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<ジ・・・ジジ・・・・・ザ―――・・・・ザッ!>
白い天井。
白いカーテン。
白い布団。
白い服。
すべて白一色じゃないか
唯一違うとしたら、俺の隣でこまめに機械音を出しているこのバイタル機器の黒い画面くらいだろうか?
「・・・・」
殺風景だな・・・・。
体を動かしてみるか・・・
「ぐっ!?」
背中が痛い!!
そうか・・・【はじめ】が言っていたのはそういうことだったのか。背中に傷ができたのか・・・
「・・・あら!起きたのね!!」
部屋の入り口から看護婦さんがこちらを見て言った。
看護婦さんの存在を確認して、やっとここが病院だって実感することができたような気がする。
「大丈夫?痛むところは無い?」
その看護婦さんは近寄ってきて俺の顔を覗き込むようにして訪ねてきた。
あれ?この人どこかで見たような気がする?
「・・・大丈夫です。今のところ平気です。」
その看護婦さんはほっとしたかのように胸をなでおろした。
「よかったわ・・・娘を助けるときに傷を負って倒れてしまったんだから心配しちゃったわ・・・」
ああ、この人はあの子の母親だったのか・・・
「でも、生きていてくれてうれしいわ。お礼をする前に死んでしまうようなことがあったら、悔やんでも悔やみきれなかったわ・・・よかった・・・」
震える声で話しているその看護婦さんは、今にも泣き出しそうな眼をしていた。
・・・俺はバカだ。あの子を助けるために行動したのに、この人を悲しませるようなことをしてしまうなんて・・・
ほんと・・・無茶をしてしまったな・・・
寝ている状態で話すのも悪いから体を起こすか・・・
「~~~っ!!」
背中に痛みを感じながらも座るような姿勢まで体を起こし、この人と顔を合わせた。
「ちょ、ちょっと?!大丈夫なの!!手術し終わって、傷が塞がっていると言ってもまだ完治していないのよ!!」
「~~っ!!!だ、大丈夫・・・これくらい、平気です・・・!!」
とは言っても、この人が言うように背中の傷はまだ完全に治っていない。少し動かすだけでも、塞がっているところが開いて、そこからまた血が出てしまうのではないかというほどだ。・・・でも、それでも、確認しておきたいことがあるんだ・・・!
「あの・・・あの子は無事ですか?」
「ええ、無事よ・・・あなたが助けてくれた・・・あなたが守ってくれたから・・・」
そう言いながら、この人の眼から一筋の涙がこぼれ出たのを見た。
それを見て、肩の力が抜けた。俺の中にあった何かの緊張が解けたような気がした。
「よかった・・・・よかった・・・・」
心の底からよかったと思った。あの子が助かって・・・ほんとによかった・・・
看護婦さんであるあの子の母親とは、その後、少しの間だったけど話をした。
事故が起きた時の現場の様子・・・
その後、すぐに病院に運ばれて手術が執り行われたこと・・・
手術後に自分が何日も眠っていたこと・・・
その間、親の代わりにずっと看病していてくれたこと・・・
背中の傷の具合・・・
何日ぐらい入院しておく必要があるのかなど、聞いておきたいことをたくさん聞いた。
そして、俺が一番聞きたかったことをもう一度違ったかたちで聞いてみた・・・
「あの子は元気ですか?」
そう言うと、その答えはすぐに返って来た。
「元気にやっているわ」
「よかった・・・」
この時、あの子が無事であるということをようやく実感することができた。
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あの子の母親との話合いが終わった頃、俺の両親と兄貴が病室に入ってきて俺の無事を確認していた。
親父は険しい表情をして、「人助けをしたのに人に迷惑をかけるんじゃない」と、母さんは涙をぽろぽろ落としながら、「よかった、よかった」と、兄貴は呆れた表情で、「何バカなことをしてんだ」とそれぞれ言っていたが、最終的には、俺が生きていたことに喜んでいたように見えた。
そこに俺を手術して助けてくれた医者が入ってきて、俺を含む家族全員に向かって、俺の現状の容態やらどのくらいの入院期間が必要となるかといったことを説明してくれた。まあ、俺はさっきあの子の母親から聞いたから分かってはいるからいいんだけどな。しかし、よく聞いているとこの医者只者ではないことが分かった。どうやら、この病院の院長であるというのだ!
どうして俺なんかのために院長自ら出てきて手術をしたのだろうか?今の会話の中では、その答えは出てこなかった。
院長の話が一区切り付くと、「後は我々に任せてください」と言って、俺の家族を安心させて帰らせた。家族を見送り終えると、院長がこちらを向いて話しかけてきた。
「蒼一君、私はあらためてキミにお礼が言いたかった。ありがとう。私の娘を助けてくれてありがとう」
「えっ・・・あ、はい、こちらこそ治していただきありがとうございます」
「いやいや、私は医者だからね、怪我や病気を治すのが私の役目だからね。しかし、キミは何の理由もなく傷を負いながらも私の娘を命の危機から救ってくれた。本当に感謝しているよ」
これは驚いた。まさか、自分が助けた子が院長の娘だったなんて・・・
ん?ということは、つまり・・・
「あのぉ・・・さっきまでここにいた看護婦さんって・・・」
「ああ、私の妻だよ。この病院で共に働いているのだよ」
ああ、やっぱりそうだったのか。ということは、俺が助けた子って言うのは院長とあの看護婦さんの・・・マジかよ・・・
「しかし、キミはとても運が良かった。傷を負ってこの病院に運ばれて来た時、かなりの出血で命に危険が迫っていた。手術中に死んでしまうリスクが高かったのだが、なぜか致命的な量の出血ではなかったため、こうして命をつなぐことができたのだよ」
「そうだったんですか」
あの事故が起こった時、俺はすぐに意識を失ってしまっていたからどういった状況だったのか、自分の身に起こっている異変についてさえもわからずにいた。あの看護婦さんの話からすると俺の背中からかなりの血が流れ出たようで、俺の周りが血の海になっていたそうだ。人の出血の致死量が1/3以上であることを前に聞いたことがあった。血の海ができたほどの量が流れ出ていたにもかかわらず、今こうして生きているのは奇跡なのだろうか?いや、そうじゃない。生かされているのだろう・・・“アイツ”に・・・
「だが・・・キミに残念な知らせを伝えなければならない」
さっきまで、安心感が漂う表情をしていた院長の顔が急に険しくなった。
「はい、なんでしょうか」
「キミはもう野球をすることはできない」
「えっ・・・」
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『キミはもう野球をすることはできない』
院長からあのことを言われてからずっともやもやしていた。野球ができない?・・・それもずっとやることができない?そのことだけが頭から離れられなかった。
院長が言うには、俺の背中を傷つけた積荷が背中の皮膚を傷つけただけではなく、右肩にある神経を何本も斬ってしまったそうだ。その神経は物を持ち上げるのに必要なものだったらしく、それが斬れてしまったことでもう以前のように投げることはできないし、バットを振り回すことすらできないそうだ。とはいっても、時が経てば元通りになるのだろうと微かな期待を抱いていたが、その希望さえも打ち砕くようにこう付けくわえた。
「一度失ってしまったものはもう元には戻すことができない」
その言葉を聞いて俺の心を繋ぎ止めていた何かも途切れてしまった。
俺は野球が大好きだった。
見るのも好きだが、やはり、自らが動いてプレーをすることが大好きだった。打席に立ったり、守備に入ったりしたときに聞こえる俺を応援してくれるチームメイトや時々見に来てくれる明弘や穂乃果たちの歓声を聞くのが心地よかった。その応援に応える働きをした時の快感は今でも忘れることはできない。エースでも、4番でもないただのプレーヤーとして野球をしていることが大好きだった。
そして、それは俺の夢でもあった・・・・
だが、もうできないと言われてから、俺の心にはぽっかりと大きな穴が開いたようだ。
俺の楽しみが無くなってしまった・・・その実感が湧かないまま数日が過ぎていた。
ある程度、歩けるようになったときに病院内にあるリハビリ施設に行って、治療を行っていた。
そこに野球ボールと同じくらいの大きさの幼児用の軽くて軟らかいボールが転がっていた。俺はそのボールを拾い上げた。もしかしたら、まだ希望はあるかもしれない、そう思いボールを右手で握りしめた。そして、その球を壁に向かって投げようとした。体全体を使った投げ方ではなく、肩と腕のみを使った簡単な投げ方であった・・・が・・・・
(ポン、ポンポン・・・・・)
ボールを肩まで持ち上げた時、ボールが手を離れて床に落ちて転がっていった。
俺が意図的にやったわけではない、俺の体がボールを投げることを拒絶し、手からボールを放したのである。
「あっ・・・あぁ・・・・・」
無意識に自分の眼から涙があふれ出ていた。その時、ようやく実感することができた。
俺はもう野球をすることができないのだということを・・・
あの気分を二度と味わうことができないのだと・・・・・・
夢へと続く道が今ここで途絶えてしまったということを・・・・・
―
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入院してから一週間以上経った気がする。
その間に明弘や穂乃果ら幼馴染、チームメイトや監督、学校の友達や先生などが毎日見舞いにやってきてくれた。
その時だけは、俺は明るく振舞うようにしていた。自分の哀しい気持ちを見せて、相手までそう感じさせるようなことをしたくなかった。
哀しむのは俺だけで十分だ・・・
毎日行われるリハビリでなんとか普通に歩くことができるまでには回復することはできた。傷口も段々と塞がってきているみたいで痛みもあまり感じられなくなってきた。このまま順調にいけば、来週頃には、一旦退院することができるだろうと院長も言っていた。
だが、俺の中にある哀しみだけは癒されることは無かった。
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あの事故からおよそ3週間くらい経った頃だろうか、リハビリも終わり、日常生活に支障が出ないほどに体が回復することができ、残り数日で退院するところまで来た。
「・・・・・・」
未だに俺は引きずっていた。
心に空いた穴は塞がっていないままだった。
あの日、宣告された言葉を受け止め、それが現実であるということを感情を押しつけて自分に言い聞かせた。
それを、毎日朝に目が覚めてから夜の眠りに着くまで何度も何度も思い出すたびに自分に言い聞かせていた。
毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・毎日何度も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
気が狂いそうだった。
自分が大切に思っていたことが、こんなにも簡単に打ち砕かれるなんて思いもしなかったからだ・・・
挫折・・・そうか、これが挫折と言うものなのか・・・・
人が誰しも体験するという挫折。
だが、こんなにも苦しいものだとは思いもしなかった・・・出来ることならば出会いたくもなかった・・・
そんなことを思いながら俺は病室のベッドの上で仰向けになり、正面に見える白い天井と窓から見える雲をただただじっと眺めていた。
「こんな世界に生きる希望なんてあるのか・・・」
まるで世界の終りであるかのような気持ちが心の中で漂っている中で口から出てきた言葉だ。
これも無意識から来たものなのだろうか?
・・・・どうだろうか・・・最早、そんなことすら考えることも嫌になって来た・・・
「俺は・・・どうすればいいのだろうか・・・・」
(バンッ!!!)
「!!!」
病室のドアが急に開いた。
力任せに開けたため、病室側のドアノブが壁にぶつかり、金属と石膏の鈍い音が部屋中に響き渡った。
その向こうにいたのは・・・・
「よーーほーーー!!!!元気にやってるかぁーい!!!?兄弟ィィィ!!!!」
超ハイテンションで登場してきたのは、俺の悪友・明弘だった。
(次回へ続く)
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