第151話
やるなら今しかなかった。
日が沈み昇りだすほどの長考の末に編み出した結論がこうだ。蒼一の家に行き、すべてを打ち明けるのだと彼、滝明弘は決意させた。
彼をそうさせた理由には、2つの要因があった。
まず、ことりの留学が明日に迫っていたと言うことだ。現状、このことについて知らないのは蒼一ただひとり。それをずっと隠しておくには無理があり、そも、ことりが留学してしまったとしたらそれこそ取り返しのつかないことになってしまう。この先にどんな結果があろうとも、絶対に蒼一には知らせておく必要があったからだ。
それともうひとつが、μ’sの存在だ。
穂乃果、海未、ことりを除いたメンバー全員が、揃って活動を再開させたのだ。事実上解散状態にあったものの、彼女たちの強い意志によって再びステージに立とうとしたのだ。それだけではない。意気消沈しかけていた明弘の目を覚まさせ、再び立ち上がらせたのだ。
いま彼は、彼女たちと同じ思いを胸にしている。
そして彼は、蒼一の家の前に立つ。
日は高く昇り、白熱の日差しが降り注いでいる。
「なんか、変な気分になっちまうんだよなぁ……」
首元を流れる汗が多く、熱さにバテそうだ。明弘はシャツのネックを指でひっかけ、チラリと見える胸元を開かせ風が入ってくるのを待った。
「だらしないですよ、他の人が見たらどうするんです?」
洋子からの風より早いツッコミが彼に吹きつけられるが、当然熱さをしのげるはずもない。逆に、耳の痛いもの突かれて若干のダメージを受けてしまう。
「……というか、なぜガン見するんだ、洋子が……?」
「仕方ないじゃないですか、目の前にいるのですから当然でしょう?」
「恥じらいは無いのか洋子には? ちったぁ顔を隠して乙女っぽく見せたらどうだよ?」
「顔を隠しては前方不注意で転んでしまうじゃないですか。転んでしまったら、どう責任をとってくれると言うのですか?」
「ますます面倒な方向性に走ってきたなぁ!? あーっ、もういいよ! さっさと入るぞ!」
隣から送られてくる熱い視線を避けつつ、蒼一の家の呼び鈴を鳴らす。軽い電子音が飛んでいくと、どこからか清涼な声が聞こえてくる。と同時に、目の前の扉が開きだし、その男は姿を現す。
「よお、明弘。それに洋子もか」
血色の好い顔付きと普段着を装い、風邪に犯されていたことさえ忘れてしまいそうな姿の蒼一を見た。
「兄弟、風の方は大丈夫なのか?」
「大方問題ないさ。身体のだるさも無くなって順調な回復に向かってるさ。いまは様子見で家に籠っているが、明日には戻れそうだ」
と蒼一は顔をほころばせていた。彼からしてみれば、ここ数日間も外出せず家に籠っていたのだ、久方ぶりの外の空気を味わえるとなると心地良い気分となるのは当然のこと。それに、彼の恋人たちとも会えるのであるから喜びは数倍に跳ね上がっていることだろう。
だが、それは現状を知らないが故の願望にすぎなかった。
一方で、その現状の渦中に呑まれている明弘と洋子の2人は表情を固まらせる。目の前にいる彼、蒼一は本当に何も知らないのだと言うことに恐れを抱くのだ。故に、あのような表情を見せるのだが、真実を突き付けた後の表情はどう変わってしまうのだろうか、不安が襲う。
「――っと、こんな場所で立ち話するには悪いな。さあ、中に入ってくれ」
外で話すには暑すぎると判断したのだろう。蒼一は2人を招き入れるとリビングへと向かわせた。
エアコンの効いたリビングへ入らせると、2人をソファーに座らせ、蒼一はいつものように台所へ向かった。食器棚からグラスを3つと冷蔵庫から麦茶のボトルを手にして、2人の前のテーブルに置いた。
「いつものヤツで済まないな、必要なら炭酸を用意するが?」
「い、いや、コイツで十分だ」
そうか、と相槌を打つと、蒼一はおもむろにグラスに麦茶を注ぐ。7分目といったところだろう。絶妙な量に配分されると、2人の前にグラスを添えた。それが、どうぞ、という彼なりの合図だ。
グラスが結露し始め、小さな水滴がポツポツと浮き始める。見るにそれがよく冷えたものだと言うことがよくわかり、炎天下の中を歩き回った2人の喉を潤すには十分すぎるものだ。けれど、2人はそれに手を出そうとはしなかった。確かに2人の喉は荒野のように枯れて、言葉通り水分を渇望させていた。だが、蒼一を目の前にして心を落ちつけられず、喉に詰まり物を入れられたみたいに喉を通らなかった。辛うじて、緊張によって口内で放出される唾液を代替で忍んでいるにすぎなかった。
その変わった様子に蒼一も気付き始めていたが、そのことは後にしようと、先に話題をふっかけた。
「そういや、俺が提示させたライブの設定は順調か? 本番まで明後日だ、万全な状態で臨まなくちゃならんからどうしてんのか気になってな」
「「――――っ」」
蒼一が話しながらグラスをとってグイッと一飲みだす一方、明弘と洋子は身体をビクつかせた。とうとう彼から指摘される時が来たのだと、心の中で呟いた。蒼一は黙って2人を見た。俯いてまともに顔を向けようとしない2人をだ。この時すでに、彼の中でもおかしいと思う気持ちが膨れ上がっていた。その疑問視するところはいま始まったことではなく、以前から、正確に言えば彼が風邪をこじらせた時から続いていたのだ。
―――嫌な感じがする
直感的に、数多くの修羅場をくぐり抜けてきた彼の第六感が揺れ動いた。この2人がこうした態度を見せるとなると、まず平常ではない。彼の知らない水面下のところで、確実に何かが起こっていると判断して間違いなかった。
そう思うと喉が渇く。仕方ない、これは一種の生理現象だ。思いもよらない緊張を前に、身体が強張り体温が上昇する。すると喉から潤いが失われてく。だから、水分をとる。空になったグラスにもう一杯と麦茶を注ぎ、ちょうどいいところで止めて、それを口元に近付ける。いったいどんな問題が発生したのやら…と溜め息交じりに一呼吸吐き、ゆっくりとそれを口の中に注ぎ込む。
「話せ。すべて話せ」
さっさと事を終わらせたいと、先走るように催促を促す。
すると、ようやく腹を決めたのであろう明弘がやや腰を浮かせて前屈みに身を乗り出す。ぐぐっと前に出る相方を見て、さて薮を突いて何が飛び出てくるのやら、と身構え始めた。ちょっとやそっとじゃ驚きはしないと強気に出てみたら、
「―――ことりが、明後日留学することになった」
「ゴバッッッッ―――――!!!?!?」
ところがどっこい、そのあまりの衝撃に思わず吹き出してしまう。
目を飛び出させてしまいそうになるくらい丸くし、喉の弁が驚きのあまり跳ね上がったみたいで、ちょうど喉を通りぬけようとしていたお茶が嫌な感じで引っかかる。わずかに肺に侵入した。それを吐きだすように何度も荒々しく咳込んでいく。手にしていたグラスも不意の知らせで手元から抜け落ち、幸いにも彼の足に当たって大事には至らぬまま床を転がった。
数分間の間が置かれる。
呼吸を整えつつ、明弘が言い放ったことについてもう一度考え直し始める。
ことりの留学……? しかも、明後日……? 明後日はライブが行われる日じゃないか、そんな時に何故その話が出てくるんだ? そもそも、この話がパッと出で表れるものじゃないはず。どこかでキチンと話されているやもしれない、それも俺がいないところで……。だとすると、俺が寝込んだ後の話か……? にしても急だ、急過ぎる。いや、だがそれだけじゃないはずだ……他に起きていることもあるだろうし、もっとも現状が把握できてない……。
一回咳込むよりも迅速に脳をフル回転させ、長考し始める。あくまで彼の頭の中での想像の域、事実とは異なるかもしれないのだ。それでも、あらゆる想定を置くことで彼が取らなければならない行動――短く区切られてしまったわずかな期間で何ができるのかを捉える必要があったのだ。
「あー………ちょっと待ってくれ……その話、いつからだ? いつの話なんだ……?」
手で顔を押さえながら尋ねる。
「一週間近く前だ」
短く、かつ簡潔な返答。おかげで蒼一の頭の中に何の雑念も加えられることなく入る。が、それは同時に彼を苦悩させてしまう。
当然だろう。何せ彼の幼馴染が、しかも恋人であることりが、何の前触れもなく留学することを初めて聞かされれば動揺も大きいだろう。見ると蒼一は、身体を2人から逸らし引き続き顔を手で押さえ、声にならない唸りを漏らした。
その様子を明弘らは息詰まる思いで眺める。蒼一がどう反応を示すのか気が気でならない。時間がギリギリになり、取り返しのつかない状況にまで追い込まれてしまってからの公表だ、気が狂わんばかりのことを畳みかけられることだろうと身構えてしまう。
内心荒野なのは、ともすれば2人の方かもしれないほどに。
「――状況はわかった」
刹那、蒼一が2人を見た。
気付かずいつの間にか正面に構える彼を見て、心臓が縮こまりそうになる。すると、彼は人差し指を2人に向けて話しだす。
「ことりのことはわかった。それで、他にどんなことが起こってるんだ?」
「えっ……? それはどういう……?」
「言葉通りだ。いま起きてるのはことりのことだけじゃないだろ? μ’sのことで不祥事が起こってたりしてないか気になってるんだ。特に、穂乃果や海未のことについてはな」
「………っ! ど、どうしてそれを?!」
「勘だ、幼馴染のな。そんなことを聞かされて黙ってるアイツらじゃないだろ? 現に俺だってこんなに動揺してんだ、喧嘩のひとつやふたつ起こっちまってるんじゃないかって想像しちまうんだよ。それに、お前も含めてだぞ、明弘」
「うっ……」
予感的中。蒼一が話していることに間違いは無かった。てっきりことりのことだけで手一杯になるかと思いきや、表情変えて冷静な様子で聞いてくる。ただ、目元が異様にほり深く黒く見えるのだ。
鋭く捉える瞳に震える明弘は、とりあえずと自分が知るばかりのことをできるだけ多く話し始めるのだった。
「――なるほど、そういうことがあったとはな………」
「す、すまねぇ……俺がいながらこんな不甲斐無いことになっちまって……」
明弘は、ただ深々と頭を下げて謝る。
彼は、蒼一が倒れてからいまに至るまでの出来事を事細かに伝えた。ことりが留学することをずっと話せずにいたこと。海未は気付いていたが穂乃果は気付かず、それに負い目を感じてしまっていたこと。また、これまでのことをすべて背負ってしまった穂乃果がμ’sを辞めてしまったこと。それを助長するかのように明弘が怒ったこと。
その後、μ’sが解散状態に陥り、そして、再び活動を始めたことを―――
どれをかい摘んでも、状況を一変させることができたかもしれない。けれど、それを行えなかったことに明弘は負い目を感じていた。ましてや、蒼一の知らない場所でこんなことになってしまったことに深く申し訳なく思っていた。
すると―――
「――すまんな、こんなことに巻き込ませてしまって」
「………へ?」
その刹那、彼らの時間が止まった。蒼一のそれを聞くと思わず顔をあげ、素っ頓狂な声で反応してしまう。ただ呆然と口を広く開け、息が止まってしまったかのようなわずかな静止が続いたのだ。
脳に血が回り出した。ハッと小さく呼吸する。まるで意識を取り戻したかのような感覚に陥り、尚且つ驚きを隠すことのない顔付のまま蒼一に聞いた。
「……どゆこと?」
驚きをそのまま引き摺らせるから呂律が回らず変な言葉が出てしまう。それもそのはず、目の前に座る相方が、さも自分のせいのように謝るのだから困惑してしまう。その隣に座る彼女、洋子もまた、蒼一が見せた態度に度肝を抜かれたみたいに目を丸くさせた。
そんな彼は床に落としてしまったグラスを拾い上げ、また麦茶を注ぐとゆっくりと口に含ませながら言うのだ。
「このヤマはどう見ても明弘だけじゃ抱えきれない問題だ。俺も駆け付ければよかったんだが、生憎この様だったからな、任せっきりにしちまった。それに、アイツらの変化に気付かなかったのは俺だってそうだ。実際、アイツらは俺の見舞いと言って俺と逢っている。よくよく考えてみれば変な感じはしていたんだよな、アイツらの表情を見てな。しかも、俺はアイツらの恋人でもあるんだ、アイツらが抱えている悩みを見分けられなかったとは俺もまだまだなのさ」
「そんなことたぁねぇ! 兄弟は充分にやってるさ! そりゃあ、体調不良はしょうがねぇとしてもよ、ことりのそれを止めるなんざできねぇよ!」
「いや、できたさ。ことりはずっと俺に助けを求めていたんだよ。差し迫るような顔をするアイツをただ黙ってみることしかできなかった。この件は、紛れもない俺の案件なんだよ」
言い終えた蒼一は、身体を前に倒し、飲み干したグラスをテーブルの上に置く。そして、状態を戻した彼は、すべてを見通すような鋭い目で正面の2人を見るのだ。
「ラブライブが終わった時から、何かが起きることはわかっていた。それが少し…いや、かなりへそを曲げて襲いかかってきたようだ……」
そう言うと、彼は立ち上がり2人を背にここの部屋から出て行こうとした。
「蒼一さん! そこに行くんです!?」
ここから出て行こうとする彼に、驚き立ち上がった洋子が彼に向かって声を飛ばした。すると、かなり短い言葉で、
「――さあ、行くぞ」
と一声かけて、彼はここから出て行った。
「ま、待ってください!」
「きょ、兄弟! どこに行くって言うんだよ!?」
後ろを追いかける2人。彼は服を整えるとそのまま外へと出かけようとしていた。これからどこへ行こうと言うのか、彼は何をしようと言うのかわからなかった。
そんな時だ。彼は振り返ってこう言うのだ。
「――取り戻しに行くぞ。失ったモノを見つけ出すために」
(次回へ続く)
ドウモ、うp主です。
ちゃかちゃっかと書き綴ってますので、次回もよろしくお願いします。
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