蒼明記 ~廻り巡る運命の輪~   作:雷電p

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第197話




その姉につき…

 

 急いで凛の家に向かった明弘はその門の前に立って息を呑んだ。

 ここに凛がいる……。ひどく傷つけられて苦しんでいる凛が、ここにいるんだ……!

 花陽から聞かされた話を思い返して怒りが込み上がる。明弘にとって凛が傷つけられたことは自分が傷付くよりも深く、重く受け取っている。異性に強く関心があり、大切な存在であると考える彼の心情からだろうか。ただそこには、気付かぬうちに宿る新たな感情が作用しているとも知らず……

 

 そんな明弘は、彼女の家の前に立ってはすぐに動こうとしなかった。どうしてか身体が動こうとしない。自分でも不思議に思うほど、彼の身体は動かず、また手が震えていた。

 

「くっ……ここまで来といて怖気付いたか、俺は? 俺はただ、凛の辛い気持ちを励ましに来ただけじゃないか。なのに、どうしてこうも胸の鼓動が激しくなる? こんなことは初めてだ」

 

 全身から発せられる初めての信号に彼は戸惑いを隠せない。女の子を助けることはこれまで何度もしてきた。その度に背筋が凍りつくような憎悪を抱いたり、嘆き悲しむ姿に胸を痛ませてきた。

 けれど、これは何かが違う。胸の内が燃える炉のように熱く、掴まれるように息苦しい。おまけに、チクチクと突き刺さる痛みが身体を蝕むようで気持ち悪かった。

 

「……えぇい! こんなところで焦燥感を吐き垂らすために俺は来たんじゃない! 何を戸惑ってるんだ俺! ちったぁ気合見せろや!!」

 

 自分に向かって奮い立たせるように口走らせ、気持ちを十分に保ち始める。

 

「俺がウダウダしてるだなんてみっともねぇ、やるからにはとことん付き合うってのが良い男ってやつさ!」

 

 だらしのない自分に喝を入れ本来の姿を取り戻そうとする明弘。いままでにないほどの動揺と戸惑いが全身に渦巻き、彼の行動に支障を与えてくるが、それでもグッと堪えて面前の相手に気持ちを全集中させた。

 

 よしっ! と一息込めてインターホンを鳴らした。そこのスピーカーから凛と違うハツラツとした感じと大人びた声が返って来たので、すぐさま自分の名前と凛の知り合いであることを伝えた。そしたら――――

 

 

 

ダンッ――――!!!!!

 

 

「――――っ?!」

 

 瞬間、玄関の扉が突風に煽られたかのように勢いよく解放されると2つの人影が飛び出した。明弘はこの思わぬ状況に背中を仰け反らし驚愕さをあらわにするも、迫り来る()()()を前に抗うことは不可能だと瞬時に判断してしまう。

 

 なんとしても避けなければ――、と咄嗟に身を退かせようとかかとを蹴り下がろうとするも、1人が瞬時に彼の頭を額から、ぐわしと力強く掴み上げたため逃げ場を失ってしまう。みしみしっと音を立てて彼の後頭部を掴むので悲痛な声が出てくるのは当然のこと。ただ、運動神経に優れた彼を一瞬にして追い込ませるこの()()()()の力に驚かざるを得ない。

 

 

 

「「よ~こそ~わがやへ~~~(ウェ~ルカムトゥ~ゴ~トゥ~ヘ~ル)」」

 

 またそれ以上に、彼女たちは明弘でも蒼一でも敵わない相手。凛の双子の2人の姉であると言うことを。

 

 

 

 

 

―― 

――― 

―――― 

 

 

 

……おかしい……。

……とてもおかしい……。

 

 凛の家に来たはずの俺は、家の中から出てきた2人に掴まれ、そのまま引きずり込まれてしまった結果、何故か座している。それも土足が置かれる玄関の中の玄関の上に、だ。おまけに、段差を上がったところから見降ろすようにその2人がガン見してくる! こわい! めっちゃこわい!! 仁王像みてぇな感じで見られるから身体が縮こまっちまう。

 反逆してぇけど、この2人バカみたいに力があるし、どこで覚えてきたかわからないプロレス関節技も決めてくるわと勝算がまったくない。だがしかし、いつまでもこうしていても何も凛のところにいけないし、何よりこの床の硬さと冷たさに脚が参っちまいそうだ。一刻も早くここから抜け出さなければ……

 

「あのぉ……もうそろそろ立ってもいいでしょうか……? もう膝がカンカンガクガク状態になるんですけど……」

「「あ゛あ゛ん゛!!? なんか言ったかァ!!?」」

「……イイエ、ナンデモゴザイマセン」

 

 どうやら発言の余地さえ与えてくれない始末……。

 左手には眉間にシワを寄せて厳つい表情を見せるポニテの星空(あかね)先輩に、右手には目を血走らせてメンチ切ってるショートヘアの星空(あい)先輩。凛の双子の姉だと言うのだけれども、これのどこに凛要素が含まれているのかわからんくらい似てない。遠目で見たら若干それっぽくは見えるが、この人たちの性格上、凛とは真逆である。と言うか、こんな姉からよく凛が出てきたもんだと思っちまうくらいだ。

 凛の方が断然かわいいし、いい子すぎるから、まじえんじぇーなどと称しているのに対し、この2人の姉ときたら……まったくの別モンである意味萎えそうだ。

 

「オイ、明弘ォ……いまなんか変なこと考えなかったかァ……?」

「……ッ! い、いやぁ~そんなことあるわけないじゃないっすかぁ~」

 

 ギロリと鷹のように鋭く睨み付ける茜先輩。さすがは長女と言うべきか、勘の鋭さとかは桁違い。俺の気心なんかお見通しって感じで落ち着かねぇや……。同じ学校にいた頃から頭が上がらねェ厄介な先輩なんだわ。

 

「んなことよりよォ~~~明弘テメェ、ウチに何しに来たんだァ~?」

「い、いやぁ……ちょっと……」

 

 どっかのグラップラーのような威圧感たっぷりの顔で聞いてくるが、まともに取り合ってくれそうにない雰囲気。凛に会いに来たって言うことは簡単だろうが、茜先輩は凛に首ったけなシスコン番長だ。愛先輩はそれほどでもない感じだが気が立っているのはよくわかる。おまけに凛の近況を知ろうと乗り込んで来ようとするレベルでおかしいヤツだ。俺が口に出したらどんなにされるかわかったもんじゃない。

 それに、今回の件を知っていたら尚更だ。

 

「そういやさ、昨日、凛が泣きべそかいて帰ってきたって話を聞いたんだけどそれと関係があったりすんのか?」

「!」

 

 初っ端から案件を持ち上げられ息が止まった。そら、やはり出てきやがった! たりめぇだ、昨日今日の凛の動向を見ているこの人が気付かないわけがない。しかし、どう説明する? ただ花陽と真姫から聞いたことをそのまま言うのも手だが、それで納得できるような人か?

 

「何黙ってんだ? もしかして、てめぇか!? ウチの凛を泣かせたのは!!」

 

 ちょっと思考が止まった数秒間、何も言わなかっただけでこの激昂具合。カッ、となった茜先輩は玄関床に踏みだしてきて俺の襟元を掴み上げてくる! 座っていた俺の身体を中腰辺りまで無理矢理立たされるんだが、俺の力じゃなくバカみてぇな力で持ち上げてくる茜先輩によるものだ! おいおい、マジかよ……おかげで首が絞められて息苦しくなってきやがる!

 

「がはっ……! ぁ……お、おれじゃ、ねェ……!」

「あ゛あ゛ぁ?! んじゃあ、いったいどこのどいつがやったって言うんだよ!!」

「うぐっ……! ……っく………!」

 

 茜先輩の指にさらに力が入って……こ、呼吸が……! 私怨でも含ませたかのような力の入れ方で殺しにかかってきてる……! 傍らで見ていた愛先輩が間に入ろうとするがそれでも収まらねェ……! ぐっ……、い、いきが……!!

 

 

 

「やめな―――」

 

 その刹那、ゴスッ、と鈍い音が耳ん中に入り込んできたかと思えば、絞められていた首回りが解放され俺は地べたに倒れ込んだ。狭まっていた喉が開いたことで酸素が一気になだれ込んできてややむせかえしてしまう。あ、危なかった……少し意識がもうろうとしかけていていたから通常に戻れたことが何ともありがたく感じる。ただ、さっきの声はいったい……?

 

「大丈夫かい、キミ?」

 

 バッと視界が開けるみたいな声が降ってきたのかと視線を上げると、綺麗な女性が俺のことを見つめていた。

 俺はその女性のことを見るなり、それが凛と茜先輩、愛先輩の母親であると言うことが一目で理解した。凛の顔をさらにシュッと引き締め、大人の魅力を存分に高めさせたかのような美系モデル体型の彼女。凛よりも茜先輩たちの方に似ている顔立ちだが、どことないやさしい雰囲気が凛と似ていたからだ。

 

「コラ、茜! 愛! お客さんに対して失礼なことしてるんじゃない!!」

「ちょっ、お母さん! 急に叩かないでよ!」

「何ぬかしたこと言ってるんじゃあぁああ!! 誰であろうと家に来た人を地べたに座らせて羽交い絞めするヤツがいるかっての!! 少しは常識を知りなさいよスカポンタン!!」

 

 頭を痛そうに手で押さえる茜先輩。さっきの鈍い音は頭を叩かれた音だったのか……どおりで痛そうなわけだ。しかし、怒ると怖いものだな。くわっと怒りをあらわにした感じは海未に似ていて迫力がある。茜先輩も愛先輩も母親に対しては弱腰になってしまうのかおどおどした様子を見せている。この人たちを育ててきただけあって貫録が違う。

 

「―――っと、おバカたちの相手はこの辺にして……さ、明弘くん、ウチにおあがりなさい」

「俺のことをご存じで?」

「当たり前よ。凛からよくあなたのことを聞かされていたからね。今日、あなたの方から来てくれて嬉しいわ」

 

 そう言うと、凛の母親はどこか寂しさから少し和らいだ感じの笑みを綻ばせていた。この人にも当然、昨日の凛のことを知っているのだろう。ただ、俺が来たところでどうなるかだなんてわかりっこない。けど、期待に応えられるだけのことはしてやりたいと思うようになる。

 

 

 

 

 

 

 客間に連れられた俺は凛の母親と2人だけで話そうと椅子に座る―――のだが、当然、茜先輩たちも同席していた。母親の前だから鳴りを潜めてはいるものの、威嚇でこっちを睨み付けている。なんともやりにくい場だ……。

 そんな中でも、母親であるこの人は落ち着いて話題を切り出してくる。

 

「凛が心配かけてごめんなさいね」

「あ、いえ、そんなこと……」

 

 誤る理由なんて無いのに、この人は軽い会釈をして俺に詫びてきた。別にこの人のせいでも凛のせいでもないのに、こう謝られると気持ちが進まない。悪いのはこれを引き起こしたヤツの方なんだから。

 

「昨日のことは花陽ちゃんから聞きました。どんなことが凛の身に起こったのか把握はしているつもりです。でも……凛は私とも話そうとはしてくれず、ずっと部屋に籠ったままなのです……」

「そうでしたか……俺もさっき花陽から聞かされたばかりで深い事情までは……」

 

 そう――、何かを感じとるような声を吐露させるとゆっくりと瞬きをしてから俺に目を向けてくる。

 

「明弘くんは、凛のことどう思ってくれている?」

「どう、と言いますと?」

「そのままの意味で。いま、あなたが感じていることを教えてほしいの」

 

 一瞬、俺にはこの質問の意図がわからなかった。いま、このタイミングで聞くようなことなんだろうか? と悩ましく思えそうになった。

 けど、俺のことから目を逸らすことなく聞いてこようとするのを見せられると無意味なことじゃないのだと感じさせられる。だから俺は、その何かを知るためにいま俺が感じていることをそのまま伝えようと口にする。

 

「凛は……そう、凛は俺にとって大切な仲間なんです。俺は凛にいろんなことを教えてきましたが、凛から教えられたこともいろいろありました。指導者と教え子って言うより、友達――いや、それ以上の大切な存在なんです。だから俺は、今の凛を見過ごすことなんてできないんです」

 

 なんでか、俺はこの言葉が自然と口にしていた。またそれが自分で言ったくせに妙に納得してしまう。何故だ? ここずっと感じているわだかまりが溶けていくような釈然とした心地だ。この安心感はいったい何なんだ?

 身体の中でうごめく違和感が気になっていると、凛の母親は口元を緩ませた様子を見せた。

 

「そう――、なら明弘くんには伝えておかないといけないわね。あの子の過去のことを」

「―――ッ!」

 

 あらたまるように口にしたその言葉に咄嗟に息を呑んだ。凛の過去……薄々勘付いていた、あの一言だけが苦しませているだけじゃないということを。凛の過去の中で何かがあったに違いない――この人の話を聞くうちに確信が抱けてくる。

 

「聞かせてください。凛に何があったのかを」

 

 眉をひそませ、真剣な眼差しを送って聞く姿勢を正した。そして聞かされる、凛のことを―――

 

 

 

 

 

 

―― 

――― 

―――― 

 

 

 

 あれはまだ、凛が低学年のことでした。

 まだ幼く、身体も私の腰くらいだった頃のこと。

 

 ある日、凛が『スカートを穿いてみたいの!』とせがむように言ってきました。それまで、スカートは走るのに邪魔になっちゃうからと敬遠していたので正直驚きました。どうして穿きたいの? って聞くと、『かよちんにスカート穿いてみたらもっとかわいくなれるよって言われたから!』と目をキラキラさせて言うのです。

 あらあら、かよちゃんの影響なのね、と納得しつつ、凛にそう言ってくれたことを感謝しました。と言うのも、私も凛にスカートは似合うと思っていたからです。

 

 私の家にはあともう2人、双子の娘がいますが、2人とも男の子と間違われるくらいやんちゃな性格をしててスカート穿くことを嫌っています。凛もその影響を受けたのだろうと思いますが、この時そう言ってくれたのがとても嬉しかったのです。

 

 早速、週末には凛と買い物に出かけて、気に入った柄のスカートを買ってあげました。買って手渡した時に凛が『これ凛の? これ凛のなの?』ってちょっぴり興奮気味に言うから、そうだよ、と言ってあげると大喜び。それがとっても嬉しかったのか、凛はそのままスカートを穿いて帰りました。

 

 帰り道、『凛、かわいくなれたかなぁ?』と少し自信なさそうに言う凛に、とってもかわいい女の子よ、と言ってあげたら今度は照れくさそうに微笑んでいました。だって、本当にかわいいのですから。

 

 

 

 

 

 その翌日のことです。

 凛は学校に行くために準備をしていると、早速買ったばかりのスカートを穿いて見せてくれました。いつもよりふわっとしたやさしい雰囲気が出ているみたいでとってもかわいいのです。いつもとは違う、かわいい女の子な凛。見違えた姿の娘を私は自信たっぷりに見送ったのです。

 

 

 

 ですが……その自信が早くも崩れ去ることになるとは、思いもしませんでした………

 

 

 

 出掛けて行ってから間もなくの頃でした。

 急にあの子が帰ってきたと思ったら何も言わずにまた出ていったのです。それを不思議に思えた私はあの子の部屋に行くと、そこには無造作に捨て置かれたスカートがあったのです。腰回りを支えるホックやチャックが強引にされてボロボロに、きちんとアイロン掛けした布もしわくちゃに……。いったい何があったと言うのか、まったく想像も付かなかったのです。

 

 夕刻、あの子は帰ってくるとすぐ自分の部屋に閉じこもってしまいました。時同じくして、凛の友達のかよちゃんが来てその日の朝に起こったことを泣きながら話してくれたのです。

 凛は、スカートを穿いたことを同級生の男の子にからかわれ、傷付けられたと言うのです。

 私はそれを聞きひどく激昂したことを覚えています。私のかわいいかわいい娘をからかった子たちが憎かった。私の凛にそんなことを言う権利なんていったいどこにあるんだと、怒りがおさまらなかったのです。

 

 私はかよちゃんを帰すと、即刻凛の許に駆け付けました。当時、あの子は部屋の片隅でうずくまって泣いていました。そして、私に気付いて顔を上げるのですが、泣きじゃくって笑顔が崩れた凛の表情を見て息が止まりそうでした。こんなにも、あまりにも辛そうにする我が子の姿を見て胸が痛まないはずがありません。

 私は凛を抱き締め、うんと強く抱き締めて胸の中で泣き続ける凛を受け止めた。泣き止むことなくずっと、ごめんなさい、とぐずった声を聞かされた時の悲しみは今でも忘れられないのです。私は、あの子の苦しみが癒されるまでずっとあの子の傍にい続けたのでした。

 

 

 

 

 

 

―― 

――― 

―――― 

 

 

 

「――それからというのも、あの子はスカートを穿くことを敬遠するようになったのです。学校のスカートはなんとか着させるようにはしましたがかなり苦労しました。今でもあの子の中では当時のことがまだ尾を引いているのです」

 

 重い口調で時々言葉を詰まらせながら凛の母親は話をしてくれた。

 そう、だったのか……あらためて凛のことを聞かされた俺は悔しい気持ちにさせられた。凛が、ただかわいくなろうとしただけなのに、そんな仕打ちがあってたまるか……! 子供の言葉とは言え、あまりにも残酷すぎる話だ……! 聞いている俺ですら胸が苦しくなる!

 

「アイツだ……ウチの凛をからかったのはまたアイツに違いない……! あん時懲らしめたってのに、懲りずにまたやりやがったな……!!」

 

 茜先輩の怒り具合も尋常じゃなくなってきている。眉間に鋭いシワを立て、目を血走らせているのがよくわかるほどに。というか、茜先輩は特定できているのか? もしかしたら、さっき言ってた同級生の男の子って……つまりそういうことなのか……。

 

「ああっ、我慢できない! 一度あたしが話を付けてくるわ!!」

「よしなさい茜! いまそんなことしても関係ないわ!」

「でもお母さん! 凛がここまで傷付いてるのになにもしないってことはできないでしょ?! もう、子供の冗談じゃ済まされない年頃なんだよ! 無理矢理にでも謝罪させてやる!」

「いい加減にしなさい!! そうやっても凛を困らせるだけよ!」

 

 激情する茜先輩をそれすらも上回る声量で押し退けた。この中で一番に怒ってるのはこの人に違いない。だからこそ、この人はこの人なりに凛のことを思ってそう言ったのだろう。母親と言うのは何とも辛い立場だ。

 

 すると、顔を向き直した凛の母親は俺に真剣な表情を浮かばせた。俺に何か言うことでもあるのか? と身構える。そして、その言葉を耳にした。

 

 

「凛のことを、頼みます」

「………え?」

 

 一瞬、何を言ってるのかわからなかった。凛のことを頼むと言ったのか? ん? それはどういうことなのだろうか? どうも俺には理解するには若干乏しく感じた。けれど、再びこの人が言ったことに確証を得させられることに。

 

「明弘くん。失礼な頼みかもしれないけど、あなたに凛を励まして欲しいの」

「ちょっ……! お母さんっ!?」

 

 俺が凛を励ますだって?! いまの話の流れで俺が出てくるのはおかしいと感じるのは間違いだろうか?

 この人の方が過去の凛をよく知るはずだし、立ち直らせていることもあると言うじゃないか。だったら、俺より適任なはずだ。

 

「お母さん、私は反対よ! 何でよりによってこの変態野郎をかわいい妹のところに行かせるんだよ! お母さんがまた励ましてあげたらいいじゃない!」

「何言ってるのよ、茜。凛はね、もう私の力じゃどうにもならない状態になってしまったのよ。それに私は、あの子をちゃんと励ましてあげられる自信は無いわ」

「お母さんっ!」

「茜。私はね、確かに以前のあの子の状態を元に戻させて今までを過ごさせることをしてきたわ。でもね、あの子の傷付いた心までを癒してあげることはできなかった……だから今回、その傷付いた心がまた開いてしまってこうなってしまったのよ。あなたにも分かるでしょ?」

「……そ、それはそうだけど……」

「それに茜には出来るの? 今の凛の心を癒してあげることを?」

「うっ……そ、それは……」

 

 母親の鋭い言葉に茜先輩は何も言いだせす気落ちしてしまう。その顔からすると何も思い付かなかったことが容易に想像できる。だとしたら、俺に振った理由ってのはなんだ? 俺の抱いた疑問にこの人は答えだす。

 

「凛はね、よく私にあなたのことを話してくれたわ。頼りになれるお兄ちゃんのような人ができたって、最初の頃はそう言って嬉しそうにしていたわ。けどね、段々あなたの話を聞いているうちに、凛のあなたに対する見方が変わってきているんだってこと感じさせられたの」

「凛が俺の?」

「明弘くん、あなたはいま、凛にとってとても大切な人になっているわ。兄と思うような気持でも憧れを抱くようなそれとは違う、もっと強い気持ちがあの子の中で芽生えているように感じるのよ」

「お母さん、それって―――!!」

 

 咄嗟に立ち上がる茜先輩を遮るようにこの人は制止をかけた。そして、俺にこう告げてくる。

 

「あなたはさっき凛のことを大切な存在だと言ってくれた。その一言があったから私はあなたに凛の過去を教えてあげたのよ。私と同じ――いえ、私以上にあの子のことを大切に思っている明弘くんならあの子の心の傷を癒してあげられるかもしれないって思えたのよ」

「いや、何を言いますか。俺とあなたは初めて会ったと言うのに、そんなヤツに任せちゃってもいいんですか?」

「ふふっ、初めて会ったかそうでないかで私は決めないわ。あの子が、凛があなたのことを信用していた。ただそれだけの理由があれば充分だと私は確信しているし、現にあなたは今日ここに来てくれた。それはあなたの気持ちに嘘偽りがないということでしょ?」

「…………」

 

 これは否定しようもない言葉だった。確かに俺は深い理由もなくここに来た。単純に凛のことが無性に心配だと感じて駆け付けていた。アイツを慰めてやりたい、その気持ちは人一倍強いのだと自負してしまうほどにだ。

 自分でも不思議思えるんだ、どうして俺はここまで心を突き動かされているんだろうと。感情的になることはしばしばある。だが、誰かのために励ましてやろう、勇気づけてやろうと奮い立ったのは今回が初めてなのかもしれない。これが俺の実感している不思議なこと。

 わからない……わからないが、ただひとつだけ確かなことがある。

 

 凛が俺のことを必要としてくれているんじゃないかと。それが今なんじゃないかってことが何となく実感できる気がするんだ。もしそれが俺にしかできないことだと言うのなら、俺は……俺は……!

 

「わかりました。その役目、引き受けさせてもらいますよ。なんせ俺はそのためにここに来たようなもんですから」

「ええ、お願いね明弘くん」

 

 俺が承諾したことにホッとしているのか安堵の表情が見えた。同時にそれが俺に対する期待を示しているものだったのだと後になってから気付かされる。

 

「だめだめだめぇ!! 何と言われてもやっぱりだめよ!! アンタに凛を任せられないわ!!」

 

 決意を固めてもなお納得のいかない茜先輩は何が何でも俺を止める気だ。こんな状況でもまだシスコンをこじらせてるのを見ると、ある意味称賛したくなる。厄介な相手になりそうだ……。

 

 茜先輩に向かって身構えようとしたその時、沈黙を保ち続けていた愛先輩がここで口を開いた。

 

「茜、もういいじゃない。あたしたちじゃなくって、明弘に任せちゃってもさ」

「………ッ?! あ、愛! アンタも何言ってるのよ!? 正気!?」

「正気に決まってるじゃない。それにあたしは、正気にじゃなくたってこう言うわよ」

 

 愛先輩はどっしり構えるように茜先輩に言いきった。まさか、この人は俺の味方になってくれるって言うのか? 今まで散々この人にあしらわれたと言うのに……。

 

「茜の言いたいことも分かるわよ。でも、私たちじゃ凛を慰めてあげられなかったこともわかってるでしょ?」

「………っ!」

 

 慰めるって、ああそうか、この人たちも凛を励まそうとしていたんだ。姉として、傷付いた妹を何とかしてあげたいと言う気持ちが強く働いたに違いない。だが、それでも凛の心は動かなかった。だから、凛の母親と愛先輩は俺に託そうとしていたと言うわけか。

 

「実はね、あたしも凛から明弘のことを聞いてたのよ。あたしが思ってる明弘のイメージを伝えた時、あの子ったら必死になってアンタのいいところだけを言ってくるのよ。アンタはあたしの前じゃしないだろうけど、あの子にとってアンタはすごいヤツなんだよ」

「………!」

 

 凛がそんなことを……! 母親にだけじゃなく愛先輩にも話していたと言うのか! 俺はギョッと驚かされるが、凛がそこまで俺のことを思ってくれていたことを思うとなんだか胸が熱くなった。

 

「あの子も年頃になったのよ。憧れる視線はウチら家族じゃなく、もっとあたしたちとはかけ離れた存在に向けられる時なのよ。茜、過保護になるのもいいけど、あの子なりの人生を送らせてもいいんじゃないの?」

「…………」

 

 そう言われてから茜先輩はずっと黙っていた。唇を噛み締めて、何か言いたそうにする様子も見られたが、押し殺していた。

 俺はその様子をただただ見つめ、しばらくの沈黙が置かれてからやっと茜先輩が口を開いた。

 

 

「………凛を泣かせるようなことしたら、ただじゃ済ませねェからな………」

 

 ギロリと俺を睨みつけると立ち上がり、そのまま部屋から出て行ってしまった。ん、てことは許可してくれたってことでいいのか?

 

「あらあら、茜ったら素直じゃないのね」

 

 凛の母親はほほえましそうに口元を緩ませた。

 

「よかったじゃん明弘。茜が手を引くのは結構めずらしいんだぜ?」

「あ、ああ、そうなんですか……ありがとうございます」

「いいよいいよ、別にアンタのためじゃないからさ。その代わりに、ちゃんと凛を勇気づけろよ」

「はい、わかってますとも!」

 

 愛先輩に尻を叩かれているみたいで少し慌てちまうが、んあこたぁどうでもいい。これで凛に会いにいける手筈が整った。

 

「凛は2階手前の部屋にいるからね。鍵は掛かってないと思うけど、ちゃんとわきまえてね」

「ありがとうございます。色々と教えてもらってばかりで」

「いいのよ、このくらい。それと今度から私のことは、結さんって呼んでいいからね♪」

「へ? あ、はぁ……わ、わかりました……結さん……」

 

 なんで急にこの人を名前呼びすることを強要されたんだろう……とは言っても、断りにくい雰囲気だったし……まあ、深いことは考えなくたっていいか。

 深く据えていた腰を立たせ、見守る2人を後にして2階に上がって行く。木の板がキシキシと軋む音が何だか俺を不安にさせてくる。

 さて、結さんが言うには手前の部屋って言ってたよな……っと、これか。階段を上がるとすぐに銀色のドアノブに茶色の木製の扉が目に入った。それによく見れば扉のところにひらがなで『りん』と名前をふられたシールが張り付いていてわかりやすい。

 

 ここで間違いないな……よしっ。

 鼻で息を吸い、口で吐いて気持ちを落ち着かせると、部屋の前に立ち扉を叩いた。

 

 

「凛、いるか―――?」

 

 

 

 

 

 

(次回へ続く)

 




ドウモ、うp主です。
諸事情で二週間ぶりなかたちとなってしまいました。

今回出てきた星空家は以前の保護者会での話と先輩たちが蒼一の家に押し掛けてくる話で登場しました。過去回を覚えていればどんな人たちなのかと言うことが解るはずです。
そして、物語も中盤に差し掛かり、後半もじっくり考えて書き貫きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

更新速度は早い方が助かりますか?

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  • もっと早くっ!
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