「ただいまー……」
一矢が優陽と出会ったのと時を同じくして制服姿の夕香は自宅に帰って来ていた。学校帰りの疲れもあって、僅かに気怠そうな雰囲気を醸し出している。
(……イッチは帰ってきてないんだ)
ローファーを脱ぎながら、ふと足元の靴を見やる。登校する際に一緒にいた一矢のローファーはない。学校終わりに一矢は足早に教室からいなくなってしまったのだ。
一矢はロボ太の一件で、かつての聖皇学園のガンプラチームを脱けた時のような本当の無気力な人間に戻ってしまった。あの時はミサとの出会いが一矢を変えたが、今はその切欠となるものがない。
どうにかしたいと思っていても、大切な存在を失った一矢にどう声をかけて良いかは分からず、もどかしさだけが支配する悶々とした日々が続いていた。
「あら、帰ってきましたのね」
自室へ続く階段を昇った夕香に声をかけたのはシオンであった。彼女に宛がわれた部屋の扉は開いており、そこから声をかけて来た。
「ただい、ま……」
部屋の入り口に手をかけ、シオンの言葉に応える。しかし先程まで気怠そうであった夕香もシオンの部屋を見てその言葉が途切れてしまった。
「あら、どうしましたの?」
夕香のその反応が可笑しそうにシオンはクスリと笑った。夕香は複雑そうな表情を見せながら、視線を彷徨わせる。それはまるで目の前の光景を直視したくはないとばかりに……。
(どうしたのって……)
何故なら目の前に広がる室内の光景はあまりにも質素だったからだ。それは部屋の真ん中にいるシオンが部屋の片付けと共に自身の荷物を纏めていたからに他ならなかった。
「……アンタは……その……もう帰る……んだよね……?」
「ええ。後、大体一週間前後で日本を発つ予定ですわ」
シオンのホームステイももう終わりの時が近づいているのは分かっていた。分かっていたはずなのに、いざその時を連想させる光景を目にすると言葉を失ってしまうというのが正直なところであった。
「……平気そうだね」
寂しくないと言えば噓になる。しかし目の前のシオンは全くそう言った様子を見せないのだ。いつもと変わらないシオンに安心はするが、それでも自分だけが寂しい想いをしているのだろうかと思ってしまう。
「夕香、こっちにいらっしゃいな」
そんな夕香を見たシオンは僅かに考えるとベッドに腰掛け、ポンポンと叩きながら呼び寄せる。まるで妹か何かに接するかのような優しい声色に夕香は言われるがまま隣に座る。
「アナタと出会ってから、もうあっと言う間ですわね」
「なにさいきなり」
夕香が隣に座ったのと同時にかつてのジャパンカップでの出来事を振り返り出すシオンにいきなり出会った時のことを話題に出されて夕香は苦笑してしまう。
「GPが滅茶苦茶とはいえ、勝つだけではなく、わたくしのキマリスを壺みたいと言ったアナタへの印象は最悪でしたわ」
「お互いさまって奴でしょ。アタシだって面倒臭い印象しかなかったし」
かつてジャパンカップでの出会いを振り返り、第一印象を口にするシオンだが夕香も夕香でシオンへの第一印象など面倒くさい以外の何物でもなく、お互いの印象は散々であった。
「しかし、この雨宮家にホームステイすることになり、わたくしはアナタと……アナタ達と色んな時間を……様々なものを見てきましたわ」
出会ったのは夕香だけではなかった。そこから裕喜や一矢達、この日本に来て、様々な人間達と出会い、色んな事を学んできたつもりだ。
「わたくしはアナタの様々な面を知っています。だからこそアナタをいくらでも罵倒することができますわ」
「ちょっ」
シオンと過ごした日々は長いようで短い数か月間の間であった。その月日でお互いを知る事が出来た。勿論、それは悪い面も含めてだ。
「ですがアナタの良さも知っていますわ。だからこそライバルであるアナタがわたくし以外に好き放題言われるのであれば、わたくしは矢面に立ってでも否定して差し上げますわ」
自分よりも夕香を知らないような人間に彼女を否定するような言葉があれば真っ向からそれを否定する。優しい微笑みと共に口にされたその言葉に夕香は思わず気恥ずかしさから顔を反らしてしまう。
「今だから言えますが」
そんな夕香をクスクスと笑いながらシオンはベッドから起ち、纏めた荷物の中から何かを探し出すと夕香は何か首を傾げる。すると程なくしてシオンは探し物を見つけたようだ。
「何を隠そう、ゔぃだーるはこのわたくしですわ」
「知ってた」
パッと振り返りながら自身の顔の前に出したのは、ンプラ大合戦の際に現れた鉄血の仮面美少女ゔぃだーるが使用していたあの鉄仮面であった。しかしあの時から分かり切っていたので、夕香は今更かと言わんばかりだ。
「……オホン。あの時はこれを身に着けましたが……」
調子が崩されてしまったシオンは軽い咳払いをしつつ、再び夕香の隣に座ると話を続ける。
「今ならばこんな仮面を着けなくとも、アナタに何かあればわたくしがいの一番に助けになりますわ」
あの時のシオンが仮面を着けたのは何よりシオンが夕香に手を貸すという状況をシオン自身が素直に受け入れられなかった為だ。だが今は例え何であろうとシオンはシオンとして夕香に手を貸すつもりだ。
「寂しくないと言えば噓になります」
夕香の頬に手を当てながらシオンもどこか寂しそうに笑う。シオンだって何れ訪れる別れの日に寂しい想いを募らせているのは夕香と同じだ。
「ですがアナタの中にわたくしがいるのであれば、わたくし達は離れ離れにはなることはありませんわ」
今でこそこうやって間近で話すことは出来ても、シオンがイギリスに帰ればそうは出来ない。しかしだからといって、お互いの存在がなくなってしまうわけではない。
こうしてシオンと話せる時が来るとは思いもしなかった。だからこそ体は震え、胸は熱くなり、視界が滲み始めてしまう。そんな夕香を見て、シオンは柔らかに微笑むとそっと彼女を抱き寄せる。
「なに……すんのさ……」
「友が泣きそうになっているのであれば、胸を貸すくらいの度量は持ち合わせているつもりですわ」
抱きしめられた体に広がるシオンの柔らかな体温と甘い香りはまさにシオンに包まれているような感覚を味わう。震える唇で尋ねれば、シオンは夕香の頭を撫でながら優しく答えてくれた。
「……アンタみたいな人、そう簡単に忘れられる訳ないじゃん……」
夕香の中にシオンの存在は確かに根付いている。今更シオンを忘れられる訳がなかった。
「……アタシ……も……シオンがいなくなるのは……っ……寂しいよ……」
今、夕香の頭をシオンの胸に抱いている為、彼女からは夕香の表情は見えない。だからこそなのか震える唇で放たれた言葉と共に頬に熱い涙が零れ、己の心中を明かした夕香はシオンの身体に手を回す。
「言いあったり騒いだりしてたけど……でもいつだって一緒にいるときは笑ってられた……。シオンの事は……本当はすっごい好きだよ……。親友だって……心から言える……」
今、この瞬間のシオンの声は全て胸の中に響いている。素直に明かしてくれた彼女に応えるように己の心中を明かす。
「シオンになら……アタシの弱さも……隠さず曝け出せる……。アタシが辛い時はシオンが支えてくれた……。だから本当にッ……ありがとう……っ……。シオンと会えた事は……何にも代えられないよ」
弱さは弱さだ。だからこそそう易々と明かせない。弱いと思われてしまうから。だからこそ夕香の弱さは一矢もウィルもあまり多くは知らない。しかしシオンは夕香の弱さを知っている。そして何より、夕香自身もシオンにならばどんな弱さも曝け出せるのだ。
「……この別れは一生のものではありませんわ」
始めて明かれた夕香の包み隠さない自分への想いを聞いたシオンも胸が熱くなるのを感じながら、涙声を交えて夕香を強く抱きしめる。
「……わたくし達はまた会えますわ。こうして触れ合う事もきっと……」
すぐにまた会うことは出来ないかもしれない。だがもう二度と会えないわけではないのだ。だからこそその繋がりを示すように強く抱きしめる。
「だからこそ、わたくしが日本を発つ時は“さようなら”ではなく、“またね”と別れましょう」
「……うん」
こういう時のシオンは自分に持ち合わせていない高貴を見せるからズルいと感じてしまう。だからこそシオンに憧れてしまう部分もある。そんな事を想いながら抱きしめられた夕香はコクリと頷く。
「……シオンの紅茶が飲みたい」
「何を所望で?」
夕香とシオンが抱き合って暫くすると、ふと夕香が口を開く。それはシオンがよく淹れてくれた紅茶が飲みたいというものであった。
「アップルティーが良いな」
シオンのアップルティーには思い入れがある。彼女との距離が近づいた時の印象があるからだ。シオンから離れ、僅かに赤く腫れあがった目を擦りながら、柔らかに笑う。
「では、用意しますわ。一緒に参りましょう」
アップルティーを用意する為にはリビングに行かねばなるまい。立ち上がったシオンはまるでダンスを誘うかのように窓から差し込む陽を背にして夕香に手を伸ばすと、一瞬、その姿にも見惚れたものの夕香はその手を取って立ち上がる。
「あっそうだ」
一緒にリビングへ向かおうとした矢先、何か思い立ったようにシオンは足を止める。どうかしたのかと首を傾げる夕香であったが、シオンが手に取ったのはゔぃだーるの鉄仮面であった。
「これはアナタに差し上げますわ。何でしたら二代目仮面美少女を継承しても……」
「いや、それは遠慮しとくわ」
「なんでですのっ!?」
ゔぃだーるの仮面を向けられるまま受け取る夕香ではあったが、二代目の話題が出た瞬間、仮面自体は受け取っても速攻で断りを入れる。しかしシオンは納得できないのか、先程までの空気とは一転して言い合いをしながら二人はリビングへ向かっていく。その口元にはお互いに楽しそうな笑みが浮かんでいた。