』の兄弟とは違う。『雁夜』と雁夜が違うのと同じなのだ。そのことに、鶴野はようやく気がついた。一つのことに意識が行くと、他が見えなくなるのは自分たち兄弟の悪い癖かもしれない。

 そんなことを思いながら、鶴野は「ってかそんなの今更聞いてくるなんて兄ちゃんまじで熱あるんじゃねぇの、え、ほんと大丈夫!? もうさっさと薬飲んで寝ろよー!!」なんて喚く雁夜によって寝室に強制送還された。ちなみに、ちびでガリな雁夜本人ではなく、彼が呼び出した巨大団子蟲十数匹が組んで作り出した似非担架の上に乗せられてである。

 弟は言うまでもなく、蟲担架になんの違和感も抵抗も拒否感もなかった兄の方もそうとうである。まさに間桐の名にふさわしく、本人たちは無自覚のうちに醜悪な蟲に馴染んでしまっている間桐兄弟であった。

 

 

 

 




葵さん…とんだとばっちりですね。ごめんなさい。
閲覧ありがとうございました。

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