さっきまで上っていた階段を降りるのはまるで帰るみたいで不思議な気分だ。階段を降りる客には従業員も警戒しないから余計そう思う。
「ほんとにこんなやり方で成功するのかな?」
ボールの入ったビニール袋をかかえ、親友がぼんやりと呟いた。どっちかと言うと、独り言みたいな言い方に私は返事を躊躇う。
「子供騙しだけど、やってみないと分かんないよ!」
私は明るく"茅野カエデ"が言いそうなことを言った。
親友から浅野君の計画を聞いた時は驚いた。彼は彼女にL1NEで取り引きの為に極秘でフロントに行くよう言ってきたそうだ。その時に親友が私にお願いして2人で行くことになった。誰にも打ち明けなかったから、E組のみんなは今頃私たちが部屋で待機してると思っているはずだ。
それにしても浅野君は何を考えているんだろう。ここまで来たのに取り引きに応じるのって。しかも彼女を危険な目に遭わせるような計画を実行するのが意外だ。
クラスメイトのことを駒だと思っているのかな?
それとも、彼女はよく危険な目に遭うし、今更守ろうとする必要がないとでも思ったのかな?
なんとなく、どっちも違う気がした。
これまでに見かけた殺し屋は2人。グリップという殺し屋が他の殺し屋の情報をバラして、全部で4人の殺し屋がボスに雇われていることが判明した。ということはあと2人殺し屋がいることになる。
浅野君は彼女がその殺し屋2人に遭遇するのを阻止した?
でも何のために?
さらなるトラブル防止?
最後の線が濃厚そうだと私は遠い目をする。大石渚ほどのトラブルメーカーには未だかつて会ったことがない。映画やドラマの役でもなかなかお目にかかれない貴重な存在だ。最も本人にもその自覚は多少あるのだろう。
1年生の時に五英傑の同類と認められて以来、嫌がらせは絶えなかったようだし、E組に入ってからも修学旅行や球技大会でそれが続いた。あの時は面倒な女子に絡まれているなあなんて思ったけど、あの女子が関係のないトラブルも多いから渚に原因があるのではとしか言いようがない。
イトナ君が転校してきた時も深いところに首突っ込んで、私は渚がいつか
今回だって1番背の低い生徒って聞いた時、親友を狙っているんだろうなって真っ先に思ったぐらい。本当は彼女の身長が少し伸びたから、今は私が最小なんだけどね。見事に巻き込まれた。
間違いない。大石渚は生粋のトラブルメーカーだ。
もしもそんな役を演じることになったら彼女を参考にしようと私は強く決心した。
「どうかした?」
「ううん。私たちってよく危険なことに巻き込まれるなって」
主にあなたが。あなた中心にあなたが引き起こして私たちが巻き込まれている危険なことね。
「否定できないなあ。まだ一学期しか経ってないのに、色々あったよね」
親友が苦笑いした。自覚してはいるわけだ。
「修学旅行の時はどうなるかと思った」
私が言うと、彼女も懐かしむような口調でE組での出来事を挙げていく。
「川に流されそうになったりもしたね」
「その後イトナ君がちゃんとE組に来て律と仲良くなった。あの2人がくっつくなんてね」
「うんうん、ちょっと意外な2人だよね」
律なら竹林君、と安易に考えてしまっていたから、二次元好きってわけでもないイトナ君と付き合うのは不思議な感じがする。恋愛って難しい。こういうの映画化したら純愛って騒がれるネタだよね。
「期末テストで五英傑と勝負する羽目にもなった。どうにか引き分けに持ち込んだけど……もし勝ててたら、どうなってたかな」
親友が考えている相手の正体が分かって、胸がチクリと痛んだ。それと同時に嫌なことまで思い出してしまう。
「テストで渚が一生懸命戦って、変わっちゃって、少し寂しかったな」
彼女が「わたし」って初めて言った時は脳内に稲妻が走るぐらい衝撃的だった。少し大袈裟だけど。
あれから、渚は渚じゃなくなってしまったんだ。
「渚と初めて会った時、渚のこと男の子みたいだと思ったなんて言ったら怒るかな」
初めて会ったのがいつかなんて、あなたはきっと覚えていないんだろうけどね。
彼女にとって初めて会ったのは教室ってことになっているのだろうかと推測する。
「怒んないけど……男の子みたい? 初めて言われた」
首を傾げる親友をよそに、私は"あの日"のことを思い出した。大石渚と雪村あかりが会った、私たちが演技ではなく、本当に初めて会った日のこと。
あの時の渚は女の子の制服を着ていて、絆創膏を持ち歩くぐらいの女子力があった。渚の"女子"の擬態は付き合いが長い人でもなかなか見破れるものじゃない。それでも、私からしたらバレバレの演技だった。
職業柄、よく人の仕草とか発言とか目についちゃって、一人称とか、仕草とか、そういうのから初対面で直感した。この子は女の子の演技をしているんだって。心の中は男の子なんだって。何故か確信していた。
「でも、そんな渚がかっこよくて、ほんと」
自然と口元に微笑みが浮かんで、一歩前を歩く親友の後ろ姿を見つめた。
「大好き
私の口からそんな言葉が漏れる。いつの間にか、演技を忘れてしまっていた。
渚の悪いところをいっぱいあげようとして、それも全部好きだと思う自分がいる。
人の嘘にはすぐに気がつく癖に嘘をつくのが下手で、
自分より他人を優先し過ぎて、
自己犠牲ばっかりで、
背は同じぐらいなのに私より胸があって、
見かけは女子っぽいのに男子みたいな面があって、
恋愛に疎くて自分の気持ちも他人の気持ちにも気づけていなくて、
茅野カエデの奥にいる雪村あかりを見つけてしまう。
秘密を唯一知っている存在。そんな存在は鬱陶しくなるだけって思ってた。
だけど、そんな渚がずっと大好き
「えーっと、ありがとう? わたしもだよ」
ぎこちなく礼を言う親友に笑みを深めた。
あなたのことじゃないけどね。
内心そんなことを呟きながら、あの策士の顔を思い浮かべた。カルマ君とあの男が会話していた内容を考えるだけでムカムカする。ボイスレコーダーを持っていたら録音して皆に暴露したのにと後悔した。
気づいてるんだよ? この子が前と違う渚だって。
「どうしたの?」
親友は立ち止まって、私に問う。「え?」と聞き返し、彼女の強張った笑みを見つめる。下手な作り笑いが何だか可愛く見える。でも、その笑いには戸惑いと疑いが含まれていた。
「だってカエデ、怒ってるでしょ」
「怒ってないよ」
演技で取り繕っても、そういう面は相変わらずお見通しのようだ。そういうところは前と変わらない。
親友はじーっとこちらを眺めている。彼女が見ている視線の先に私がいない気がして、一瞬身震いした。
この子には何が見えているんだろう。
「……ごめん、変なこと言った」
見ちゃいけないものを、見てしまった。
親友はそんな顔をして、気まずそうに顔を俯けた。何か話を繋げようと「あのね」と切り出す。
「黒幕は私に復讐したいんだと思う。だから私を呼んだ」
全くさっきまでとは異なる話題を出されて、私は目を瞬いた。
「復讐……?」
それは前に渚に戦闘で負かされたからなのかな。ついさっき聞いた黒幕を想像しながら理由を想像する。
「復讐するなら、純粋な戦闘で。そう考えているからこそ、相手が戦闘に持ち込む前にこっちが薬を奪って逃げる。でも、もし戦闘に持ち込まれたら……」
親友は拳をギュッと強く握りしめた。
「多分、わたしじゃ勝てない」
彼女が断言したことに私は首を傾げた。
「渚が勝てないなんてことないんじゃない? 戦闘ならE組でも上位に入るよね。何でそう思ったの?」
「目が見えなくなってるはずだから」
そういえば、話し合った時も親友がそんなことを言っていて、不破さんと私は不思議に思ったっけ。何でそいつが目が見えないんだろう。何で渚がそのことを知っているんだろうって。
それに、目が見えなくなっているなら弱くなっているんでしょ? 視界が真っ暗の中、戦闘で勝てるわけがない。
「敵が目が見えないから渚が勝てないなんてありえ________あれ?」
目が見えないなら、どうやって戦闘で復讐するつもりなの?
急に首筋がぞっとして、両手を首元に当てる。まさかその結論に達するはずがないと思いたくても、私という実例がそれを許さない。
「なんてね。全部ただの予想だから、そんなに怯えなくても大丈夫だよ」
親友は上手く誤魔化して、その話を終わらせた。私は顔に精一杯の笑みを浮かべる。
しばらく階段をひたすら降り続けて、ようやくフロントのある階に辿り着いた。
従業員の多いフロントには、いまだにピアノを弾くビッチ先生と取り巻きたちがいる。ビッチ先生はこちらを視界に入れるとウィンクしてきた。彼女にとっては予想外な事だろうに、何故あんなに余裕なのかと私と親友は顔を見合わせる。
「うっ……緊張してきた」
「さっきは平気で毒使いの男に向かっていったのに?」
私がそう返すと、親友は大真面目な顔をして頷いた。
「なんだろ。殺し屋の雰囲気とか、中学生の空間には慣れてるけど、フロントの雰囲気は何だか大人っぽくて」
その気持ちはよく分かる。さっきのディスコっぽい雰囲気の場所には中学生ぐらいの子もいて、私たちでも馴染めるなと思ったけど、この場所は完全に大人の世界だ。空気が子供を除外している。
私たちはフロントまで堂々と歩いていった。親友が小さい子みたいに私のTシャツの裾を掴む。こっちまで緊張が感染してしまいそうだ。
自分に緊張しないように言い聞かせた。
何を心配する必要があるの? 私は元女優。大人の世界に片足踏み入れてた時期だってあったんだから。
「すみません、最上階に泊まっている人に用があるんですけど」
私がそう言った瞬間、フロントの従業員が固まった。事前に指示を受けているのだろう。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「大石です」
「茅野です」
「少々お待ちくださいませ」
内線電話を繋いで、手を口に当てて周りを気にするように声を潜めた。
「お客様、大石様と茅野様がいらっしゃっていますが……いえ、女子中学生がお2人。はい、畏まりました」
従業員は客相手に向けるサービス業特有の笑みを浮かべながら向き直った。
「客室までご案内します」
従業員に従ってエレベーターに乗って、最上階のボタンを押す。誰も途中で乗って来る客はおらず、エレベーターはすぐに最上階へと到着した。どうやら最上階専用のエレベーターだったらしい。なるほど、イトナたちがその階に行けないわけだ。
「遅かったなァ」
部屋の主が低い声を出す。聞き覚えのある声だった。前より邪気を含んでる。
親友が拳をギュッと強く握りしめ、怒りに満ちた目で黒幕の男を睨みつけた。
「鷹岡先生。やっぱり、あなただったんですね」
不破さんが導き出した犯人。それを不破さんが浅野君に伝え、律経由で烏間先生、殺せんせーの2人と共有して、今回の作戦が出来上がった。
目を包帯で覆い、片耳にイヤホンを付けて異臭を放つ男がそこにはいた。
なんだろう、この臭い。不快感しかない。
「1人で来るように言ったよなぁ?」
「いいえ?それに1番背が低い生徒は2人いるんですよ」
さっきまで緊張するとか言っていたのに、鷹岡相手には物怖じせずに親友が言った。淡い笑みまで浮かべる余裕があるぐらいだ。
「1人も2人も変わらない。それより奴は、超生物はどこだ?」
「ここに。でも先に薬を渡してください」
親友は何の変哲もなさそうなボールを取り出した。カルマ君にもらったやつだから何かしらの仕掛けはありそうだけど。
鷹岡は目が見えないと彼女は言っていた。だから、殺せんせーじゃなくても気づかないだろうとも。何故それを知っているのかについては不破さんも私も詳しく聞かなかった。
鷹岡の意識が親友に向いている隙に、私が鷹岡の机の上のリモコンにそーっと手を伸ばす。
「…………かゆい」
私の手が一瞬動きを止める。鷹岡が頰を引っ掻いている。
「思い出すとかゆくなる。でも、そのせいで目が見えないから、他の感覚が鋭敏になってるんだ」
親友の手首を力強く握り、鷹岡は机の上にある何十ものリモコンを床にぶちまけた。手にリモコンを持ち、ボタンを押す準備は万端だ。彼女が鷹岡を睨みつける。
「言ったろ? マッハ20の怪物殺そうとしてたんだ。リモコンだって予備が必要だよなァ」
「殺せんせーと交換で薬を渡す約束でした!」
「馬鹿にしてんのか? こんな子供騙しの手で……」
鷹岡がボールを私に投げつけた。
バレてる?! でも、何で……?
「仕方ない。夏休みの補習をしてやろう。屋上に行こうじゃないか」
目の包帯をしているのに、鷹岡が狂気に満ちた笑みを浮かべているのが理解できた。
「行かないと言ったら?」
親友が強気な発言をして、鷹岡が無言でボタンを押す動作をする。彼女はごくりと唾を呑みこんだ。
「分かりました。行きます」
「待って、渚」
「……カエデ。ちゃんと話し合って、みんなの薬を渡すように交渉するから。だから大丈夫だよ」
親友は留守番を嫌がる子供を宥めるような口調で言った。そういうことじゃないんだけどなと思いながら首を振る。
「違うの。私も行く」
「二対一なら勝てると思ってんのか?」
「逆に、二対一だと何か問題あるんですか? 鷹岡先生」
カルマ君のような挑発するような声で相手を煽ると、鷹岡は簡単に「ついて来い」と私が行くことを認めた。
鷹岡は椅子から立ち上がり、テーブルに立てかけていた松葉杖を左手に持ち、部屋を出た。それに倣って私たちも部屋を出る。外には手下の護衛たちがいて、鷹岡の指示で下の階へ向かった。E組のみんなに遭遇しそうで心配だけど、その頃には烏間先生の力も戻っているだろう。
屋上には何もなかった。ヘリポートがあるぐらい。鷹岡はヘリポートに続くはしごを躊躇なく登った。親友はそれをじーっと眺めていた。
「早く来いオラァ!!!」
親友はびくっとしてはしごを登り始める。
「連れのガキは下で待ってろ」
私を下に置き去りにして、鷹岡ははしごをヘリポートと屋上の間に落としてしまった。最初からこうするつもりで、私を上に上がるのを許したのだろう。親友は私を一瞥し、危険な目に遭わないことにホッとした様子だった。
私は屋上とヘリポートの距離間を頭の中で把握することに力を注ぐ。
「対先生ナイフ?」
親友の声が大きく聞こえるのは彼女が驚いたからだろうか。それとも彼女は私に状況を伝えるためにわざと大きくしているのだろうか。
とにかく、彼女の言葉で私はヘリポートの床に対先生ナイフが一本置かれていたことが確認できた。
「それを見て、俺のやりたい事は分かるな? この前のリターンマッチだ」
「待ってください。闘うつもりなんて……」
「だろうな。一瞬で負けが決まってる」
この状況でそんな事が言える鷹岡に私はむしろ驚いた。
だって松葉杖持ってて、目に包帯付けてるんだよ? お前がなって言いたいぐらい、この状況で勝てる見込みなんて無いでしょ。いや、無いはずだけど……
「まずは土下座しろ。俺の目について、卑怯な手を使って、ガキの癖に俺に勝ったことを謝れ」
親友が私に目配せする。渚は土下座せずに正座だけして謝る。
「先生の目を傷つけてすみませんでした。ガキの癖に、生徒の癖に、実力が無いから卑怯な手を使って勝って申し訳ありませんでした」
「それが土下座かァ?! バカガキが!!頭地面にこすりつけて謝るんだよ!!!」
親友は言われてからようやく頭を下げ、謝罪を繰り返す。
「先生の目を傷つけてすみませんでした。ガキの癖に、生徒の癖に、実力が無いから卑怯な手を使って勝って申し訳ありませんでした」
「本当に……ごめんなさい」
最後の言葉まで聴き終えた鷹岡はご満悦だった。ニコニコと気味が悪い。
「よーし、本心が聞けて父ちゃんは嬉しいぞ。褒美に良いことを教えてやろう」
「スモッグのやつが言っていたんだが、あのウィルスに感染したら顔面がぶどうみたいにぶくぶくになって、1週間もしないうちに死ぬらしい。笑えるぜ。全身デキモノだらけ。な、見たいだろ? 見たいよな。なっ?」
心から楽しそうに、まるで親からの誕生日プレゼントを見せびらかす少年みたいに、鷹岡は彼女に見たいと言うように促す。
「言えよ!」
「……見たいです」
親友は泣きそうな声で言った。鷹岡はその言葉を待っていたかのように満面の笑みで、薬の入ったスーツケースを空中に投げる。私は何が起こるか分かって真っ青になった。
親友が鷹岡を無言で睨みつけている。
「あはははははは! 夏休みの観察日記にいいだろ? お友達の顔面がぶどうみたいになってく様をよぉ。ははははははははははっ!!」
「殺す……っ!」
「殺れるものならなァ!!」
鷹岡の頭から小汚い灰色の
守る相手とでも思ってるのか。こんな私のことを守ろうと思ってるんだ。いつか裏切る役の茅野カエデを。
いつだって、渚はずるい。
私は髪ゴムを外して、首元から出した
「触手?!?!」
親友が私を見て驚きの声をあげる。それだけで、私の予想が全部本当だったことが分かった。でも、本当はそんなこと関係ないのだと心の中で思う。だって、身を張ってでも守らなきゃって体が動いてしまったから。
バレたら、私の復讐は全部台無しになるのに。みんなと前みたいに話せなくなるのに。
大好きだよ、渚。
例え、約束を忘れても。
鷹岡の触手と私の触手が空中でぶつかった。
原作からの変更点
・トラブルメーカー認定
・心の中で微妙に毒を吐く名女優
・友情なのか恋なのか
・鷹岡がまさかの
・正体バレしちゃったあかりさん
茅野にとって、前の渚は秘密の共有者兼理解者、今の渚は茅野カエデとしての親友役です。前の渚のが好きなので浅野にヘイトが溜まっていく。原作での茅野カエデは超純粋そうですが、それも演技で本当は毒吐きキャラって設定を付け加えました。原作の伏線の時の笑顔が黒すぎるので。あれを見た瞬間、茅野は笑顔で心の中で毒を吐いていたんだろうと決めつけてしまった作者のせい。
次回。触手VS触手+α。E組御一行は銃撃戦中です。