「ほーら、起きて」
窓から朝日の温かな日差しが差し込む中、布団に包まれていた一矢の身体が揺すられる。煩わしそうに呻き声をあげながら、ゆっくりと瞼を開ければ、そこには自身の肩に手をかける優陽がいた。
「アラーム、ずっと鳴ってるよ?」
朝に弱いせいか、ずっと顰めっ面を浮かべている一矢に苦笑しながら優陽は今も鳴り響いている一矢の携帯端末を小さく指さす。
今日は一度、家に帰る都合もあった為、いつも設定しているアラームよりも早くの時間に設定したのだ。優陽の言葉にアラームの存在に気づいた一矢はいつまでも好きに慣らし続けさせるわけにもいかず停止させる。
・・・
「……世話になったな」
それから数十分後、制服に着替え終えた一矢は門扉の前で優陽に礼の言葉を口にしていた。まさか朝食まで用意してくれたとは思わず、そのせいかより一層、申し訳なく感じてしまう。
「ううん、寧ろ結構、有意義な時間だったから気にしないで」
一矢に優陽は柔らかな笑みを見せる。自分の心にどこか靄がかかった気分ではあったのだが、それも今回、一矢と過ごして少しは心境にも変化があった。お互いに笑みを交わし合いながら一矢は南雲宅を後にするのであった。
・・・
「それで友達んトコに泊まってたんだ」
それから大凡、一時間が経過した頃、一矢は夕香と通学路を歩いていた。話題は昨晩の一矢の宿泊先の事であり、ここ最近の一矢の様子から彼を心配していた夕香は少しは安心したような表情だ。
「しっかし、ヴェルさん達がねぇ」
すると徐に夕香はヴェル達について触れる。しかし一矢は夕香にシュウジ達の件については話しておらず、何故知っているのかと表情に驚きを滲ませながら夕香を見やる。
「実は昨晩、ミサ姉さんから電話が来てたんだ。イッチの事も話してたよ」
驚いている一矢の表情で察したのか、シュウジ達の件について何故、知っているのかを明かす。どうやら昨晩は一矢だけではなく、ミサからも連絡が来ていたようだ。
「ミサ姉さんも堪えてたみたいだよ。別れが辛いって」
一矢はあの場で取り乱して去っていたが、ショックを受けていたのは勿論、一矢だけではない。あの場にいたミサもまた一矢と同じようにショックを受けていたのだろう。
「でもそれ以上にイッチを心配してたよ。イッチにどうしてあげれば良いか分かんないって。そりゃそうだよね。ミサ姉さんだって自分の気持ちに整理もついてないんだから」
夕香の言葉に目を見開く。確かにミサがショックを受けているのは想像に難くない。だがミサが自分を心配してくれていたなんて思いもしていなかったからだ。
「……後でミサに連絡しとく」
「うん、それが良いと思うよ」
自分は今の今までシュウジ達の件でどうするべきか考えるだけでミサの事を考えてすらいなかった。思わず今までの自分を恥じてしまう。顔を俯かせながらそれでもミサに連絡を取ろうと決めた一矢に夕香は微笑む。
「そう言えば、翔さんの方はどうなんだろうね」
すると次の話題に夕香は翔について触れる。
「翔さんの方がイッチよりもシュウジさん達との付き合いが長いんじゃないの? 多分、翔さんにだって話は行ってんじゃないかな」
確かに翔とシュウジ達の関係は一矢やミサ達よりもずっと深いところにある気する。恐らくシュウジ達も自分達だけではなく、翔にも話をしているのではないだろうか。
「もしなんだったら翔さんにも話してみれば?」
「……そうだな」
翔も同じようにシュウジ達から別れを告げられているのであれば、もしかしたら何か今の自分を変えてくれるような何かを言ってくれるのかもしれない。夕香の言葉に頷くと、早速、今日の放課後にでもブレイカーズに行く事を決めるのであった。
・・・
放課後、一矢は登校する際に夕香に言われた通り、ブレイカーズに続く道のりを一人、歩いていた。行き交う人々のなか、もう間もなくブレイカーズに辿り着くことができるだろう。
「……あっ」
角を曲がってブレイカーズに到着すると言うところで一矢は足を止めた。何故なら、ブレイカーズの前に見知った顔がいたからだ。
「……あら、いらっしゃい」
店の外にいたのはカガミであった。ブレイカーズのロゴが入ったエプロンを着ており、店の前で掃除をしている姿を見る限り、大方、店の手伝いをしているのだろう。
しかし一矢はカガミを見て、その場に留まり、苦い顔をしている。というのもシュウジ達同様に彼女もまた自分の目の前からいなくなってしまう存在だったからだ。
「……少し場所を変えましょうか」
一矢の様子を見たカガミは僅かに考えるように目を伏せると、エプロンを脱いで一矢に声をかけるのであった。
・・・
「……あの、良かったんですか?」
「ずっと休憩しろと言われていたの。だから構わないわ」
カガミ達が移動したのはブレイカーズからほど近い喫茶店であった。それぞれ好きな飲み物が提供された後、一矢はカガミに店を抜けた事について尋ねると、カガミは首を横に振りながら一矢を安心させる。
「それにアナタに対してもちゃんと挨拶をしておかないといけないって思っていたから」
その言葉に一矢は震える。やはり別れは避けられない。カガミもまたシュウジ達と同じように自分の前からいなくなる。
「シュウジ達から話は聞いているわ。ごめんなさいね、混乱を招く真似をさせてしまって」
カガミもシュウジ達と一矢の間にあった出来事については把握しているようだ。故にカガミも一矢に辛い思いをさせてしまったと謝罪の言葉を口にする。
「……あの、翔さんとも別れる事になるんですよね? ……そのことを……どう思ってるんですか?」
すると一矢はカガミに翔の事について尋ねる。正直に言えば、自分もシュウジ達との別れは辛い。だがシュウジ達も、特にカガミは翔に想いを寄せているのだから、ここからいなくなるのであれば思うことはある筈だ。
「……俺……どうすれば良いか……分からなくて……。別れなんてロボ太の事があるまで経験した事もなかったし……。……だからいっそ、出会わなかった方が良かったって……」
膝の上に乗せた拳が強く握られ、一矢の身体が微かに震える。別れは辛い。だからこそいっそのこと出会わなかった方が楽だと思ってしまった。カガミはどうなのだろうか。
「……私は翔さんやアナタ達に出会う事が出来たのは、私の人生で代えられない宝だと思っているわ」
視線を彷徨わせて俯く一矢の迷いに答えるようにカガミは静かに口を開く。出会えたことが宝、その言葉に一矢は顔を上げる。
「アナタはどうかしら?」
「……俺も同じです……。俺の人生に影響を与えてくれたって……思ってます」
顔を上げた一矢にカガミは自分達のことを問いかける。一矢にとってもカガミやシュウジ達に出会えたことは自分に大きな影響を与えてくれたことは一矢自身も分かっていた。
「……宝と言うのは本当に大切なモノ。でも時にその宝その物が大きな壁となって立ち塞がる事があるわ」
一矢にそうまで言ってもらえて、カガミはどこか嬉しそうに微笑みを見せるなか自分なりの言葉を送り始める。
「宝を失うのは悲しいことよ。そのせいで立ち止まってしまうのかもしれない。でも宝が確かにそこにあったことは変わらないわ」
今まさに一矢は立ち止まっている。だからこそ自分達がこの世界を去る前に彼にはまた歩き始めて欲しい。
「私も一度は翔さんと離れ離れになった事があるわ」
かつてデビルガンダムコロニーとの戦闘の後、翔は異世界から姿を消した。カガミにとって”さようなら”も言えなかった出来事だ。
「とても辛かったわ……。でも私はそこで止まるわけにはいかなかった」
かつて翔が異世界を去った後、ずっと翔の戦闘データを元に戦闘プログラムと訓練する日々に明け暮れていた日々を思い出しながら話すと、翔との別れを経験した事があると言ったカガミに一矢は驚く。
「傍で私のことを見ていてくれる存在がいるんだもの。そんな人達にいつまでも情けない姿は見せられないし、それに何より胸の中にあった宝の断片が私の背中を押してくれたから」
翔が居なくなった後もずっとヴェルと共に統合軍で戦い続けた。いつだってヴェルは近くで支えてくれた存在なのだ。そんな彼女にいつまでも気遣わせるわけにもいなかた。
「そうしているうちに私はまた翔さんに再会する事が出来た。辛かった分、とても嬉しかったわ。アナタ達ともそうありたいと思っている」
最初は再会も叶わないことなのかもしれないと考えていた。しかし現にカガミは再び翔と出会う事が出来た。
「私達は空と海よ。一見して届くことはないけど地平線の先に繋がっている。だから悲観しないで。また再会することを考えて、お互いの未来の先で笑いましょう」
もう二度と会えないというわけではない。そうまで言うのは、カガミ自身がなにが起きようとも死ぬつもりがないと言う事だからだろう。だからこそ想いの籠った言葉に一矢は知らず知らずにカガミの瞳をじっと見ている。
「……俺もアナタみたいに進めますかね」
「出来るわ。私達がいなくなってもアナタは一人になる事はない。きっとアナタには立ち止まれば一緒に悩んでくれる存在や背中を押してくれる存在はいる筈よ。歩きだせないなんてことはない筈よ」
やはり一矢にとって翔やシュウジのようにカガミもまたとてつもなく大きな存在に映る。遠い存在であるカガミのように前に進める存在であれるか分からないが、それでもカガミは力強く答える。
「でも、そうね。もしあんまりにも酷いようなら私直々に修正してあげるわ」
ふと冗談交じりに軽い笑みを見せながら指をコキリと鳴らすカガミのどこかサディストのような笑みを浮かべる姿に一矢は引き攣った表情を浮かべる。
「けど、これだけは断言するわ」
冗談も程ほどにカガミは最後に一矢にもう一度、話す。
「雨宮一矢、アナタは必ず前に進める。それはアナタ自身の為に、何よりアナタの事を見ている存在の為に」
確信を持って放たれるカガミの言葉。それだけカガミも一矢を信頼しているからこその言葉なのだろう。
「どうすれば良いか……だったかしら。なら答えを見つけなさい」
最初に一矢が口にした言葉にカガミなりに答える。
「なにがあっても後悔しない答え。その為には様々ことに耳を傾け、導き出しなさい」
そう言ってカガミは懐からメモ書きを取り出し、一矢に渡す。
「これは……?」
「アナタに渡しておこうと思って。アナタの道しるべになってくれる筈よ」
カガミから渡されたメモ書きの内容を見て、一矢は戸惑いながらカガミを見やると微笑みを見せながら彼女は立ち上がる。
「答えが見つかったら教えて頂戴」
そう言ってカガミは伝票を持って席を離れると、会計を済ませて店を出る。残された一矢はカガミに渡されたメモ書きの内容を再び見つめるのであった……。