邯鄲夢の蟲   作:ましほ

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 物心つく前から蟲蔵生活だったよ!な雁夜さんのお話。
 原作のガッツのあるおじさんはいません。ぼんやりズレ気味なショタ雁夜さんが好きなものを指折り数えてみたり、割と仲の良い間桐兄弟がいます。


蟲を人にした夢

 

 

 間桐雁夜は夢を見た。

 その中で、自分とはまったく違った『間桐雁夜』が生きて、死んでいった。

 

 

 

 

 

 雁夜はその夢の中の『雁夜』を羨ましいと思った。といっても、彼の何も残せず、ただ他者に弄ばれ軽んじられ、徒に憎み妬み苦しみ嘆いてたところではもちろんない。自分は変わっているかもしれないが、少なくともそういった趣味はないと雁夜は自己評価している。

 そういった過程ではない。雁夜が羨んだのは、『雁夜』がそこまでするほどの強い想いを持っていたこと、その事実であった。生家へ本能的な恐れと反発、そこから単身飛び出してそのまま生き抜く気概や根性。一人の女性をそれこそ執着と言えるほどに慕う心。その心を核にしながらも、一年のおぞましい苦行のなかで歪んでいった精神。結局は何も救えず、どころか自身すら救えないまま、むしろ自ら破滅へと転がり落ちていった最期。誰にも顧みられなかった哀れな命。

 普通の感覚なら、目を背けたくなるような悲惨さだ。しかし雁夜はそこまでできるほどのナニカを持てた『雁夜』に、羨望のようなものを感じた。

 

 

 

 

 

 間桐雁夜は、普通ではない。生まれてすぐにおぞましい蟲の蠢く蟲蔵に落とされ、その中で蟲に囲まれて育った。むしろ、それが「おぞましい」と言われる存在だということすら数年前に初めて知った。それほど、雁夜にとって蟲とは当たり前の存在だった。誰だって「あなたの周りの空気、それはとても醜悪なものなのですよ」なんて言われたってなんのこっちゃ、となるだろう。そもそもそんな発想だって沸かないはずだ。…この例えは自分で言っていても意味不明だが、ようは雁夜にとって蟲とはそれほどに自然に在るものだということが伝わればいいので深いことは気にしない。というか、自我が十分に育つまでは自分自身と蟲との境目すら曖昧な状態だったのだから、むしろこうしてある程度の思考はできるまでになったことこそが奇跡のような気がする今日この頃である。

 そんな雁夜であるが、その奇跡を起こしたモノこそが件の夢であると最近考えるようになった。それまでは、なんかこの夢の中の『間桐雁夜』から目が離せないなぁくらいの緩い感じで見ていたのだが、そう自覚してからだとまたその感慨もひとしおである。確実にそうだと言える材料はなかったが、それ以外に自分自身を蟲と分離して考えられるようになる要素など欠片もないのだから、おそらくその考えは間違っていないのだろうと雁夜は思っている。

 まぁこんなこと、最近ようやく会話ができるようになった兄には決して伝えるつもりはないが。だってせっかくやっと普通に話せるようになったのに、そんなことを言ったらドン引きされてまた気味悪い蟲を見るような目で見られてしまう。それは嫌だ。

 閑話休題。

 ともあれ、そんななんとも微妙というかはっきり言って異様な人生を歩まざるを得なかった雁夜ではあったが、彼はとくにそれに対して思うところはなかった。というよりも、自分の状況についてどうこう考えられるだけの知識も常識も理性もなかったといえる。彼の中には快/不快くらいの感覚しかなく、またその不快というラインも蟲蔵で蟲に囲まれるのを平常値としたものであるのだから推して知るべし、である。

 そんな雁夜にとって、世界というのはなんとも美しいものであった。屋敷から出ることを許されない雁夜はあまり外のものを見聞きすることはできなかったが、それでも朝日や夕日を見ることや、季節の移ろいを感じることはできた。

 また、飛ばしてみた蟲とリンクした目で見た外の景色はまた一段と美しかった。初春には梅、そして桜に木蓮、レンギョウやタンポポ、水仙、チューリップにパンジー…外で咲く花の名前もいくつか覚えた。決して間桐の屋敷の外にまで抜け出ようとはしなかったが、幼いながらも使役できる蟲を通して見た景色はそれは色鮮やかだった。

 時々兄が貸してくれる本や雑誌に掲載されている写真や挿し絵などにはなんとも心惹かれるものがあった。こんなに綺麗なものがあるのだと。雁夜は、いつか遠くの地にあるそれらの風景を見てみたいと望むこともあった。そんな色鮮やかな写真を見せながら説明してくれる兄が雁夜は好きだった。兄といることは、雁夜にとって美しい景色を見ることと同じく快いことなのだ。

 そう、兄。

 夢の中でも、雁夜の兄である鶴野は『雁夜』の兄であった。『鶴野』はあまり出てこなかったが、『雁夜』と『鶴野』はどうやら不仲なようであった。いや、不仲というよりは疎遠だというべきだろうか。

 とはいえ、雁夜は『雁夜』とは違った。なにしろ、その兄は初めての自分以外の他者という存在なのだ。幼いながらも自我が芽生えてきていた雁夜にとってはなんとも興味を魅かれる対象であった。ちなみにここに間桐臓硯は当てはまらない。彼は雁夜にとってはあらゆる意味で別格であり、雁夜がどうこうできる存在ではなかったからだ。さらに言えば、蟲はもっとここに当てはまらない。なにしろ蟲はほぼ自分と同じ存在のように、幼い頃の雁夜は感じていたのだから。

 そんな事情から、『雁夜』と違い雁夜は鶴野になんだかんだと接触していき、なんとか構ってもらえるようになった現在に至る。始めは雁夜を忌み嫌い恐れるような蔑むような目を向けてきた鶴野であったが、雁夜にはそれすら初めての他者からの反応だ。それがどんなものか判断するだけの知恵もなく、ただただ反応が返ってくるのが嬉しくて近寄り続け、最終的にはそれに慣れたか諦めたかした鶴野が雁夜の存在を受け入れていった。その結果、兄弟愛が芽生えたのかどうかは当人たちにもわからないまま、それでも雁夜の『夢』とは違い格段に関係は近くなった。

 

 

 

 

 

 雁夜は自我が芽生え始めた頃から夢を見始めた。いや、正確にいえば夢を見て『雁夜』の強い感情を感じることで、蟲と自身の境界線をはっきりさせ始めたと言える。

 初めのころはまったく理解できなかったが、それも繰り返し一人の男の人生の初めから終わりまでを一晩のうちに見ることを繰り返せば、だんだんとわかってくるものである。そしてその中の『雁夜』に抱いた自分自身の感情も。

 数え切れないほど繰り返し見た『間桐雁夜』の生涯についていろいろと思うところもあるのだが、目下のところ一番の感想は「羨ましい」だ。とはいえこの想いをどうしたらいいのか判断できなかった雁夜は、齢八つにしてようやくこの夢のことを兄に打ち明けて知恵を借りることにした。

 打ち解けてから数年を経た今なら、自分が多少トチ狂ったことを言っても兄は自分から離れていったりはしないだろうと確信を持てたから実行に移せたのだが、当の兄にとっては何とも迷惑な話である。が、いろいろとおかしい雁夜はそんなことお構いなしであった。

 

 

 

 

 

「―――っていう夢を見るんだ。どう思う、兄ちゃん?」

「どう思うも何も、それを俺に聞かせてお前は一体何がしたいんだ、雁夜?」

 

 可愛い可愛いと手放しで撫で繰りまわすことはプライド諸々の関係でできないが、それでもそれなりに大事な弟。その弟が、夢の中であれ何とも陰惨な運命に呑まれる話なんぞ、聞いても楽しくもなんともない。多少卑屈なところがあるとはいえ鶴野だって一応人の子なのだ、はっきり言ってそんなものたとえ夢の話とはいえ聞きたくなかった。

 眉をしかめて盛大に嫌そうな顔をした鶴野に、雁夜は「うん?」と軽く首を傾げる。そしてしばし沈黙した後、またおっとりとマイペースに口を開いた。

 

「俺、夢の中の『雁夜』が羨ましいんだけど、俺はどうしたらいいのかな?」

「…とりあえず、この家を出るのはやめた方がいいんじゃないか」

「あ~、やっぱりそうかぁ…」

 

 あの爺が「まぁまぁの出来栄えか」なんて言ってたお前を外に出すことを許すはずがないだろうに。というか、『雁夜』が羨ましいからって家出だけはするなよ、頼むから。万が一実行したが最後、十中八九に碌でもない未来しかありえない。いやまぁ、現状でもだいぶ碌でもない家庭環境であり大いに先行き不安ではあるのだが。

 とにかく鶴野はそういう意味で言ったのだが、このおかしい弟には通じたのだろうか。いまいち理解しているのかどうか判断しにくい顔で、今度は首を反対側に傾けながら何か考えている弟を鶴野は眺めた。というか、何をどうやったらその悲惨すぎる『雁夜』を羨みたくなるのか全くわからないんだが。そこんとこの説明はどうなんだ、弟よ。

 

「…というか、俺にはなぜお前がその残念すぎる『雁夜』を羨んでいるのか理解不能だ…」

「え? 最初に言っただろ。そこまで強い想いを持てるのが羨ましいって」

 

―――だって俺、そんな強い衝動って感じたことないからさ。

 

「あー…つまり、お前は何か熱中できるものがほしいってことか」

「あ、たぶんそんな感じ。うん」

「じゃあお前の好きなもんってなんだよ」

「う~ん…」

 

 好きなものはと聞かれ、再び首を傾げる弟。

 問いかけておきながら、鶴野は疑問に思った。こいつにはそもそも好きなものなんてあるのだろうか。というか、好きなものなんて見つける余地がこいつの人生にあっただろうか。鶴野には、生後間もなく蟲蔵に入れられたまま蟲に塗れて育った雁夜に、好きなものとして何かの名を挙げることなどできるとは思えなかった。憐憫ともおぞましさとも言えない何とも言えない感情が胸の内に沸く。

 やがて、鶴野の哀れな弟は能天気に口を開いた。なんとも嬉しそうな笑顔のオプション付きだ。

 

「俺、兄ちゃんとお喋りするの好きだ」

「…っ! そ、そうか…」

「あ、あと兄ちゃんが見せてくれる写真も好き。兄ちゃんがしてくれる写真の話も。あと天気のいい日の夕日も好き。あとは葉桜とか、桜が散ったすぐ後に出てくる薄い色した葉っぱの色とか…あ、霜柱を踏むのも好き!」

「…そうか…」

 

 えーと、えーとと指折り数えながら『好きなもの』を挙げていく雁夜。それを、茫然と見つめるばかりの鶴野。彼は、哀れなばかりだと思っていた弟の世界が、まさかこんなに『好きなもの』で溢れているなんて思ってもみなかった。というか、普通思うわけがない。たぶん、どこかおかしいからこそなんだろうな…と半ば諦めの境地で鶴野は考える。

 

「俺、たくさんある綺麗なモノ好き!」

「…そうか…なら、今度お前にいいものやるよ」

「へ? 何かくれるの、兄ちゃん?」

「あぁ、まぁ楽しみに待っとけよ」

「うん。約束な! やっぱ無しってのは無しな」

「あーやっぱ無し」

「それ無しって言ったのにー!!」

 

 

 

 

 

 一週間後、鶴野は雁夜に一つの小さなカメラを渡してやった。間桐の家に囲われたおかしくて哀れな弟が、好きと指折り数えた様々なものを紙に写して手元におけるように。

 プレゼントされた箱をすぐさま開けて中身を確認した雁夜は、それがカメラだと気づくとたいそう喜んだ。満面の笑顔でお礼を言う弟に、鶴野も彼にしては素直に微笑み返す。やはり、おかしいとはいえそれなりに可愛いたった一人の弟なのだ。こうも無邪気に礼を言われれば悪い気はしない。

 しかし、その微笑みは付け足された言葉にすぐに苦い顔に変わった。

 

「ルポライターだったから、『雁夜』もカメラを持ってたんだ!」

 

 今までの生活の中で一度も出なかった「ルポライター」なんて言葉、雁夜は知らないはずだ。それなのに、なんの抵抗もなくでてきたその単語。そのぶんだけ、雁夜の言う夢の中の『雁夜』の一生が現実味を増した気がして、鶴野はなんとも言えない気持ちになった。

 

 

 




閲覧ありがとうございました。

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