鮮血に染まった空間は何処に触れても、その身は汚れてしまう。
しかし翔はその空間で蹲って悶えていた。もうどうする事も出来ない。いくら思考を遮断しようとしても次から次にかつての凄惨な戦争の記憶が蘇ってしまうのだ。
「──いつまでそうしているつもりだ」
何をする気にもなれない。ただこの突きつけられる現実から脱げ出したい。そう苦しみに悶えている翔に突然、声がかけられた。
顔を上げてみれば、先程まで鮮血に染まっていた世界から一転、真っ白な空間の中にいた。そこには鮮やかな翡翠色の髪を中央に逆立てた青年が翔を静かに見下ろしているではないか。
「……む、そう言えば、こう顔を合わせるのは初めてか」
だが翔はこの青年の顔に覚えがない。一体、彼は何者なのだろうかと怪訝そうな顔をしている翔に気づいた青年は不思議なものだな、と口にしながら軽く笑う。
「だが、今の貴様なら私の顔を分からずとも何者かは分かるだろう」
表情を厳格なものに戻しながら、青年は自身の素性は明かさず翔に委ねる。青年の言葉は一見すれば、顔も知らないのに無理な話だが、翔は目の前の青年から何か感じ取ったのか少しずつその表情に驚きを見せる。
「ルスラン・シュレーカー……!?」
青年から感じるのは、これまで自分の中に存在していた力の一つだ。そして異世界で幾度となく命を賭したやり取りを行った相手のモノでもある。
「その通りだ。もっとも今の私は貴様の中に残った残滓と言った方が適切だがな」
だがルスランは最後、未来を切り開くために散ったのだ。
そんな人間が何故、今現れたのと言うのか、その答えはルスラン自身の口から語られた。今の翔のエヴェイユの力は元々、自身の物とシーナ・ハイゼンベルク、そして目の前のルスランのものが一つに合さったものだ。故に合さったルスランの力の中の残滓と言える存在がこうして姿を現したのだろう。
「何故……お前が……」
「今の貴様が見ていられなくなった」
だがどうしてルスランが現れたのだろうか。その理由が分からない翔にルスランは片手を軽く上げると自分達がいた真っ白な空間は宇宙空間へと変化したではないか。
「それだけだ」
同時に自身もガンプラバトルシミュレーターVRのコックピットとはまた違う見覚えのあるコックピットの中にいるではないか。これは確か異世界で使用したガンダムブレイカーのものだ。
同時にセンサーが鳴り響く。センサーが反応した前方を見れば、そこには巨大機動兵器・GP03デンドロビウムの姿があるではないか。
あまりの出来事に言葉を失う翔だがデンドロビウムはメガ・ビーム砲を発射する。
半ば、直感で避けた翔ではあるがデンドロビウムは一気に加速するとオーキスから飛び出したステイメンはその姿をストライクノワールに変え、ビームブレイドを引き抜いて突撃してくる。
「なんだいきなり!?」
「全霊を持って、ぶつかってこい」
すぐさまブレイカーはビームサーベルを引き抜いて、ストライクノワールのビームブレイドを受け止めると、は突然のルスランの行動にその真意を問うが、ルスランはただ淡々と答えるだけでそのままブレイカーのビームサーベルを振り払って蹴り飛ばす。
「ッ……! 俺はもう十分戦った……!! もう良いだろッ!!!」
かつてのコックピットが異世界の記憶を呼び覚ます。
翔は耐え切れなくなったように叫ぶと、接近するストライクノワールの背後に高速で周り込む。
その瞬間、先程のストライクノワール同様にガンダムブレイカーの姿も腕部ガトリングとユニバーサル・ブースター・ポットを装備したガンダムブレイカー・フルバーニアンに姿を変えていた。
「何故、また俺の前に現れたッ!? どうして!?」
「何度も言わせるな。今の貴様は見ていられないと言った筈だ」
ユニバーサル・ブースター・ポットを目まぐるしく稼働させて飛蝗のような俊敏な動きでストライクノワールに襲いかかる。
これまでの不満を露わにするかのように叫ぶ翔の勢いを受けたようについにはストライクノワールのビームブレイドが破壊されるもルスランはさして動揺した気配はない。
「─ッ!?」
それどころかブレイカーFBの周囲をセンサーがけたましく反応する。翔が反応をすれば、そこにはファンネルが自身を囲んでいたではないか。ファンネルが自身にビームを放つ寸前にブレイカーFBは瞬時に包囲網から抜け出せば、先程までストライクノワールがいた場所にはヤクト・ドーガがいた。
「残滓とはいえ、あれから私は貴様の中にいた。貴様をずっと見ていた」
同時にブレイカーFBの姿も機動力よりも火力に特化したガンダムブレイカー・ブラストに変化していた。翔がすぐさまブラストの武装を駆使して迫るファンネルを破壊するなか、その姿をルスランは静かに見つめる。
「なら、この行いがどれだけ苦しめるか分かるだろうッ!?」
ファンネルを破壊し終えたブレイカーBはそのままヤクト・ドーガに向けて、一斉に武装を解き放つ。ミサイルやビームがヤクト・ドーガに降り注ぎ、周囲に爆炎が巻き起こる。
「──そうだな。確かに貴様は過去に苦しんでいる」
荒くなった息遣いを整えながら、翔は爆炎を見つめていると、その先にいる存在を見て息を呑む。その存在は爆炎の中、そのモノアイを確かに輝かせ、こちらを見つめていた。
「だが同時に今の貴様はかつての私と同じだ。過去に囚われ、未来に何の希望を持ち合わせていない」
爆炎が消えたその先にいたのは鮮血に染め上げられたかの如き真紅の機体。憎悪に囚われていたルスランを象徴する復讐機・ネメシスがそこにいたのだ。
「俺が……何の希望も……!?」
「否定できるか? 私は貴様の中にいたんだぞ。貴様はかつての戦争の記憶に悩まされている」
そしてブレイカーBも原初のブレイカーであるガンダムブレイカー0に変化していた。
だがそれよりも翔はルスランの言葉が聞き捨てならなかった。しかし同時にその言葉を完全に否定する事も出来なかった。
「如月翔……。私が貴様に成り代わろうか?」
「……なんだと?」
「残滓とはいえ、貴様の不安定な精神状態ならば、それも可能だろう」
ルスランから発せられた言葉に翔は眉間に皺を寄せる。彼は一体、何を言っているのか分からなかったからだ。だが少なくともルスランの様子から冗談で言っているようには聞こえない。
「ふざけるな……ッ! そんなこと……受け入れられるわけがないッ!!」
「何故だ? 貴様は苦しんでいる。ならばいっそ深い眠りに落ちてしまった方が楽ではないのか?」
だが到底、そんな事が受け入れられる訳がなかった。ブレイカー0はフィンファンネルを解き放ちながら向かっていくとネメシスもまたファンネルを放つと共にビームナギナタを構えて迎え打つ。
「何故、そうやって抗おうとする? 苦しんでまで生きていたいのか?」
「当たり前だ……! 俺があの世界で戦っていたのは死にたくないからだッ!!」
フィンファンネルとファンネルが交錯しながら攻防を続けるなか、その中心でビームサーベルとビームナギナタを交えるブレイカー0とネメシス。ルスランは翔に問い掛けを続けるなか、翔はかつての自分を思い起こしながら強く叫ぶ。
「だが貴様は戦争の記憶に悩まされ続けている。これまでもそして、これからも。なのに、か?」
「確かに……あの世界の記憶に俺は苦しみ続けて来た……! こうやって戦うのだって苦しいッ!!」
激しい攻防とは裏腹に淡々としたルスランからの問いかけは続く。だがその問いかけの度に翔の言葉にどんどん熱が籠っていく。
『そうだとしてもお前等二人で戦ったことに変わりはねぇ。エースが乗る機体からアークエンジェルを救った……誇りを持て。誇りは自信につながる。弱気じゃ勝てるもんも勝てねぇぞ』
「でも……ッ」
『でもこれだけは言えるぜ、お前と会えて本当に良かった。お前はかけがえのない仲間であり、俺の
「でも……!」
『……私も……決まったわ。未来への願い……。だからそれまでは……さようなら』
「でも、それだけじゃなかったッ!」
脳裏に過る異世界での温かな記憶達。それは鮮血に染まった記憶さえ塗り替えてしまうような温もりに満ちた記憶であった。
「全てが悪い訳じゃなかった! どんなに苦しくても、その記憶があったから、俺の心は折れなかった!」
ブレイカー0の装甲の一部が変形し、内側からサイコフレームの輝きを放つと共に機体全体が赤色の輝きを纏い、ビームトンファーによる乱舞の如き攻勢でネメシスにぶつかっていく。
「どんなに苦しんでも、あの世界での出来事はなかったことには出来ない! でも……でも、それで良いッ!!」
翔の思いのたけを聞きながら、ルスランは笑みを零す。するとネメシスもまた同様の赤色の輝きを纏って、ブレイカー0と対等に渡り合う。
「かけがえのない人々に出会った。その人達がいるから今の俺がいるッ! それは勿論、お前だってそうだッ!!」
理不尽な世界で出会った素晴らしき人々。それが今の翔を形成している。彼らに誰一人と出会わなかった自分などきっと今の自分には決して繋がらない。それは勿論、ルスランも含めてだ。
「お前は命を賭して、俺の未来を切り開いてくれた! なら俺はその未来を掴み取りたい! 俺が背負った命達の分までェッ!」
ついに拮抗する二つの機体はブレイカー0がネメシスを振り払い、その胴体にビームトンファーの刃を貫かせたことによって決着がつく。
「ありがとう、ルスラン……。お前が現れたお陰で答えが見いだせた」
「……勘違いするな。私が切り開いた未来がつまらないものにしたくはなかっただけだ」
ブレイカー0とネメシスが密着した状態で翔はルスランに感謝の言葉を口にする。
この言葉は本心だ。最初こそ意味が分からなかったが、異世界で幾度となく命のやり取りをし、最後には自分の未来を切り開いて散った彼が現れたからこそ、全てを背負う答えを導き出せた。
「それに……貴様と決着がつけたかったからな。もっとも最後まで敗れてしまったのは口惜しいが……」
「……お前とは違う形で出会いたかったな」
翔とルスランは同じエヴェイユとして戦場で刃を交え続けた。かつて敵同士ではあったがこうして穏やかに話をしていると彼とも出会い方さえ違えば違った未来もあったのかもしれない。
「───そ、そこまでーッ!」
すると突然、あまりにも場違いな女性の声が聞こえる。同時にブレイカー0とネメシスの間に小さな光が現れて形作った。
「あ、あれ……もう終わってた……?」
「シーナ……!?」
くせのあるナチュラルブロンドの髪を垂らしながらブレイカー0とネメシスを交互に見やる女性は紛れもなく自身と共に異世界を駆け抜けたシーナ・ハイゼンベルクその人であった。
「ひ、久しぶり翔……。えっといきなりごめんね」
「あ、ああ……。まさかお前も……」
ブレイカー0とネメシスのカメラアイがシーナに集中するなか乾いた笑みを浮かべながらブレイカー0を通じて挨拶をするシーナに翔は答えつつもネメシスを見やる。
「ああ、彼女も私と同じ残滓に過ぎない。本来のシーナお嬢さんも貴様がエヴェイユの全てを受け入れた時点で天に昇った」
「そう、か……。でも、どうしたんだ?」
ルスランは今、現れたシーナの存在について答えると翔は再びシーナに視線を戻しつつ、彼女が現れた理由を尋ねる。
「それはルスランを止める為だよ! いきなり翔の中からいなくなるから!!」
「……言えば止められるのは目に見えていましたから」
するとシーナは非難するようにルスランを見やる。どうやらルスランを制止する為に現れたようだが同時に先程のエヴェイユの力を解き放った際のことを思い出す。
あれは過去の自分、そしてリーナや風香のレベルの力であった。恐らくルスランが抜け出したからエヴェイユの力も同時に一部を失くしたのだろう。その証拠にルスランもエヴェイユの力を使っていた。
「……でも、うん。結果オーライってことなのかな」
「ああ。全部背負っていくよ。お前達の分までな」
改めてブレイカー0を通じて、翔の迷いのない顔を見て安心したように微笑む。安らぎを感じる彼女の笑みに翔も知らず知らずのうちに微笑みを浮かべながら答える。
「ねえ翔、これを見て」
するとシーナは掌の上に光球を出現させると、ブレイカー0の中に送る。その光球に目を凝らしながら見てみれば、そこにはデクスマキナへ必死に食らいつくEXガンダムブレイカーの姿が映っていた。
「それが新しいガンダムブレイカーだよ。翔がいたから想いは受け継がれている。アナタが苦しんできた歩みは絶対に無駄にはならない」
「そうだな……。この繋がりはきっと俺にとっての未来への希望になる」
EXブレイカーの諦めないその姿に覇王と新星の姿を重ねながら希望を宿す。苦しんで歩んできた道のりだが、そこから繋がった破壊と創造の連鎖は彼にとって無駄ではなかったという大きな光になるのだ。
「それにね、大丈夫だよ翔。私達だって翔と一緒に背負っていく。例え形がなくなってもいつだって私達はアナタの中にいる。アナタは絶対に一人じゃない」
だがシーナは翔だけに重荷を背負わせるつもりはないのか、真剣な面持ちに表情をお切り替える。残滓とはいえ、そもそもの発端はシーナだ。翔に関しては誰よりも責任を感じているのは彼女だろう。故に翔だけを苦しませるつもりはない。
「だから行こう、次のステージへ」
するとシーナの言葉をきっかけにブレイカー0とネメシス、そしてシーナが輝き始める。やがて、三つの光は混ざり合い、全てを照らすだけの大いなる輝きを放つ。
「──……そうだな。いつまでも足踏みをしていられない」
残ったのは次なるガンダムブレイカー。その名はガンダムブレイカーネクスト。そのコックピットで翔はゆっくりと目を開くと、その瞳は紫色と翡翠色のオッドアイになっており、その瞳はやがて虹色に変化する。
「どれだけ揺らめこうが、俺が残せる道は一つだけだ。ならば、俺は背負った命達の分まで生きて生きて、その果てに辿り着くまでだ」
そしてもう一度、目を瞑り、開けば自分は元の鮮血に染まった空間に一人、残っていた。だが今の翔はもう迷いがない。改めて一つとなった力を解放すると世界に影響が出て崩壊が始まる。翔は鮮血に染まった空間を一人、確かな足取りで歩き始めるのであった。
・・・
「行っちゃったね、翔」
「……ええ」
先程、翔がいたのは彼自身の精神世界。その世界でシーナとルスランは残っていた。
「シーナお嬢さん、何故、同じ残滓でしかない私があなたよりも早く奴の前に現れたのか分かりますか?」
ふとルスランはシーナに問いかける。確かに条件で言えば、シーナもルスランも同じ存在だ。だが遅れたシーナに対して、ルスランは早かった。それはそう易々と出てこれなかったのもあるのだが、シーナは結局、分からず首を傾げる。
「今の私は残滓。だがすぐに奴の前に現れられたのは奴の負の側面と同化したからです。だから存在が大きなった私はすぐに奴の前に現れた」
「翔の負……か。確かに翔の中の負の心はあるだろうからね。どの道、あの空間から脱するにはその負の心を乗り越えなくちゃいけなかったけど」
己の手を見やりながら、ルスランは静かに答える。それは先程、不安定になっていた彼の精神状態だからこそ出来た事であった。だがあの空間を脱するには現実から目を逸らしたいという負の側面を乗り越える必要があった。
「だが、奴はそんな私を倒した。今の奴ならば大丈夫でしょう」
だからこそ全力でぶつかり合った。でなければ翔はあの空間に囚われたままだったからだ。そして翔は自分自身の負との問答の末、答えを見出したのだ。その結果にルスランは穏やかな笑みを浮かべる。
「私達は所詮は残滓、何れ奴の中で完全に熔けてしまう」
「でもね、それでも翔は一人じゃない。私達はいつだってアナタと共にあるから」
そんなルスランの手も薄らと半透明になってしまっている。だがそれは仕方がないとばかりに軽く手を握ったルスランの言葉にシーナも改めて、翔への言葉を口にすると、ルスランとシーナは静かに消えていくのであった……。