第87話
【プロローグ】
「はぁ……………はぁ……………はぁ…………………はぁ………………」
乱れた呼吸が地表を
彼女が部屋から出なくなってから丸2日が経とうとしていた。
その間、当然のことながら彼女の口の中に胃を満たす食物はおろか、喉を潤す水分ですらも入ることはなかった。 周囲からの関係を遮断してしまった彼女に限界が来始めている。
昼夜、悪夢にうなされ、幻覚を毎日のように見続けている彼女の精神はすでに狂いだしていた。 それに付け加えるかのように、栄養を摂取しない体が悲鳴を上げ、脳に正しい信号を送ることができずに悪化の一途をたどらせている。
美しかった体は、痩せ細く、骨格が見えるほどヤツれだす――――――
流れるように滑らかだった髪は、痛みが激しく乱れ――――――
うるおいを保っていた唇は、水気が失せ、枯れ始める―――――
ベッドに横たわり、宙を見上げる彼女の視界には何が見えるのだろうか――――――――?
楽しき日々の思い出か――――――?
喜びをかみしめていた時か―――――?
それとも…あの人との時間か―――――?
………いや、いずれにも正答は存在しなかった。 ただ、自らに降りかかる不幸を見つめ、それを何の抵抗もせずに受け入れようとしていた。
………部屋の隅に潜む、死神ですらも………………………………
―
――
―――
――――
[ 音ノ木坂学院・部室内 ]
「お前たち………ちょっと、伝えたいことがあるんだ………」
彼の発せられた言葉に耳を傾けさせる彼女たち。
その視線がすべて彼に集中し始めた時、それを察した彼の口から決意が示される。
「俺は……今から真姫の家に行く。 そして、アイツを呼び戻す――――」
『!!!!!』
彼から放たれた言葉が風のように彼女たちに打ち付けられる。 それを驚きの表情で見つめる者もあれば、心配そうに震え出す者もいた。
しかし、誰1人として彼を止める者はいなかった。 彼女たち自身も気付いていたのだろう……彼女には彼が必要なのだと――――――
「行ってきて、蒼君。 蒼君ならきっと真姫ちゃんを連れて帰ることができるよ!」
「気を付けてね……もし何かあったら、私たちに連絡してね。 すぐに、蒼くんのところに行くからね!」
「無事を祈っております!」
「頼んだわよ、蒼一……!」
「占いでも蒼一は上手くいくって出とるで。 心配せんと行ってな!」
「もし、真姫ちゃんを連れて帰らなかったら、許さないんだからね!!」
「蒼くん、頑張るにゃ!! 絶対ぜぇ~~ったい、真姫ちゃんを連れて帰ってね!!」
「蒼一にぃ………ファイトですぅ……!!!」
彼女たちからの励ましの言葉を一身に受け、彼はさらに決意を固めた。
迷わず、諦めず、振り返らず、そして――――成し遂げる―――――――
彼に注がれた8人もの想いが1つとなり、1つの結晶として彼を突き動かした。
「行く前に、お前たちに見せておくものがある………」
そう言うと、彼は着ていた上着を脱ぎ始め、その下に来ていたシャツも脱ぎ始めた。
「蒼一! な、何をしているの!!?」
絵里の焦った声が掛かる。 だが、彼の手の動きは止まらず進み続けた。
「お前たち……驚かないで見てもらいたいんだ…………」
彼の上半身を覆っていた衣服がすべて脱ぎ棄てられると、彼はおもむろに背中を彼女たちの方に向けた。
『!!!??』
全身が凍りつくような光景を目にした彼女たちは、彼が見せるものを視界から外すことなく見続ける。 何とも痛ましい姿なのだろうか………心をえぐられるような彼の姿を前に絶句した。
彼を変えた、大きな傷跡を―――――――――
―
――
―――
――――
[ 音ノ木坂学院・正門 ]
「これでいいんだ…………これで………」
彼は、彼女たちに始めて自らが負ってしまった傷跡を見せた。
彼女たちはそれを見るやいなや、驚嘆の声を上げ、すくんでしまった。 始めてみる彼のもう一つの姿に怯え悲しんだ。 彼女たちは、1人1人その傷痕に触れた。 肌白く膨れ上がったその痕が右肩から左腰にまで延び、その傷の大きさに心を痛ませる。
特に、彼が事故に遭い、死の淵にいた時のことを鮮明に覚えていた3人の幼馴染らは、膝を崩して嘆いた。 彼を失いそうになった恐怖を思い返してしまったからだ。
そんな彼女たちを彼は引き寄せ慰める。
そして、彼は誓った………もう、どこにも逝きはしないと…………
別段、このタイミングで見せる必要はなかったかも知れない。
だが、彼は伝えたかったのだ。
自らの決意とその覚悟を―――――
そんな彼の気持ちを汲み取った彼女たちは、さらに、彼を励まし力強めた。
彼はそれに応えるように、ただ一言「いってくる」とだけ言い残して、あの部屋を出て行った―――――
そんな彼は正門まで歩き、彼女たちがいる校舎に向かって振り返る。
夏の訪れを告げるかのような熱を含んだ風が、体を透き通る。
追い風だ―――――
彼が進もうとする道に向かって、突き動かしていくような力強い風だった。 彼はその風を受けると、微笑んで前を向いた。
そして、彼は歩きだす―――――
彼を変えようとする運命に立ち向かうように――――――――――
―
――
―――
――――
[ 西木野家前 ]
彼女の家についた頃、日が少し傾き始めていた。
だが、この時期の日差しは辺りを焼き尽くすような熱を帯びて地表に降り注ぐ。 今日もまた、蒸し暑くなっていた。
(ピンポ~~~ン♪)
家のインターホンを鳴らし、受け手が来るのを待つ。 すると、すぐに返答が来た。
『……どちらさまでしょうか………?』
女性の声――美華さんだと察した彼はすぐに答える。
「蒼一です。 真姫に会いに来ました」
『蒼一くん……!!? あっ……結樹さん!! 蒼一くんが!!』
何か様子がおかしかった………この前会った時よりもかなり動揺し、うろたえていた。 その様子に、心をざわつかせる………
『蒼一くんかい!?』
美華さんの代わりに出てきたのは、結樹さんだ。 彼もまた動揺しており、それを隠すこともなく通話越しに出てくる。
「はい、結樹さん。 どうしたんですか……? 何かあったのですか……?」
『あぁ……今大変な状況なのだ………しかし、ちょうどよかった……キミも早く上がってきたまえ!!』
「は、はい……!!!」
尋常ではない様子の結樹さんの発言に、彼は焦りを感じていた。
何もかもを覆い尽くそうとする、闇―――――これが俺の中に入り込もうとしていた。
それが警報のように鳴り響き、彼を焦らせた。
すぐさま、彼は家の中に入って行った。
―
――
―――
――――
[ 西木野家 ]
「うっ……!!? な、なんだ………この感じは………?!」
家の中に入った彼に当たってきたのは、ベットリとまとわりつくかのような気持ちが悪い感覚だった。 何かが起ころうとしている―――――いや、もうすでに起こっていると言うことを彼は肌身で感じ取った。
「蒼一くん!!!」
結樹さんが階段を急ぎ足で下りながら彼を呼ぶ。 彼が察したとおり、結樹さんの顔には焦りと、青ざめたものが覆っていた。
「結樹さん!! 一体何があったっていうのですか!?」
「大変なのだ………!! キミもすぐに2階に来てくれ!!!」
その尋常ではない様子に彼は2言だけ告げて、共に2階へと急ぎ昇って行く。
向かった先には、部屋の前で彼女の名前を叫び続ける美華さんの姿があった。
「美華さん!!!」
「ッ!!! 蒼一くん!!」
「一体、何があったって言うんですか?! 状況を……状況を教えてください……!!!」
「真姫が………真姫がぁ…………うわあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「美華さん!! しっかりして下さい!!! 真姫がどうしたって言うんです!?」
美華さんは事をすべて話し終える前にその場で泣き崩れた。
何があったのかを問いかけようにも、こうなってしまっては、もう正常に受け答えはできなかった。
代わりに、結樹さんが彼に話をし始める。
「蒼一くん、よく聞いてくれ………」
「結樹さん………?」
「先程、真姫から美華の携帯に電話が来たのだよ」
「真姫からの電話?!」
「ああ、そうだ。 何か様子がおかしいと感じた私たちは真姫の言葉を聴いたんだ………そしたら………!!」
結樹さんは唇をかみしめ、そこから血が出てきているのも知らずに目一杯かみしめた。 ナイフで傷をえぐられたかのような苦痛に満ちた表情が彼を恐怖のどん底に突き落とそうとしていた。
そして、重く震えた唇を開き、衝撃的な言葉を耳にする―――――
「真姫は…………ただ、一言だけ言ってきたのだ――――――――――
―――――サヨウナラ――――――――――と」
「!!!!!!!!!!!!!??????????」
全身の毛が逆立つような衝撃に彼は、眼を見開かせ、この世の絶望を観たかのような表情で結樹さんの言葉を耳にする。
それは、誰もが望まなかった最悪の結末――――――――
それを知ってしまった彼は、不安と恐怖と絶望で心を締め付けられるような息苦しさを感じ取る。 視界が急転しそうだった。 すべての色のある景色が灰色一色へと変わりだしてしまうかのように思えた。
事実を現実であると信じたくない彼は、その場に倒れ込み、地の中に吸い込まれて行きそうな絶望の淵に叩き込まれた。 その淵へ顔まで沈み込み、そのまま息苦しくもがいて息が絶えるまでのほんの一瞬までも安堵させることのない絶望を彼は感じたのだ。
あぁ……なぜそんなことを…………なぜキミは居なくなろうとするのか……………キミは何も悪くはないのに…………どうして、俺の前から姿を消そうとするのか………………
彼は心の中で言葉を発しては、返答の無い答えを求め続ける。
彼は膝から床に落ち、喪失したかのような気持ちでそこに居続けた。
自分では、どうすることもできないのか―――――
これほどにまで、無力なものなのだろうか―――――
彼は果てなき暗闇に迷い込んだ。
もはや、自分の力では抜け出すことができなかった…………。
『あきらめないで……!』
「ハッ………!」
暗闇を突き刺すような一筋の光が彼の視界を照らした。
周りを見回してもそれを発した人の姿はここにいる2人の他見当たらなかった。 その言葉は、どこから来たものなのか検討が付かない。 だが、その一言が彼を勇気づけた。 彼にはわかっていた、その言葉の主が誰であるのかを―――――
彼は足に力を入れ始め、その場から立ち上がった。
こんなところでつまづいてはいられなかったからだ。 体をしゅっとまっすぐに立たせると、一度深呼吸をとる。 そして、現状を深く知るために結樹さんに問いかける。
「結樹さん、真姫が部屋から出なくなったのはいつごろですか?」
「確か……一昨日の未明からだったはずだ………」
「と言うことは、その間に真姫は何も口にはしていないと言うことですね………マズイな……」
彼の頭の中では、彼女の現態の1つに脱水症状に陥っているのではないかと言う考えが思い浮かばれた。 もし、彼女が自ら命を絶とうとするのであるならば、そうした症状を自ら起こさせるものと察したからだ。 それに今日は日差しが強く熱をあらゆるものにこもらせる。 だとしたら、確実に部屋の中は蒸し風呂のように熱くなっているに違いない。 体に含まれる水分を無くすのには十分な事柄が揃った。
あとは、確認するだけ………
「結樹さん、今の真姫は脱水症状に陥っている可能性がある………そう考えていますね?」
「あぁ……今日のこの気温も重なっていることからそうではないかと考えてはいたんだ」
「やはりそうでしたか…………と言うことは、すでに経口補水液の準備が出来ていると?」
「出来ている………だが、当の真姫が出て来れなくてはどうしようもない………」
「そうですか………」
真姫を助ける準備は出来ていたようだ。 後は、ここから出すだけだ……!
「美華さん、そこを退いてもらえますか?」
彼は美華さんを彼女がいる部屋の扉の前から退かせる。 ノブを引いてみて、扉に鍵がかかり開かないことを確認すると、結樹さんに言葉をかける。
「この扉を壊すことになるかもしれませんが……構いませんか?」
「ッ!!? ………う、うむ……構わない。 真姫の命には代えられんが……出来るのかね?」
「やってみますよ………」
そう言うと、彼は脚に力を込める。 通常ならば、脚の速度を速めるために使っていた力を、今回はその応用として蹴り飛ばすために使うようにしてみるのだ。 彼にとっては始めての試みであるが、多少の犠牲があっても躊躇うことはしなかった。
「てりゃあぁぁぁ!!!!!!」
彼は勢いを付け、鍵の部分に目掛けて蹴り飛ばした。
(ガギッ…!!!)
擦れ砕かれたような鈍い金属音が響くと、扉の施錠が壊れ扉が開くことができるようになった。
「よし…! これで中に入れる!」
ノブに手を掛け、中に入ろうとする。
(ガンッ!)
……だが、扉はほんの少ししか開かずに止まってしまった。
「どうしたんだい?!」
「……開きません! まるで、何かにぶつかっているかのようで………!」
「そんな………!!」
力の限り押してもビクともしなかった。
それもそのはずである。 真姫はあの悪夢のような一夜を過ごした後、誰も入らないようにするためにあらゆるものを置いてしまったのだ。 このことを当然、彼らは知るよしもなかったのだ。
扉のわずかな隙間から部屋の空気が漏れ出すだけだった。
「くっ……!! ならば、男手を集めてこの扉を押し開けるしかなさそうだ!!」
結樹さんはそう言って、携帯を取り出してどこかに連絡をしようとした。
「いや! それじゃあ、間に合いませんよ!!!」
「なっ?! どういうことかね!?」
「今こじ開けた時に部屋からの空気が少しだけ出てきました……異常なくらいの暑さです……! その中に、水分を十分に補給していない状態の真姫が入っているんです!! もうそんなに持ちませんよ!!!!」
「そ、そんな…………!!」
彼が放った言葉で状況は悪化の一途を辿って行く。 時間が刻一刻と過ぎて行く度に、彼女が助かる見込みが少しずつ失われていく。 もはや、彼らに猶予はなかった。
「どうすればいい………この最悪な状況………どうすれば中に入ることができるのか………!」
彼は扉を押し続けながら考え続ける。 どうすることが得策なのだろうかと………焦る彼とは裏腹に、時間は刻々と冷静に過ぎ去っていく。
ふと、彼は背後にあった窓から空を眺める。 日差しはまだ強く、この部屋をますます熱くさせてしまうのだろうと考えていた。
「いや待て………これならいけるかもしれない…………!」
何かを閃かせた彼は問いかける。
「真姫の部屋にある窓とその隣にある部屋との間隔はどのくらいありますか!?」
「えっ…! そうだな………2人分の間隔はあるが………何をする気かね!?」
「窓から入ろうかと思ったのですが………その間隔じゃ難しいですね………」
「………いや……難しくないぞ……! 蒼一君、私についてきてくれ!!」
結樹は廊下の奥に向かって駆け出して行くと階段を上り始める。 彼もその後を追うように駆け上がって行くと、そこには、様々なものが置かれる倉庫のような部屋が広がっていた。 そこを突き進むと、結樹は窓を開けて外を眺めていた。
「よし、ここなら真姫の部屋と一直線上にある!」
「本当ですか?! なら、ここから行って窓を開けて中に入って行きます!!」
「ならば、これを使っていくといい」
結樹が取り出してきたのは、この部屋に置かれてあるロープだ。 数十メートルはありそうなその長いロープを見て、彼は中に入る手段を確定させた。
「これならいけます! それでは、使わせてもらいますね!」
彼はロープの端をしっかりと固定されてあるものにくくり付け、もう片方の端を窓から垂らした。
強度をしっかりと確認した彼は、窓から出てゆきロープを伝って降りてゆこうとした。
「待って、蒼一君!」
美華に呼び止められると、彼女からボトルの入ったカバンを受け渡される。
「中に、経口補水液が入っているから、真姫に直接飲ませてあげて頂戴!!」
「わかりました、感謝します!」
「蒼一君!」
「何ですか、結樹さん?」
「この際、物の心配をしているつもりはない………窓を打ち破って中に入りなさい!! 修繕はこちらで何とかする! だから……真姫のことを頼む!!!!」
「……任せてください…………!!」
彼は気持ちを引き締めて降りてゆく。
部屋の窓に来ると、部屋と屋根との関係で彼と窓との間にも間隔が出来ていた。
案の定、窓には鍵が掛かっていて中には入れなかった。
さらに言えば、窓に結露したような水滴とモヤが出ており、中の様子がまったく把握できない様子だった。
「さてと………覚悟を決めるか………!」
彼は体を前後に揺らし始めた。 それは振り子運動のように、重石に勢いを増させる手段だ。 彼も同じように体に勢いを付け始めた。
彼と窓と間隔が十分すぎるほど離れると、勢いに乗った体で窓に向かって体当たりをする。
「いっくぞおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!」
(ガッシャァァァァァァァァァァン!!!!!!)
ガラスと共に金属の窓枠もその勢いで砕け飛んだ。
微粒子のように光り輝くガラスのかけらが、ロープから手を放した彼の体と共に弾き飛び散る。
「よぉ………っと!!!」
彼は無事に中に入ることができた。
入るとすぐに感じ取ったのが、異常なほどの暑さだった。 入っただけなのに、もう額から汗が流れ出てしまうくらいだ。 こんなところに彼女が置かれているとは…………
「そうだ……! 真姫は?!」
辺りを見回すと、彼女はベッドの上で横たわっていた。
「真姫ッ!!!」
彼は問いかけてみるが、反応が無かった。 彼は彼女を持ち上げて状態を見ようとすると、彼女の着ていた服が水で濡れたかのようにずぶ濡れだった。
これらはすべて汗から出たものだ。 これだけの汗が出るとなると、体内から多量の水分が逃げて行ったことになる。 案の定、彼女の肌や唇には潤いが無くなり、カサ付きが出始めていた。 そして、その顔は酷くヤツれていた………
「真姫! 真姫!! おい、返事してくれよ!!!」
彼は彼女の頬を軽く叩き、体を揺さぶるなどの行為をして必死に起こそうと努める。 だが、一向に起きようとしない様子に焦りと絶望が過ってくる。
「だめだ………だめだぞ………起きてくれ…………起きてくれよ………真姫………!!!!」
「……………ぅ……………ぅぅ……………ぅぁ……………………」
微かに彼女の口から声が漏れ出した。 その声を聞き逃さなかった彼は必死に問いかけ続ける。
「真姫か…………! 俺がわかるか…………!?」
その声に応えるように、彼女は少しだけ目を開け始める。 そして、彼を見つめた。
「………そ…………ぅ…………ぃ…………………ぢ…………………」
もうろうとする意識の中で、力を込めて話そうとする彼女の言葉に彼は涙を流し始める。
「そうだ…………そうだぞ……………俺だぞ……………蒼一はここにいるぞ………」
「……そ…………う………ぃ……………ち…………………」
彼女はやせ細った腕をゆっくりと伸ばし始め、彼の顔に触れようとする。
彼はそれを支えるように、その手を掴み、自分の頬にその手を当てた。
実に冷たい手だった――――――
氷に触れているかのような冷たさに体が震えた―――――――
そして、そこから微かに感じる心臓の鼓動を聴いていた――――――
だが、それはあまりにも小さすぎる音だった―――――――――――――
それを感じ取った彼の表情が曇り掛かったかのように暗くなる。
同時に、体全体に悪寒がまとわりつこうとする。
彼は息をのんだ…………ありえない…………そんなことがあってはいけない、と自分に言い聞かせようとする。
だが、現実は非情すぎた。
「……………………………」
「な、なんだ…………? なにか言ったかい…………………?」
抱き始めた不安を取り繕うとするも、上ずったような声を発してしまう。
嫌な予感しか、彼の脳裏にしか過らなくなる。
「(やめろ……………やめてくれ………………………!!)」
彼の悲痛な心の叫びが、表情に出て来ようとする。
必死に顔を力ませて彼女に見せまいとするも、彼女の顔を見ると隠すことができなかった。
「………そう…………いち…………………そう………いち……………」
かすれた弱々しい声で、彼の名前を必死に呼び続けているのを聴くと、彼は震えが止まらなくなる。 全身の毛が逆立ち、視界が曇り始める。
涙が止まることを知らないまま、ボロボロと流れ落ち、彼女の顔を濡らした。 噛みしめた歯の間から悲痛な嗚咽が漏れだす。
「(やめろ……やめろ………やめろ………やめろ………やめろ…………やめろ…………!!!!)」
彼の心臓の鼓動が太鼓を叩くように大きく響く。
なのに、彼女の心臓の鼓動は段々と弱まっていった………………
「…………そういち…………」
彼女のその言葉が聞こえた時、すべての音が消え失せた。
彼女の声と彼自身の声しか聴こえなくなった。
「……あ………あぁ……………あぁ…………………」
彼はこの瞬間を知っていた――――――
何かの前兆であることを彼は以前にも立ち合っていた――――――――
それが、彼女の身に起こるだなんて―――――考えたくもなかったのだ―――――――
「………な、なんだい…………真姫…………?」
彼はできるだけやさしく、そして、温か味にあふれた言葉で彼女の言葉に応答した。
大丈夫………必ず、元気に応えてくれるはずだ……
……あの暗闇の学校でキミを探し出した時のように、俺をなじるような言葉を掛けてくるに決まっているさ………
……だから………
………だから……………………!!
彼女は小鳥のさえずりよりも小さい声でささやいた――――――――――――
「――――――ゴメン―――――――――」
(すぅ――――………)
彼女の手が彼の手から抜け落ちた―――――――――
彼女の瞳が閉じた――――――――――――
彼女の―――――――――――――
心臓の鼓動が―――――――――――――――――――
止まった―――――――――――――――
(次回へ続く)
ドウモ、うp主です。
『哀しき幻想紅姫 Ⅱ ~for Answer~』
第9話でした。
何も言うことはございません。
次回を早めに投稿させていただきます。
更新速度は早い方が助かりますか?
-
ちょうどいい
-
もっと早くっ!
-
遅くても問題ない