シャッハさんにパンプキン持たせたら最強じゃね?
苦もなく屋敷内に侵入したロールシャッハ。月明かりに照らされているとはいえ、廊下は薄暗く視界は余り効かない。尤もそれは常人の話であって彼にそれは当てはまらなかった。不自然なまでに強化された眼は暗闇をものともせず、鮮明に映し出す。
見つからないよう注意を払いつつ内部を駆けずり回り、ロールシャッハはやっと発見した。物々しい面持ちでドアの前に立つ一人の兵士。何をそこまで警戒しているのか、右手の剣が忙しなく動いている。先程尋問した兵士の言葉を信じるならばあそこが妻か娘の部屋だろう。
(UUUMM……)
廊下の角に身を隠しながら耳を傾ける。眼と同様に常人離れした聴力は兵士の動向を逐一拾い上げるのだ。やや早い息遣い、鳴動する心臓の鼓動。明らかに不安を感じさせる気配である。
やはり同じか。恐れているのだ、報復を。ナイトレイドに限らず悪を裁く者はいるだろう。いつ何時彼らが襲って来るか、怖くて怖くて堪らない。あくまでロールシャッハの勝手な想像だが、いずれにせよ強い緊張状態であるのは確かだ。今ならば簡単に対処出来る。
「!? な、何だおまっ───」
隼の如く角から躍り出たロールシャッハ。常人では捉えられない速さで拳を突き出し、鳩尾へと送る。深々と刺さる固い拳は兵士の意識を一瞬で奪い取った。
(………………お粗末すぎる)
程度が低い。のした兵士を見下ろしながらロールシャッハはやや呆れを覚えた。この有り様だと屋敷にいる兵士達は誰も彼もたかが知れるというもの。無論、自身が熟達したヴィジランテということもあるが、しかしそれを差し引いても大した実力はないと言える。これではナイトレイドどころか、生半可な犯罪者連中にさえ打ちのめされてしまうのではないだろうか。
だがそんなことはどうでもいい。今すべきことは悪を裁くこと、たかたが私兵程度に関心を寄せている場合ではない。
気絶している兵士を無造作に放り投げ、ロールシャッハは扉を静かに開ける。妻か、それとも娘か。どちらだろうとも普通なら熟睡している筈の深夜帯、その華奢な首をへし折るのは容易い。それにここの住人がクズだというのは分かり切っている。容赦する理由はどこにもない。足音を立てないようベッドに近付くが、そこでロールシャッハは異変に気付く。
「…………いない?」
広々としたキングサイズのベッド。大の大人が優に三人は入るであろうそこに人の姿はなかった。しかしシーツを触るとまだ僅かに暖かみを感じる。この部屋から出て間もないのだろう。
こんな時間に一体どこへ向かったというのだ?その答えは実に明白だった。
(納屋か)
拉致した者を虐げるだけの倉庫。先程兵士を組み伏せた時に示された場所には確かにそれらしき建物は見受けられた。間違いなく、そこへと足を運んだのだろう。罪のない人間をただ弄び、いたぶる為に。
怒りが込み上げるロールシャッハだが、ふと傍にあった机に目が付いた。整然とされた机の棚には幾つもの日記らしき本が並べられている。背表紙には何も書いていない。一見しただけでは単なる本に見えるが、ロールシャッハは何か言い知れぬ暗いものを感じ取っていた。
適当な本を手に取り、ページをめくる。そこに綴られていた文字にロールシャッハは目を見開いた。
「…………クズが…………」
拷問の記録。あらゆる方法で人を虐げた内容が、そこには嬉々として書かれていた。
眼球を抉り、爪を剥ぎ、内蔵を引きずり出す。生々しく、それでいて絵空事のように脚色された文を見るだけで目を覆いたくなるような光景がまざまざと浮かぶようだ。
文面から読み取れたがこの日記は妻のものらしい。夫や娘と共に拷問を楽しんだという巫山戯たことが書かれている。
更なる憤怒、憎悪。冷たい業火の爆発が、幾度も心臓の中で繰り返される。血は燃え滾るように熱く、それでいてかつてなく冷酷に。絶対の断罪を再度誓い、ロールシャッハは部屋を後にした。
何としてでも殺す。この一家の全員を、必ず。虐げられた人々の苦痛を、無念を晴らさねば。彼らの未来を奪った者に報いを与えねば。
そうでもしなければ、彼らの魂は救われない。
巨大な怒りの衝動に任せ、全力で廊下を走る。最早なりふりなど構っていられない。見つかろうが何だろうが関係ない。邪魔する者は問答無用で叩き潰すのみ。
疾駆しながらもロールシャッハは己の感覚を頼りに標的を探り、屋敷内を探索する。いくら広大といえど所詮は家屋、見つけるまでにそう時間は掛からなかった。
(見つけた)
ロールシャッハの耳に届く不快な鼻歌。日記を片手に意気揚々と歩く妻の後ろ姿にどす黒い殺意は加速する。
神速、とはまさにこのことを言うのだろう。姿が霞む程の速度で背後に近付き、ロールシャッハはその小さな頭を鷲掴みにする。そして───
「死ね」
「え?」
───躊躇うことなく固い床へと叩き付けた。
鮮血、脳髄。頭部が粉砕されたことで辺りに赤い血と粘つく体液が飛び散った。当然、ロールシャッハのコートにもべっとりとこびり付くが、こんなものは歯牙にも掛けない。
「HUNH.クズに相応しい死に様だな」
侮蔑を呟くロールシャッハは死体に見向きもせず、再び走り出す。まずは一人始末した。残るは夫と娘の二人、迅速にことを運ばなければならない。もたもたしている分だけ逃走の確率は高まるのだ。
一刻も早く探し出さなければ。そう思っていたその時、ロールシャッハは異様な気配を感じ取り足を止めた。
「───!」
背中に走る悪寒にも似た感覚。強烈な殺気がロールシャッハの身体にのしかかった。並のチンピラなら腰を抜かすであろう鋭い殺気は警戒心を一気に引き上げる。
(やはり来たか)
ここにやって来ることは薄々分かっていた。彼らとロールシャッハの立つ場所は極めて近く、それでいて対極にいる。相入れることは恐らく万に一つもないだろうが、しかし悪を裁く者としての役割は果たさねばならない。この家のクズ共は互いにとって殺すべき標的なのだ。
足を止めたロールシャッハの眼前。大きな窓から見えるのはそれぞれ背丈が異なる男女六人。そのどれもが異様な殺気を放っている。どんなカラクリを用いているのか、何もない虚空に浮かんでいる彼らをじっとロールシャッハは見据えた。
「…………HURM」
ヴィジランテとしてその力を振るっていたロールシャッハ。それはこの地でも変わることはない。悪を裁き、罪に復讐する。それが役割であり使命。
しかし、その役割を果たすのは必ずしも彼だけという訳ではない。どんな世界にも悪を裁く者逹は存在している。ここにおいてのそれが、今目の前にいるナイトレイドだ。
極めて断片的な情報からでしか知り得なかったナイトレイド。そのメンバーが今、ロールシャッハの前に軒を連ねている。手配書で見た面子もいれば、初めて目にする者。実際に手を合わせた訳ではないが、相当の手練ということは何よりこの殺気が物語っている。
しばらくの間───といっても数秒程度だが───対峙する両者。しかしその均衡はナイトレイドによって崩される。
「いよっとぉ!」
「!」
派手な音、それに威勢のよい掛け声と共に窓から突入してくる一人の女。そのグラマラスな容姿は大人の色香が漂う妖艶な雰囲気を感じさせる。生地が少なく肌の露出が多い衣服を纏っているのもあり、そこいらの男ならばころりと魅了されてしまうに違いない。主張の激しいたわわな胸も大きな要因と言えよう。
つまるところ、ロールシャッハが最も忌み嫌うタイプの女性である。
「EHH.淫売め」
溢れ出る多大な不快感と嫌悪感を包み隠すことなく、ロールシャッハは毒を吐く。ただでさえ女嫌いだというのにこのあられもない格好、間違いなく己の身体を売り物にしているのだろう。何とも偏った考えがロールシャッハの脳に思い浮かぶ。
「おいこら。初対面でいきなり失礼じゃないかお前」
「事実だろう。ナイトレイドは売女をメンバーにする程人手が足りてないのか?」
「へぇ。私らがナイトレイドってのは分かるんだ」
「HUNH.あんな気配を出せる連中は限られるからな。それにあの黒髪の少女は手配書で目にしている」
「まぁアカメは仕方ないか」
失礼な物言いに抗議しながらも、ナイトレイドの女、レオーネは目の前のロールシャッハを見据えた。
蠢く白黒のマスク、ボロボロのトレンチコートと帽子、そしてただならぬ雰囲気と対峙しただけで分かるその実力。今回のターゲットとはまるで異なるのは一目瞭然だった。
その上ロールシャッハの登場は予想外のイレギュラーでもある。纏う空気からして恐らくは同業者、それに先の言動から鑑みるに友好的ではない。今回もそうだが、今後の任務の邪魔になる可能性も捨て切れなかった。
だからといって真っ先に始末する、という訳にもいかない。ターゲットではない以上、無闇な殺しはすべきではないのだ。そもそもロールシャッハはかなりの実力者、実際に交戦して勝つのが危ういことを、レオーネは理解していた。
「さーて、見られたからにはただで帰す訳にはいかないんだけど」
「HEH.俺を殺すか?」
「んー……出来るならナイトレイドに入って欲しいんだけど、どう?」
「仲良しこよしをするつもりはない。勧誘しているヒマがあるのか?お前達と俺の標的は恐らくは同じだ。腹立たしいがな」
「その点はシェーレが行ってくれてるから心配ないね。ていうかホントに入ってくれないの?」
「断る」
故に勧誘する。ナイトレイドはいつだって人手不足、相応の人員は欲しい。その点、ロールシャッハの力と信念の強さはまさにうってつけと言えるだろう。ものは試しではないが、とにかくまず勧誘してみる。
が、ロールシャッハはそれを一蹴。レオーネの要求を問答無用で突っぱねた。当然といえば当然の結果である。ロールシャッハのスタイルに仲間は不要なのだ。
「はぁ…………ま、そんなんだろうとは思ってたけど。見られた以上、五体満足では帰さないから。流石に殺すのはアレだから半殺しで勘弁してやるよ」
ゴキリと指を鳴らし、臨戦態勢に入るレオーネ。突如として変わった雰囲気は獅子のそれに匹敵する程の威圧だ。百獣の王の力が宿るその肉体はまさに超人的な力を誇るだろう。
だが、その程度で怖じ気付くロールシャッハではない。
「やってみるがいい、淫売」
拳を前に突き出し、ロールシャッハはファイティングポーズを構える。本来ならこんな女は無視してすぐさま家主を殺すべきだ。だがそれは出来ない。そんな真似が出来る程、目の前の女は甘くはないと分かっていた。
ならば戦うしかあるまい。邪魔する者は叩き潰す、そう決めたのだから。
暗殺集団ナイトレイド対狂気のヴィジランテ。初めて邂逅した両者は、ほぼ同時に己の拳を振りかざした。