蒼明記 ~廻り巡る運命の輪~   作:雷電p

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第207話


逃げたい!←逃がさない♪

 

 

【前回までのあらすじ】

 

 UTX学院に招待された蒼一と明弘は、待ち受けていた綺羅ツバサの“悪戯(あそび)”に付き合わされることとなる。彼らは制限時間内に学院から出ること。もし、それが達成できなかった場合、ツバサらの命令に従わなければならない理不尽を押し付けられた。

 彼ら2人は早々から全力疾走で逃れるつもりであったが、彼らを追う学院生らの妨害により思うように進まない。制限時間も半分が過ぎようとする中、2人は危機的状況に立たされる。

 

 

「ウフフ、どうしちゃおうかしらねぇ~?」

 

 明弘の前には、あんじゅ。

 

「話はあとだ。今はそこにとどまってろ」

 

 蒼一の前には、英玲奈が、それぞれの場所で出くわすこととなった。A-RISEと直接対峙している彼らにとって今が正念場であった。

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 

「なあ、英玲奈。どこに向かおうとしているんだ?」

「昇降口だ。ここを通れば早く着くだろう」

 

 明弘があんじゅと対面している一方、蒼一は英玲奈の背を追っていた。UTX学院の生徒たちに追われていた蒼一は、(から)くも英玲奈の助けにより難を逃れることができたわけだが、その彼女に引っ張られて彼はとある部屋に入ることとなり、現在彼女の先導の元、前進しているというわけだ。

 ただ、彼らが歩く場所というのが少し異様な空間であった。

 

「なんなんだ、ここは? パイプラインが入り組んでたり、でかい機械がガンガン音を鳴らして稼働してたり、観たことない光景だな」

「ここはこのビルの心臓部——電力、空調を一気に管理し発信させている場所だ。中間層と呼ばれているところで出入り禁止区域にさせているところだ」

「心臓部って、制御室のことかよ……。そんなところに俺が入ってもよかったのかよ?」

「あのまま、彼女たちに(なぶ)られることになっても、か?」

「ぐぬっ……それは、困るな……」

 

 なら黙って付いて来るんだな、と相変わらずの対応で切り返した。黙れと言われても、周りの機械音やら通気口から流れる空気の音で耳に入る環境音が騒がしい。それに、英玲奈のこの行動が気になって仕方なかった。

 しばらく進むと、あの緑色に蛍光する非常口マークと共に、その下に階段を目にした。

 

「ここからが非常階段だ。3階まで直結しているから時間内にここから出られるだろう」

 

 英玲奈は階段を指さしながら言った。

 ただ、そのあまりの呆気なく淡々とした様子で彼を案内したので、蒼一はいぶかしげた。

 

「何故だ? キミは俺を捕まえに来たんじゃないのか?」

 

 先を歩いていた彼女に問いかける。すると、英玲奈は風を切るように振り返り、鋭いツリ目で彼を捉えた。

 

「何故、か……実に簡単なことだ。そもそも私は、この話に興味はないのだ」

 

 瞬きをしながら話す言葉からわずかに溜息のような声を耳にした気がした。ただ、それが一度のわずかな瞬間でしか感じられなかったので、気のせいなのだと蒼一は気にしなかった。

 

「興味がないのなら、なおさら俺に関わる理由がないじゃないか?」

「いや、それとこれとは別件だ。あなたがたはツバサの了見を快く思っていないのだろう。それを強要させるわけにもいかないし、それに、あなたがたには借りがある」

「借り? キミたちにしたことなんて覚えがないんだがな」

「いや、あなたがたの存在が我々に大きな夢と希望を与えてくれた。我々がA-RISEでいられることが何より大きな借しなのだ」

 

 キミたちがキミたちでいられる? 英玲奈の言葉に首を傾げた。

 

「あなたがたが、RISERという大きな存在が私に、ツバサに、あんじゅにA-RISEという道を開かせてくれた。RISERが我々の目標となり、指標であり、憧れの存在であったからツバサも我々もこうしてスクールアイドルの尖端(せんたん)となれることができたのだ」

「……そうか」

 

 彼女の言葉をようやく呑み込めた彼は、ただ一言、そう告げた。自分たちが思いのままに、あるがままに突き進んでいたことは、同時に彼女たちを突き動かしていたのだということを蒼一は悟った。

 

「なら、俺たちじゃなくツバサに手を貸せばよかったじゃないか。キミがツバサのことを大切に思っているのならそれこそ——」

「いや、違う。これは、ツバサを思っての行動なんだ」

 

 疑問を投げかける彼の話に彼女は遮った。そして、何か思いつめたような表情となって言葉をつづけた。

 

「ツバサは悩んでいる。自分が何のために歌っているのか、誰のために踊っているのかを、目的もわからずただステージに立ち続けている……今のツバサは、私が初めて出会った時のツバサではなくなってきている……」

「……どういうことだ?」

「ツバサは……A-RISEは望んでここまで来たわけではない。歌うことが好きで、踊ることが楽しくて、そしていつか、あなたがたRISERと共に同じステージに立つことだけを夢見てきたのだ。それがこれまでのツバサを支えていたものだった。だが、あなたがたが忽然と姿を消してからツバサは変わってしまった。同時に、我々が置かれる立場も大きく変わってしまったこともあり、ツバサは……以前のような輝きを持てなくなっているんだ……」

 

 煮え切らないわだかまりを絞り出すかのような表情で英玲奈は語った。それを聞いた蒼一は、ツバサが口にしていたことへの違和感に合点がいった。

 “満足していない”——ラウンジで話をしていたほんのわずかなの出来事だ。ツバサが頂点に立った経緯を話した時に見せた哀愁。それが彼の中で引っかかっていた。もし、英玲奈の話が本当だとしたらそれは彼女にとっての鎖になっているに違いないと蒼一は考えた。

 “アイドル”——それは、すなわち——“偶像”。宗教的な意味合いもあるが、大衆が沸き立ち羨望の眼差しを向けて陶酔する存在と言った方がいいだろう。加えてツバサたちは学校くくりではあるが、その頂点に立った。その分、周囲から期待され、こうあるべきだというシナリオを与えられて動かざるを得なくなる。まさに、道化。自分たちがしたかったこととは裏腹の、望んでもいなかったことを強要させられたのだろう。

 それでも彼女たちは道化であることを拒みながらも自分たちの目指すべきものを求めようとしたのだろう。だが、一度そこに立ってしまったことで以前のような輝きを見出せなかった。今の彼女たちを支えているのは、これまで培ってきた実力と経験のみであった。

 

「そんなツバサが、あの時……前回のラブライブで変わったんだ。これまで他人に無頓着だったツバサがμ’sに興味を示しだしたのだ。その理由を聞いた時、私は驚いた。何故なら彼女たちが———」

「——俺の息のかかったスクールアイドルだったから、だろ?」

 

 咄嗟に蒼一から切り出されてこめかみが微動した。知っていたのかと言いたげな眼差しで彼を見るので蒼一は小さく頷いた。

 

「アイツと2度目に会った時からそんな気はしていた。初めて会った時とは違って、落ち着かない様子だったし、俺のことを見つめ続けていたからな。いや、もしかしたら最初から気付いていたのかもしれないな、俺の本当の正体を……」

 

 遠くを眺めるように口にする蒼一に、ああ、確かにそうだ、と英玲奈は言った。

 

「あの日、ツバサが持つはずもないぬいぐるみを抱いて帰って来た時からすべてが変わり始めていたかもしれない。あんなに嬉しそうな顔でいたのを見るのはいつぶりだったか……そして、スクールアイドルフェスティバルでのライブがツバサを本来の姿に近付けさせてくれた。あれを提案してくれた彼女たちには感謝しきれない」

「……でも、本来のままにはならなかったんだな」

「……残念ながら。ツバサは取り戻しつつ変わっていこうとしている。それはあなたにある、宗方蒼一——いえ、RISERのアポロ」

 

 多分そうなのだろうと、蒼一は勘付いた。ツバサの行動や発言の数々を追ってみてもその中心にあるのが俺自身なのだということを。

 

「ツバサの、あの言葉は本気なんだな」

「ああ、本気だ。あなたを本気で引き抜こうとしているし、恋人に仕立てようとしている」

 

 ゆっくり目蓋を閉じつつ言葉を紡いだ。

 

「ツバサがあなたを求めているのは、ひとえに自身の支えになってくれると信じているからだ。あなたとツバサはこの界隈での境遇が似ている。同じ者同士で話したいことだってあるだろう、共有しあいたいこともあるのだろう。あなたがいることで感情を和らげたいのだと思う」

 

 英玲奈は今までにないほど苦悩する表情を浮かばせた。言葉尻が重く、歯切れのない言葉で話す彼女は平常ではなかった。

 

「じゃあ何故、英玲奈が俺を止める? ツバサのことを思っているのだとしたらキミの行動は真逆ではないか?」

 

 彼女の話を聞いていたら思わず口に出た。蒼一から見れば彼女はツバサ側の人間。ならば、ツバサの意見を聞き入れるのが当然だと思うのが彼の見解だった。

それに対して、英玲奈はいつものように淡々と話す。

 

「正直、あなたがいればツバサの重荷は楽になるかもしれない。私も、以前のツバサに戻ってくれるのならと期待しているところはある。だが、あなたには今、大切なもの、守らなくてはいけない人たちがいる。私もあなたのことを尊敬している。ですが、あなたの幸せを奪ってまでやるようなことじゃないと思っている。それは私の信念が許さない」

 

 両手に力のこもった拳をつくりながら彼女は話す。それは意地にも似た感情が表れているようだ。

 

「ツバサは私が何とかする……いや、してみせる。これでもツバサとは3年間共にやってきた仲なのだ」

 

 強がりを見せる表情で言い切る彼女だが、その目はどこか辛そうにも感じ取れる。英玲奈自身気付いているのかもしれない……それでも、してあげたいとする強い気持ちは彼女の友としてのやさしさからなのだろうと蒼一は思うのだった。

 

「そうか。ただ、後悔だけはしないようにな」

 

 英玲奈の話をすべて聞き、悟った蒼一はただ一言告げると、彼女が示した階段に向かって歩き出した。

 

「キミは来ないのか?」

「いいや、ここでいいだろう。ここを進んで扉を開ければ昇降口あのあるエントランスに出れる。そこでツバサが待っているはずだ。私が行って鉢合わせてもいろいろとマズいだろう」

「それもそうだな。それじゃあ、ここでお別れだな。キミには世話になった」

「礼は結構だ。私こそ、こんな茶番に突き合わせてしまって申し訳ない」

「いいさ、おかげでキミたちのことをまた知ることができたんだ。いい時間だったよ」

 

 そう言ってもらえると助かる。蒼一の言葉に英玲奈は返した。

 

「キミの思いが伝わることを祈ってるよ」

 

 蒼一はそう残して階段を下り、扉を開け外に出た。

 

 

 

 

 

 残り時間、14分———

 

 

 

 

 

――

――― 

———— 

 

 

 

「不思議なこともあるんですねぇ~見回りをしていたら()()、明弘さんに出会うだなんて。それも更衣室でなんて……♪」

 

 いったいどんなめぐりあわせなのでしょうね? と微笑を浮かばせた細い眼差しで問いかけてくるあんじゅ。それを見つめる明弘は厄介なのが来たと顔を引きずらせる。

 本当に偶然なのか? 彼女の話すことが信じられない。何せ、こんなにも都合よく現れるだなんてありえないだろう。誰もいないこの更衣室に明弘が入り込んでいる可能性は微塵もないはず。普通の生徒なら考えもしない。

 ところがあんじゅは、あたかも彼がここにいると踏んできているみたいだ。その証拠に、息切れせず、汗を流している様子もない涼し気な表情で立っている姿がどうも不気味にしか映らなかった。

 

 彼は口内に溜まった唾を呑んで言葉を返す。

 

「偶然? 冗談だろ。偶然だけで俺を見つけられるはずがないだろ」

 

 何か発信機でも付けていたのなら別だがな、と冗談交じりに言う。するとあんじゅが、ニタァと口角を引き上げ怪しげな笑みを浮かばせた。その笑みがあまりにも不気味で、背筋がゾクッと凍りだす。

 あの笑みには身覚えが……確か、蒼一を襲い始めようとしていた時のことりの顔に……。既視感を覚えたのは多分それだ。蒼一にゾッコン中のあの脳内ピンクバードと同じ顔をしていやがるってことは……い、嫌な予感しかない……!

 ことりの所業を認知していた明弘は、あんじゅが企むことを考えるだけで身の毛がよだつ。

 

「んふふふ、簡単よ~。だって、あなたに発信機を付けるだけで済むことですもの」

「……ちょっと待て! い、今、発信機って言ったか!?」

「あらぁ~気付かなかったの? あなたと会った時に襟裏に付けたのわからなかった~?」

 

 あんじゅに言われてすぐさま襟裏を触れると、米粒ほどの小さな機械が確かにあった。

 

「なるほどな、これなら合点がいくってわけだ。てことは、最初からこうなることを仕組んでたってことか?」

「だいたいはそうね。あなたたち2人をなんとしてでもここに引き留めちゃう。やれることはなんだってやるって、ツバサが言ってたからね。私も便乗させてもらったってわけよ♪」

「へ、へぇ……てことは、まさか兄弟にも!?」

「当然のことよね。うまく隠れたつもりだろうけど、ツバサに見つかってしまったみたいだし、今頃ウチの生徒たちに捕まえられて身動きが取れないんじゃないかしら? 通気口に身を潜めたあなたは賢いわ。けど、もうおしまいじゃないかしら?」

 

 いや、そんなはずがない。幾度もの修羅場を乗り越えてきた蒼一がそう易々と捕まるだなんて万に一つ考えられんな、と明弘は否定した。

 明弘の相方であり悪友でもある蒼一は、誰よりもはるかに多くの苦難に立ち向かってきた男だ。ある時は廃校阻止のために奔走し、ある時は自我を失った少女たちを救うためその身を犠牲にし、またある時は卑劣な闇社会を叩くなど常人では考えられない道の上を歩いてきたのだ。そんな男が、()()()()()()()()のことで捕まるなど想像もつかないのだ。

 

「あら、とても信用していらっしゃるのね」

「当然だ。俺と兄弟とは十数年来の仲なんだ、アイツを近くで見てきたんだからわかるのさ」

「ふ~ん、そうだったわね。伊達にRISERとして共に過ごしてきてないものね」

「そういうこった。変に勘ぐってもアイツはキミの想像を超えてくるのさ」

「そうね。そういうことにしておこうかしらね」

 

 あんじゅはちょっぴり残念そうに話すが、すべてを諦めた様子はない。彼女の気持ちはそのまま目の前にいる彼に注ぎ、妙な胸の高鳴りを感じさせていた。

 

「でも、あなたはどうかしら? 出入口はひとつしかない密閉された空間に私とあなただけ。しかも、あなたが立っているところはタブーの領域内。他の子に見つかれば世間的にも危うくなるかもしれないわよね~?」

「ほ、ほぉぅ……つまり、どうやっても逃げられないって言いたいのか……?」

「そうね~、正確に言えば、この学校からかなぁ~? たとえここを抜け出したとしても、あなたがここにいたってことを広めちゃえばお終いよね~♪」

「ぐっ……卑怯な手を使ってくるじゃないか……!」

「卑怯だなんてひどいわねぇ~。私はただ、使えるものは使うだけだと考えてるの。だから、なんと言われようとも私には関係ない。あなたを捕まえるのならなんだってするわ……♪」

 

 こう言い切るあんじゅの顔に薄笑いを浮かびあがった。この子は本気だ。彼女の笑いを見た明弘は瞬時に察知するとともに、ここから抜け出る()を探し出した。物理的なものではなく、彼女に取り込むための()のようなものだ。それがあれば状況は変わるかもしれないと明弘は踏んだのである。

 

「で~も~。私のお願いを聞いてくれたら逃がしてあげてもいいかなぁ~って思ってるわ」

「……何を企んでいやがる……?」

「企む? やだ~私、そんな人に見えるのかしら?」

 

 この状況を作り出してるヤツが言うセリフかよ……、と出てきそうだったが寸前で押し留めると、何が目的か、と尋ねる。その瞬間、あんじゅはさっきよりも不気味な笑みを浮かべ、もったいぶる様子で言った。

 

 

 

 

「ねえ————私のオトコにならない……♬」

「……………は?」

 

 この言葉を耳にした明弘は、呆然と立ち尽くし、瞳孔を見開いて彼女を凝視させた。

 

 

「……なんかの冗談か? さすがにおふざけが過ぎてるんじゃないか?」

「ふざけてるなだなんてそんなことないわよ。私はいたって本気なんだから♪」

 

 じろりと彼女を見だした明弘の目には、ギラギラと眼差しを光らせるあんじゅが映った。見るに冗談ではないということはよくわかる。ふざけた笑みを浮かばせてはいるが、視線を1ミリもそらさずに見つめているところに彼女の本気を感じさせられた。

 

「あなたを見つけた時からもうビビッって来ちゃった。私の相手に釣り合えるのはあなたしかいないって、確信しちゃったの!」

「おいおい、何直感的に言ってくれちゃってさ! 俺は断るぞ!!」

「あらぁ~いいの? 私のオトコになればいつでもウチの学校に出入りができるし、あなた好みの子にも会えるのよ? そ・れ・に……私のこのカラダを好きにできるのよ♬」

 

 妖艶な雰囲気を打ち出しつつ、あんじゅは一歩、また一歩と明弘に迫る。そして、おもむろにシャツのボタンをはずして大きく膨らんだ胸元をチラリとのぞかせて見せた。これには明弘も思わず息を呑む。彼女がこんなにも大胆な行動に出てこようとしているとは、と焦りを浮かばせつつも、その目は彼女の胸元に引き寄せられていた。嫌と言っても彼は無類の女好き。それも目の前にはグラビア顔負けのセクシーボディーを持つあんじゅが。ついつい、見入ってしまうのは人の(さが)というものだった。

 

「いっ……いやっ! 断じて乗らんぞー! 断じて!!」

「うふふ、あらあら。かなーり我慢してる顔をしてるわよ~? 我慢は身体に毒なのよ~?」

 

 耳打ちをかける誘いに、明弘は頑として乗ろうとしなかった。これでも意地があるんでね、と冷汗を額にため込みながらの苦し紛れの言葉で応答するがそれも時間の問題と思われた。

 

「あなたの彼女さんよりも私の方が断然魅力的よ~? あの子にできないことも私ならなんだってやってあげちゃう。言葉通り、あなたの好きなようにしてあげるんだから♪ あの子のことなんて忘れてしまいなさい……」

 

 もう少しでイケる…♪ そう思えたあんじゅは追い込みをかけて言い放った。これで落ちない男なんているわけがない、数多くの男を手玉にしてきた彼女は確信を抱いて身を乗り出して彼に迫った。

 

 

———が、その一言が彼女の思惑を打ち壊すことになった。

 

「……忘れろ、だと? 何を言っていやがるだ、()()は?」

「え……?」

 

 ぞわっ。彼の言葉を耳にしたと同時に全身の毛が逆立つような悪寒が走った。な、なに、今の……? 突如襲い掛かったこの震えに平然を保っていた彼女の表情に余裕が消えていく。意味も分からない怖さが彼女を次第に追い詰めた。

 なにこれ……なんで……っ! 我に返るように顔を上げだすと、それまでたじろいでいた明弘が地にしっかりと足を立たせ彼女を見ていた。眉間を鋭くさせ、にらみつけていた。

 

「………ッ!」

 

 震えた。震えあがった。彼女は、あんじゅはこれまで経験したこともないほどの激震を全身に渡らした。息が詰まりそうだった。まるで首を掴み上げられたかのような切迫感が喉を狭め呼吸がしにくくなっていた。

 わからない、わからない……ただ彼女が知りうるのは、明弘が、彼女が知りえなかった尋常ではない眼光を浴びせていたのだ。

 

「もう一度聞く。()()は俺の彼女を……なんだって?」

「あ……ぁっ、い、いぇっ……あ……」

 

 明弘の異様とも思える剣幕が彼女の身体を凍り付かせ、心を麻痺させた。この時彼女は初めてと言っていい恐怖にさいなまれる。眼光で射殺されそうな彼の威圧に気圧(けお)された。

 

「俺の彼女は、確かに()()みたいにスタイルがいいわけでも情欲的じゃねぇ。けどな、それでも俺はアイツのことが好きだ、愛してるんだ。他の誰にもなかった魅力がアイツにあり、俺に足りなかったものを与えてくれた最高の女なんだ。それを、忘れろだって? ハッ、ちゃんちゃらおかしなこった。そんなことはありえねぇ。俺がアイツのことを思う気持ちはぜってぇ消えない。それを否定するって言うのなら()()と言えど……容赦しねぇぞ」

 

 明弘は、カッと目を見開き彼女を視線で突き通した。加えて、普段口にしない相手を見下す“お前”と言う口調を発するほどの苛立ちを抱いているのがよくわかる。気持ちで完全に負けてしまっていたあんじゅは身震いを起こして立ち尽くし、何もできなくなった。

 怖いのだ。恐怖に包み込まれた彼女はもはや何もすることができなくなった。彼を落としたい、自分のモノにしてしまいたいとする企みは今となっては水泡に消え去った。もはやそれどころではないからだ。ただ、彼から逃げ隠れしたい気持ちでいっぱいになった。

 

「あ……わ、わたっ……わたしは…………ッ!!」

 

 震える足で一歩ずつ後退しだしていたあんじゅに思わぬ災難が起きる。後ろに踏み降ろした足が脱ぎ捨てられていた服を踏み足がすくわれた。かかとに体重がかかっていたことも加わり、いとも簡単に足が前に突き出て体制が維持できなくなりだす。あんじゅは慌てて立ち直ろうとするも運悪く勢いが強く、そのまま後ろにひっくり返ってしまいそうだった。

と、その時だ———

 

「———っと、危ない」

「えっ———?」

 

 立ち見していた明弘が彼女に駆け寄り、倒れ掛かった身体を抱きかかえて支えたのだ。当然、彼女は当惑した。さっきまであんなに威圧的に見ていたのに助けただなんて思いもしなかったからだ。

 

「どう、して……?」

 

 驚きを抱く彼女は震えた喉から絞り出すように口にした。すると明弘は、一息吐き出すと表情を緩めて語りかけた。

 

「目の前で危なくなっているのに助けないヤツがあるかよ。()()のような女の子が痛みで嘆く姿なんざ見たかねぇんでな」

「………!」

 

 彼の発した言葉にあんじゅはまた目を丸くさせた。しかし、先ほどのような恐怖はなく、安堵の籠る落ち着きがあった。

 

「へぇ~、こう抱えてみると結構ズシッとくるんだな。トップアイドルは羽毛でできてるって聞いていたが、ただの女の子に変わりやしねぇな」

「……あら、それって褒めてるのかしら? 女の子に体重の話を振るだなんてデリカシーない人よね」

「これでも褒めてるつもりなのさ。もっとも、キミが女の子としての自覚を持っているのかによるけどな」

 

 と彼は頬を引き上げて小さな微笑を浮かばせた。彼女もその笑みにつられて頬筋が緩んで思わず笑ってしまう。変ね、さっきまで怖いと感じていたのに嬉しく感じちゃってる。ほんと、不思議な人よね。と単純なことに揺れ動いてしまう感情に呆れながらも微笑んだ。自覚はしている。だから私はこの人のことを思ってしまうのだ、と高鳴るこの感情に嘘を吐けなかった。

 

「うふふ、このまま持ち上げた状態でいるとあなたのことを捕まえちゃうわよ~?」

「おっと、ソイツァいけねぇな。捕まえられたくねぇから、ここで手を放してもかまわんよな?」

「嫌よ、女の子をぞんざいに扱っちゃ~。でもいいわ、今回は捕まえるのを諦めてあげる」

 

 そう言うと、あんじゅは足を回して彼の腕から振り解いた。低い体勢で抱えられていたため自力で立つには支障はなかったようだ。そして彼女は真っすぐ立つと彼に背を向けながら澄ました様子で言ってくる。

 

「私は何も見なかったことにしてあげるから、さっさと行きなさい」

「ほぉ~、しつこく絡んできた割にはあっさり見逃すんだな」

「別に、あなたを諦めたわけじゃないわ。でも……一応、助けてもらっちゃったし、借りをつくりたくないのよ。特に、あなたにはね」

「そうかい。恩に着るぜ」

 

 彼女の気遣いにあまえて彼は出入り口に(きびす)を返した。明弘は、扉の前に立っても彼女が追いかけてくる様子がないことを確認すると、ありがとな、あんじゅ。と一言だけ残して修羅の舞台に戻って行った。

 

「……今度は、絶対に捕まえちゃうんだから……!」

 

 スカートをギュッと掴んで悔しそうに口にする彼女は、どこか哀愁を抱いているように見えた。

 

 

 

 残り時間、11分———

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 エントランスホールに先に着いたのは、蒼一だった。英玲奈が教えてくれた通路で辿ったことで、生徒たちに出くわすことなく易々とたどり着くことができたのだ。彼女には感謝しないとな、と思いつつ、昇降口まで続く階段を足早に降りて行った。

 

「明弘は……まだか」

 

 自分よりも順調に進んで行ってたと思っていたので少し焦り気味になる。時間はわずか10分近く、それまでにたどり着くことができるのだろうかと心配になった。

そんな時だ———

 

「相方の心配より、あなた自身のことを心配したらどうかしら——?」

「………ッ!」

 

 突然、背後から囁かれるような声が聞こえ、背筋が震えた。振り返ると、颯爽(さっそう)と現れたかのようにそこに立つ小柄な彼女が思惑を抱いた表情で笑っていた。

 

「……随分と、心臓に悪い登場をしてくるじゃない?」

「ふふんっ。人を捕まえるのなら、まず心からって言うじゃない?」

 

 意味はき違えてないか? と呆れた様子で見上げるも、ツバサは本気だった。ツバサのことだ、本当に掴み取って来そうな気がする、と額から汗が噴き出た。

 

「あなただけは……帰させないわよ?」

 

 おもしろおかしそうに笑みを立てるツバサの表情から、不気味に光る鋭い眼光が射していた。

 

 

 

 残り時間11分————

 

 

 

 

(次回へ続く)

 




 どうも、うp主です。

 月一でやってますので生存報告がてらの更新になっております。

 さて、今回の話はA-RISEの両翼について話を深めてみました。彼女たちがどんな意志をもって行動していたのかがわかってもらえたら幸いです。

 次回でこのUTXで逃走中の話を締めたいと思っております。今回で書ききってしまおうかと思っていたのができなかったので、結構あっさりしていたりするかもです。

 では、次回もよろしくお願いします。

更新速度は早い方が助かりますか?

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