「ワン! トゥ! スリー! フォー! ――――」
雲ひとつない秋空にハツラツとした声が木霊する。
音ノ木坂学院の屋上では、今日もスクールアイドルμ’sが活動を始めている。だが、そこにはみんなをまとめるリーダーの穂乃果をはじめとした2年生と、お姉さん的立場の絵里と希が不在。残った1年生の3人とにこの4人のメンバーしかいなかった。
と言うのも、
そのため、今みんなをまとめているのは、代理リーダーとなった凛。最初は嫌がっていたがどうにか引き受けてくれ、こうやって練習のテンポ合わせをしてくれている。
だが、まだなってから数日も経っていない未熟。さらに追い打ちをかけるように、次のライブが4日後と迫っている。とても万全とは言い難いように思われるが、そこを無理にでも補おうとあの手この手の方策を講じる彼女たちの指導者、蒼一と明弘には考えがあった。
「凛! タイミングがずれているぞ! もう少し遅くテンポをとれ!」
「は、はいぃ~! わ、ワン! トゥ―――!」
凛の横で仁王立ちになりながら目を光らせるのは、ダンス指導専門の明弘だ。彼はリーダーとして不慣れな凛を支えるために、こうして傍で見守っているのだ。そのおかげか不安を抱いていた凛も落ち着いて自分の役割に取り組むことができていた。
そんな彼女たちの練習風景を耳で感じながら職務を行う生徒会の面々。前生徒会長、副会長の絵里と希。そこに助っ人として手伝うのは彼女たちの指導者であり恋人である蒼一だ。彼も一応、過去に生徒会に所属していた経験があり、2人の手伝いをするには申し分がなかった。
「凛、大分要領がつかめてきたじゃないかしら?」
「そうだな。やり始めの時はテンポがめちゃくちゃで真姫が代わりにやってたもんな。その後に、明弘が凛にテンポの取り方を指導してくれたおかげでここまで上達できたのはいい傾向だ」
「ふふふ、凛ちゃんにとっては気張らなあかんところやもんなあ。頑張れば頑張るほど褒められて嬉しいもんなあ~♪」
3人の目から見て凛の成長ぶりには驚かされてばかりだ。引き受けた時には嫌々と言っていたのに、たった数日で見違えた姿を彼女たちに見せていたからだ。一時、何か変なモノでも食べたのかと心配していたが、凛から発せられる充分なやる気具合を見てたちまち受け入れるようになっていく。いまでは、凛の頑張る姿に感化されて練習にさらに身が入る気持ちにさせてくれたのだった。
「凛のことはええんやけど、せっかく真姫が書記になってくれたのに練習に出しちゃってええの?」
「いいんだよ。まだ不安定な凛を支えるには真姫の力も必要だからな。だから、最初の数十分だけは生徒会の仕事をさせて、後半で練習に参加させているんだ。多忙になるかもしれないが、これもアイツらと音ノ木坂のためなんだから頑張ってほしいのさ」
この時、蒼一は真姫に生徒会に入るようにという意外な提案を示していた。真姫自身は了承したが、生徒会を経験している者、彼を知る彼女たちからしたら驚きでしかない。特に、自らの見地を越えた考えに絵里は不安の色を隠せなかった。
「……ねえ、蒼一。いきなり真姫を生徒会に参加させたけど何を考えているの?」
怪訝していた元生徒会長の絵里はついに彼に問いただした。すると、蒼一は何取り繕うようなことはせず、絵里の方に向き直り話を切り出した。
「エリチカは今の音ノ木坂をどう見る?」
「えっ……? どういうことなの?」
「言葉のままさ。今の音ノ木坂学院はエリチカの目にはどう映って見える?」
「それは………廃校を阻止出来て、ようやく普通の学校になろうとしている……?」
絵里は言葉を詰まらせた。蒼一から投げかけられた質問に最初は簡単だと思っていたのだが、実際口に出してみると何とも抽象的なもので答えとしては完璧ではなかった。それも、廃校を阻止した時の生徒会長であった絵里が言えなかったのだから不自然な焦りを感じていた。
「確かにそうだ。現状では、な……。以前にも話したかもしれないが、廃校を阻止できたからと言ってこれが蒸し返されない保証はない。数年後、数十年後――もしかしたら来年にも同じような話が出てくるかもしれない。とても不安定な状況であることには変わりない。だが、近々にそうなることはまずあり得ないだろうと踏んでいる」
蒼一にはある確証があった。
「音ノ木坂にμ'sがいる――それだけで大きな看板になるし、穂乃果が生徒会長をしているとなったら大きな宣伝効果がある。そして、真姫もいずれか生徒会長にさせたいと思っている」
「……! それってつまり、μ’sがある限りメンバーにやらせるつもりなの!?」
「いや、そういうつもりではない。別に、真姫が生徒会長にならなくてもいいと考えてたりはするが、個人的にはエリチカたち生徒会長の姿を間近で見ている真姫であれば要領よくやってくれるに違いないと思ってな」
「へ~そうなんか~。てっきり、ウチは生徒会を自分のものに~! とか考えてるもんかと思っとったわ」
「誰がそんな悪どいことを……だが、こちらの要求を押し通せるように、とは考えてはいたがな。けどな、俺としては今の現状を守っていくことができるのは誰か、と考えたら真姫しかいないって思ってたんだ」
「現状を守る……前にも同じことを言ってたわよね?」
「そうだとも。俺たちはこの学校を守るために革新的なやり方で継続の道をつくりあげた。けれど、このやり方を次の代にも託していつまでも同じことをし続けるわけにもいかない。そうしたらどこかで学校に対する偏見が生まれて生徒間で不和が起こりかねない。そこを懸念してるんだ」
「それって……スクールアイドル部ばかりに焦点がいきすぎて他がおろそかになるってことなん?」
「そうだ。μ'sの活躍で今や音ノ木坂はμ'sの学校と呼ばれるようになってきている。これは最初に言ったようにいい宣伝にはなる。だが、行き過ぎれば厄介な問題を抱えることになりかねない」
「……他の部活動の子たちから、ってこと?」
「考えたくもないがな。今は存続に持って来れたという大きな成果を挙げられて喜んではいるけど、この熱が冷めたらどうなるのかわかったもんじゃない。自分たちも頑張っているのにどうしてあそこだけ注目されるのか――という目で見られることもあるかもしれない。特に、女子の嫉妬ってのは俺が思っている以上に強いだろ?」
絵里はその言葉に息を呑んだ。そして、心当たりもあった。何かを独占的にしてしまったことによって生まれてしまった、あの悲劇の夏を―――嫉妬と憎悪に身を任せてしまったμ'sの中に生じてしまった亀裂がどんな結果を引き起こしたのか、言うまでもない。蒼一はそのことを含めて言ってるのかもしれないと考えたのだ。
だとしたら、その規模が大きくなれば同じことが生まれることは必至になるに違いなかった。同じことを繰り返さないためにも、それを音ノ木坂全体に広げないためにはどうしたらいいのだろうか、と頭を悩ませた。
「け、けど、それだったらなおさら、真姫を生徒会に入れさせるべきではなかったんじゃ? もし、真姫の代になってそんなことが起こったりでもしたらそれこそ……」
「いいや、違う。逆だ、逆。そうした現状を見定めるために、あえて真姫を選ぶんだ。真姫には俺らが思っている以上に情報処理能力が秀でている。周りのこともよく見ているし、自分がどうしたらいいのかってことをよく考えているし空気も読める。どのタイミングで行動したらいいのかさえあの小さな頭の中で処理できているんだ」
そしてまた、蒼一は強調するようにして言う。
「俺が真姫に求めるのは、問題が発生しても早期に終息させてくれること。それが可能な1年生には真姫以外にはいないんだってことだ」
彼はもっともらしい言い方で告げた。事実、真姫の能力については絵里も希も一目置くところがある。1年生でありながらも絵里に負けず劣らずの頭のキレを見せつけられたこともあり、いずれか何かを任せたいとさえ絵里自身も考えていたところだった。
何より、真姫の姿勢がどことなく蒼一に似ているところがあり、これは穂乃果と同様に頼れるところがあるように感じられていた。
蒼一が真姫を推す理由と言うのは、もしかしたら自分と似ているところを共有しているからではないかと一瞬だけ考えた。だとしたらそれは、もし蒼一が音ノ木坂を離れてしまったとしても機能できるようにと考えているからではないかと、絵里の脳裏に過った。
ただ、これらは絵里の想像にすぎない。それに、事実、立ち直りだした音ノ木坂の現状を任せられる1年生と言うのは他に見当たらなかった。来年になれば変わることだってあるかもしれない―――が、絵里の経験上、今から力をつけていくことのメリットは大きかった。
そのため絵里は、蒼一の意見を跳ね返すほどの反論を持ち合わせられなかった。
「ん~、そうなると、結構後の話になるんやろうと思うけど、真姫ちゃんの後はどないするん? またμ’sから出てくるって考えとるん?」
「いや、多分ないだろう。来年の新1年生にどんな子が入学するかはわからないが、真姫はそうしないだろう。その時の現状を踏まえてってなるかもだが、もしかしたら真姫の考えが俺と同意見になるだろうと思う」
「つまり、一般生徒から抽出するってことなん?」
「できればそうしたいだろうよ。さっきも言ったように、どこかの部活に所属しながら兼ねるとなると、他の部活から何を言われるかわからない。真姫だってそんなのを見たくないだろうし、後輩たちに負担はかけさせたくないだろう。まあ、その時になってみないとわからんがな……」
確かに、現実とはその時に立って見ないとわからないものだ。だが、蒼一が話す未来予想図はどこか生々しく、実際にそうなりそうな気がしなくもないため、聞く絵里や希は少し身震いするものを感じたのだ。
ただ、彼の考えんとする意見を聞けただけでも彼女たちにはよかった。この先、彼女たちが真姫や穂乃果たちにアドバイスをする際の助けとなるからだ。実際、どのような助けになるかは分からないが、何かが変わるだろうと憶測していた。
「そんなことよりもだ。明弘と凛はどうなっているんだ?」
「んっ? どうって、どういうこと?」
「とぼけるなよ。お前たち、明弘と凛がくっつくように画策してるんだろ? その後の進展とかどうなっているんだ?」
突然、蒼一の口から聞かされたため、初めは驚きのあまり戸惑った。彼には分からないようにしていたはずなのに、いつのまにか悟られていたことに声を震わせた。
「い、いつから知っていたの……?」
「ついこの間の話し合いの時さ。お前たち、変にあいつらに気遣ってたりさ、あの2人が一緒になれるような機会をたくさん作るように仕向けちゃったりとか、いつもとは違ってよそよそしかったんだぜ? ちなみに、あの2人のことについては前から察してはいたんだが……そうか、とうとうその気になったか」
蒼一はあらためて2人のことを考えだすと、ふむふむと納得するように頷いていた。彼も以前から2人のこと、特に明弘の行動や言動に疑問を浮かばせていた。
「アイツ、時々無意識に口漏らしていたからなあ。合宿の時だって、2人だけでどこかへ出かけていたみたいだし……なのに、未だにアイツら付き合ってなかったのか?! 逆に驚きだぞ!」
「……ま、まあ、恋の仕方は人それぞれだから……」
「せやな……部外者があまり突いちゃアカン気がするわ……」
蒼一の驚きの声をよそに、絵里と希はどうしてか声を濁らせてしまう。2人は、いつもの積極性を欠いて奥手になってしまっていると言う凛の恋愛事情を目の当たりにしており、それを過去の自分たちの境遇と照らし合わせていた。
絵里は、蒼一への好きの感情が拗れて裏返り、ついには冷たく接しており、一方の希は、ずっと蒼一の傍にいながらも好きと言う感情を深く押し殺し続けた結果、狂気と化っしてしまった過去をそれぞれ抱いていた。
結果的には、それぞれ蒼一と言う彼氏を手に入れることができたものの、決して凛にアドバイスができるようなものは何一つなく、ただただ口吃るばかりの先輩たちである。
「まあ、なんだ……。俺たちのことがあったんだし、そんなに急ぎ足に進めなくたっていいかもしれんな。あの2人がどんな感じになるか、きちっと見届けようじゃないか」
手を付けていた仕事に区切りを付けるとともに、蒼一はこの話題を締めようとする。
「それとは別の話なんだが、今月末のハロウィーンイベントのことで考えている曲なんだが―――」
加えて蒼一は、ある一枚の企画書を手に2人に話題を提供することに―――
―
――
―――
――――
「ワンッ―――! トゥ―――……ハイッ! よしっ、今日の練習はここまでだ!」
明弘の号令がかかり、今日のμ'sの活動は終了を迎えられた。今度行われるファッションショーライブの入念な調整と月末のハロウィーンイベントに向けた振り付けを確認した。
前者は自分たちの立ち位置を確認するだけで、どちらかと言うと、後者の振り付けを覚えるのが難しく思えた。だが、そこはこれまで実力を積み重ねている彼女たちには決して難儀なことではなく、要領よく覚えていた。
「凛もおつかれな。今日はなかなかいいリードだったぞ!」
「ホント! えへへ~凛、今日はちょっと頑張ってみようって思って気合入ってたんだ~!」
凛の代理リーダーも板についてきた。ところどころで明弘のフォローが入ることろがあったが、最後までリーダーとしてみんなを引っ張っていこうとする意欲は衰えず、誰から見ても見事な様子であった。
「凛ちゃんよかったよぉ~!」
「なかなかできるようになってきたじゃない、凛」
「まだ物足りないところはあるけど、今日は上出来だったんじゃない?」
「そ、そうかなぁ~? みんなにそう言ってもらえると嬉しいにゃあ~!」
練習に参加した花陽、真姫、にこは頑張った凛に称賛を送った。素直に受け取った凛は、やや恥ずかしそうに鼻の辺りをちょっぴり紅くして照れだした。
「そう言えば、さっき業者の人が来て、今度のステージに使う衣装が届いたってよ。ついでだからみんなで見に行こうぜ」
明弘がワクワクした様子で彼女たちに話しかけると、みんな一斉に表情を明るくさせた。今回使うのはファッション誌の企業から送られてきた本格的な衣装。それを1スクールアイドルである彼女たちが使うことができるとは滅多にない機会で、すでに胸を弾ませていた。
すぐさま彼女たちは階段を下り、部室の控え室に向かった。そこに待っていたのは、大きなラックに揃われてかけられた衣装たち。黒と白のタキシードがずらりと5人分用意されており、中でも彼女たちの目を輝かせたのは、別のラックに用意された華やかなドレス。純白と淡い桃色のドレス。ところせましに付けられたひらひらで愛らしいフリルとリボン。そのあまりの美しさに思わず息することも忘れてしまうほどの煌びやかさにうっとりさせられた。
「見てみろ、これが今回使うウェディングドレスだ!」
あらためて説明させられ、ようやく実感した。これを自分が着ることになるんだと、活目する凛は胸の内で驚きと興奮を現し始めていた。
「きれい……」
凛の瞳がきらきらと宝石のように輝きだした。これまで彼女が目にしたことの無いであろう華麗な衣装を前に胸の高鳴りを覚え、かつて自分の中にも芽生えていた乙女心が再び擽られるような体験をする。この綺麗なドレスを自分が着ることになる、そう思うと嬉しくてたまらない一方、本当に自分が着てもいいのかと遠慮してしまう気持ちが同時に湧き起こってくる。
「ことりが修学旅行に行く前に、凛用に調整してくれたみたいだからいつでも着られるぜ? どうだ、今着てみるか?」
「にゃっ……?! え、えっ……!?」
突然勧められてもまだ心の準備ができてなかった凛は戸惑った。これを着ちゃってもいいの? 本当にいいの? と何度も心の中で繰り返し問いかけているようだが、肯定的な答えは生まれてこない。まだこれを自分が着る姿を想像できずにいた。
「いいじゃない、着てみたらどうなのよ?」
戸惑う凛に、にこは勧めるように後押しした。
「や……で、でも、凛は……」
「別に今着ることは無いんだぜ? 万全な状態になってから着るって言うのもいいんじゃないか?」
「………っ!」
心はまだ決まらず困惑しだしそうだった凛に、明弘は声を掛ける。追い込まれているような気持ちになりかけていた凛にとって、明弘の言葉はまさに救いであった。
「それによ、やっぱ本番の時に見てみたいわな。ウェディングドレスをこの学校で着るよりか晴れ舞台でお披露目した方がめっちゃよくね?」
「大丈夫なの? 後になって入らなかったとか無しにしてほしいんですけど?」
「そこんところは安心してくれ。いつも凛の衣装サイズを測ってくれていることりがやってくれたんだ、狂いはないだろうよ」
確かにことりが仕立ててくれたのなら安心はできそうだが、明弘が言うとどうも胡散臭く聞こえてしまう。にこはジト目で見つめどうも信用なさそうな顔を浮かばせていた。
「まあ、楽しみは最後までとっておくのが一番いいんだよな。凛のウェディング姿、ぜってぇいい感じになるに違いねェ。いやぁ~楽しみだねェ~♪」
「……! ひ、弘くんっ!!」
明弘の何気なさそうに発した言葉に凛は顔を赤くさせて反応してしまう。彼がどんな思いで言ったのかは分からないが、おかげで彼女の恥じらう気持ちは向上していった。
「そうだ、とりあえず今日の練習の報告を蒼一にしておくからみんな早く帰れよ~。凛もかわいい顔して俺を困らせるなよ~?」
「にゃっ!? こ、困らせてるのはどっちにゃ―――!!」
カッカッカ、と笑いつつ凛のことをからかう明弘は、身軽な足取りでその場を飛び出して行った。後に残った凛は真っ赤になった顔に手を抑えながら少し悶えた様子で声を荒げていた。好きな人からかわいいなどと褒められると胸が擽られるような気持ちになってむず痒い。彼が彼女のことをどう思っているのか見当つかないが、彼女の感情を揺さぶるにはちょうどいい一言だったことは間違いなかった。
そんな2人のやりとりを見ていたにこは、呆れたような溜息を吐いて言う。
「凛、いい加減告りなさいよ。どう見ても脈ありなんだから押していけばすぐいけるわよ」
「にゃっ!!? にゃにゃあにゃーにゃにゃ!!?」
「何言ってるのかわかんないわよ!! せめて日本語で話しなさいよ!!」
急にそんなことを言われたら凛は全身を硬直させ、紅潮した顔をさらに沸騰させてしまう。彼女にはまだ、告白できるほどの勇気がなく、自分の気持ちにも素直になりきれないところもあった。だから、そう促されてもどうすることもできないし、ただただ告白したことの結果を想像して苦悶してしまうだけだった。
―
――
―――
――――
日が陰る夕刻に彼女たちは帰路に立った。練習着から着替え終えた1年生の3人は、今日も一緒に帰りだす。
「凛ちゃん、今日もお疲れ様♪」
「かよちん……! ありがとにゃぁ!」
ふわっとしたやさしい声で労をねぎらう花陽。幼馴染の彼女にそう言ってもらえると凛はどんなに辛くても元気になる。この2人のやり取りをずっと見てきた真姫はそう理解していた。だから、あまり自分から声を掛けていこうとは思わなかった。
「真姫ちゃんもそう思うでしょ?」
そんな時に、花陽が急に振ってくると戸惑ってしまう。どんなことを言ってあげればいいのか、いつの間にか期待を持った目で真姫のことを見つめる凛に、気持ちが後退しそうになる。でも、言ってあげないとかわいそうだと真姫のやさしい感情が動いて、ちょっぴり恥じらうように頬を赤くしながら口にした。
「そ、そうね……。今日は私の助けなしに出来たものね。え、えらいじゃない……」
「真姫ちゃん……! わーい! 真姫ちゃぁ~ん!!」
「あっ! こら凛っ!?」
真姫に褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、凛は飛び跳ねる気持ちで真姫に抱き付いた。受け止める真姫は突然のことであたふたし、放れるようにと口では言うが、こうも好意を向けられては満更でもない様子なのだ。なんとも微笑ましい様子を見せられて、花陽は頬を緩ませ小さく微笑んだ。
「もう、凛ってば……。そんなに大胆なことができるなら、いい加減明弘に伝えたらどうなのよ」
「ふぇっ!? そ、そそそ、それとこれとは別だもん!!」
「別じゃないわよ。凛は明弘のことが好きなんでしょ? だったら、何も違わないわよ」
「別だよ別! 真姫ちゃんのことは好きだよ。でも、それは友達としてだから……ひ、弘くんは、その……そう言う好きじゃなくって……う、う~ん……」
「ああ、キスしたいほど好きってことね」
「キッ――――!? キキキキキキスぅ~~~!!?!?」
凛にとって心臓が飛び出てしまいそうなくらい驚くことを真姫は平然と恥じる様子もなく口にした。隣で聞いていた花陽でさえ、その単語を耳にしただけで顔をカーッと熱くさせてしまうほどなのに。
「何よ凛、キスって言葉だけでそんなに驚いちゃうの?」
「お、驚くに決まってるよ!! だ、だって、キスだよ?! チューするってことなんだよ!? 唇と唇をこう、くっつけるようにして……はぅ……」
その行為について自分の知っている範囲のことを指で再現してみようとするが、指と指が重なり合った瞬間、身体の内からバクバクと湧き起こる熱が生じる。熱い―――、熱くて溶けてしまいそうなほどの熱量が一気に頭にまで到達する。純粋な凛にはまだ、その行為をする意味がわからず、でも、とても大事なことなんだと言うことしか理解できていなかった。
それを自分の好きな人とするとなると、凛の頭は爆発しそうになる。
「まったく、たかがキス程度でそんなになっちゃうの? まだまだ凛はお子様なのね」
「だ、誰がお子様なんだにゃあ!! 真姫ちゃんがおかしいんだよ! そ、そんな、キスってことをそんな……うぅ~~~……真姫ちゃんはえっちだにゃあ!!!」
「なっ?! だ、誰がエッチな子よ! わ、私は至って健全な恋人なんだからね!」
「嘘だにゃ! 凛知ってるもん! 真姫ちゃん、誰もいない更衣室でひとり、蒼くんの服でえっちなことしてるって!」
「~~~ッ!!?!!!? な、ななな何でそんなこと知ってるのよ!?」
「洋子ちゃんから聞いてるんだからね! 他にもみんなが練習している最中に蒼くんとこっそり何かしてるってことも聞いてるんだからね!!」
「なななっ!? や、やめなさい凛!! それ以上言わないの!!!」
からかうつもりが思わぬ反抗を喰らってしまいあたふたする真姫。事実、凛の言ってることは正しかった。みんなに隠れて、ロッカーから盗んだ蒼一の服を嗅いで法悦してたり、体調が悪くなったと理由を付けて蒼一に看病してもらうことを逆手に自らの欲望を満たしたりと、公では口にできないことをあれやこれやとしているのだ。多分凛は、端折ったところだけを洋子から伝え聞いてるのだろうが、真姫を沈黙させるには申し分ない内容だった。
そして、その事実を知らないこの子にとっては案件であった。
「ま~きちゃ~ん? どういうことか説明して欲しいなぁ~?」
「は、花陽?! ちょ、ちょっと落ち着きなさい……」
「みんな頑張って練習してるのに、どうしてひとりサボってたの? 蒼一にぃと何してたのかなぁ? かなぁ?」
「ひっ……! ご、ごめんなさい………」
ドス黒いオーラを身に纏いながら微笑んでいるみんなの天使―――なはずが、今こうしてみるとその真逆の悪魔、それ以上のヤバイものに見えてしまっている。真姫は思わず背筋を震わせ、怯えてしまうのだった。
すると、花陽はくるりと向きを変えて今度は凛に話をしようとする。ただ、凛に対しては普段通りの天使のような笑みを浮かばせ、やさしい言葉を口にする。
「凛ちゃん。にこちゃんも言ってたけど、明弘さんはきっと凛ちゃんのことが好きだよ。後はね、凛ちゃんがどうしたいかなんだよ」
「どう、したい?」
「凛ちゃんは明弘さんのことが好き。でも、それは凛ちゃんが私に思っている好きじゃないと思うの。もっと深く、本当に大切な関係になりたいって思う強い気持ちの好きだと思う。その気持ちをぶつけてみたらどうかなぁ?」
「凛の気持ちを……! で、でも、凛には勇気が……それに、凛は弘くんが思っているようなかわいい女の子じゃないし……」
「ううん、違うよ凛ちゃん。凛ちゃんはかわいい。すっごくすっごくとってもかわいいんだよ。誰にも負けないくらいかわいいんだもん。明弘さんも絶対そう思ってるし、凛ちゃんが言ってくることを期待して待ってると思うよ」
「弘くんが、凛のことを待ってる……!」
「うん、そうだよ。だから凛ちゃん、頑張ってみて! 私、絶対成功するって祈ってるからね!」
「かよちん……! うん……うん! かよちんに言ってもらえてちょっぴり勇気が出てきたよ。凛、もうちょっとだけ頑張ってみようかと思う」
「そうだよ! その意気だよ!」
「ありがとう、かよちん! ん~~~~! そう決めたらなんだかすっごくやる気が出てきたにゃあ! よぉ~し! 凛、明日弘くんに言ってみるよ! 弘くんに凛のホントの気持ちをぶつけるにゃあ!!」
「うんうん! 頑張ってね、凛ちゃん!」
花陽の後押しにより、凛は決意を固めた。明日、明弘に告白する―――今彼女の中に強いものが入り込んだ。絶対にやってやる、そんな一大決心が凛の中に作り上げられ、揺らぐことの無いほどになっていた。
「うふふ……それじゃあ、真姫ちゃん。ちょ~~~っと花陽とお話しよっか?」
「ひっ……! は、花陽……! ちょ、ちょっとまって………!」
凛の決意を見届けると、花陽は一変して真姫に焦点を合わせた。まだ話は終わってないよ? そう言わんがばかりの威圧を込めて、真姫に詰め寄ろうとした。真姫もこんなにも怖い彼女を前にしては身動きもできず、ただただ彼女の言うがままになりそうで戦慄する。
明日になったら絶対、洋子のことを懲らしめてやる―――! そう思うが、無事に明日を迎えられるのかが心配になった。
一方の凛は、明日が自分にとって大切な日になりそうだと、内心ワクワクさせていた。こんなに嬉しくって楽しい気持ちになるのは久しぶり、だから、精一杯頑張ろう! 晴れやかな希望を胸に、凛は夕暮れに向かった笑い飛ばすのだった――――――
―――深淵から覗く、影を踏むまでは―――
『―――あ、星空じゃん?』
「えっ――――?」
聞き覚えの無い男の声が耳を通り抜けた。
誰? 知らない人だ。でもなんだろう、この胸のざわめきは―――すごく苦しい。空を自由に羽ばたくような解放感を、首絞めるような息苦しさに変えてしまうおぞましい気分。
全身に悪寒が走った。熱くなっていた身体が指先から凍るように冷たくなり、鳥肌が立った。すごく、気持ち悪かったことだけは感じられる。
凛は、恐る恐る身体を振りかえらせ、声のする方を見た。
『ああ、やっぱ星空じゃん』
やっぱり知らない男がそこにいた。
制服を着ていた。どこかの学校の生徒かな? 自分のことを知ってる人っていたかな? 首を傾げるように考え込もうとするが、頭が急に痛くなる。ふらついてしまう程の強い痛み。これ以上考えちゃいけない、全身から警鐘が鳴り響いていた。
『へぇ~、昔と全然変わってないんだな』
凛はもう一度、この男の顔を見た。
よく見たらどこかで見た顔だ。
『小学校以来だって言うのに、見ただけですぐわかったよ』
『そう言えば、アイドルやってるんだって? こっちの学校でも聞いてるよ』
『けどあれだな。世の中不思議だよな』
『
そして再び――――
「………ぁ………ッ…………」
――――彼女は心を閉ざしてしまう
(次回へ続く)
どうも、うp主です。
もう週一ペースが当たり前になってきたこの一年。もう残すところ一カ月となった2019年ですが、こちらも年を越す前に終わりを見たいものです。
来年から仕事の関係上かなり多忙になることが目に見えており、こうして執筆することもままならなくなってくるようで、それなりに大まかなところまでは仕上げられたらと考えております。
さて、今回の話は最後の辺りで不穏な空気になっております。あげてから落とすと言うのは、もはや自分の常套手段になってきました。ここからどんな展開になっていくのか、すでに考えておりますが筆が進んでおりません。とりあえずは、次回をお待ちください。
では、また。
更新速度は早い方が助かりますか?
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ちょうどいい
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もっと早くっ!
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遅くても問題ない