電脳空間……希空達が暮らすこの時代では今、新たなに自由に過ごせる第二の現実のような世界へと発展し、人類の多くは仮想世界ことVR空間に飛び込んで日々を謳歌している。
その楽しみ方はまさに自由自在。希空達のようにガンプラバトルを絡めての楽しみ方も良し、遠距離恋愛をしているカップルの触れ合いの場として甘い一時を過ごすも良し、その楽しみ方は人それぞれだ。
「──Are you ready?」
眩い光が行き交うこの空間もそうだ。ペンライトとスポットライトによって彩られたこの空間はまさにステージに相応しい。花の香りのような甘い声がスピーカーを通じて、全体に響き渡ると湧き出るように歓声が満ちる、まさに声に対して待ち切れないと答えるかのように。
ただでさえ大きな歓声はこのドーム型の空間に響いていると言うのに、その中心で浮遊している近未来的な巨大ステージに噴き出ているスチームの中にいる人影を見て、更に全体のボルテージが上がっていく。
「OK! お待ったせー! それじゃあ、行きマスヨー!!」
スチームを払い、そこから現れたのはツーサイドアップに纏めた絹の如く美しい白髪を揺らしたその声に負けぬほどの可憐さを持つ少女だ。その紫色の瞳で会場全体を見渡し、頭頂部のぴょんと立った猫耳で歓喜の声を聞き届けると、クルリと回転して指を鳴らす。
その瞬間、ステージのギミックが作動して、空を七色のスチームが彩るなか、アップテンポの音楽が鳴り始め、会場をさらに盛り上げるなか、少女はその愛らしい声をメロディに乗せ始める。
甘く美しい可憐な声が、リズムに合わせて躍動する身体が観客で満たされたステージを余すことなくその魅力によって満たし始める。
まさにそこにいるのは歌で全てを癒す可憐な姫君。永遠なる電子世界で歌姫は笑顔と歌の祝福を空から届けるのであった。
・・・
その様子はVR空間にいなくとも、聞くことが出来る。動画サイトの生中継の様子を無線のイヤホンで聞いていたのは希空であった。軽く身を揺らしてリズムを取っているところを見ると、少なくともこのの曲を楽しんでいる証拠だろう。
「なーにを聞いているんだ?」
そんな希空の片方のイヤホンを後ろからとって、自分の耳につけたのは奏であった。希空の肩に顔を乗せてイヤホンから流れる曲を聞き入る。
「あぁ、うむ……。知ってるぞ、これ。聞いたことがある」
「──確か最近、流行っているシャルル・ティアーナでしたか」
聞き覚えがある曲なのか、何とか思い出そうと頭を悩ませている奏だが、ふと背後から画面の中の少女を見て声をかけてきたのはラグナであった。
「覗き見をしてしまいましたね。失礼」
「いや……っていうか、ラグナは知っていたのか?」
「ええ。生徒の流行りを把握しておくのも親睦を深める秘訣の一つですからね」
驚いた様子でラグナを見ている希空と奏についつい希空の持つ携帯端末の立体画面を覗き見て、口を挟んでしまった非礼を詫びるも、そんなことよりも希空達はラグナがまさか知っているとは思わなかったため、驚いてしまっていたのだ。奏の言葉にクスリと笑みをこぼしながら、その疑問に答える。
「それでそのシャルルマーニュと言うのは……」
「……シャルル・ティアーナです。主に動画サイトで活動しているバーチャルアイドルですね。今ではスポンサーも付き、チャンネル登録者数が45万人以上で動画の再生数は100万再生以上を優に超えています。メインのアイドル歌手活動以外にガンプラ制作やゲーム実況、SNSなど幅広い活動を行っていますね」
そう言えば、ラグナは女子生徒ウケが凄かったな、と思い出しながら改めて、このVR空間でライブをしている少女について尋ねると、奏の名称を訂正しつつ、シャルルの活動について説明する。
「しかし、その活動内容とは裏腹に所謂、中の人などの情報は秘匿にされていましたね」
「……最もシャルル自身の趣味などは可愛いものが好きだとか本人が生放送などでベラベラ話してますが」
希空の説明を引き継ぐようにシャルルの説明をするラグナ。確かにVR空間で活動する以上、あれはアバターであろう。だが実際、声優などはシャルル個人が特定される情報は一切、明かされていないのだ。とはいえ、趣味の類などは希空の言うように明かされてはいるようなのだが。
・・・
数時間後、ここは閑静な街並みが広がる彩渡街。つまりは希空達とは違い、地上である。コロニーの喧騒とは違い、穏やかな空気が流れている。
「あー……やっばいなー。流石にお腹が空いたなー」
そんな彩渡街をふらふらと放浪していたのはルティナであった。宛てもなく彷徨うその足取りに力はなく、突けば容易く倒れてしまいそうなほどだ。
「一回、元の世界に帰った方が良いかなぁ……。ん……?」
駅近くにまで辿り着いたルティナは腹部をさすりながら非常に悩んだ様子だ。元の世界、と言う言葉が出た瞬間、僅かに表情を曇らせていると、ふと何かに気づく。
「デザート……か。数えるくらいしか食べたことないや」
そこは洋菓子店であった。ショーケースに飾られた様々な洋菓子の類を見て、ルティナはどこか悲しげな表情を浮かべる。彼女の脳裏に過った自身の過去を思い出してのことだろう。
「……?」
「あっ」
すると洋菓子店の扉がガチャリと開き、そこから立て看板を持った青年が現れる。ルティナは知る由もないが、彼は希空達の知人であり、GB博物館でも会ったことのある涼一という名の青年であった。
最も彼はこの店でバイトでもしていうのか、制服姿であり、その手には店頭に置く立て看板が握られていた。店から涼一が出てきたことにより咄嗟にルティナはこの場を後にしようとするのだが……。
気の抜けたような何とも言えない音が響く。
「あぅ……」
それはルティナから放たれたものであり、途端にルティナは耳まで真っ赤にして今の音が聞かれていないか、恐る恐る涼一に振り返る。流石にここにきて、空腹が堪えたのだろう。生理現象と言えば、それまでではあるのだがルティナもこれでも年頃の少女だ。空腹の音が聞かれて、羞恥を感じてしまうのは不思議なことではないだろう。
「腹、減ってるのか?」
「別にそういうわけじゃ……」
見かねた涼一が問いかけるが、そう聞かれて素直に答えるルティナではなく、つんとした態度で歩き出そうとするのだが、彼女の態度とは裏腹に腹は素直であり、また空腹に襲われ、腹の音がなんとも情けなく響いて、涼一に背を向けるルティナの背中がプルプル震えている。
「少し入っていけ」
流石にいたたまれなくなったのだろう。背後からルティナの手を取ると、彼女の返事を待たずして店に彼女を連れていく。最初こそ驚いたルティナではあるのだが、涼一から敵意の類を感じなかったため、涼一を投げ倒すような真似はせず、そのまま涼一につられるがまま、洋菓子店に入っていく。
・・・
「少し待っててくれ」
甘い香りの漂う洋菓子店に入店したルティナは普段、見慣れぬ光景からか店内の様子を興味津々といった様子で眺めていると、そのまま涼一に連れられ、店内の飲食スペースに連れてこられる。
「ほら」
とはいえ慣れていない場所だからか、落ち着きがなくそわそわした様子だ。程なくして涼一が戻ってくる。その手にはバスケットの包み紙に所狭しと並んでクッキーが。
「食べたいけど……ルティナ、お金持ってない……」
「……気にするな、俺の驕りだ」
クッキーを見て、まさに子供のように表情を輝かせていたルティナではあったが、ふとこの世界で流通している通貨の類を持っていないことを思い出してしゅんとした沈痛な姿を見せる。だが最初から別に金の類を取ろうとは思っていなかったのだろう。なんと涼一はこのクッキーを無料で振舞おうと言うのだ。
「……」
只より高い物はない、という言葉もある。クッキーと涼一を交互に見やったルティナは恐る恐る手に取ったクッキーを口に運ぶ。
その瞬間、先程までの表情とは打って変わり、花が咲いたかのようにルティナの表情が明るくなったではないか。
「すっごく美味しいね、これっ!」
先程までの警戒していた反応から打って変わって、満面の笑みで涼一にクッキーの感想を口にする。その嘘偽りのない姿に涼一も知らず知らずのうちに笑みをこぼす。
・・・
「ごっ馳走様ー。こんなに美味しいもの、久しぶりに食べたから心が跳ねたよ!」
最初の警戒とは打って変わって、クッキーを食べ終えたルティナは非常に満足した様子で涼一に礼の言葉を口にする。
「気に入ってくれたなら何よりだ。また来ると良い」
「うんっ! 今度来るときは何かお礼もきるようにしとくね」
ルティナの姿に満足している涼一に大きく頷きながら立ち上がったルティナはそのまま店外に出ていく。
・・・
「こんなに心がポカポカするのは久しぶりだなぁ」
涼一がバイトをしている洋菓子店から出たルティナは心底、嬉しそうに鼻歌交じりに歩いている。その頭には涼一へのお返しをどうするかを考えていたところだ。
再度、駅前にたどり着いたルティナの耳にふと柔らかな声が聞こえてくる。
それはまさに流れる緩やかな風に乗るような歌声だ。思わず足を止めたルティナは周囲を見渡す。その声の主はすぐに見つけることが出来た。
パッと見た限り、その年齢を判断するならば、ルティナより少し年上と行ったところだろうか。サイドテールにしている髪をリズムによって僅かに揺らしながら歌っている女性がそこにいたのだ。
駅を利用する人々が女性の歌声に注目しながら流れていくなか、吸い込まれるようにしてルティナは女性の近くまで寄っていく。
単純に彼女の歌に魅了されたのだ。ルティナの耳が彼女の歌声を聞き逃すまいと、その目が彼女のその姿を見逃すまいと注目するなか、あっという間に時間が過ぎていく。
「──ふぅ……お粗末様でした」
それから一時間程度が経過した頃であろうか。ひとしきり歌い終えた女性は頭を下げ、彼女を囲んでいた人々は惜しみない拍手を送り、ルティナもその一人だった。
「ふふっ、アナタは最初から最後までいてくれたね」
感激を表すかのように拍手をしているルティナに気づいた女性は片付けをしながら人が散り散りになっていくなかでルティナに声をかける。
「聞いててね、すっごく心が弾んだよ!」
「おっ、そう言ってもらえるとお姉さんも歌った甲斐があるというものです」
偽りのない彼女らしい感想を口にするルティナの言葉に気をよくしたのか、女性は非常に上機嫌で胸を張る。
「あなたはどこから来たの? ここ等辺じゃ見ないし、パッと見た限り、ハーフの子かな?」
女性はそのままルティナに興味を示したようで、その顔立ちを見ながら、彼女について尋ねる。少なくともその口ぶりからこの女性は彩渡街で生活しているらしい。
「違う世界から、って言ったらどうするかな?」
そんな女性にルティナはどこか悪戯を考え付いた子供のような笑みを浮かべながら答える。こんな話、荒唐無稽だ。どうせ冗談と切り捨てられるだろう。
「うん、信じましょう」
しかし女性はすんなりとルティナの言葉に頷いたではないか。
「えっ……。ルティナの話、信じるの?」
「ルティナちゃんって言うんだ。うん、じゃあルッティね。っていうか、そう考えた方が何か面白いじゃない」
自分でも信じてもらえないと思っていたのだろう。女性のこの反応は予想外だった。思わず聞き返してしまうルティナに口にした名前から、彼女の名を覚えた女性はにっこりと笑みを浮かべながら答える。
「私は姫川
すると女性は己の名を明かす。段々とルティナも女性こと歌音の人柄が気に入ってきたのだろう。笑みを見せ始める。そんなルティナの姿に歌音はふと彼女の腰のベルトのケースに収められているバーニングブレイカーをわずかな隙間から見つける。
「それガンプラ?」
「あっ、うん。ルティナの宝物なんだ」
ケースを指差しながら尋ねると、ルティナはケースから取り出して、バーニングブレイカーを取り出して女性に見せる。
「ふーん、中々……いや、かなりの出来栄えね。これはルッティが?」
「ううん。これはルティナの大事な人からもらったんだ。でも、これ使ってバトルとかしてると、あんまりルティナに合ってなくてさ。ルティナ好みの奴を作ろうと思ってるんだけど、そもそも作り方とか知らないんだよね。だから作り方とか知ってる人を探してるんだけど……」
バーニングブレイカーのデティールなどを見て、一目でその出来栄えに唸る歌音はルティナが製作者なのか尋ねると、首を横に振りつつ、今、自分に合ったガンプラを作ろうとしているものの作り方などが一切分からないことの旨を伝える。
「ではお姉さんが手伝いましょう!」
「ホント!?」
「元々、この町に住んでいる叔父さんのお世話になってるんだけど、その叔父さん、結構、プラモ作りが上手くてね。その影響で私もそれなりに良いガンプラを作れるのです」
するとドンと胸を張りながらルティナの助けになることを申し出ると、思わぬ言葉に食いつく。ルティナからしてみれば、興味を示した人間に教わるのは願ってもないことであろう。そんなルティナに歌音は自身のガンプラについて軽くではあるが説明する。
「でも、なんでそうまでしてくれるの?」
「うーん。特に理由がない気分的なものなんだけど……まあ、私は老若男女問わず可愛い存在が大好きだから、気に入ったら手を出しちゃう性分なのです」
とはいえ歌音とはここで会ったに過ぎない赤の他人だ。何故、そうまでしてくれるのか尋ねると、本当に特に理由はないのかあご先に軽く指を添えながら答える。
「じゃあ、行こうかっ」
荷物を纏めた歌音はルティナの手を取ると、歩き始める。最初こそ驚いたルティナではあるが、振り返って微笑むその姿に涼一の時同様、心が温まるのを感じながら、ふと知らず知らずに笑みをこぼすのであった。