「うーん、どーしても言いたくないってんなら風香ちゃんにも考えがあるんだけどなー」
風香がリーナを抱きしめて、かれこれ数分が経った。リーナはいまだに自身の口からは己の抱える悩みは口にせず、拒否するかのように抱きしめてくる風香からは顔を背けている。頑固に感じるリーナの姿に苦笑しながら風香は彼女の耳元にそっと顔を近づける。
「翔さんとかに言っちゃおうかなぁ? リーナちゃんが悩みまくって悶々としてるってぇ」
「……っ!」
悪戯っ子のように目を細めながら耳元で囁く風香にリーナは目を見開いた。
「……分かっ……た……。だから……翔達には話さないで……」
「しょーがないなぁ」
翔、ひいてはレーア達に自分が胸に抱えている悩みは知られたくないし、迷惑をかけたくはない。絞り出すようにようやく口を開くと話す気になった彼女の姿を見て、しめしめとわざとらしく笑いながらリーナを解放する風香の姿を横目に恨めしく感じる。
「……私の生まれは特殊。……母親がいて出産……とは違う」
クローンとして生まれたリーナはそもそもの生まれが普通の人間とは異なる。
だから外見こそ風香達と同じくらいの年頃に見えるが、実は実年齢としては十歳に差し掛かるか否かという年齢だ。シーナのクローンとしてヴェルターの都合で“作成”されている時から教養は受けているもののそれでも実際に五感で感じるものについてはまだ新鮮に感じるものの方が圧倒的に多いのだ。
「他とは違うから。私の代わりはその気になれば“作れてしまう”から。……私は自分の命に自信が持てない……。だからこそ私は考えてしまう……。私はどうすればヒトになれるのか……どうすれば、ヒトとしての生き方が出来るのか」
風香はある程度こそリーナ達の事は知っているとはいえ、あくまでクローン云々に関しては伏せたまま、それでも己の悩みを打ち明ける。
「……ヒトねぇー。随分と哲学的なことで悩んでんだね」
話を聞き終えた風香はある程度、深刻に悩んでいたのが分かっていたとはいえ根が深いであろうこの問題に話の途中でプラプラと両足を動かしながら何気なしに口を開くと、その態度に自分で聞いてきたくせにと文句を言わんばかりにジロリと見やる。
「いやまあだってねぇ……。そりゃ私が可愛いってことは知ってても正しい人の生き方なんて分っかんないし。それはここにいる人達だって同じじゃん?」
リーナの視線に気づいた風香は肩を竦めながら、やれやれと言った様子で周囲を見渡しながら答え始める。この駅前にいる人々にはそれぞれ自分の人生があり、自分だけの生き方をしているのだろう。それをこれが正しい、これが違うだなんて言えない。
「そりゃあさー。私の能力もリーナの出生も何かに決められた自分の運命なのかもしれないよ? それはどうしようもないことだけどさ。ただ受け入れるだけじゃなくて、そこからどうするか、それこそ抗うように生きる事は出来るはずじゃん」
ブラブラと動かしていた足を組み直して、ベンチの後ろに両手をついた風香は空を仰ぎ見ながら話し始める。自分もかつてはエヴェイユについて、いや、読心能力に苦しみ、思い悩んでいた事がある。それでも前向きなれたのは碧や翔をはじめとした様々な人間に出会えたからだろう。
「リーナの代わりは作れるかもしれないよ? でも、それは代わりであって今ここにいるリーナにはなれないよね? 今ここにいるリーナはこれまでの色んな体験をしたから今のリーナなんでしょ? 出自は変えられなくてもそこからの未来は変えられるんじゃない。だってリーナはリーナだし」
クローンであるリーナの代わりはまたクローンで、と言えば単純なのかもしれない。
だがそれは今ここにいるリーナにはなれない。これまでの十年近い様々な積み重ねがあったからこそここにいるリーナ・ハイゼンベルグを形成しているのだから。
「良く言うよね、生まれは関係ないって。そーいうことじゃない? 少なくとも、そうやって悩んで難しい顔するって凄く人っぽいって思うけど」
あっけらかんとリーナに笑いかける風香に、その言葉を聞いたリーナは何か考え込むように俯いていた。
「まぁ、でもでも」
俯いて眉間に皺を寄せて考えこんでいるリーナを横目に見た風香は身を寄せると彼女の顎先に両手をかけて持ち上げ自身に向き直らせることで風香とリーナは至近距離で見つめ合う。
「うん、どうせなら笑ってた方が良いよね。そうしてれば風香ちゃん並みに可愛くなれるかもだし」
そのままリーナの両頬を引っ張って笑顔を作る。強引に作ったものではあるが口角をあげたリーナを見て、風香もつられるように晴れやかな笑みを浮かべる。暗い顔をするよりも笑顔で可愛くいた方が楽しい、それが風香の持論だったからだ。
「さっ、こんなところでじーっとしててもどーにもならないよ」
パッとリーナの頬から手を離した風香は立ち上がると、そのままスカートについた埃を軽く両手で払いながらリーナの手を掴んで立ち上がらせる。
「今日は風香ちゃんが色んな所に連れてってあげよう。良い刺激を受けるかもかもだしねっ」
「……そんないきなり」
「風香ちゃんも今日はOFFだしねー。今日を逃したら風香ちゃんの可愛さを独り占め出来る機会がなくなっちゃうかもしれないんだよ」
いきなり立ち上がらされて唖然としているリーナだが、風香はお構いなしにそのままリーナをつれて歩き始める。流石にいつまでも自分といさせるわけにはと渋るリーナだが、風香は明るい笑顔を手を繋いだリーナに向けながらそのまま彩渡街を散策していくのであった。
・・・
リーナが風香に解放されたのは夕方過ぎであった。最初こそ乗り気ではなかったが、明るく盛り上げる風香もあってか何だかんだで楽しむことは出来たのが疲れはある。マンションに帰って来たのは19時を差し掛かる時間であった。
「──おっ、リーナじゃねぇか」
マンションのエントランスに入ろうとしたところを背後から声をかけられる。振り返ったそこには翔とシュウジの姿があり今、丁度帰って来たのだろう。
「一人でどうしたんだ?」
「……風香と遊んでた」
見たところ今のリーナは一人のようだ。レーア達と一緒ではないかと尋ねる翔にリーナはありのまま伝える。しかしその内容に翔とシュウジは驚いたように顔を見合わせた。まさかリーナがこの世界の人間と、よもや風香と一緒に遊んでいたとは思いもしなかったからだ。
「「「ただいま」」」
二人でなにをしていたのか、そんな話を三人でしながらマンションに帰って来た翔達は三人揃って声を上げると、室内で翔とシュウジの声にレーア達が反応する。
「……どうした、みんな?」
「……翔、シュウジ。アナタ達も男性なのだから仕方がないと言うのは重々承知の上で聞くわ」
室内に入ったもののレーア達の様子がおかしい。「おかえり」と出迎えてくれるのだが、その言葉すらもぎこちないのだ。流石に不思議に思った翔が声をかけると、四人は互いに誰が口火を切るかと目配せしていると、一呼吸したレーアが重い口を開く。
「……この雑誌の持ち主はどちらなのかしら?」
するとレーアは傍らに置いていた例のエロ本を取り出し、テーブルの真ん中に置くと翔とシュウジの二人は固まる。よもや仕事終わりにエロ本を突きつけられるとは思っていなかったからだ。
「レ、レーアさんの言う通り、二人とも男の子だから仕方ないって分かってるよ!?」
「で、でも一応、ね? べ、べつに私はシュウジ君でも……その……」
すると今度はルルとヴェルが一応の理解を見せながら、二人をフォローするように話すがそれでもいざこの瞬間が来ると、しどろもどろになってしまう。
「……それでどちらなのかしら?」
何とも言えない空気がこの室内を支配し、翔と特にシュウジは冷や汗をかいている。するとカガミがじろりとした鋭い眼光を二人に向けながら尋ねる。
「……」
するとシュウジは観念したようにそっぽを向きながら、ビクビクと手を上げ、翔は「やってしまったな」とでも言わんばかりに片手で顔を覆っていた。
「シュ、シュウジ君……。そ、そっか……シュウジ君……なんだ……」
「すいません、ヴェルさん……。その……魔がさして……」
「ううん……その……。シュウジ君には不自由な想いをさせちゃってるとは思うし……」
翔ではなかった、とレーア達が安堵するなか、どこかショックを受けているヴェルはそのままエロ本を自分に引き寄せながら呟くと流石に悪いとは感じているのかシュウジが謝り始めるが、奥手だと自覚しているヴェルは首を振りながら答える。
「……ところでその……そいつは……」
しかしいつまで経っても、ヴェルはエロ本を胸に抱いたまま離すことはなく、流石におかしく思い始めたシュウジが尋ねると……。
「いや……その……後学のために私が持っておこうと……」
「後学!?」
「い、いざと言う時にシュウジ君に不自由な想いをさせたくないしねっ!? 大丈夫! 私がちゃんと勉強しておくから!! 私がリードするからぁっ!!」
エロ本を手放さないのには理由があったようだ。その理由を聞いて唖然とするシュウジに顔を真っ赤にして慌てふためきながらヴェル自身でも良く分からないことを叫ぶ。
「……頭痛くなってきた。ここでやってくれるなよな……」
混乱しているヴェルと何とか宥めようとするシュウジを横目に呆れるようにため息をついた翔は冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出そうと手をかける。
「……ん?」
しかし不意に自身の裾を掴まれ、振り返ってみればレーア、ルル、カガミの三人がどこか頬を染めながら立っていた。
「あれがシュウジの物だという事は分かったわ」
「でも、翔君だって持ってるんだよね……?」
「……出来れば、見せて頂ければ」
しかもよりにもよって思いもしなかった言葉が三人の口から放たれ、翔はミネラルウォーターを持ったまま固まる。
どうやらエロ本を巡った騒動のせいでレーア達も今日はどこかおかしくなってしまったようだ。ここに風香やあやこも加わっていればどうなっていることやら。
「……いや、なぜわざわざ見せなくちゃ……」
「後学の為……かしら」
「後学!?」
だがその辺りはあくまで自分のプライバシーだと言う事でそっとしておいてほしい。だがレーアの言葉に翔も唖然としてしまう。
「……ふふっ」
あちらこちらで騒ぎとなっている状況を見て、リーナは思わずクスリと耐え切れないように人知れず笑ってしまう。
(これを面白いって感じるのは今の私だからなんだよね……。だったら私は……私が感じるままに生きよう。それがきっと正しいかどうかわからなくたってヒトの……私の生き方なんだと思うから)
傍から見る分には中々愉快な光景となっている今の状況。そんな光景を見ながらリーナは風香とのやり取りを思い出しながら考えに耽る。クローンという出自は変わらないのかもしれない。だがこうやって今の自分だからこそ感じられるまま生きて行くことこそがヒトの生き方と考えるのなら少しは靄も晴れる気がするのだから。