あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。シュウジとヴェルに別れを告げられた一矢はその事を受け入れる事は出来ず、拒絶するようにあの場を飛び出した。
長い時間が経った気がする。しかしその間の記憶が全くないのはそれだけ我武者羅に走り続けたと言うことだろう。
「──っあ! はあっ! はぁっ……! はぁっ……!」
長いこと走り続けたせいで息切れを起こした肩を激しく上下させて呼吸をしながら一矢はそのまま路地裏に入り込み、壁に背を預けてそのままズルズルと座り込む。
「あぁもう何なんだよッ……!」
もう一矢の頭の中はパニック同然になっていた。ただでさえロボ太の一件が尾を引いていると言うのに、拍車をかけるように別れを告げて来たシュウジ達。まるで悪い夢でも見ているかのようだ。
「クソッ……!」
真っ先に出て来た感情は激しい苛立ちであった。子供の我儘のようにここに居れば良いなんて言ったがシュウジ達がそうは出来ないのは頭では理解している。
だからこそするべきことがある筈なのに、それが何なのか、どうすれば良いのか、そして何よりあんな態度を取ってしまった自分自身に激しい嫌悪感を感じてしまう。
「……っ」
ふと携帯端末がバイブレーションによって震える。もしかしたらミサなのだろうか、そう思って携帯端末を取り出す。
相手は優陽であった。渡された連絡先の中にあったトークアプリのIDで一応、優陽のIDは友達追加をしていたのだが、まさか早速トークアプリを通じて電話をかけてくるとは思わなかった。
「……もしもし?」
暫く液晶画面を見つめていた一矢だがやがて電話に応じる。それは少しでも今の気分を変えたくて行ったからに他ならなかった。
≪あっ、もしもし? 早速、友達追加してくれたみたいだから電話掛けちゃったっ≫
電話口から聞こえてくる優陽の声は相変わらずキャラメルのように甘い声だ。それに此方に何があったかは全く知らない為にとても明るかった。
「……何の用だよ」
≪んー……特にないんだけどね。でも今日折角出会えたわけだし、挨拶がてらの電話かな≫
先程の一件もあって僅かに刺々しい物言いで話す。しかし優陽は特に気にした様子もなく電話をかけてきた理由を明かす。
「随分としょうもない電話をかけてくるんだな。くだらない事に時間を使わせるなよ」
優陽に非はないのだが明るく話してくる為にそれが今の一矢の癪に触っているのだろう。顔を顰めて棘のある言葉を吐く。
だがそれがまた一矢の自己嫌悪を引き起こされる。これはただの優陽へ八つ当たりをしているに過ぎない。優陽は何も知らないし、優陽からの電話に応答したのは自分なのだから。
≪……大丈夫? 何かあったの?≫
だが優陽は先程の辛辣な物言いに対しては何も言わず、それどころか一矢を心配してきたではないか。下手をすれば反感を買い、怒らせてしまうかもしれないのに。
「……なんでそんなことを……」
≪なんか声に自棄になってる感じがするんだよね。何かあったら聞くよ?≫
優陽の反応に戸惑う一矢だが優陽はあくまで下手な言葉に反応するのではなく冷静に対応する。
≪それとも何だったらウチに来る?≫
・・・
(……来てしまった)
結局、優陽に流されるまま一矢はトークアプリに送られた優陽の自宅の近くまで来てしまった。優陽の誘いに何故乗ったのかは分からない。もしかしたら優陽の電話に応じたように少しでも環境を変えて先程の事を忘れて気分を変えたかったのかもしれない。
「──あっ、こっちこっち!」
優陽の自宅は知らない為に周囲をキョロキョロと見渡していると向こうから声をかけて来た。声がする方向をそのまま見やれば、イラトゲームパークで出会った優陽が手を振っていた。
「えへへー、まさかこんなに早く会うとは思わなかったよ」
呼ばれるまま優陽に歩み寄る一矢に両手を背中の後ろで組み、少し前屈みになりながら優陽は可憐な笑みを見せる。その様子から心底、嬉しそうにしており、先程の一矢の態度も一切気にしていないようだ。
「さっ、立ち話もなんだし、ホラ入って入って」
とはいえ、一矢は一矢で先程の自身の態度に思うところがあるのか、ここまで来たのは良いもののバツの悪そうな顔をしている。そんな一矢の手を掴むと優陽は早速門扉を通って玄関の扉を開き、一矢を案内する。
・・・
優陽の自宅に足を踏み入れた一矢。品のある内装が視界に広がるなか、玄関の開かれた音に反応して奥のリビングの扉が開かれる。
「あらぁ、こんばんはー」
「こ、こんばんは……。こんな時間にお邪魔します……」
そこにいたのは桃色の髪を靡かせた女性と少女であった。一矢に笑みを見せながらマイペースでゆったりとした口調で話しかけると、一矢はおずおずと挨拶をする。
「何があったかは知らないけど、ゆっくりしていってくださいね」
若々しい外見ながら落ち着いた物腰とその柔らかな顔立ちと髪色からこの人物が優陽の母親なのだろう。優陽の母親に言われるまま一矢はコクコクと頷く。
「あれ、雨宮一矢さん……?」
「えっ、ああ……」
「本物なんだ……」
すると優陽よりも幼さが残る少女が一矢の顔をまじまじと見ている。恐らくは優陽の妹なのだろう。まさか名前を言われると思っていなかった一矢はおずおずと頷くと心底、驚いたような反応を見せていた。
「部屋は優ちゃんの部屋で良いとして、布団とかは……」
「あぁ、そこら辺は気にしないで良いよ」
そんな妹の隣で人差し指を右頬に添えながら何やら考え込んでいる優陽の母親を見ながら、先程彼女が口にした布団と言う言葉に一矢が首を傾げていると、優陽は手をひらひらと動かしながら答える。
「そう? じゃあ後はお願いね。パパとママ達はもう寝るからー」
「うん、おやすみー」
優陽の言葉に安心したように微笑みを見せながら優陽と手を振り合って最後に一矢に軽く会釈しながら二人は二階のそれぞれの寝室へ向かって行った。
「……なあ、布団って?」
「ん? あぁ、お母さん達には“家出した友達を泊めてあげたい”って言ってあるんだ」
母親と妹の姿が見えなくなるまで手を振っている優陽に先程、優陽の母親が口にしていた布団と言う言葉について尋ねるとあっけらかんとした態度で答えられる。
「……はっ!?」
「もう夜の10時半を過ぎたところだよ? 今から帰れば補導されるかもしれないし」
家まで来たが泊まるつもりはなかったので一矢は驚いて目を丸くするが、優陽は玄関に置いてある小さな時計が指し示す時刻指差す。シュウジ達に呼び出されたのが、19時過ぎだとしてあれからずっと街を彷徨っていた。気付かなかったが、もうそれくらいの時間が経ってしまったようだ。
「色々考えたんだよ。もしかしたら家族と喧嘩したのかとかさ」
夜に電話をした時点で一矢の荒みようから何かあったことは間違いないと踏んだ優陽。色々と想像を働かせて、家族にもそのように話したのだろう。
「それに君、ずっと制服じゃん。泊まれとは無理強いはしないけど少しは休んで行きなよ」
イラトゲームパークで初めて出会った時からずっと宛てもなく街を彷徨っていた一矢の服装はいまだ聖皇学園の制服のままであり、何があったかは優陽は知らないがそれでも家に帰らずずっと行動していたのは分かる。玄関で靴を脱ぎながら一矢を家にあげようとする。
「……ありがとう」
まだ知り合ったばかりだと言うのに、こうまでして気遣ってくれる優陽の好意が嬉しかった。なぜ、ここまでしてくれるのか気にはなるが、それでも先ほどの自分の優陽への態度が申し訳なく感じてしまう。礼の言葉を口にして一矢はローファーを脱いで家に上がる。
その時であった。
──ぐうううぅぅぅぅぅぅ……。
何とも情けない音が玄関に響く。キョトンとしている優陽に対して、一矢は顔を真っ赤にさせていた。
「っ! あっはは、お腹空いてたんだっ?」
すると途端に優陽はくしゃっと顔を変え、腹を抱えて噴き出す。一矢は一日中、町をほっつき歩いていた。さらに言えば、シュウジの一件以降はまともに食事もとっていない為、気を緩めた今、空腹が前面に出たのだろう。
「何か用意するから、僕の部屋で待っててよ」
良いものが見れたとばかりに憎たらしい笑みを浮かべる優陽は自室に案内しながら自身は一矢に何か振る舞おうとリビングへ向かっていく。
・・・
(……なんと言うかイメージ通りだな)
優陽の部屋に案内された一矢は優陽を待ちながら周囲を見渡す。可愛らしい小物などが置かれ、どことなくガーリーな雰囲気がある部屋だ。
「ガンプラ……」
しかしそんな室内でもガンプラや器具の類はあった。ファイターとしてではなくモデラーとして作成したキットも多いようで、中々の出来栄えのガンプラ達がケースに飾られていた。
「……これは……ZZガンダムか」
作業スペースと思われる机には作りかけのガンプラがあった。此方に関してはZZガンダムをベースにカスタマイズされており、出来栄えはさることながら完成間近のようだ。
「……ん?」
しかしその最中でふと目に入ったガンプラがあった。それもカスタマイズされたガンプラなのだが、今までのガンプラとは正反対にどこか歪な印象さえ受けるガンプラがあったのだ。
(……まあ、何を作ろうが勝手だよな)
あのガンプラだけ異質な印章を受けるのだが、今更ながらあまり人の部屋をじろじろ見渡すべきではないと思ったのか、優陽を待つことにする。一応、既に夕香に連絡はしていた。直後に彼女からそれとなく心配した連絡が来たが適当に誤魔化した。もしこのまま泊まる事になっても朝早くに家に帰れば、学校の準備などは問題ないだろう。
「……はあ」
だが問題はまた別の所にあった。それはやはりシュウジ達のことであり、何より自分のことだろう。今の自分の状態を良しとはしないのは自分が一番分かっているのだが、今この状況でどうして良いのかが分からなかった。
「おっまたせー」
すると部屋の扉が開かれ、そこから優陽が姿を見せる。
「おむすび作って来たよ。この時間だからこれしか作れなかったけど……」
その手に平皿に三個ほど作られた三角形の海苔で巻かれたおにぎりがあり、優陽はそのまま一矢の近くのテーブルの上に置く。
「い、いただきます……」
「はい、どうぞ」
ありがとうと感謝の言葉を口にしながら優陽が作ったおにぎりを頬張る。優陽が見守るなか、絶妙な塩加減で作られたおにぎりは空腹の一矢にはこれ以上ないほど贅沢に感じられた。
(……あったかい)
出来立てというのもあるのか、口に含んだおにぎりはとても温かく美味しく感じられた。それは何より人の手で丁寧に、まさに真心が籠ったからに他ならず、この温かさは心まで満たしていくかのようだ。
あっという間に一つ目をペロリと食べ終えた一矢は二つ目のおにぎりを手に取って食べ始める。これもやはり温かく、胃どころか心を満たそうとしてくれる。
「……あ……れ……?」
不意に視界が滲んだ。途端にボロボロと涙が零れたのだ。とめどなく溢れる涙に一矢は戸惑う。それは優陽の温かな持て成しによって、先程まで心が塞ぎ込んでいた感情が露わになったのかもしれない。
(泣き止めって……)
だが流石にいつまでも人前で涙を流す姿など見せたくない。空いている腕で必死に拭おうとするが、涙は以前、流れ続けたままであった。
「良いんだよ」
何度も何度も目を擦る。だがふと一矢の頭を優陽が撫でられる。腫れた目で見れば、優陽が優しく柔らかな微笑みを見せてくれていた。
「やめろよ……っ」
「ゴメンね。でも今の君は放っておけないんだ」
手を払おうとするが優陽はそれでも一矢の頭を撫で続ける。何かあったのは分かっていたが、突然、泣き始めた一矢を見て、黙っている事は出来なかった。
「だからね? もう変に気を張ったり、斜に構える必要はないんだよ?」
まるで幼子に接するかのように慈しみのある温かで優しい言葉が一矢にかけられる。
「涙は流すものだから辛い時は思いっきり泣いていいんだ。だから今だけは素直になろ?」
今の優陽に言葉をかけられる度に、必死に頭を撫でていた手を振り払おうとしていた腕の力も弱々しくなっていく。
「辛かったんだね……。もう耐えきれなかったんだね……。良いよ、我慢しないで溜め込んだ物を吐き出しちゃおうよ」
やがて体を震わせてボロボロと嗚咽交じりに涙を流し続ける。優陽は一矢に何があったのかは知らない。それでも一人の少年がこうなってしまうほどの出来事があった事は理解しているのだろう。ただ今は一矢の心のケアに専念するように頭を撫でつつ、その背中をポンポンと叩くのであった。