雨が降るとどんよりとした気分になる。体育の時間は教室で過ごさなければならなくなり、朝から登る山道はたまに泥が混じって歩きにくい。
この時期退屈そうな顔をするのは生徒だけではない。ビッチ先生はインドア派だからともかく、烏間先生のように鍛えている人が運動するのに嫌な環境なのがこの時期だ。雨でもジョギングが出来ないことはないが、こんな天候ではそんな気分にもなれなそうだ。
職員室には真剣な表情でパソコンに向かう烏間先生の姿があった。表情をあまり変えない彼から何かを読み取るのは難しいが、暇であることが雰囲気から伝わった。
「烏間先生、調べて欲しいことがあるんですけど……すみません、忙しいですか?」
パソコンをじっと見る烏間先生に念の為確認をする。意識の波長はリラックス状態だからストレスも溜まってないだろうし、暇なはずだけど勘違いの可能性もある。だが杞憂だったようだ。烏間先生は肩を竦め、暇であることを認めた。
「ここ最近は雨の所為か殺し屋を送りづらい。見ての通り暇を持て余しているところだ」
烏間先生のパソコンをよく見ると犬の可愛い動画を見ている最中だった。ぼくはくすりと笑い烏間先生の意外な一面を思い出した。しかし、気になるのは雨だから殺し屋を送りづらいという話だ。弱点をまだ知らないからだろうが、雨は大いに利用するべきだと今更になって思うのだ。
「逆に雨の方が暗殺しやすかったりするんじゃないのかな……」
「すまない、今なんと言った?」
「いえ!大したことじゃないので気にしないでください」
「調べて欲しいことがあるんだったな。言ってみてくれないか?」
ぼくは要望を話し、教員室を後にした。
先に帰るように言ったので茅野たちはもう教室には居なかった。教室に1人残った律がぼくを見つけると満面の笑みで話しかけてくる。
「まだ帰っていなかったんですね、渚さん」
「律はこれからメンテナンス?」
メンテナンス準備中と書かれた画面を覗き込み、そう尋ねる。それはどうやら正しかったようだ。
「はい!私の保護者が放課後に来るようセッティングしました」
「ふうん。ねえ、律。1ついいかな?」
「はい、何でしょう?」
可愛く首を傾げる律にぼくは息を吸い込んだ。出来るだけさり気なく、疑っていることが気づかれないような質問を選ぶ。
「『ソニックニンジャ』の結末を知ってる?」
「……敵が兄であったと記憶していますが。何故それを?」
「ううん、何でもない」
律に何か勘付かれていないかと横目で窺い、彼女の表情が少しの変化も見せなかったことでホッとする。唯一意識の波長が見えない相手と話すのはぼくにとっては''見えない''相手と話すようなものだ。
「…………渚さんはモバイル律アプリを見ましたか?今朝クラス全員のスマホにダウンロードしたのですが」
「モバイル律?まだだよ」
「L1NEで悩み相談もしているので、良ければ見てみてくださいね」
律に差し出されたバーコードを読み取り、友達追加をする。画面に映し出される律のプロフィール画像は何かの模様のようで見覚えのあるものだった。
律と別れ、下駄箱で革靴に履き替える。足音が聞こえて顔を上げると、そこには学秀の姿があった。雨にところどころ濡れて少し息切れした様子から、急いで走って来たのが窺える。
「学秀……今日は生徒会じゃ?」
「早く終わらせて来た。話したいことがあってね」
傘を差し、坂道を下る。雨の中無言は続いた。たまに遭遇する水溜りを避け、本校舎を通り越したところで学秀がようやく口を開く。
「ずっと前から疑問だったことがあった。渚が何者なのか。何故いつも見透かしたようなんだろうって」
そんなこと考えていたんだ。思い返せば学秀には色々ヒントを与えていた。あり得そうなことはもちろん、突拍子もないことも。テスト範囲も行事で起こるイベントも、学校での出来事を大抵理解していたぼくは万能の学秀にとっても異質の存在だったのだろう。
「2周目か。それで後者の謎は解けた」
「ぼくが何者かってことは未だに分からない?」
「愚問だな」
自嘲気味にふっと微笑み、自分に言い聞かせるように呟く。最近薄暗かった顔色が少し明るくなった気がした。
「何者かどうかなんて相手を知る上ではどうでも良いことだ。2周目であろうとそれ以上でもそれ以下でもなく、ただの渚だ」
何だそれ。
学秀がまさかこうも合理性に欠けることを言うとは思ってなくて、ぼくは笑みが込み上げてきた。
でもそれは誰かに''見て''欲しかったぼくを表す上で1番適切だったのかもしれない。
「……笑われると傷つくんだが」
「びっくりしたんだよ。あの浅野学秀が合理的じゃないから。学秀は2周目だとか、ぼくが何を望んでいるかを何もかも放り出して、相手を知る上ではどうでもいい、君はただの渚だって言う。結論を放り投げちゃってるよ」
「違うな。回り道をしたが、結論は出ているからね。渚がやろうとしていることが何であれ僕は協力する。それが僕の結論だ」
「約束する?」
「約束しよう」
「……ぼくが人を殺せって言ったら、殺すの?」
ぼくはちょっとした意地悪をしたくなって対先生ナイフを差し出した。学秀が鼻で笑ってその手には応じないとナイフをあしらう。
「協力するとは言ったが、命令される覚えはない」
「屁理屈」
ぼくがぷいと顔を背けると、学秀が両頬を引っ張ってぼくの口を動かす。
「合理的、だろう?」
学秀が苦笑する。それにつられてぼくも微笑んだ。
「それで運が良ければ世界征服でもする?」
「運が良ければという言い方は耳障りだな。殺せんせーを殺せたら必ず実現する未来だ」
殺せんせーを殺せたら。学秀は殺せんせーの過去も本当は死ぬ確率が1%だということも知らない。それを知ったら、殺せんせーを救おうと思うのだろうか。それとも夢の為に殺せんせーを殺す選択肢を取るのか。
「世界征服は危険じゃないのかな」
「殺し屋もな」
囁くように言われ、自分の夢を学秀に伝えてしまったことが頭に思い浮かんだ。失敗したかも、なんて消極的な気分になる。
その一方で世界征服と殺し屋という2つの夢の共通点に気づく。それはどちらも殺せんせーを殺したら夢に近づくということだ。超生物を殺した英雄になることと、難易度の高い暗殺を成功させた殺し屋になること。これは遠いようで近いことなのだろう。
「叶うといいね、お互い」
「…………渚」
「どうしたの?」
妙に緊張感のある意識の波長で眉を潜める。何か重要なことだろうか?
「もしも__________「あ、カルマ君」」
学秀の背後の人影に思わずそう声を上げると、カルマ君はいつもの悪魔みたいな笑顔でスマホを構えていた。持ち方を見る限りではカメラを起動させているようで。さらにそのスマホは見るからにぼくらに向けられていて。首を捻ってカルマ君を観察した。学秀は眉間に皺を寄せてカルマ君を睨んでいる。
「何でお前が居るんだ、カルマ」
「やだな〜学秀君。顔怖いって。それに後ろで殺せんせーがメモ帳持ってニヤけてるから、別に俺だけじゃないしー」
そういう問題じゃない。
「殺せんせーはどこにでもいるからね」
「生徒のストーカーだからな」
「で?仲直りしたんだ」
「気づいてたんだね」
「まーね。2人と仲良い茅野ちゃんとか杉野だったら気づいてそーだけど、様子窺ってたんだろ〜ね」
ついこの前に茅野にスィーツパラダイスに連れて行かれ、思う存分食べようという展開になったことを思い出す。思い当たる点はそれ以外にもいくつかあり、ぼくらの周りは彼らなりに気を遣ってくれていたのだと理解した。それは学秀にも心当たりがあるようだ。
「理由は知らないし、俺は口出すつもりないよ。でも2人はそうやって一緒にいる方がいいんじゃない?じゃ、またね〜2人とも」
道を変えて違う方向へ行くカルマ君を見送る。駅ではなく、ゲームセンターへの方向だったりするのだが、それについてとやかく言うのはおかしいだろう。さっきの言葉を聞く限りでは彼は彼なりにぼくらに気を遣っていたのかもしれない。
「意外と良い奴だな、カルマは」
「カルマ君は良い人だよ」
学秀が指をぼくのおでこに持ってきた。パチリと音が鳴り、所謂デコピンにおでこを押さえる。
「いった……どうしたのいきなり」
「何でもない、気にするな」
後で聞いた話だとこの日、E組生徒数名と殺せんせーが何やら騒動を起こし、烏間先生の平穏を脅かしたのだという。頼んだ調べ事はもう少し先になりそうだ。
*
ぼくは学秀も律も嫌いじゃない。むしろ好きだ。
テーブルにはぐちゃぐちゃに置かれた器材と到底料理とは言えない物たちが置かれていた。目を逸らす学秀と右側からチェンソーを出し、左手にイチゴ大福を持つ律を見てぼくは言葉を詰まらせる。ちなみに学秀は生け捕りにしたくぬどんを手にしていた。次いでのように現れたメルは大きめの魚を咥えている。
殺せんせー、班を変えてください。
「今日の料理って何だったっけ」
「肉じゃがでしたよね!」
律は映像をパッと明るくし、肉じゃがの検索結果を表示する。そんな便利な機能があるなら肉じゃがの材料をもうちょっとちゃんと調べて欲しかった。学秀に目を移すと明後日の方向を向いて言い訳を始める。
「皿に乗せられた肉じゃがしか見たことがないからどんなスタートを切ればいいのか疑問だった」
「とりあえず肉じゃがに入っている食材持ってこよっか。まずくぬどんは食べられないし」
「食用じゃなかったのか」
「律はチェンソーで切ろうとしないで?!それにみかんもコーヒー豆も肉じゃがには入れないから?!」
「でも包丁で切るよりこの方が効率良いかと」
「わっ、めり込んでるめり込んでる!!」
机に吸い込まれるようにして消えたチェンソーにぼくは声を上げた。これはもう工作の授業と言っても過言ではない。
「渚、フグを入れた後はどうすればいいんだ?」
「えっと……え、肉じゃがにフグ?!しかも丸ごと入れたの?!」
「渚さん、野菜と豆腐が粉々になり消えたんですがどう致しましょう?」
「何でミンチにしたの!?」
でも味付けは間違えてないし……食べれるぐらいにはなるはず。
ふと鍋に目をやると学秀が何かを鍋に入れているところだった。
「学秀!砂糖はもう入れたってば……ってその毒々しい瓶何?!」
「今、奥田さんから貰ったクロロ酢酸と硝酸カリウムを入れたところだ」
__________思わぬ伏兵がいた。
「奥田さん!!」
「すみません、渚さん。ビクトリア・フォールの資料と引き換えだったんです!まさか家庭科で使うとは思ってませんでした……」
それから数十分後、黄土色のぼくが知っているのとは違うシチューが完成した。具材はほぼミンチ、大きな魚やフルーツなど肉じゃがに入れるとは思えない食材の数々が入っている。そもそも肝心の豚肉とじゃがいもの姿が見当たらない。無機物が入っていないだけ多少マシなんじゃないかとも思うが、それを言ってしまったらおしまいだろう。
「これは肉じゃが……なんですか?」
殺せんせーの何とも言えないビミョーな顔を見てぼくは苦し紛れの笑顔たっぷりで鍋ごと殺せんせーに差し出した。しかしその鍋も溶け始めている。
「せ、先生さっき原さんの班の食べてお腹いっぱいに__________「でも」」
「生徒の作った料理を残すのって教師失格だと思うんだ、殺せんせー?PTAに告げ口しよっかな……」
「ひぃっ。先生完食しますから!」
低めの声で脅すと殺せんせーが後退りして鍋を受け取る。PTA恐ろしさにやけ食いする先生をE組の生徒たちは生温かい目で見ていた。地球を爆破すると予告しているのにPTAにビビっているなんて、マッハ20の超生物の癖に意外とチキンだ。
「殺せんせーも何でこの班構成にしたかなー。明らかに地雷だよな」
杉野君が皿に肉じゃがを盛り付けてぼやく。5人班を作る上で3人余ってしまい、転校生と監視役とぼくという謎の班構成がうまれた。律を参加させる時点で危ない予感はしていたが、工作も美術も得意なので平気だろうと思われたようだ。
「いや、殺せんせーの顔を見ろ」
「「「死人みたいだ」」」
1周目でも見たことのない真顔のまま蒼ざめた殺せんせーがお腹を抑えて蹲っていた。無機物を平然と吞み込む身体をしているくせに、マズすぎる物にはどうやら耐性がないようだ。
「調理実習何回かやったらいつか殺せるんじゃないの?」
「よし、この班はこのままでいこう」
中村さんがポンと手を叩き、E組勢はそれに賛成する。出来れば被害者を増やしたくないというのが全員の総意だった。
「「「ガンバレ、渚ちゃん」」」
「みんな酷いよ……」
「ごめんね、天使ちゃん。普通の肉じゃが分けるからお願い」
原さんが自分の班で作った美味しそうな肉じゃがをぼくの皿に装った。学秀の皿には村松君の班から肉じゃがが提供されている。
何とか2人から逃げて炊いた普通のご飯と一緒に食べ、ぼくはようやく一息ついた。
「それにしても学秀が料理出来ないなんて意外だよね。中1の頃からずっと姫希さんが頑なに調理室から隔離するから何かあるとは思っていたけど」
学秀は肩を竦める。自分の料理が下手という自覚はあまりないようだ。
「小学校の頃はほとんど参加したことがないからあまり分からないな」
「良かったよ。殺せんせーじゃなかったら多分死んでると思う」
「律に関しては異次元過ぎて指摘もできねーよな」
「包丁の代わりにチェンソー……某探偵漫画に出てくる母親みたいね」
不破さんが意味あり気に何度か頷く。
「どうしましょう、渚さん。大変なことに気づいてしまいました」
律が蒼ざめた顔で画面の中で雪崩れ込んだ。その尋常じゃない顔つきにぼくは不安になる。
「どうしたの、律?」
「__________お嫁に行けません」
「そこ?!」
「婿に行けない、だと」
「学秀ものらない」
「エプロンを着て未来の旦那さんに「ご飯とお風呂どっちがいいですか?それとも、わ・た・し?」と言うのが夢なのにショックですっ!」
「「「随分具体的だな!?」」」
後ろを振り返ると殺せんせーがさっと視線を明後日の方向に向ける。間違いない。そういう夢を持つように「改造」したのは殺せんせーだ。
顔を手で覆って泣き始める律を周りは宥め始める。
「あーあ、泣かせた」
「渚ちゃんが2次元の女の子泣かせちゃった」
「そのネタまだ引きずるの?!」
「ぐすっ……結婚する時の条件として料理が出来ることを挙げる人は多く見られるようです」
涙を拭い、律は統計結果を表示した。その数字に学秀がハッと驚き落ち込む。
「そうなのか……料理が出来ないと婿の貰い手が……」
一緒になって項垂れる2人にぼくは1周目と性格が違いすぎる!と頭を抱えた。そもそも学秀は婿に行くんじゃなくて嫁を貰うタイプだろう。
「あーもう!その時は2人ともぼくがもらってあげるから!」
シーンと静まり返った。ぼくは大声で言い過ぎてしまったのかと思い、口を両手で押さえる。
「渚ちゃん男前……」
「いや、でも重婚じゃ?」
事態は余計ややこしくなった。最終的に不味い料理を食べさせられてゾンビのような顔をした殺せんせーがぼくらの班だけ調理実習やり直しを宣告し、無事に家庭科の授業は終わったのだった。
*
__________Sex And The Sity。ニューヨークのアラサー女子を取り巻く生活を描いた少し下ネタの効いた内容となっている。もちろん中学生向けではない。
こんなドラマを授業の教材にするなんて、ビッチ先生の授業はいつだって卑猥だ。
『せめて「ゴシップガール」にしてくれたら良かったのに』
英会話教室が開かれている中、ぼくはスペイン語で愚痴を零した。教室の端に隔離されている学秀とぼくはビッチ先生お墨付きの既に充分話せる生徒であり、授業の参加は最低限のものとさせられていた。
『その意見には私も賛成です。どちらもニューヨークを舞台にしていますが、客観的な判断で見ると年代の近い「ゴシップガール」の方が教材として適当かと』
スペイン語版律が伊達メガネをくいっと上に上げてぼくの呟きに応じた。彼女もまた隔離された生徒の1人だ。そしてぼくらの語学ごちゃ混ぜ会話に入って来られる唯一の生徒だといえる。
『その判断が出来ないからビッチなんだろうな』
『ビッチ先生だもんね』
唐突に教卓から実弾がぼくらスレスレに撃たれる。咄嗟に避けるもマッハ20に慣れていない人だったら死んでいたはずだ。
「はいそこ!!ビッチビッチ言わない。さり気なくスペイン語で会話しない!今度から私の授業中は英語限定よ。If you speak other language, I will kiss you guys」
スイッチを切り替えて英語で話し始めるビッチ先生に生徒たちは騒ついた。先生は拳銃で天井を撃ち、生徒たちを黙らせる。
『あんたたちも今から英語で話しなさい。分からなかったら日本語を交えて解説するけど。やっぱり英語の授業を日本語でやるなんてバカバカしくてやってられないわ』
ビッチ先生が「これだから日本の英語教育は……」と文句を言う様は完全に一教師だった。その英語を分かった何名かの生徒たちは周りにビッチ先生が言った言葉を翻訳していく。その中には中村莉桜の姿もあった。
『先生さあ、雨漏りするから天井に穴開けるの止めない?』
『莉桜、あんたかなり喋れるじゃない』
中村さんからスラスラと出た砕けた口調の英語にビッチ先生は感心した。1周目の英語期末テスト学年1位、更には学年末テスト総合3位の座はダテではない。クラスで何でもこなす磯貝君でさえ英語限定授業でいきなり英語を話すのは無理のようだ。
『あたし英語はそこそこ得意なんだ。昔親に英会話教室通わされててさ〜。サンタクロースみたいな先生がめっちゃスパルタで』
『あーHarryだっけ。俺あの先生結構気に入ってたんだよね〜』
とカルマが英語で返事をする。普段は居眠りかサボりばかりの彼だが、面白そうな気配がすると授業に参戦する小賢しいところがある。
『はあ?!あんたサボってばっかで全然出てなかったじゃん』
その話を理解した少数の生徒たちは首を傾げた。しかし誰も進んで英語を話そうとする勇者はいない。英語でカルマ君に質問したのは予想外の人物だった。
『えっと……同じ英語学校なんですか?』
英語があまり得意ではない奥田さんが乏しいボキャブラリーを振り絞って尋ねる。それに2人が頷き、ぼくは意外な接点に2人の英語力が高い理由が分かった気がした。
『そーそー。って言っても小学校の頃の話ね。こいつ全然気づかなかったんだけど』
『だって中村今みたいにギャルギャルしてなかったしさ〜』
英語でも普通のノリで会話する2人にE組の生徒たちは背中を押された。
その後は英語で話すのに違和感を感じる人が減り、授業が終わる頃には全員が英語で話すようになっていた。
「ビッチ先生最近、英語教師の方が本職みたいになって来たよね」
ビッチ先生にピアノを教わりながらそう指摘すると思い当たる節があるのかイラッとした顔でぼくを睨みつけた。お母さんの勧めで2周目では幼稚園の頃からピアノを習っていた。受験の時に止めてしまったけど、今もビッチ先生に暇さえあれば指導を受けている。暗殺の技術に加えるには持ってこいなスキルだからだ。
「なによ、渚。あんた馬鹿にしてるの?」
「ううん。変わらないこともあるんだなあって」
「そこ違うわ。Cよ」
楽譜の音符をABCで覚えているビッチ先生がぼくのミスをすぐさま指摘した。眉を潜め、C記号がドレミのどこに当たるのかを考える。
「Cってどこだっけ。ドレミの方が絶対分かりやすいよ」
「あんたが海外式に慣れればいいじゃない__________「危ない!」」
視界に捉えた吹き矢を掴み、ぼくは吹き矢が飛んできた方向を睨みつけた。
「あんたいつの間にそんな技術……」
「マッハ20の先生を持ってると動体視力が良くなるんだ。今のは完全にビッチ先生を狙ってたみたいだけど」
殺せんせーじゃなくて何故ビッチ先生が狙われるんだろう。殺し屋だから敵討ちかな?でも、1周目でこんなこと無かったはずだし……
「え……タコじゃなくて私を狙ったの?」
『大した弟子だな、イリーナ』
『師匠……!』
聞いたことのない言語にぼくは少し頭を傾ける。そして吹き矢を今度はぼくから相手に投げつけた。矢はすんでのところで相手に刺さらず、壁にぶち当たり床に落ちる。
顔を上げて相手を見るとようやく状況が見えてきた。ビッチ先生の師匠のロヴロさんだ。ロヴロさんがこの時期に来たことをすっかり忘れていた。確かビッチ先生を撤退させるために来たんだっけ。
『よろしければぼくの分かる言語で話してくださいませんか、ロヴロさん』
とりあえず誰でも話せる英語で相手に声をかけるとロヴロさんはぼくのことを視界に捉えた。
「日本語で構わない。君は?」
「渚です。ビッチ先生から暗殺技術を教えてもらっていて」
「ビッチ先生……ああ、イリーナのことか。随分子供好きになったようだな、イリーナ」
「何の騒ぎだ、一体」
教室のドアを勢い良く開けた烏間先生はピアノの音が不意に止んだことと、聞き慣れない声がしたことで不審に思ったらしい。動物のような勘を持っている。
「お前は何者だ?」
「イリーナ・イェラビッチをこの国に斡旋した者だ」
「……!」
「ところで殺せんせーは今どこに?」
「1時間前にイタリアにピザ食べに行ったので、そろそろ戻るかと」
ウィーンという機械音と共に四角い自動販売機もどきが登場した。後ろを振り返るとニッコリと微笑む律がロヴロさんに手を振っている。
「お久しぶりですね!ロヴロさん」
「お前もしっかり改造されたようだ。なかなか侮れん相手だな、あの怪物は」
ロヴロさんはビッチ先生と律を交互に見やり、彼の想像していた本来の暗殺者像に合わないことに悲観した。2人には殺し屋の影は微塵もない。ただのビッチ教師と自動販売機だ。
「今日限りで撤収しろ、イリーナ。お前にこの仕事は無理だ」
「そんな……!師匠、私殺れます!」
「撤収は止めましょう。正しい選択肢ではないです」
自動販売機モードの律が彼にいちご煮オレを渡す。ロヴロさんは何が起こったのか不思議そうな顔で身体を硬直させ、それでもストローをさしたいちご煮オレを一口飲んだ。
「自律思考固定砲台であった私は自律思考自動販売機型移動砲台へと進化しました。おっしゃる通り、私もイリーナ先生もE組に来て変わったと言えるでしょう。しかしロヴロさんがイリーナ先生を殺し屋として辞めさせようとしているのならそれは見当違いです」
「何が言いたい?」
「ビッチ先生はぼくらの教師だからです__________暗殺の」
「イリーナ先生をここに留めてください。
ロヴロさんは律のことを再度見た。その目には律は映っておらず、何やら考えているらしい。一方ビッチ先生は感動の涙を零していた。
「あんたたち……」
「…………弟子に感謝するんだな。撤収は止めにする」
ロヴロさんは目を閉じ、淡々と告げた。意外とあっさり引き下がったロヴロさんにまたズレを感じて律に視線を送る。同じ殺し屋からの意見を言われるとロヴロさんも断りづらいのだろうか。
律のことをじっと見ているとぼくの視線に気づいた律が小声で耳打ちしてきた。
「渚さん、行かなくていいのですか?今ならチャンスかと思われますが」
「チャンス……あ、そっか」
ロヴロさんは元殺し屋でビッチ先生の師匠だ。クラップスタナーの元である猫騙しを教えてくれたのも彼だった。しかしそれを指摘するところ、ぼくの将来の夢を何故か知っているところは律もなかなか侮れない。
「何なのよ、チャンスって」
「ビッチ先生。ピアノのレッスン、今日はもういいから。3人ともまた明日」
楽譜をスクールバッグにしまい、駆け足で廊下に向かう。背の高い後ろ姿を大声で呼び止めた。
「ロヴロさん!」
「……?」
「殺し屋になりたいんです。ぼくに仕事をください」
頭を下げてお願いするのは初めてのことじゃなかった。でもただただ真剣だったから、背後に誰かいたことに気づかなかったのだ。
ロヴロさんは立ち止まり、ぼくの後方に目をやる。後ろを振り返ると、哀しそうな顔をした殺せんせーが立っていた。
「だめですよ、渚さん」
原作からの変更点
・烏間先生に頼み事。
・前原回は削除。生徒会が早く終わった日、つまり同じ日に仲直り。
・渚ちゃんの正体を受け入れた学秀君。
・学秀君と律を料理下手にしたらこうなった。
・2度目の起こらなかった事件。ロヴロさんとビッチ先生の勝負が消えた。
・渚ちゃんの弟子入り志願。
こうやって書き出すと変更点多いですね。今回少し盛りだくさんなのであれこれ付け加えてたら更新遅れてしまいました。テスト終わったのに申し訳ないです。次回はもう少し早くしたい(願望)